咲からば、さあ―――『あの■■が無ければ、変わる事も無かっただろうさ』 ◆NiwQmtZOLQ










A story of the girls who must face their destiny crueler than death.
It's a fable of self sacrifice , deep bonds that tie the friends together and the only egoism.
No matter how punishing it gets the girls won't quit fighting.
They believe that the Flower of Hope will bloom one day ; that's what gets them going.






最初の一撃は、互いに様子見だった。
軽く、しかし一切の油断は無くぶつかりあった両者の初撃は、弾き合い、不安定な民家の屋上から大地の上へと場所を移した。

続いて、そこから繋がるように混じり合う第二の激突。
大剣のロングレンジと、それ故に生まれる遠心力を存分に活かし、大振りながらも重く速い連撃が幾重にも放たれた。
それら一つ一つを受け流し、痺れが走る両手を握り締めて防戦に徹する友奈。
油断すれば手痛い一撃として刻まれるだろう攻撃を、捌き、捌き、捌き─────特に大きく弾いた瞬間に、ここだ、とばかりに足を進める。
間合いを詰められたじろいだ風は、しかしだからと言って簡単に友奈に肉薄はさせない。
自分も下がりながら、追い縋ってくる友奈を振り払うように横薙ぎの攻撃。刃ではなく、大剣の面で殴りつける荒技。
勢いの乗った打撃に対しては片手で受け流し切る事が出来ず、もう片方の手が間に合わずに吹っ飛ぶ友奈の身体。
一息ついて安堵したのも束の間、すぐさま立ち上がってきた勇者の姿に剣の柄を握り直す。
立ち上がった友奈も同様に拳を握り直し、互いが全力で振り被る。

─────そうして。
拳と剣が、真っ向から衝突した。
互いに強い意志を持って激突した両者が、初めて正面から向き合った。

「風先輩…………っ!」

結城友奈は、どうして、と
理由があるとすれば、それは明白だ。
誰よりも頼りになる先輩が、人を殺す理由なんて─────ただ一つ、犬吠埼樹の蘇生をおいて他にあるわけがない。
あるわけがないと思いながら、しかしそれでも、友奈には分からない。
それでも、犬吠埼風が殺し合いに乗っているという事実を、簡単には認められない。
だからこそ、彼女はどうしてと問う。
風が人を殺すという、その行為自体に対して。

「友奈……………」

犬吠埼風は、歯噛みする。
決して折れないであろう相手と、未だ迷う自分自身に。
友奈との激突は、いつか起こり得るだろうとは思っていた。思っていた上で、倒さなければいけないという覚悟を決めていた。
だが、いざその瞬間が目の前に来てみればどうだ。邂逅して既に数分は経ったというのに未だ動悸が治まらないのは、全力で走り攻撃しただけが理由ではない筈だ。
だが、それでも。
風はその表情を修羅のそれと変え、真っ向から友奈を見据える。
樹を生き返らせる為に、手段は選ばないと誓った筈じゃないかと己を叱咤して。

友奈の拳が、真っ向からの力比べから打ち下ろしへと変化する。
弾かれ、剣先が下を向き、風は思わず舌打ちを一つ。
剣に足を掛け、詰め寄ろうとする友奈に対し、一か八かと風は大剣を跳ね上げた。
足場がふわりと浮き、友奈の顔に焦りが浮かぶ。
すかさず懐から取り出すのは、鎌鼬の精霊の力を宿す短刀。
三本まで召喚できるうちの一本を取り出し、友奈の眼前へと投擲する。
刹那の間に現れた兇刃の猛進に、しかし友奈も猛然と輝く拳で答える。
すぐ目の前へと迫っていたそれを横殴りにすると、そのまま身体を捻りつつ両腕で逆立ちのままに着地する。
背中から倒れ込み、その勢いで立ち上がりながら拳を振るう。
逆立ちに対し、格好の的だと跳ね上げた大剣をそのまま振り下ろした風が、しまった、と顔を歪めた。
すぐさま友奈の狙いを見定め、目標─────風が持つ大剣の、その柄を隠す為に両腕を退く。
勇者の腕力を以てしても片手で扱うには余りある大剣を持つ手からそこまでの近距離に拳が入れば、まず間違い無く取り落とす。
結果的に剣の側面を叩く事になった友奈の足が、束の間停止する。
チャンス、と見た風の行動は速かった。
叩かれた勢いを利用して、独楽のように一回転しながら大剣で薙ぎ払う。
背後から迫る刃に遅れて気付いた友奈が、しかしそのまま餌食となる筈も無い。
身体を捻りつつ倒れ込み、水平となっている大剣の側面を蹴り飛ばす。
軌道を逸らされた大剣は友奈を捉える事はなく、友奈もまた倒れ込んで隙を見せる事なく立ち上がる。

はあ、と互いに息を吐く。
こうした攻防に、二人は決して慣れている訳ではない。
今なら攻められる、今この状況は不味い、と判断する事は出来ても、こうして一度距離を置けば安心だと思ってしまう程には。
人類史に残る英霊たるサーヴァントや、鉄火場にその命をおく侍に賞金首などといった戦闘の達人から見れば隙だらけだと分かるその瞬間も、勇者としての力を除けばただの女子中学生と変わらない少女達にとっては必要な間隙だった。

「どうしてですか、風先輩」

─────だからこそ、そこで二人の会話が生まれたのも、必要なことだったのかもしれない。
先に口を開いたのは、その表情を悲しげに歪めた友奈。
そして、口にした言葉もまた、今の二人にとっては避けては通れぬ命題。
同時に、二人ともその真実を痛いほど知っている問いだった。

「私がこう言うのは卑怯だけど─────友奈だって、分かってるでしょ?」

友奈が、その一言に悲痛な表情を隠さず俯く。
当然だ。
先も言った通り、風がゲームに乗るとしたらその理由は一つしかない。
死んでしまった彼女の妹、樹を蘇らせるというそれをおいて他にある訳がない。
それをおいて、彼女が人を殺す理由など―――――人を殺せるようになる理由など、ない。

「樹。…私の、誰よりも大切な家族。樹を生き返らせる為なら、私は何だってするわ」

噛みしめるように、言い聞かせるように。
一言一言、ゆっくりと、しかし力強い声音で風は言い放つ。
大剣の重みがよりずっしりと両腕にかかり、その負担に負けぬように両腕に力を込め直した。

「その為なら、友奈─────あんただって、私は殺してみせる」

唯一開いた右目で、しっかりと見据えて。
自らの明確な「殺意」を、友奈へと見せつける。
折れることはない、止まることはない、という思いを乗せた視線を、友奈へと叩きつける。
その目に、友奈は僅かに揺らぎ―――――しかし、すぐに見つめ返してくる。
そうはさせない、絶対に止めてみせる、という意思を、同じように乗せて。

