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『夢の実』」(2006/09/06 (水) 17:21:38) の最新版変更点

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<br> 夢の話をしよう。淡くも苦い味のする果実だよ。<br> 熟した夢はとても甘美な味のするものだけれど、そうなる前に落ちてしまうことが多いぐらい育てるのは難しい。<br> 中にはもうすぐで熟れる夢の果実を自ら摘み捨ててしまう悲しい人すらいる。<br> 夢の話をしよう。諦めて摘み取ってしまう前に―――<br> <br> <br> もうすぐで文化祭が始まる。うちの学校は他の学校と比べると文化祭に力を入れる傾向がある。学生には一般公開をしているのでこれで中学受験生をゲットしようという魂胆なのだろう。<br> クラスのみんなも普段はまとまりがない癖にこういう時だけはやる気を見せる。偶に有り余るそのやる気が暴走してまとまらなくなることもあるが。<br> しかし、私こと水銀燈にはそんなことには興味ない。だって文化祭の用意をするのが面倒なのだ。去年のときも準備をすっぽかして更に文化祭に出てすらもいない。<br> どうせ遊ぶのだったら他所で遊んでいたほうが有意義だと思えたからだ。今年もそうするつもりでいるのでクラスのみんなが色々と話し合いをしている場で私は堂々と眠る。<br> 手伝う気もないので今後の活動内容も聞かない。私一人ぐらいがサボっても特に何も変わらないだろう。<br> ………と思っていたのが甘かった。こういう時に厄介な相手が立ちはだかる。<br> <br>  「ちょっと、起きなさい水銀燈!」<br>  「五月蠅いわねぇ………もう少し寝かせてよ真紅ぅ…。」<br> <br> 金髪に青い瞳をしたお人形みたいな容姿をしているこの子は真紅。実を言うと幼稚園からずっと同じ学校に通っている。所謂『腐れ縁』だ。<br> 彼女は非情に可愛らしい(私から言わせればまだまだだけどねぇ。)容姿とは裏腹に性格は非情にキツく女王様気質な子だった。<br> その容姿に惚れこんで告白する男子は数知れないのだがいつも彼女は断り続けている。余程のフラれ方をしたのか二度目を言いに来る男子は余り居ないらしい。<br> <br>  「駄目よ。貴女もクラスの一員なのだからちゃんと話し合いに参加するのだわ。」<br>  「はいはぁ~い話を聞いてればいいんでしょぉ?聞いてればぁ…。」<br> <br> 『腐れ縁』のためか彼女はこのクラスで唯一(担任の梅岡含む)私を制御できる貴重な存在だった。<br> <br> <br> 仕方ないので私は起きて文化祭の話を聞かされることになる。ちなみに文化祭でのルールはまず費用制限があること。(これは実際に守られたケースはない)次に各クラスは最低一つは『何か』をやることで体育館を使っての劇と教室でやる出し物の二つに分けられることが多い。<br> そしてこれは私には関係ないことなのだが部活でも『何か』をやるということだ。去年はサッカー部が中庭の売店で焼きそばをやっていた。<br> ちなみに私達のクラスでは無難な教室でも出し物をやることになった。<br> <br>  「それで出し物ですけど…誰か意見はありませんか?」<br> <br> 学級委員長である巴が騒然としている中でテキパキと話しを進めている。色々な案が出た中でウチのクラスは空いている調理室を使って喫茶店みたいなのをやることになった。<br> 女子が接待、男子が厨房というお約束な設定で、まぁ私は接待なんて面倒なことは絶対にしないけど。<br> <br>  「よし、みんな頑張ってくれよ。何か先生に協力できることがあったら協力するから文化祭を思いっきり楽s」<br>  「じゃあ今日はこれまでということで解散します。」<br> <br> 巴の解散という言葉を聞いた途端にみんなは帰りの支度をしてすぐに帰り出す。私は人だかりが余り好きではないので最後まで残った場合はいつもゆっくりしてから教室を出て行く。<br> 教室からみんなが出て行くのに時間がかかるので私は適当に今日買った雑誌を読んでいた。ふむ、蠍座は今週の金運はいいのか。<br> 雑誌を読みながら教室を見回してみる。巴と雛苺が一緒に帰りの準備をしている姿が見えた。どうやら二人ともあれから仲良くやっているらしい。<br> 別に私が気にすることではないのだが…何故か気になってしまった。二人とも準備が終わって教室を出て行く。そのときに私は雛苺に違和感を覚えた。<br> 何だか…歩き方が可笑しい気がする。<br> <br>  (転んで擦り剥いたとか………じゃないわよねぇ。)<br> <br> 私は雛苺が少し気になったのだが呼び止める間もなく巴と一緒に教室を出て行ったのでまぁいいかと考えてしまう。巴が一緒なら下手なことにはならないだろう。<br> <br> <br> 暫くして帰宅する生徒の数も疎らになって来たので私はいつもどおり裏門から学校を出ようとする。その途中で吹奏楽部の練習の音が聞こえた。<br> <br>  「…そっか、文化祭の練習ねぇ……あら?」<br> <br> 音楽室はとなりの棟の一番高いところにありその教室だけにベランダが設けられていた。其処で一人の女子だけが出て来てヴァイオリンの練習をしていた。<br> ヴァイオリンの演奏者は彼女だけなのだろうか?そんなはずはないだろう。ただ孤独にヴァイオリンの音色は震えて悲しみの音を奏でていた。<br> <br> 学校の裏門から帰った私は今日もまた病院にめぐの見舞いに来ている。看護士などにはもう顔まで覚えられてしまっていた。<br> 来たのはいいのだがめぐはぐっすりと昼寝をしている。起こしたら悪いと思ったので出直すことにした。病院の売店でヤクルトでも買おうと出て行こうとしたとき…<br> <br>  「水銀燈………何処行くの?」<br>  「え?」<br>  「止めて!置いて行かないで!一人にしないでよぉ…」<br> <br> それは寝言だった。けれども凄く怖い夢らしい、めぐはかなりの量の汗をかいている。私は何故かそうすればいいと思ってめぐの手を握った。<br> めぐは手にまでじっとりと汗をかいていた。私はまるで自分の方が置いて行かれるかのように彼女の手を強く握った。<br> それでもめぐはうなされ続けていた。うわ言のように私の名前を呼んでは苦しんでいる様子だった。何も出来ない無力な自分が歯痒い。<br> 30分は経った頃だった。ようやくめぐが目を醒ましたのは、夢の内容を聞くと覚えていないという。<br> <br>  「本ッ当に覚えてないんでしょうね?」