虚ろなる生者の嘆き:End in…? ◆NiwQmtZOLQ





肌に絡みつくような風の感触が、いやに気になる。
流れるように過ぎていく景色に、それでも遅いと叫びたくなる。
鼓膜を震わす風の音とゆっくりと西へ傾き始めた太陽の光に、無性に腹が立つ。
息を吸って吐いてと繰り返しても、頭の中は煩く確定しない未来を映しだそうとする。

それが焦りという感情だと自覚し、夏凜の中の焦燥は更に掻き立てられる。
低空を滑るように飛ぶ箒は、勇者の脚力以上に安定した速度を保って南東方面へと向かっている。
するべき事は単純。ホル・ホースとアインハルトをこの先で回収し、再び放送局に戻る、ただそれだけ。
それだけであることが、しかし今の夏凜にはもどかしくて堪らない。

(友奈、風……)

思い浮かべる、二人の姿。
五人いた筈なのに、今はもう三人になってしまった、勇者部の仲間たち。
けれど、彼女たちもまた、その安否や心境に不安が残る状況だ。

チャットルームに一度だけ訪れて以来、こちらに対する返信はおろかただの一つの音沙汰もない友奈。
ただでさえ精神が不安定であったようなのに、樹の訃報を耳にしてしまっているであろう風。

違う、と心の中で叫ぶ。
私が聞いた情報が、暗いものであるだけだ。
まだ、生きてくれている。
まだ、踏み止まってくれている。
そう言い聞かせるように拳を握り、何処とも知れない心を睨む。

しかし。
不安によって蝕まれたその中に浮かぶのは、どれも希望の光見えぬ最悪の妄想。

─────瞼の裏をスクリーンに、焼け付くような空想が目の前に広がる。
血だまりの中で冷たくなった、無惨な『勇者だったもの』。
罪なき者たちを両断する、修羅と化した勇者の成れの果て。

幾ら現実を否定せんとしても、鮮血の妄想はどろどろと噴出し続ける。
その証拠となるように去来するのは、喪われていく腕の中の体温。
瞳から輝きが消えていく様がありありと分かってしまった、あの時。
自分の紅蓮の勇者の衣装をより朱く朱く染め上げて、魂と共にその熱さを蒸発させた液体の、忘れられようもない感覚。

東郷美森が死んだ、あの瞬間の記憶。

(─────ダメよ、考えちゃ!)


溢れ出しそうになった憎悪と哀しみの奔流を辛うじて飲み込み、唇を噛み締める。
それは、ダメだと。
それを今、ここで─────いや、どんな場所であろうと。
決して浚う事の出来ぬ、あの時のドス黒い澱のような激情を。
嗤う悪魔へと向けてしまった、悍ましくすらある衝動を。
開放する事は、あってはならない。
それは、誰かを幸せにする訳でもなく、誰かを喜ばせる訳でもない。
東郷は、あの優しかった筈の少女は、それでもきっと彼女にそんなことを望んではいない。
最期の表情に書いてあったのは、そんな憎しみではなくて。
ただ、後悔しているようにも見える哀しみのだったのだから。

だから。
これを冒す事は、裏切るという事なのだ。
東郷美森が望むべくもなく、他のみんなもきっと望まない。
ならば、超えてはいけないのだ。

勇者として。
誰かの為に戦う者として。
その感情に流されるのは、きっと─────

(…キリが無いわね、全く)

息を大きく吐き出し、煮詰まったものを体から出来る限り絞り出す。
こんな気分でいては、アインハルトに出会った時に何と言われるか分かったものではない。
数時間前の、自棄になったような彼女を止めたのは自分だ。そんな自分がうだうだと悩んでいては、見せられる顔があったものではない。
考えることを切り替えようと、端末を空中から取り出す。
小湊るう子、そして浦添伊緒奈は思いがけず早めの合流が出来たが、最後のセレクターであり、るう子の友人である紅林遊月の行方はまだ分かっていない。
しかし、あの放送を見ていたなら、提示した夏凜自身の端末のメールアドレスに連絡を入れてきている筈。
これまで開いていたチャットの画面を、閉じようとして。



『犬吠埼樹を殺したのはホル・ホース』

「─────、!?」

目を、疑った。

跳ね上がった心臓に反して、しかし上がりかけた叫びはなんとか堪える。

(これ…!?)

無論、嘘の可能性のほうが遥かに高い。

しかし。
その可能性があるのも、否定は出来なかった。

セルティ・ストゥルルソン、そしてホル・ホースという二人組。
アザゼルと出会う前は彼等だけで行動しており、それ以前の詳しい情報はない。
無論、そんな実証しようのないアリバイを元に、このチャットの文言を信じるという訳ではない。
しかし、犬吠埼樹について、少なくともその外見的特徴を知っていたのは紛れもない事実だ。
セルティ曰く、端末に残った彼女の写真を見たところ間違いないということなので、彼女本人であるという可能性はかなり高い。
そんな彼女の言葉を信じるなら、彼女たちが言っていた「縫い目の女」が下手人である、ということになるが。

─────反対に、言うなら。
犬吠埼樹の外見を、それだけ早い段階から知っていた、ということになる。
樹と出会った人数は、正味これより更に少なくなるだろう。
無論この殺し合いの初期配置がある程度均等ならの話だが、バイクを持っていたとはいえ、ずっと移動していたわけでもなければあの二人と自分では初期位置も遠くないだろうから、そう変わらないはず。
勿論一人二人の誤差こそあれど、そんな二人が徒党を組んでいるならば─────?

(─────ああ、もう!うるさいっての!)