「夏凜ちゃんだって、……東郷さんだっています。
二人だって、きっと止める筈です」

そこで。
東郷の名前を出した時、友奈の表情が僅かに曇った。
その明らかな挙動不審に疑問を覚え、すぐにそうか、と原因に心当たりがあることに気付く。
友奈も、確かにあのチャットを見ていたかもしれない。
彼女にとっては、受け入れがたいはずの真実。
それならば。



「東郷も、殺し合いに乗っているわ」

いっそ、その真実を突き付けてやるのもいいだろう。
友奈の口が、半開きの状態で止まる。
彼女の絶句する姿は、そういえば初めて見たな、とふと思う。

「だから、そのチャットの言葉は真実かもしれない。出来れば東郷ともう一度話を─────」
「違う!」

そこで、友奈が否定の叫びを上げた。

「東郷さんが、そんなことするはず─────っ!」
「友奈。あんたは本当の話を直接聞いたんだし、東郷のあれも見たでしょ?」

その言葉に、友奈は更に一歩退いた。
乃木園子。
戦い続け、満開し、散華して、見るも無惨な姿でベッドに横たわっていた少女。
勇者として戦い、そのせいで大切なものを失う、そんな人身御供を捧げて、それで漸く平和を保っている世界。
そんな世界に生きている価値など無く、数十人の犠牲と引き換えに、「私達が傷付かない」世界を願ったとしたら。
そんな現実を、友奈は唐突に突き付けられた。

「………それなら、もう一回東郷さんに直接聞けばいい!
それで、もう止めるように説得します!」

だが、だからといって友奈が折れるのかと言えば、そんな筈は無い。
少なくとも風には、友奈が折れる様など思い浮かばない。
それでこそ結城友奈だという思いも、確かに存在していた。
そして、そんな姿を見て、一つ得心がいったかのように頷く。

「………そうね。友奈の言葉なら、或いは東郷は止めるかもしれない」

そうだ、その通りだ。
友奈と東郷は、本当に仲が良い二人だった。
入学して、最初に勇者部に勧誘しようとした時も、二人は楽しげに話していた。
あんまり仲が良いものだから、天然で誰にでも優しい友奈はともかく、東郷は所謂「そっち」なのかもしれない、なんて疑った事もある程だ。
それだけ仲が良い二人が腹を割って話し合ったなら、或いは平和的に解決の目を見るかもしれない。

けれど。

「だけど、友奈」

犬吠埼風にとってのその誰かは、結城友奈ではない。
犬吠埼風にとってのその誰かは、何処にあるとも知れない頭部以外は、あの林の中で静かに眠っている。
犬吠埼風にとってのその誰かは、もう風を止める言葉も、それどころか彼女がやっと見つけた夢をつなげる為の歌さえ紡げない。

「あんたの言葉じゃあ、東郷は止められても─────私は止まらない」

自棄と自己嫌悪の為だけに動いていたのなら、私はきっとそうではなかった。
友奈の言葉に武器を降ろすことも、有り得たかもしれない。
けれど、既にそうではない。
風は、冷静に、風自身の確固たる意志で殺人を犯す。
あの子以外の誰に何と言われようと、それは絶対に揺らぎはしない。

「私を止めたいのなら─────樹を、ここに連れてきてみなさい!!」

叫ぶと同時に、また地を蹴る。
風が言い放った最後の言葉に、今にも泣きそうな悲痛な顔を見せた友奈は、振り上げられた大剣を見て何とかそれを回避する。
そのまま一際強く跳び、近くにある民家の屋根の上へと退避するが、風もまたそれに追い縋る。
短刀三本が続けざまに放たれ、どうにか弾き飛ばした友奈へと大剣を構え直した風が再び薙ぎ払うようにそれを振るった。
弾いた影響に加え、咄嗟に登った屋根の上という不安定な足場が災いし、態勢を崩しつつも何とか大剣を殴り返した友奈。
何とかなった、とほっとした表情が、次の刹那には異常に張り詰める。
尻餅をつきかけた彼女に対し構えられるのは、しなやかな曲線美を見せる第三の刃。
妖刀・村麻紗の一閃は、大剣以上の鋭さを持ちながら、しかしそれより遥かに軽く、疾い。
辛うじて出てきた牛鬼が精霊の護りでそれを受け、その隙に何とか立ち上がる。
その時には既に、日本刀を黒カードに戻した風が、真横に突き刺していた大剣で屋根ごと友奈を切り裂かんと迫っていた。
咄嗟に先程と同じように防御しようとした友奈は、実際に攻撃が襲い掛かった瞬間に変化に気付く。
クロスさせた彼女の両手をすり抜けて飛んでくるのは、コンクリートで作られた屋根瓦。
大剣は屋根に刺さっていた訳では無く、屋根瓦の隙間に突き立てておいただけ。
屋根ごと斬り払おうとした風の攻撃は、結果としてその周辺の瓦を友奈への飛び道具として機能させた。
風にとってもこのような攻撃になるのは想定外だったが、ここを攻めどきと判断するまでにそう時間はかからない。
追撃として放つのは、やはり牽制の短剣。
鎌鼬の精霊の力によって生み出したこれは、一度に三本までという元々の制限はあるが、実際の威力や連射性能が低いぶん追加の制限は用意されていなかった。
実際に使用したのは一度きりで、開戦と同時に咄嗟に使って漸くその存在を思い出したのだが、使い勝手の良い飛び道具として非常に重宝する。
あの罪歌とかいう妖刀を投げた意味が無かったな、と余計な事に僅かに思考を裂きながらも、友奈へと三本を一気に投擲した。

しかし、その僅かなノイズと小さな不運が、反対に風を追い詰めた。

屋根瓦、大剣、短刀と次々と襲い来る攻撃に、友奈は必死に食らいつく。
対応しきれず、ルールによって制限された精霊の護りを潜り抜けた短刀が、一本友奈の肩口へと吸い込まれた。
走る激痛に顔を顰めた友奈が、それでも残る二本を無力化しようと半ば無理矢理拳を振り回す。
思考のブレから狙いに若干のズレが生じた最後の短刀が、我武者羅に放たれた友奈の拳に跳ね返り─────回転しながら過ぎるのは、大剣によって重い一撃を放とうと迫っていた、風の進行方向上。
突然の出来事に驚愕し、顔面に当たりそうだというのを直感で感じる。
瞬時に顔を逸らし、間一髪で命中を免れた刃は、しかしその顔を掠めて赤い一文字を刻んだ。

「─────っ、くっ………!」

セイバーに切られる事なく残っていたもう一方のお下げ髪がはらりと落ちる。
顔面へのダメージに怯み、僅かに数歩後退しつつ友奈を捕捉し直そうとする。、
─────失策だった事に気付いたのは、浮遊感を感じた時だった。
な、と思った時にはもう遅い。
足を踏み外したという事実は、落ちながら認識することとなった。

─────不味…………っ!

