新科学論議第3日(第1部)

のべアクセス数  -  人
  • 等速運動に関するややたいくつな論考。あまり議論になるところもないかな? -- yokkun (2008-05-24 14:10:32)
  • yokkunさん、いつもありがとうございます。図の貼り付けをやってみました。うまくいったので、残りもやってみます。 -- Leon (2008-05-24 21:27:52)
  • あ,忘れてました。よろしくお願いします。 -- yokkun (2008-05-24 22:33:01)
  • 読み始めました。ところが、なかなか進みません。「新科学論議」と「新科學對話」を比べながら読むことにします。 -- 上浜 (2008-08-27 08:44:42)
  • 夏休みガリレオが気にはなっていたのですが、ついつい読みやすい田中一郎さんや青木靖三さんの「ガリレオ」を手に取ってしまいました。これから少しずつがんばります。 -- Leon (2008-08-31 00:25:06)
  • p152にこの部分(均等運動)の公理・定理を数式で示したものがあります。それぞれ一行で簡潔明快です。 -- Leon (2008-08-31 00:28:57)
名前:
コメント:


論考リード[25]

  第三日

   位置運動〔motus-localis〕について

 極めて古い問題に関する全く新しい科学〔novissima scientia〕を我々は築き上げよう。自然においては、運動よりも重要なものは恐らく存在せず、また周知のように、哲学者たちはそれに関して多くの大著を著してきたのである。だが、運動に属する性質の中でも知るに値する多くのことが、これまで観察も証明もされてこなかったことを私は見出した。幾つかのありふれたこと、たとえば落下する重い物体の自然運動が連続的に加速されるというようなことは指摘されている。しかし、その加速がどのような比に従って生じるかはこれまで明らかにされてこなかった。実際、静止から出発した可動体によって等しい時間のうちに通過された距離が相互に持つ比は、単位から始まる奇数〔1、3、5、7、・・・・・・〕が持つ比と同一であるということは、私の知る限りでは誰も証明していないのである。飛行体あるいは投射体がある種の曲線を描くことは観察されているが、その曲線がパラボラ〔parabola〕(1)であることは誰も明らかにしていない。実際そうであることや、大いに知るに値する他の多くのことを私は証明しよう。またいっそう重要であると考えていることに、極めて広大で優れた科学への入り口と通路を開くということがある。我々のこの研究はその科学の基礎となり、私よりも鋭敏な才能を持つ人々がさらに奥深く隠されたところへと進んでいくだろう。
 この論考を次の三つの部分に分けることにする。第一部では、均等運動すなわち一様運動〔motus aequalis seu uniformis〕に関することを考察しよう。第二部では自然加速運動〔motus naturaliter acceleratus〕について、第三部では強制運動〔motus violentus〕すなわち投射体について述べよう。

【訳注】
 (1)「パラボラ」の定訳は「放物線」であるが、本訳では以下、「パラボラ」あるいは「パラボラ曲線(linea parabolica)」と原語のまま用いることにする。というのは、本来「パラボラ曲線」は「放物線」とは全く起源の異なるものであり、本書の「第四日」の主題は、投射体の描く曲線すなわち「放物線」が「パラボラ曲線」であることを証明することだったからである。

  • かっこいいリード文ですね。ガリレオの自信が感じられます。「極めて広大で優れた科学への入り口と通路を開く」の表現がいきいきとしています。そして科学史は,まさにそうなったことを示しています。(yokkun 5/24)
  • 物理はまさにここから始まったのですね。高校物理の教科書はたいてい運動から始まるのですが、大げさにいえば「ガリレオへの敬意」かも知れません。私もやはり運動から、ガリレオの斜面の実験から物理の授業をはじめています。(Leon 1/4)

定義と公理[26]