頭の中で大声を出し、無理矢理思考を切り替える。
あくまで、これは推理。
このチャットが真実であるというとても不確かな仮定が、僅かに可能性だけは存在しているというだけ。
しかもその可能性自体、無理矢理な解釈によって半ばこじつけられたようなものだった。

(大丈夫、大丈夫な─────はず)

しかし。
それでも、僅かに思考には淀みが残る。
気にし始めると止まらなくなる不安感が、少しずつ夏凜を蝕んでいく。

(ああ、もう……どうしてこんな、悪い考えばっか浮かぶのよ)

自分へのイライラが募り、より一層夏凜の神経はざわついていく。
荒れた海のような様相を呈してきた自分の心を自覚し、パチリ、と自らの両の頬を張った。
こんなのではいけないと、さっきも思ったばかりだろう。
それよりも大事なこと、すなわちメールの確認を忘れているぞ、と己に言い聞かせ。
騒ぐ心の声を無視してチャットルームをようやく閉ざし、代わりにメールアプリを立ち上げて。


そして。
今度こそ、夏凜は声を張り上げた。

「えっ……!?」

彼女へと、届いたのは。
悲劇の種としかなり得ない、それでも今の彼女には必要過ぎた言葉。


「友、奈……!!」


彼女の端末に届いていた、一つの新着メール。
既にその命を燃やし尽くした勇者からの、それが最期と知る由もないメッセージだった。

「どうした、夏凜殿?」

箒の前に乗り、空中での操作を担当するラヴァレイが、突然の大声に驚いたように反応し振り返る。
それでも急ブレーキをかけず飛び続けるのは、騎乗に慣れた彼の技量故か。
速度を僅かに落とし、風の音に遮られず互いの声がクリアに聞こえる程度の速度。

「ご、ごめんなさい」

謝りつつも、夏凜の心臓は弾けるかのようにドクリドクリと脈動する。

あまりに思わぬ方向からの、しかし喜ばしい連絡だ。
つい先程のアザゼルと会話している自分に、このメールを見せて安心させてやりたいとまで思ってしまうほどに。
とはいっても、文面そのものはやはり剣呑。手放しには喜べないこともある。
落ち着こうと呼吸を繰り返しながら、メールの文面を改めて見返す。

『坂田銀時っていう着物を着た人と、絢瀬絵里っていう名前の金髪の人は信用出来る人。
私は行けなくなったけど、その二人が向かってるよ!
今、風先輩を頑張って説得してるから…だから、絶対にそっちに連れていくよ!
だから、待っててね!』

─────風先輩を頑張って説得している

(風、友奈…!!)

遭遇、しているのだ。
そしてまさに、戦っていたのだ。
友奈は、文面の通り風を止めるために。
そして、風は─────最早、考えるべくもない。
犬吠埼樹の為に、全てを殺す覚悟を決めたのだ。
さもなくば、彼女が友奈へとその剣を向けることなどあり得ない。

起こってしまった、激突。
その光景が脳裏に浮かびかけ、今度は脳裏に浮かんだという事実そのものに嫌悪感が巻き起こる。
二人が殺し合っている姿など、想像もしたくない。
私が最初に風を止められていれば、という考えすら浮かんでしまう。

そんな内心の葛藤こそありつつも、ひとまずラヴァレイにメールの内容を話す。
聞き終えたラヴァレイは、少し悩むように顔を俯け─────そう時間を開けず、彼女へと返答した。

「…なるほど。ひとまず、そのサカタという男、アヤセという少女についてを伝えておくのはいかがかな?」

そのラヴァレイの言葉に、焦りが先走っていた夏凜は冷や水を浴びたかのようにその動きを止める。
そうだ。
自分のこと、友奈と風のことばかりではなく、それもまた重要な情報のひとつ。
放送局にいるアザゼルにこれを伝えれば、少なくとも疑心暗鬼でいさかいになることはないだろう。
できれば、あの悪魔がまた面倒を起こさないでくれればいいのだが。

ともあれ、放送局のPCにメールを送ろうとした─────その時。

「…三好殿」

再び前を向き、箒の操作へと意識を向けていたラヴァレイが、冷静な言葉を夏凜へと告げる。
いや、冷静な、とは言いづらいか。
その声は緊迫と焦燥に張り詰め、見据える先に何かがあることを物語っている。
それでも、夏凜は迷うことなくその背後から先を覗き込み。

そこにあった姿に、強く歯を食い縛った。

広がっていた光景。
ただの道路の端にすぎないそこに、まるで地獄のように広がっているのは。
傍らに倒れ伏す白人と共に無惨な死体に成り果てたアインハルトと、悶え苦しみ唸り声を上げるホル・ホースの姿。
そして。

「ほう…テメーら、コイツらに用があるみてーだな?」

黒い学ランに身を包んだ、大男の姿。




放送局、内部。
PCの画面を一人睨み、アザゼルは考えを巡らせる。
その対象は、勿論チャットルームの向こう側にいると思わしき男・DIO。
この相手と、コンタクトしてみるか、否か、だ。

ホル・ホースの情報によって一応相手の概要を掴んでいるが、それによってこのDIOという相手がアザゼルの邪魔になりかねない人物だというのは十分理解できた。
悪の帝王にして、邪悪なるカリスマをその妖しき瞳に乗せる、そんな現代に蘇りし吸血鬼。
前置きとして語られた能書きはともかくとしても、真に気になるのはその実力。
一瞬にして、辺りに張り巡らされた蜘蛛の巣を一切壊すことなく、いつのまにか背後を取られていた─────とは、実際に相対したホル・ホースの弁。
アザゼルも、人間程度には認識する間もない程の速度での移動など容易いが─────それ以上の「何か」を、具体的には『世界(ザ・ワールド)』と呼ばれるスタンドに秘められた極めて特殊な能力を持っている、その可能性は決して少なくない確率で存在する。
既に死した聖女、或いはホル・ホースたちが相対したという縫い目の女といった、この悪魔を以てしても一筋縄ではいかないやも知れぬ相手。
その存在自体は居ても何らおかしくはないと想像していたが、いざこうして明確に存在を意識すると鬱陶しく映るものだ。