思考を巡らせるには些か時間が足りず、屋根から滑り落ちる。
精霊の護りと記憶のどこかから引っ張り出した即席の受け身によって辛うじて墜落による衝撃を和らげるが、尚も焦りは引かない。
素人目であっても明確にそうと分かる、大きな隙。
下手をすればそのまま敗北にも直結しかねない程に致命的な数秒で、せめてどうにか傷を少なくしようと図る。

追撃は、来ない。
どころか、聞こえてきたのは飛び降りながら「大丈夫ですか!?」と叫ぶ声。

心配するように近寄ってくる友奈
その姿を見て、咄嗟に地を蹴り、ほんの僅かばかりだが距離を取る。
距離を、取ってしまった。
そう自覚した瞬間、嫌になった。
不意を突かれて、その隙を突かれてはいけないと、他でもない結城友奈に対してそう思ってしまったことが。

「…友奈」

けれど。
今、風が隙を晒したというのは事実。
その間に、無理やり取り押さえるでもなんでも、力で押さえつけることはできた筈。
それは、本当に確かな事実だった。
けれど、彼女は第一に風の身を案じ、一切の曇りのない心配を向けた。
それが、今の今まで殺し合っていた相手にも関わらず。

「どうして、今私を取り押さえたり、攻撃したりしなかったの?
今なら、それが出来た筈なのに」

或いは、それを聞いたのは。
改めて、結城友奈というその人物、その精神に触れ直したかった。
勇者、結城友奈を、もう一度しっかりと見ておきたかったのかもしれない。
自らが倒さねばならない勇者を、見極めたかったのかもしれない。

「そんな事、考えてる暇もありませんでした」

その一言で、ああ、と納得できた。
当たり前だ。
最初から、風にだって分かっていたはずだったんだ。
友奈が拳を振るわなかった、その訳を。

「─────風先輩を止められるとしても、そんなことは出来ませんよ」

彼女は、結城友奈は。
最初から、犬吠埼風に攻撃をするつもりなど無い。
思い返せば、彼女が狙っていたのは武器を持つ両手や武器そのもの、或いは動きを止める為の牽制だけだった。
自分が幾ら傷付こうと、相手を傷付ける事はなく。
あくまで、風がその刃を収めるまで、防御と説得に全力を費やすつもりなのだ。

「………友奈らしいわね」

呟く。
この言葉を以前言ったのは、そう、夏の旅行の時だったか。
味覚が無くなっていたにも関わらず、積極的に夕飯を盛り上げようとしていた姿が目に浮かんだ。
仲間を気遣い、傷付けず、その為ならば自分がどうなろうと構わない。
例えそこが針の筵だろうと、友の為なら笑って居座る事ができる少女。

「当たり前ですよ」

変わらない。
友奈は、決して変わる事なく、変わってしまった先輩を止める為に全力を尽くそうとしている。
普通なら、人を殺した人間を先輩と認め、公正に接するなんてことは出来ない。忌避感、そうでなくとも多少の躊躇いを持つ。
けれど、彼女は決してそうしない。
そうであっても、友奈は自らの知る風をどこまでも信じ続けている。
何故なら。

「だって私は、勇者だから」

そう。
彼女は、勇者だ。
臆することなく、立ち止まることなく。
何時だって己の信ずるままに、誰かの為に力を使う。使うことが、出来る、
それこそが勇者のあるべき姿であり、結城友奈の在り方である。

そして、その姿を見て、風もまた得心する。

─────ああ、そうか。
─────私は、変わっちゃったんだな。


そうだ。
多分、本当なら私はこうはならなかったのだろう。
激情のままに大赦を潰そうとしていた私は、間に合っていたなら、人殺しになどなってはいなかったのだろう。
友奈に、負けないで下さい、と励まされ。
東郷に、大丈夫ですよ、と目が届かないところで支えられ。
夏凜に、馬鹿じゃないの、なんて言われて怒られて。
そして、誰よりも。
樹が、どんな声よりも私に響く言葉で、私を止めてくれていたのだろう。
だって、自分の妹なのだから。
それくらい信用しても、バチは当たらないでしょ、樹。

「友奈」






─────そして。
それはもう、起こり得ない未来だ。

誰よりも犬吠埼風の事を想い、慕ってくれていたあの子は、もう私の背中に抱きついてくる事もない。
私の耳に、彼女の声が、詩が届く事は永遠に無いのだ。

「それでも、私は曲げないわ」

そう、永遠に、だ。
例え犬吠埼樹をこの手で生き返らせたとしても、私は二度と彼女の詩を聴けはしない。
私が殺した人々の怨嗟の声を、私はきっと聴き続ける。
そんな穢れた耳で、彼女の綺麗な歌声を聴くなんて、赦されていいわけがない。

「樹を生き返らせる為なら、このくらい」

それでも、私は樹を生き返らせる。
そこまでして、何故だと言われる事もあるだろう。
たったそれだけ、犬吠埼樹という一個人がただ生を受ける為だけに、六十八人もの命を捧げるのかと。
お前自身には何の益も無いはずなのに、そこまでの暴虐を何故行えるのかと。
そして、そんな事が出来てしまう理由は、きっと。

「だって私は、魔王だもの」

そうだ。
今の私は、魔王だ。
たった一人の為に他の全てを踏み躙る、どこまでも身勝手な存在だ。
他の誰に否定されても─────例えそれが、生き返らせた一人に突きつけられた否定であったとしても。
いや、生き返らせた彼女には、確実に否定されるだろう。
こんな事をした自分を、姉だとは絶対に言わないだろう。

それでも、彼女はこの道を選ぶ。
それで樹がいずれ幸せになってくれるなら、私は彼女から忘れられても構いはしない。

お姉ちゃん、と私を呼んでくれたあの子はもういない。
怖かった、と私に抱きついてくるあの子はもういない。
いつか教えるね、と私に微笑んだあの子は、もういないんだ。

それでいい。

犬吠埼風の知る犬吠埼樹は、もう死んだ。
それで、いいんだ。

だって、犬吠埼風の知る犬吠埼樹の傍らには、犬吠埼風がいたんだから。
いつも、彼女を守る為に奮闘していた、お姉ちゃんがいたんだから。
それがいない犬吠埼樹は、きっと私が知る犬吠埼樹じゃない。

だけど、決して他人じゃあない。
樹にとっての私が他人でも、私にとっての『樹』が掛け替えのない人間であってくれれば、それでいい。
どこまでもエゴイズムに溢れるこの願いを、私もひたすらに貫こう。

「だから、友奈」

だから。
犬吠埼風は、止まれない。
犬吠埼風の想いを乗せた『魔王』は、再びここに顕現する。

「私を─────『我を止めたくば、その力を以て我を倒せ』」

ちょうど、御誂え向きだ。
魔王が魔王足りうる為には、やはり勇者との相対こそが似合う。
古今東西、大体三百年前くらいには既に、勇者は魔王と戦うものと相場が決まっていた。

