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 純粋な灼熱がシーラの肌を焼く。赤い大気が視界どころか意識までをも狭め、たった一人でアパートの廊下を走るシーラは、自分が今すぐにでもここからいなくなってしまいそうな気がする。周りには自分の存在を認めてくれる人はいない。好きだった母親もヒゲの固い父親もシーラの周囲にはいない。
 シーラは自分を取り巻く圧倒的な大きさの暴力に抗する術を持たず、自分を認めてくれるモノを求める事しか出来ない。
 自分がどうしてこんなところにいるのかも分からない。親がいないだけで自分がひどく不確かな人間に思えてしまう。
 自分を中心に回っている世界に、空を飛ぶ事だってきっと出来たはずの自分は文句を言ってやることも出来ずに、泣き叫ぶ。母の名を呼び、父の名を呼び、無我夢中で手を振って走った。もう火以外の何だって見えない。頭の中身が鈍い色に染まって、自分の頬を伝う涙の感触だけが心に深い傷跡をつける。昨日擦り剥いた膝小僧も一昨日石にぶつけた腕もちっとも痛くない。
 閉鎖的な空間の中ではどれほど開放を求めて上に上っても、寧ろ息苦しくなるばっかり。
 それもきっと屋上に出るまでだ。シーラが知る限り、最も空に近く、地上のしがらみを捨てられる場所が六階建てアパートの屋上だ。もっと高いビルはいくらだってあるけど、シーラにとってはそこが最も点に近い場所、太陽の清浄さに身を清め、晴れ渡った青に心を浸す事が出来る場所だ。
 安っぽい階段は今にも崩れそうで、実際にシーラが駆け上った跡に無残にも燃え落ちた箇所がいくつもあった。来た道にはもう戻れない。自分が立っている場所がタイトロープの上であることを見せ付けられただけで、人の心には真っ黒な影が舞い降りる。
 それでも心の中に白くて重々しい扉めがけてシーラは走るのだ。
 シーラはろくに呼吸もしないで、棒になった足の気遣いもしないで、六階まで駆け上るや否や白い金属扉のノブをぐるりと回す。不思議と熱は感じない。金属ならば熱くなっていて然るべきなのに、シーラはその時、ひんやりとしたいつもの感触を手のひらに感じたのを覚えている。
 押し開けると、その向こうに広がった赤が当然のように見えた。
 扉が開きっぱなしになり、シーラは青かったはずの光景の中に父と母の姿を見る。随分と焦っている。母が叫び声を上げて、父が袖を引っ張られながら両手を広げて何者カの目から母を覆い隠す。
 母がシーラに気付く。シーラには声がはっきりと聞こえる。

「こっち! お母さんはこっちにいるよ!」
 声を聞いたシーラははっきりと見るのだ。
 母が振る手の平が風に煽られる。火が風を伴って、父の顔に覆いかぶさる。父が剥いていた方から流れてきた火の波は、シーラが二年前電子絵本でみた海の波よりもっと早い。
 火は物理的には熱しか伴わないはずなのに、とてもそうは思えないのだ。一瞬でシーラの目から父母を覆い隠した紅蓮は、圧倒的な力を周囲に誇示しながら荒れ狂い、踊って消え、
 跡に残されるのは人型の炭が二つだけ。黒くなったシーラの父母は、風に吹かれてもとびはしない。きっと焼け焦げてるのは表面だけ。血が沸騰し、身のうちも焼いただろうが、それでも死体は炭になりきっていない。真っ黒な人型は依然としてシーラの父であり母であった。
 あってはならない惨たらしい死だ。シーラの両親はこの世をさまよえる亡者となり、永遠にシーラの夢の中に救う事であろう。
 シーラは黒い父と母を前に、状況を理解する事が出来ない。肌が厚くて、父と母が赤に包まれて、黒くなって、
 ゆっくりと、波が来た方向を振り向く。
 そのシーラをMTのパイロットは舌なめずりをして見つめるのだ。シーラはまだ十歳にもなっていない。いわば子羊のようなもの。MTのパイロットはローストし甲斐のある獲物を狂気で釘付けにし、熱い床にへたり込んだ姿に火炎放射器を向ける。
 シーラは目前に迫った死すら理解できない。脳の許容範囲を超えた出来事が起りすぎて何が何だか分かったものではない。
 そのシーラの前で、MTの頭部に赤い矢が打ち込まれる。マッハを超えた矢はMT頭部に食い込み、破片を散らせながら一時沈黙させる。
 すぐにも二本目、三本目の矢が降り注ぎ、MTに突き刺さっていく。貫いただけでは飽き足らない運動エネルギーが、MTを隣のビルまで押し倒して動きを封じる。
 ビルの陰からMTとは違う鉄の巨人が飛び出てくる。左手にくっついた筒が清浄な光の束を生み出し、MTの至近まで即座に近づいた巨人がそれを振り下ろす。
 神気が邪気を焼くように、悪そのもののMTは肩口から浄化され、その身を清められていく。
 シーラはまだ命を救われた事にすら気付けない。
 当然、鉄の巨人が地上の渡り鳥の力であることすら、まだ知らないのだ。


              ※


 貸しガレージ兼貸家の中、第三操作パネルの前でノブレスは今日も唸るのだ。
 腰のカードホルダーにピッカピカのレイヴンライセンスを光らせながら、パネルの上から三番目のスイッチがクレーンの縦の、それとも横の、はたまた上下の動きを制御するのかについて悩む。
 自慢じゃないがノブレスはUFOキャッチャーが苦手だ。数年前に一回だけ持ったことのあるガールフレンドにねだられてやったUFOキャッチャーは今でも覚えている。
 目当てのぬいぐるみを取るのに一体いくら使ったか。どの軸も決して目標とは交わることなく押した決定ボタンは星の数である。
 そのノブレスが今押そうとしているスイッチは、クレーンを動かすためのスイッチであることは間違いない。
 だから問題は動く向きなのだ。固定されたACのパーツの取替えを行うためにはクレーンの制御が出来なくては話にならない。
 頬を尋常じゃない量の汗がつたり落ちていく。まるで目の前のスイッチが世界を破滅させるスイッチでもあるかのように、ノブレスの指にのしかかった重みは凄まじい。
 スイッチを押したらどうなるのか、スイッチを押したら一体何が起るのか。
 全く予測がつかない。三分の一の確率は所詮確率でしかない。
 縦か、横か、はたまた高さか。
 それとも世界の滅亡か。
 無いとは言い切れない。まだやったことが無い以上絶対無いとは言い切れないのだ。ノブレスが今日この時間この心境で恐る恐るボタンを押す事で、地球のマントル層が刺激されない可能性がないとは言い切れない。そうじゃなくても一歩間違えば赤字だってある。レイヴンライセンスの剥奪だってあるかもしれない。このボタンが呼び寄せる因果律が一体何を生み出すのか、それは誰にも測り知ることの出来ない確率の真理である。
 でもやっぱり馬鹿げている。とにかくシーラが帰ってくるまでにノブレスはこのクレーンの使い方をマスターしなければならない。
 自分自身で使う機械の整備を自分自身でやる、その当然の事をやるには、シーラのいぬうちに洗濯するしかない。
 シーラはいつも邪魔をする。機械を使う本人がその機械を整備するのが当然の事だと、何度口で説明しても聞き入れてもらえたためしが無い。彼女はいくらノブレスが期待の装備を手伝いたいと言っても絶対に手伝わせてはくれないし、整備用機器の使い方も教えてくれない。
 ノブレスはかなり飲み込みの早い人間であると、自身を評している。だからきっと整備の仕方もすぐに覚えられるし、そうすればいつもいつも無駄に忙しそうなシーラの仕事も減らしてやれるというものだ。
 シーラはレイヴンにとって必要になる仕事の斡旋から整備から何から何まで一人でやってしまう。ノブレスは仕事を請けて、ACを操縦するだけ。あとは遊び呆けていたって構いはしないのだ。
 でも、ノブレスは自分が遊び呆けている時に忙しそうに走り回っているシーラを、視界の端に収めずにはいられない。シーラはノブレスが仕事をしている時もオペレーティングをしていて、ノブレスが遊んでいる時も書類を抱えて走り回っている。
 これでは明らかに不公平だと思うし、そうまでして頑張るシーラを労ってやりたいと思うのが、人情というものだ。
 でも今はシーラが忙しそうにしているのが好都合だ。そもそもシーラが仕事を独占してなきゃ都合が悪いもクソも無いのに、妙な話だが。
 とにかく、現状で最も重要なのは上から三番目のスイッチが地球破壊スイッチでない保証が無い事だ。人類の命運をその指に乗せたノブレスはスイッチにゆっくりと近づいていく。顔をスイッチに近づけて、血走った眼で睨みつけて、今、必殺の
「ノブレスさん、何やってるんですか?」
 勢い余ってボタンを押し込む。
 軽く押すだけでいいというのに、驚いたノブレスの体重は前方に傾いて、その体重は指に集中して、スイッチは強く強く押し込まれる。
 クレーンが吹っ飛ぶようにスライドしてガレージの壁を突き破る。



