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―弥生の頃 その4―」(2006/06/07 (水) 14:50:34) の最新版変更点

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<br>   翠×雛の『マターリ歳時記』<br> <br> ―弥生の頃 その4―  【3月18日  彼岸】<br> <br> <br> 穏やかに晴れた、土曜日の朝。<br> 翠星石は、ベッドに横たわったまま両手を天に突き出し、大きな欠伸をした。<br> ひんやりとした空気に触れても、眠気はなかなか引かない。<br> 今日はバイトも休みだし、普段の週末ならば、ここで二度寝モードに突入する<br> ところだ。<br> しかし、今日は、そうも行かなかった。<br> <br> 毎年、彼岸の入りに墓参りをすることは、柴崎家の恒例行事である。<br> 墓前で、亡き祖先や両親を偲ぶ日だった。<br> <br> 彼岸――とは、春分・秋分の日の、前後三日を含めた七日間を言う。<br> 気候の変わり目とされ、仏教で言うところの『さとりの世界』でもある事から、<br> 多くの寺で法会が催される。<br> 柴崎家の檀那寺でも、春と秋の彼岸には法会が執り行われて、多くの人が訪れた。<br> <br> 「さぁて……そろそろ、起きるです」<br> <br> 枕元の時計を手にして、ディジタル表示の時刻を見ると、既に八時を回っていた。<br> 昨夜、十時くらいには出発したいと言っていたから、そろそろ起きないと拙い。<br> 朝食を摂ったり、身支度を整える時間が無くなってしまう。<br> <br> そのタイミングを見計らったように、部屋の扉が、かりかりと鳴った。<br> あの仔猫が、いつもの様に、翠星石を起こしに来たらしい。<br> <br> 翠星石は、ベッドから起き出して、静かに扉を引いた。<br> 僅かに開いた扉の隙間から、仔猫が身を滑らせ、入ってくる。<br> 一声、可愛らしい声で鳴くと、翠星石の足に顔を擦り寄せ、ころんと寝転がった。<br> <br> 「ふふっ……おはようです、チビチビ」<br> <br> 両手で抱き上げて、翠星石は、仔猫の頭に頬を寄せた。<br> 白黒の斑模様からして雑種なのは歴然だが、ふかふかで柔らかな毛並みが心地よい。<br> 最近では、これが毎朝の日課になっていた。<br> 仔猫の名前は、まだ決めていない。翠星石がチビチビと呼んでいることから、<br> 半ば、それが正式な名前に成りつつあるけれど。<br> <br> この家に仔猫が来てから、祖父母の表情も豊かになったと、翠星石は思っていた。<br> 特に、祖父の可愛がり様は溺愛そのもので、チビ猫も、祖父によく懐いている。<br> アニマルセラピーと言うヤツかも知れない。<br> 翠星石自身、帰宅する事に張り合いを感じ始めていた。<br> 以前は、ただ食事をして眠るためだけに、疲れた身体を引きずり、帰宅していた。<br> でも、今は違う。<br> チビ猫に会うため、チビ猫と遊ぶため、手触りの良い毛並みを撫でるために、<br> 心躍らせながら帰途に就くようになっていた。<br> <br> とは言え、いつまでもチビ猫の相手をしている訳にもいかない。<br> お寺までは、翠星石が車を運転しなければならなのだ。<br> <br> 「さぁて。朝食を済ませて、準備をするですよ。チビチビは留守番ですぅ」<br> <br> 翠星石はチビ猫を両腕で抱えて、一階へと階段を降りていった。<br> 翠星石の乱暴な運転に晒されて、お寺に着いた当初は青ざめていた祖父母も、<br> 先祖と息子夫婦の冥福を祈る段になると、すっかり気を取り直していた。<br> 春風駘蕩。<br> 蕾が膨らんできた桜の枝を揺らしながら、長閑に吹き抜ける春風が、<br> 翠星石の長い髪を撫でていく。<br> <br> 「今年も、いい天気で良かったですねえ、お爺さん」<br> 「そうじゃなあ。