1章:

said暁子

彼女の言葉を無視する事を、
彼女から全てを奪う事を、
欲深い私を、
どうか、許してください。



暁「失礼します」
礼「どうぞ」

彼の返事を確認すると、数学準備室へと足を踏み入れた。
めったに人のこないその狭い空間には、今は数学担当の先生と私の二人きり。
むせかえる程に充満する、先生の…大人の香り。
気付かれないように息を飲み、ゆっくりと喋る。

暁「これ、ホントに貰っちゃっても良いんですか?」
礼「ええ、もちろん」

私の手の中には先生の愛用していた万年筆。
普段、部活を頑張っているからだとか、成績が良くなったからだとか、先生のお手伝いをしているからだとか、そんな理由をつけてふざけた様子で強請ってみる。
すると彼はいつも仕方がないなと優しく笑いながら私にくれるのだ。
でも、本当はこんな嘘の理由、要らない。
ただ単に、先生から何かを貰いたいだけ。
褒めてもらいたいだけ。
・・・ううん、それも違うかな。
だって私が本当に欲しいのは先生自身だから。

暁「じゃあ、先生さようなら」

別れを告げて外に出る頃には、もう辺りは暗くなっていた。
太陽の沈みきった空をぼんやりと見上げる。
真っ暗な空にはあんなに星や月たちが優しく輝いているのに、いくら手を伸ばしても届かない。
まるで、先生みたい。
いくらみんなより贔屓目に見てくれていたとしても、所詮は先生と生徒なのだ。
今も昔も。
そのことが分かっているからこそ、いくら優しくされても惨めになるだけだ。
私含むその他大勢とは違う目で見られているあの子と比べ、劣等感ばかりが増大する。
私の方がどう見たって彼女より優れているのに。

嫌なモヤモヤばかりが胸の内を占めていく。

先生は初めて会ったときから私の全てだった。
いつも、いつでも。
…だから、きっと、私が彼女から全てを奪ってしまってもいいよね?
それは代償だから・・・・・・・・・。



暁「ねえ、○○くん」
主「ぅえっ!?え…あ、な、何?」
暁「どうしたの…?そんなに驚いて…」
主「い、いや、何でもない!そう、何でもないって…!!」
暁「そう?」

納得しかねない不思議そうな顔をする暁子ちゃん。

(あー、くそー…ダメだな…)

先日、俺の彼女に対する気持ちに気付いてから、妙に意識してしまう。
こんなんじゃ変に思われても仕方ないし、感づかれる時間の問題かもしれない。

(平常心、平常心…!)

主「そ、それで、何か用?」
暁「あ、そうそう!えっとね、ちょっと頼まれてくれない、かな?」
主「何を?」
暁「今朝の進路希望調査の紙ね、まだ出してない人がいて集めなきゃいけないんだけど、私今からちょっと用事があって…代わりに集めてくれないかな?」
主「ああ、それくらいなら全然いいよ。で、誰が集まってないの?」
暁「上城さんなんだけど…」
主「白雪ね。了解」
暁「ありがとう!」

これくらいで彼女が喜んでくれるならお安い誤用だ。
こうやって少しでもポイント稼いでいかないとな。
打倒先生だ…!

日「姉さん」
暁「あ、日向!それじゃ、私行くね」
主「ああ、こっちはまかせて」
暁「さすが○○くん!ありがとう!」

笑顔で手を振る彼女を教室から見送る。

日「…………」
主「…………」
日「…………」
主「…日向は行かなくていいのか?」
日「え…ああ、僕は、まあ…」
主「ん、何?」
日「いや、あのさあ…○○くんって姉さんのこと好きなの?」
主「えっ!?!?!?」

まったく予想だにしていなかった言葉。
行き成り確信を突かれたことによって上手く返答できない。

主「え…や、あ…えーっと、そのー…」
日「ねえ、好きなんだろ?」
主「…ま、まあ…好き、です…」

余程バレバレの態度でもとっていたのだろうか…
仕方ないが、大人しく頷くことにした。

日「ふーん、そっか。やっぱりね」
主「そ、それで…暁子ちゃんには…」
日「ふふ、もちろん言わないよ」
主「サンキュ、恩に着るよ…」

まだバレた相手が日向で良かった…
これが垂髪や鳥越や衣縫…あそこらへんのお喋り集団なら間違いなく明日には全校生徒に広まっていただろう。
それにまだ本人にばれた訳ではないのが唯一の救いだ。

主「はあ…」
日「…ねえ、僕が協力してあげようか?」
主「え!?」

またしてもの予想していなかった言葉。

主「い、いいのか…?」
日「うん!あ、でも協力って言うか、相談に乗ったりとかなんだけど…僕、一応弟なわけだし、姉さんのことならいろいろと知ってるから」
主「いい!全然いい!相談だけでも凄い助かる!!!」
日「ふふっ」