 壁の材料代二十コーム、ガラス代五コーム、人件費四十コーム、あわせて六十五コーム也。
 壁があったはずの場所から街を望む事の出来る素敵なガレージが出来上がった。閉鎖的だったガレージ内がどうだろうか、太陽による自然照明でとてもさわやかな雰囲気に包まれているではないか。
 やってしまった。頭が痛い。
 新米のノブレスはランキング外に位置する端にも棒にもかからないレイヴンであるからして、でかい依頼はまだ一件しか受けた事が無いのだった。
 その一件も酷く依頼料のケチられた仕事で、今ノブレスとシーラの住むガレージは閑古鳥が十羽は巣食っている。
 レイヴンが仕事の報酬として与えられる金は相当なものではあるが、どうしようもないほどに依頼そのものの数とレイヴン自体の数が違いすぎる。更に、大仕事のほとんどは全てランカーに回ってしまうので、ランク外の新米に与えられる仕事なんてたかが知れている。報酬だってまともな金額は期待できない。ACの維持費の事を考えれば少なすぎるぐらいだ。
 ノブレスはレイヴンになるまでこんな事は考えもしていなかった。レイヴンを極小の対価でサポートする団体として設立されたレイヴンズアークの馬鹿な金策により、レイヴン試験の志望者の合格率はいまや優に五十%を超えている。レイヴンの数が飽和していて、肩書きだけレイヴンでいる者だってこの世には少なくない。
 毎日を食うのに手一杯のレイヴンだって多いこの世の中、当面必要になるだろう金を確保できているノブレスはまだマシな方といえる。
 それにしたって予想外の出費は痛い。豪快に潰れた壁の修理代は必ずどこかで稼がねばならないが、ノブレスの知る限り依頼は一件も届いてはいない。
 突き抜けた青い空に腹が立つ。花を求めてレイヴンになったというのに、レイヴンになってからは来る日も来る日もフリーター同然の暮らしをしている。たまにある仕事は一般家庭からすればべらぼうな金額だが、巨大兵器の手入れを毎日やってれば、吹くと飛んでしまうようになるのだ。
 ノブレスは典型的なレイヴンだ。今の時代、レイヴンは閑古鳥と共にすむのが常識になってしまっているのに、その常識は悲しいほどに知れ渡っていない。知れ渡っていればノブレスがレイヴンになることも&&
「バカヤロー!」
 馬鹿みたいに晴れ渡っている空が悪いのだ。晴れ渡っているのは悩みが無い証拠で、悩みが無いのは馬鹿な証拠だ。
 しかし、そんな事を本気で考えるのだって馬鹿な証拠だ。
 空を横切るワタリガラスがアホーアホーと空の気持ちを代弁する。
 馬鹿という奴が馬鹿だ。
 黒い鳥の後を雨雲が追っている。じきに雨が降るだろう。空を見上げていればずぶぬれになってしまう。ランカーにもなれない馬鹿は上を見上げず、下を向いてガレージに引きこもってるのが分相応である。
 分相応であるならば分相応なりにやることがあるのだ。
 壁が取っ払われたガレージの中は、光量の足りない電灯がわずかについているだけで、随分と薄暗い。本屋で買ってきた「我が家の家計簿」で済ませてしまうノブレスとシーラの現在の経済状況をそのまま引き落としてしまったかのようだ。
 雨雲が水を呼び、天の涙となって地に降り注ぐ。ガレージをぼんやりと眺めるノブレスの耳にはしとしとと大地を叩く音が聞こえる。増大する湿気は穴の開いたガレージに音も無く忍び寄り、増殖して空間を支配する。
 空気が不快の源になって、「計算違い」に腹を立てたノブレスはただただ嘆息するしかない。
 ガレージの二階、今シーラが仕事中であろう事務室への階段を一歩一歩上る。足踏みをするたびに階段もなる。規則的な足音がガレージ湿気に取り入ってガレージ内を飛んで回る。その規則的な足音にわずかなノイズが混じる。靴底と金属の音とは違う、もっと軽くて非人間的な音。
 雨音に支配された空間の中、ノイズに気付いたノブレスが天井を見上げると、今度は彼の鼻先に水滴が落ちてくる。
 軽く嘆息。格安で借りたガレージは日々を重ねるごとに老朽化していく。元々耐久年数をとうに突破してしまったものなのだろう。その勢いは中々素晴らしいものがある。
 住居として使うにはよい場所とはお世辞にもいえないだろう。機械にも、人間の精神にだって悪影響になる。決定的になったのはノブレスのクレーン操作ミス。試験官の度肝を抜くような成績でレイヴン試験を突破したレイヴンにとってはまことに好ましからざるミスである。
 そしてその、才能あるレイヴンとしても好ましからざる状況である。最も、ノブレス自身は自分が天才だなんて思ってはいないが、新人レイヴン評価試験で彼がたたき出したスコアは紛れも無く天才的なものだった。客観的評価として、レイヴンズアークに期待されるだけの人物であるという事は間違い無かった。
 階段を上りきってすぐ右手、事務室の中を望むことの出来る小窓からノブレスは覗き込む。
 耳を澄ますと多量の水音に混じってくるタイピングの音が聞こえる。事務室の中で、シーラは時代遅れのラップトップ型コンピューターに噛り付いて目を離さないで作業を続けている。ノブレスが何もせずにただフラストレーションをためているだけの無駄な時間を過ごしている内もシーラは決して休まない。自分に妥協を使用とはしないその業務姿勢はしかし、今のノブレスにとって目障りとも言うことが出来るものだ。その正しい姿勢の所為で何もしていないノブレスの精神は圧迫され続ける。それはシーラに責任のあることじゃない、それでもノブレスにとっては彼女の真剣なまなざしと時々立ち止まるタイピングの音を心地よく感ずる事は出来ない。
 ただただ焦る。シーラを気遣う意味ではなく、自分を救うための意味で彼女を手伝いたい。レイヴンズアークからの命令で、ここにいるだけの彼女が何故こうも一生懸命になって、なんでこのガレージの中心であり主体となるべき自分が何もしていないのかがノブレスには納得できない。全く理解不能な出来事だ。まだ、シーラが何もしないのならば納得できるのだ。それなのに、彼女は仕事をやめようともしないし、ノブレスにたかが整備の手伝いだってさせようとはしてくれない。ガレージのクレーン等の操作マニュアルも整備入門マニュアルも何処かへ隠してしまって、それをノブレスが探すと、シーラはいつも言うのだ。
「整備点検仕事の斡旋アークへの報告、全部私の仕事です。貴方の仕事はACに乗って任務を遂行する事。それ以外のときは休んでいてください」
 どだい無理な注文だ。これではノブレスに与えられたのは休暇でなく拷問だ。
 何をするわけでもなく、棒立ちになったままのノブレスを、事務室の中のシーラは視界の端にだって入れようとしない。そもそもノブレスには気付く事が出来ないほどに仕事に熱中している。何をそんなに一生懸命になる必要があるのか。なにもせず、毎日毎日外を出歩いてばかりで、一人働く女の事を省みようともしないような男のために、なんでそこまで一生懸命になれるのか。
 興味はあったが聞く気には到底なれない。もし、それがノブレス自身のためではなかったとしたら、それはそれで別の恐怖が生ずる事にもなりそうだ。
 結局、ノブレスは何も言えずに事務室の扉を開ける。
 ガタの来た扉を力で押し開ける。その音にもシーラは気付かない。気付かずに光る画面とにらみ合いを続けるシーラをノブレスはしばし見つめる。
 直視することが出来ない。ノブレスはその内にある申し訳なさと薄汚さがごった煮になった感情に邪魔されて、シーラの後ろ姿でさえしっかりと見ることが出来ずに、机とコンピューターの画面を眺め、散乱した小道具の数々を順に目に収めていく。
 やはり忙しいのだ。片付けられる事も無くほったらかしにされたペンやらレポート用紙やらが、そこらじゅうに散らばっている。苦しいはずだ。その苦しさを悪びれもせずに見せびらかすシーラがノブレスは憎い。シーラが抱える仕事の何分の一かでも回してもらえれば、自分の苦しみも少しは和らぐに違いないから。
 やがて、散乱したレポートを押さえつけている空のコップを見つける。光の一筋だ。ただシーラを眺めているだけの自分には、言葉が無い空間はつらすぎる。
「シーラ、俺がコーヒー入れてこようか? 砂糖は何杯だっけ?」
 視野が限界まで狭窄していたらしいシーラはその言葉に過剰に反応する。一瞬だけ肩をこわばらせて、それでも振り向いた時には仕事熱心なシーラ=コードウェルの顔がある。
「ビックリしました。急に声をかけないでくださいよ。&&コーヒーは自分で入れます。それと」
 シーラは机の上を引っ掻き回す。クリップで留められた紙を何束もどけて、一束の書類を引き抜いて、ノブレスの前に差し出す。
「整備と点検の報告書です。一応読んでおいてください。それと」
 次に机の端っこで倒れたまんまの小型カレンダーを手に取る。このご時世には珍しく紙のカレンダーだ。誰だって今はデジタル表示のカレンダーを使っているだろうに。
 デジタルは断続的だがアナログは刻々と続いていく現実そのものだ。それ故に人間に感覚的に訴えかける事が可能である。カレンダーを示したシーラも、それを覗いたノブレスも気付いているかどうかはわからないが。
「明日は久しぶりに仕事が入ってますよ、がんばりましょう」
 そう言って、機械的では決してない。やさしい微笑を浮かべてくれるのだ。


       ※


 歓声が夜のコロシアムに木霊する。
 コロシアムと言えば、常識的にはレイヴンズアークがレイヴン同士の格付けを行い、さらにはスポンサー達へのパフォーマンスのために行われるアリーナの事を指す。そこでは原理的に賭け事の禁止が言い渡されており、個々人の事情までをもアークは警戒して、賭け事をしたものを罰する。
 当然、そんな罰を甘んじて受け入れる企業と市民ではない。
 だからコロシアムが存在する。常識的でない言い方でコロシアムと言うならば、それはアングラの違法アリーナの事だ。
 公式アリーナではレイヴンズアークから許可を得たものだけが戦う事が許されているが、違法アリーナでは誰が戦おうと誰も構いはしない。新米のレイヴンが戦おうと、野良の傭兵が戦おうと、盗賊が戦おうと
 非公認の自称レイヴンが戦おうとも、だ。
 ただのAC乗りならそこら中にいくらでもいるが、自らレイヴンを名乗って、アークの仲介を受けずに仕事を請ける「野良レイヴン」はレイヴンズアークに軒並み狩られて、今はほとんどいない。それでも残っていると言う事はそのものは腕利きであるということだ。
 賭け事が認められた違法アリーナは人気が高い。レイヴンズアークの目を盗むために都心部とはかなり離れた場所に作られた戦闘用ドームは、設備も悪く、周囲の環境も悪い。だと言うのにコロシアムを訪れる人間は絶えない。
 そして、コロシアムに集まった観客たちは今夜も多い。
 その大歓声の半分以上をアニーは背負っている。
 朱塗りの大柄なACのコクピットに座るアニーは、アークの野良レイヴン狩りを生き延びた数少ないAC乗りの一人である。
 彼女は今、生活する金のほとんどをこのコロシアムで稼いでいる。連戦連勝。赤女、などと不名誉な二つ名を与えられたアニーは、今日もコロシアムで金を稼ぐためにコクピットの中、一人モニター越しに敵を睨んでいる。
 アークにかなりの仕事を独占されてしまっても、アニーには生きる道があるということは確かだ。そしてその道を照らすのは愛機「パイロ」が両手に装備した火炎放射器だ。
 今日の敵は最近アークに認められたばかりの新米のレイヴンだった。
 レイヴン研修を受ければ五割の確率で受かる事の出来る、今の試験システムが生み出すレイヴンは総じて腑抜けている。負けられる相手ではない。勝つ以外の道は無い。
 オッズは現在完全にアニー有利。これは当然だ。実績の違いと言うやつだ。
 外部よりの通信回線が開く。
『間もなく試合を開始します。よろしいでしょうか』
 アニーがうんと言わない間にカウントダウンが始まる。今頃、目の前の安物の機体に乗ったレイヴンは慌てている事だろう。
 たぶん相手のレイヴンは経験を殆ど持たず、仕事を請けることもままならないままに金を失って、コロシアムに足を運んだ口だ。だったら、そんなやつよりもアニーの方がよっぽどレイヴンらしい。
 新米が乗る機体はおぼつかない足取りで試合開始の定位置まで足を運んでいる。
――ぎりぎりまで準備か、いいご身分だ。
 アニーは相手に舐められている気がする。所詮は野良なのだと、公式のレイヴンには勝てるはずが無いのだろうと。
 しかし、アニーはそこらのレイヴンよりもずっとレイヴンらしい一匹狼の女である。無理が通れば道理は引っ込む。悪法が通れば道理など鼻くそほどの価値も無い。
 その事を世間知らずに分からせてやるべきだ。
 2
 カウントダウンの音が聞こえる。目の前のACはパーソナルカラーすら与えられておらず、当然低コストで組み上げられた安物だ。ライフル一丁と小型ミサイル一機とレーダーだけしか装備していない。
 1
 コロシアム内が静まり返る。アニーは緊張するまでも無いはずだが、戦いの前であると思えば、どんな戦いだろうと体は硬くなる。アニーは最後の一瞬でもう一度装備を確認する。両手に火炎放射器、肩にチェーンガン、もう片方には六連ミサイル。
 0
 少しは遊んでやるべきだ。コンバットモードではなく、クルージングモードで加速。
 遅れて敵も加速するが、その速度はあまりにも遅い。速度が問題なわけではない。もちろん速度も足りていないが、それ以前に意識の移動が遅い。攻撃する事しか考えてない脳の回転はもっと遅い。
 敵は戦いを舐めきったクソガキだ。アニーは確信して接近。
 コンバットモードに移行して真横に突然加速する。正直で、欺く意思の欠片もない弾丸が虚空を切り裂く。新米が放った弾丸はパイロにはかすりもしないに決まっている。
 火炎放射機の射程範囲は短い。通常なら炎を恐れる相手は、その範囲に入るのには細心の注意を払うはずなのに、新米はそのまま突撃する。
 シロウトの割には綺麗な軌道を描く。しかし、経験の差は何によっても簡単に埋まる事の無いものだ。曲線軌道で走る新米は最短距離でパイロに接触する。
 飛んで火にいる夏の虫。
 しかしあまりにも簡単すぎる。火炎放射器の射程に無用心に近寄るなんて、あまりにも相手を舐めているとしか思えない。新米が左手を広げて備え付けの発振機からブレードを生み出す。高温の粒子が寄り集まって光となり、熱で相手を断ち切るのがブレードだが、新米がかざした刃は極低温の赤色。本物の炎はもっと青い。酸素を十分に吸った炎は宝石にも変えがたい煌きの青を示すのだ。
 左手は振り切り軌道に何の手も加えていないと見える。コンピューターに設定されたままの何の工夫もない振り切り軌道は、あまりにも予測がし易すぎる。新米はコロシアムに来るにはまだボウヤすぎる。
 火炎放射を持った右手が光の剣を生やした左腕をあっさりと払う。
 更にパイロは新米の進路に割り込むように旋回、新米の動きを止めて体当たりする。
 予想通りに新米はバランスを崩す。脚部に設定されたお粗末なバランサーだけでは機体にかかった負荷を処理しきれない。
 新米はあっさりとしりもちをつき、負けを認める以外の道を失ったはずだった。
 しかし、道理とひっこませ、悪法無法を認めるとするならば新米には二つの道がある。
 きっと新米が最後に見たのは、違法改造された長大な火炎放射機と、その先に灯った青く小さな宝石だけだ。