この日だけは、いつも晴れるから不思議なものじゃ」<br> <br> 祖父母の語らいを聞きながら、翠星石は墓石の周りを箒で掃いていた。<br> 何気なく顔を上げた途端、墓石に刻まれた両親の名前が、緋翠の瞳に飛び込んできた。<br> <br> かずきと、由奈。高校の同級生だったという両親は、二十四歳の若さで他界している。<br> 二人の砂時計は壊れて、砂が零れてしまった。永久に、時を刻むことは無い。<br> あの悲劇から十七年が過ぎて、翠星石は、二十一歳になった。<br> あと三年で、両親と同い年になるのかと思うと、少しだけ寂しくて……<br> ちょっとだけ、不安だった。<br> <br> (三年後、私は……誰の隣で、何をしてるです?)<br> <br> 春の日射しの元、墓石を見詰めながら自問する。<br> その直後、春一番を連想させる強い風が吹いて、翠星石の髪を靡かせた。<br> まるで、背中を押されたかの様に、翠星石は半歩だけ前に蹌踉めいた。<br> <br> もしかしたら、本当に後押しされたのかも知れない。<br> 風に紛れて、両親の声なき声が聞こえた気がしたのは、春の陽気が見せた泡沫の夢か。<br> <br> 『どんな未来を選び取るかは、お前の自由だし、特権なのだよ』<br> 『しっかりと……でも、夢は失わずに、生きていきなさい。翠星石』<br> <br> 祖父母と共に、墓石の前で掌を合わせ、頭を垂れる。<br> 念仏を唱え終えると、祖父は遠い目をして、墓石を見詰めた。<br> <br> 「今年は、蒼星石が来られなくて残念じゃなあ」<br> 「でも……毎年、翠星石が来てくれるから、寂しくはないわよねえ」<br> <br> 祖父に続いて、祖母が優しく話しかける。<br> 十七年。言葉にすれば三秒に満たない歳月が、二人の悲しみを和らげてくれた。<br> やっと、普通に語り、笑えるようにしてくれた。<br> 時が解決してくれる――<br> どこかで聞き覚えのある言葉が、翠星石の胸裏をよぎる。<br> <br> 「かずき、由奈さん。蒼星石はね、今、外国の大学で勉強しているのよ」<br> 「凄いものじゃ。立派なものじゃよ」<br> <br> 本当に立派な妹だと、翠星石は思った。彼女は、自分で未来を選び取った。<br> 彼方にある目標を見据えて、そこに辿り着こうと、努力を続けている。<br> それに引き替え、自分は、どうだろう。<br> <br> (私は……ただ、漫然と日々を送ってるだけです)<br> <br> 目標を見出せず、それでいて、何かをしなければいけないという焦りだけは、<br> いつも胸に燻っている。私は、何をしたいの? 何が出来るの? <br> <br> 翠星石は、頭上に張り出した桜の枝を見上げた。<br> 桜の花言葉は、『優れた美人』『独立心』である。<br> 自分の事を『優れた美人』だなんて自惚れる気は更々ないが、<br> せめて……『独立心』だけは養おうと思った。蒼星石に、追い付くために。<br> (差詰め、私の目標は、蒼星石に追い付くことですか。ダメですね、私は)<br> <br> 『独立心』を養おうと決心しておきながら、蒼星石から離れられない。<br> 遠く離れていても、心は常に、緯度を越え経度を跨いで、彼女の側にある。<br> 独立という言葉で、この想いを欺くならば――<br> 希望に満ちた明日は、永久に訪れない。<br> <br> 翠星石は微かな溜息を吐いて、思い直した。もう少し、子供のままで居よう、と。<br> 背伸びをして、大人のフリをしたって、きっと後悔する。<br> <br> 「おじじ……おばば」<br> <br> 思い詰めたような翠星石の口調に、祖父母が不思議そうな眼差しを向けた。<br> 二人を交互に見詰めて、少しだけ頬を染めた翠星石が、口を開いた。<br> <br> 「あの…………私……まだ、おじじと、おばばの娘で居てぇです」<br> <br> 突然の告白に、祖父母は呆気に取られた表情を浮かべ……やおら、吹き出した。