なんて良い奴なんだ、日向って…!
今まで一人で思い悩んでいたけど、相談できる相手が出来たってだけで随分楽になった気がするな。
しかもそれが暁子ちゃんの弟の日向だ。
なんとも心強い。

日「それじゃ、僕もそろそろ行くから。何か相談したいことができたら気軽に言ってね」
主「おお、ありがとう!」

そう言うと、日向も暁子ちゃんと同じく教室から出て行った。


(さて、暁子ちゃんからの頼まれごともしないとな…)

キョロキョロと今日室内を見渡す。

主「お…いた」

目当ての人物、白雪は一人自分の席に座っていた。
近づいて声をかける。

主「よ、白雪!」
白「あ、○○くん!どうしたですかぁ?」
主「その、進路調査の紙なんだけど…」
白「進路調査、ですかぁ?」
主「うん、朝に配ってたやつだけど、あれ出せる?」
白「はい、ばっちりだせますよー!」
主「お、良かった。なら出してくれる?」
白「はいです!それじゃ、暁子ちゃんにー…」

机の中から紙を取り出すと、彼女はあたりを見渡した。

主「あ、暁子ちゃんは今用事があって…」
白「え?でもこれは暁子ちゃんに出すんですよね?」
主「え…ああ、本当ならそうなんだけど、用事あるから俺が代わりに集めてくれって」
白「ああ、それじゃあ暁子ちゃんが帰ってきたら白雪、ちゃんと渡しますね!」
主「い、いや、俺が代わりに…」
白「どうしてですか?」
主「だから暁子ちゃんに頼まれて…」
白「じゃあ後で暁子ちゃんに渡しても一緒じゃないですか」
主「えーっと…」
白「どうしてそんなことするんですか?」
主「だから…」
白「どうして白雪と暁子ちゃんを遠ざけようとするんですか?」
主「……………」
白「○○くんはそんなことしないですよね?」
主「え、えっと…」

まったく埒が明かない会話。
何を言っても聞かない、聞こうとしていない。

白「ね?」
主「あ…ああ…」
白「ですよね!良かったですー。それじゃ、これはちゃあんと白雪が暁子ちゃんに渡しておきますね!」
主「ああ、そうしてくれ…」

(ごめん、暁子ちゃん)

とりあえず俺は頼みを達成できなかったことを心の中で謝っておいた。
それにしても、白雪の異様なまでの暁子ちゃんに対する執着…
一体なんなのだろう…


暁「あの、○○くん…」
主「暁子ちゃん!?え、何、どうかした?」
暁「その…昨日…」
主「あ…!」

昨日の出来事を思い出す。
そうだ、進路希望調査の紙を白雪から…

主「悪い、集めようとしたんだけど、自分で持ってくって聞かなくってさ…」
暁「そっか」
主「あ、それで、ちゃんと受け取った?」
暁「うん、受け取ったけど…」
主「ん?」
暁「これじゃ、何のために○○くんに頼んだのか分かんないね」
主「え…」

彼女の表情はいつも通りの笑顔だが、どこか言葉に冷たいものを感じる。

主「えっと…それって…期限までに間に合わなかった…とか?」

恐る恐る思いついた考えを口にする。

暁「うーん…」
主「ごめん!その…」
暁「いいの」
主「あ…」
暁「その代わり、今度からは自分で引き受けたことはちゃんとやらなくちゃダメよ?」
主「もちろん!ホントごめん…」
暁「ふふ、もう気にしないで」

ポイントを稼ぐつもりで引き受けたのに、それが裏目に出てしまった。
まあ、きちんとしなかった俺が悪いんだろうけど…
今度からはちゃんと気をつけよう。


主「で、この前そんなことがあってさー…」
日「ふーん、なるほどねえ…」

さすがと言うべきか、日向は毎回毎回相談に乗るのが上手い。
日向に相談し始めてから、いろいろと悩み事が解決してきたように思う。
俺も相談のし甲斐があるってもんだ。
今も、つい先日の暁子ちゃんの頼まれごとの件を相談しているところだ。

