わたしにできること ◆gsq46R5/OE
宇治松千夜は、運動が苦手だ。
運動音痴、とも言い換えられる。
バレーボールのトスさえ満足に出来ず、三半規管の貧弱さも人並み外れている。
強いて得意と呼べる競技があるとすれば、せいぜいドッジボール。
それも、生まれ持った危険回避能力を活かし、自分に向け投げられた球をほぼ無意識で回避できるからだ。
別に縦横無尽に動き回り、獅子奮迅の活躍をしてチームを勝利へ導くわけではない。
そんな虚弱な彼女が、自分のペースも考えないで走り回ればどうなるか。
答えは火を見るより明らかだ。
目的を果たすよりも先に体の限界が来て、結果、歩いて移動した場合よりもペースを落とすことになる。
現に千夜は今、電柱に片腕を突いて喘鳴にも似た痛々しい呼吸をあげ、その歩みを完全に止めてしまっていた。
「はぁ……はぁ……っ、はぁ……」
足が棒になったといっては大袈裟だが、千夜にしてみればそれだけの疲労感だった。
――人間いざとなれば火事場の馬鹿力が働いて、本来の力を大幅に超えた芸当が可能になる。
使い尽くされた謳い文句は、あながち馬鹿にできたものでもない。
窮鼠が猫を噛むように、千夜の奮闘が奇跡的な大成功を呼ぶ可能性だって全く否定は出来まい。
だが悲しきかな。千夜にとっての「いざ」は、どうやら今ではなかったらしい。
今やどれだけ踏ん張って足を動かしても、走り始めた当初のような好ペースには戻せなくなっていた。
足が痛いし息も苦しい、だがそれ以上に喉が痛い。
走りながら吸い込んだ空気が喉を乾燥させ、切れたような痛みを生んでいるのだ。
本来鼻呼吸を意識して行うだけで抑えることの可能な症状であるが、千夜はそんなことは知らなかったし、だいたい知っていたとしても、それを意識して行えたかは怪しい物があった。
実際に体験してみれば早いが、この痛みは疲労による息切れと同時に押し寄せると苦痛の度合いが更に増す。
未だ整わない呼気を強引に抑え、再び一歩を踏み出した。
自分がどこを彷徨っているのかさえろくに分かっていない有様で進む足取りは、もはや闇雲の域だ。
普段の彼女ならば、きっと地図を確認した上で一体どこなら人が居る可能性が高いか当たりを付けたろう。
生まれ持った落ち着きさえかなぐり捨てて助けを求める姿は、蜘蛛の糸を上る罪人にも似ていた。
それも、仕方のないことなのだ。何故なら宇治松千夜は、決して大人物などではないのだから。
木組みの家が建ち並び、石畳の道が敷かれたのどかな街に暮らしている、喫茶店の看板娘。
大和撫子めいた出で立ちと淑やかさの影に、芸人気質とちょっとばかしのサディズムを持つ。
楽しいことが大好きだからイタズラもするが、皆の面倒を常日頃から見て回るほどの心配性。
仲間外れにされることを嫌う、人よりちょっと打たれ弱いだけの、ただの高校生。
そう、ただの高校生。
本来なら今頃は眠気を堪えながら授業を受けていて然るべき、大人の階段をようやく半ばほどまで上り詰めたばかりの、少し大きくなった子どもでしかない。
銃や剣を振り回して敵と打ち合う機会などきっと一生ないし、人間が誰かの手で殺される瞬間を見ることだってなかったろう、平和な世界の住人。それが、宇治松千夜なのだ。
この『箱庭』に並んだ駒の一つ。
そういう役割を与えられてから早半日弱も経過するが、これまで様々なことがあった。
人の醜さと凄惨さと、たくさんの血を見た十二時間だった。
一生分泣いた気がするし、一生分絶望した気がする。
ようやっと前に進めるかと思った矢先に恩人は戦闘狂に捕まり、自分はこうしてまたひとりきりだ。
足を止めるわけにはいかない。
無理をしてまで走り続けようとする理由は一つ。
今度ばかりは、もう死なせられない。そう思ったからだ。
命を焼き落とす誘蛾灯のように死を引き寄せ続けた彼女だからこそ、誰よりも強く願う。
本部以蔵を助けられる、強く果敢な誰かの存在を。
ただの高校生でしかない自分にはどうにも出来ないから、戦える誰かを求めて、走るしかない。
もしも踵を返して闘技場に戻り、自分にやれること全てを尽くしたとしても、あの戦闘狂には敵わないだろう。
本部の戦いを見守ることが彼の勇気を呼び起こすなどと、そんなファンタジックな話なんて論外だ。
弱くちっぽけな子どもでも出来、本部を支えられる最大限の行動――となれば、後は他力本願以外にない。
誰かを頼る。誰かに頼む。自分の手を汚しても意味がないから、顔も知らない誰かに懸ける。
せめてそれだけは、やり遂げなければならない。
だってそれも出来なかったなら、自分は本当にただの足手まといだ。
それでは何も変われない。
うさぎに囲まれてのほほんと笑っているお姫様のまま、また誰かを死なせてしまう。
勇気はある。前に進む気概も、逃げないで現実を見つめる強さも、今の千夜には備わっている。
なら後足りないものといえば、それは結果だけ。
自分は変わった変われたと思っているだけではダメだから、彼女は走るのだ。
できること全てを尽くして、命の恩人を助けるために。
