新科学論議第3日(第3部)

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サグレード[46]


 今、思いついたのですが、〔一様加速運動を〕その意味を変えずに恐らくもっと明瞭に定義できると思います。すなわち一様加速運動とは、速さが通過距離の増大に従って増大していく運動であるとするのです。たとえば、4ブラッチョ(2.4m)落下したときに可動体が得た速さの度合は、2ブラッチョ(1.2m)の距離を落下したときに得た度合の2倍であり、この後者の度合は、最初の1ブラッチョ(0.6m)において得た度合の2倍であるという具合です。というのは、6ブラッチョ(3.6m)の高さから落下してきた重い物体が、3ブラツチョ(1.8m)から落下したときの2倍、2ブラッチョ(1.2m)のときの3倍、1ブラッチョ(0.6m)のときの6倍のインペトゥスを持ち、そのインペトゥスによって衛撃を与えることは疑いえないと思うからです。
  • ガリレオは,[49]のためにサグレードにこう言わせているようです。サグレードは[36]で「私が思い描くところでは、落下する重い物体は、静止すなわち全ての速さを欠いた状態から出発し、運動を始め、運動の最初の瞬間からの時間が増加するその比に従って加速していくのです」と言っているのですが。[47]を見るとガリレオも[36]と[46]を同値とする誤りを犯したと言っているようです。(Leon 12/26)
  • サルヴィアーティ[47]でも述べているとおり、ガリレオも当初加速は移動距離に比例しておこるのでは?と考えたようです。思考の遍歴をこのような形で面白くたどってみせるところは、物書きとしての才を感じます。(Leon 1/4)

サルヴィアーティ[47]


 あなたほどの方でも、私と同じ誤りを犯す仲間だったということは私にとって大いに慰めになります。またあなたの議論は極めて本当らしく確からしいように思われます。私がこの議論を我々の著者に示したとき、彼自身もある時期にはこの同じ誤りに陥っていたことを否定しなかったほどです。しかし、私はそれを見て非常に驚いたのですが、著者は、この二つの命題(1)が誤っているばかりか不可能でもあることをごくわずかの簡単な言葉で示しているのです。この二つの命題は、かつて私が多くの人々に示したとき、それを認めようとしない人々がまるでいなかったほど本当らしく思われたものなのですが。

シンプリーチョ[48]


 実際私はそれを認める者の一人でしょう。それに、落下する重い物体が距離に比例して速さを増し、「進むに従って力を得る〔vires acquirat eundo〕」(2)ことや、衝撃を与える物体のモメントゥムが、2倍の高さから落下して乗るときには2倍になることは、反対や論争の余地なく認めるべき命題であるように私には思われます。

サルヴィアーティ[49]