<br> <br> 「いきなり、何を言い出すのかと思えば」<br> 「本当に、おかしな娘ねえ」<br> 「なっ! そんなに笑うなですぅ!」<br> <br> 顔を真っ赤にして喚く翠星石に、祖父母は謝って、優しい微笑みを向けた。<br> <br> 「翠星石も、蒼星石も……いつまでも、儂らの娘じゃよ」<br> 「寧ろ、こっちからお願いしたいわよねえ、お爺さん。<br>  いつまでも、私たちの娘で居てね……って」<br> 「……おじじ。おばば……私っ」<br> <br> 翠星石は声を詰まらせて、涙ぐんだ。<br> この人達が祖父母で、本当に良かったと、心から思えた。<br> <br> だが、感動したのも束の間、祖父はニンマリと笑って、翠星石の瞳を覗き込んだ。<br> <br> 「いきなり妙な事を言い出すから、なんだろうと思ったが……そうかそうか」<br> 「? なんです、おじじ?」<br> 「さては、好きな男でも出来たのじゃな、翠星石」<br> 「なななっ?!」<br> <br> 突然の妄言に、翠星石は狼狽えた。<br> 確かに、気になっている男性は居た。小学校も、中学校も、高校も――<br> いつも一緒だった、幼なじみの彼。<br> <br> でも、彼の隣には、いつだって彼女が居る。彼女しか、隣に居ることを許されない。<br> 翠星石が恋い焦がれようとも、叶わぬ横恋慕でしかない。<br> だから、十七歳の夏、思い切って告白して、フラレて――彼への恋を捨てたのだ。<br> <br> 「あらあら……本当なの、翠星石? まあ、そうよね。年頃の女の子ですものね」<br> 「うむ。翠星石、近い内に連れてきなさい。これで曾孫ゲットじゃな、婆さん」<br> <br> そんな翠星石の過去を知らない祖父母は、暢気な話を続けている。<br> <br> 「ああ、もう! なにバカ言ってやがるですか! 寝言は寝て待て、ですぅ!」<br> <br> <br> 彼岸の空の下、仲睦まじい祖父母と孫娘を、柴崎家の墓石が静かに眺めていた。<br> <br> <br> <br> <br> 『保守がわり番外編  キミは、刻の涙を見る』 (<a href="http://rozen-thread.org/2ch/test/read.cgi/news4vip/1149059999/#283" target="_self">&gt;&gt;283</a>の続き)<br> <br> 「それを見て、翠のタヌキはお腹を抱えて笑い転げたわぁ。<br>  『あひゃひゃひゃひゃひゃっ! 凄ぇ破壊力ですぅ!<br>   神々しすぎて……立ってらんねぇですぅ! いひひひひひひっ!』<br>  翠のタヌキが平伏していると見て、紅いキツネは誇らしげに身体を揺すったのよぉ。<br>  ぷるんぷるん……翠のタヌキの爆笑は止まらなくなってしまいましたぁ。<br>  『ひっひいいいぃぃ――っ。止めるですぅ! 笑いすぎて、お、お腹がぁ――』<br>  ぷっちん! 哀れ、腹筋が音を立てて切れ、翠のタヌキは死んでしまいましたぁ」<br> 「自滅? ふふん……間抜けね。やはり、翠より紅の方が賢いのだわ」<br> 「……情けねぇ死に方ですぅ」<br> 「でもでも、これで喧嘩をすることがなくなったの。めでたしめでたし、なのねー」<br> <br> 「ところが、まだ続きがあるのよぉ。紅いキツネが勝利の余韻に浸っているところに、<br>  一人の旅人が通りがかったの。彼の名は、桜田ジュンって言うのよぉ?」<br> 「?! ジュンktkrなのー!」<br> 「ジュンは、おいなりさんと松茸を見付けて……。<br>  『おっ! 旨そうじゃん。いただきっ』<br>  ――と、紅いキツネをパックリ、ムシャラムシャラと食べちゃいましたとさぁ。<br>  はぁい、おしまぁい」<br> 「ちょっと待ちやがれです。翠のタヌキは、どーなったです?」<br> 「ジュンの手で、なめし革にされて、売り飛ばされたのよぉ」<br> 「……救いがねぇですぅ。 あれ? 真紅、どうしたです? 顔が赤いです」<br> 「紅が……ジュンに食べ……られ……た? ふ……ふふ……うふふ」<br> 「真紅ったらぁ、mのフィールドに旅立っちゃったみたいねぇ」<br> 「mは妄想の頭文字なのねー」<br> <br> ・・・完。<br>
