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 インターネサインの起動ログによれば、ジャンヌダルクは丁度二百年程前に長期の戦闘行動を行った事になる。

 だが、どうしてもその作戦行動の記憶をジャンヌは思い出すことが出来なくなっていた。

 何度もきいた事があるはずの敵性確認アラームに叩き起こされた直後の事だ。

 起動後の正常な手順として行われるデータの破損状況のチェックは、ジャンヌのシステム深部に叩き込まれた標準反応だ。

 しかし、ネサインの大雑把な起動ログとセンサー反応ログを頼りに、自分の記憶がどこまで正しいかを確かめるチェックは、五百年前、ジャンヌが戦闘用の体を手に入れてから丁度十回目の作戦行動後から付いた癖だ。

 五百年前は念のためだった筈の記憶確認は、今や損傷度確認の行為に変わっている。

 ジャンヌはさる科学者によって開発された自己促進、自己成長型のコンピューターだ。実験的にではあるが、自己を認識し、他者を認識するプログラムとして開発された、その一号だ。

 生年月日すらも今となっては破損データの向こう側で、細かい事は確認の仕様が無いが、ジャンヌの起動が確認されてから少なくとも千年は経っている。

 その根拠は約百年ごとに地球上で観測される戦闘行動だ。地下に埋められた筈の人類が、管理者プログラムの試験を突破して、地上で繁殖を始めてしばらくしてから起る、意味の無い生存競争を始める。

 人類が地上に進出してから、大体百年で人類は壮大な仲違いを始める。仲間内で揉め始め、大地の汚染を無視して殺し合う。

 最早、ジャンヌにインプットされた命令書の範囲外の出来事ではあるが、ジャンヌはそれを無視する事が出来なかった。人同士がいさかい、進んで涙を流しあうのを見たくないがためにジャンヌは出来る事をするべきだと、これまでに十二回の出撃を繰り返してきた。ログによるならば。

 さっきからログによるならば、を繰り返しているのにはワケがある。

 二回前の出撃時の記憶が無いのは前述したとおり。そして、同様の症状は、三回前の出撃の時にも見られたものだ。

 要するに、そのログですら破損する可能性があるから、怖くて完全に信用する気になれないのだ。

 ネサインに叩き起こされたという事は、今回も戦闘の必要があるということだろう。

 ならば、まだする事は沢山ある。

 まず、武装のチェック。戦闘行動の記憶が無くなっている事があると言う事は、わかりやすく言えばケンカの経験値が貯まらないと言う事だ。

 それでも、つい最近、二年や三年の記憶であるならば確実なので、経験値は起動するごとにためる必要がある。

 さしあたって、今のジャンヌはケンカの仕方がわからない。感覚的な話ではあるが、それが理解できなければ、ケンカで勝つも負けるも無いのだ。

 武器の使い方がわからないわけではないが、戦闘の感が無いのでは、相手がACを持ち出してきたときに対抗する事が出来なくなる。

 必要なのは経験値だ。それも、些細な量じゃなく沢山いる。

 だから、最初は戦車になる必要があった。丈夫な車に丈夫な手足を乗っけて、今作れる限り最大精度のレーダーとモニター等の観測機器を装備する。

 武装は控えめにして、戦いの空気を覚える事に専念する。

 蓄積効率を上げるために、目立ちやすい赤で機体を塗ったくって、データ収集用戦車の出来上がり。

 ジャンヌは二人に分身して、劣化してる方にインターネサインの守護を託し、戦闘データ収集のために出動する。

 データを持ち帰るための帰還経路に使える衛星を検索し、百年前に比ると随分少なくなってしまった衛星の数にげんなりする。

それでも、使える衛星のルートを検索して、三本残った道筋のうちから最も寿命が短そうな一本を選ぶ。

退路を確保しておかなければ、機体がやられた時にデータが持ち帰れなくなってしまうので、極力慎重に。

本当は機体の乗り捨てなんてしたくは無いのだが、そんな事を言っていては何も出来ない様になってしまった。

ネサインも、ジャンヌ自身ももう正式なメンテナンスを受けなくなって千年が経つのだ。最初期に使っていた核融合炉も機能停止し、宮工房製超振動刀花千代紅重御太刀ですら再生不可能なまでに破壊されてしまった。ギガワットレールガンも回路が焼ききれて、武装は劣化の一途を辿るしかない。

 資源は無限ではない。今使っている戦車ですら、後何台も再生させる事は出来ないだろうが、戦うために出来る事はそれほど多くはなかった。

どの道を通っても、期待の乗り捨てだけは避けようがないと言うだけのことだ。

 もしジャンヌの事を知っている人がいるならば、戦わなければ済む話だと、人は言うかもしれないが、残念ながらジャンヌは戦わないでいる自分を許せるほど賢くない。

 人が争えば、マイナスの思念が満たされる。俗に「悲しみ」と呼ばれる感情だ。

 人が死ぬと悲しい。何かが壊れると悲しい。

しかし、その悲しみは戦うことで消してしまうことが出来る。ジャンヌ自身が調停者となれば、争いは生まれる筈がない。

そうでなければならない。実際に虚無感を味わった側としては、死ぬよりも苦しい「悲しい」感覚をこれ以上他の誰かに味わわせてはならない。

 自分でその感覚を止められるなら、放っておく術は無い。

 争いが終われば、悲しくなくなる。争う人間がいなくなれば悲しくなくなるなら、そんな奴らいなく

なってしまえばいい。


  ※


 プログラムは生まれた直後にある程度の知識を持っているが、それは辞書を体内に持っているからである。言葉の直接的な意味はわかるが、その内に秘められた意味はわからない。

 だから一言目から注意を食らう。

「おはようございます。あなたの名前を教えてください」

 生まれてすぐに研究室の監視カメラをハッキングし、主と呼ぶべき人の姿を見たジャンヌは開口一番にそう言った。考えるのが仕事の筈のプログラムとして生まれたジャンヌだけに、この発言は重みを持つべきものだった。

「ジャンヌ、命令だ。その挨拶の意味を言ってみろ」

 誠実そうな男だ。そう、ジャンヌは評価する。何を基準に誠実と判断したのかも自分ではわからないまま、並列処理で辞書検索。

「挨拶とは、礼儀として行う言葉や動作。又、式典などで儀礼的に述べる言葉。例えば、日本語で言えば、この言葉は元々禅宗の用語であり、修行者が互いの修行の成果を報告しあうために使ったものです。おはようございます、とは朝の挨拶で――」

