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トドル・フリストフ・ジフコフ
ジフコフ。元は目立たぬ地味な第一書記であったが、やがて党の支配権を固め、1961年にチェルヴェンコフを、
返す刀で1962年にユーゴフを追放・首相に就任し、秘密警察と軍を粛清し権力を確立する。
その後民族主義を称揚するがソ連離れはしなかった。1971年5月、新憲法を制定して国を「社会主義国家」とし国家元首にも就任した。
このころ米国留学経験があり、人気と才能のある娘リュドミラの登用を試みるが、彼女が1981年に急死し頓挫する。
1979年には慎重な経済改革を行う。彼の時代を含めブルガリアは他の東欧諸国に見られたソ連への挑戦とは無縁であり続けたが、これは農業・軽工業を得手とするブルガリアとソ連の経済的な補完性、
歴史的親露感情と周辺諸国との対立(特にユーゴスラビアに対する領土要求)が要因であるという。
ただし80年代この国は麻薬と武器の闇取引に関与し、ムスリム人の強制同化政策を推進してもいた。
彼はなんと1989年11月10日(ベルリンの壁崩壊の翌日)まで、30年近くその地位を維持した。