MKT-865 集合的恐怖

UMAか、異常存在か、決めかねている所だ:集合的恐怖




これは個人を超えた人類…もしくは生物全体に普遍的に存在するかもしれない恐怖のイメージだ。
人種や民族によって「恐怖」の根源的なイメージは変わるのか、というテーマで研究していた。
結果は個人差にかなり妨害されたものの最後に行き着いた答えがMKT-865だった。
動物の「恐怖」のイメージを調べたい所だが、動物とは意思の疎通が不可能なので諦めることにした。
しかし、ゾウ程度の知能を持つ動物なら死んだ仲間に花を手向ける…典型的な恐怖、「死」の概念を理解しているということだろう。恐らく、いかなる脳を持つ動物でも生まれた瞬間…いや産まれる前からMKT-865に影響されてきたのだろう。
それほどまでにこのMKT-865 集合的恐怖は我々の気づけない深層、基底に根付いているのだ。

感情の中では恐らく「恐怖」が一番のエネルギーを持っている。恐らくそれに次ぐのは「憎悪」だろう。
この二つの感情は人類の歴史に大いなる影響を与えてきた。
怖いから対策をし、進化をし、憎いから相手を殺す…

「恐怖」は対策を取ることで「安堵」へエネルギーが変換される。そうして「恐怖」への対策は取れる。

厄介なのが「憎悪」だ。相手を殺しても満足出来なかった場合どうする?
立派な殺人鬼の完成だ。
もちろん被害者の遺族も「憎悪」を加害者へ向けるだろう。
恐らく遺族は人を守るための法を破ってでもその「憎悪」を発散するため加害者を殺害するだろう。
しかし、殺人の現場を目撃した人は加害者を強請るだろう。そして、加害者はまた必要の無い殺人を犯してしまうだろう。
人類が滅亡しない限り「憎悪」の連鎖は終わらない。

次は感情の変換について話をしよう。
例えば君がジェットコースターを「楽」しんでいたとしよう。しかし事故が起こって止まらなくなったらどうする?
「楽」の感情はすぐに「悲しみ」や「不安」、「恐怖」に変換されるだろう。
例えば君がヤクザに脅されていたとしよう。しかし事故で死んだ。
「恐怖」の感情はすぐさま「楽」や「安堵」に変換されるだろう。

感情は流動的であり可逆性を有しているのだ。

感情を発生させているのはどこだと思う?

答えは不明。しかし私が考える所では意識から発生するのであろう。
他人が意識を有しているか確かめる術はない。
しかし、自分が意識を有しているかは何もしなくてもわかるだろう。
この文章があるとわかっている時点で思考が出来ているのだから。



おっと、時間が来てしまった。今はここまでしか書けない。またどこかでこれの続きを見てもらえる事を祈るよ。
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最終更新:2015年08月02日 15:47