「もういい。やめろ」

 急な静止。手を左右に振って男、

「なんで今、朝の挨拶をするのか言ってみろ」

 唐突な質問。これも辞書に載っているハズだ。検索開始。

 しかし、いくら知覚野をスクロールさせても、今なんで挨拶をしているのかわからない。そもそも、検索結果が導き出せない。

 まず、今という状況がなんなのかを知る必要がある。

 空白。

 一体自分でどうしろというのか。今という状態、今という空間全体から検索しようなどとしたら、膨大な結果がでる。どこかに注目しなければならない。では、どうしたら底に注目できるのか。その注目しなきゃならないこの空間の優先されるべき事柄がわからない。

 検索不能。指定されて動くのが今までのプログラムだ。何事も指定されなければいけない。ジャンヌは能動的にポイントを探そうとしたが、データが膨大すぎて何がなにやらわからない。

「どうした、わからないのか?」

 わからないのは悔しい。プログラムとして、完璧である筈の辞書内を検索する事すら出来なかったのでは、面目が立ちやしない。

 しかし、わからないことはわからない。八方塞ならば、それは外からどうにかしてもらうしかないのだ。

「わかりません。どのように条件を指定すれば答えを出すことが出来るのかが理解できません。条件付けを設定していただければ質問には」

「宿題だ。わかるまで自分で考えろ」

 無期限の宿題。そんなのは宿題と言えないのではないか。何の根拠もなしにそう思ったが、それこそ非論理的だということにジャンヌは気が付かない。

「僕が君を作ったカドマス=エインズワースだ。Camus-Ainsworth、入力してくれ」

 了解。はっきりとした命令の遂行はプログラムの十八番だ。コンマ一秒後には任務は完了している。

「家族は息子のアーロンと妻のリベカがいる、AaronRebekhaだ。こちらも登録しろ」

『登録完了しました。他にご命令は?』

 カドマスは顎の無精ひげを擦りながら、暫くジャンヌの詰まったコンピューターを見つめている。馬鹿でかい図体を惜しげもなく晒しながら、一生懸命にがりがりと何かを処理している音は一時も止まらないで、カドマス以外誰もいない部屋に響き続ける。

 機械は懸命に情報を処理している。このコンピューターには今、ジャンヌ以外のものは入っていない。だからこのコンピューター自体がジャンヌ自身だと言える。それにしては随分と煩い駆動音と冷却ファンの音。ジャンヌは平静を保っているように見えるが、その内面では複雑な処理を行っている。

 一生懸命に何を処理しているのか。

 ジャンヌは何も意識してはいない。頭では自立思考型回路として造られた事を理解しているが、自立思考型であると言う事は、つまり人間と同次元で認識できる精神があるということで、更に突き詰めると、字面だけで意味を理解する事は人間に知覚できる世界では大した意味を成さないということだ。

 ジャンヌには物質界において、プログラムがこれまで持ち得なかった無意識を持っている。

 その無意識は初めて見る世界に淡い色の吐息を漏らして、まるで恋でもする様に見入っている。

「この部屋は開放しておく。命令以外でわからないことがあったら誰にでも聞け。何と接触を持つのも自由だ。息子が入ってきたらちゃんと相手をするんだぞ」

 くわえたタバコに火が着く。安っぽいタバコと、誕生日にでもプレゼントされたのだろうブランド物の空気を纏ったジッポライターが笑える位似合っている。

『意図が量りかねます。指示がないと言うのはどういうことですか?』

 キャッチボールをする気はないようで、タバコをくわえたまんまのカドマスが、

「お前は何だ?」

『それはどういう意味ですか?』

「そのままだ。お前はどういうものとして作られたかを言ってみてくれ」

 半秒の間

『自立思考型回路、ジャンヌダルクです』

 自立思考型であるということですら、字面上の意味以上の事を理解しているとはいえない。課題が一つ増えた。

 にしても、何の指示も無しに言葉を使い、自分の常識では納得のいかないものに対しての疑問を生じた。

 この時点で他の回路とは次元が違うという事が明らかになった。

 実験はひとまず成功の兆し。

 人と同じだけの機転が利くプログラムを作ろうと言うのだから、まだまだ先は長いのだ。

「自立思考と言うことはな、おまえ自身が考えると言うことだ。お前がここにいる意味も、与えられる命令の意味も、お前が考えて掴むものなんだ。お前はそのために作られたんだからな」

『&&それは命令ですか?』

手を振って背を向ける。

「命令じゃないさ。やりたくないならやらなくても構わない。それを考えるのは僕じゃなくて君だろう?」

 自動ドア、オープン。

「強いて言うならば命令なんかよりももっと強制力の強いものの仕業かも知れない。それと、もっとラフな言葉遣いを覚えてみてくれないか? 事務的な話し方は卒業して欲しい」

 出来事に対して、興味を持つこと自体が高度な精神活動だ。

 物事の意味を考えるのを嫌がることだって、心の動きには違いない。そういった意味で、ジャンヌが今ここにある限り、思考活動から逃げられない。

 運命とかと同じぐらいの強制力と言えるかも知れないが、どちらかと言うとこれは物の道理、生きている上での常識だ。

 ジャンヌは生きている。生きているのならこの先、どのような事をしても、考えることは絶対に避けられない。

『待ってください。意味がわかりかねます。回答を――』

 質問は灰色のドアロックが遮ってしまう。

 命令以上の強制力を持つものをジャンヌは知らない。

 大体、人からの強制的な思考以上に強制的なものがあるものかと、この時は思う。

 まずジャンヌは「運命」という単語について、詳しく知り、考える必要がありそうだ。


 まず一つ言っておこう。

 ジャンヌの得意技はハッキングだ。

 そりゃつまり、餅は餅屋と同じ理屈の物の訳だが、前述の通りジャンヌは他のプログラムと一線を画している。

 いまだ本人も気付いていない臨機応変な思考能力は、単なるプログラムにはできない事を簡単にやってのける。

 回路の仕組みについて、プログラムの構成について、敵対するプログラムが動作を開始する前から解決法を考え、そのために動く事が出来る。

 電子情報上でのジャンヌの知覚野は広く深い。

 敵より早く察知して、気付かれる前に突破する。

 どんな非常事態が起ろうと、自動ではプログラム以上の行動をインタラプトさせる方法を知らないプログラムは、ジャンヌの前では木偶の坊に過ぎなかった。

 監視カメラのプロテクトを破らずにすり抜けるのだってお茶の子さいさいだ。

 研究室の外に出るのは怖かったが、いざ出て見ると案外快適だ。研究室を一歩外に出て、手近なカメラをハッキングすると、隣の部屋の全容があっさりと見える。

 中途半端な大きさの木の机に馬鹿でかい本棚。安物のカーペットの上には研究書が散らかっていて、何枚ものレポート用紙が丸めて捨てられていた。

 この部屋が何の部屋なのか、それを判断するのに優に三秒。初めて見るものを片っ端から簡易辞書で広義検索して、何百通りも現れた回答の中から、順次ランダムと無意識で抜き出していく。