<br>  「覚えてないわよ。そんな怖い顔しないでってば。」<br> <br> 先刻のうなされていた顔が嘘のようにめぐは苦笑していた。私は何だかそれに引っ掛かった、まるで何かを隠しているかのように見えるからだ。<br> めぐが私に隠し事をしているのは少し悲しいけれども言いたくもないことを無理矢理言わせることもないだろう。私は気分を切り替えることにした。<br> <br> <br>  「そう言えば文化祭が近いんじゃないの?」<br>  「ええ、何でもウチのクラスはわざわざ調理室を使って喫茶店をやるんだってぇ。女子が接待をするとか…面倒臭いわぁ。」<br>  「男子が接待しても喜ぶ人は少ないもんね。」<br> <br> はっきりと言ってくれる。実際、ウチのクラスの男子はイマイチ目立たない奴ばかりだ。中途半端に目立とうとする奴は何人かいるが…。<br> <br>  「でも水銀燈が接待してくれるんだったら私行ってもいいかな。」<br>  「ば、バカじゃないの……そんなキャバクラじゃあるまいし…。第一私はまだ接待をやるとは決めてないわぁ。」<br>  「あ、そっか接待はやらなくてボーイをやるのね。」<br>  「違うから!私は文化祭に参加する気はないってばぁ!」<br>  「でも今年はどうかしらね?多分、真紅って子燃えてるんじゃないの?去年はまんまと貴女に逃げられたわけだし。」<br>  「そうなのよねぇ…問題は真紅なのよぉ。あの子ってば去年のときなんて私が通ろうとするルートをことごとく先回りして待ち伏せていたぐらいだしぃ…。」<br> <br> 『腐れ縁』というのはこういうのが厄介だ。お互いのことを知り尽くしているので裏をかいても全くの無駄になってしまう。<br> それに真紅は判断力が鋭い、本人は推理力とか言っているのだがそれはくんくんに憧れて言っていることなのだろう。<br> まぁ何にしても今年の文化祭を抜け出すのには相当な労力が必要不可欠だろう。<br> <br> 文化祭と言えばもう一つ気になることがあった。<br> あの一人でヴァイオリンを弾いている女の子…。よくよく考えたら吹奏楽でヴァイオリンはない筈だ。なら何故彼女はヴァイオリンの練習をしていたのだろう?<br> 考え事をしているとめぐが此方の顔を覗き込むようにしていた。<br> <br>  「何か気になることでもあったの?」<br> <br> やはりお見通しのようだった。単に私がわかりやすい顔をしていたからなのかもしれないが…。<br> 私は今日の帰りに音楽室のベランダで見た光景を話した。この話を聞いてめぐも少し不思議に思ったらしい。私と同じく考えている顔になっている。<br> <br>  「ひょっとしてその子ってアレなんじゃない?中庭でやるコンサートに出るつもりなんじゃ…。」<br>  「中庭のコンサート?なぁにそれ?」<br>  「確か二日目にあるクラスや部活以外での活動よ。これはクラスとかの枠組みが無くなってかつ自由形式に自分のしたいことを発表するイベントじゃなかったかしら?」<br> <br> 成る程、確かにそれならばあの子が一人で練習していたのも頷ける。けれども私はふと思った。<br> <br>  「ふ~ん…ってなんで私より貴女の方が詳しいのよぉ…。」<br>  「だって真紅からも話を偶に聞くし。」<br> <br> ああ、そう言えば真紅も私が入院したときに見舞いに来てそれでめぐと知り合ったのだっけ…。そうか、あれからも定期的にめぐのお見舞いに来てくれているのか。<br> <br>  「そうね、決まって貴女が学校をサボって此処に来た日によく来てくれるわ。水銀燈はいないかって。」<br>  「こ、こんな所にまで来てるのぉ…。」<br> <br> お節介も此処まで来ると厄介なものだ。昔からあの子は何かと私に反発してはお節介を焼いている。<br> <br> <br> とまぁ話を戻して………。<br> <br>  「でも珍しいわね。ヴァイオリン演奏の発表だなんて、去年は漫才とかバンドとかばっかりだったっていうのにね。」<br>  「ふ~ん、そうだったのぉ………そうよねぇ。ヴァイオリンを個人で持っているのかもしれないわねぇ。<br>   けど…何だかあのヴァイオリンの音色はあの吹奏楽の音と違ってたから余計に寂しそうに聞こえたわぁ。」<br>  「そう…気になるんだったらその子に会ってみたら?」<br> <br> 別にそんなんじゃないわよぉ。と否定しつつも心の何処かでは少しに気にかかってはいた。今にして思えばあのヴァイオリンの音色はとても綺麗で上手だった。<br> きっとずっと前から練習して培われたものに違いない。無事に発表されるのが少し楽しみに思えていた。<br> <br> 翌日、私はそんなこともすっかり忘れていた。何故なら文化祭の準備が始まるからだ。放課後にまで残って準備をしなければならない。<br> そんなのかったるいので学校を途中でサボタージュしようとしたら案の定、真紅に阻止されてしまった。<br> <br>  「ヤクルトを人質に取るなんて卑怯だわぁ…。」<br>  「一人だけサボる行為も卑怯だと思うのだわ。じゃあまずサイズを測るわね。」<br> <br> メジャーを取り出して真紅は私のスリーサイズを測り出す。自分で言うのもなんだがスタイルには自信はあった。じゃなくって!!<br> <br>  「何でサイズを測るのよ!?まさか真紅…そっちの気が………。」<br>  「誤解を招く言い方はやめなさい!勿論、貴女の衣装を作るためなのだわ。」<br>  「凄く嫌な予感がするんだけどぉ…何の衣装?」<br>  「メイド服よ。」<br> <br> 私は何も言わずに教室から出て行こうとする。しかし真紅の絆ヘッドロックに捕まってしまって阻まれてしまった。<br> <br>  「我慢しなさい!クラスの女子全員がその格好をするのだから!」<br>  「無理無理!メイド服なんて恥ずかし過ぎるわぁ!!」<br> <br> もがいてみるが真紅の絆ヘッドロックに捕まって逃れられる術はない。私はされるままにサイズを測られてしまった。<br> <br>  「し、信じられないのだわ…またサイズアップしているだなんて…。」<br>  「………これってセクハラなんじゃないのぉ…?」<br> <br> そして一瞬、私の頭の中に邪悪な考えが浮かび上がる。私はおもむろにメジャーを手に取って真紅に近寄る。<br> <br>  「な、何かしら?」<br>  「うっふふふ………貴女も同じ目に合わせてあげるわぁ…!!」<br>  「や、やめ………アッー!!」