ゆっくりと目蓋が開かれる。
 そこは不思議で不気味で淋しい世界。
 生き物の気配がまるでしない、静かな静かな、寒気すらするとても淋しい世界。
 イルスが目を覚ます、その目に写るものは無機質で、殺風景で、あちこちに資材が散らばった、あのモニター室。

――やっぱり……

 自分が床につく前に予想していたとおりの光景が、そこにはあった。

『気分はどうかね?』
 どこかでモニターしているのかどうかはわからないが、昨日も聞いた初老の声――Mr.GRの声が、壊れかかっているスピーカーから、耳障りな雑音と共に聞こえた。

「……気分はね、悪いよ、最低だ。」
 と返したものの、腹部の不快感が完全に消えているのに、イルスは気がついた。
『気にしているようだが、君が受けた腹部の痛みは、現実世界の中だけで伴う。』
「現実だの悪夢だのの違いはよくわからないし、……まあ深く理解するのはやめておくよ。」

 長椅子からよろよろと起き上がる。そこは自分が今まで寝ていたベッドとは明らかに違う。いや、違うのはベッドだけではなく、自分が存在してた部屋ともまるで違う場所だ。
 人知を超えた「なにか」があるのは、さすがのイルスも感じているが、あいにく彼は現実主義者で、それを“そういう風に”理解しようとはしない。
今認識し、理解しているのは、あくまで「自分の存在」と「話す相手」と「その空間、場所」。それだけである。

『本題にすぐに入りたいところだが……念のために聞いておく、私から改めて送った招待状は見てくれたかな?。』
「なに、それ?。」
 そっけなく返すと、モニターに映っている男の顔は少し呆れたように、
『……この状況事態があまり信用ならないからって、それはさすがになぁ……。』
と返されてしまった。が、すぐに顔色を戻し、
『まぁいい。同じものを君宛のメールに送信しておいたのだがな……ここで確認するといい。』
「何を見せる気だった?」
『今回の対戦試合についてだ。もしこれがFFTからの告知だったら、君は失格になっているぞ。』
ふーんとどこ吹く風だといわんばかりのイルスを尻目に、画面の向こうでGRが何かを操作した。直後にイルスが見ていた画面が切り替わり、ずらずらと文字列が表示され始めた。
 どうやら今回の対戦についてのルールや注意点が書かれているようだ。細かい点を掻い摘んでみると、以下のようになっている。

   *今試合のルールのお知らせ*
  • 使用機体は5体を用意する。
  • 通常のXリーグと同様、オプション以外の各パーツの重複は不可。
  • お互いの5体の機体は、お互いの対戦相手に公開される。
  • 公開はアセンブルデータのみ。AIチューンの閲覧は不可とする。
  • 実際の対戦には5機の中の3機のみををアーキテクトが選んで出撃させる。
  • 対戦ステージは“Collapse dome”。


「“Collapse dome(崩壊ドーム)”?」
『その窓から見えるのが、“崩壊ドーム”だ。詳しいデータを送るかな?』
「もちろん。」
 答えながら、モニターのすぐ横にある薄汚れた窓を覗き込んでみた。
「なるほど、確かに“崩壊”しているね……。ってここは。」
 窓から見た景色。
 鉄柱が折れ、天井が崩れ落ちて空が見える。イルスが現在いる部屋同様、資材や瓦礫でゴチャゴチャとしていた。
 だが確かに崩壊はしているが、地面は対物理コーティングを施された床が敷き詰められ、壁に割れた巨大ビジョンが存在しているんなど、根幹を成す部分がまだ生き残っており、その姿は確かに対戦AC用のアリーナドームの面影を残していた。

『今そちらに対戦ステージの詳細データを送った、確認するといい……どうしたのかね?』
「いやさ、このドーム、見覚えがあるんだ。」
『………。』
「今までこのモニター室しか見ていなかったからわからなかったけど。ここはスチールバレーにある、いや“かつて存在していた”アリーナドームだ。違う?」

 イルスのその問いに、GRは無言心なしか、しかしその顔はどこか悲しげな表情を浮かべていた。無言を肯定としたイルスは話を進めた。

「このドームが倒壊したときのこと。その頃の僕はまだ幼かったけど……良く覚えているよ。」



「敵勢力、未だ増え続けいます!」
「敵MTの数に圧倒され、このままだと各アリーナゲートの突破を防ぎきれません!」
「5つあるうちの工場区のうち4つとも奪われているからな……そこで働く労働者に、その家族まで加わり、全体の半数近くが暴動テロを起こしているんだ。数では我々が圧倒的に不利だ。」
「くそっ、本部からの支援はまだ来ないのか!?」