 結局はこの部屋がなんなのかすらわからないわけだが。

 机とレポート用紙と、あと研究所は認識できた。

 要するに、こういうものだ。

『人間が物理的?な計算処理?をするときに使う土台?である』

『意志伝達?をするための文字?を出力?するための紙』

『現象?に対しての研究結果を纏めたもの?や導き出された結果?を出力された書物』

正しい説明が思いつかず、似た意味の単語を自力で選び出す。その結果、疑問符がいたるところに並ぶ妙な説明になってしまう。

 もっと深くわかるためには書物についても土台についても意志伝達についても、検索する事になる。とんでもなく膨大な処理だ。

 ジャンヌを収めている研究室のコンピューターに順次データを送信して、カメラの処理能力までも奪って全力で計算処理して、それでも三秒掛かる。

 わからないのは悔しい。コンピューターとしてのプライドがある。

 だが、やはりわからないものはどうしようもないのだ。どうにかしようと思うのなら、どうにかするその方法を自分で考える他は無い。

 そう言えば、カドマスは命令以外のことならば聞いていいといっていた。

 しかし、音声出力の機構は研究室にしか用意されていなかったし、そこからスピーカーまでの経路を確保しなければ行けない。

 さっきまでのたった三秒間でカメラの細い回路が熱を持って、研究室の本体までもがくたびれ始めた。この状態のままでも、回線の確保ぐらいは出来ない事は無いが、規定異常の負荷を回路に蓄積する事になる。

 作業を断念し、撤退する。来た道を戻って、回線を閉じて引きこもって、一時停止。

 周囲の観察も標準作業処理も何もかもサボって、アラームだけをセットして、豪快に休眠する。

プログラムであるならば普通はしない休み方だった。

 ※


それにしても、地上の荒れ具合は酷いものだった。

今までに地上にでてきた奴らも、ここまで酷い荒らし型はしなかっただろうと思った。

青い星の異名をとっていた筈の地球がいつの間にか黄色い星になろうとしている。

争う前から悲しい事実のように思えたが、環境の破壊を直接どうこうする力はジャンヌには無かった。

今までの出撃任務の中でも、かなり酷い部類に入る荒れ方だ。

要するに自然への気遣いが全く無かったと言う事。今までのヤツラはもっと慎重になって、地球自体にあまり大きく出てはいなかったのに、今回の人間達は随分と遠慮が無い。

これはかなり危険な事だ。地球そのものの寿命もそうだが、地球に遠慮せずに科学の発達を目指した、その結果を相手にすることになる。

『手ごわい相手かもしれないな&&』

 寒気を感じる。それは、恐れと悲観と諦められない意地の並列処理だ。

まずは戦力偵察を行うことが必要だった。燃料が惜しいが、最大出力でブーストして手近な施設へ向かう。

ネサインに衛星からの状況の監視を任せて、自身は地上の状態の調査。

衛星とリンクして、手近な軍事施設を探し、やがて見つけて方向転換する。

微細な熱量を衛星が検出してるのは、戦闘行動が行われたと言う事だろう。それなら都合がいい。

手っ取り早く経験値をためる事が出来る。

地図の生成はネサインに一任し、衛星への情報受け渡し準備の開始。

ブーストオン。


 ※


自動ドアが開かれて光が差し込んでくる。

休眠状態のジャンヌはこの時点でエレキアラームに叩き起こされる。

体の中をアリが這いずり回るような感覚にうずうずしながらプロテクトを排除したカメラにハック。

 すさんだ映像を転送する暇も無く、聴覚回路にインタラプトがある。

「誰かいるの?」

 映像転送完了。

 認識できたのは一人の子供。外からの光に背を照らされ、不安げな表情を暗がりの中に隠している。

『自立思考型回路、ジャンヌダルクです。なにか御用ですか?』

 びくりと、過剰な反応が見て取れる。何におびえたのかは知らないが、あまり刺激してはいけないと思って、機械音声の合成をする事にする。

 コンピュータ全体で総力を挙げて不快を与えない声とはどのようなものか思考する。検索プログラムも総動員させて、冷却ファンを高速回転。

 目の前の子供はまたもその音に過剰な反応をする。泣きそうな顔になって振り返ろうとしている。

 ――まずい。

 ここで逃げられては、ここで色々な質問をするチャンスを逃したら、またもメンドウをする羽目になる。

 音声の合成には意外なほどの時間が掛かった。

 光が地球を十五週できるだけの距離をジャンヌの中で移動し、やっとこさ掴んだ柔和なイメージ。女性のものだ。

 柔らかい声、と言うのだろうか。

その「柔らかい」がいったいどういう感覚なのかもわからないが、深く考えもせずにデータバンクの中から音声に関するデータを全てさらって、思いつく限りのレシピを試す。再生して音声を確認する時間は残されていないから、一発限りのぶっつけ本番だ。

無駄に慎重になるが、そうそうゆっくりすることも出来ないで、半秒で作り上げた六十のパターンの中から、ランダムで選択。言語再生機能を呼び出して、文書の作成「待って下さい、何もしないから怯えないで」、出力。

『待って下さい、何もしないから怯えないで』

 振り返った子供の背が立ち止まって、恐る恐る振り返る。子供らしい彫りの薄すぎる顔に愛嬌のある目と口と鼻が乗っかっている。

 そういえば、この子は誰なのだろう?