  均等運動について

 均等運動すなわち一様運動に関して我々が必要とするのは唯一つの定義〔definitio〕であり、それは次の通りである。
  • 「新科學對話」では、「均等運動」は「等速直線運動」と訳されています。(上浜8/27)
  • p98には、ニコール・オレーム(1330-1382)がv-tグラフを描き、(速さが)「一様」(uniformis)な運動、(等加速度運動を)「一様に不整」などと表現したとありますから、motus aequalis seu uniformis(均等運動)という表現はガリレオの時代には既にあったのでしょう。(Leon8/31)
  定 義
 均等運動すなわち一様運動とは、任意の等しい時間のうちに可動体が通過する部分〔距離〕が互いに等しいものであると理解する。
  注 意〔admonitio〕
 これまでの定義(それは単に、等しい時間のうちに等しい距離を通過する場合に均等運動と呼んでいる)に、「任意の」という言葉を付け加えること、すなわちすべての等しい時間のうちに、とするのが適当なように思われる。なぜなら、ある等しい時間のうちに等しい距離を可動体が通過するとしても、その時間の小部分を取ってみると、それらが等しいにもかかわらず通過した距離は等しくないことが起こり得るからである。前述の定義から次の四つの公理〔axioma〕が導かれる。
  公 理 一
 同一の均等運動において、より長い時間のうちに通過する距離は、より短い時間のうちに通過する距離より大きい。
  公 理 二
 同一の均等運動において、より大きな距離を通過する時間は、より小さな距離を通過する時間より大きい。
  公 理 三
 同一の時間において、より大きな速さで通過する距離は、より小さな速さで通過する距離より大きい。
  公 理 四
 同一の時間において、より大きな距離を通過する速さは、より小さな距離を通過する速さより大きい。

定理1[27]

  定 理〔theorema〕一 命 題〔propositio〕一

 もし均等運動をしている可動体が同一の速さで二つの距離を通過するならば、運動時間相互の比は通過距離相互の比に等しいだろう。
 何となれば(1)。均等運動をする可動体が同一の速さで二つの距離AB、BCを通過するとし、そしてAB上の運動時間をDE、BC上の運動時間をEFとせよ。距離ABが距離BCに対するように時間DEは時間EFに対すると主張する。
  • 後ろの【訳注】(1)によれば、ここで改行したほうが読みやすいと思い、改行しました。(上浜8/28)
  • この命題の内容は、つまり「AB : BC = DE : EF」ということですね。均等運動(等速直線運動)であれば、当然成り立つようにも思えるのですが。ガリレオの時代は当然ではなかったのか?そうではなく、当然と思えることも証明すべきなのか?(上浜8/28)
  • 伊東俊太郎さんはp152で『位置の変化として運動一般を数学的に取り扱うことを目標としており、等加速度運動の前に、いっそう根底的な等速度運動の数学的特性を規定してるのである。』としています。この辺を読むと、「考え方としては当時既にあったがそれをガリレオはユークリッド『原論』に倣って数学的に表現した」と述べているように思います。(Leon8/31)
 距離と時間を両側に〔それぞれ〕G、HおよびⅠ、Kまで延長し、AG上に距離ABに等しい距離を任意の数だけとり、そしてDI上に同様にして時間DEに等しい時間を同じ数だけとるとせよ。そしてさらにCH上に距離CBに等しい距離を任意の数だけとり、またFK上に時間EFに等しい時間を同じ数だけとるとせよ。すると距離BGと時間EIは〔それぞれ〕距離BAと時間EDの任意の同数倍となるだろう。また同様に距離HBと時間KEは〔それぞれ〕距離CBと時間FEの任意の同数倍となるだろう(2)。そしてDEはAB上の運動時間であるから、EI全体はBG全体の運動時間であるはずである。というのは、運動は均等であると仮定されており、またBAに等しい距離がBG上にあるのと同じ数だけ、時間DEに等しい時間がEI上にあるからである。また同様にしてKEがHB上の運動時間であることが結論されるだろう。ところで運動は均等であると仮定されているので、もし距離GBが距離BHに等しいならば、時間IEもまた時間EKに等しくなる。また、もしGBがBHより大きいならばIEはEKより大きくなるし、もし小さいならば小さくなる。したがって四つの量〔magnitudo〕、すなわち第一の量AB、第二の量BC、第三の量DE、第四の量EFがあり、第一の量と第三の量すなわち距離ABと時間DEの任意の同数倍として、距離GBと時間IE(3)がとられている。そして両者は、第二の量と第四の量の同数倍である距離BHと時間EK(4)に対して〔それぞれ〕共に等しいか、共に小さいか、共に大きいかであることが証明されている。よって、第一の量が第二の量に対してすなわち距離ABが距離BCに対して持つ比は、第三の量が第四の量に対してすなわち時間DEが時間EFに対して持つ比と同一である。これが証明すべきことであった。