さておき。
そんなDIOに対して、ではこれから実際にチャット上での接触を試みてみるのか。
もしも接触するのならば、果たしてどんな形での会話が正しい選択肢なのであろうか。

そんな二者択一を考えつつ、同時にアザゼルはもう一つの懸案事項へと思考を働かせる。

この殺し合いから脱出するための、考察。
何よりも大事なそれを、現状ろくに行動に移せていないことだ。

小湊るう子、そして浦添伊緒奈というセレクター。
それに加え、タマという重要性で言えば最高レベルのルリグ。
ここにあと一枚のルリグカードが揃えば、それで繭への足掛かりが掴める。
そこまでは、いいのだが。

(浦添の非協力態度、そして脱出そのものに対する主催の備え…特にバハムートの存在か)

そう。
揃ったとしても、それですぐに脱出という訳にはいかないのだ。

まず、第一関門。
浦添伊緒奈を、どうやってその気にさせるか、だ。
先程彼女自身が明らかにした彼女の性質は悪魔としては面白いと感じるが、あれの他者に対するそれが自己も含んだ上での破滅願望だとすると今は話が別になる。
ああいうのは、自分が納得さえ出来るならば自分自身ですら躊躇なく切り捨てていけるタイプという可能性がある。
そしてこういうタイプは、指を折った程度ではそこまで苦にしないという性質も往々にして持っている─────そこまで歪んでいるかは分からないが、拗らせた奴ならば己の生そのものにすら頓着しない程に。
もともとこのバトルロワイアルを楽しんでいる様子であり、そこに生半可な脅しも効かないとなれば、扱いはトップレベルの難易度を誇る。
とはいえ、やり過ぎて精神崩壊まで追い込んでしまえば、今度は脱出要員としての利用が難しくなる。
ここにはいない最後のセレクター、紅林遊月が生きてここまで辿り着いてくれれば話は楽なのだが─────甘過ぎる見込みは身を滅ぼす。

そして、それをどうにかしたとしても、肝心の主催陣営がいる。
正直こちらは未知数だ。どこまでこちらの動向を把握しているのか、そしてどこまで対策を施しているのかも明らかにはなっていない。
知りようがない情報については置いておくとしても、それに対抗するだけ備えは万全にしたい。
少なくとも「バハムートがいる」というその事実だけで、難易度は跳ね上がっているのだ。どうあっても、戦力が過剰ということはない─────それは確か。
手駒は掻き集められるだけ集めておきたいところだが、そろそろ参加者の総数も少なくなって来る頃だ。
最悪の場合、もう一度放送をして呼びかけ直すことも視野に入れる必要もあるかもしれない。

(未だに懸念事項は多い、か)

ため息を一つ。
PCの画面を眺めながら、悪魔は尚も思考を続けていた。




「ラヴァレイさん…」
「分かっている」

ゆっくりと高度を落とし、二人の男の近くへと着地。
既に変身している夏凜と軍刀を構え直したラヴァレイに対し、男は不敵な笑みを浮かべて崩さない。
風にざわめく木々の音が、耳障りなほどに響いて静寂を作らない。
まるで、今まさに広がる緊張状態を暗示しているように。

「…あんたの、名前は?」

最初に口を開いたのは、夏凜。
最年少ながらも真っ先に口を開いたのは、勇者たる彼女の性質故か。
果たして、笑いをより深くしながら男は答える。

「空条承太郎だ」

その名前は、夏凜の知るところでもあった。
ホル・ホース曰く、少なくともこの殺し合いの中では信用出来る相手─────彼は、確かにそう言っていたはず。
しかし、今目の前にいる男は。
たった一言、名前しか口にせず、しかしその一言に込められた感情に夏凜は歯を食い縛る。
気味が悪いほどに底知れぬものを感じさせる言霊に、しかし彼女でも分かるほどに込められているのは─────愉悦。
この状況を、ホル・ホースが苦しみ、アインハルトや名も知らぬ大男が地に倒れ、二人と相対している状況を─────愉しむように。
どこか気取っている風にも聞こえ、それでいて生理的嫌悪感すらも感じさせる声。
肌を撫ぜる、緊張感と奇妙さがないまぜになった生暖かい空気と共にそれを浴び、夏凜の神経は尖っていく。

(でも、どういうことなの…)

空条承太郎という男については、ホル・ホースからの話で聞いていた。
クールで無愛想にこそ見えるものの、その実は正義に燃える熱血漢。
この殺し合いにも反抗する気である筈だし、ホル・ホース自体の信用は薄くとも協力出来るだろう、と。
しかし、目の前と男から感じる気配はむしろ真逆。
熱血漢どころか、氷─────それも、塩を混ぜた寒剤のような不自然さを感じさせる薄ら寒さだ。
言葉の節々から漏れる狂気が、それをより真実だと思わせる。

(まさか、ホル・ホースさんが本当に…?)

