橋天東志演義213年赤壁の戦い 第7話

橋天東地演義
213年 赤壁の戦い第7話

長江の霧の中、

呉軍は曹操の大船団に突撃し、次々と長江に沈めた。

そこで暮らしていた魚達は大変驚き、逃げ回った。

多くの魚達の家族は家を失い、

戦火を逃れ、下流へと下流へと逃げていった。

そんな事もおかまいなしに

曹操軍と孫策軍は激しく、そしてもっと激しく戦った。

優勢なのは孫策軍で

操船に慣れない曹操軍と訓練度の低い元劉表軍は

ただただ、自軍の船が破壊され、ぶつかり合う様を見るだけだった。

このまま曹操の乗る船まであと一息の孫策軍、

なんとか死守しようと曹操軍も意気を吐く。

しかし、飛ぶ、飛ぶ、曹操軍の首が飛ぶ。

やはりこの男か、元は劉爲の収める益州の巴郡で

役人(警察の様なもので、気に入らない奴は襲っていた)をしていたが

劉爲の跡目争いの派閥で敗北し、書物を読むようになる。

そこで大志を抱いて劉表を尋ねるも軽んじられ、劉表の配下の黄祖の下に

着く事になる。

しかしそこでも軽んじられ、巴郡時代の腕の立つ部下たちは劉表や黄祖に召抱えられ

我慢の時を過ごす。

しかし乱世はすぐにこの男に舞台を授ける。

呉に帰順した甘寧は周瑜に推挙されその実力を買われ今に至る。

こういう少数精鋭の戦いでは三国志史上最も強い男、

甘寧、字を、興覇と言う。

視界の悪い不可解な足場、通常の人がその実力を発揮できない状況において

絶人の域に達する。

この男だけではない、姉の旦那、孫策に仕える義兄の軍にこっそり従軍し、

怒られたり、バカにした者を怒って殺してしまったが

その勇猛さを知った孫策は自らこの男に会い、側近に取り立てた。

若いときは賢くは無く、力馬鹿と呼ばれていたが

後に猛勉強し、総司令官まで登り詰めた男、

呂蒙、字を、子明と言う。

この男も忘れてはいけない、若干15歳にして父の兵を継ぎ、

まとめあげ後に張遼の猛襲撃を弾いた勇将、

凌統、字を、公績と言う。

他に徐盛、董襲、蒋欽、陳武らも奮戦した。

彼らもエピソードを添えたかったが

そろそろ俺を出せとI'llが訴えてきたのでI'llの話をしよう。

蔡瑁と張允、蔡和、蔡中を討ち取った橋天東地だが、

それまで金剛不壊のI'llがぷっつんし、

瓦解しかけていた。

しかし、ここで電磁派倶楽部の力に目覚めた

I'llとPUNKERは曹操軍の船を更に破壊し始める。

亞斗李の目薬の木より作り出した眼鏡で視界を確保し、

一騎当千の橋天東地の将達は一気に曹操のいる船に迫る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、こんないきさつであっという間に曹操軍の大船団を破壊し、

曹操のいる船に橋天東地はたどり着いた。

8話に続く。

 

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最終更新:2016年08月28日 15:15