 数年前のこの日、スチールバレーで「今世紀最悪級」とも言われる大暴動テロが起こった。
 事の発端は、時のスチールバレー産業区責任者と観光監督が手を組み、新たなAC用アリーナドームを作る計画が立ち上がったところから始まった。
 当時、この地区は工業地として栄えていた一方で、「公害街」「鋼鉄と煙で隔離された町」「貧富の差によるスラムの拡大」といった地区のマイナスイメージの問題を抱えていた。
 そこで、そのマイナスイメージを払拭するために、このドーム建設案が立ち上がった。民衆側や労働者からも、工業地区としての特色以外、なにも魅力のない――要するに娯楽が少ないこの地区に新たな明るい未来ををもたらしてくれるこのドーム建設は支援され、建設は開始された。

 実際、ドーム建設時期はそれほどかからず、職人的な手際の良さと技術レベルの高さから、あっというまに完了した。
 しかし、急ピッチに進めていた建設の影で、公害の基となる、長い間汚染された土壌、工業排水などの処理を、あろうことか当時土地が余っていた住民区に一時的に長期保管……事実上の放置という最悪の処置がなされた。
 そして、事実はドーム開設後に顔色を変えた産業区責任者が、労働者達への借家や賃金といった物を人質ならぬ“モノ質”として、隠蔽されることになった。

 権力者と民間レベルでのこういったイザコザはよく起こるものだ。民衆に顔良く行政を動かしていると見せ、実際は自分たちの利益の為に事を計画する。
 本来ならばそういった非人道的な事例があった場合、中小企業のみならずやクレスト、ミラージュ、キサラギの3大企業から「極めて重大なクレーム」がつく。
 が、この頃はフォーミュラF絶賛の時代であったため、AC用パーツの過度生産が必須とされ、なおかつそれに耐えうるだけの生産能力を持っていたのが、このスチールバレーのみだった。
 ドームの完成自体も、そのままフォーミュラFの宣伝機会を増やすことができるといったことから、自分達にはマイナスよりもプラスが多いと判断し、結局企業側の対応は次第にうやむやとなり、消極化していった。

 有害な汚染物質に囲まれた居住区の人間たちは、次第に公害病に悩まされていく。
 咳が止まらない、喉が痛いなどの症状ならまだマシで、頭痛がたえない、呼吸不全になる、ひどいものになると、公害病による死亡、奇形児の誕生といったことまで引き起こした。
反発しようものなら、ことごとくその地区で労働者達の賃金は無言のまま下げられていき、虐げられていく。我慢の限界だった。

 そしてドーム完成からちょうど1年、スチールバレーのドームで一周年記念の大々的なイベントとして、フォーミュラFの各世界地区の親善試合が行われる早朝、それは起こった。
 生産ラインの生命線である工場区が、突如労働者達に占領された。始めはただの小規模の暴動だと思い、スチールバレー地区管理局は治安部隊を鎮圧に向かわせた。
 当然、政治的でも大事な局面でもある親善試合は中止されず、事実は秘密裏に進められていくはずだった。


 事態は2時間後に急変する。治安部隊が「我々は善良な市民に鉄槌を喰らわすために組織されたのではない」という通達を最後に、地区管理局を裏切り、民衆へと寝返った。
 さらに一つ目の工業区のプラントを押さえられるのに同調するかのように、第二、第三の工業区でも“反乱”が起こり、管理局の私兵部隊が奪還した第五地区を除いた4つの地区を労働者達の手の内へと完全に奪われてしまう。
 なぜ短時間にこうも簡単に奪われたのか、それは汚染された居住区の労働者、全家庭一同、さらにその他の近隣居住区からも、現在の管理局に不満を持った者達が次々と現れ、その規模を膨れ上がらせていたからである。
 表面上は不満も沈静化されていたが、実はその水面下では着々と反乱の計画が練られていたのであった。