【訳注】
 (1)「何となれば(enim)」とは、具体的な証明の始まりを示す言葉である。また命題の具体的な内容は、「……と主張する(dico)」という言葉によって示されている。
 (2) ガリレオは四量の比例を証明するため、エウクレイデスの『原論』の一般量の比例の定義(第五巻・定義五)に従っている。それによれば、四量があり、第一と第三の量の任意の同数倍が、第二と第四の量の任意の同数倍に対してそれぞれ共に小さいか、等しいか、大きいかであるとき、第一と第二の量の比は第三と第四の量の比に等しい。すなわち四量をQ1、Q2、Q3、Q4、任意の数をm、nとすると、mQ1>=<nQ2←→mQ3>=<nQ4のとき、Q1:Q2=Q3:Q4なのである。ガリレオは、AB:BC=DF:EFを証明するためにGB>=<BH←→IE>=<EKすなわち(m+1)AB>=<(n+1)BC←→(m+1)DE>=<(n+1)EFを導いている。
 (3) 原文では「時間IEと距離GB」となっているが、文脈から判断して入れ換えた。
 (4) 原文は「時間EKと距離BH」。注(3)と同様。

定理2[28]

  定 理二  命 題二

 もし可動体が等しい時間のうちに二つの距離を通過するならば、距離相互の比は速さ相互の比に等しいだろう。またもし距離相互の比が適さ相互の比に等しいならば、時間は相等しいだろう。
 何となれば。先の図において二つの距離AB、BCをとり、そして等しい時間のうちに距離ABは速さDEによって、また距離BCは速さEFによって通過されるとせよ。速さDEが速さEFに対するように距離ABは距離BCに対すると主張する。なぜなら、先ほどのように両側に〔距離と速さを延長し、〕距離と速さの任意の同数倍、すなわちABとDEの任意の個数倍GBとIEをとり、また同じくBCとEFの任意の同数倍HBとKEをとるならば、先ほどと同様にして倍量GB、IEは同数倍BH、EKに対して〔それぞれ〕共に小さいか、共に等しいか、共に大きいかであることが証明されるだろう。よって命題は明らかである。

定理3[29]

  定 理三  命 題三

 異なる速さで同一の距離を通過するときの運動時間は速さに逆対応する〔e contraio respondo〕〔すなわち時間相互の比は速さ相互の逆比となる。〕
 異なる速さの大きい方をA、小さい方をBとし、各々の速さで同一の距離CD上の運動がなされるとせよ。速さAが距離CDを通過する時間対速さBが同一の距離を通過する時間は、速さB対速さAに等しいと主張する。何となれば。AがBに対するようにCDがCEに対するとせよ。すると先ほどのことから、速さAがCDを通過する時間は、速さBがCEを通過する時間と同一だろう。ところで速さBがCEを通過する時間対同一の速さBがCDを通過する時間は、CE対CDに等しい。よって速さAがCDを通過する時間対速さBが同じCDを通過する時間は、CE対CDに、すなわち速さB対速さAに等しい。これが意図したことであった。

定理4[30]