    ※


 機体から降りて路地裏の自販機へ。表でのお祭り騒ぎに比べて、路地裏はひっそりとしている。なんとも慎ましやかなものだ。行列からはそれほど遠ざかってはいないと言うのに、声は殆ど届かなくなる。
 猫が溜まり場にしているゴミ箱周辺にある自販機で、コーヒーを二本買う。有糖のコーヒーを一本買うと、スイッチには売り切れの赤文字が点灯し、仕方無しにもう一本は無糖のやつ。
「仕事っつってもろくなモンじゃないなあ」
 ため息を一つだけついて、無糖のコーヒーを一気に飲み干す。最近はため息ばっかりだ。一息つけば幸せが一つ逃げていく。毎日ついていれば、相当数の幸せが逃げていくだろう。それでもため息はつかずにはいられない。
 ビルに阻まれた、狭い空を見上げて雲を見つめる。
 今は金が欲しい。もっとレイヴンらしい仕事も欲しい。
 レイヴンらしい仕事とはなんだろうか。明確に答える事はまだノブレスには出来ないが、あやふやになら答えられる。かっこいい仕事、というものだ。
 まだまだレイヴンになったばかりの新米にそんなかっこいい仕事が回ってくるとは思えないが、だからと言って、あまりにも地味な仕事をやらされると不平は言いたくなるのだ。一昨日も不満を空にぶちまけて、今日も心のそこで愚痴をつぶやく。
 野良猫の一匹が足元にすりよって鳴く。
 いくら群れてもネコは心の内を外に吐き出さない。徹底した個人主義の動物達は一つも文句を言わないのに自分はなんと情けない事か。
 振り返って、大きく伸びをする。長時間ACのコクピットに座って、凝った筋肉を少しでもほぐす。待つのが苦手なノブレスは、座っているだけでことがすんでしまう今回の仕事には辟易してしまう。
 人は体を第一の資本としている。その体を支えるには食料が、食料を手に入れるには金が必要になる。金が必要ならば、仕事を選んでなんていられない。ランカーレイヴンは仕事を選ぶ権利があるが、新米には選ぶ程の依頼は与えてはもらえない。最近は、アークからの仕事斡旋も無く、嫌な仕事も請けざるを得ないのだ。
 最近はよくないうわさを聞く。アークが不正を働いているとか、企業に肩入れをしているとか。
 もしかしたらそれは本当なのかもしれないけれど、ノブレスは本当だとは思わない。何もかも不正のせいにするのはきっと楽だろうが、それをしても腹がいっぱいになる事は無いのだ。ノブレスは不正のうわさを、他の新米レイヴンが流したただのうわさだと思っている。どこに行っても新米は仕事が無いに違いないから。
 ノブレスは自販機の側面に張ってあるアークが発行した指名手配の貼り紙を見てまた一つ幸せを逃してしまう。今回の仕事は、メンドウな仕事だけれども、その相場から考えると結構な報酬が提示されている。にもかかわらず、貼り紙に書いてある金額は十万コーム以上で、今回の報酬に比べるとゼロ二つもの開きがある。
 レイヴンになった当初、アークから支給された金も、与えられたACのパーツを少しばかり買えばなくなってしまった。それでも、支給された金はノブレスのこれまでの人生にすれば、見た事が無いほどの大金で、ノブレスはそれをすぐに使い切ってしまった自分の金銭感覚を恨む。
 このままでは社会のダニだ。このまま干からびてしまえば、大金を溝に捨てただけで終わることになってしまう。
 指名手配された人間の顔を覚えておこう。見つけたら絶対に自分がとっちめてやる。
 そうすればきっと運も向いてくるだろう。きっと今の状況に日が差してくる気がする。
 アークから指名手配される人間なんて、野良レイヴンぐらいしかいないし、それならノブレスには勝ち目がほぼないと言っていい。それでもノブレスは夢見ずにはいられない。
 名前はアニー、性は無い。赤いACを駆る非公式のレイヴン。パイロと名付けられたACの両手には火炎放射機が装備されている。
 たいしたことは書いてない。顔すら書いてない。覚えるもクソも無いが、それでも火炎放射機を両手に持つ、という特徴を頭に叩き込んで路地裏を後にする。
 ビルの谷間を抜けると、西に傾き始めた日の光が目に飛び込んでくる。同時に、耳に飛び込んでくる企業の環境破壊への抗議をする一般市民の怒声と歓声とそのほか色々。
 企業が耳を傾けるはずもないと言うのに、道を埋め尽くす勢いで群れ、プラカードを掲げ、腹の底に残る怨念を侮辱と抗議の言葉に変えて搾り出す。
 きっと、彼らも毎日が上手く行ってないんだろう。だから自分以外のものに当り散らす。そうでもしなければ精神の均衡とやらが保てないのだろう。
 嘆かわしいことでもある。
 しかし、ノブレスにそんなことは関係ない。
 関係あるのは今回の仕事に関係する事。そこには市民達の精神がはじき出した結論のみが干渉してくるわけであって、市民達の心の推移の過程は全く関係が無い。
 とりあえずはすることが無いのだ。
 道路の脇にACが膝をついてしゃがんでいる。今回の仕事で必要になるのは、何かをすることではなくて、ここにACを配置しておく事だ。
 企業側も市民に文句を言われているばかりではない。その抗議の姿勢として、ACを一機、デモの警備という名目で配置されることとなった。
 企業の作った最大の暴力がACだ。最大の暴力であるからして、市民はそれを恐れるより他に無く、物理的な行動への抑止力となる。
 同時に市民に余計なフラストレーションを溜めることとなる。
 しかし、市民が反抗しようが企業には関係は無い。
 企業は市民の安全を守り、その上で営利活動を行う団体として、作られたという。企業は市民を守るための手段であると、必要であると考えられたらしい。
 その企業を運営するのは人間である。問題はその一点だったろう。企業が人間であるからこそ、企業は自身の欲を持つ。市民を守る枷となるには、完全な機械が必要になるのだ。そうでもなければ、市民の欲よりも自身の欲を優先するのは人として当たり前だった。
 企業が商売相手にしているのはレイヴンである。企業側にも、市民側にも属さない永遠に中立の存在として在るレイヴンである。ならばこそ、企業が市民の安全を守り、要求を受け取る理由などそこには存在しない。
 義務で無ければならぬものが、義務として機能しなくなったからこそ腐敗への道が拓ける。企業は何も悪くない。悪いのはシステムを作った誰かか、それとも大元を作った神様に違いない。
 企業は力を持っている。
 そして、市民は無力である。
 それでも市民は権利を主張する。
 本来ならば、ノブレスはここにいるはずが無い。企業はACを保有している。彼が来なくたって、ACを配置する事は出来るのだ。
 レイヴンズアークも仕事をサボっているわけではないと言うことだろう。最近アーク側からの要求が企業に回ったという。仕事の量をもっと増やせ、と。
 それは起る事故と問題の量を増やせといっている事に他ならない。無茶が過ぎるが、相当な金か、それに匹敵するものが動いたのだろう。企業はあっさりと条件を飲んだらしい。その証拠に、ノブレスがここにいる。
 膝をついたACから少し離れた列の道路脇には、レンタルの指揮車が止まっている。エンジンはしっかり切ってあり、運転席にはナビゲートシステムを弄繰り回すシーラの姿があった。
 市民の嫌悪のまなざしを引きずりながら、ノブレスは指揮車のそばまで歩いてって、窓を持っているコーヒーの缶で叩いた。程なく窓ガラスが開き、すかさずノブレスは開けてない缶を中に放り込む。
「ありがとうございます」
 礼を言う時まで敬語を使わなくたって。
 ノブレスはこの敬語が気持ち悪いと思う。仕事のパートナーだって言うのに、越えてはならぬ一線を引かれた感じ。
 笑顔を向けられて、つられて返すが、心のどこかしこで一歩引いてしまう。
 いらぬ考えをねじ切って、シーラの作業を覗き込む。ナビゲートシステムには今回のデモで、市民が使用可能を許された道路のデータが表示されている。それと、画面の右端には、事前に設置したビデオカメラの映像が映し出されている。もしも、指定された領域をはみ出していたら注意でもしに行くんだろう。ご苦労なことだ。
「つまらんことやってるなあ」
「これも仕事です。何もしないでいるわけにはいかないでしょう?」
「いくんだよ、この場合。することなんて何一つ無いんだから」
 言って列を見渡す。この行事は最早鬱憤晴らしにしか過ぎないだろう。かなわないものにいくら抗議をしたところで意味がないことぐらい、当事者達も分かっているはずだ。
 それでも、シーラはシステムを落とす素振りも見せず、コーヒーのプルタブを引き上げる。
 窒素が抜ける音は、一息ついたときの音だ。
「一体何台カメラを置いたんだ?」
 画面に表示されている映像は全部で四つ。さらに、そのどれもが十秒間隔で別のカメラの映像に切り替わる。
「十二台です」
「レンタルもただじゃないんだぞ」
「車のレンタルに比べれば微々たるものです。それにこれは企業からの支給品ですから」
 生返事を返して、缶の中のコーヒーを一気に飲み干すシーラの顔を見る。染み一つ無い顔が男の目にもうらやましく見える。身なりに気を使わない男ですらうらやましいのだから、女はさぞかしシーラが憎い事だろう。彼女はいるだけで回りの女性に喧嘩を売っているようなものかもしれない。
「? 私の顔に何かついてますか?」
 怪訝そうな顔。
 なんでもないと告げてから、シーラの持つ空き缶を掠め取る。
「俺が捨てとくよ」
 言ってすぐにACに向かって振り返る。シーラが何かいいたそうな顔をしていたが、どうせ、自分が捨てておくとかそんなことだろう。
 いっぱい食わせてやった気になって、わずかに上機嫌になりながら自身の機体へ向かう。
 ACのつま先に落書きがしてあるのを見つける。子供心には鉄の巨人は「かっこいいもの」なのだろう。ヒーローなのだろう。しかし、その現状はどうだ。市民を抑圧するために動くものは果たしてヒーローなのだろうか。それを知った時に落書きをした子供たちは一体何を思うのだろうか。
 黒い字で鴉の絵が描いてある。全くいい加減な線の絵で、しかもそれはワタリガラスではなくハシブトガラスだった。環境破壊の余波で、街にはもうワタリガラスは寄り付かなくなっている。そのせいだろう。
 ハシブトガラスでも鴉は鴉だ。それに、今の時代にはワタリガラスはふさわしくない。汚れ仕事をするレイヴンは高貴なワタリガラスでは決して無いのだ。泥まみれで、それでも必死に生きようとするハシブトガラスこそ、真のレイヴンの姿なのかもしれない。
 傷のついたタマのおハダを労う事も無くハンドワイヤーを使ってコクピットに登り、アイドリングしていた機体に指令を出す。
 ――立て、立って今できる事をやれ。せめて泥まみれの悪役であれ。
 日に照らされ、熱された装甲が、駆動を開始したジェネレーターに急速に冷やされていく。適温に保たれた機内には何の異常も無く、市民の列には異常が出来る。
 ノブレスは矢のような敵意を感じる。それこそが仕事だ。
 電子音が機内に響いた。電子会話の回線を開けろとの要求。やけにめんどくさく暗号化された、相手の情報がモニターに表示され、一番最後に見慣れた字列。
 Ravens Ark


