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同じ年の子がただ無邪気に遊んでいた頃、私には既に目標が出来ていた。
物心ついたころから傍にいた、父とも兄とも言いがたい人。何でも出来て、何でも知っていて、とても優しい人。
その人みたいな大人になりたい。その人と肩を並べられるような自分になりたい。
人生のある時期まで、私はそんな想いを遂げるために生きていた。

私の名前は、霧雨魔理沙。
幻想郷という世界の、人里という集落にある道具屋の子供。



【後継者】




私の家には、修行のために住み込んでる人がいる。その人の名前は、森近霖之助。
本当は人間じゃなくて、お父さんより年上の半妖だって聞いたけど、どう見たってそんなおじさんには見えない。
それがどういうことなのか、まだ小さい私にはよくわからないけど、嫌だなとか、変だなとかは思わなかった。
私の家には、お父さんでもお祖父さんでもない、霖之助という大人の人がいる。ただそれだけのこと。
一つだけ困ったのは、この人をなんて呼んだらいのかわからなかったことだけど、正直に聞いてみたら"香霖"って呼ぶように教えてくれた。

仕事が忙しいお父さんたちの変わりに、香霖はよく私の相手をしてくれる。
香霖といるのはとても楽しい。知らないお話もたくさん聞かせてくれるし、なにより凄いのは、彼の魔法。
やっぱり私には難しいことはわからなかったけど、キラキラした光が飛び回ったり、赤いはずの火が青や緑に変わったりして、いつもただただ感動していた。

「一通り学んでみただけで、僕の使う魔法はたいしたことないよ」

って香霖は言うけど、お父さんはそんなことないって首を振る。
無闇に人を襲う妖怪を追い払ったり、逆に意味もなく妖怪を殺して回る退魔士なんかを懲らしめたりしているんだって。
その話を聞いた時、私は思った。私も香霖みたいな魔法使いになりたい。香霖みたいに魔法を使えるようになって、今は一人で頑張ってる香霖を助けてあげるんだ。
香霖にそう言うと、

「それは楽しみだね」

って嬉しそうに笑って頭を撫でてくれた。
その日から、魔法の修行が私の生きがいになった。



私が魔法の修行を始めてから何年か経った。今、香霖は私の家にはいない。
自分の店を持つのが夢だったからって、魔法の森に行ってしまった。
魔法の森は人里よりもっと妖怪の多い場所だ。
香霖一人じゃ危ないかもしれないし、香霖より魔法の下手な私じゃ会いに行くこともできない。
そう思った私は、それまで以上に頑張って修行に打ち込むことにした。
香霖に一人で会いに行けるようになりたいのもあるけど、いつか香霖が妖怪に襲われて危なくなったときに、私が颯爽と現れて香霖を助けてあげるんだ。
そうしたら、香霖はなんて言ってくれるだろうか。
ありがとう?
すごいじゃないか?
よく頑張ったね?

……何でもいいや。それがどんな言葉でも、香霖はきっと褒めてくれる。嬉しそうに笑って頭を撫でてくれる。
だからもっと頑張ろう。早く香霖の役に立つために。



そんなある日、香霖が妖怪に襲われた。
昔香霖が追い払っていた妖怪たちが逆恨みして、一斉に香霖の店に襲い掛かってきたらしい。
そのことを聞いた私は、練習用の杖を持って飛び出していた。
香霖が怪我をしたらどうしようとか、そんな心配は全然してなかった。香霖がやられるわけがないって思っていたから。
これはチャンスだ。香霖に私がどのくらい強くなったのか見せてやる。
私が行く前に、妖怪たちを全部倒したりしないでくれよ。
自分の力を見せ付けたくて、私は魔法の森へと急いだ。