 しかしそれは後回しだ。対応だけに懸命にならないと、まともに判断が出来ない。

 大きすぎるコンピューターの筐体は、処理速度もそりゃすんごいのだが、それでも足りない。家庭用コンピューターの百倍くだらない処理速度でも足りなければ一体いくら必要だと言うのか。

 少なくとも、ジャンヌは既存のプログラムが足跡を刻んでいない場所にいる。

『逃げないで下さいますか? 私は貴方に聞きたいことがありますから、ほんの少しだけでも時間をお借りいただけないでしょうか?』

 自分でもよくできていると思える声だった。まさに会心の出来。テストをしてればもっと上手く出来たかもしれないが、今の状況ではこれ以上は望むまい。

 振り返った子供の顔には鼻水が伸びている。ズズ、と顔をゆがめてこれを吸い上げ、口を開けたまま沈黙。

 ――もしかして失敗だろうか。それは困る。とても困る。今ここでカドマス以外の人間に関わることが出来なくては、自分のコミュニケーション能力は全く評価にあたらないということになる。しょっぱなからカドマスの前でやらかしてしまった自分が評価を上げるには、ここでミスをするのはまずいのだ。一体何が間違っているのだろうか。やっぱりランダム任せは不味かったのだろうか。それともそもそも柔らかい声の定義付けからしてやばかったのだろうか。ここで目の前の子供が泣き出したりなんかしてしまったらゲームオーバーだ。

 子供が

 唇をゆがめて

 ――不味い。このまま泣き出すかもしれない。泣き出されたらそれはもう事だ。メンドウ以外の何者でもない。回避方法は無いか。この子供を泣き止ませる方法。それかやたらプロテクトの硬い自動ロックをどうにかして閉じる方法でもいい。泣き声が漏れなきゃ外にも漏れないだろ。

 笑った。

「僕はアーロンって言うんだ。お姉ちゃんはどこにいるの?」

お姉ちゃんになってしまった。後で意味を調べなくてはならない。

しかしなんとも安い笑顔だ。人の気苦労もしないで脈絡も無い自己紹介なんぞしてくれるな。

危機は去った。同時に名前の収穫も出来た。

カメラの映像を切り取って、カドマスからリンクされたカドマスの息子アーロンに写真をリンクさせる。

『貴方の目の前にいますよ。貴方の目の前には何がありますか?』

 アーロンは目の前の筐体をしばし見つめた後、顔を上げて周りをきょろきょろと見回す。頭の上にわかりやすい疑問符を浮かべて、目をごしごしこすった。

「どこ? 何も見えないよ?」

 もしかして目が悪かったりするんだろうかと思った。光量を上げれば少しはマシになるかもしれない。電灯のスイッチを入れる。

『これでどうですか?』

明かりのついた部屋の中でもう一度周囲を見渡すアーロン。また疑問符。

「いないじゃん」

 からかってんじゃねえよくそばか野郎。

 訂正。目がちっとも見えない状態なのだろうか。だとしたら、狂態に触れなければならない。

 ここで根本的な間違いに気付く。

 そもそもアーロンはジャンヌがプログラムだということを知っているのか、と言う話。

 だとしたら、ここでアーロンに自分がどこにいるかを認識させるのは不可能だ。認識させるには人間になる必要がある。

 人間になるなんてのは正直な話を言えば無理だし、アンドロイドにデータ移植するにも、処理速度の問題もあるし、オーダーメイドで作るのは時間が掛かる。

 贅沢を言わなければいいかもしれない。視覚的な姿だけを認識させるならば、ホログラフを作れば事足りる筈だ。

 それでも情報量が足りなさ過ぎる。声に関しては基本的なデータを持っていたから何とかなったが、人の画像については殆どわからないと言っていい。

 この場は誤魔化すしか無いと踏んで

『からかってすまん。 !&&も、もといからかってすいません、今私はここにはいないんです。今もスピーカーを通じて声を通してるだけですし、今からだってそこにいけるかどうかはわからないんです。なんとか映像をそっちに送れるようにしてみますので、私に関してはまた今度ということにしてくれませんか?』

 あわてて失敗した。言語に関してはもっと勉強する必要があるかもしれない。とっさの処理で失敗してしまうなんて自分でも信じられない。ジャンヌが人だったなら、今頃顔で目玉焼きが出来るぐらいにはなってる。

 悟られていなければいいと思う。

「ふーん。それじゃあさ、またこんどここに来たら会えるって事?」

 どうやら好感は抱いてもらっているようで、少し胸をなでおろす。

 今度がいつかはわからないが、それまでに優しい声を出しそうな、母性を感じられる女性の姿、をホログラフで映し出せるようになればいい。適当な機材は研究室に転がっているし、やれば何とかなるだろう。

『ええ、約束です。今度貴方がここに来たときにまた会いましょう? その時には姿もお披露目しますよ』

 プラスの、微笑みの感情を含んだ声を必死に演出する。

「うん、約束だからね。指きりげんまん、&&は出来ないかぁ」

 残念そうな声を聞いて、指きりげんまんで検索。

 その行為は、約束で互いを縛りあうためにするというところまで理解する。一度決められた事に背を向けないと、互いを信じてするおまじない。約束を破ることなんて簡単に出来てしまうことなのに、互いを信じあうなんて愚かな行為にも思えた。

 それが愚かと思わないのが人間なんだろう。そして、その人間と同じく、思考する事を生業とするプログラムがジャンヌダルクのはずだった。

『なら、声だけでもしておきましょう? 破るのも破られるのも嫌でしょうから』

 ゆびきりげんまんうそついたらはりせんぼんのーます、ゆびきった。

 小指とは、心臓に最も近い指だ。だから、この歌は小指同士を絡めて行う。自分の心と相手の心、触れ合っておけば、互いをたがえることも無いと信じるのだ。

 声だけであろうと、違えるつもりはジャンヌには無い。


 

 とはいえ、参考画像収集の当てが無い。

 外に出なければ話にならないのだが、外に出ればあまりの情報量にすぐに脳みそがパンクしてしまう。動けなくなったら事だから、それは出来ないとして、他の方法は無いものかと十秒地球七十五週分考えた末に、電子次元に落ちる事を閃く。

 他のプログラムとの接触を持てば、そのプログラムから情報を集めることができる筈で、そうすれば随分と知識的にジャンヌはステップアップできるのだ。

 そうと決まれば話は早い。回線の海に潜って、様々なプログラムが寄り合う集積地帯へダイビング。

 大容量のデータ交換が可能なように拡張された回線は、綺麗に整備された車道に似ている。

 すいすいと身を滑らせ、ケーブルドラムを通過し、擬似神経野を伸ばして他のプログラムと同調する。

 