慣れないスプリンターの真似事なんかして、汗だくになりながら、繭の箱庭を駆けていく。
「ぁ――」
すてん。
そんな間抜けな擬音が聞こえてきそうなくらい見事に、千夜はすっ転んだ。
幸い擦り剥いたりはしていない。
足も疲労はあるが鈍痛はないから、きっと大丈夫。
んっ、と力を入れて立ち上がろうとした。
「え?」
その時、千夜を止めたのは、彼女の後について回っていたうさぎのぬいぐるみだった。
うさぎは物をしゃべらない。
千夜を強引に止めるようなことも、していない。
しかし千夜は、今自分は止められているのだと分かった。
それは果たして、幼い頃からうさぎに囲まれて育ってきた彼女だからこそ、なのだろうか。
セイクリッド・ハートという変わったうさぎは、ある少女のパートナーとして日々を過ごしてきた過去を持つ。
そんな彼、あるいは彼女だから、動作だけで感情を伝えるのは難しくないことだったのだろう。
うさぎに情緒が深い千夜と、人と接し続けたクリスだからこそ、成った意思疎通なのかもしれない。
「止まって、って、言ってるの?」
収まらない息切れに顔を顰めながら、千夜は問う。
クリスはそれに、頷くような動作を返した。
そんなこと、できるわけない。
思わず呟きそうになった千夜は、だがその言葉を喉元近くで飲み込んだ。
気付いたからだ。さっき息を整えた電柱から今の自分がいる地点まで、十メートルも離れていない。
……あれほど必死になっていたのに、これでは歩いて移動するのと大して変わらない距離だ。
冷静さを欠いている千夜は、このことに気付けなかった。
このクリスといううさぎはふよふよとその後を付いて行っているだけのように見えて、誰よりも冷静に千夜のことを見ていたのだ。
千夜はそのことに一瞬目を見開いて――それから苦しそうな息遣いと共に、少しだけ微笑んだ。
「……そうね……」
新調した服が汚れるのも厭わずに、千夜はへたり込むような勢いで地べたに腰を下ろした。
「少しだけ休んで、それからまた進みましょうか」
それから青カードを取り出し、さて何を飲もうかと考え始める。
悠長にしている時間がないのは相変わらずだが、切れかけの体力で歩き回ってもどうにもならない。
本部を助けたい気持ちは変わっていない。それでも、やはり頭を使うのは大事なことだ。
乾燥で痛みを訴える喉を潤してから、また進もう。
時間にして数秒ほど考えた後に、千夜が出した飲み物はアイスコーヒーだった。
できればホットを飲みたかったが、流石にこれからまた歩かねばならない時、熱いものを飲む気にはなれない。
それなら最初からスポーツドリンクなり、場面に適したものを飲めという話でもある。
しかし千夜はどうしても、今はコーヒーが飲みたかった。
コーヒーという飲み物は、大好きだった日々を象徴するものだから。
こくりとそれを嚥下する。
分かっちゃいたけれど、やっぱり運動向けの飲み物ではとてもない。
運動後に適度な糖分を補給するのはよいことだが、それでもコーヒーの効率などたかが知れている。
理屈じゃない。そう、理屈じゃないのだ。
千夜にとってのベストはコーヒーで、その苦味とわずかな甘味のバランスこそが、千夜に大きな勇気をくれる。
「……よし」
冷たく飲みやすいコーヒーは、疲弊を抱いた体の隅々まで染み渡って瞬く間にその残量を消した。
あとは今まで通りだ。
本部以蔵を助けるため、全力を尽くす。
ただし今度は、少しでも頭を使って。
また後ろのうさぎにストップされることがないようにしようと思い、千夜はある場所を目指すことにした。
今から別な島に渡るのは現実的じゃない。
となるとこの島の中で、最も人と出会える可能性が高い場所を目指すべきだ。
では、それはどこか。決まっている。
電車が到着し、移動の起点となり得る駅。
そこを目指して、千夜とセイクリッド・ハートは歩む。
ただの子どもには出来ないことを成し遂げてくれる、誰かの助けを乞うために。
【A-3/一日目・午後に近い日中】
【宇治松千夜@ご注文はうさぎですか?】
[状態]:疲労(大)、精神的疲労(中)、決意
[服装]:軍服(女性用)
[装備]:なし
[道具]:腕輪と白カード、赤カード(9/10)、青カード(7/10)
黒カード:セイクリッド・ハート@魔法少女リリカルなのはVivid、不明支給品0~1枚
黒カード:ベレッタ92及び予備弾倉@現実、盗聴器@現実、不明支給品1~2枚(うち最低1枚は武器)
[思考・行動]
基本方針:人間の心を……。
0:助けを呼ぶ。
1:駅を目指す
[備考]
※現在は黒子の呪いは解けています。
※セイクリッド・ハートは所有者であるヴィヴィオが死んだことで、ヴィヴィオの近くから離れられないという制限が解除されました。千夜が現在の所有者だと主催に認識されているかどうかは、次以降の書き手に任せます。
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最終更新:2016年06月26日 18:47