見つけた。あれは香霖の使う魔法の光だ。すぐあそこまで行って大暴れしてやろう。
そんなふうに勇んで近づいた私は、徐々に強くなる"殺し合いの光景"に、自分がどれだけ甘いことを考えていたのか思い知らされた。
あたりには妖怪たちの血や肉片が飛び散り、生臭い臭いが内臓にまで染み込んでくる。
木の枝に引っかかったピンク色の肉塊に、思わず吐きそうになった。
口を押さえて視線を前に向けると、香霖はあちこちから血を流して苦しそうにしていた。
妖怪たちはまだ数匹残っている。
離れているからこちらには気付いてない。
だというのに、こういう場面に慣れていない私は、そいつらの放つ本気の殺気に当てられてしまった。
憎しみの篭った咆哮。怒りに歪む表情。容赦のない攻撃。
目に映る全てが、私の想像していたものより遥かに苛烈で恐ろしい。
手はカタカタと震え、足は地面に縫い付けられたみたいに動かない。
そんなふうに私が怯えている間にも、一人で妖怪たちに立ち向かっている香霖はみるみる傷ついていく。

助けなきゃ。このままじゃ香霖が殺されてしまう。
今まで何のために頑張ってきたんだ。香霖と一緒に闘うためだろう。香霖を助けるためだろう。
叫ぶ心とは裏腹に、体は言うことを聞いてくれない。

はやく、はやく助けに行け

香霖を見殺しにしてしまう

今動かないと、今助けないと、香霖が!

動け! 動けって! なんで動かないんだ!?

動け

動け

動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け!


動けって……言ってるのに……



その直後、話を聞いて駆けつけた慧音によって妖怪は退治されたけど、香霖は重症のために昏倒、予断を許さない状況が続いた。
治療しに来た永琳は、日常生活に支障が出ることはないけど、おそらく魔法を使うことは出来なくなるだろうと言った。



「うっ……ぐぅっ……」

どうやら、人間は本気で怒りを感じたときにも涙が出るらしい。
家に戻った私は部屋に閉じこもり、歯をギリギリと食いしばって涙を流していた。
香霖が死にそうになっていたのに、怖くて助けられなかった。いや、助けようとしなかったんだ。
情けなくて、悲しくて、腹が立って、頭の中はぐちゃぐちゃだ。
その日、私は朝までずっとボロボロと泣きながら自分を責めていた。



数日部屋に篭っていると、いい加減怒りも底を尽きる。
疲れ果ててぼんやりとした頭で、私は魔法の道を断念しようと考えていた。
それまで私が目指していた道は、香霖と2人で肩を並べて歩く道だ。
それだけを目標に、ずっと前を歩いている香霖を走って走って追いかけてきたんだ。
でも、香霖は魔法が使えなくなってしまった。私がどんなに凄い魔法使いになっても、その傍らを香霖が歩くことはない。
私が進む魔法の道は、私一人の孤独な道でしかなくなってしまった。
第一、香霖を見殺しにしようとした私が、これ以上魔法の修行を続けたいなんて勝手なことを言えるはずもない。
どうせ返り討ちにあうのが関の山だったとは思う。それでも、何も出来ないなんてことはなかったはずだ。
実際、あの後すぐに慧音が駆けつけたんだから、私が注意を引くだけでも香霖の怪我を減らせただろう。
結果論かもしれないけど。

……とにかく、香霖が起きたら謝ろう。
助けなかったことと、魔法の勉強をやめてしまうこと、その両方を。
怒られるかもしれないけど、それでもいい。むしろ思いっきり罵倒されたいくらいだ。



それからまたしばらく経って、ようやく香霖は話が出来るくらいに回復した。
お見舞いとお詫びに向かった私を、香霖は笑顔で迎えてくれたけど、今はその笑顔が心に突き刺さる。
少しだけ話をしてから、私はあのときのことを謝った。
涙を堪える私に、気にしなくていい、君に怪我がなくてよかった、って香霖は言ってくれた。
それを聞いて、私はまだ香霖にとって守られるだけの存在なんだ、とか考えてしまった。
香霖は本気で私の無事を喜んでくれているのに。
そんな私が惨めで、魔法の修行をやめるって伝えるときは、香霖の目を見ることが出来なかった。

息を呑む気配のあと、香霖の声は少しだけ硬くなった。

「魔理沙、君がそこまで僕を慕ってくれていることは嬉しい。小さい頃からの目標を失ってショックなのもわかるつもりだ。
 それでも僕は、魔理沙に魔法の修行を続けて欲しい。僕が魔法を使えなくなったからこそ、ね」