そんな考えが、頭を過る。
ホル・ホースが、自分達を騙っている可能性。

それを思い付いてしまったのは、偏に先のチャットを見てしまったせい。
ただの他人なら勇者である彼女にはそこまで疑わせることはなかっただろうが、犬吠埼樹─────彼女のかけがえのない仲間が関連していることが、勇者以前にただの少女である三好夏凜を惑わせていた。

「空条殿。この状況を作り出したのは、貴方かな?」

次いで、ラヴァレイが質問。
落ち着き払った声での言葉は、この緊張状態ではよりその頼もしさを増している。
だが、それにも何一つ表情を変えず─────その立ち居振舞いはまさに化け物というべきか。
笑みを張り付けたままの承太郎は、何一つ動揺せず言葉を返す。

「そこの二人は俺じゃねーぜ。傷を見た感じでは、顔面ボコボコになってる女がそこの筋肉野郎に殺られて、そこの筋肉野郎はコイツに殺されたってところだと思うぜ」
「…ふむ」

冷静に答える承太郎に、ラヴァレイは死体へと目を向ける。
無論目の前の男への警戒は解かぬまま、しかし僅かに注意の比重を死体の側へと傾けた。
なるほど、確かに少女─────彼女がアインハルトなのだろう─────の顔面は最早原型を留めぬ程に破壊されている。そして、その返り血と思われる血は大男の拳に残っている。承太郎の拳は綺麗なものだし、それを疑う余地は少ない。
そして大男の死因は、主に顔面のこめかみから流れ出る血。ホル・ホースという男の持つ特殊能力は、銃といういわばボウガンの変種のようなものらしい。こちらも特に矛盾は見られない。
総じて、少なくとも彼の言葉に嘘はない。

「では、その当のホル・ホース殿がそうなっているのは…貴公のせいかな?」

しかし、それならば。
そのホル・ホースが、地面に突っ伏して今も唸っているのは。
最後に残っている、この場で唯一の健常者─────空条承太郎が原因だと、少なくとも現段階ではそう判断するしかない。
まともな返答をするかどうかは怪しいが、ひとまずはそれを聞くしかない。



「ああ、そうだ」

そして。
なんとも、呆気なく。
空条承太郎は、その罪を認めた。

「─────な」

あまりに呆気ない自白に、夏凜の思考は追い付かなくなる。
本当に、いとも簡単に。
まるで日付を聞かれたのと同じように、あっさりとした返答だった。
呆然とする夏凜が可笑しいのか、より一層冷笑を深くしながら承太郎が口を開く。

「何を驚いてんだ。こいつはそういうゲームだぜ」
「ならばなぜ、貴様はまだその男を生かしている?」

すかさずラヴァレイが、これまでに増して鋭い声で言い咎める。
剣呑さを表すように、呼称も貴様へと変わっている。
しかし、それでも尚承太郎の笑顔は崩れない。
奇妙だという言葉では最早生温い程の表情は、一種の狂気すら感じさせる。

「コイツには聞きてー事が一つあってよ─────ああ、大した事じゃねー。てめーらには関係の無い事だ。
それを聞きたいから生かしてる─────それじゃ不満か?」

ラヴァレイが、く、と引き下がる。
確かに筋こそ通っている。仮に嘘だとしても、深く追求しても、恐らくははぐらかされ無駄な問答になるだろうと察する事も出来る。
そうして再び静寂が訪れようとし─────しかし、それを壊すのはやはり承太郎。

「とはいえ、このままてめーらと一緒に居たんじゃあ、それも出来ねーからな」

そう、呟いて。
徐に学ランの右ポケットに手を突っ込んだ男に、二人が警戒を向け。

「悪いが、逃げさせてもらうぜ」

その一言と同時に、承太郎が何かを放り投げる。
外見が何らかの金属から出来ているそれは、ラヴァレイにも夏凜にも簡単にその正体を予想出来た。
思わず伏せた二人の上空で、それは甲高い音を鳴らし─────案の定、小規模な爆発を巻き起こした。
広がる爆風や炎に背を向け、ホル・ホースを片脇に抱えた承太郎が、その隙にと背後を振り向く。
煙と爆発音によって、それを見咎める人物も聞き咎める人物も存在を許されず。
そうして、悠々と逃げ去ろうとした承太郎。

「させないわ」

しかし。
投げられた短刀の爆発が、その動きを止める。
承太郎が振り向けば、少女─────夏凜が、強くこちらを睨みつけていた。
何故正確に、彼を止めるように刀を投げられたのかと言うならば、それは気配。
訓練された勇者が、例え目や耳が役に立たずとも戦う為に身につけたスキル。

「勇者として、私は─────あんたみたいな奴を見逃せない!」

毅然と。
決して空気に呑まれることなく、夏凜はそう言い放つ。
凛とした声と、それに呼応したように出てきた精霊の「諸行無常」という声は、ざわめく木々の音を掻き消して辺りに響く。
その姿は─────確かに、勇気を持つ勇者のそれだった。

「ああ」

しかし、それで。
「空条承太郎」は、思い出した。

当初から、旅館のテレビで姿を見た時から感じていたのだ。
三好夏凜に対しての、どこかで見たことがあるという違和感を。
初対面であるはずの少女だというのに、単なる見覚えとはまた違う感覚。
強いて言い表すなら、雰囲気─────いや、醸し出される気高さといったところか。
「彼」にとってはヘドが出そうな感情だったが、どうにも出所が思い出せない。
実際に対面しても、それは解決することなく凝りとして思考の中に残り続けた。

しかし、分かった。
彼女に感じた既視感の、その正体。
それを思い出させたのは、たった今この場所に響いた言葉。
今の今まで記憶からほぼ消えかけてすらいた、「あの少女」が言っていたのと、全く同一の言葉。
それは─────



くつくつと、目の前の男が笑い出した。

「なるほどな」
「何が、よ」

より剣呑さを増したと、自分でも感じる声。
じっとりとした汗がゆっくりと滴り、不快感と嫌な予感が膨れ上がる。

「そのチンケな人形にも、道理で見覚えがあると思ったぜ」

その言葉に、夏凜は一瞬疑問符を浮かべ─────次の瞬間、目を見開く。
うそ、という形に口元が歪み、すぐにそれは憤怒の意を示す形へと変わった。
そして、言葉としてそれを吐き出そうとしたその瞬間をまるで見計らったかのように、承太郎の口が新たな、そして決定的な言葉を告げた。