 ところがこのことは、運動が一瞬にしてなされるということと同様に誤りであり、不可能なことなのです。そしてこのことについては極めて明快な証明があります。もし速さが相互に持つ比が、通過距離あるいは通過すべき距離相互の比と同一であるならば、それらの距離の通過時間は等しくなります。それ故、もし落下物体が4ブラッチョ(2.4m)の距離を通過したときの〔各点における〕速さが、最初の2ブラッチョ(1.2m)を通過したときの〔対応する各点における〕速さの2倍だったならば(〔4ブラッチョ(2.4m)の〕距離は〔2ブラッチョ(1.2m)の〕距離の2倍なのですから)、両方の通過時間は等しくなります。しかし、同じ可動体が4ブラッチョと2ブラッチョを同じ時間で通過するということは、瞬間的な運動でない限り起こり得ません。ところが、落下する重い物体はある時間のうちに運動するのであり、2ブラッチョ(1.2m)を通過するのに4ブラッチョ(2.4m)よりも少ししか時間がかからないことが知られています。それ故物体の速さが、距離が増大するのと同じようにして増大するというのは誤りなのです。もう一つの命題も誤りであることが同じく明快に証明されます。衛撃を与える物体が同じである場合には、衝撃のモメントゥムの違いは速さの違いのみによって決定できます。それ故、物体が2倍の高さから落下して来るときには2倍のモメントゥムを与えるとすると、それは2倍の速さで衝突しなければならないでしょう。ところが、2倍の速さは同じ時間で2倍の距離を通過するので、〔2倍の高さからの落下時間も同じになるはずですが、実際には〕より高い所からの落下時間はより長いことが知られています。
  • サグレード[46]の誤りを指摘しているのですが,何を言っているのかわかりません。要検討です。(Leon 12/26)
  • 単なる等加速度運動ではなく落下運動について述べていることに気づき、ようやく理解できました。「同じ可動体が4ブラッチョと2ブラッチョを同じ時間で通過するということは、瞬間的な運動でない限り起こり得ません」が最も難物でしたが、「通過」を「落下」と読み替えてようやく意味が通りました。(Leon 12/28)
  • 「2ブラッチョ(1.2m)を通過するのに4ブラッチョ(2.4m)よりも少ししか時間がかからないことが知られています」の訳、読み方によっては?ですね。「2ブラッチョ(1.2m)を〔落下〕するのに〔かかる時間は〕4ブラッチョ(2.4m)〔の時間〕よりも少し〔短い〕ことが知られています」の意味かな、と思うのですが。(Leon 1/4)
  • この部分青木靖三さんの訳を見つけました。『しかし、運動が瞬間において起こるということと同じように、これらの命題は誤りであり不可能なのです。ここに、それについてのきわめて明白な証明があります。様々な速さが通過した距離もしくは通過すべき距離と同じ比をなす〔落下速度が落下距離に比例する〕とすれば、これらの距離は等しい時間で通過されます。落下するものが4ブラッチョの距離を通過した様々な速さが、はじめの2ブラッチョの距離を通過した様々な速さの2倍であったとするならば、(前者の距離は後者の距離の2倍なのだから)これらの通過時間は等しいのです。しかしこれは、運動体が同じ時間に4ブラッチョと2ブラッチョを通過することです。これは、瞬間的な運動においてでない限り起こりえません。ところが、落下する重いものは時間において運動し〔ある距離を進むのに有限の時間がかかり〕、4ブラッチョよりも2ブラッチョの方を短い時間で通過します。それゆえ、速さが距離と同じ比で増加するというのは誤りです。』(Leon1/6)

サグレード[50]


 大変明瞭に、そして大変簡単にあなたはこの隠されていた結論を明らかにしました。余りに簡単なので、この結論は、簡単なようには思われなかったときよりも有難みがなくなってしまいました。このようにほとんど労せずに得られた知識は、それについて長々と難解な論争が行われた知識に比べて一般に少ししか評価されないと思います。

サルヴィアーティ[51]


 一般に正しいとされている命題の誤りを極めて簡潔かつ明瞭に示す人にとっては、歓迎の代わりに単なる無視をもって応えられたとしても、それは十分耐えられることでしょう。しかしある学問においては誰に対しても少なくとも引けを取ることはないと自負し、後で他の人によって簡潔で容易な議論でもって誤りであることが見出され、公けにされても、その結論を正しいものとして放っておくような人々によくみられるある種の執着は、不快で困った結果を生むものです。私はこのような感情を、誤りの発見者に対する憎悪や怒りに変わるのが常であるような嫉妬とは呼ばずに、新たに見出された真理を受け入れることを認めるよりは、慣れ親しんだ誤りを守り続けようという望みを刺激するある種の熱情であると言いましょう。この熱情のために彼らはときとして、理解力に劣る多くの凡人たちが他の人々に対して低い評価をするように、彼ら自身も心の中では知っているにもかかわらず、これらの真理に反することを述べることになるのです。このように正しいものとされてはいるが、実際は誤っている結論と、それに対する極めて容易な反駁を、私は我々のアカデミー会員から数多く聞きました。その一部はまだ書き留めてあります。

サグレード[52]


 どうかそれらを我々に隠したりなさらないように。必要なら、そのために特別に集まりを持っても構いませんから、然るべきときに説明してください。しかし今は、我々の議論の筋道をたどり続けることにしましょう。ここまでで我々は一様加速運動の定義を確かなものにしたと思います。この定義については以下で論じられていますが、それは、「均等加速運動すなわち一様加速運動とは、静止から出発し、等しい時間のうちに等しい速さのモメントゥムが付け加わるものをいう」というものです。