  定 理四  命 題四

 もし二つの可動体が異なる速さで均等運動をするならば、両者によって異なる時間のうちに通過される距離が相互に持つ比は、速さ相互の比と時間相互の比とから合成された比〔ratio composita〕(l)となるだろう。
 二つの可動体E、Fが均等運動をし、可動体Eの速さの可動体Fの速さに対する比は、A対Bに等しいとせよ。一方Eの運動時間とFの運動時間との比は、C対Dに等しいとせよ。 Eが速さAで時間Cのうちに通過する距離が、 Fが速さBで時間Dのうちに通過する距離に対して持つ比は、速さAの速さBに対する比と時間Cの時間Dに対する比とから合成された比と同一であると主張する。Eが速さAで時間Cのうちに通過する距離をGとし、そして速さAが速さBに対するようにGがⅠに対するものとせよ。さらに時間Cが時間Dに対するようにⅠがLに対するとせよ。距離G、Ⅰの比は速さA、Bの比に等しいのであるから、Ⅰは、EがGを通過するのと同じ時間のうちにFが通過する距離となる。そして時間Cが時間Dに対するようにⅠはLに対しており、さらにⅠは、可動体Fが時間Cのうちに通過する距離であるので、Lは、Fが時間Dのうちに速さBで通過する距離となるだろう。ところでGのLに対する比は、GのⅠに対する比とⅠのLに対する比とから、すなわち速さAの速さBに対する比と時間Cの時間Dに対する比とから合成される。よって命題は明らかである。

【訳注】
 (1)「比の合成」とは、二つの比があるとき、前項同士の積と後項同士の積との比を作ることである。すなわち二つの比、A:BとC:Dがあるとき、「合成された比」は(A・C):(B・D)となる。

定理5[31]

  定 理五  命 題五

 もし二つの可動体が均等運動をし、速さも通過距離も異なるならば、時間相互の比は、距離相互の比と速さ相互の逆比とから合成されるだろう。
 二つの可動体A、Bがあり、可動体Aの速さ対可動体Bの速さはV対Tに等しいとせよ。さらに通過距離相互の比はS対Rに等しいとせよ。Aの運動時間とBの運動時間との比は、速さTの速さVに対する比と距離Sの距離Rに対する比とから合成されると主張する。可動体Aの運動時間をCとし、速さTが速さVに対するように時間Cが時間Eに対するものとせよ。するとCは、Aが速さVで距離Sを通過する時間であり、また可動体Bの速さTが適さVに対するように時間Cは時間Eに対するのであるから、時間Eは、可動体Bが同一の距離Sを通過する時間となるだろう。距離Sが距離Rに対するように時間Eが時間Gに対するとすれば、Gは、Bが距離Rを通過する時間となる。そしてCのGに対する比は、CのEに対する比とEのGに対する比とから合成されるが、CのEに対する比は可動体A、Bの速さの逆比に、すなわちTのVに対する比に等しく、他方EのGに対する比は距離S、Rの比と同一である。よって命題は明らかである。
#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (file0003.jpg)

定理6[32]

  定 理六  命 題六

 もし二つの可動体が均等運動をするならば、両者の速さ相互の比は、通過距離相互の比と時間相互の逆比とから合成されるだろう。 二つの可動体A、Bが均等運動をするとせよ。また両者の通過距離相互の比はV対Tであり、一方、時間相互の比はS対Rに等しいとせよ。可動体Aの速さが可動体Bの速さに対して持つ比は、距離Vが距離Tに対して持つ比と時間Rが時間Sに対して持つ比とから合成されると主張する。速さCを、可動体Aが距離Vを時間Sのうちに通過する速さとし、距離Vが距離Tに対して持つのと同じ比を、速さCは他の速さEに対して持つとせよ。だが、もし時間Rが時間Sに対するように速さEが他の速さGに対するとするならば、速さGは、可動体Bが距離Tを時間Rのうちに通過する速さになるだろう。それ故、速さCは、可動体Aが距離Vを時間Sのうちに通過する速さであり、また速さGは、可動体Bが距離Tを時間Rのうちに通過する速さだろう。そしてCのGに対する比は、CのEに対する比とEのGに対する比とから合成される。一方、CのEに対する比は距離Vの距離Tに対する比と同一であると仮定されており、またEのGに対する比はRのSに対する比と同一である。よって命題は明らかである。

#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (file0004.jpg)

サルヴィアーティ 
 ここまで見てきたことで、我々の著者が均等運動に関して著したすべてです。それでは次に、自然加速運動に関する非常に詳細で新しい考察へと進みましょう。一般にこの運動は、落下する重い物体によってなされるものです。その標題と序文は次の通りです。

-

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2009年01月04日 22:08