「『そうで無ければ』」

そこで、ふと風は微笑む。
今自分が言い放とうとしている台詞を捻り出した、記憶の出処。
四人でやった何時かの劇を、思い出して。



あの時みたいに、笑いながら。
あの時とは違い、頼んでも流されはしない歌に涙を流しながら。








「『ここが、貴様の墓場だ』」







『魔王・ゴールデンウィンド』は、そう言った。






二輪の華が、咲き誇る。


薄桃に彩られるのは、ヤマザクラ。


黄金に飾られるのは、オキザリス。



二色が混じり合い、艶やかな花吹雪が途切れることなく舞い散らされる。



振り上げられるのは桜色の巨腕。
進む拳は、全てを突き壊す結城友奈の勇気の象徴。
友奈の満開武装は、折れぬ彼女を体現するかのように真っ直ぐな「拳」。
根性と勇気でその手に希望を勝ち取る、勇者の証明。
黄金の花を見据えて歯を食いしばり、キッと睨みつけて右腕を引き。
─────次の瞬間、引き絞ったその拳を、弾丸のように一直線に撃ち放つ。
大砲にも匹敵するだろう剛の槍が、刺し貫かんと突き進み。

その拳が、止まる。

犬吠埼風の満開。
五つの星座が組み合わされ、最強を誇る獅子の名を冠したバーテックスであるレオ・スタークラスターの巨体さえ、一度のそれで倒れる事を余儀なくされる体当たり。
天空にまで届いたその御霊を両の拳で殴り壊した友奈の満開ですら、押し勝つ事が叶わぬ堅牢さ。
或いは、勇者部の仲間を守るというその為に発現し、そして実際に勇者部を守りきった彼女の満開は、防護に適しているとも考えられ。
そして今、その力は勇者部の仲間を屠る為に。
彼女が最も守るべきで、そして守ることが出来なかった一人の少女の為に振るわれていた。

次いで生み出されるのは、鈍い灰色に金色の線があしらわれた大剣。
満開により強化されたその大剣は、風の意志に応じて際限無くその刃を伸ばし、大きくする。
そして、今彼女が出したその剣のサイズは、最早剣と呼ぶ事を躊躇われる程に巨大。
相対する友奈が武装である豪腕を広げたとしても届くかどうか、といった半ば冗談染みたサイズ。
単純に考えれば、こんなものを振るえる人間がいる筈も無い。
ましてやまだ十五の少女が握るなど、普通の人間なら想像する様すら思い浮かばない。
だが、風は。
勇者の力を用いて、魔王として戦わんとする、少女は。

「『はぁぁぁぁぁっっっっ!!』」

その巨大さからくる重量や空気圧すら苦にもせずに、まるで重めのバール程度のものを振り回すように薙ぎ払った。
その速度もさることながら、その大きさからくる質量が齎す力量は計り知れない。
バーテックスを容易に斬り払う鋭利な刃に乗せられたのは、彼女が固く誓った願いの重さ。
豪腕を交差させ正面から受け止めた友奈が、武装ごと後方へと吹き飛ばされる。
地面に打ちつけられた彼女はそのまま転がり、ガリガリと地面を削りながら転がっていく。

「まだ、まだぁっっ!」

当然だ。
どれ程の逆境に置かれようと、彼女はなるべく諦めない。
何故ならそれが、彼女達を結び付ける一つ。
勇者部五箇条、その一つなのだから。

拳と大剣が、今度は正面からぶつかり合う。
舞い散る花弁がその凄まじい衝撃に煽られ、周囲にある建物の硝子がビリビリと震える。
拮抗する二者の衝突は、しかし数秒の拮抗を経て段々と風の優勢へ傾いていく。
鋼の拳に一筋の傷が刻まれ、友奈は一旦その拳を退く。
無論、それを逃す程『魔王』は甘くない。
横薙ぎに面を叩きつけるという追撃が後退する友奈に命中し、ふらついた彼女へと尚風は休むことなく畳み掛けるように攻め込もうとする。
薄桃色の花弁が幾度も飛び散り、反対に黄金の花吹雪は荒れ狂うようにその勢いを増していく。

明らかに、勇者が劣勢を強いられていた。
魔王の攻撃を凌ぎ、耐えるのが限界となっていた。
その理由は、未だ友奈が振り切れていないから。
今の風を止めるには、最早その全力を出し切らなければならないと分かってはいる。
けれど、できない。
明確に、風へと拳を向けるのは。
全力で彼女を倒すというのは、心優しき彼女にとっては、どうしても葛藤が邪魔をする。
魔王と断じ、今の犬吠埼風を倒すのには―――――彼女には、受け入れる時間が少なすぎた。

「『ふははははははは!その程度か!』」

巨大な刃が、友奈を両断せんと迫る。
すぐさま身体を逸らそうとするが、余りにも気付くのが遅すぎた。
左のアームの付け根を捉え、衝撃とダメージで痺れが友奈自身にも伝わってくる。
揺らぐ態勢と止まりかける思考を根性で繋ぎ、再び拳を握り直して、

「『―――――どうした、遅いぞ!』」

眼前へと、風が迫っていた。
新たな武器を取り出すこともせず、しかしそうでなくとも彼女には有用な武器がある。
友奈に身構える暇も与えず、風はただ一直線に突進する。
渾身の体当たり─────愚直で単純な一撃なれど、満開した風が放つその威力は、先にも語った通り。
ダンプカーもかくや、と言わんばかりの衝撃が、友奈の身体を包み込む。
精霊によって直撃こそ免れたものの、宙に留まることも出来ずに再び地面に落とされる。
地面への直撃を防ぐ為に伸ばした左腕は辛うじてその役目を果たしたが、その代償として凄まじいダメージを被る。
再び飛び上がろうとしたところに、風がその大剣を振り上げながら迫る。
突き出した右腕で何とかそれを逸らし、向き直って左腕を振り被ったところで、友奈は自らに起こった異変に気付く。
左腕の動きが、重くぎくしゃくしたものになっている。
原因は深く考えずとも分かった。先の大剣のクリーンヒットと、着地の衝撃をもろに受け切ったせいだ。
だが、分かったところでどうしようもない。遅れた左腕を悠々と躱し、右の拳を構え直させるかとばかりに風の追撃が迫る。
先の一撃に攻撃方法を見直したのか、その手には先程とは違い大剣は無く、飛び回りながら突進を仕掛けてくるスタイルへと大きく変化している。
殺傷能力は落ちるが、回避も防御もされにくく重い一撃を放てるこのスタイルは、片腕が実質的に使い物にならなくなった今の友奈には厄介なことこの上ない。
どうにかひらりひらりと攻撃から逃げ回るが、攻勢に回る隙が存在せずに歯噛みする。
どこに当たろうと知ったことではないとばかりに遠慮無く拳を振るえたならばまだ分からなかったかもしれないが、未だ先輩を傷付ける事に躊躇いが残る友奈にはそれすら出来ない。
その間にも風は止まる事はない。
宙返り、錐揉みなどといった彼女でも知っているような飛行行動を実践に移すことで、友奈へとダメージを蓄積させていく。
黄金のひとひらを振りまきながら飛ぶ姿は、魔王と言うよりは妖精に見えるかもしれない。
疲弊する友奈に対し、風は未だその力を存分に振るい―――――だからこそ、その瞬間は案外早くやってきた。

