「このまま数キロも歩くなんてないよ」
「愚痴ってもしかたないでしょ。終電の時間には今から走っても間に合わないし……」
巴に諭されながら、駅に続く商店街のアーケードをとぼとぼと歩く。
仕事の帰り。
立ち並ぶ商店のシャッターは当然のごとくシャッターを閉ざしていた。
僕ら以外に人の影はない。
年末が近くなっているいう事もあってやらなければいけない仕事が溜まりに溜まっていて、ここ最近では終電の世話になっている。
今日も残業が長引いて――しかも金曜日で明日から休日という事もあり、これ以上仕事を先延ばしにするのは避けてなんとか消化しようと躍起になっていたから――結局、会社を出た時には、時計はすでに日付が変わって間もない時刻を指していた。
何とか走れば終電に間に合うかなと思っていたのだが……無理のようだった。
家は電車で一駅の所なのだが、その間は数キロの道のりがある。
連日のハードな残業のために疲れきった体でそんな長い距離を歩く気にはなれない。
かといって、大枚をはたいてタクシーに乗る気にもなれない。
そんな静寂を破るかのように遠くからガタゴトという音が聞こえてくる。
電車が近くの鉄橋を渡る音だった。
でも……終電が定刻どおりに来ているのなら……5分前に聞こえるはず!
1年近くこの路線で通勤していて、しかも事あるごとに終電の世話になっているのだからよく分かる。
「ひょっとしたら終電が遅れていたの?急ぐよ、蒼星石」
「うん!」
僕らは即座に全力でアーケードを駆け抜ける。
「ひょっとしたら間に合わないかも!」
「言われなくても分かってるよ!」
そんなやり取りをしながらも駆け足の速度をさらに上げる。
12月に入って間もないこの時期の真夜中は結構寒い。だが、必死に走っているため今はむしろ体が汗ばむほどだった。
すぐに駅入口が見えたかと思うと、自動改札に定期券を滑り込ませて通り過ぎる。
高架駅になっているので階段を登らなければいけない。
が、もはやそんなことも気にせず、息を切らしながらも駆け上がる。
同時に電車の車輪の音が構内に響き渡る。
階段の先にはホームが広がっていた。
そこには乗る予定の電車が既にドアを開けて停車していた。
○○電鉄北新田線、鐙台行き最終電車。
僕らが車内に駆け込むと同時にその背後で、ぷしゅん、と音をたててドアが閉じる。
閉じたドアに背を預けて、僕らは息を整える。車両はゆっくりと動き出し、窓の外のホームがゆっくりと後方へ流れていくのが見えた。
「なんとか間に合ったね」
飛び乗った最後尾の車内を見回すと人はいない。がらんとしている。
肩で息をしながらも、ちらりと腕時計を見ると時刻は24時18分。
電車は10分遅れの発車だったというわけだ。
「終電が遅れていて助かったね。逃していたら延々と歩く羽目になってたよ。それだけはご免よ」
巴も息を切らしながら窓の外を流れる街灯をただ見つめていた。彼女もまた疲れの色を隠し切れないでいる。
「とにかく座ろう」
「そうね」
僕らは手近にあった座席に腰を掛ける。
座席はロングシートになっていた。通勤ラッシュの時間帯だと当然座れなく、車内もうんざりするぐらいに混み合っているのだが、さすがに最終電車となると座り放題だった。もっとも、一駅で降りなければいけないのだけど。
やがて電車はトンネルに入る。
ごう、という音が車両の外から車内に響き渡る。
窓の外を見ても薄暗い照明が横切るだけの暗い地下トンネルの壁に重なって、二重写しになっている僕と巴の姿が見えるだけだった。
何も言わず、ぼんやりと腰掛けながら正面の窓を眺めている僕の耳に聞きなれた音が飛び込んでくる。
ごおっ!
空気の鳴る音。僕が降りる駅のその手前で、トンネルが少し広くなっている。気圧と気流の変化が起こすその音が、僕への合図だ。もうすぐ駅だぞとその音は告げていた。
でも……変だ。
いつもより座っている時間が短いような気がする……。
最近は毎晩のようにこの終電を利用しているおかげで、シートに腰を下ろしている時間は身体が覚えている。
となると、どういうことなの?
いつもより速い速度で電車が走ってるということ?
今日あたりからダイヤでも変わったかな?
ともあれ、僕は重い腰を上げドアの前に立った。
「どうしたの?」
巴がそんな僕を訝しげに見つめてくる。
「いや、なんとなくいつもより電車のスピードが速いかなと思ってね」
「遅れを取り戻すために思い切り飛ばしてるのじゃないかな。ほら、回復運転ってやつ」
なるほど、そうかも……と思いかけたが、ふとわいた疑念はそれだけでは解消しなかった。
となると、駅に着くときに急ブレーキを掛けて停まるってこと?
だったら危ないじゃない。普通じゃありえないよ。
それにそもそも回復運転にしても、それが原因で尼崎のJRの脱線事故が起こったってことでマスコミに散々取りざたされて、自粛する流れになっているというのに。
そう、思いながら僕は窓の外を流れるトンネルの蛍光灯を眺めていたのだが……。
……やっぱり変だ。
あの音が聞こえるころには、いつもなら速度がかなり落ちている。なのに、窓の外を流れてゆく地下トンネルの壁は速度を落としていない。
いや……それどころか、いつもより速くない?
そう思った瞬間だった。
「ち、ちょっと!」
気流の乱れに窓ガラスを揺らし、なんと電車は僕らの降りるべき駅を通過してしまったのだ!
見慣れたベンチが、広告のポスターが、そしていつも僕が重い足をひきずって昇る階段が、目の前を猛スピードで横へと滑ってゆく!
僕は思わずドアのガラスに顔を押しつけ、遠ざかる駅を見送った。
「なっ……どういうこと!?」
さすがに巴も立ち上がって、僕の横に立って窓の外のありえない光景に目を見開いていた。
「どうなってるんだい……これ……」
「分からないよ……」
僕と巴はまじまじと互いの顔を見合わせる。
ただ困惑しながら、僕らは窓の外を流れるトンネルの壁を見つめていることしかできなかった。
-to be continiued- (その2へ)