<br> <br> <br> 真紅に仕返しをして少し気分が紛れた私は結局、文化祭ではメイド服を着せられることになってしまった。絶対に行きたくない。<br> トイレから教室へ帰る途中であのヴァイオリンの音色が聞こえた。すっかり忘れてしまっていたのだが私は音色のする方へ向かう。今度は音楽室ではなく広い多目的室からだった。<br> それとなく教室の中を覗いてみるとやっぱり一人だけで演奏していた。緑の髪の毛にその広い額が目立つ彼女は広い教室の中いっぱいに音色を響かせていた。<br> やがて私が見ていることに気付いた彼女は突然、ヴァイオリンの演奏をやめてしまい此方にやって来る。<br> <br>  「み、見たかしら?」<br>  「そうねぇ、バッチリ見ちゃったわねぇ。ねぇ、貴女って中庭コンサートでヴァイオリンの演奏するのぉ?」<br>  「え、えっと………そういうことになるかしら。」<br> <br> 目をきょどらせて彼女は声を絞るように言った。やっぱりめぐの考えていた通りだったらしい。<br> <br>  「ところで貴女は誰かしら?」<br>  「まず自分から名乗ったらぁ………私は水銀燈よ。」<br>  「私は金糸雀かしら。これでも3年生なのかしら!」<br>  「さ、3年生!?」<br> <br> とてもじゃないがそうは見えなかった。3年生と言えば自分と同じ学年だ。どう考えてもお子様並の背しかないように見える。<br> この背格好から1年生とばかり思っていたがよく見れば校章や上履きなどは3年生の色である赤色をしていた。<br> <br>  「ふんだ、どうせカナは1年生にしか見えないかしらー!」<br> <br> そんなあからさまに拗ねられると年下を通り越して余計に子供に見えてしまう。何だか賑やかな子だなぁなどと思ってしまう。<br> <br> <br> 一通り拗ねたら彼女はすぐにヴァイオリンの練習を始めた。あの時は孤独な音に聞こえたのだが不思議とこうして間近で聞いてみると独壇場のようで伸び伸びとした明るい音色を奏でていた。<br> 何者にも邪魔されないまさしく本当の自由を体現したようなものがこの音色にはあった。<br> <br>  (ヴァイオリンの腕前は中々ねぇ………。これは中庭コンサートも盛り上がるかもねぇ。)<br>  「………やっぱり駄目かしら。こんな演奏じゃあ…中庭のコンサートに立てないかしら。」<br> <br> 演奏を途中で止めて溜息まじりに金糸雀は吐き捨ててヴァイオリンを片付け始めた。一体何がいけなかったのか分からない私は呆けてしまっていた。<br> <br>  「ちょ、ちょっとぉ…行き成りどうしたのよぉ?何か変な失敗でもやらかしたのぉ?」<br>  「失敗は…してないわ。でもカナには此処までが限界なのよ。」<br>  「限界?」<br>  「もともとカナには才能なんてなかったかしら。此処まで来れたのは人よりも努力してやっとのことでもうこれ以上、カナの腕前が上達することはないかしら。」<br>  「だからそれが何の問題に………」<br>  「カナぐらいの腕前を持ってる人なんて幾らでもいるかしら。カナは音大に行ってヴァイオリンをやりたいけどこのままじゃ駄目かしら…。<br>   だからキッパリとヴァイオリンをやめるために文化祭みたいな舞台を最後の演奏の場にしたかったけど…。<br>   何だか文化祭でソロでやるのも嫌になって来たかしら…。」<br> <br> <br> <br> やっぱり、初めて聞いたあの音は金糸雀の持つヴァイオリンの悲しみの音色だったようだ。別れが近付いて来ていることを知った彼女の相棒の…。<br> この子は自分の夢を諦めるために最後にあんな大舞台に立つことを望んでいた。でも今はそれすらも諦めて無理矢理に自分の夢を打ち消そうとしている。<br> けれども音楽を諦めようとしてる人が自発的に最後の舞台などと考えるものだろうか?きっとこの子には―――<br> <br>  「………貴女がどうしようが私には関係ないのかもしれないけどぉ、貴女はコンサートをやるべきなんじゃないのぉ?<br>   もう文化祭の実行委員にやるって言っちゃったんだし、何よりも貴女の演奏を楽しみにしてる人がガッカリするんじゃなぁい?」<br> <br> この子には絶対にこの子とそのヴァイオリンの演奏を楽しみにしている人がいる。この子の奏でるヴァイオリンの音色には不思議な魅力があるからだ。<br> 人を惹き付ける『何か』………それは才能や努力ですら手にすることのできない不思議な魔法、きっと真摯に一つのことに励む人に与えられる最高の贈り物だろう。<br> <br>  「そ、そうだけど………」<br>  「まぁ、文化祭までもう少し時間があるんだしよく考えなさぁい。最悪、コンサートをドタキャンすればいいんだしぃ。」<br>  「ど、ドタキャンって………ってコレは何かしら?」<br>  「私からのエール、乳酸菌とって腹痛にならないようにねぇ。」<br> <br> 私は本当はめぐの所で飲む用にとっておいた乳酸菌を金糸雀に渡して多目的室を後にした。後はもうあの子が勝手に歩き出すだろう。<br> そして思い出す。そう言えば自分は文化祭の日にはメイド服を着るのだということを。やっぱり文化祭はサボろっかなぁ…。などと考えつつも私は足取りも重く真紅の待つ自分の教室へと向かう。<br> <br> <br> 夢の話をしよう。熟れると甘美な味のする果実だよ。<br> 君達が成長するように夢も成長して更に君達を成長させてくれる。<br> 成長すれば心も体も大人になる君達と同じで夢の中身もカタチも変わってしまうから。<br> 夢の話をしよう。甘美な果実を作るために―――<br> <br> <br> <br> <br> <br> 金糸雀サイド<br> <br> <br> <br> 頭上には青空、此処は高い木の枝の上にある私の巣。<br> ただ空に憧れてこんな高さまで私は必死に木を登り続けた。ずっと、ずっと高いところまで登りつめようとした。<br> でも空はどんどん遠くなるばかりで全く近付けない。登っても登っても空の遠さを知るばかり。<br> いざ、飛ぼうとしたって羽がない。此処が私の限界だったんだ―――<br> <br> <br> <br> 学校の音楽室のベランダを借りて自前のヴァイオリンを奏でている少女がいる。それは私、金糸雀だった。<br> カナは小さい頃からずっとドジばかりをしていて失敗ばかりやらかしていたのだがヴァイオリンだけはそこそこ上手く演奏が出来た。<br> ヴァイオリンを演奏して珍しく両親や周りから褒められるのが純粋に嬉しくってひたすらヴァイオリンの練習ばかりをしていた。<br> 自分で言うのも何だがそこそこ才能もあってそれを補う努力もちゃんとして来た。