「―――――あっ」

間の抜けた声が、思わず口を突いて出る。
防御に回した左腕を身を潜らせて突破され、後退を図ったその瞬間にやっと、自らの背後にあるマンションの外壁に気付く。
違う方向は、と反射的に視線を巡らせて、回避ではなく防御に回るしかないと思い直す。
その思考のタイムラグが、命取りとなった。
正面からもろに突進を受け、満開武装そのものごとコンクリートへと沈む。
抜け出そうとするも瞬時には抜けず、そして─────目の前にあったのは、その手に大剣を握り直した風の姿だった。


或いは、これがよくできたお芝居ならば。
勇者を追い詰めた魔王は、勇者を応援する人々の声援によってその力を弱め。
勇者は支えられていることに気付き、その力を振り絞って魔王と和解する。
そんな筋書が罷り通って、それで許されていたことだろう。


だが、これは芝居ではない。
呪いを募らせる魔王と、そんな魔王を救う勇者二人の、確固たる意志がぶつかりあう現実。
そこには、声援は決して響かない。
勇気を分け与えてくれる子供達からも。
勇気を共にする仲間からも。


独り戦う勇者の下へ、声援を送る事が出来る人はいない。


たった一人でも、勇者が諦めはしない。
けれど。
幾ら勇者が孤独に抗おうと、魔王は決して倒れない。
何故なら、魔王は初めから孤独に戦っているから。
あった筈の希望も友も何もかもを捨て、たった一つの、身勝手な自分の願いの為に戦っているから。
魔王を弱らせる、思いとどまらせるような声援は、決して届かない。






「友奈」






―――――そんな、中で。
風を切る音しか聞こえない筈の、空の中で。






「ごめんね」




─────それでも、『魔王』は勇者を殺せなかった。

勇者を殺すのは、『魔王』ではいけないのだ。

勇者を、殺すのに。
仲間を、殺すのに。

犬吠埼風は、犬吠埼風でなければいけなかった。
『魔王ゴールデンウィンド』のまま、蹂躙するままに結城友奈を殺すことだけは、彼女にはできなかった。
それは、どうしようもないとしか言いようのない彼女の感情。



犬吠埼風は、結城友奈を殺すことが出来るか?─────是。
犬吠埼樹の為なら、彼女は誰でも殺してみせるだろうと、それだけの覚悟は持っている。

けれど。
犬吠埼風は、結城友奈を殺したいのか?─────否。
犬吠埼風は、昨日まで共に笑い合っていた仲間を、何の感情も無く、役柄のままに殺せるような少女ではない。

『ゴールデンウィンド』などという、巫山戯ているようにすら見えるその仮面を被ったままに知己を殺せるほど、彼女は強い人間ではない。
殺すとしたらそれは、それでも犬吠埼樹を生き返らせたいという彼女の根本の想いを以てして、ようやく乗り越えることが出来る壁。
巻き込んでしまったという責任や、仲が良かった思い出全てを切り捨てて、そこまでして初めて風が到達出来る場所。



──────まだだ。

「風先輩……………………」

まだだ。
まだ倒れない。
勇者は絶対に諦めない。

まだ、まだ。
だって、見ているだけとはいかないじゃないか。

目の前で、今も傷付いて、泣いている存在を―――――仲間を見捨てるなんて。

声援なら、すぐそこで聞こえた。
何で気付かなかった。
目の前の一人の、自分の先輩が、すぐそこで泣いているじゃあないか。

それなのに。
勇者がそれを前にして、ただ諦めるのか?

「そうだ」

断じて、否。
折れず、屈せず、立ち向かう─────それが出来るからこそ、彼女は勇者なのだから。

「こんなところで諦めるなんて、勇者じゃない」

どんなに辛かろうと、苦しかろうと、彼女は決して挫けない。
誰かがそんな思いをするくらいならば─────自分が、頑張る。降りかかる全てから、守ってみせる。

「先輩を─────仲間を見捨てて倒れるなんて」

だから。
だから、今、その心を痛ませ、その目に涙を浮かべた目の前の風を救う事が、勇者たる彼女のすべきこと。
そんな事も出来ぬならば、そんなのは─────






「そんなのは、勇者じゃないっっっっ!!!!!」



勇者へと襲い掛かる、鈍色の剣。
しかと目を見開きそれを見つめ、同時に埋まっている鋼の両腕へと命令を叩き込む。
ボロボロの左腕が、辛うじて反応し。
未だに健在である右腕と共に、襲い来る剣へと向かう。
ただ弾くだけでは状況は変わらず、しかし間に合わなければ死あるのみだ。
─────轟音。

真剣白刃取り。
土壇場における逆境と勇者に届いた声援が、そんな非現実的な離れ業を友奈にやってのけさせた。

無理矢理動かした左腕が、それを最後にだらんと垂れ下がる。
既に動かないそちらを使う選択肢を棄て、右腕が動いた。
止まったままの剣を思い切り殴りつけ、その反動で密着していたコンクリートが破壊される。
マンションの外壁から離脱すると同時に旋回し、再び天へと飛び上がる。

「風先輩………………!!!!!」

思いの限り叫びながら、友奈はその右腕を振り上げる。
本当なら、まだ平和的な解決が出来たんじゃないかとそんな気がした。
けれど、少なくとも今風の心を開くには、これしかない。
実力で勝利しなければ、今の『魔王』には届かない。
但し、その為に握る拳はただの拳ではない。
勇気を、思いを、とことん込めた一撃だ。
この思いを伝える為に、私はこの拳を届けよう。
だから、そのまま彼女は─────一直線に、オキザリスへと拳を叩きこまんと突撃した。





躊躇った。
躊躇って、しまった。
他でもない犬吠埼風自身が、それを何より自覚していた。
何気無い日常が、勇者部の活動が、共に戦った日々が、最後の最後で邪魔をした。
多分それは、彼女を殺そうとする度に現れる。

時間が、必要だ。
友奈を殺す為に、それを遮ろうと泣き叫ぶ犬吠埼風を乗り越える、その時間が。
たった数秒間だけ、それさえあれば、私はきっと殺せる。
それだけの覚悟は、とうに済ませている。
けれど、『魔王』には、その数秒を稼ぐ事は出来ない。
その数秒さえあれば、勇者は決して諦めないその根性を以てして、絶対に状況をひっくり返す。
それを阻止する事は、『魔王ゴールデンウィンド』には不可能だ。