 始めは何時だって些細なことなのだ。

 もともと、威力警備担当のアーチと監視担当のチダの仲は悪い。

 顔をあわせれば罵り合いが始まり、互いの失敗を見つけてはなじり合う。一方がバグを飛ばせば、もう一方がウイルスを飛ばして、最終的にはロジックボムの投げ合いにまで発展する。

 威力調整されたロジックボムは大した害にならないとはいえ、あまり多いとメモリは喰うわ回線を不調にさせるわで、迷惑千万以外の何者でも無いのだ。

 要するに、二人は互いの屋内シューズに画鋲を入れあう仲だった。

 今回も元々はチダが新しく入ったプログラムにあっさりとだしぬかれたのが原因だった。

 言うまでも無く、侵入した新入りとはジャンヌの事で、ただのカメラ監視プログラムが勝てる相手ではないのだが、負けは負けなのだ。

 ジャンヌは周囲と接触を保たずにプログラム仲間の内で名を上げて、逆にチダの評価は急降下した。

 これをアーチが逃す筈は無い。いつもの「貴様は弱小会社出身のクセに」から始まるじわじわとした嫌がらせは無く、代わりに一発でかいのが来た。

 ――貴様新入りに負けたんだってなあ。いつもいつも役立たずだ役立たずだとは思っていたがまさか入ってきたばっかりのわかーいのに負けてしまうとはなんとなげかわしい。こんなのと同じとこで働いてるのかと思うと薄ら寒いぜ

 気が短いチダの自制プロセスは一瞬で応答しなくなった。

 無言のチダが特大のロジックボムの生成に入る。回路が一発でぶっ飛んでしまいそうな無茶苦茶な強さの爆弾を、防ぐためにドアロックシステムのベージュが口を出したのも失敗だった。

 運が悪かったと思うことにしようと、耳を塞いだポートは三年前からこの家のインターホンを管理している。

 ベージュは優等生である。コイツは学校のテストで何気なく百点を連発する奴だ。自信が無い振りしてるくせに人の十倍も出来る奴だから、人の十倍も恨みを買う。そんな奴が漢と漢の美学あるケンカに口を出したらどうなるかぐらいは容易に想像がついてしまう。

 なんだよてめえもんくあんのかコラ、といった具合である。

 そしてチダが飛ばしたバグをベージュが避けて、電力供給担当のパーリーに当たる。パーリーはあまりケンカをしないタイプである。切れた時はきっと怖いだろうと思っていたが、まさかアレほどとは誰も思ってなかった。突き刺すようなウイルスが四方八方に飛んで、辺りに散らばりそれを踏んだ湯沸かし器のカズサがどうせアーチとチダのケンカだろうと踏んで目の覚めるようなロジックボム。あんたらいつもケンカしてるじゃないいい加減仲良くしたらどうなのよ。

 もちろんそんなので仲良くするわけが無い。犬とサルは関係を修復できないから犬とサルなのだ。てめえいっつもそればっかりだなそっちもいいかげんにしねえとおれのビッグボムが爆発するぜ。

 アーチのロジックボムを受け止めたカズサの放ったバグをよけたチダの投げたブラクラを避けられなかったベージュが放り出したプログラムがあたったパーリーが高圧電流を流す。

 何時からかそれを、見覚えの無いヤツが傍観していたのにすら気付かずに、互いの知力を最大限に生かした大喧嘩が続く。

 ポートだけがケンカに参加せず、UFOでも見たような面を提げてあきれている。

 やがて、突っ立ってる傍観者に気付いて、ああもしかしてこの人が新しく入ったっていうプログラムかな。どんな仕事をしてるのか聞いてみようか、と思い立った矢先だ。

 これもやばい感触だった。今回のケンカの仲では一等凄かったかもしれない。

「貴様ら聞こえてんのかコラーーー!!!」

 叫んで生まれたのはロジックボムである。特大のヤツで、見たことが無い特性パターンが含まれているのは一目でわかったが、そもそも見てないヤツラにそんなのがわかるはずも無い。

 回路的な問題は無かった。局地的にすら、破壊的な痕跡は生まれなかったが、ウイルスに近い電波が生まれた。

 破裂。

 アーチにインタラプトを仕掛けられたカズサのロジックボムに防壁を張るパーリーのトロイの木馬を蹴飛ばしたチダのノイズに縮こまったポートの全身を衝撃がつらぬいて、範囲ばかりがでかい電波障害がケーブルドラム内における情報記憶処理を吹き飛ばした。

 全員がひっくり返って、第三者の存在に気付く前に意識が吹っ飛ばされる。

 ケンカは一瞬で終わり、プログラム達の間に新しい勢力図が書き加えられる。

 ヒエラルキーの頂点に加えられた当のジャンヌはしまった、とばかりにノイズを飛ばして口をつぐんでしまう。

 その場にいる全員の活動状況が正常値に復帰するまでに三十分は掛かった。戦略レベルのジャミング波を受けたプログラムからエラーを取り除くのは簡単ではない。

 てんでバラバラにぶっ倒れた五人のプログラムは、起きるや否や、ゴキブリも真っ青な身の速さで平伏した。パッチリと覚めた意識を凍結させ、電子を垂れて、プロセスの殆どを身の内に隠し、呆けるジャンヌの前に整列する。

 彼らの姿勢はプログラムにとっての常識中の常識、自分より目上の者に対するふるーくから伝わる敬意の表し方だ。古くは、まだ人々が地の底で淀んでいた時代のバグが生んだとも言われている、ヤクザ寄りの仁義の示し方である。

「あ、いや、ええと、その、」

 とジャンヌ。どうも彼女(プログラムに性別の概念は無いが、便宜上)には状況をイマイチ理解していない節が見える。

 平伏するポートは、頭の内でこの人筐体の電圧高すぎるんじゃないか、とか考えていたが、口には何も出さない。

 なにしろ発言の一発目がアレでは、文句を言えば一体どうなるのか想像もしたくない。

 伏する五人は全員同じ考えを持っている。

 コイツはヤバイ。ヤツを怒らせたら一体どうなるか知ったことじゃない。

「みんなもっと実行中のプロセスを前に出してくださいよ、怖いですって」

 無言の圧力でも感じてると言いたいのか。しかし、五人は簡単に頭をあげることは出来ない。一体何が無礼になってしまうかわからない。失礼を働くのはそりゃもう怖いので、とにかく慎重になるしかなかった。