そのためにカナは上へ上へと登り詰められた。けれども其処で私は天空の高さを知った。<br> 残酷なまでに高すぎてカナは足がすくんでしまう。これがカナの限界………?<br> <br>  「はぁ…やっぱり駄目かしら。」<br> <br> この程度の技術で音大に行けるわけもない。ましてやずっとヴァイオリンをやり続けれる訳がない。<br> 空の深さを知った私は己の力の至らなさと現実の厳しさに打ちひしがれてしまっていた。<br> <br> それでもずっとやり続けていたヴァイオリンを惨めにも手放せないでいる。<br> だって………カナの演奏を楽しみにしてる人がいるから。<br> <br>  「ただいまーかしら。」<br>  「あ、カナお帰りー。」<br> <br> この綺麗で利発そうな顔をしている大人のお姉さんは草笛みつ、カナの従姉妹で実を言うとカナにヴァイオリンを教えてくれた人でもある。<br> 訳あってカナは親と離れて暮らしており今はこの人と同棲している。カナは尊敬と親しみを込めてみっちゃんと呼んでいる。<br> けれども完璧そうなみっちゃんにも弱点というものがあった。それは………<br> <br>  「帰りが遅くってちょっと心配したんだから…。」<br>  「ご、ごめんなさいかしら。」<br>  「あーん!俯いて上目遣いで謝るカナ、可愛いーーー!!」<br>  「み、みっちゃーん!!カナのほっぺがおっぺけぺー!!」<br> <br> そう、みっちゃんはかなり奇特な人で可愛いものに目がなく彼女の眼鏡に適った子には誰彼構わず頬擦りをすることである。<br> その頬擦りの力は尋常じゃなく頬擦りによる摩擦熱は下手したら自転車のライトですら点灯することが出来るかもしれない。<br> でもカナはそんなところを含めてみっちゃんのことが大好きだった。<br> 大好きだから…裏切りたくない。みっちゃんにヴァイオリンを止めたいということをいえ出せずにいた。<br> みっちゃんはカナの弾くヴァイオリンが大好きだったから、カナが止めると言ったらきっと悲しんでしまうだろう。<br> それだけではない、カナがヴァイオリンを止めてしまったらみっちゃんはカナのことを省みなくなってしまうかもしれない。それが一番怖かった。<br> <br>  「ね、ねぇみっちゃん?」<br>  「どうかしたのカナ?今日はカナの大好きな卵焼きがあるからねー♪」<br>  「そ、それはとっても嬉しいかしら!」<br> <br> やっぱり言い出せない。この日もみっちゃんには言い出せずにずっとカナの胸の中にしまっておくことになってしまった。<br> もしも、みっちゃんに言ったらみっちゃんは本当にどんな顔をするのだろうか。今まで通り笑顔でいるのだろうか、それとも悲しい顔をするのだろうか。<br> みっちゃんに嫌われたら…それを考えるだけでとても怖かった。そして考える、私からヴァイオリンを取ってしまったら何が残るんだろう?<br> <br> <br> 朝になってカナは学校へ行くべく起き出す。みっちゃんは朝早くから仕事に行っており話をする機会はない。必然的にあの話をするなら夜しかないのだ。<br> いつも作り起きして行ってくれるみっちゃんの弁当をもってカナも家をあとにする。今日も文化祭に向けて練習するためにヴァイオリンを持って。<br> 学校の授業も何の滞りもなく終わりカナは再び音楽室へと向かった。其処には練習をしている吹奏楽部のみんなが一緒に練習をしていた。<br> みんなで一つの目標に向かって突き進むその姿に憧れを抱いていた時期もあった。けれども今回の舞台は一人でやらないと意味がない。<br> カナは顧問の先生に断ってから音楽室のベランダで練習をすることにした。ヴァイオリンを箱から取り出して自分の頭上いっぱいに広がる空が眩しい。<br> 何故か自然と涙が出ていた。どうして自分が泣いてるのかわからない。今までずっと一緒だったこのヴァイオリンとの別れが近付いてるから?<br> これで自分が空っぽになってしまうから?ヴァイオリンを止めてみっちゃんが悲しむかもしれないから?<br> 泣きながらもカナは必死でヴァイオリンの練習をした。大きな空にその音色は吸い込まれて行くように谺する。<br> それは悲しみの音色のように聞こえた。きっとこの長年の相棒のヴァイオリンも別れが近いことを惜しんでいるのだろう。<br> だから、残された日の練習の全ては思いっきり弾いてあげたい。もうこの子の弦がはち切れてしまうほどに。<br> <br> <br> 翌日、何度も音楽室を借りるのも悪い気がするので今日はいつも鍵が開いているやや広い多目的室を使うことにした。やっぱり室内の方が落ち着く。<br> 結局、昨日の夜もみっちゃんに言えなかった。もう文化祭まで時間がないのに自分は何をやっているんだろう。これが最後の舞台なのに、みっちゃんに見て欲しいのに。<br> そうすれば、カナは夢を諦められるのに………<br> <br>  「はぁ………ってうぉわ!?」<br> <br> ふと教室を見ると覗いている人がいた。女子生徒で校章と上履きの色を見る限り私と同じ3年生だろう。<br> <br>  「み、見たかしら?」<br>  「そうねぇ、バッチリ見ちゃったわねぇ。」<br> <br> その子の肌はとても白く長い銀髪に赤色の瞳という容姿だった。こんな奇抜な容姿はあの不良で有名な水銀燈ぐらいしかいない。<br> どうして不良の彼女が此処にいるのだろう?ひょっとしてカナが何か気に入らないことをして目をつけられたのかもしれない。<br> 何をされてしまうのかビクビクしていたのだが彼女は噂に聞くほどの怖い印象は持てない。言動はキツイところがあるかもしれないが優しさが滲み出ている。<br> お互い名乗る機会がないのもどうかと思うので一応、名前を尋ねた。<br> <br>  「ところで貴女は誰かしら?」<br>  「まず自分から名乗ったらぁ………私は水銀燈よ。」<br>  「私は金糸雀かしら。これでも3年生なのかしら!」<br>  「さ、3年生!?」<br>  「ふんだ、どうせカナは1年生にしか見えないかしらー!」<br> <br> 気にしていることだったので拗ねてしまう。それはやっぱりカナは発育不良かと思うほど背も小さいしスタイルもいいわけじゃないし…。<br> 童顔で未だに電車でも子供料金で通れるとまで言われるけど…ってこんなことしてる場合じゃなかった。<br> <br> 気を取り直して再びヴァイオリンの練習を始める。水銀燈はそれでもずっと此処に居てカナの演奏を聴いていた。<br> 何気に初めてのお客さんなので緊張する………。