サルヴィアーティ[53]



 この定義を定めると、次に著者はただ一つの原理を要請し、それを真であると仮定しています。その原理とは、
  「同一の可動体が傾きの異なる斜面上で獲得する速さの度合は、それらの斜面の高さが等しいときには互いに等しいことを認める」
というものです。
 著者は、斜面の上端から、斜面の下端を通る水平線上に降ろした垂線を斜面の高さと呼んでいます。わかりやすく言うと次のようになります。直線ABが水平線に平行であり、その上に2つの斜面CA、CDがあるとしましょう。水平線BA上に降ろした垂線CBを、著者は斜面CA、CDの高さと呼ぶのです。そして同じ可動体が斜面CA、CD上を下降するとき、端点A、Dにおいて獲得した速さの度合は、それらの斜面の高さが同じCBであるので互いに等しいと仮定しています。さらに、点Cから落下する同じ可動体が端点Bで持つ速さの度合もそれに等しいと考えねばなりません。
  • サルヴィアーティ[55]でyokkunさんが言っているとおり、「同一の可動体が傾きの異なる斜面上で獲得する速さの度合は、それらの斜面の高さが等しいときには互いに等しいことを認める」は、力学的エネルギー保存とそっくりですね。そしてこれが一様加速運動の第一原理!なんですね。(Leon 1/4)

サグレード[54]


 実際この仮定は極めて確からしいので、議論せずに認めるに値するように思われます。ただし、あらゆる付帯的で外的な障害が取り除かれ、斜面は堅くなめらかで、可動体は完全な球形をしており、したがって斜面にも可動体にも凹凸がないと考えての上ですが。すべての妨害や障害が取り除かれ、そして完全に丸くて重い球が線分CA、CD、CBに沿って下降するならば、それらは、端点A、D、Bに到達するときには等しいインペトゥスを得るだろうということを、自然の光〔il lume naturale〕〔理性の光〕が何の困難もなく私に示してくれます。

サルヴィアーティ[55]



 あなたの議論は非常に確からしいものです。しかし、本当らしく見えるということに加えて、ある実験によってその蓋然性を、必然的な証明に比べてもほとんど遜色ないまでに高めていきたいと思います。この紙が水平線に対して〔垂直に〕立てられた壁であり、それに固定された釘から、〔重さが〕1ないし2オンチャ(30ないし,60g)の鉛球が、長さが2ないし3ブラッチョ(1.2ないし,1.8m)の水平線に垂直な細い糸ABによってつるされていると考えてください。そして、壁から2ディート(0.12m)だけ離れている鉛直線ABに直交する水平線DCを壁の上に引きます。次に糸ABを鉛球とともにACまで移動させ、鉛球を放します。鉛球は最初に弧CBDを描いて下降し、端点Bを通過するのが見られるでしょう。さらに球は弧BDに沿って進み、引かれてある水平線CDの所までほぼ上昇するでしょうが、空気や糸の妨げのために正確にCDまで達することはなく、こくわずかの距離を残して止まるでしょう。このことから、弧CBに沿って下降したときに鉛球が点Bで得たインペトゥスは、同様の弧BDに沿ってこの球が再び同じ高さまで上昇するのに足るものだったという結論が実際に導けます。このような実験を行い、何度も繰り返してから、壁の上、鉛直線ABのすぐ近くに、たとえばEあるいはFにおいて釘を打ち込み、5ないし6ディート(0.3ないし,0.36m)だけ突き出させてみましょう。これは、糸ACが先ほどのようにCにある鉛球を弧CBに沿って運んで戻ってきたときに、球がBに着くと糸がEにある釘に出会い、球がEを中心とする弧BGに沿って進むようにするためです。先ほどは、その可動体が端点Bで持っていたインペトゥスは、それを弧BDに沿って水平線CDの高さまで押し上げましたが、〔今度は〕この実験から、それと同じインペトゥスが〔弧BGに沿って〕何をなし得るかを見ることができるでしょう。さて、御二方、あなた方は、球が水平線上のGに到達することや、また障害物〔である釘〕がFのようにもっと低い所に置かれるときには、球は弧BIを描くでしょうが、このときも同じことが起こり、球の上昇が常に、正確に水平線CDで終わるのを見て満足するでしょう。そして釘という障害物〔の位置〕が低過ぎて、釘より下の糸の残りがCDの高さにまで達しないときには(このようなことは、打から点Bまでの距離の方が、ABと水平線CDとの交点までの距離よりも小さいときに起こるでしょう)、糸は釘の上を通過し、釘に巻き付くでしょう。この実験によれば、仮定が正しいことは疑う余地がありません。それは次のような理由によります。二つの弧CB、DBは〔長さが〕等しく、同じ仕方で置かれているので、弧CBに沿った下降によってなされたモメントゥムの獲得は、弧DBに沿った下降によるものと同じです。ところで、弧CBに沿った下降によってBにおいて得られたモメントゥムは、同一の可動体を弧BDに沿って再び押し上げるのに十分です。それ故、DBに沿った下降において得られたモメントゥムもまた、同一の可動体を同じ弧に沿ってBからDまで押し上げるだけのものに等しいのです。こうして一般に、ある弧に沿った下降によって得られたモメントゥムは、どれも同一の可動体を同じ弧に沿って再び上昇させることができるものに等しいのです。ここで、弧BD、BG、BIすべてに沿って可動体を再び上昇させるモメントゥムは、実験が示すように、CBに沿った下降によって得られた同一のモメントゥムから生じるのですから、すべて等しくなります。それ故、弧DB、GB、IBに沿った下降によって得られるモメントゥムはすべて等しいのです。