    ※


 昨日の仕事は随分と面倒だった。それでもシーラは忠実に職務をこなす。
 何に忠実かと問えば、己の規範に、と答えるべきだろう。
 形の無いものに従うのはバカバカしいという奴だってこの世にはいるが、そいつに己の理想が無いのかと問えば、微妙なところだろう。
 端末で企業側から口座に振り込まれた金を確認して、ここ最近の金策を考える。
 親知らずのシーラは、金策に関してはちょっとした自信がある。節約のコツというものだ。どこで節約するか、ケチってはいけない点はどこなのかをわきまえているシーラの思考は早い。
 小さい頃に親を亡くした時に、企業の保険部門から保険金が払われた。膨大な料だったと記憶してはいるが、それでもAC一機分よりは遥かに安い。
 その膨大な金額も、十で割れば大した数じゃなくなる。
 要するに、中途半端な金額だったのだ。人二人の命と比べると、遥かに軽い金額だったのだ。
 子供だったシーラは、親戚の叔母に引き取られたが、その叔母もろくなやつじゃなかった。意地悪をするというわけではなかったが、まるで抜け殻みたいなやつだった。選択も炊事も計算も出来やしない。
 だからと言って、ただの子供が人の命を見捨てられるはずも無いのだ。
 十で割ったら少ない金は、二十で割ればもっと少なくなる。
 かくして、叔母が死ぬまでの十年の間にシーラは可能な限りの節約をし、その事に関して言えば、誰にも負けない。
 自慢にはならないが。
 父と母は炎に焼かれて、その時に自分も焼かれそうになった事を彼女は覚えている。それを救ったのは、一機のACであり、それに乗る一人のレイヴンだった。
 シーラはえらく感動したのである。芥子粒のように見えた自分の命を、業火の中から拾い出したレイヴンの姿はやはりとてもかっこよかったのだ。
 自分もああなりたいと、シーラは常々思っていたが、レイヴンになる事は出来ない。いくら最近広き門となったとはいえ、巨人を操る勇気はシーラには無い。
 だったら、操らせればいいのである。
 そして、十三歳のシーラの将来の目標はレイヴンのサポートをするオペレーターに決まったのだ。
 自分もかっこよくなりたいと思った結果だ。そして、レイヴンを介する事でシーラも芥子粒を拾うことが出来る。
 まだ拾ったことは無いが、いきなり拾おうだなんて、随分と気が早い話だ。地球より思い芥子粒を拾おうというんだから、それだけの準備期間が必要になる。
 シーラは、レイヴンを利用しようと思ったのだ。自分が芥子粒を拾うために、ノブレスを利用しているのだ。
 申し訳ないと思う。だから、その詫びを入れたい。
 人に意思を好きにされる詫びなんてだれにも入れられないが、それでも汚名を少しでもそそぐためにシーラは今日も仕事をする。
 肩はこるし、目が痛い。が、かっこよくなるためにはそれぐらいは乗り越えなければならない。
 電話。
 コールが三回繰り返されるまでに受話器を毟り取り、心の中で呪文を三回唱えてから口で復唱
「ハイ! こちら第二百はち――」
「レイヴンズアークのジャック・Oだ」
 できなかった。
「シーラ=コードウェルだな?」
「あ&&はい」
 一体アークが何のようなのか。それも連絡係ではなく、上層部との直接のはしごを持っているジャックから。戸惑いが隠せるはずが無い。不正はやってない。しかし、しり込みする理由は理屈では見つけられない。
「今メールを送った。確認しろ」
「なんで貴方が電話をかけてくるのか、聞いていいですか?」
「個人的な理由だからだ。確認を」
 無愛想な物言いが肝に悪い。人は彼にカリスマ性があるというが、ホントの所はどうだろうかと思う。職務に忠実な男ではあると思うが、その心までは職務に忠実ではないとシーラは思う。それをカリスマと呼んでいいものだろうか。隠された意志こそがカリスマにふさわしいのか測りようが無いのは困る。
 不満はあるが、それでもジャックは上司だ。それもとびきりの。これ以上無駄口を叩けば逆らってるとか思われかねない気がする。目の前に水溜りがあれば避けるのは人として当然だ。なぜならスカートを汚したくないから。
 ラップトップ端末のメールプログラムを開くと、未分類フォルダに名称不明メールがあった。
 内容は仕事の依頼。何の変哲も無い状況調査の依頼。しかし、場所がいびつだ。第八番スラムとメールには書いてあるが、第八番スラムと言えば、四年前に閉鎖された兵器汚染区画だ。
 四年前に行ったプルトニウム使用の爆発兵器威力兵器の傷跡が色濃く残る地だ。なんでも、当時は構造に欠陥があったとかで作動することなく試験は終わったらしいのだが、その兵器は作動しなくても、毒ガスを撒き散らしたらしい。鉄を透過し、人の命そのものを火あぶりにする恐ろしい毒ガスだと聞く。
 そんなところで護衛だなんて明らかにおかしい。
「これは一体なんなんです? 冗談がきついみたいですけど」
 ジャックが受話器の向こう側で笑う。くぐもった声が地のものなのか、それとも作られたものなのかがわからないし、裏が読めない。心の奥まで見透かされた気がしてシーラはケツをわずかに浮かせた。
 自分がわざと人を喰っているということを、見透かされた気がする。
「冗談ではないよ。これをノブレス=オブリージュのACに直接送った」
 息を呑んだ。
 本当に冗談がきつい。レイヴンとしての、「かっこいい仕事」とやらに憧れるノブレスがこれを見たら何を思うだろうか。容易に想像がつく。
 容易に受諾する様子が目に浮かぶ。
「狙いはなんですか&&?」
「ノブレスのレイヴン適性試験の成績は知っているか?」
 イエス。机の端にほうったままになっていた書類の束を広げる。全てがずば抜けた、一級品と呼ぶにふさわしい数値が並んでいる。
「第八番スラムにはな、アニーを呼んでいる。知っているだろう? 指名手配犯だよ」
 確かに知っている。アニーとは、コロシアムで名を馳せる凄腕の違法レイヴンの名前だ。ノブレスが新人の一級品であれば、アニーは玄人として一級品である。そもそも、半年前アークが行った野良狩りを生き残った時点で、アニーが異常である事は見て取れる。何人ものレイヴンを返り討ちにしたアニーは、今も生き残ってコロシアムにいると言う。
 天才だろうとなんだろうと新米には荷が重い。
 それに、彼女を殺すのに今は明確な理由が無いはずだ。レイヴン狩りの後、アーク幹部の総入れ替えが起り、方針が変わり、これまで引きずってきた要素の殆どをゴミ箱にぶちまけた。
 その結果として、野良レイヴンに関しては表面上の言い訳としての指名手配しか残されなかったのだ。アークの中でも、入れ替えられる事の無かったメンバーは野良を刈りたがったが、黙認しているコロシアムの中でしか行われない犯罪に対しては、何も言うことは出来ない。それに、最近アニーはアークへの仕事を横取りするようなことだってしていない。
「それで何をさせようって言うんですか?」
「一昨日の事だ。コロシアムでまたアニーが勝ってな」
「それがどうしたと」
「アーク子飼いの素人が殺されたんだよ」
「理由が出来たって、言うんですか?」
知らず知らずに語調が強くなった。掴んだ藁を手放してはならない。もしも、ノブレスが死ぬような事になっては困るのはシーラ自身なのだ。
 しかし
「レイヴン同士が顔をつき合わせれば戦う以外の選択肢は存在しないだろう? 心配しなくてもノブレスは勝つよ」
「何でそう言い切れるんです?」
「ドミナントを知っているか?」
 むかつく。
「質問をしているのはこっちです!」
「ノブレスは強い。彼がドミナントかもしれない。確かめたいのだ」
 くだらないと、思う。芥子粒を拾い集める仕事の方がよっぽど大事だ。
「そんなこと確かめてどうしようと言うんですか!」
 受話器からは断線の音が聞こえる。断続的に続くシグナルが聞こえる。くぐもった声はどこにもない。
 逃げられたのではない。相手にされなかったのだ。融通の利かない馬鹿だと思われたのだ。
 今からバックれると言う方法は無い。出来やしない。
 ノブレスは、絶対に仕事に行きたがるだろう。止めようとすれば、それは彼にとってわずらわしい事になってしまう。
 彼の邪魔をするのは本望ではない。