でも聴いてくれる人がいるというのはやり甲斐にも繋がるかもしれない。<br> 一生懸命に弾いた、カナもヴァイオリンも、それでもやっぱり自分の思ったように上手く演奏できない。このままじゃあ…中庭コンクールにすら出れない。<br> <br>  「やっぱり駄目かしら。こんな演奏じゃあ…中庭コンサートに立てないかしら。」<br> <br> 溜息も自然と出てしまう。これ以上練習しても意味がないと思ってヴァイオリンを片付け始めた。<br> カナが突然、演奏をやめてしまったので水銀燈は驚いている。失敗したのかと尋ねてくるが失敗はしていない。<br> しているとしたらこうしてヴァイオリンをやっていることなのかもしれない。<br> <br>  「カナぐらいの腕前を持ってる人なんて幾らでもいるかしら。カナは音大に行ってヴァイオリンをやりたいけどこのままじゃ駄目かしら…。<br>   だからキッパリとヴァイオリンをやめるために文化祭みたいな舞台を最後の演奏の場にしたかったけど…。<br>   何だか文化祭でソロでやるのも嫌になって来たかしら…。」<br> <br> みっちゃんにすら言えなかったことをどうしてこんな初対面の人に言ってしまうのだろう。悔しさで胸がいっぱいになっていた。自分が情けなく思えてきた。<br> カナが一生懸命悔し涙を堪えてヴァイオリンを片付けていると水銀燈がおもむろに言った。<br> <br>  「………貴女がどうしようが私には関係ないのかもしれないけどぉ、貴女はコンサートをやるべきなんじゃないのぉ?<br>   もう文化祭の実行委員にやるって言っちゃったんだし、何よりも貴女の演奏を楽しみにしてる人がガッカリするんじゃなぁい?」<br> <br> カナの演奏を…楽しみにしている人?みっちゃんが………ガッカリする?<br> <br>  「そ、そうだけど………」<br>  「まぁ、文化祭までもう少し時間があるんだしよく考えなさぁい。最悪、コンサートをドタキャンすればいいんだしぃ。」<br>  「ど、ドタキャンって………ってコレは何かしら?」<br>  「私からのエール、乳酸菌とって腹痛にならないようにねぇ。」<br> <br> ヤクルトを無理矢理手渡されて水銀燈は教室を出て行った。残されたカナは暫くの間、教室で呆けているようにずっと考え事をしていた。<br> 今夜、今夜こそ…みっちゃんに本当のことを言おう。言って…絶対に中庭コンサートを見て貰おう!<br> <br> そして夜、みっちゃんが残業から帰って来た。帰って来るなり頬擦りをされてほっぺが摩擦熱で火傷しそうになったけれども大丈夫。<br> 帰りの途中でドンキホーテか何処かで見つけて来たのかアンミラの制服を買って帰って来ていたらしい。一先ずカナはみっちゃんに言われたまま着替えることにした。<br> <br>  「みっちゃーん、着替え終わったかしらー。」<br>  「ハァーイ………あーん、もうっカナったら可愛ぃーーー!!」<br>  「みみみ、みっちゃーん!ほっぺがめくるめくまさつねつぅーーー!!」<br> <br> 再びみっちゃん必殺の頬擦りを食らわされてしまう。これもみっちゃんの最上級の愛情表現なのだ…甘んじて受けよう。<br> 一通り摩擦熱を味わってからカナは意を決してみっちゃんに今の胸中を打ち明けることにした。夕ご飯の支度を少し待って貰って向き合って貰う。<br> <br>  「あ、あのね…みっちゃん…聞いて欲しい話があるの。」<br>  「え、なぁに?」<br> <br> カナの真剣な表情を汲み取ってくれたのかみっちゃんはちゃんと目線が合うようにややしゃがんで聞いてくれた。<br> みっちゃんの顔を見るといつも通り言うのが辛くなる。でも何時か言わなくちゃ…自分のためにもみっちゃんのためにも…。<br> <br> <br> <br>  「カナ…今度の文化祭の中庭コンサートでヴァイオリンの演奏をすることになったんだけど…。」<br>  「うんうん。」<br>  「このコンサートで…ヴァイオリンを弾くのを………止めにしようかなって思ってるんだ…。<br>   カナは其処まで才能も技術もないから…もう、止めたいって思ってて………だから、その…最後の舞台にはみっちゃんにどうしても聞いて欲しいって…」<br>  「うん。」<br> <br> みっちゃんは悲しいというよりも寂しそうな表情でカナの言っていることを聞いてくれた。そしてみっちゃんも口を開く。<br> <br>  「実を言うとね…ちょっとだけ気付いてたんだ。カナがヴァイオリンを止めたそうにしてるって…。<br>   だって最近だと家ではヴァイオリンの話題もしないし演奏もしなくなっちゃったもんね。」<br>  「みっちゃん…。」<br>  「でも、中庭コンサートはちゃんとやってね?私ちゃんと聞きに行くから。私のためじゃなくってカナのためにもちゃんとやり遂げるのよ。」<br> <br> 笑顔を向けてカナに話しかけるみっちゃん。その笑顔は作り笑いとは違う、違うのだけれども笑顔の中にも何処か寂しさを漂わせるものがあった。<br> 長年一緒に暮らしているのでそれぐらいはカナにだって分かる。もうカナは引き返せなくなった。けれども覚悟は決めた。絶対に中庭コンサートは今までで最高の演奏をしよう。<br> そのためにはこれからもちゃんと練習しなければ…。<br> <br> <br> 今日は文化祭二日目………ついにこの時が来た。中庭に造られた舞台の上に私と相棒のヴァイオリンは立つ。<br> その目の前に作られた観客席には色々な学年の生徒がたくさんいた。生徒だけではない、一部一般の人もいる。<br> その中にみっちゃんがいた。心臓が早鐘を打つように暴れ回る…けど、カナには世界で一番頼もしいパートナーがいる。<br> ただ、自分の持てる力全てを使い切ってこの舞台を自分の中で最高の演奏で魅了するだけだ。<br> 私はゆっくりとヴァイオリンの弓をひく…。音は、カナの思いはこの遠く晴れ渡る空に谺した…。<br> やがて時は蛇行するかのようにゆっくりかと思えば吹き荒ぶ風のように通り過ぎて最後の音色に近付く。やれることは全てやった。もう悔いはない。<br> 最後の音色が、奏でられた。演奏の終わったカナは一礼する。中庭は静寂に包まれていた。やっぱり、ヴァイオリンのソロ演奏なんて盛り上がらないのだろうか?<br> 諦めかけていた頃、一つの拍手が起こった。それに誘われて中庭は爆発的な拍手の量に埋め尽くされていた。<br> 周りを良く見ると中庭に入れなかった人は校舎の中からも見ていた。みんな…こんなカナの演奏に感動してくれたのだろうか?<br> 誰かに感動を与えれる。