「テメー…あの緑色のガキの仲間だろ?」

その、一言で。
完全に、夏凜と承太郎の間の空気が凍りついた。
打ち震える彼女の姿に対して何か面白いものでも見るかのように笑いながら、尚も承太郎は口を止めず。

「ああ」

肯定の、意を。
彼女が思い浮かべている最悪の想像を、その通りだと。
あまりに簡単に、呆気なく許容する。

「あの生意気なガキをブチ殺したのは─────」
「嘘よ!」

叫ぶ。
言葉を自分の中で消化するよりも早く、否定する。
だって、そうしなければ。
彼女の、限界に達しつつある何かが、その箍を破壊してしまいそうだったから。

しかし。

「違う?何でそう言える」

それでも、気味の悪い笑いを崩さないまま。
はた、と思い当たったかのように、今度はホル・ホースの方へ目を向けながら。

「ああ、もしかしてコイツか、あの首無しにでも聞いてたか?
殺したのは、女のガキだったとかなんとか」

やはり、何が面白いのか。
くつくつと笑いながら、

「悪いな、それは─────」

その瞬間に。
赤い糸が、男の姿を取り囲み。
作られた赤い繭は、数秒としない内に破られて。
その直後─────内側から、一人の少女が現れた。

「こういうこと、だよ☆」

それは、あたかも「空条承太郎が少女の姿へと形を変えた」ようで。
そして、言葉を失った彼女へと。
「まるで本来の姿に戻ったかのように」再び姿を戻して。

「何なら、他の質問に答えてやってもいいぜ。糸を使っていたかとか、花びら振り撒きながら戦っていたとか」

そして。
「空条承太郎」は、トドメを刺した。


「俺がぶった切ってやった、首の話とかよ」


─────そうして。
溜まりに溜まった疑念という動力炉へと、赤熱した火種が投じられ。
急速に胎動した三好夏凜の中の何かが、彼女の理性を食い破った。


「──────────ア」

それは、他人を助ける勇者が忌避すべき感情。
誰かをどうあっても護り抜く勇気とは正反対の、誰かを徹底的に終わらせる為の感情。
そして、何処までも純粋な。



「殺意」。



まるで、爆炎が巻き起こったかのようだった。
ごう、と大気を揺らす風圧が、
神々しくある筈の華の光は、何処か昏き翳りを宿す。
そして、噴火した火山に眠っていた溶岩の如く、その紅色を天へと向ける花弁の渦。

その中心に、阿修羅がいた。

四本の巨大な腕に、其々一振りの太刀を握り。
勇者である事も何もかもを忘れ、ただ天を衝く激情を全身に滾らせ。

そんな阿修羅が、そこにいた。

「─」

そして。
臨界点を一瞬で突破した激情の渦が、彼女の体を飲み込み。
煮えたぎる血流が憤怒の波となり、全身へと殺意の炎を行き渡らせて。


「─────────────────────ァァァァァッッッッ!!!」


阿修羅が、吼えた。
同時に、ギラリと太刀が煌めく。
鈍く揺らいだ刀身が、その切っ先を男へと向け。

─────数瞬の後。
朱槍と化した阿修羅が、轟音と共に突貫した。

地面が抉れ、草木は吹き飛び─────けれどそこに、挽き肉になった男はいない。
見れば、ガンマンをその右脇に抱えて、森の木々の中へと逃げ込もうとする影がひとつ。
視界から消えそうになったその最後の瞬間─────またも煽るように、にやりと男が薄ら笑いを浮かべ。

それは、最早理性すら半ば飛びかけている阿修羅を誘うには十分過ぎた。

「──────────────!」

唸るような。
呪うような。
悲しむような。
そんな声を上げながら、修羅が二度目の豪進を開始する。
振るわれた腕が、木々など邪魔だとばかりに薙ぎ倒す。
しかし、森を掻き分けて逃げ去っていくその速度は、地形によって見通しが悪く夏凜が追いにくいことを差し引いても異常。
無論、その程度で暴走を始めた少女が止まるはずもない。
障害となる森を文字通り吹き飛ばしながら、それでも後方─────アインハルトの死体やラヴァレイの元に残骸を飛ばさないのはほぼ無意識の内か。
大樹が根元から倒れ、小さな崖が衝撃で崩れ落ち、小高い丘の広場は掘り返されたかのように。
そんな爪痕を残しながら前に進む夏凜が、しかしそれでも数刻と経たず影を見失う。
まるで獣のように辺りを見回し、何処にいるか探し当てようとして。

そこで、声が響く。
彼女が追い求めていた、憎き男の声が。

「教えてやるよ、あのガキがどうやって死んだのか」

響く。

「弱くて手も足も出ねえ癖に、威勢だけは一丁前で」

響く。

「首を飛ばしてやったら、何が起こったのかわかんねーってツラしてたぜ」

響く。

「全く、傑作だったぜ─────何も出来ず死んでいく様はよ」

響く─────

「………──────────ッッ!!!」

絶叫と共に、その声がした場所が吹き飛ぶ。
夏凜が放った衝撃波は、元々の満開時に放てるそれからは幾らか弱体化しているものの、数十メートルを吹き飛ばすには容易い威力。


だが。
更に、異なる方向から。

「テメーも、同じところに行かせてやろうか?」

響く。

「揃って首だけになるってーのも、悪くないと思うぜ?」

響く。

「何なら、テメーの仲間だって一緒でもいい」

響く。

「まとめてあの世に逝くっつーのも、悪くないかもしれねーぜ?」

響く。

「テメーも」
「テメーの仲間も」
「揃って殺してやるぜ」
「そこで待ってな、勇者サマよ」

響く、響く響く響く響く響く響く響く響く響く響く響く響く響く─────

「、ッッ──────────────!!!」

それを、声の限り掻き消すように。
止まらない修羅の慟哭が、破壊音と共に反響した。


「ふー、面白かった☆」

黒い学ランが、筋骨粒々の男の体が、全て赤い糸へと還っていく。
その中心で、『空条承太郎』─────もとい、針目縫は笑いながらそう呟いた。

最初は、単に承太郎の悪評を振りまくというそれだけの理由だった。
ホル・ホースが苦しむ姿の傍らにいれば、どうあっても悪者はこの男という事になる。
覗き見しただけの相手でも十分効果的だし、
もしも相手が承太郎の性格を知っていたとしても、そこから変身を思い浮かべる人間は少数派の筈だ。伝聞だけなら、それこそ情報源を疑うという線もある。