 つまらない事をしたものだと思う。ひとりごちて、アニーは叩きつけられた挑戦状を読み返す。
 つまらないことが書いてある。自分が非合法の決闘によってレイヴンをひとり殺したなどと書いてある
 要するに、アークが口実を得て嬉々として襲い掛かってくるのだ。
 自分はまた、一昨日戦ったケツの青いガキと同じように焼いてやるのだ。


    ※


 第八番スラムは地下にある。巨大なエレベーターで下ると、そこはもう放射能汚染区域だ。
 シーラは、念のため放射能を遮断するための高級な装甲車を借り、エレベーターの前で待機。ノブレスだけが地下に降りる。
 ワナだと言うのは、ノブレスも知っていたが、それでもノブレスは依頼を受諾する以外の選択肢を見出すことが出来なかった。
「気をつけてください」
 三度目の「気をつけてください」だった。ノブレスはもう三度聞いたのだ。いい加減鬱陶しくなってきたが、止めろと言う事は出来ない。
 シーラは心配してくれているのだ。いつもいつも仕事ばかりして、それで自分がつらく当たってたんじゃあ道理がおかしい。
「生きて帰るよ。信用してくれ」
「&&少しだけでしたら」
 下るエレベーターは意外と高速で、深く深く地に潜っていく。潜っていくごとに。
「きた&のじょう&&を&&&&」
「ジャミングか&&」
 ワナでないはずが無いのだ。いくらノブレスが馬鹿だろうと、第八番スラムが異常地帯なことぐらい知っている。
 ワナだって事を含めても、寧ろワナであればこそ、余計にレイヴンらしい仕事であると思える。
 正体不明の依頼。上等である。ノブレスが望んでいた仕事はそれだ。
 エレベーターが止まる。ジャミングを受けても、さしたる感傷も無く一歩を進む。
 煤けた道路を踏めば、埃が盛大に舞い上がり、ACの胸までも迫った。
 光は少なく、サイクル電池の切れない電気がわずかにライトを照らさせるばかりである。
 砂交じりの通信音を耳に受けながら、フットペダルを押し込む。警戒するに越した事は無い。
 視界の端に放射能注意のマーカーが見える。そんなの知ってる。黙れと言ってやりたいが、ピーピーというアラームを止める手段が無い。ノブレスは機械じゃないからキャンセルプログラムなんて割り込ませられない。
 鋼が大地を叩く音。
 ACが歩を進める音は生き物が歩く音とはかけ離れている。
 ここの調査とは何なのかは聞かされてはいない。追って沙汰するとは言われたが、ジャミングが無人地帯にかけられていると言う事は、異常があるということで、つまりはこの以上に関する何かをすればいいということだ。
 ――行動で示しているわけだ。アークは。
 正確にはアークではなくジャック個人の意志だが、それはノブレスには分からない事だ。曲がり角を突っ切る。モニターの見える前方百八十度と、後ろの見えない百八十度。特に後ろの方に大きく注意を傾ける。
 それでも何も見えやしないが、不意にジャミング波が強烈になったことを感知できた。
 ゆでたまごが出来るくらいの波が辺りを包み、カメラまでもが妨害される。既にレーダーは物を言わなくなり、ノブレスの体で感じられるものだけしか信じられなくなる。
 ――妨害を操作してるやつがいる&&? オートの妨害じゃないのか
 コクピットのノーマリティランプが音を鳴らして鳴りを潜め、代わりにワーニングライティングモードに移行。
 鉄の棺おけに収まっている以上、ノブレスには直感以外の手段で周囲で起っている事を想像する事が出来ない。
 まるで高度電子戦状態。
 保護されたコクピットにいるからこそ、ノブレスは何の影響も受けないが、もしも今コクピットを開放してしまえば、ノブレスは一瞬で全身に障害を受ける可能性がある。
 強すぎる電磁波が体に影響を及ぼさないわけが無い。無事にいたいと思うのならば、コクピットの機密性を信じるしかない。
 アイカメラがコクピットに転送する霞んだ情報は、手にする中で最も太い命綱だ。視線は決してそらさず、穴が開くほどにモニターを見つめる。
 人間の視界の横幅はおよそ二百度超である。対するACの視界はアイカメラがカバーできる範囲に止まる。最大の感覚器であるレーダーが封じられてしまえば、知覚野と言う分野に関して言えばACは人間にはるかに劣る。
 前しか見えていないのだ。ノブレスはその前方とかろうじて生きている左右のモニターだけが頼りなのだ。
 さらに、戦いには法は存在しない。
 生き残るかどうかの瀬戸際で真正面切って切りかかる阿呆はいない。
 ノブレスがその機械の音に気付けたのは全くの偶然なのだ。封じられた感覚器、入力されるはずの無い情報を偶然にも脳が感知したのだ。インプットの反対語はアウトプット。インプットされた力は姿を変えていずれアウトプットされる。
 例えば、夕方教会のシスターが鳴らす鐘の音。そして遥かな山に消え行く夕日。
 ノブレスが感じたのはそれと同じようなものだ。早く家に帰らなければ、早く安全な場所に逃げなくては喰われてしまうと、心臓が鳴る。
 子供の頃は夕日の後にやってくる何に喰われるのかなんてわかりっこなかったし、それは今も変わりない。夕日の後にやってくるのは夜の闇である。そこには何もありはしない、それでもそこには闇がある。得体の知れない何かが言いようの無い存在感を持って強い伸びよる。
 今回も正体はわからなかった。わからなかったからこそ夢中でフットペダルを踏み抜いた。その行動が背後より迫る死という闇から逃れる唯一の手段だ。
 ブースターが最大出力で火を噴き、ACの速度が一息に跳ね上がる。止まるところを知らない運動エネルギーが熱を生んで、老い先短い陽炎を生む。
 推力を得て、ACは地を滑るように進む。ノブレスは未だに何が起っているのかわからないまま、背後に気を傾けた。
 何も見えない。見えるハズが無い。感じる事が出来るのは真っ暗闇だけのはずなのに、ノブレスにはやけに暖かい、人間の文化の基礎の姿を見える。
 程度を知らない暖かさは、人の感じられる暖かさではなかった。身を焼くほどに温度の高い温かみをノブレスは感じる。
 知っている。身を焼くほどの温かみは文明を死滅させる猛吹雪と同じ性質をもっている。
 本能が恐れた。
 ノブレスは片方のペダルを踏んだまま、もう片方の足で別のペダルをキック。
 操作パネルが埋まるほどのエラーが出るが、ACの簡易オペレーションシステムには外部からの強制的な決定に抗うほどの力は無い。
 いやいやしながらも、一秒の半分で従った。少々の駆動音の後に鋼の轟音。ブースターをふかし、バランスを保ったまま大きく足踏みする。
 歩くよりももっと大きな力をほぼ垂直に地面に叩きつければ、当然反発力も大きくなる。
 崩れたバランスを制御するのはノブレスにはかなりの重荷だったが、それさえクリアーすれば、この状況を脱する事が出来る。
 目の前に聳え立つ巨大なビルの頂点を目指して上昇、凄まじい勢いでいくつもの窓ガラスが下に流れていった。
 ACが伸ばした左腕が三度空を切り、四度目でビルの頂点の入り口を掴んでから、一旦ブースターを停止させる。
 まだ一息はつけない。後ろに流れていった危機をもっと引き離したければ、のんびりする暇なんて無いのだ。
 空気を確保したジェネレーターが新たな電力を生み、酸化剤と反応してもう一度推力に姿を変える。酸素も一緒に取り込んで、多少青い炎が大暴れした。ブースターの規定限界を超えた加速。しっかりとブースターの方向を固定していなかったがために推力に期待が振り回される。
 シートンの見たムスタングよりは暴れていた。御する事なんて出来なかったが、それでもビルの上まで飛び上がって足をつける。もう一度足をけって跳躍、ビルの向こう側へとんで、Gに抵抗もせずに自由落下。落下反動の制御はオートバランサーに一任して深呼吸する。
 窓ガラスが割れる音が聞こえた。地からづくで叩き割るよりももっと穏やかな済んだ音で、耳に心地よい。単純な力ではなく、間接的に割れた音だ。
 すなわち、膨大熱量による膨張、そしてそれに耐え切れなくなったガラスの破砕。
 ノブレスを追ってきた恐怖は十中八九火炎放射器だということだ。
 電波妨害を受けている以上、通信はできない。通信が出来ないのならば、自分を襲う相手と連絡をとる手段は無い。スピーカーでもあれば別だが、そんな無駄なものをつけていられるほど余裕は無い。
『なかなかどうして逃げ足は速いじゃないか、ほぼ支給されたままの割には』
 相手はスピーカーを持っている。戦うだけならば必要の無いものなのに、その必要の無いものをACに装着している。
 威嚇のためか、相手をなぶる為か。
 普通のレイヴンならまずつけないものだ。そんな事をしなくても、近寄っているのなら接触回線を使えばよい。
 ムダをわざわざするというのならば、相手は絞られてくる。他のレイヴンの情報には結構疎いノブレスでも、普通のレイヴンとは違う、と言われれば、野良の存在を思い浮かべる。
 もしそうだとして、火炎放射器を持っているとするならば。
 仮定の上にまだ確実とまで言う事の出来ない情報の上塗りだが、その割には存在感のある説だった。
 名前はアニー、性は無い。赤いACを駆る非公式のレイヴン。パイロと名付けられたACの両手には火炎放射機が装備されている。たいしたことは書いてなかった。顔すら書いてなかった。覚えるもクソも無いが、それでも火炎放射器を持っていることだけは頭に叩き込んである。
 アークから指名手配される人間なんて、野良レイヴンぐらいしかいないし、それならノブレスには勝ち目がほぼないと言っていい。それでもノブレスは夢見ずにはいられない。
 夢を見ずにいられない。
 もう一度、フットペダルを踏み込んだ。限りなくリアルに近い夢を、今ノブレスは見ているのだ。