─────だから。

「『いいだろう、勇者よ!今ここに、我の隠された力を見せてやる!』」

だから、犬吠埼風は禁忌を犯す。
邪智暴虐の魔王であるからこその、冒涜を犯す。
そう、冒涜だ。
今からやる事は、何よりも恥ずべき、死者への冒涜に他ならない。
けれど、それを出来る、出来てしまうのが、今の魔王で。
同時に、それをする責任があるのは、犬吠埼風しかいなかった。

─────彼女に勇者という責任を押し付けてしまった、風にしか。
犬吠埼樹の勇者の力を使う資格は、ありはしない。

黄金の装束が、脱ぎ捨てられる。
代償─────散華として、世界の音が遠くなっていく。
同時に疲労で吹き飛んでしまいそうな意識を繋ぎ止めようと、必死で歯を食いしばる。



左手に取り出したスマートフォンに描かれた種のボタンを─────押した。





そうして。

第三の花、白亜のナルコユリが開花する。

嘗て彼女の妹が着ていた、その装束に身を包んだ魔王の姿は。

その髪が乱雑ながらも短く切り揃えられた事で、奇しくもその妹のものと酷似していた。



魔王が右手を翳すと共に、四本のワイヤーが宙を駆け巡る。
一瞬犬吠埼樹と見間違えかけ、次の一瞬にそのカラクリに気付いて、しかしさらにその次の一瞬には止まる事なくその拳を掲げ突き進む。
如何に纏う力が変わろうと、その実は犬吠埼風だ。
樹がそれで蘇ったわけでもないし、それで風が救われるわけでもない─────いや寧ろ、それを使っている彼女の心中は想像も出来ない。
そして、そんな彼女に対して自分が出来る事は一つ、彼女を止めてあげる事だけだ。
その為ならば、迷っている暇はない。
その巨腕へと、ワイヤーが絡み付かんと四方から迫る。
だが、先の風を真似るような動きによって、友奈はその拘束を回避した。
僅かに数箇所を掠めるだけに終わり、風の表情が揺らぐ。
追尾能力を持ち、通常時なら避け切る事さえ出来ない火球を、長時間に渡って躱し続ける事が出来る程に、満開時の機動力は上昇する。
そんな状態である友奈を捉えるには、僅か四本のワイヤーでは少なすぎた。
だが、そのワイヤーの本数を能動的に増やすというのも出来ない。

「─────えっ!?」


─────同じく、満開をしなければ。

一瞬にして、目の前に真白の花が咲き誇る。
見間違える筈もない、犬吠埼樹の満開―――――ナルコユリの花。
短時間での満開に、友奈は驚きを隠せない。

そもそも満開ゲージが溜まる条件とは、勇気溢れる心を以て行動することである。
逆に言うならば、満ち溢れんばかりの勇気を持っての行動ならば、一撃のみで再び満開する条件を満たす事すら出来る。
本来あるべき世界においても、真紅の勇者が四連の満開を以て五体ものバーテックスを撃破する筈だった。

では、今の犬吠埼風の心には、勇気は溢れていると言えるのか。
人を殺し、血に塗れたその心には、勇気と称する事が出来る感情は存在するのか。
─────確かに、友奈と同じような高潔な感情を、『魔王』は持ち合わせてはいない。
彼女が貫く、どこまでも正しくて気高い、『黄金の精神』と呼ばれるその魂、それを、今の彼女は失くしてしまった。
その為、今となっては既に、友奈と同一の勇気を持つことはできない。

けれど。
自らの進む道を悪と知り、その上でそれを踏み越えていく『覚悟』。
それを勇気と断ずることは、果たして勇気と呼べないものであるだろうか。
答えは、否。そこにある志もまた、邪悪ながらも決して折れぬ心。
そこから生まれるものもまた、紛れもない勇気の筈だ。

『漆黒の意志』。
ある世界では、そう呼ばれる精神。
『黄金の精神』とは対極にして、それに負けず劣らず燦然と輝く気高き精神。
そこから生まれる勇気は、決して『黄金の精神』から生まれるそれに劣らぬ事は無い。
勇者の証たる満開をするのに、決して不十分なものでは─────無い。

「くっ………」

ワイヤーの頑強さについては、友奈も十分知っている。
大気圏外から落下してきた自分と東郷を安全に着地させる立役者となっていたのは、衝撃を減衰させる為に糸を張り巡らせていた樹のおかげだった。
つまりは、それだけこの糸の強度は高い。
一度絡め取られたならば、力尽くで捻り切る事は同じ満開を以てしても簡単ではないだろう。
迫る翠のラインを必死に掻い潜ろうとし、それでも最速のバーテックスを捉えた糸の反応速度を振り切る事は不可能。
唯一の希望は、樹と比較すれば使い慣れていないと分かる風の操作。
瞬時に両腕が囚われるという事だけは免れ、何本かに絡み取られつつも無理矢理押し通る。
あと少し─────そう思ったのと、彼女をがくん、と後ろに引かれる感覚が襲ったのはほぼ同時だった。
振り上げた右腕も垂れ下がった左腕も、既に何本ものワイヤーに掴まっていた。
尚も進もうとするが、掴まってしまった巨腕は僅か数十センチも進む事が出来ない。
例え友奈の満開であっても、無理矢理引き千切ることが叶わぬ糸。
それが、同じく満開して咲き誇った樹の力。
今、『魔王』が振るう、その力だ。

「まだ、まだぁ!」

満開武装との合体を解くと同時に、武装そのものを蹴って風へと突撃する。
想像もしていなかった突然の行動に、風が目を見開いた。
友奈の満開は、東郷のものと同じく本人の意思とは無関係に巨大な武装が出現するタイプ。
だからこそ、糸を操るのが初めてである風でも狙いやすい格好の的とばかりにアーム部分だけを狙っていたのだが─────まさか、それが裏目に出るとは思わない。
急いで余った糸を引き戻し、単身突撃する友奈へと展開する。
何重にも張り巡らされたそれを、掴み、足掛かりにし、何本かに捕まっても尚勇者は突き進む。
引っかかった髪が数本まとめて引き抜かれ、糸に打ち据えられた部分は服が千切れ、身体は切り裂かれたかのような痛みを訴える。
しかし、今更。
そんなもので、勇者が折れるはずもない。

『魔王』とて、それにやすやすと屈する訳がない。
全力で、力の限り、勇者を止める為に糸を伸ばす。
短髪となったせいでより面影が似た、誰よりも大切な妹の力であるその糸を。

交錯する二人の距離は、詰まり─────僅か、数十センチ。

それが、勇者の拳と、『魔王』の顔面の距離だった。
あと一秒でも遅ければ、風のその顔には拳が届いていた筈だ。
止まったその直後に数歩下がって距離を取り、更にもう一つの精霊である雲外鏡の力で精霊の護りに似た防壁を作り出す。