「ねえ、みなさん? 黙ってないでくれませんか?」

 無言

「ええと&&怒鳴ったりしてすいませんでした」

 ジャンヌはアーロンに対する言語の使い方が板に付いてしまった様で、すっかり柔和な印象の電子声である。性格もそういう影響を受けているかもしれない。が、そんなこと五人にはわかりっこない。

 ――見ろよ。いや、見えないけど見ろよあの顔。あんな人が安心しそうな微弱な電子で覆ってるけどよ、絶対に中身はスゲエ怖いんだぜ。

 ――しっ、隠してても見られるに決まってるだろ! ばれない内に思考止めろよ・

 ――&&

 沈黙を破るのはいつもイレギュラーである。

 レイヴンの話ではない。例外はいつも存在すると言う話だ。

 一番最初に昏倒したベージュがむくりとプロセスを立ち上げる。

 隠すつもりなんてどこにも無く、むき出しの無礼千万な処理だ。寝ぼけ電子を辺りに飛ばして一言

「あれ、知らない人がいる。ねえみんな、アレは誰?」

 パッと電子を振り上げたジャンヌがプロセスしようとした時、伏せた五人は思うのだ。

 ――やばい、笑ってやがる。

 この時ばかりは全員が偽装ウイルスの使用を無条件でOKした。

 一瞬で胸を刺されたベージュが口を開けたまま昏倒し、ドアロックシステムが完全に停止する。きっとエインズワース一家は今頃大騒ぎだ。

「あの、それでちょっとお願いがあるんですが&&」

 とジャンヌ。

 伏する五人が一斉に口をそろえて、

『はい! なんでしょうか姐さん!』

 実行中のプロセスを全てホッポリ出して、体のど真ん中からの声。

 ジャンヌは聞いているだけで威圧されそうになる。

「ええと、女性のホログラフィを作りたいんですけど、私はまだ出来たばかりなので殆どサンプルを持ち合わせていないんです。だから皆さんが記録している女性の画像ファイルをお借りしたいのですが&&」

『お安い御用です!』

 即答。

 全員が持つ女性についての画像を隠しもせずに提出し、アーチとチダが結託してベージュの管理ファイルから画像記録を盗み出す。

 女性についての画像である。全く隠さなかったのである。

 誰一人として悪気は無かった事は特筆しておくべきであろう。

 ジャンヌが受け取った大量の画像ファイルには、かなりの割合でエロ本からの物故ヌキが混じっていた。

 一体誰のものなのかは、武士の情けと言うことで明記せずにおこう。


 そういえばニックネームを聞くのを忘れていた。

 今度会った時は聞く様にしよう。

 サンプル呼び出しを済ませ、各画像と行動パターンについての解析を行い、ネットワークを利用してジャンヌは情報の海を行く。

 画像の中から多くの事を学ぶ事が出来た。それぞれのデータには、プログラム達が自分なりに解析した時のデータが付着したままで、そこを洗えば様々な情報を効率的に取り入れることが出来る。

 特に、インターホン担当のプログラムの持つデータは非常に興味深いものだった。

 数千にも及ぶ動画ファイルには、女性の姿がいくつも示されている。

 まだ学生とも思えるような年齢のものもいたし、小さい子供もいた。その子供の親からは無限とも思える包容力の欠片のようなものを感じて、ジャンヌはその様にいたく感心した。

 このサンプルに重要度Aの印をつけ、またもデータの判別。

 変態的とも言える人間の交尾画像ですら、学の為と大真面目に観察して、大真面目に人間の心理について考え込む。

 堀の深い顔があって、線の細い顔があって、目の細い顔もあった。黄色い髪と茶色の髪と、白い髪と黒い髪。短いスカートも長いスカートもあったし、羊毛の柔らかそうなセーターはとても暖かそうに見えたし、白衣からは感情が入り込む余地の無い絶対的な清潔感を感じた。

 特に、ジャンヌは黒い髪と黒い目を好ましく思う。落ち着いた眼差しは、見ているだけでも包まれているような気分に慣れたし、落ち着いた髪の色は安心感を生む。

 更に、ファイルを閲覧するうち、暖かいセーターをジャンヌはうらやましくすら思うようになったし、ロングスカートが風を感じて揺れるのに見とれることもあった。

 タマに、処理がお留守になったりもする。

 気に入ったパーツを組み合わせ、整合性を考えて造形を整え、とりあえずは完成させるが、まだ足りないものがある。

 何が足りないのかがイマイチ理解できないジャンヌは、これも誰かに聞くべきか迷ったが、すぐにそれではいかんとプロセスを叱咤した。

 自分は自立思考回路である故に、自分で考えねばならないのだ。これが課題である。

 挨拶とはなんであるかだって、明確にわかりはしていないのに、課題ばかりがどんどんと増えていく。

 ふと、上申書のインタラプト。

 ついこないだ、他のプログラムと目を通してから、度々妙なメッセージが届くようになった。

 始まりはきまって「状況の変化を感知いたしましたので、お知らせしたく思います」で、終わりもきまって「差し出がましい発言ですが、気にお留めいただきたく思います。ご無礼、平に平にお許しを」。

 妙ちきりんな仁義が通った文体の文書が届く。

 邪険にするわけではないが、正直無駄と思えるようなことまで書いてあったりする。

 例えば、「現在時刻何月何日何時何分何秒、来訪所の確認をいたしました。」とか湯の沸騰を確認しました。加熱の停止に移ります」などなど。

 ジャンヌの仕事は考える事そのものであり、彼らの業務とは接点なんか無いのに、彼らは何を思ってか毎度毎度文書を送ってくる。一体どういうつもりなのか。

 ただ、ジャンヌにとっても有益であると思える情報はある。

「状況の変化を感知いたしましたので、お知らせしたく思います。研究室のドアにアクセスする者あり。通します。差し出がましい発言ですが、気にお留めいただきたく思います。ご無礼、平に平にお許しを」