 気が気じゃなかった。掴んだ藁を手放してしまう、それ以上の感情が自分を支配しているように思えた。エレベーターで下降し始めたノブレスと連絡が取れなくなったとき、予想していた以上に心臓がひっくりかえった。
 自分でも中々信じられない事だった。
 ただただ毎日、相手の知らない自分の罪を拭うためにせっせと仕事をする。傍から見れば甲斐甲斐しいが、自身がノブレスのパートナーである事を意識していない事を考えれば、十二分に異常なことだ。シーラがノブレスに抱いている感情は人に向けるべき当然の謝罪の感情のみであるハズだ。
 意識して無いだけじゃない。シーラは自身で自分がノブレスのパートナーである事を否定している。諦めの混じった思いで結界を張り、ノブレスには決して本音を見せないでいる。
 人と人とが関わりあう時に、互いの事を知るために必要な事をしていないのだから、当然シーラにとってノブレスは他人にすら近いはずだ。
 心が痛むなどとは考えられなかった。
 何も出来ないで待つ事が苦しい事だとは思っていなかった。
 唇を噛んでもう一度ノブレスのACに情報を簡易送信。しかし、データは向こう側に届く事は無い。まるで横殴りの突風にさらされたように強力な妨害電波に流されてしまう。
 小さい頃から何度もおばに注意された、貧乏ゆすりの癖がまだ直らない。人差し指で指揮車のハンドルを叩きながら、何度もデータを送信した。
 通話アイコンは一向に現れない。それでも諦められずに送信する。何で諦められないのか自分でも分からずに送信する。
 ノブレスが死んでしまうのは、それは確かにとても厄介な事だが、論理から見れば無理な事ではない。彼がここで死んでしまうと言うのならば、シーラはとっとと諦めて肩から荷を下ろしたらいいのだ。
 それでも募る焦燥感があった。自分は彼に一体なにをしていたのか、と思う。他人同然と思いながらも多くの責任をなすりつけ、あまつさえ見殺しにしようとしている。
 ノブレスは一体何を思って自分を見ていたのだろう。仕事はしていたけど、全力だったけど、きっと本気じゃなかった自分をどう見ていたのだろうか。
 今となってはそれはわからないことかもしれない。
 自分は自分が何処かの命を救うことばかり考えていて、ノブレスの事なんて考えちゃいなかったのだ。
 随分な薄情者だ。そしてそれはわかっていたはずのことだ。
 その薄情者の汚名は、もう不動のものとなった。もう取り返しはつかない。オペレーターのあり方を知らないシーラは、利己的な思いをレイヴンにぶつけて、挙句の果てに殺した。人を殺せば手が血で汚れる。紅い匂いは肌にしみこんで取れなくなるハズだ。
 レイヴンの仕事を手伝うのはオペレーターであり、パートナーである。他人は何もすることが出来ない。
 自分は人を一人見殺しにした。自分は哀しむことなど無いはずだ。他人なのだから。ただ、自分が誰かの命を救うには、哀しむ必要があったはずなのだ。レイヴンが人助けをする。オペレーターはそれを手助けする。自分に出来るのはその手助けなのだと、そう思っていたのに、哀しむ事ができなくてはその手助けは出来ないのだ。
 とんでもなくやるせなく思った。最後まで意味を履き違えたままだった自分にむかっ腹が立つ。
 外部装甲板が急に音を立てる。外からの振動がくぐもって響き、耳の奥にじわりと忍び込む。
 いつの間にか物思いにふけっていたシーラは急な外部からの入力にハッとして、少しだけ喜んだ。耐えるべき苦痛の空白を埋めることの出来るものがそこにある。
 近距離からのワイヤコネクト、ジャミングによりレーダーがきかず、何が近くにいるのかはわからないが、誰かがいるのは確実だった。音量バーが群れて騒ぐ。人の声音を形作るいくつ物音が一つの形を成して接触を求めてくる。
「聞こえているか、依頼人のジャック・Oだ」
 予想はできていたのだと思う。心のどこかで相手を見くびったような、高みに立つものの声。
「依頼人は黙って待っていなさい。金を出すのは貴方でも、私たちの仕事への介入は許さない」
 なにもまじめに相手をする事は無いと思っている。自分を見くびる相手に本気で言う事など無い。噛み合わない歯車をいくらまわしたところで、何の力も生まれないのだ。
「面白い事を言うな、お前は。お前の仕事ではないだろう? 今戦っているのはノブレスであってお前ではない」
 鼻で笑っている。心底愉快そうな声は、人に良かれ悪かれ影響を与えるだろう。ジャックの顔も、ジャックがどういう人間かもシーラは知らないが、彼がアークに与える影響は知っている。
 今、アークがまともにレイヴン互助組織として機能していられるのも、レイヴンの決まりを守って政に入り込む、ジャックのお蔭でもあった。
「それに、お前は本当に私達が戦っていると思っているのか? お前はノブレスのオペレーターでいられているのかどうか、私には疑問だな。人を騙して、その上で相棒を自称するなんて酷い話だと思わんか」
 見透かされていた。
 世には、数分相手と話し合っただけで、その相手の素性や生い立ち、正確を当ててしまう人間がいると言う。ほんの少し、言葉を交わしただけで、口調や言い回し、仕草等を頼りに人の中身を見てしまう。
 シーラはぼんやりと、そんなのは気持ち悪いものだと思っていたが、そのぼんやりとした思いは今や錘のように質量を増し、意識を黒い沼に倒れさせる。黒いしみが広がった。
「ふざけないで! あなたがどう思っているかは知らないけども、私はノブレス=オブリージュのオペレーターです! 余計な口出しはやめて!」
 装甲車の操縦席は装甲車外見の鈍重さに見合っただけの狭さを持つ。照明は最低限で、とてつもなく薄暗く、シーラの顔を青画面のわずかな光と外部カメラのもたらす色彩が照らし出す。
「あなたは何をしにきたんですか、スラムの中はジャミングされていて探りようがありません。ここにいたって無駄です」
「だったら、なんでお前はここにいる?」
「そんなのは愚問だ! 私がオペレーターだからですよ!」
「レイヴンを騙すのがオペレーターだというのならばそうなのだろうな! 相手の本質的な性質を信じもせずに相棒などとは笑わせるものだろうが!」
 脂汗がシーラの頬をつたる。図星である事を自ら意識していて、それしか意識できてはいない。歯を食いしばって、通信機を睨みつける。
 データ受信のアイコンが青画面に明滅し、自動でウインドウが開く。リアルタイムな画像データには、二機のACが映っている。
「これを見に来たのだ。彼は逸材、中々善戦しているよ」
 あきれたものだ。こんな時まで高みの見物、それが生業かのように気取っている。
 二機のACのうち、片方は出荷時そのままの未塗装のAC、もう片方は赤く、長大な火炎放射器とチェーンガンを下げたAC。赤の方は、脚部に妙な装甲板をぶら下げており、奇妙な印象を見るものに与える。明らかに規格外のものだ。
 だがしかし、シーラにとってはそれは大して重要でもない。重要なのは塗装されていない方。明らかに新人レイヴンのものと思われる、大幅なチューニングすらされていないAC。
 多分この画像は地下スラムの画像で、リアルタイムなもの。どうやって中継しているのかは不明だが、ノブレスが乗っているだろうACがまだ傷をおっていないことに胸をなでおろす。またもや予想外な大きさの安堵が心を襲った。
「中々見ものだぞ? 性能が明らかに下回ったACで、大ベテランと戦っているんだ。多少劣勢と言えど、これは中々見られたものでない」
 人の命をもてあそんでいるとしか思えない。自分と対等な命が捨て身で張り合うのを見て喜ぶなんて正気じゃない。
「あんたみたいなの、反吐が出るわよ、人が戦っているのを見て喜ぶなんて、命に対する冒涜でしょうが!」
「そう思うなら止めて見せればいい。わかっているのに死地に向かわせ、あまつさえ自らの働いた嘘を飲み込んだまま教えようともしないような奴には言われたくないな」
 奥歯がギリとなる。苛立ちを誘発させる声を止める事は出来ない。回線を閉じる事は出来るが、見くびられたままでは意味が無かった。
 モニター内で、紅いACが火炎放射器を構える。ただの一台のカメラの中に二機のACが納まっている。壮絶なモータルコンバット、その近距離でさえ、紅いACは相対距離を大きく動かす事の無いように相手にピッタリとくっつき、火炎放射機を構える。
 改造品と噂される指名手配犯の火炎放射器は、青い火を吐くらしい。宝石にも似た輝きは、十分に酸素を吸った高熱の炎だけが持ち得るのだ。その火力は、一瞬でMTの装甲を溶かしてしまうほど。一秒もその中にいれば、ノブレスの命は無いだろう。ACが形を残そうとも、中の人間が無事でいられるわけがない。
 アクセル、ワイヤーを振り切って、目の前にあるエレベーターの端末を有線ハック。四段階あるセイフティを一気に吹っ飛ばして、快適さを無視した速度でのエレベーターの上昇が始まる。エレベーター入り口に装甲車が辿り着く頃には、巨大な扉が口をあけていた。ジャックには一言も返さない。
 父と母は炎に焼かれて、その時に自分も焼かれそうになった事を彼女は覚えている。それを救ったのは、一機のACであり、それに乗る一人のレイヴンだった。
 そもそも、目の前の命を見捨てる事が出来る人間に、人を救うことなど出来るはずも無い。