ホル・ホースをすぐに殺さなかったのは、単純に面白くなりそうだったからというごく単純な理由。
とはいえ、未だに呻いているだけだとそろそろ荷物としても邪魔だ─────そろそろ処理しようかな、という考えを一瞬脳裏に浮かべる。

そして、夏凜に対しての『自白』。
あれをしたのも、所詮は先のホル・ホースと同じく、面白そうだったからというそれだけの理由だ。
事実、全く同じ動機で、父親と仲間という差異こそあれどほぼ同じ事を纏流子へとあっさり自白したように。

それに、あの様子ならば、承太郎と思しき人物を発見したその直後には襲いかかるだろう。
そういう意味では、承太郎の悪評に拍車がかかったとも言っていい。

更に言うなら、あの夏凜という少女に対しては上手く取り入りたいという考えがある。
針目の目標はあくまで脱出だ。それも、これが(少なくとも彼女の分析による仮説の中では)彼女の主である鬼龍院羅暁が執り行ったゲームではないと思われる以上は、あの繭という少女には相応の報いを受けさせてから、という条件付きで。
その為に、先の会場全体への放送で脱出の鍵について何かを掴んでいるらしき彼女からは、是非とも情報を上手く聞き出したい。
しかし、ホル・ホースと出会っている時点で自分の悪評は聞いているだろうし、下手に出ていけばそれこそ彼女の友人殺しの真犯人が自分だとバレるだろう。
だからこそ、一度徹底的に「折る」方が良いだろう─────そう思っての、判断だ。

けれど。

「まあ、今はそれより先にっと」

針目が今走っているのは、別の理由があった。
向かっているのは、先程自分が耳にしたあり得ない筈の声。
即ち。

「ホンモノじゃないだろうし…ね?」

─────もう一つの、「空条承太郎の声」の主。
自分が言った訳でもないのに、つい数分前まであり得ない筈のその声を発していた男。
無論、本人である可能性はないだろう。憎らしくも自らの意志だけで精神仮縫いを打ち破ったあの男が自分からゲームに乗る事はあり得ないだろうし、洗脳能力の使い手が別にいたとしてもそれこそ縫と同じように自力で跳ね除けかねない。

そう。
能力の使い手が、別にいる。
その可能性があるならば、即ち、ここで聞いた空条承太郎の声の正体とは─────

「御機嫌よう、麗しいお嬢さん。この度は私の意図に気付いていただき恐悦至極でございます」

それに思い当たるとほぼ同時に、彼女の耳に声が届く。
振り向けば、そこに居たのは─────白い顔をした、奇妙な男で。

「私の名は『この姿では』マルチネ。名簿にはラヴァレイという名前で記載されております」

その言葉で、縫も確信を得る。
彼は、自分と同じ─────変身能力の使い手だと。

「いきなりで本当に申し訳ないのですが─────僭越ながら、貴女に一つ協力していただきたい事がありまして」

そうして。
その針目の表情の機微を感じ取り、しかし尚もその姿勢は崩さぬまま。
ゆっくりと、悪魔が嗤った。



「放送局にいる、私と対立している悪魔─────アザゼルの処理の手伝いを、お願いしたいのですよ」


「─────すまない、アザゼル!少々いいか!?」

──────唐突に放送局に大きく声が響いた。
その声を聞き、呼ばれた当人であるアザゼルは一旦思考を切り上げた。
来客─────しかし、聞き覚えがある声。
しかも声音から言えば、これは。

「小湊!」
「は、はい!」

上階にいるるう子を呼び寄せ、何故呼ばれた、という表情をした彼女へと言い放つ。

「こいつの見張りを頼む。何かあればすぐに呼べ」

顎で倉庫を示してそれだけ伝えたが、十分に意図は伝わったらしい。
怪訝かつ不安そうな顔をしつつも倉庫の前に陣取ったのを確認し、入り口─────とはいっても、僅かに倉庫の入り口が見えなくはない程度の近さなのだが─────へと向かう。

「貴様か。奴等と合流出来なかった様子なのはわかるが…三好はどうした?」
「…それについて、話したいことがある。というより、頼みたいことだ」

果たして、そこにいたのは先にこの場所を出発したラヴァレイ。
ヘルゲイザーは持っているようだが、同行していた筈の勇者の少女の姿もなければ、探してこいと命じた紅林やホル・ホース、アインハルトの姿もない。
明らかな異常事態なのは見て取れたが、しかし一体何が起こったのか。
ひとまず冷静になったラヴァレイが、漸く口を開く。

「アインハルト嬢が死んでいたのを発見し、同時にそこにおりホル・ホースを拷問していた空条承太郎という男に襲われた。夏凜殿がひとまず応戦しているが、どうなるか分からない状態だ」

簡潔にまとまった状況説明に、アザゼルはふむ、と顎に手を遣る。

「あいつに任せて、貴様はぬけぬけと戻ってきた、と?」
「…実は、夏凜殿もほぼ暴走状態でな。どうやら、誰かの仇だったらしい」
「ほう?」

それは、少なからず興味はある。興味はあるが、しかしそれだけだ。その為だけにどうこうするという程でもない。
むしろ、今の時点で気になったのは。

「それはそれとしても、ホル・ホースの情報ではその男は協力できるという話だったが?」
「まさか。話が通じる相手だとは思えなかったぞ」

その返答に、アザゼルも少しばかり眉を顰める。
ホル・ホースという男が、自分達に虚偽の情報を流した、ということか。
或いは、彼が承太郎の本性を見抜いていなかっただけか。
他にも、洗脳などの線は考えられなくもないが─────こればかりは、実際に会ってみないと判別のしようがないか。