主「でもさー、やっぱまずかったよなー…嫌われたかなー…」
日「ははは、大丈夫だって!姉さんはそれくらいで嫌ったりしないよ」
主「だけどさー…」

そう、暁子ちゃんにも『気にしないで』と言われつつも、俺はこんなに気にしてるわけで…

主「暁子ちゃんって先生のこと好きだろ?…って、あっ!!!」

突如大声を出した俺に吃驚した様子の日向。

日「どうしたの、いきなり…」
主「え、ああ、いや!何でもない何でもない!ついでにさっき言ったことも何でもない!嘘だよ、嘘!」

そういえば、約束したんだった。
暁子ちゃんが先生のことが好きだって聞いたときに、誰にも喋らないって…!
慌てて誤魔化す。

日「嘘って…?」
主「いや、だから暁子ちゃんがせんせ…って、うん、なんでもないから!!」
日「ああ…」

その瞬間、日向の口元が孤を描いた。

日「大丈夫だよ、僕知ってるから」
主「え…」
日「姉さんが先生を好きだってこと」
主「あ…何だ…」

あっさりと答えた日向に思わず拍子抜けした。
ホッと胸を撫で下ろす。

日「それで?」
主「ああ、なんかさ、俺の所為で提出期限が遅れちゃったんだろ?暁子ちゃん、きっと先生のところにちゃんと持って行きたかっただろうし…」
日「提出期限…あれって、当日出せればいつでも良かったはずだけど…」
主「え、じゃあ何で…」
日「んー…そうだなー…」

少し大げさに考えるポーズをとる。

主「…やっぱ分かんないか」
日「いや、そんなことはないんだけどねー…」

なにやら意味深な表情。
それに、何か知っているような口振りだ。

主「じゃあ何だよ」
日「うーん…ま、○○くんにならいいか」

やけにあっさりと日向は口を開いた。

日「姉さんはね、上城さんが苦手だから」
主「へ?」

俺が知っている限り暁子ちゃんは人当たりが言いし、誰に対しても平等に接することができる子だ。
そんな風に誰かを苦手だとか、嫌ったりだとかは想像もつかない。

日「嘘だと思う?」
主「えー………」

でも、よくよく考えてみれば二人が一緒に喋っている場面が記憶にない。
白雪はいつも一人でいるし、逆に暁子ちゃんはみんなの輪の中にいることが多い。
暁子ちゃんの性格からすると、白雪みたいな存在には自分から進んで声をかけていきそうなものだ。

主「うーん…」
日「ね、思い当たる節、あるでしょ?」
主「まあ…ないことはない…けど…」
日「けど?」
主「理由は?なんで苦手なの?」
日「ああ、うーん…何ていうか、昔は仲良かったんだけどねえ…ちょっとケンカしちゃって、それからずっと気まずい感じが続いてるってとこかな」
主「ケンカ?暁子ちゃんが?白雪と?」
日「まあ姉さんにもいろいろあるんだよ」
主「ふーん…」

そっか…あんな風に完璧に見えても、暁子ちゃんも一人の人間だもんな。
いろいろと考えるところもあるんだろう。



(ケンカ、ねえ…)

先日の日向の話しを聞いてから、余計に暁子ちゃんと白雪のことが気になりだした。
相変わらず暁子ちゃんは友達と楽しそうに喋っているし、白雪は休み時間だというのに一人で席に座っている。

(うーん…)

日「考え事?」
主「え?」

ふと声をかけられ振り向くと、そこには日向がいた。

日「ふふ、眉間に皺寄ってるよ」
主「あ、いやー…さ、考え事って言うかさー…」
日「ん?」
主「あの二人、仲直りした方が良くないかなって」

そう言って暁子ちゃん、白雪をそれぞれ見やる。

日「仲直り…」
主「ああ、何かこのままずっと気まずいってのも暁子ちゃんにとって良くないかなとーとも思うし、白雪もあんな風に一人でいるのはなんか可哀相だし…」
日「…今更そんなの無理だよ」
主「え?」

日向がいつもより数段低く小さな声で何か呟いたが、上手く聞き取れず教室内の騒音にかき消されていく。

主「今何て…」
日「そんな心配する必要ないんじゃないかなって…ほら」
主「うん?」

そう言って日向は白雪の方を示した。

女①「上城さーん!」
女②「こっちおいでよー!」
白「ふぇ?あ…は、はいです!」

白雪は先ほどまで甲高い声を上げて何やら楽しそうに喋っていた女子の集団に呼ばれたかと思うと、その輪の中に混じっていた。
暁子ちゃんのいる集団ではないものの、また楽しそうに話を続けている。

日「ね?」
主「あ…ああ」
日「彼女も彼女で最近は上手くやってるみたいだし、僕たちが下手にどうこうすることじゃないよ」
主「うーん…」
日「こう言うのは放っておいてあげるのが一番だって」
主「そういうもんかな…」
日「僕が間違ったこと言ったことある?」

その問いに、今までのことを思い起こす。
確かにいつも相談するたびに的確な答えをくれていた。

主「ない、な」
日「でしょ?だから、もうこのことには首を突っ込まない方がいいよ、ね?」
主「そうだな…そうするよ」

どことなくモヤモヤとした感じが残るものの、俺は納得することにした。

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最終更新:2008年09月02日 15:01