<br>   翠×雛の『マターリ歳時記』<br> <br> ―弥生の頃 その4―  【3月18日  彼岸】<br> <br> <br> 穏やかに晴れた、土曜日の朝。<br> 翠星石は、ベッドに横たわったまま両手を天に突き出し、大きな欠伸をした。<br> ひんやりとした空気に触れても、眠気はなかなか引かない。<br> 今日はバイトも休みだし、普段の週末ならば、ここで二度寝モードに突入する<br> ところだ。<br> しかし、今日は、そうも行かなかった。<br> <br> 毎年、彼岸の入りに墓参りをすることは、柴崎家の恒例行事である。<br> 墓前で、亡き祖先や両親を偲ぶ日だった。<br> <br> 彼岸――とは、春分・秋分の日の、前後三日を含めた七日間を言う。<br> 気候の変わり目とされ、仏教で言うところの『さとりの世界』でもある事から、<br> 多くの寺で法会が催される。<br> 柴崎家の檀那寺でも、春と秋の彼岸には法会が執り行われて、多くの人が訪れた。<br> <br> 「さぁて……そろそろ、起きるです」<br> <br> 枕元の時計を手にして、ディジタル表示の時刻を見ると、既に八時を回っていた。<br> 昨夜、十時くらいには出発したいと言っていたから、そろそろ起きないと拙い。<br> 朝食を摂ったり、身支度を整える時間が無くなってしまう。<br> <br> そのタイミングを見計らったように、部屋の扉が、かりかりと鳴った。<br> あの仔猫が、いつもの様に、翠星石を起こしに来たらしい。<br> <br> 翠星石は、ベッドから起き出して、静かに扉を引いた。<br> 僅かに開いた扉の隙間から、仔猫が身を滑らせ、入ってくる。<br> 一声、可愛らしい声で鳴くと、翠星石の足に顔を擦り寄せ、ころんと寝転がった。<br> <br> 「ふふっ……おはようです、チビチビ」<br> <br> 両手で抱き上げて、翠星石は、仔猫の頭に頬を寄せた。<br> 白黒の斑模様からして雑種なのは歴然だが、ふかふかで柔らかな毛並みが心地よい。<br> 最近では、これが毎朝の日課になっていた。<br> 仔猫の名前は、まだ決めていない。翠星石がチビチビと呼んでいることから、<br> 半ば、それが正式な名前に成りつつあるけれど。<br> <br> この家に仔猫が来てから、祖父母の表情も豊かになったと、翠星石は思っていた。<br> 特に、祖父の可愛がり様は溺愛そのもので、チビ猫も、祖父によく懐いている。<br> アニマルセラピーと言うヤツかも知れない。<br> 翠星石自身、帰宅する事に張り合いを感じ始めていた。<br> 以前は、ただ食事をして眠るためだけに、疲れた身体を引きずり、帰宅していた。<br> でも、今は違う。<br> チビ猫に会うため、チビ猫と遊ぶため、手触りの良い毛並みを撫でるために、<br> 心躍らせながら帰途に就くようになっていた。<br> <br> とは言え、いつまでもチビ猫の相手をしている訳にもいかない。<br> お寺までは、翠星石が車を運転しなければならなのだ。<br> <br> 「さぁて。朝食を済ませて、準備をするですよ。チビチビは留守番ですぅ」<br> <br> 翠星石はチビ猫を両腕で抱えて、一階へと階段を降りていった。<br> 翠星石の乱暴な運転に晒されて、お寺に着いた当初は青ざめていた祖父母も、<br> 先祖と息子夫婦の冥福を祈る段になると、すっかり気を取り直していた。<br> 春風駘蕩。<br> 蕾が膨らんできた桜の枝を揺らしながら、長閑に吹き抜ける春風が、<br> 翠星石の長い髪を撫でていく。<br> <br> 「今年も、いい天気で良かったですねえ、お爺さん」<br> 「そうじゃなあ。この日だけは、いつも晴れるから不思議なものじゃ」<br> <br> 祖父母の語らいを聞きながら、翠星石は墓石の周りを箒で掃いていた。