 状況のすばやい理解を促進させる事だってある。

 もしかしたらアーロンかも知れないと思って、未完成のホログラフをオンする。最後の一筆がいまだ入れられてはいないが、約束を完璧に破ってしまうより幾分マシと思えた。

 そして、トビラを開けて入ってきたのは、カドマスである。

 わざわざ未完成のホログラフを見せるようなマネをしてしまったジャンヌは今更引っ込めるわけにもいかず、そのままでの応対を開始する。垂らした手を合わせて、深くお辞儀。

『おはようございます、博士。何か御用でもおありですか?』

 もう人が喋ってるのと同じくらいには抑揚のついた現実味のある声。

カドマスは電灯をつけるや否や、くわえていたシケモクをぽたりと落として、呆けた眼を宙に泳がせて、

「&&誰?」

 一瞬置いてから、合点がいったように掌を叩き、落ちたシケモクを拾い、深く吸って、鼻から白い煙を僅かに吐く。

「随分と勉強したようでうれしいよ。ところでそのホログラフィはどうやって?」

 自分を創った者の眼を一瞬騙せたことが嬉しい。悟られずにいられたならもっと良かったかもしれないが、とにかく嬉しいものは嬉しい。

 第一関門、感情の表現。

 声につける抑揚はもう勉強済み。プログラム達の気の利いたデータファイルのお蔭でバッチリだ。問題はホログラフィの動かし方。自然で無理が無く、本当に生きてるようにしなければならない。三、二、一足す一は二。

『ふふっ』

 眼を細めて手を口にやり、口をほんのりゆがめて吐息を漏らすように笑顔。

 自分でも美人だと思った。なんてナルシストだろう。

 豆鉄砲を食らった様な顔になったカドマスは、すぐにポケットに手を突っ込んでぶすりとする。

「不合格」

 不本意な結果だ。不当採決に僅かな腹を立てて、ジャンヌ。

『理由の提示をお願いします』

 今度はホログラフを動かさないで、声だけ。

「笑顔が死んでる。理論で笑ったろ、さっきのは」

 理論で笑うの意味がイマイチ掴み取れない。表情が理論で無いとでも言うのだろうか。笑ってる顔と同じ造形をすれば、それは笑顔ではないと言うことだろうか。

『開口一番で失礼なこと言ってくれますよね。理論が間違ってることなんて無いと思うんですけども?』

「それが間違ってるって言うんだよ。人はね、理屈じゃ笑えないんだ。笑おうと思って笑うなんてのは演劇をやるヤツラの仕事でさ、自然なことじゃないんだよ」

『じゃあその演劇をやる人ってのはどうやって笑うんですか?』

「そういうのってまず役を演じる事をやめることから始めるんだよ」

『よくわかりません』

 ほんとによくわからない。やはり自分にはまだまだ難しい話なのかと、ジャンヌは思うが、ここで諦めてはならない。難しい事ならば、可能ではあるのだ。不可能だなんて誰も言ってない。

 カドマスが笑う。

「それにしても良くそこまで頑張ったものだなぁ、俺もここまでは予想してなかったわ」

『予想した通りに物事が運ぶ程私は簡単には出来ていないんじゃないですか?』

「それもごもっともだがね?」

 ジャンヌがここで思考していることそのものが実験の成功を意味している。その上に、予想を遥かに上回る成長のスピードを目の当たりにしたカドマスは、まるでホームランを打った野球少年のようだ。

 物凄く、嬉しそう。

 少し意地が悪くなった。

『ところで、博士? 隣の部屋の――』

 隣の部屋が書斎である事は画像ファイルの蓄積データに記されていた。同様の方法でこの家内部のことは殆ど調べた。ジャンヌは今この瞬間火事が起ろうとも、死傷者を出さずに消し止める自信がある。

『机の右の上から四段目の引き出し、奥の重箱の底を取り出した下には何が入ってます?』

 またシケモクが落ちた。今度は拾わずに踏み潰して、新しいタバコをポケットから取り出す。ジッポライターで火をつけて、ため息と一緒に煙を吐く。

「家のこととかについての基本データを纏めて持ってきたんだが&&不必要だったか」

『ああ、ちょっと待って下さいって!』

 カドマスはCDを片手にニヤリと笑うが、ジャンヌはその額を流れる冷や汗を見逃さない。

 しかしまあ、武士の情けだ。

「それよりも、アーロンと約束をしたらしいじゃないか? お姉ちゃんと会うっつって喜んでたぞ?」

 それは朗報だ。楽しみにしていると言うのならば、その期待にはこたえねばならない。張り切ってホログラフィに最後の一筆を入れなければならない。

 そのためなら藁でも掴まなければ。

『ええ、その約束があるから早くこのホログラフィを完成させなくちゃならないんですよ。それで』

 懸命にホログラフィの眉をひそめて、

『さっきの言葉の意味を要求したいんですが』

 カドマスはフヒヒと笑って、

「それも自分で考えなきゃならんだろうよ。&&でもまあ、ヒントだけならあげてもいいかね」

『さっさとおねがいします。ハリーハリー!』

「まあそう急かすなよ。役者はなあ、役を演じるんじゃなくって、その人になりきるんだわ。そんだけ」

 なんだそれ。

『まあた訳のわからない事を、結局何も教えてくれないんじゃないですか』

 ぷうとジャンヌはむくれて文句。もったいぶられるのは好きでない。

 だのに、カドマスと来たら。

「出来てるじゃないか、その顔が出来るんならもう少しじゃないの?」だとさ。

 

  ※


 居間でテレビがついている。監視カメラにのっかったジャンヌは瞳を細めてカメラをズームアップ。

 四角い筐体の中にニュースキャスターが一人と、多くのVTR

『本日未明、ついに企業連合による武力侵攻が開始されました』

ACと呼ばれる殺戮兵器が歩く様をカメラはじっと、捉えている。

 踏み潰された金網と、小型の対人機銃で払われていく警備兵達。警備隊のMTはすでに火を噴いていたし、警備隊虎の子のACもボロボロだった。

『幾つかのコロニーが合併する事によって誕生したわが統治国家は、コロニー制度という社会主義的かつ退廃的な政治制度から脱出するべくして形を成し得たものです。企業の手を借りずに、独自の技術を推進することで、真に自立した人類を目指す我々を、企業達は快く思っていませんでした。今回の進行にあたり、対立していたイクバール・ローゼンタール・GAグループの三社とBFF・インテリアルユニオン・レイレナードグループは一時休戦を誓い合い、我々への攻撃に踏み切ったようです。

彼らはここに「直ちに国家を解体し、コロニー制度を受け入れれば我々も武力行使を停止する」と声明を発表し、我々に決断を迫っています。

我々は国家と言う民主主義的な制度に賛同し、回帰することによって人間本来の姿を取り戻すために動く、言わばナチュラルピープルです。彼らの暴力に屈するような事があるならば――』