「クソッタレが! 名前通りの外道じゃねえか!」
 後ろからの突然の攻撃から間一髪で逃れて悪態をつく。敵との間に巨大なビルを挟んでACはしゃがむ。
 自分の考え通りならば、敵は簡単に勝てる相手ではないはずだ。通信が通じない以上会話が出来ないわけで、相手が戦いを挑んできているのならばそれに勝つしか生き残る術はなかった。
 炎に直接触れたわけでもないのに、コクピットがやたらと暖かくなっている気がする。汗が首筋にたまって蒸れる。不愉快な首周りのショックガードを引き千切って、呼吸を整えて。
『中々やるじゃないのさ! もっと逃げて見せな! 新人の分際でここに来たのが運のつきさね』
 会話が成り立たない以上は一方的な罵りにしかならない。相手を煽っているつもりだろうか。
 敵がスピーカーを用意しているのはこのジャミングが敵の用意したものかもしれないと言う事でもある。だとするのなら、相手はECM耐性の高いコンピュータ系統を装備しているのかもしれない。ノブレスが駆るACは、殆どアークから支給された時とアセンブリの変わらない、世代遅れのものだ。新型なのはブースターだけ。中古のライフルを中古のマシンガンに持ち替えてはいるが、内装までは大して変わらない。
「言わせてるばっかりで、たまるか!」
 言葉で言い返せないのならば、行動でその業を返してやればいい。自分が飛び越えたビルにもう一度振り返る。
 一応はレーダー確認、不細工な砂嵐が踊るばかりで、何の情報も提示しようとしない。左右のモニターは殆ど死んでいたし、FCSも作動しない。
 あまりにも強力なジャミングだった。シムーン(砂漠の「死の嵐」湿度0パーセントで摂氏四十度を超える。この中に数分間いただけで生き物はミイラになる)よりも酷い。こんなジャミングは一機のACで制御できるものではないし、どんなに強力なFCSやレーダーを搭載してようが、抵抗できるものではないはずだ。
 相手がいかに対ECM武装を用意していようと、レーダーもFCSも、完全にまともではいられないはずだ。
 虚を突かれれば、敗北に繋がるが、虚を突けば勝利に繋がる。先手必勝一撃必殺。多少強引なぐらいがちょうどいい。
 もう一度ブーストしてビルの頂点に達し、FCS依存のミサイルを切り離す。地に落ちる前に、空いた左手でキャッチして、同時にビルの屋上に片足を着いた。巨大な重量が一本の足に圧し掛かる。手入れの行き届いた脚部は悲鳴一つ上げないが、乾いたコンクリートは重さに耐え切れずに砕けていく、散る破片を尻目に、ついた片足の膝を大きく曲げ、もう一度伸ばす。大きく跳躍。眼下には予想通りビルの前で立ち往生する赤いACの姿。噂に聞く百戦錬磨の野良AC、パイロの姿。
 左手を振りかぶって、下方に放り投げる。全てのものを抱きしめる重力が、ミサイルポッドも例外なく抱きしめ、更なる加速を加える。地上に到達するタイミングを見計らって、ノブレスはトリガーを引き絞る。何にも依存する事の無い手動照準。生体によるバイオ的な高速並列処理はなんだって可能にする。
 地に激突したポッドはめちゃくちゃな音を立ててバラバラになり、計四十のミサイルを散らす。派手な破砕にアニーが気付かないワケなくて、パイロは即座に振り向く。オートバランサーに頼らずに、左足を浮かせて回し、重力に逆らわずにそのまま落とす。それで七十度、右足を捻って体制を整えてから上半身を旋回、二十度分を補う。
 気付かれるのなんて元より承知、またもやエラーまみれになる青画面を無視して、前方に突っ伏す勢いで前傾、真下を向いた銃口が1マガジン分の弾丸を吐き出す。
 暴れる銃身を鉄の腕で押さえ込んで、散ったミサイルを片っ端から狙い撃ち。爆風が長らく使われていなかったスラム街に溜まった埃を撒き散らし、濃密な煙幕を作り出していく、その上でさらにパイロがいたと思われる場所に出来るだけの弾丸を叩き込む。
 これで勝利できたわけではない。ただの手の内の一つに過ぎないが、相手の虚をつくことは出来たはずだ。耳も触覚も失った状態で、更に目も奪われた戦士はきっと恐慌をきたすと思えた。
 しかし、その程度の恐慌がごろごろしているのが戦場だ。この時点でノブレスはベテランというものを甘く見ていた。新米の知らない死の恐怖、実戦の恐怖をいくつも知っているということが、どんなに恐ろしい事かを新米は知らない。実戦を経験した兵士は、もう命を持ってはいないのだ。相手がかけるのに相当する自分の命をベットして、勝つも負けるも生きるも死ぬも八卦の地獄をいくつも乗り越えてきたものは、戦いの中では生きてはいない。彼らは死に、敵を殺す事で生きるのだ。
 アニーももちろん死んでいる。死んでいる以上、殺す事なんて簡単にできっこない。アニーはレイヴンなのだ。
 灰色の雲を割って、二つの弾丸が飛び出す。極小ロケットエンジンを噴かして突進するその影は、ミサイルのそれとは微妙に異なる。性質は大きく異なる。FCSに頼らない、ただ直進するだけの弾丸だが、その内部に込められた炸薬火薬科学燃料の力を決して侮ってはいけない。
 曲がらない。直進する。
 ノブレスはACに懸命に腕を振らせてバランスを取る。回転を始めた機体をもう一度逆回転させるのは骨が折れるので、そのままブーストして体を丸め、水平姿勢に最短で持ち込む。
 当てずっぽうに撃たれただろうロケットは、その性質上はあたるはずが無いように思えるが、ノブレスの機体の軌道は至極予想されやすい直線、当然ロケットもその線の上に放たれている。
 顔をしかめてブースト、減速して交差軌道から外れようとするが、巨大な質量がそうそう止まる訳も無い。広げた両手両足を一気に前に振り、反動を得てバランスをずらし、懸命ででたらめなワイヤーアクション。
 三流映画のやられ役みたいなめちゃくちゃな軌道を描いてミサイルを寸前で回避、勢いを殺す事が出来ずに、バランスが崩れたまま着地して、たたらを踏む。
 霧に包まれても、アニーは迷うことがなかった。パイロは迷わず腰部に装備した可燃性科学燃料搭載ロケット、要はナパームロケットの一番と二番を飛ばして加速する。霧を一気に抜けて、たたらを踏むやられ役に向かって加速する。
 火炎放射器を構えて射程距離に持ち込んで、トリガーを引き絞る。炎が生まれ、貴下燃料が放出される直前に、ノブレスも加速する。完全にバランスを回復されていない機体はその体重を前に投げ飛ばして、パイロに深い肩を見舞った。あさっての方向に青い炎が待って、今度はパイロが軽くたたらを踏む。ノブレスはすかさずマシンガンをトリガー。
 ここで一つ失敗。マシンガンは二十発ずつ弾が込められたマガジンが計六本装備されている。有り得ないほどに旧型のこのマシンガンは、もちろん売られていたものではなく、アークの仮倉庫で埃を被っていたものをがめてきたものだ。弾丸の規格も新型のものとは異なるが、その弾丸も同じくしていたので、弾の代金が浮くのだと、貧乏人根性で持ってきた物だ。
 このマシンガン。弾丸も旧式ならば機構も旧式。ジャムの危険を減らすとされるマガジン使用の先駆けのような品物で、今のようにオートマガジンではない。マガジン内の弾丸が無くなっても、トリガーを引かない限りはマガジンの廃棄も次マガジン次弾装填も始まらない。撃ちっぱなしで放って置いてはいけないはずのものだ。
 要するに、ノブレスはマガジンの交換をしていなかった。トリガーを引いた瞬間にマガジンラックの中から空マガジンが一本滑り落ちてから、がっちゃんと大きな音を立てて、次弾の装填が完了する。
 当然、パイロが姿勢を取り直すのに十分な空白がそこにあった。パイロは一歩引いて、左のフレイムが咆哮しようと牙を見せる。
 ノブレスのACはとっさに構えた右を外に払って再度トリガー、パイロは体をずらして紙一重でそれをかわす。
 壮絶なモータルコンバット、その近距離でさえ、パイロは相対距離を大きく動かす事の無いように相手にピッタリとくっつき、火炎放射機を構える。
 埒が明かない。ブレードを振りかぶる暇が見出せず、ノブレスは大きく後退する。
 パイロは前進もせず、突っ立ったまま、飛ぶ様にノブレスの周りの景色が流れて、かなりの距離を稼ぐ。
 パイロの腿には妙な形のインクリースアーマー。アニーが距離を離して、単純な軌道に移るのを確認してからアニーはにやりと笑う。秘密兵器の出し惜しみをしないのがアニーの信条であり、実戦で学んだ教訓の一つだ。
 アニーがスイッチを入れると、増加装甲周りの留め具が少量火薬によって弾け飛び、増加装甲は完全に固定された下部を中心にして地に落ちる。その重さは常識ハズレであり、その目的は錘である。
 軽快な動作とバランスを約束された二脚AC。そんな二脚にも弱点の一つや二つは当然ある。その中でも特に目立つのが、肩部キャノン砲撃の発射反動に耐えられないことである。この欠点を埋めるために、二脚AC用の構姿勢プログラムが存在するが、わざわざ構えていては、敵のスキをみすみす逃してしまうことになる。
 その欠点を補うのが増加装甲だ。巨大な装甲は地に足を完全に固定するためにある。
 構姿勢プログラムを排除したパイロのコンピューターは文句一つ言わずにチェーンガンを発射位置に固定、一秒待たずに連続発射する。凄まじい速射性能が砲身を休ませることなく鉄を撃ち出させる。煙を引く薬莢が辺りに踊り、紅い雨が地と水平に降り注ぐ。
 唐突な発射に対応できないノブレスは回避動作が遅れる。ノーロックの連射弾はその殆どをあさっての方向に吐き出すが、その中の一つが腰部に直撃する。装甲を大きく削り取った弾が砕け散って、床面に落ちていく。
 背後にビルを確認。弾丸の嵐から逃れるべく陰に身を隠すが、その時にはアニーが動き出していた。弾丸の雨は唐突に止み、増加装甲とチェーンガンを切り離して身軽になったパイロはかなりの高速でノブレスに迫る。
 突然の事態に戸惑ったノブレスは足を止めた。戦場で。
 戦場とは、広がり続ける死という穴の淵である。穴から走って逃げるのをやめてしまえば、一瞬で穴に吸い込まれてしまう。
 気付いた時には、紅いACがモニター一杯に広がっていて、悲鳴を上げる間もなく機体にタックルを食らう。


 張り飛ばされて、バランサーが悲鳴。いつの間にか足を立てたままケツを地に着けていて、両の手でかろうじて上半身を起こしている。
 張り飛ばした方は、悠々自適の表情で、モニター向こうの無様な姿を楽しそうに眺める。倒れる敵にワイヤーを呼ばして有線接続。中々面白い相手だった。攻めてどんな面だったのかを見といてやろう。
 しかし、モニターには顔が現れない。コンピューター周りの機構が壊れデモしたのだろうか、ノイズが走るばかりで、青画面の右下にはvoice onlyの文字。
 仕方が無い。声だけでも聞いてやろう。嘲笑ってやろう。どんなに強くても、経験の数がものを言うのがこの世界だ。
「よく頑張ったよ、一瞬でも追い詰められたのなんて久しぶりだった。さぞかし面白い人生やってきたんだろうね?」
 暴れる音量メーターをメモリーバンクにぶち込む。
『一太刀も入れられてないってのが、情けないな。これは場数の違いって奴なのか?』
 声は震えていた。メーターも震えていた。死を目前にすると怖いらしい。初陣か何かだったのだろうか。死ぬかもしれないと、初めて思ったからこそ震えているんだろうし、そうだとしたら本当に面白い事だ。本物の実戦を初めて経験したばかりの人間に自分は追い詰められた。その事実は過去に世を騒がせたドミナントという言葉を思い出させる。信じてやってもいいものだったのかもしれない。
「自分で考えるのが筋ってモンだろ? 声は録音しといてやったよ、今から自分がどうされるのか、おびえきった楽しい声だ」
 心底嬉しそうに言い放ってから、右の火炎放射を敵のコアに照準。焼き殺すためにトリガーを
 ノイズが走る。大出力の電波が嵐の中を突っ切る音。明確な音じゃないが、正体不明の電波が近くにある。まるでそれを合図にするように、目の前の屍が動いた。
 嘘だ。
 もう死んでいるはずだ。もう生き残るチャンスは絶ったはずだ。バランサーを切って、無茶な動きをしようが、どうにかなるはずは無い。