「ともあれ、俺にその男の討伐を手伝え、と」
「そういう事だ」

それだけ言った後、頼み込むように頭を下げるラヴァレイ。
苦渋というのをこれでもかとぶちまけたような表情での懇願に対し、アザゼルは愉快そうに答える。

「まあ、いいだろう。貴様の実力が足りない尻拭いなんぞ面倒だが、かといってのさばらせておくのも厄介だろうからな」

煽るような言葉は勿論故意。
尚も頭を下げ続ける彼の真横を通り過ぎて翼を広げ、振り返ってニヤリと笑い捨て台詞とばかりに言い残す。

「さて、ここから南東だったな。小娘達のお守りくらいはちゃんとこなせよ?」





そうして、飛び立とうとしたアザゼルに対し。

「─────うんっ、じゃ、バイバイ☆」

─────「針目縫」は、そう言って。
アザゼルの背面へと、紅い刃を滑らせた。




「─────少しは殺気を隠せ、小娘」

そして。
アザゼルとて、それを察して何もせぬ馬鹿ではない。
自らも、奇しくも彼女と同じ武器をカードから取り出し、振り向きざまに弾き飛ばす。
超硬質生命繊維によって作られた、元は一つの片太刀バサミ。
それらが交差し、火花が散らされる。

「あっれー、気付いてたんだ。だったら早く言ってくれればいいのに、いっけずー」
「喧しい。きゃんきゃん啼く声なら後でゆっくり聞いてやろう」

互いに軽い挑発を飛ばしながらも、ハサミを交え続ける手は緩まない。
凡そ会話をしながらとは思えぬ程の速度で幾重にも重なる閃光は、常人には最早捉えられないレベルの交錯。
奇しくもこの殺し合いでは初の邂逅となった両の片断ちバサミが、歓喜に打ち震えるように甲高い音を鳴らす。

「どこから気づいてたの?」
「あの男のようなタイプは、自分の実力については弁えている奴が多いからな。悪魔に頭を下げる事自体への葛藤こそあれ、貴様のようにプライドを剥き出しにするような輩ではない」

連続で交差する赤と紫のツートンカラーが、入り口では狭いとその内側へ舞台を移し混じり合う。
再び数度の火花が散らされるが、その速度は僅かながら片方に軍牌が上がっている。

「自尊心が豊かなことで結構だが─────過ぎた自信は、身を滅ぼすぞ?」

幾度の交差の後、鍔迫り合いへと縺れ込む。
しかし、それは徐々にアザゼルの優勢へと傾いていく。
互いに実力こそ同等、しかしその体に残る痛手と疲労は明確な差を生んでいた。
ゆっくりと押し込まれる刃を苛立ちと共に弾き飛ばし、そのまま首を飛ばさんと赤い光が閃く。
それを僅かに体を仰け反らせて回避し、そのまま宙返りしつつアザゼルが後退。
追い縋るように追撃を加えんとする針目が地を蹴り、真上から降り注ぐ雨のように連撃を加えようとする。
しかし、それが失策と悟った時にはもう遅い。
空中で身体を逸らした時に眼前30センチほどまで迫っていたのは、牽制代わりとばかりに投げたナイフ。
それ自体はただのナイフにすぎないが、悪魔が投げれば凶器には十二分だ。
それでも普段の針目縫なら、その程度は無視して突っ込んだだろう。
しかし、正確に頭部を狙った一撃は、制限がある今の彼女には少なくないダメージを与えかねない。
故に、更に身体を逸らして何とか回避し─────そこへ、待ってましたとばかりにアザゼルのハサミが落ちる。
跳ね上げた紫の一閃がそれを退け、そのままあり得ないような軌道を描いて再びアザゼルの身体を捉えんとする。
容易く弾き、同時に両者の間がほんの少しばかり開く。
ここぞ、とばかりに、両者が踏み込んで。

─────尚も、激突。それに次ぐ、激突。
狭い放送局の中で、豪速の戦闘が繰り広げられた。

数分にも満たぬ交差。
その中で得た、アザゼルの針目に対する評価は、「侮れない相手でこそあるものの自分の敵ではない」というもの。
やたらと自信過剰なのは本来の実力があるのだろうが、それを万全の環境で活かせていない相手だ。
─────押し切れる、な。
そう判断したアザゼルは、一気にブーストをかける。
より勢いを増した片のハサミが、もう片方を凄まじい勢いで打ち据えていく。
防戦一方だけでも人間業を超越するだろうそれは、反撃に回ろうとすればすぐに仕留められるだろうもの。
そしてアザゼルは、敢えてそこにほんの僅かな隙を作る。
無論、あからさまに誘っているとわかるような隙ではない。しかし、食らいついたが最後、即座に反撃を食らわせる用意は完全に出来ている─────そんな隙を。

しかし。

─────来ない、だと?