「…………友奈」

こうして改めて顔を見ると、やはり余計な事ばかりが去来する。
勇者部の活動としてのごみ拾いや、一緒に祝った夏凜の誕生日のこと。
とある旅館で演劇を披露した時には、演劇に感動したお爺さん達からもらった郷土料理を二人で食べたり、すぐにでも海に遊びにいこうとした友奈を止めたり。
彼女の凄まじい技術のマッサージに、魂まで解されるかと思った、そんな事もあった。

どれも、これも。
大切な、思い出だった。

そして、私は─────それを、壊すのだ。
その事実が、重く重く、その両手に圧し掛かる。
手が震える。
友奈へと向き直り、伸ばした一本の糸の先が、まるで誰かが首を振るかのように揺れ動く。
哀しげな顔の友奈を、もう一度だけ見て。
愛おしい彼女の笑顔を、比較するように思い浮かべて。

―――――ああ。
―――――でも、それでも。

(私は、壊せるんだ)

糸が、ピン、と伸びた。
友奈の心臓へと、迷いなく真っ直ぐに。




絶体絶命とはこのことか。
両の手足を封じられ、命を奪う死の線が迫る。
身動き一つとれない中で、明確な終わりだけがそこにある。

だが、勿論彼女がそれしきで諦めている筈もない。
勇者部五箇条、なるべく諦めない。
それを頭の中で何度も叫び、必死に希望を追い求める。
何処だ。
突破口は、何処にある。
辺りを見渡すも、今ここに居るのは二人だけ。
他に誰がいることもなく、周囲に目立つものもない。
今ここにいるのは、二人と、それと―――――

―――――いた。
人ではないけれど、確かにそこには彼等がいた。
神樹が遣わし給うた、精霊が。
ある勇者の死をきっかけにつくられた、勇者を死の運命から護る為に生まれた彼等が。
勇者になってからずっと慣れ親しんでいる牛鬼は、しかし今はダメだ。拳を封じられている今、両手に宿るその力は発揮できない。
ならば―――――

「火車─────っっ!!!」

─────或る兎に曰く、殺す拳と殺さぬ拳ならば─────その二つよりも、殺す蹴りの一撃が勝る。
ならば、殺さぬ拳と殺さぬ蹴りならばどちらが勝つか、その正解が「殺さぬ蹴り」であることは疑い難い。

まして、彼女がその脚に宿すのは、火焔を灯す精霊たる火車。
糸が火に弱いのは道理であり、たとえ神樹の力からなる木霊の糸だろうと、同じ神樹の力からなる火車の炎にならば燃やされる可能性は十二分にあり。

更に言うならば、そもそも『火車』とは、墓場や葬式から死者を奪い去る伝承を遺す妖怪。
弔いの為に戦う魔王から、死した犬吠埼樹の力を奪い取るという構図には、奇しくも悉く一致する。

右脚を炎に包ませ、糸を焼き切りながら振り上げる。
剣のように友奈の右足が聳り立ち、
そのまま、その足を─────風を護る、精霊の作り出す壁へと、叩き込む!!

「勇者ぁぁぁぁぁぁ、キィィィィッッッックッッッ!!」

豪炎を纏った一撃が、雲外鏡の作り出す壁を貫く。
尚も突き進む槍のような蹴りが、木霊の護りすら焼き尽くす。
二段の護りをぶち抜いた代償として、彼女の右足が悲鳴を上げる。
だが─────そんな事を意に介している時間は無い。
だからどうした。
勇者が、こんなところで立ち止まれるか。
勇者が諦めてなるものか。
勇者が希望を捨ててなるものか。

未だ──────華は咲いている。

「──────────うおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっっっっっっっっ!!!」

ギリギリまで伸ばした足が、空を切る。
友奈の突然の一撃に思わず飛び退いた風に、その蹴りは当たらず。
ならば、今度は地に足をつけ、もう一度拳を放つのみ。
空中で足を振り回し、体に纏わりつく糸を断ち切ろうとして、しかし両腕をしっかりと縛られている為に届かない。

どうする。
頭をフル回転させ、次の一手を考える。
ここから抜け出すには、どうしたらいい。
邪魔になっているのは、腕に絡みついた糸。
この糸がなくなれば最高だが、それが出来ないから困っている。

ならば、そのより大本は。
糸が絡みついている、その腕そのものは、どうか。
この糸の強度はよく知っている。―――――何かを斬ることも出来るほどに、しなやかで強い。
今の現状、どちらか片方の腕が解放されれば動くことができる。―――――ならば、もう片方の腕は必要か?

上等だ。
その程度で手が届くのならば、腕の一本惜しくはない。
どうせ散華で動かなくなる可能性があるのだ、今更気にしたところでどうということもない。
全身で勢いをつけ、そのまま左腕を振り下ろすように力を加える。
一瞬の身を貫くような激痛の跡に、喪失感と浮遊感が訪れる。
痛みを乗り越えてその身を捻り、体を縛る全ての糸を焼き尽くす。
既に魔王は数歩引き、もう一度糸を結集させんとしている。
だが、まだ完全ではない。
友奈の行動に驚き、ほんの僅かに動きが止まっていた。
叩き込むのなら、ここしかない。

「勇、者っっっっっ……………………」

魔王を打ち砕くだけの力が残っているかどうか、正直友奈にも分からない。
けれど。
彼女の、勇者の信条には、あの言葉がまだ残っている。


勇者部五箇条が最後、「なせば大抵なんとかなる」の言葉が。


「パァァァァァァァァァァァァァァァンチッッッッッッッッッッッッ!!!」


声を枯らせんばかりに、叫ぶ。
全身に血が滾り、裂かれたばかりの左腕の断面から鮮血が飛び散る。

限界を訴える身体を認識して尚、その拳を前へと向けて。


春色の拳が流星と化し、翠と白の壁へと衝突した。





ぐったりと、横たわっていた。
何が起きたかを思い出したのは意識を取り戻してからおよそ数秒後で、自分が何も聞こえない事を思い出したのはそれから更に数秒後。
そして。

「■■■■………」

自分に覆い被さっている友奈に気付いたのは、それからすぐの事だった。
私が目覚めた事を知った彼女は、ひどく喜んだ様子で私の事を抱き締めた。声が聞こえないので様子としか判断出来ないが、表情や動きからして大体間違っていない、と思う。
身体の各所が痛む今、ただ抱き締められるだけでも割と痛いのだが、気にする様子は無い。
ぱしぱし、と感極まった友奈のハグに包まれながら、ぼうっと考えに耽る。

─────負けた。
負けて、しまった。
間違い無く、先程の戦いは犬吠埼風が敗者であり、結城友奈が勝者だった。
彼女の満開武装での一撃を受けて、私はその後暫く目覚める事はなかった。
もしもこれが友奈でなければ、なんて夢想は意味が無い。
相手が結城友奈だからこそ、『魔王』として戦い切らなければ、決着を着けなければならない存在だからこそ、持てる手札を全て使い切ってでも勝たなければいけなかった。
そうでなければ、私がこの後誰を殺そうと、結局は勇者部の他のメンバーと戦う時に殺せる筈がないのだから。