 ここで死ぬならそれまでの奴だ。
 そんなことが言えるのは、もともと人助けしようなんて考えをさらさら持ち合わせていない奴の言うことだ。人助けをしようと思うのならば、目の前のどんな命も諦めてはならないはずだ。せめて、自分が出来るオペレーターの仕事をしなければならない。
 アンテナ固定。電波発信。
 まず、生死確認。
 大丈夫。きっと生きてる。


 バランサーを完全にシャット、右腕に体を預けて左腕を浮かせる。
 死ぬのが怖い。死んで溜まるか。
 普通諦めてしまうところで諦めては負けだ。何に負けるのかといわれれば、おのれの規範にと言うべきだろう。自分が決めた生きる道を途中で諦めるのは格好が悪い。
 抵抗できるところまで抵抗する。抵抗してもだめな運命だというのならば、運命が道を譲ればいい。生き残ると決めたからには生き残って見せるのだ。変える約束だって申してしまったのだ。
 浮かした右腕のブレードを最速で起動。大して出力を持たないから、直撃させても致命傷にはならないだろうが、装甲の薄い何かならば完全に灼く事だって出来るはずだ。
 目の前に格好の標的がある。敵の右のフレイムスロウワー。燃料タンクが近い。近いといっても、やはり限りなく遠いのだが、精一杯背伸びして、精一杯に手を広げれば糸口はきっとつかめる。
 一閃。
 バランスが支えきれなくなる前に何とかしなくてはならない。燃料タンクめがけて一閃。コアにくっついていたワイヤーが弾け飛んで鋼の装甲を鞭打つ。
 極限まで軽量化された装備類に分厚い装甲は無い。ブレードの熱は直接タンクに達し、はじけさせ、燃料に火をつけた。酸素の足りない赤の火種が生まれる。
 同時に上半身を出来るだけ立ててブースト、推力を絞って、装甲が熱されるのも無視して体全体を持ち上げる。
 コネクトロストを知らせる青画面にちらりと目をやって、意地の悪そうな女が悔しがる様を想像する。
 舞い散る科学燃料の向こう側に揺らめくカメラアイの光。絞られた瞳を日と睨みした時、その視線の熱さに反応したかのように一気に燃料に火がついた。
 巨大なタンク内に秘められた炎の素が一気に燃え上がる。巨大な炎は赤のカーテンとなって双方の視界から双方の姿を覆い隠して踊り狂う。
 その炎を割って、混乱するアニーの唯一の反撃が現れる。
 インサイドナパームの三。
 炎から飛び出したその姿を確認できぬ内にノブレスの機体に直撃する。弾頭に極限までつめ込まれた燃料が一瞬で気化し、爆発する。
 ACは一瞬で火達磨になって、中身を蒸し焼きに。
 ノブレスの血液が沸騰する。声にならない悲鳴を上げて、熱された攻撃意識を前に向けて左の拳を突き出す。ブレードを動作させずに、相手の頭があった場所を勘で掴んで一突きする。
 ストレートがパイロの顔面を打って、ひしゃげさせた。保護装甲の無い頭部は無抵抗にされるままになり、カメラは完全に粉砕される。
 ACは左をすぐに引く。無理矢理な挙動に間接が抵抗するが有無を言わさぬコマンドには逆らえずに身をすり減らす。
 同時に右の足を一歩前に出して、パイロの左足を踏んづける。
 喧嘩の常套手段。敵の地盤を押さえて、戦況を打開する必勝の戦術。
 もう一度左ストレート。今度は頭なんて狙わずにボディに一直線。
 拳の突き刺さったパイロは、右足を引き、バランサーの指令に沿って左足も引きずろうとしたが、思わぬエラーに足を止める。
 AC二機分の体重を引き受けた足は並みの力では引きずることは出来ない。エラーを起こしたプログラムが体重移動のために膝を折り、当然のように尻餅をつく。
 ノブレスは追って左足でパイロのコアを蹴り飛ばし、踏みつけて右のマシンガンを構える。まだマガジンが五本も残っていた。
 炎のカーテンが勢いをなくし、散り散りに消えていく頃には形勢が逆転している。
 アニーはその状況が信じられずに口をあんぐりとあけてモニターを見上げる。完全に仰向けになったパイロは胴体を踏みつけられた今、もう動けない。
 ワイヤーはつなげていない。それでもアニーには荒い息が聞こえる。相手のものだと、一瞬思った。自分が追い詰めた相手のものだと思ったそれは、自分のものだ。一瞬後、気付いた時には、モニターの向こう側に黒い銃口が広がっている。
「っ! 死――」
 トリガー。


 銃声が一瞬止んで、マガジンが一本落ちた。


 息が荒い。酸素が足りていない。さっき自分が何を叫んだかもおぼえてはいないが、とてつもなく怖い目にあったのはわかる。
 息が荒いもの。
 とうぜんなんだ。怖い目にあったら報復するのが。
 深い考えもなしにトリガーは引きっぱなし。


 マガジンがもう一本落ちた。


「ノブレスさん! 聞こえてますか!? ノブレスさん!」
 懸命に通信機に向かって叫ぶ。
 しかし、とんでもないジャミングだ。さっきからアンテナを最大にしてずっと呼びかけてるのに、横殴りの突風に邪魔されっぱなしだ。
 それでも生きてると信じ続けなければならない。今までは、レイヴンが勝手にやってくれるものだとどこかで考えていたが、今はそうでないことがわかる。一緒に仕事をするのだ。そうでなければ自分はオペレーターではいられない。
 相手が生きていなければ話にならない。結果的には自分を騙しているのかもしれないが、それでも生きていると信じ続けないといけない。
 叫ぶ。
「ノブレスさん! 応答してください!」


 マガジンが落ちる。


 コアの装甲がいくら厚くても、同じ箇所にいくつも弾をもらえば穴の一つや二つ、あっさりと空くものだ。
 パイロのコクピットはもう原形を残してはいない。シートはめちゃめちゃにかき乱され、パイロットだったものはそこらじゅうに飛び散っている。
 どこを見ても赤い肉が目に付く。骨は粉になるまで砕かれている。


 マガジンが落ちる。


 もっと近距離にならなければ電波が届かない。一体何が起っているのかはわからないが、全身の力を込めて叫ぶのが今のシーラに出来る事だった。
 返事が無いのに腹が立つ。敬語なんて使うこと無い。呼び捨てで、でかい活を飛ばしてやれ。
「ノブレス=オブリージュ! 応答しろ!」


 フラッシュする視界が愉快だった。飛び散る肉がいくつも見えた。自分の命を握っていたものの名残だった。
 ざまあみろ。俺の勝ちだ。お前は所詮その程度だったんだ。
 勝ち残った方が偉いのだ。自分の遥か有意に立っていたはずの、そしてそうなのだと信じていた相手が粉みじんになっていく。遥か低き新米に粉にされていく。
 とてつもなく。
 愉快だ。
 口の端が緩んだ。決して安堵からじゃない。
 爆発の振動の中、燃えるような大気の中、鋼鉄のコクピットの中で。
 口の端が、自分も気付かないうちに三日月形に――

 

 マガジンが落ちる。


『ノブレス=オブリージュ! 応答しろ!』
 突然の怒声にビックリしたわけじゃない。何に驚いたのか自分でも分からなかった。玉が無くなったのにトリガーが引きっぱなしのせいでエラーがいくつもでる。かちかちと音が鳴る。
 紅い血が見える。そんな馬鹿な。正気に戻った自分が狂気に迷った自分が造った惨状を見て、やっとトリガーを握る右手が口を押さえた。
 笑ってなどいない。自分は笑ってなどいない。
「っはぁっはぁっ」
 そうだ。声なんかでない。声を出すだけの酸素も何もかもを体の外に吐き出して、笑う気力なんて残っていない。
 通信機越しにノイズ交じりのか細い声を聞いたシーラは、思案顔をして、これ以上何も言えずにいる。


  ※


 結局、あの後ノブレスには一回も声をかけないままでいた。安易に声をかけてはいけないことなのかもしれないと思うと、踏み切れないシーラ=コードウェルがいる。
 出張便に自分たちの回収を頼んで、深い眠りについた後、自分たちの家の前にいつの間にか立っていたのを良く覚えている。青白い空が印象的だった。
 穴の開いた我が家が何故か懐かしい。
 買い物袋をいくつもさげ、カートに食物を満載して、シーラは今日も買出しに言っている。
 あれ以降ジャックからの連絡はなかったが、ノブレスの銀行口座に指定された以上の多額の賞金が突っ込まれていた。
 かくして、ノブレス=オブリージュのレイヴンとしての生活は順風満帆である。当然、シーラ自身の目的と、それをするための手段も明確になった。
 青い空を見上げて一つ伸びをして、ガレージの中に入っていく。クレーンが挙動不審な動きをしている。新手のダンスかなんなのか。上がったり下がったり、回ったりと待ったり。
 まあなにが起っているかの想像はつくのだ。シーラはコントロールパネルの前で悪戦苦闘しているであろうノブレスの顔を想像してくすりと笑う。
 ノブレスに気付かれないようにカートをおきっぱなしにして事務室へ、資料が山積みになった机の上を引っ掻き回して、長い間ほっといたままの初心者用整備マニュアルを引きずり出す。
 コントロールパネルのある渡り廊下の階段を静かに上って、背後から誰が近づいているのにきづかずにいるノブレスの背中を見て、声。
「ノブレス、何やってんの?」
 何をやっているか、わからないわけでは無い。ノブレスはノブレスなりに頑張っているのだ。今まで、自分はその頑張りを散々封殺してきたが、それではいけないと思うのだ。やっぱり。
 相棒とは、助け合うものである。その助け合うもの同士の間柄に敬語を使う必要は無いと思えたし、互いの行動を制限する必要も無いと思えた。
 必要以上に上がった肩が、下がるまでにはかなりの時間がかかって、振り返るまでにはもっと時間がかかった。
 おそるおそる、といった感じ。でも、それをとがめるつもりはシーラには無い。
「えーっと、」
 言い訳に戸惑っている姿を尻目に左手に握ったマニュアルを差し出す。
「いるでしょう?」
 笑顔で言う。
 ノブレスは以前戸惑いの表情のまま固まっているが、差し出されたマニュアルを受け取るべく、右手も出している。
 マニュアルを掴もうと広げられた手を、シーラはすかさず右の手で握る。
 ノブレスは豆鉄砲でも食らったような顔をした。
 右と右の握手は友好の証である。互いを同等の、同じ権利を持つ、自分と同じく意思を持った相手であると認めた証だ。いつかも同じ事をノブレスとシーラはしたことがあったが、今のシーラはそれが「握手」であったとは思えないのだ。
「これからもよろしく!」
 今更何を言ってんだという顔をしてノブレスは笑う。シーラも当然の如く笑う。
 シーラだけが微笑むのは今までも良くあったことだったが、ノブレスも一緒に笑っているのは、初めてのことだった。





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