<br> 何気なく顔を上げた途端、墓石に刻まれた両親の名前が、緋翠の瞳に飛び込んできた。<br> <br> かずきと、由奈。高校の同級生だったという両親は、二十四歳の若さで他界している。<br> 二人の砂時計は壊れて、砂が零れてしまった。永久に、時を刻むことは無い。<br> あの悲劇から十七年が過ぎて、翠星石は、二十一歳になった。<br> あと三年で、両親と同い年になるのかと思うと、少しだけ寂しくて……<br> ちょっとだけ、不安だった。<br> <br> (三年後、私は……誰の隣で、何をしてるです?)<br> <br> 春の日射しの元、墓石を見詰めながら自問する。<br> その直後、春一番を連想させる強い風が吹いて、翠星石の髪を靡かせた。<br> まるで、背中を押されたかの様に、翠星石は半歩だけ前に蹌踉めいた。<br> <br> もしかしたら、本当に後押しされたのかも知れない。<br> 風に紛れて、両親の声なき声が聞こえた気がしたのは、春の陽気が見せた泡沫の夢か。<br> <br> 『どんな未来を選び取るかは、お前の自由だし、特権なのだよ』<br> 『しっかりと……でも、夢は失わずに、生きていきなさい。翠星石』<br> <br> 祖父母と共に、墓石の前で掌を合わせ、頭を垂れる。<br> 念仏を唱え終えると、祖父は遠い目をして、墓石を見詰めた。<br> <br> 「今年は、蒼星石が来られなくて残念じゃなあ」<br> 「でも……毎年、翠星石が来てくれるから、寂しくはないわよねえ」<br> <br> 祖父に続いて、祖母が優しく話しかける。<br> 十七年。言葉にすれば三秒に満たない歳月が、二人の悲しみを和らげてくれた。<br> やっと、普通に語り、笑えるようにしてくれた。<br> 時が解決してくれる――<br> どこかで聞き覚えのある言葉が、翠星石の胸裏をよぎる。<br> <br> 「かずき、由奈さん。蒼星石はね、今、外国の大学で勉強しているのよ」<br> 「凄いものじゃ。立派なものじゃよ」<br> <br> 本当に立派な妹だと、翠星石は思った。彼女は、自分で未来を選び取った。<br> 彼方にある目標を見据えて、そこに辿り着こうと、努力を続けている。<br> それに引き替え、自分は、どうだろう。<br> <br> (私は……ただ、漫然と日々を送ってるだけです)<br> <br> 目標を見出せず、それでいて、何かをしなければいけないという焦りだけは、<br> いつも胸に燻っている。私は、何をしたいの? 何が出来るの? <br> <br> 翠星石は、頭上に張り出した桜の枝を見上げた。<br> 桜の花言葉は、『優れた美人』『独立心』である。<br> 自分の事を『優れた美人』だなんて自惚れる気は更々ないが、<br> せめて……『独立心』だけは養おうと思った。蒼星石に、追い付くために。<br> (差詰め、私の目標は、蒼星石に追い付くことですか。ダメですね、私は)<br> <br> 『独立心』を養おうと決心しておきながら、蒼星石から離れられない。<br> 遠く離れていても、心は常に、緯度を越え経度を跨いで、彼女の側にある。<br> 独立という言葉で、この想いを欺くならば――<br> 希望に満ちた明日は、永久に訪れない。<br> <br> 翠星石は微かな溜息を吐いて、思い直した。もう少し、子供のままで居よう、と。<br> 背伸びをして、大人のフリをしたって、きっと後悔する。<br> <br> 「おじじ……おばば」<br> <br> 思い詰めたような翠星石の口調に、祖父母が不思議そうな眼差しを向けた。<br> 二人を交互に見詰めて、少しだけ頬を染めた翠星石が、口を開いた。<br> <br> 「あの…………私……まだ、おじじと、おばばの娘で居てぇです」<br> <br> 突然の告白に、祖父母は呆気に取られた表情を浮かべ……やおら、吹き出した。<br> <br> 「いきなり、何を言い出すのかと思えば」<br> 「本当に、おかしな娘ねえ」<br> 「なっ! そんなに笑うなですぅ!」