そうして、全力を尽くして。
それでも、負けた。
犬吠埼風は、『魔王ゴールデンウィンド』は、ここに敗北を喫した。
結城友奈という一人の勇者に、斃された。
それを、理解して。

(─────何でよ)

込み上げてきた感情は、どれも一口で言い切れるものではなかった。
勝てなかった悔しさも、

その中で、一際強く燻っている想いは。

(─────嫌だ。これで終わりなんて、絶対に嫌だ)

こびりつく、執念。
まだだ、まだ立ち止まる事なんて出来ない、と。
首を擡げる執念は、彼女の中で猛り始める。

終われるか。
こんなところで、負けて、それで終わりで、そんな事が許される訳があるか。
私が此処で終わって、それでどうなる。
きっと友奈は許すだろう。友奈が言えば夏凜もその仲間に加わるだろうし、そうやってきっと二人は犬吠埼風を受け入れてくれる場所を作ってくれるのだろう。
―――――居場所。
思い浮かんだその言葉が、より一層風の心を打ちのめした。

「─────■、■■!?」

友奈が何かを言っている。
だが、聞こえない。
理由は分かっている。華が咲いた代償─────散華。
樹の声と同じように、私の耳はもう何も通さないのだろう。

ああ、もう、聞こえない。
どう足掻いて、彼女が生き返ったとしても、それでも彼女の詩(うた)はもう聞こえない。

─────嫌だ。

心の声が、叫んだ。

─────嫌だ。そんなのは、嫌だ。
─────樹の声を、樹の歌を、樹がいつか教えると言ってくれた夢を、私はまだ聞いてない。

(我儘だな、私)

とうに諦めた筈の言葉を、詩を、まだ諦め切れていない。
そんな自分は、どこまでも自分勝手だ。

(だけど、まあ、そうか。
完全に諦めるなんて、出来る訳がなかったのかもね)

けれど、そう冷静に呟きもする。
そういえば、魔王は確かに、こうしたかったと恨み辛みを言い残して消えていた気もする。
やっぱり魔王でも、どうしようもない事は辛いのかな。

それなら、それでいい。
逆に、潔く踏ん切りもついた。
ここまで失くして失くして失くして、残った物に手を伸ばすこともできないというのならば。




なってしまおう。
本物の、魔王に。



最後に残った一枚の黒カードに、こっそりと手を伸ばす。
眉唾物だなあ、と正直思っていた。
見るからに怪しいそれを、使う理由も無ければ、わざわざ他人に見せる必要もなかった。
そもそも武器でも何でもないわけだし、「まあ捨てるのも勿体無いから持っておこう」程度の認識だったと自覚している。
だけど、こうなってしまったからには、使ってみてもいいだろう。
「犬吠埼風」をやめて、それで友奈も東郷も夏凜も殺せるようになって、そうして最後に樹と出会えるというのであれば。
それもいいかな、なんて思ってしまう。

「友、奈」

多分、もう、戻れない。
戻れなくて、いい。
彼女のいない世界にこのまま生きるくらいなら、全てを憎悪に任せてしまおう。
最後の、魔王の、犬吠埼風の我儘だ。
                                 私
この願いというバトンを、私ではない、ゴールテープを切ってくれる『誰か』に託そう。

心の中で、様々なものが叫んでいる。
心苦しくて、痛くて、悲しくて、堪らない。
けれど、いや、だからこそ全てを捨てていける。
だってその苦しみは全部樹がいないせいで、私が私をやめればその樹は蘇るのだから。

犬吠埼樹がいない世界を、私は許容しない。
けれど、現実にこの世界にはもう犬吠埼樹はいなくて、私ではそれを取り返す事すら出来ない。
ならば。
ならばもう、私そのものが必要無い。
私がいなくなる程度で彼女が帰ってくるのなら、幾らでも捧げよう。

だから。

「さよなら」






簡単な事だった。
たかが15歳の、それも、人助けの為の部活を作り、世界の為に戦える程に人を想える少女が、魔王になんてなれる筈が無かったのだ。
魔王になりたいというのならば、まず彼女自身が変わらなければならなかった。
人を殺して、何も思わぬ外道に。

そして、それは成功─────していた。

躊躇なく人の命を奪う外道に、彼女はなれていた。
もし、もう少し相対するのが遅く、人を殺すのに慣れてしまえば。
或いは、勇者さえも簡単に切り捨てる事が出来たかもしれない程に。

けれど。
『勇者』と相対した、してしまった、その瞬間に。
勇者でありながら魔王の道を選んでしまった少女が、その在り方から定められているかの如く『勇者』である知己の少女とした、その瞬間に。
魔王は、「勇者」と相対出来る魔王ではなくなってしまった。
胸を張り、自らが魔王であると言い切るには、その相手がどこまでも『勇者』でありすぎて、魔王は未だに『魔王』になりきれていなかった。
心優しい勇者の存在が、魔王を魔王ではなく、ただの少女に、勇者の志を持っていた筈の少女に戻してしまった。
だから、負けた。
全てを殺す覚悟は鈍り、その刃は勇者に突き立つ事は無かった。



結局。
魔王は、ほんの僅かだけ魔王になりきれなかった。
勇者が魔王になるには、勇者はあまりにも優しかった。
そんな彼女が魔王になることなんて、結局のところ出来なかったのだ。



だから、それが、その瞬間こそが。



眼帯が吹き飛び、その下の黄金の眼が紅蓮に染まって、瞳孔に重なるように奇妙な紋様が刻まれたその瞬間が。

身を包んでいた神々しい衣装が、蝕まれるかの如く漆黒に塗り替えられていくその瞬間が。


舞い散る花弁が、蒼き地獄の炎に燃えされ、人魂のようにふわりふわりと宙を漂ったその瞬間こそが。



悪魔にして魔王─────ゴールデンウィンドの、真なる誕生の刻だった。




  • 支給品説明
【悪魔化の薬@神撃のバハムート GENESIS】
ラヴァレイ=マルチネが開発した薬。魂を邪悪に染め上げる事によって、人間を悪魔へと変化させる。
悪魔となったジャンヌ・ダルクは翼を持つ魔獣を召喚出来たが、それはこの会場内では使用不可とする。
主に精神に作用し、天使への憎悪を募らせていたのなら天使を憎み殺し回る存在に、自らの利を追求しているのなら強欲にして卑怯な存在に、といった風に、人としての理性を消して欲望を強める効果を持つ。


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153:時は来たれり 結城友奈 158:咲からば、さあ―――『この■が届くまで』
153:時は来たれり 犬吠埼風 158:咲からば、さあ―――『この■が届くまで』