長篇のレビュー(通常)のサンプル


歪んでいるのは人か? 世界か?

『ゆがんだ光輪』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 コックリル警部に妹がいた!? ブランド長篇でも異色中の異色作である。一九五七年発表の第十長篇。

 コックリル警部の妹、ハリエット・コックリルが地中海に浮かぶ独立国家サン・ホアン・エル・ピラータ島へ旅立つことになった。この島は五、六年前にコックリル警部がツアー旅行に参加した際、殺人事件に巻き込まれた場所でもある。悪戦苦闘の末、事件を解決したコックリルは島の領主ホアン・ロレンゾ大公とも懇意となり、ハリエットが島を気軽に訪問できたのもそのおかげだった。島に出掛けたのには観光以外の目的もある。島にいたという聖処女ホアニータ・エル・マルガリータの伝説に惹かれたハリエットの従妹ウィンゾムが、ホアニータの自叙伝を自らの手で翻訳し、世に名を知らしめようという野心に燃えていて同行してきたのだ。ところがこれが、騒動の種だった。島ではホアニータの成し遂げた「奇跡」を基にローマへ申請して、聖者の仲間に加えてもらおうと主張する勢力と、それに反対する大公とが対立していた。
 何故、大公はホアニータをローマに申請することを拒むのか? 申請は経済効果も期待でき、島にとって何の不利益もないはずなのだが。

 サン・ホアン・エル・ピラータ島を、間違っても地図で探してはならない。というのも、サン・ホアン・エル・ピラータはクリスチアナ・ブランドが創造した架空の島なのだから。本書がブラントの作品でも異色と言われるのは、物語の舞台が架空の島であることに起因するかもしれない。粗筋で書いたことから想像できる通り、本書は一九五五年に書かれた『はなれわざ』という長篇の後日談的位置付けがされている。『はなれわざ』はサン・ホアン・エル・ピラータ島を舞台にした、パズラーの呼び名以外考えられない純正なフーダニットである。対して本書は『はなれわざ』とまったく性格を異にした作品である。まずそもそもミステリか? と言われると首を傾げる作品なのだ。派手な殺人事件が起こって捜査が始まる、という常道は踏んでおらず、それまでのブランドの本格パズラーとは大きく路線が異なる。本書について森英俊氏は『世界ミステリ作家事典[本格派篇]』の中で「ロマンティック・スリラー」という言葉を使っている。まさに本書に相応しい呼称である。
 サン・ホアン・エル・ピラータは絶対的な権力者である大公が政治の決定権を握っている国だ。その大公が首を縦に振らなければ政治的なことは何も進まない。彼が何故、聖処女と言われるホアニータをローマに申請しないのか、疑惑を巡って様々な人間が動き回る。こう書いてみると策謀渦巻く謀略小説と勘違いされそうだが、いやいや、それは誤解である。寧ろ大公を巡る疑惑より、他に次々起こる珍騒動で読者を笑わせる軽妙なユーモアが効いた小説なのだ。中世風の政治体制を維持するサン・ホアン・エル・ピラータの政権転覆を企んだ一味が、ホアニータをダシに使って一騒動企む展開など、一味の企みの妙に外れたドジ加減には結構笑えます。サン・ホアン・エル・ピラータの言葉に通じていないウィンゾムが、訳も判らないままに現地人と話していると、お互い勝手に話の内容を想像していて、端から見ると全然噛み合っていないという滑稽な場面に出くわせば、どんなお堅い読者でも苦笑いを浮かべずにはいられないはずだ。
 本書の主眼は一言で言い切れる。即ち、ブランドが創り出した架空世界で、ブラントが自由気儘に吐き出すちょっぴり苦味のある洒落たユーモアを読んで、徹底的に笑うための小説なのだ、と。『はなれわざ』執筆時に思いついた、歪んだ架空世界ありきで本書は生まれたのだろうか、それともブランドがその文章の端々に描き出す、人間の持つ「歪み」が、結果としてサン・ホアン・エル・ピラータという歪んだ架空世界を生んだのか。ブランドという作家の内面、そして読者自身の内面が覗けるような、奇妙な魅力すら孕んだ本書は「小説」の可能性の深さを我々に知らせてくれる。
                                                                            (東坂 博)
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