直情型の、扱いやすい性格。
その判断が誤っていたとは思わないが─────ならば、何故こうも凌ぐ事を目的としているのか。
それを疑問と思うと同時に、ふと、視界の中で何かが動いた。
戦闘に支障が出ない程度を見計らい、一瞬だけそちらへと意識を向け─────そこで、己の目を疑った。

「─────な」

倉庫の扉。
ここから既に20メートル程開いた、通路の一室。
その扉が、今まさに開こうとしていた。
もちろん、外側から扉を開ける事が出来るような人物の存在を彼は知らない。
それに、二人以外の侵入者がいたとして、それまで自分が気付かぬ訳がない。
いや、そもそもるう子も扉には触れていないようなのに、彼女以外に外側から開くことができる人物の姿が無いのだから、この考えはあり得ない。
となれば、残るのは─────いや、最初から。
倉庫の扉が、内側から開かれているという可能性しかない。
そして、それが出来る人物にもまた、一人しか心当たりは─────

「─────浦添ッッ!!」

怒声を飛ばすと同時に、倉庫から彼女の姿が飛び出る。
るう子をショルダータックルで弾き飛ばし、そのままこちらとは正反対の方向へと駆けて行く。
どうやって拘束を解いたのかは分からないが、それよりも今は単純に逃げ出されるというそれ自体が最大の問題だ。
逃げられては、折角手に入れたセレクターとの繋がりが無くなる。
それは、疑いようもなく脱出からの大きな後退だ。参加者数が減ってきた今ここで失うには、惜しいにも程がある。

だから。
アザゼルは、この一瞬。
完全に、戦闘を放棄してしまった。

もちろん、彼の力が強大な事に一切変わりはない。
凡夫どころか熟練の達人であろうと、悪魔である彼がたかが一瞬気を抜いたところでその隙を突くのは不可能といってもいい。
或いはだからこそ、それに慣れていたからこそ、彼は一瞬という時間を無為にしてしまったのかもしれない。

「─────まーったく、皆よそ見が大好きなんだね?」

ともあれ。
それは。

「ちゃーんと、こっちを見てね!」

如何に疲労を残していると言えど。
如何に身体に傷を残していると言えど。
生命繊維の化け物にとっては、それでも十分過ぎる隙だった。

気付いた時には、もう遅い。
振り下ろされたハサミをなんとか防ぐも、そこからは完全に後手後手の戦い。
針目が攻め、アザゼルが守る。
一度のミスが招いたその失敗は、刃に対応する為に本来あったはずの集中力をゴリゴリと削いでいく。

「くっ…!」

不味い。
一度の致命的なミスは、疲労によって少しずつ広がっていた両者の差を一気にひっくり返した。
このままでは不味い─────しかし、

「小湊、何をしている!あいつを追え!」

その言葉に、るう子がハッと顔を上げた。
放心していた様子だが、すぐに身を起こしてウリスが逃亡した方向へと駆けていく。
よし、と心の中でひとまずは考える。
最悪定晴を使いでもすれば、るう子にも簡単にウリスに追い付くことができるはず。
どうにかなるか、と思ったその瞬間に。

「まったく、学習しないんだから─────っと!」

これまでの中でも最速と言っていい針目の一閃が重なった。

ガン、と。
アザゼルのハサミが打ち上げられ、無防備な腹部が露わになる。
不味い、とそう考える暇すらもなく、切っ先は胴体を寸断すべく迫り。
ほぼ脊髄反射で腕を引き戻そうとすれど、それが間に合う筈も無く。



悪魔の目の前を、鮮血が過った。


修羅が駆ける。
花も草も薙ぎ倒し、大地を引き剥がして、ただ暴走するままに目に映るものを壊す。
その姿に、勇者の面影は最早希薄─────いや、もう見ることすら出来ない。
激情、激情、激情。
体を突き動かす感情の荒波が、今の彼女の全てだった。
追い求めるのは、彼女の目の前で最悪の事実を言い放った男。
黒い学ランに身を包んだ、悪意そのもののようなそれ。
ただそれを滅ぼすことだけが。
今は亡き後輩の、その仇を討つことだけが。
復讐の鬼と化した彼女の、唯一の行動原理だった。

だから。
きっと、それは。
黒い学生服を、木々の隙間に垣間見てしまった時に。
まるで動けぬ獲物を見つけた猛獣のように、襲い掛かってしまった事は。
例え、それで片付けてはいけない事だとしても。
きっと、仕方のない事だったのだろう。

「─────あ」

柔肌を、ゆっくりと刺し貫く感覚。
ズブリ、と。
やけに単純なまでに手に馴染むその感触。
触覚という、生物としてもっとも原始的な認識方法の一つであるそれが、ありのままの生々しい感覚を夏凜自身の精神へと刻み込む。

そして。

「あ、え?」

突き立った刃の、その場所が。
先程までとは僅かに異なる、何処か輝いているような光沢を放つ学ランだと気付き。
それから、また数秒して。
先程見た空条承太郎のものよりも、一回りというほどではないにしろ小さいと明らかに分かる背丈を認識し。

それから、もう数秒とかかることすらなく。
剥がれ落ちた学ラン─────正確には「喧嘩部特化型二ツ星極制服」の下から、その男の顔が現れる。

即席のスケープゴートだとよく見れば簡単に分かるそれも、判断力を著しく失っていた彼女を騙すには十分過ぎて。

阿修羅に捧げられた哀れな生贄羊─────ホル・ホースの苦悶の表情が、目の前に現れた、その時に。
人間に致命傷を与えたという現実を理解し、正気を取り戻した三好夏凜は、ちょうどそれを見てしまって。



そうして、今度こそ彼女の精神は─────


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167:リボルバーにくちづけを ホル・ホース 175:皇帝特権:Emperor Xenotranspranted
167:リボルバーにくちづけを 針目縫 175:皇帝特権:Emperor Xenotranspranted
171:同じ穴の狢 アザゼル 175:皇帝特権:Emperor Xenotranspranted
171:同じ穴の狢 小湊るう子 175:戦のあとには悪魔が嗤う
171:同じ穴の狢 浦添伊緒奈 175:戦のあとには悪魔が嗤う
166:飼い犬に手を噛まれる 三好夏凜 175:戦のあとには悪魔が嗤う
166:飼い犬に手を噛まれる ラヴァレイ 175:戦のあとには悪魔が嗤う