それを聞いて顔を上げると、香霖は軽く頷いて話を続けた。

「今の僕からは想像できないかもしれないが、昔の僕は結構な野心家だったよ。
 人並みより多少覚えがよくて寿命も長いから、いつか幻想郷のパワーバランスを塗り替えるほどに強くなるつもりだった。
 まあ、すぐに挫折することになったけどね。どんなに頑張ってもある一定のレベルで必ず壁にぶち当るんだ。
 何年努力し続けても破る糸口すら見つからない。
 向き不向きの問題かと思ってあらゆる分野に挑戦したけど、結局は器用貧乏の域を出なかった。
 それで、僕の能力を活かすべく道具屋になることにしたんだ。
 幸いマジックアイテムの製作についてはかなりの水準に達していたからね」

まだ長い時間話すのは辛いらしく、香霖は少し息を整える。

「魔理沙が僕みたいになりたいって魔法の修行を始めたとき、これはすぐに僕なんか追い抜いていくなと思ったんだ。
 普通は焦ったり嫉妬したりするんだろうけど、僕はただ嬉しかった。
 僕が魔法を身につけたことで、君という優れた魔法使いを誕生させるきっかけになれたからね。
 目の前の壁がどうしても破れなくて、絶望と共にうずくまっていたけど、
 いつか僕の後ろから君が来て、僕の代わりにその壁を壊してくれる。
 僕が自力で見ることの適わなかった、壁の向こうの景色を君が見せてくれる。
 魔法使いとして大成することを諦めてからずっとくすぶっていたやりきれない想いを、君が晴らしてくれたんだ。
 だから僕は、魔法を使えなくなったことに対して未練や悔いは全くないよ。
 僕の後を継いでくれる者として君がいるし、現役の魔法使いとして、最後の最後で一番大切なことを
 君に教えることが出来たからね。他者と争う力をつける、その恐ろしさと危険性を」

「……」

言葉もなく香霖を見つめる私。
恥ずかしかった。
こんなに期待してくれていることに気付かなかったことも、そんな香霖に向かって魔法をやめるなんて言ったことも。

「実は、君に渡したくて店を構えてからずっと作り続けていたものがあるんだ。
 もともと僕の愛用していた火炉を改良したもので、魔理沙にあわせて調節するのに苦労したんだよ。
 いつか君が一人前の魔法使いになったときに使ってもらいたくてね」

そう言って香霖が取り出したのは、手のひらに収まるくらいの小さな八卦炉だった。
受け取ったミニ八卦炉は、握り心地も、私の魔力との馴染み具合も、おそらく使いやすい魔法の系統まで、完璧なまでに私に合わせて作られていて、香霖がどれだけ力を注いで作ったのかよくわかる。

「卑怯な言い方をするけど、君が僕にあこがれていてくれたなら、そして僕に申し訳ないと思ってくれているなら、魔法をや
 めるなんていわないで欲しい。
 これは僕の我侭だ。君が聞く必要なんてまったくないけど、それでもお願いするよ。
 魔理沙、僕が胸を張って自慢できるような魔法使いになってくれないか?」

……私はとんでもない思い違いをしていた。
私がこれから進む魔法の道は、決して孤独な道なんかじゃなかったんだ。
傍らを歩いていなくても、私が歩いていくその姿を後ろで香霖が見てくれている。
くじけそうになって振り向いたら、そこに香霖がいてくれるんだ。
握り締めた八卦炉も、香霖の思いも、重くて重くて押しつぶされそうだったけど、その重さが嬉しくて、私はずっと泣いていた。





「……なんだあんた? 私に一体何の用だい?」

「あんた、強い悪霊なんだろ? 私に魔法を教えてくれよ。私はもっともっと強くならないといけないんだ」

「やれやれ、悪霊に師事しようと頼む人間なんて聞いたことないね。
 その度胸は買うけど、それなりの実力を見せてもらわないことには了承できないよ」

「望むところだ。私の覚悟ってやつを見せてやるぜ!」

握り締めた八卦炉はまだ重いけど、いつかこの重さを受け止められるようになってみせる。待っててくれよ、香霖!