何かをしている人にとってそのことは本懐だ。皆がカナの演奏を聞いて何かを感じ取ってくれたことがとても嬉しい。<br> もう一度礼をしてカナは舞台を降りた。そうだったんだ………遠いと思っていた空に届くことはなかったけれども、これでいいんだ。大好きな人達に感動を与えられれば………上へ行けなくても、ゆっくりでいいから前へ進めれば。<br> <br>  「ふん、ちゃぁんと自分で演奏できるじゃないの…」<br>  「ちょっと、水銀燈!人手が足りないのよ。ちゃんとして頂戴!」<br>  「はいはぁ~い…全く、何で私がこんなこと………」<br> <br> <br> <br> 頭上には青空、此処は高い木の枝の上にある私の巣。<br> ただ空に憧れてこんな高さまで私は必死に木を登り続けた。ずっと、ずっと高いところまで登りつめようとした。<br> 空に到達することは出来ないけれども、私は空を飛ぶことが出来た。羽ばたくことが出来た。そして知る―空とは到達するところでも見上げるものでもない、飛ぶところなのだと。<br> 私は鳥、この晴れ渡る大空を自由に飛び回る鳥…。空の深さを知り、何処までも飛んで行ける翼を得た。<br> 私の羽ばたきは谺する―――<br> <br> <br> <br>
<br> 夢の話をしよう。淡くも苦い味のする果実だよ。<br> 熟した夢はとても甘美な味のするものだけれど、そうなる前に落ちてしまうことが多いぐらい育てるのは難しい。<br> 中にはもうすぐで熟れる夢の果実を自ら摘み捨ててしまう悲しい人すらいる。<br> 夢の話をしよう。諦めて摘み取ってしまう前に―――<br> <br> <br> もうすぐで文化祭が始まる。うちの学校は他の学校と比べると文化祭に力を入れる傾向がある。学生には一般公開をしているのでこれで中学受験生をゲットしようという魂胆なのだろう。<br> クラスのみんなも普段はまとまりがない癖にこういう時だけはやる気を見せる。偶に有り余るそのやる気が暴走してまとまらなくなることもあるが。<br> しかし、私こと水銀燈にはそんなことには興味ない。だって文化祭の用意をするのが面倒なのだ。去年のときも準備をすっぽかして更に文化祭に出てすらもいない。<br> どうせ遊ぶのだったら他所で遊んでいたほうが有意義だと思えたからだ。今年もそうするつもりでいるのでクラスのみんなが色々と話し合いをしている場で私は堂々と眠る。<br> 手伝う気もないので今後の活動内容も聞かない。私一人ぐらいがサボっても特に何も変わらないだろう。<br> ………と思っていたのが甘かった。こういう時に厄介な相手が立ちはだかる。<br> <br>  「ちょっと、起きなさい水銀燈!」<br>  「五月蠅いわねぇ………もう少し寝かせてよ真紅ぅ…。」<br> <br> 金髪に青い瞳をしたお人形みたいな容姿をしているこの子は真紅。実を言うと幼稚園からずっと同じ学校に通っている。所謂『腐れ縁』だ。<br> 彼女は非情に可愛らしい(私から言わせればまだまだだけどねぇ。)容姿とは裏腹に性格は非情にキツく女王様気質な子だった。<br> その容姿に惚れこんで告白する男子は数知れないのだがいつも彼女は断り続けている。余程のフラれ方をしたのか二度目を言いに来る男子は余り居ないらしい。<br> <br>  「駄目よ。貴女もクラスの一員なのだからちゃんと話し合いに参加するのだわ。」<br>  「はいはぁ~い話を聞いてればいいんでしょぉ?聞いてればぁ…。」<br> <br> 『腐れ縁』のためか彼女はこのクラスで唯一(担任の梅岡含む)私を制御できる貴重な存在だった。<br> <br> <br> 仕方ないので私は起きて文化祭の話を聞かされることになる。ちなみに文化祭でのルールはまず費用制限があること。(これは実際に守られたケースはない)次に各クラスは最低一つは『何か』をやることで体育館を使っての劇と教室でやる出し物の二つに分けられることが多い。<br> そしてこれは私には関係ないことなのだが部活でも『何か』をやるということだ。去年はサッカー部が中庭の売店で焼きそばをやっていた。<br> ちなみに私達のクラスでは無難な教室でも出し物をやることになった。<br> <br>  「それで出し物ですけど…誰か意見はありませんか?」<br> <br> 学級委員長である巴が騒然としている中でテキパキと話しを進めている。色々な案が出た中でウチのクラスは空いている調理室を使って喫茶店みたいなのをやることになった。<br> 女子が接待、男子が厨房というお約束な設定で、まぁ私は接待なんて面倒なことは絶対にしないけど。<br> <br>  「よし、みんな頑張ってくれよ。何か先生に協力できることがあったら協力するから文化祭を思いっきり楽s」<br>  「じゃあ今日はこれまでということで解散します。」<br> <br> 巴の解散という言葉を聞いた途端にみんなは帰りの支度をしてすぐに帰り出す。私は人だかりが余り好きではないので最後まで残った場合はいつもゆっくりしてから教室を出て行く。<br> 教室からみんなが出て行くのに時間がかかるので私は適当に今日買った雑誌を読んでいた。ふむ、蠍座は今週の金運はいいのか。<br> 雑誌を読みながら教室を見回してみる。巴と雛苺が一緒に帰りの準備をしている姿が見えた。どうやら二人ともあれから仲良くやっているらしい。<br> 別に私が気にすることではないのだが…何故か気になってしまった。二人とも準備が終わって教室を出て行く。そのときに私は雛苺に違和感を覚えた。<br> 何だか…歩き方が可笑しい気がする。<br> <br>  (転んで擦り剥いたとか………じゃないわよねぇ。)<br> <br> 私は雛苺が少し気になったのだが呼び止める間もなく巴と一緒に教室を出て行ったのでまぁいいかと考えてしまう。巴が一緒なら下手なことにはならないだろう。<br> <br> <br> 暫くして帰宅する生徒の数も疎らになって来たので私はいつもどおり裏門から学校を出ようとする。その途中で吹奏楽部の練習の音が聞こえた。<br> <br>  「…そっか、文化祭の練習ねぇ……あら?」<br> <br> 音楽室はとなりの棟の一番高いところにありその教室だけにベランダが設けられていた。其処で一人の女子だけが出て来てヴァイオリンの練習をしていた。<br> ヴァイオリンの演奏者は彼女だけなのだろうか?そんなはずはないだろう。ただ孤独にヴァイオリンの音色は震えて悲しみの音を奏でていた。<br> <br> 学校の裏門から帰った私は今日もまた病院にめぐの見舞いに来ている。看護士などにはもう顔まで覚えられてしまっていた。<br> 来たのはいいのだがめぐはぐっすりと昼寝をしている。