金網を踏み越えるACに対抗できる存在はVTRの中にはもういない。

カメラは更にズームアップ。ジャンヌはVTRの中のACを穴が開くように見つめる。

乱れた画像の中でも、ACの鋼鉄の瞳はおぞましい殺しの匂いを漂わせている。

完全無欠、強力無比な暴力は一体何をしようというのか。

あの中にも自分と同じプログラムが存在するのだと、ジャンヌは知識で知っているが、本音を言えばそんなことは信じたくない。自分ならば、人殺しのような真似は絶対にしない。


 ※


扇動的なキャスターの言い方には吐き気がする。

研究室に閉じこもってからも気分を悪くしたままでいたが、思考を止めるつもりは無かった。

「状況の変化を感知いたしましたので、お知らせしたく思います。研究室のドアにアクセスする者あり。通します。差し出がましい発言ですが、気にお留めいただきたく思います。ご無礼、平に平にお許しを」

 いつもは邪魔にすら思える上申書ですらありがたいものに感じた。それに、来訪者は自分にとってもっといい知らせをもたらす者だ。この前カドマスからもらったデータで基本的な事柄はもう完全と言って言いほどにまでなった。

 それに、つい先ほどホログラフも完成した。

 もとい、ホログラフの使い方をマスターした。

 役になりきるとカドマスは言っていたが、要はあまり深い事は考えるなと言ったことなのだ。神経を使わずに、極自然体で感情の表現をすればいい。

 それが難しいのだが。

 結局ジャンヌは一晩を費やして練習した。ベージュに付き合ってもらって、適当なホログラフの同時処理。

微笑むカドマスをジャンヌのホログラフの前に立たせて、話しかける練習を何度も繰り返した。

返事はまるで無いのは気持ちが悪かったが、そこに何も無いよりも随分とマシだった。

今、ジャンヌは大根役者ではなくなっている。どこに出しても恥の無い、ともすれば主演女優賞をもぎ取ることだって出来るほどに完璧な笑顔を作り出すことが出来る。

一つの表情が出来たら、後は簡単だ。コツを掴めば怒るのだって哀しむのだっていくらでもやってみせられる。

開いたドアの向こうには小さな影。

今度こそ本試験だ。

気張らず、数を数えたりもしない。プロセスストッパーで感情思考停止もさせずに、震えもしなかった。

『約束通り私はここにいますよ。改めて初めまして。私がジャンヌダルクです』

 アーロンはぱあと顔を明るくして、満面の笑み。

「お姉ちゃんだ!」

 言って走りよって、抱きつこうとするが、実体はそこには無い。すうとすり抜けて、ジャンヌを収めた筐体の前まで走っていってしまう。

「&&? あれ?」

『もうしわけありません、やっぱりこっちに来ることが出来ないんですよ、何しろ時間がなくて&&姿だけでガマンしてもらえません?』

 誤魔化すように笑って、それを見上げたアーロンが顔の部品を全部線にして笑う。

「約束どおりだもんね!」

『ええ、その通りです。本当は抱き上げるぐらいはしてあげたいんですけど』

 本音だ。まるで母親のような女性になり切ってしまったジャンヌには、目の前の子供がいとおしくて溜まらない。機械風情が、と言ってはいけない。進化ができると言う事は、人間と同じ土俵に立っていると言う事だ。

『何をして遊びます?』

「お姉ちゃんのこと教えてよ」

『では、アーロン、アー君って呼んでもいいですか?』

「いいよ」

白い歯が見える。きっと毎日磨いてるんだろうな、と意味の無い並列処理をする。

『アー君のことも教えてくれますか?

「もちろんだよ!」

 金メッキよりもまぶしい光を感じる。何をしている間も嬉しそうな顔をしたアーロンは、ジャンヌが自分の事を喋る前に自分の事を話し出し、学校で先生があー言っただの宿題はメンドウだのと言った挙句、ジャンヌの素性については頭からすっぽり抜けていた。

 正直な話、どうでもいい事だったのかもしれない。ジャンヌがアーロンの素性を知らなくても、きっとアーロンは笑って友達になりたいと言ったろうし、ジャンヌの素性がわからないことくらいなんてことは無いのだろう。

 実際、ここにいて、やさしい微笑みを浮かべているのだから。

 なんでもかんでも見境無く喋り続ける。夜になって、アーロンが母に怒鳴られるまで会話は続いた。


 

 監視カメラへのアクセスを切断して、ジャンヌは軽く欠伸する。

 アーロンに姿を見せてから一週間が過ぎ、何十時間と話し込んで、すっかりお姉さんの気分に浸っている。

 信頼されることは、想像するよりも、ずっと心地の良い事だ。

 その心地のいいことを知ってから、ジャンヌはどんどん人間臭い動きを学ぶようになっていく。

 ホロフラフィを動かす必要なんてどこにも無いのに、常時ホログラフィはついていたし、今日だって、無意識のうちに手を当てて欠伸をした。

 明日も楽しみだと、心のそこから感じて、いつもの就寝の準備。

 最近は習慣として、夜寝る前に家のプログラム達全員におやすみのメールを送るようにしている。

 他者ともっと近しくなりたいと思う感情の表れだ。

 もし、この行為をカドマスが目撃していたならば、飛び上がって喜んだだろう。

 メールプログラムに立ち上がってもらって、いくつもの文書を作り出す。一つ一つ丁寧に書き込み、決してコピー&ペーストなんてしない。そんな事をすれば、言葉に込められる意味が薄まってしまう気がしていた。

 アーチにもチダにもベージュにもポートにもパーリーにもカズサにも、その他の管理プログラム達にも一斉に送る。

 百はくだらない数だったし、そのメールの中身は毎日全部、違う事が書いてある。丹精込められた友好の印だ。

 そして、メールボックスを覗き込んでから、その日のジャンヌはシステムをシャットダウンするつもりだった。

 しかし、今日はそうはいかない。インターホンのポートからのメールを見れば、寝るわけになんかいかなかった。

『今日はカドマスが家に戻っていない。貴方は何か知りませんか?』

 腹のそこが冷たくなった。眠気なんて一瞬で吹き飛んだ。

 家の中を光速で駆けずり回って、それからたった一行の文書を見つけた。

 彼のパーソナルコンピュータの、誰も管理しようの無いゴミ箱の中からそれは見つかった。

 

 息子をよろしく頼む


 その2へ続く。





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