  • 実はガリレオは,結果的にエネルギー保存を第1原理として採用していたというわけで,新鮮な驚きでした。(yokkun 9/29)

サグレード[56]


 この議論は、私には極めて決定的なものに思われます。それにこの実験はその仮定を確証するのに非常に適切なものですから、その仮定は、証明されたものとして認められるのに十分値すると思います。

サルヴィアーティ[57]


 サグレードさん、私は、なしうる以上のことを企てようとは思いません。特にここで〔振り子の運動について〕認めたことを、曲面上ではなく平面上でなされる運動に用いようとは思いません。曲面上では、平面上で生じると我々が仮定しているのとは大きく異なる度合で加速が生じるのです。したがって、先ほど挙げた実験によって、弧CBに沿った下降が、BD、BG、BIのような任意の弧に沿って同じ高さまで可動体を戻し得るだけのモメントゥムをその可動体に与えるということが示されたとしても、我々は、これらの弧の落と同じだけ傾いた斜面上を全く完全な球が下降するときにも同じことが起こるということを、同程度に明白に証明することはできないのです。それどころか、これらの平面は瑞点Bで角をなすので、弦CBと同じ傾きの斜面を下降した球は、弦BD、BG、BIと同じ傾きで昇っていく斜面に衝突し、その衝突によってインペトゥスの一部を失い、水平線CDの高さまで昇ることができないということも確かだと思います。しかし実験を妨げているこの衝突が取り除かれれば、このインペトゥスが(実際それはその力を下降の量に従って得るのですから)可動体を同じ高さまで戻し得るだろうということは、知性によって認められるように思われます。そこでここでは、このことを要請〔il postulato〕として採用することにしましょう。その絶対的な正しさは、その仮定〔l'ipotesi〕から導かれる他の結果が実験に対応し、正確に一致するのが見られることから、後ほど確立されるでしょう。著者はこの原理〔ilprincipio〕だけを仮定すると他の命題へ移り、それらに証明を与えています。それらのうちの最初のものは次の通りです。
  • エネルギー保存的な考えに到達していたこともさることながら、「円軌道を斜面に変えると最下点で衝突が起こってインペトゥスの一部を失い水平線CDの高さまで上ることができない、この衝突が取り除かれればこのインペトゥスが可動体を同じ高さまで戻し得るだろうということは知性によって認められる」あたりには、現象を見通す力のすごさを感じます。(Leon 12/29)

【訳注】[58]


 (1) この二つの命題とは、落下物体の速さの度合が落下距離に比例するということと、落下物体の与える衝撃がやはり落下距離に比例するということである。
 (2) ウェルギリウス『アエネーイス』、第四巻、175。

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最終更新:2009年01月08日 21:16