起こしたら悪いと思ったので出直すことにした。病院の売店でヤクルトでも買おうと出て行こうとしたとき…<br> <br>  「水銀燈………何処行くの?」<br>  「え?」<br>  「止めて!置いて行かないで!一人にしないでよぉ…」<br> <br> それは寝言だった。けれども凄く怖い夢らしい、めぐはかなりの量の汗をかいている。私は何故かそうすればいいと思ってめぐの手を握った。<br> めぐは手にまでじっとりと汗をかいていた。私はまるで自分の方が置いて行かれるかのように彼女の手を強く握った。<br> それでもめぐはうなされ続けていた。うわ言のように私の名前を呼んでは苦しんでいる様子だった。何も出来ない無力な自分が歯痒い。<br> 30分は経った頃だった。ようやくめぐが目を醒ましたのは、夢の内容を聞くと覚えていないという。<br> <br>  「本ッ当に覚えてないんでしょうね?」<br>  「覚えてないわよ。そんな怖い顔しないでってば。」<br> <br> 先刻のうなされていた顔が嘘のようにめぐは苦笑していた。私は何だかそれに引っ掛かった、まるで何かを隠しているかのように見えるからだ。<br> めぐが私に隠し事をしているのは少し悲しいけれども言いたくもないことを無理矢理言わせることもないだろう。私は気分を切り替えることにした。<br> <br> <br>  「そう言えば文化祭が近いんじゃないの?」<br>  「ええ、何でもウチのクラスはわざわざ調理室を使って喫茶店をやるんだってぇ。女子が接待をするとか…面倒臭いわぁ。」<br>  「男子が接待しても喜ぶ人は少ないもんね。」<br> <br> はっきりと言ってくれる。実際、ウチのクラスの男子はイマイチ目立たない奴ばかりだ。中途半端に目立とうとする奴は何人かいるが…。<br> <br>  「でも水銀燈が接待してくれるんだったら私行ってもいいかな。」<br>  「ば、バカじゃないの……そんなキャバクラじゃあるまいし…。第一私はまだ接待をやるとは決めてないわぁ。」<br>  「あ、そっか接待はやらなくてボーイをやるのね。」<br>  「違うから!私は文化祭に参加する気はないってばぁ!」<br>  「でも今年はどうかしらね?多分、真紅って子燃えてるんじゃないの?去年はまんまと貴女に逃げられたわけだし。」<br>  「そうなのよねぇ…問題は真紅なのよぉ。あの子ってば去年のときなんて私が通ろうとするルートをことごとく先回りして待ち伏せていたぐらいだしぃ…。」<br> <br> 『腐れ縁』というのはこういうのが厄介だ。お互いのことを知り尽くしているので裏をかいても全くの無駄になってしまう。<br> それに真紅は判断力が鋭い、本人は推理力とか言っているのだがそれはくんくんに憧れて言っていることなのだろう。<br> まぁ何にしても今年の文化祭を抜け出すのには相当な労力が必要不可欠だろう。<br> <br> 文化祭と言えばもう一つ気になることがあった。<br> あの一人でヴァイオリンを弾いている女の子…。よくよく考えたら吹奏楽でヴァイオリンはない筈だ。なら何故彼女はヴァイオリンの練習をしていたのだろう?<br> 考え事をしているとめぐが此方の顔を覗き込むようにしていた。<br> <br>  「何か気になることでもあったの?」<br> <br> やはりお見通しのようだった。単に私がわかりやすい顔をしていたからなのかもしれないが…。<br> 私は今日の帰りに音楽室のベランダで見た光景を話した。この話を聞いてめぐも少し不思議に思ったらしい。私と同じく考えている顔になっている。<br> <br>  「ひょっとしてその子ってアレなんじゃない?中庭でやるコンサートに出るつもりなんじゃ…。」<br>  「中庭のコンサート?なぁにそれ?」<br>  「確か二日目にあるクラスや部活以外での活動よ。これはクラスとかの枠組みが無くなってかつ自由形式に自分のしたいことを発表するイベントじゃなかったかしら?」<br> <br> 成る程、確かにそれならばあの子が一人で練習していたのも頷ける。けれども私はふと思った。<br> <br>  「ふ~ん…ってなんで私より貴女の方が詳しいのよぉ…。」<br>  「だって真紅からも話を偶に聞くし。」<br> <br> ああ、そう言えば真紅も私が入院したときに見舞いに来てそれでめぐと知り合ったのだっけ…。そうか、あれからも定期的にめぐのお見舞いに来てくれているのか。<br> <br>  「そうね、決まって貴女が学校をサボって此処に来た日によく来てくれるわ。水銀燈はいないかって。」<br>  「こ、こんな所にまで来てるのぉ…。」<br> <br> お節介も此処まで来ると厄介なものだ。昔からあの子は何かと私に反発してはお節介を焼いている。<br> <br> <br> とまぁ話を戻して………。<br> <br>  「でも珍しいわね。ヴァイオリン演奏の発表だなんて、去年は漫才とかバンドとかばっかりだったっていうのにね。」<br>  「ふ~ん、そうだったのぉ………そうよねぇ。ヴァイオリンを個人で持っているのかもしれないわねぇ。<br>   けど…何だかあのヴァイオリンの音色はあの吹奏楽の音と違ってたから余計に寂しそうに聞こえたわぁ。」<br>  「そう…気になるんだったらその子に会ってみたら?」<br> <br> 別にそんなんじゃないわよぉ。と否定しつつも心の何処かでは少しに気にかかってはいた。今にして思えばあのヴァイオリンの音色はとても綺麗で上手だった。<br> きっとずっと前から練習して培われたものに違いない。無事に発表されるのが少し楽しみに思えていた。<br> <br> 翌日、私はそんなこともすっかり忘れていた。何故なら文化祭の準備が始まるからだ。放課後にまで残って準備をしなければならない。<br> そんなのかったるいので学校を途中でサボタージュしようとしたら案の定、真紅に阻止されてしまった。<br> <br>  「ヤクルトを人質に取るなんて卑怯だわぁ…。」<br>  「一人だけサボる行為も卑怯だと思うのだわ。じゃあまずサイズを測るわね。」<br> <br> メジャーを取り出して真紅は私のスリーサイズを測り出す。自分で言うのもなんだがスタイルには自信はあった。じゃなくって!!<br> <br>  「何でサイズを測るのよ!?まさか真紅…そっちの気が………。」<br>  「誤解を招く言い方はやめなさい!勿論、貴女の衣装を作るためなのだわ。」<br>  「凄く嫌な予感がするんだけどぉ…何の衣装?」<br>  「メイド服よ。」<br> <br> 私は何も言わずに教室から出て行こうとする。