<br> <br> 顔を真っ赤にして喚く翠星石に、祖父母は謝って、優しい微笑みを向けた。<br> <br> 「翠星石も、蒼星石も……いつまでも、儂らの娘じゃよ」<br> 「寧ろ、こっちからお願いしたいわよねえ、お爺さん。<br>  いつまでも、私たちの娘で居てね……って」<br> 「……おじじ。おばば……私っ」<br> <br> 翠星石は声を詰まらせて、涙ぐんだ。<br> この人達が祖父母で、本当に良かったと、心から思えた。<br> <br> だが、感動したのも束の間、祖父はニンマリと笑って、翠星石の瞳を覗き込んだ。<br> <br> 「いきなり妙な事を言い出すから、なんだろうと思ったが……そうかそうか」<br> 「? なんです、おじじ?」<br> 「さては、好きな男でも出来たのじゃな、翠星石」<br> 「なななっ?!」<br> <br> 突然の妄言に、翠星石は狼狽えた。<br> 確かに、気になっている男性は居た。小学校も、中学校も、高校も――<br> いつも一緒だった、幼なじみの彼。<br> <br> でも、彼の隣には、いつだって彼女が居る。彼女しか、隣に居ることを許されない。<br> 翠星石が恋い焦がれようとも、叶わぬ横恋慕でしかない。<br> だから、十七歳の夏、思い切って告白して、フラレて――彼への恋を捨てたのだ。<br> <br> 「あらあら……本当なの、翠星石? まあ、そうよね。年頃の女の子ですものね」<br> 「うむ。翠星石、近い内に連れてきなさい。これで曾孫ゲットじゃな、婆さん」<br> <br> そんな翠星石の過去を知らない祖父母は、暢気な話を続けている。<br> <br> 「ああ、もう! なにバカ言ってやがるですか! 寝言は寝て待て、ですぅ!」<br> <br> <br> 彼岸の空の下、仲睦まじい祖父母と孫娘を、柴崎家の墓石が静かに眺めていた。<br> <br> <br> <hr> <br> 『保守がわり番外編  キミは、刻の涙を見る』<br> <br> 「それを見て、翠のタヌキはお腹を抱えて笑い転げたわぁ。<br>  『あひゃひゃひゃひゃひゃっ! 凄ぇ破壊力ですぅ!<br>   神々しすぎて……立ってらんねぇですぅ! いひひひひひひっ!』<br>  翠のタヌキが平伏していると見て、紅いキツネは誇らしげに身体を揺すったのよぉ。<br>  ぷるんぷるん……翠のタヌキの爆笑は止まらなくなってしまいましたぁ。<br>  『ひっひいいいぃぃ――っ。止めるですぅ! 笑いすぎて、お、お腹がぁ――』<br>  ぷっちん! 哀れ、腹筋が音を立てて切れ、翠のタヌキは死んでしまいましたぁ」<br> 「自滅? ふふん……間抜けね。やはり、翠より紅の方が賢いのだわ」<br> 「……情けねぇ死に方ですぅ」<br> 「でもでも、これで喧嘩をすることがなくなったの。めでたしめでたし、なのねー」<br> <br> 「ところが、まだ続きがあるのよぉ。紅いキツネが勝利の余韻に浸っているところに、<br>  一人の旅人が通りがかったの。彼の名は、桜田ジュンって言うのよぉ?」<br> 「?! ジュンktkrなのー!」<br> 「ジュンは、おいなりさんと松茸を見付けて……。<br>  『おっ! 旨そうじゃん。いただきっ』<br>  ――と、紅いキツネをパックリ、ムシャラムシャラと食べちゃいましたとさぁ。<br>  はぁい、おしまぁい」<br> 「ちょっと待ちやがれです。翠のタヌキは、どーなったです?」<br> 「ジュンの手で、なめし革にされて、売り飛ばされたのよぉ」<br> 「……救いがねぇですぅ。 あれ? 真紅、どうしたです? 顔が赤いです」<br> 「紅が……ジュンに食べ……られ……た? ふ……ふふ……うふふ」<br> 「真紅ったらぁ、mのフィールドに旅立っちゃったみたいねぇ」<br> 「mは妄想の頭文字なのねー」<br> <br> ・・・完。<br>

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