 民衆軍は、MTを操縦出来る者は強力な重火器を持つMTに搭乗し、工場プラントでは生産されていた無人ガードメカのプログラムを操作して味方に加え、さらに資源の許す限り自動生産をし続けた。結果、数だけは私兵部隊を上回り、個々の能力の差を埋める。
 しかしそれだけでは、強力な装備を持ち、実戦経験を持つ管理局私兵部隊には天と地ほどの差がある。その差をさらに埋めるべく……民衆軍はレイヴンまで雇っていた。

 雇われたレイヴンはその恐るべき攻撃力を惜しみなく発揮し、民衆軍の被害を最小限に抑えてくれた。戦況を見極め、私兵部隊に襲い掛かる姿はその彼の名の通り、狼のように獰猛かつ冷静沈着で、背筋の凍るような恐怖すら感じさせるほどだった。


「私兵部隊長、戦局はどうなっているのだ?」
「“凍狼”とか呼ばれている腕利きのレイヴンが護衛に付いているのが厄介だ……しかも奴は対AC戦を専門にしているレイヴンらしい。」
「つまり民衆軍は、こちらが対抗してレイヴンを雇うことを考慮して彼を雇っているってわけですね。」
「どうするのだ、もう親善試合は開始されてしまったのだぞ。これ以上騒ぎを隠し通す事は無理じゃろうて!」
「我々だって善処している、だからあれほど早くレイヴンを雇っておけと言っていたのだ!!」
「レイヴンを雇うには出費が多すぎる、こういうときのための貴様私兵部隊らだろうが!」
「あんたらは、こんなときまで金の心配か、この守銭奴どもがッ!!」
「そもそも、急ピッチで進めた結果でこうなったのだ、なぜ着工前にもっと計画を練らなかったのだ?」
「それは遠まわしに私達に責任があると言いたいのか、卿?」
「別に誰がどうの、とは言ってないんだがね。」
「ならば我々からも言わせてもらう、この計画を期限までに何とか終わらせようと各機関に圧力を加え続けたのはどこだ?全ての事業から優先してドーム建設するという意向を推し進めたのは誰だ!?」
「別に我々は強制などしとらんよ?それに断固たる証拠があるのかね?」
「……話にならん。」

 スチールバレー管理局の会議卓では、この期に及んで責任の擦り付け合いが始まっていた。そんな無駄な時間を過ごしている間に……。


「た、大変です……アリーナドームの防衛網が突破されました!!」

 荒々しく会議室の扉が開かれ、報告に来た私兵部隊が一気に捲し上げた。
「なお、アリーナドーム内部に侵入した無人メカとMT部隊はドーム内部に侵入、試合中だった両陣営のu-ACを攻撃、これを撃破……ドーム内部から無差別に破壊攻撃を開始しています!!」
 報告書を持つ手が震えている。
「さ、さらに……」
「さらに、なんだ?」
「……私兵部隊の90%がすでに壊滅、さらに試合を観戦していた観客のなかに、すでに死傷者が……」
「馬鹿者がッ!!、なぜ危険が迫っているとわかっていながら、観客の避難をさせなかった!!」
「それが……私兵部隊長殿よりも上位の……管理局長殿の命令により、“とにかく事態を完全に隠匿、隠蔽したまま事態を沈静化させよ”との命令が出ていてて……」


 管理局のあまりにも危機管理低さから、前代未聞の大惨事へと事態は進んでしまっていた。



「あれはひどいものだったね。焼け落ちる客席、崩れ落ちる天井、軋んだ音を立てて倒れる鉄柱。」
 当時を思い出すイルスは語る。
「怒りの暴徒と化した民衆の目には、このドームに来る観客も憎む敵に見えてたんだね。“このドームにかかわる者、何も知らないでのうのうとここへ来るお前たちも、皆同類だ”って。」

 これは民衆軍が、ドームに侵入したときに観客、大会関係者に対して放った最初の“叫び”。
 この第一声に労働者側の怒りの全てが含まれたセリフとして、当時のマスコミ各社が次の日の一面トップに、この言葉がならんだ。
「僕の手を掴んだ母と一緒に、僕は必死になって逃げた。とんでない恐怖体験だったよ。」

『ずいぶんと詳しそうだな。』
「アーキテクトを目指していたころ、この事件のこと思い出して色々調べたからね。あ、そういえば。」
 なにかを思い出したイルスが、カメラの向こう側にいるGRに顔を向ける。
「確か、そのときにこのスチールバレー出身のチームオーナーが、暴徒のリーダーに殺されたっていう記事があったんだけど。」