しかし真紅の絆ヘッドロックに捕まってしまって阻まれてしまった。<br> <br>  「我慢しなさい!クラスの女子全員がその格好をするのだから!」<br>  「無理無理!メイド服なんて恥ずかし過ぎるわぁ!!」<br> <br> もがいてみるが真紅の絆ヘッドロックに捕まって逃れられる術はない。私はされるままにサイズを測られてしまった。<br> <br>  「し、信じられないのだわ…またサイズアップしているだなんて…。」<br>  「………これってセクハラなんじゃないのぉ…?」<br> <br> そして一瞬、私の頭の中に邪悪な考えが浮かび上がる。私はおもむろにメジャーを手に取って真紅に近寄る。<br> <br>  「な、何かしら?」<br>  「うっふふふ………貴女も同じ目に合わせてあげるわぁ…!!」<br>  「や、やめ………アッー!!」<br> <br> <br> 真紅に仕返しをして少し気分が紛れた私は結局、文化祭ではメイド服を着せられることになってしまった。絶対に行きたくない。<br> トイレから教室へ帰る途中であのヴァイオリンの音色が聞こえた。すっかり忘れてしまっていたのだが私は音色のする方へ向かう。今度は音楽室ではなく広い多目的室からだった。<br> それとなく教室の中を覗いてみるとやっぱり一人だけで演奏していた。緑の髪の毛にその広い額が目立つ彼女は広い教室の中いっぱいに音色を響かせていた。<br> やがて私が見ていることに気付いた彼女は突然、ヴァイオリンの演奏をやめてしまい此方にやって来る。<br> <br>  「み、見たかしら?」<br>  「そうねぇ、バッチリ見ちゃったわねぇ。ねぇ、貴女って中庭コンサートでヴァイオリンの演奏するのぉ?」<br>  「え、えっと………そういうことになるかしら。」<br> <br> 目をきょどらせて彼女は声を絞るように言った。やっぱりめぐの考えていた通りだったらしい。<br> <br>  「ところで貴女は誰かしら?」<br>  「まず自分から名乗ったらぁ………私は水銀燈よ。」<br>  「私は金糸雀かしら。これでも3年生なのかしら!」<br>  「さ、3年生!?」<br> <br> とてもじゃないがそうは見えなかった。3年生と言えば自分と同じ学年だ。どう考えてもお子様並の背しかないように見える。<br> この背格好から1年生とばかり思っていたがよく見れば校章や上履きなどは3年生の色である赤色をしていた。<br> <br>  「ふんだ、どうせカナは1年生にしか見えないかしらー!」<br> <br> そんなあからさまに拗ねられると年下を通り越して余計に子供に見えてしまう。何だか賑やかな子だなぁなどと思ってしまう。<br> <br> <br> 一通り拗ねたら彼女はすぐにヴァイオリンの練習を始めた。あの時は孤独な音に聞こえたのだが不思議とこうして間近で聞いてみると独壇場のようで伸び伸びとした明るい音色を奏でていた。<br> 何者にも邪魔されないまさしく本当の自由を体現したようなものがこの音色にはあった。<br> <br>  (ヴァイオリンの腕前は中々ねぇ………。これは中庭コンサートも盛り上がるかもねぇ。)<br>  「………やっぱり駄目かしら。こんな演奏じゃあ…中庭のコンサートに立てないかしら。」<br> <br> 演奏を途中で止めて溜息まじりに金糸雀は吐き捨ててヴァイオリンを片付け始めた。一体何がいけなかったのか分からない私は呆けてしまっていた。<br> <br>  「ちょ、ちょっとぉ…行き成りどうしたのよぉ?何か変な失敗でもやらかしたのぉ?」<br>  「失敗は…してないわ。でもカナには此処までが限界なのよ。」<br>  「限界?」<br>  「もともとカナには才能なんてなかったかしら。此処まで来れたのは人よりも努力してやっとのことでもうこれ以上、カナの腕前が上達することはないかしら。」<br>  「だからそれが何の問題に………」<br>  「カナぐらいの腕前を持ってる人なんて幾らでもいるかしら。カナは音大に行ってヴァイオリンをやりたいけどこのままじゃ駄目かしら…。<br>   だからキッパリとヴァイオリンをやめるために文化祭みたいな舞台を最後の演奏の場にしたかったけど…。<br>   何だか文化祭でソロでやるのも嫌になって来たかしら…。」<br> <br> <br> <br> やっぱり、初めて聞いたあの音は金糸雀の持つヴァイオリンの悲しみの音色だったようだ。別れが近付いて来ていることを知った彼女の相棒の…。<br> この子は自分の夢を諦めるために最後にあんな大舞台に立つことを望んでいた。でも今はそれすらも諦めて無理矢理に自分の夢を打ち消そうとしている。<br> けれども音楽を諦めようとしてる人が自発的に最後の舞台などと考えるものだろうか?きっとこの子には―――<br> <br>  「………貴女がどうしようが私には関係ないのかもしれないけどぉ、貴女はコンサートをやるべきなんじゃないのぉ?<br>   もう文化祭の実行委員にやるって言っちゃったんだし、何よりも貴女の演奏を楽しみにしてる人がガッカリするんじゃなぁい?」<br> <br> この子には絶対にこの子とそのヴァイオリンの演奏を楽しみにしている人がいる。この子の奏でるヴァイオリンの音色には不思議な魅力があるからだ。<br> 人を惹き付ける『何か』………それは才能や努力ですら手にすることのできない不思議な魔法、きっと真摯に一つのことに励む人に与えられる最高の贈り物だろう。<br> <br>  「そ、そうだけど………」<br>  「まぁ、文化祭までもう少し時間があるんだしよく考えなさぁい。最悪、コンサートをドタキャンすればいいんだしぃ。」<br>  「ど、ドタキャンって………ってコレは何かしら?」<br>  「私からのエール、乳酸菌とって腹痛にならないようにねぇ。」<br> <br> 私は本当はめぐの所で飲む用にとっておいた乳酸菌を金糸雀に渡して多目的室を後にした。後はもうあの子が勝手に歩き出すだろう。<br> そして思い出す。そう言えば自分は文化祭の日にはメイド服を着るのだということを。やっぱり文化祭はサボろっかなぁ…。などと考えつつも私は足取りも重く真紅の待つ自分の教室へと向かう。<br> <br> <br> 夢の話をしよう。熟れると甘美な味のする果実だよ。<br> 君達が成長するように夢も成長して更に君達を成長させてくれる。<br> 成長すれば心も体も大人になる君達と同じで夢の中身もカタチも変わってしまうから。<br> 夢の話をしよう。甘美な果実を作るために―――<br>

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