 彼の、GRの顔色は、さっきからずっと一緒だった。何を考えているのか伺えない、無表情を突き通している。

「記事を書いた人間が興味なかったのか、詳しくは書いてなかったね。名前とかも書かれてなかった。」

「まあ現実主義の僕が言うのもなんだけど、それってひょっとし……。」
『その話は……試合の後にしてあげよう。まずは目の前の戦いに目を向けてもらいたい。』

 あまり触れてほしくない話題のときの答え方、そんな模範的な強引な話題の転換。
 彼は、やはりなにかを知っているようだ。だけどこれ以上追求しても答えてくれそうもないので、これ以上聞くのはやめた。
「わかった、じゃあ僕が試合に勝ったら話してもらうとしようか。」

 そう、今のイルスは過去のことを気にしている場合ではない。
 勝負の時がすぐ迫っているのだ。


数刻後――

「機体のデータ、構成もAIも一緒に送ったよ。」
『ずいぶんかかったな。』
「んー、どれくらいやってた?」
『そうだな……ざっと5時間くらいか。大した集中力だな。』
「そうか、5時間か。まあ構築をするにしてもちょっと少ない時間だけどね。」
『自信はないのか?』
 というGRの問いに、イルスは「まさか!」と一蹴する。
「自信はある。5時間だけとはいえ、ほとんどの機体、AI両データは次のXリーグの為に考えておいたものから引っ張ってきたしね。」
『自信はあるというわけだな。』
「あたりまえだよ。自分の成す事に自信の持てないままのアーキテクトが、勝利を掴めるはずが無い。」

 イルスは、忘れていた。
 “自分が眠りについてここに来てから5時間が経った”ということ。正確に言えば、更にもっと長い時間、この場所に拘束されているということだ。
 それはつまり、別のところで影響を及ぼしていることになる。


「で、なんで私が様子を見に行くことになるわけ?」
『ほら、もしアイツがぶっ倒れてもしてたら、君が適役になると思ってだなぁ……。』
「倒れたって……、朝に連絡が無かったくらいで、様子見もなにも……。」
『いや、イルスは休みどころか、数分の遅刻がありそうだと確実に30分前には連絡を入れてくる。そういうところにはかなり神経質だからな、アイツは。』

 現在時刻、午前11時。
 ブルーネメシスのガレージに現れないイルス。ブラウは昨日のイルスの様子を思い浮かべ、彼が思うに一番の“適役”に調子の具合を見に行かせようとしていた。

『それに昨日のイルス、どうみても重態だったぞ?、本当に倒れていたりしたらやばいだろ?。』
「それは、まあそうだけど……。」
『あー、じゃーわかった。じゃウチの経理のリリアンちゃんに頼むとするよ。』
「……誰よリリアンって。」
『まだウチのチームに入ったばかりで、若いんだが結構可愛い顔しててな、なんかイルスに気がありそうだから喜んで行きそうだからさ。』
「……ミスターブラウさん、何を言いたいの?、というか、私に何を言わせたいわけ?。」
『いや、深い意味は無いんだ、ま、そういうことだからカーティア、切……。』
「ちょ、ちょっと待って、えっと、私ちょうど買い物に……えっとそう、家具を、家具を買いに行こうと思ってたのよ!。」
『ほほう、それで?。』
「で、んっと、そのついでにといっては何だけど、イルスの様子見に行ってもいいかなって。」
『ほーう。』
「だ、だから、私が……。」
『うむ任せた、カーティア。』
 カーティアが話を切り替えそうとする前に、ガチャリとそこで切られた。

「ホントにしょうがないんだから……。」
 そう呟きながらカーティアは自宅から出発した。ちなみにイルスの住んでいる街には確かに家具インテリアメーカー「バロンズ・マテリア」という大手が店を構えているのだが、それはイルスの自宅マンションからはゆうに10kmは離れたところにあった。


「素直にさっさと行くと言えばいいものを……。」
 電話を切ったブラウは「ふぅ」と一息吐いた。なお経理担当に“条件:リリアン”に該当する人物は初めから存在しない。
「まあ冗談は抜きにしても、昨日のあの調子じゃあさすがにちょっと心配だな。」

 彼は重要にサブアーキテクトだ。一応見舞いくらい行った方がとブラウは判断し、「見舞い品なににしようか」などと思考しながら、ガレージへと戻っていった。







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