右手のレーザーライフル――『カラサワ』が火を噴いた。
 絶大なエネルギーを込められた光弾は、遙か前方のパルヴァライザーに着弾、その命を摘み取った。
 四脚パルヴァライザーが――崩れる。
 体重を支えていた四つの足は、無様に弛緩し、木の根のように地面へ広がった。
 両腕がだらんと垂れ下がり、伸ばされていた青いブレードも消滅する。
 最後に、頭部で光っていたカメラアイからも、完全に光が失せた。
 それは機械に似つかわしくない、極めて生物的な『死に様』だ。
(……案外、生きていたのかもしれないがな)
 思いつつ、ジャックはスティックを捌いてフォックスアイの向きを転換、パルヴァライザーに背を向けた。
 だがその素早い動きとは裏腹に、ジャックの吐く息は重い。
(それも、どうでもいいこと……か)
 彼の表情は、戦闘直後とは思えないほど沈んでいた。だけでなく、戦いの『熱さ』とは無縁の無関心が、倦怠が、全身にまとわりついている。
 その空気は、昨日今日で生まれるものではあり得なかった。
 長い年月を経て、蓄積し、ジャックと同化していった、慢性的な『衰退』の空気だった。
 だがその雰囲気は、ジャックがある事実を思い起こした瞬間、綺麗に吹き飛んだ。
(……そうだった。もう次の戦いに移れる……)
 口元を歪める。ごちそうを前にした、子供のような笑みだった。
(これで、気怠さともさよなら、だな……!)
 気を取り直し、ジャックはメインモニターから、ざっと機体状況を確認した。
 APは七割ほど。弾薬も同じ。
 ただ、一度ブレードを受けた際に、左肘から先が吹き飛んでいた。
 フォックスアイの装甲は厚く、ブレードとはいえ、二、三撃なら防御スクリーンが弾いてくれるはずだ。
 だが、今回はスクリーンの薄い関節部に、斬撃を受けてしまった。
 結果フォックスアイは、まだ弾数のあるグレネードといっしょに、左肘から先を喪ったのだ。
 それは、傍目には非常に運の悪いことだった。
 特に――ジャックは、これから真剣勝負に挑む。

 それも、生涯最後の真剣勝負だ。
 そんな戦いに、左腕を喪った状態で挑まなければいけないのだ。
(構わない)
 だがジャックは、興味なさそうに鼻を鳴らした。
 レイヴン同士の『真剣勝負』は、平等な条件で行われるとは限らない。
 こちらが不利というのであれば、それはそれで真剣勝負の一つの形だ。
 それに一々文句を垂れるほど、ジャックは未熟ではない。
『ジャック』
 そこで、通信が来た。
 付き合いの長いオペレーター――ゲオルグだった。
『パルヴァライザーの足止め、及び撃破、ご苦労さん。
あんたがやってる間に、ファシネイターが中枢の破壊を完遂した。インターネサインは沈黙。あんたの計画はほぼ完遂。
バーテックスの役割は終わった。この二四時間も、じき幕を閉じるだろう。
あとは――』
 ジャックは相棒の言葉を先取りした。
「私が死ぬだけ、か」
 通信の向こうで、頷く気配があった。
『だが、ジャック。最後に言うが、今ならまだ……』
「止してくれ。
私は、インターネサインについて多くの情報を握っている。だが、あれは人類には不要なものだ。
アライアンスには過ぎた玩具だ。
だから……私はその情報と一緒に、心中しなければならん。これは、すでに決まっていたことじゃないか」
 悲惨な話をしているはずなのに、ジャックの口元には笑みが浮かんできた。
 一定量の諦観と、やり遂げたという誇り。それらが絶妙にブレンドされた、壮絶な笑みだった。
『……ジャック』
 ゲオルグが小さく呟いた。
 ジャックは笑みを消して、
「それも、言うな。私とて、全く命が惜しくない、というわけではないさ」
 ゲオルグが言葉を飲み込んだ。少ししてから、諦めたような声がくる。
『……本当に、損な野郎だよな』

「そうだな。だが、全て誰かがやらなければならない事だった。
そして、それができたのは――あの状況では、私だけだった。
ならば、やらねばなるまい。私がやらなければ、他の誰がやってくれる」
 それは、無意識の内に出た言葉だった。
 だがだからこそ、そこからジャックの本音が――嘘偽りのない、誇り高い『責任感』がかいま見えた。
 ゲオルグの応答には、尊敬の念が込められる。
『大した男だな、あんたは』
 ジャックは笑った。
 ゲオルグの言葉を、気の利いたジョークか、あるいは軽い皮肉の類と受け取っていた。
 だが直後、その笑みは獰猛なものに変質する。
『ジャック、来たぜ。熱源反応だ』
 その言葉を合図に、ジャックの血が沸き立った。
 さっきまでの気怠さが嘘のような、飢えた獣のような空気、それが全身から陽炎のように立ち上っていく。
「ゲオルグ、それにな。実は私は……この最期も、そう悪くないと思っている」
『……だろうな』
 さすが、付き合いの長いだけあって、ゲオルグはジャックの感情を――彼が生まれながらに持っていた『欲求』を、分かっていたようだった。
 ジャックは重々しく頷く。
「そうだ。私は……真剣勝負を行える。
その最中に死ねるというのは……幸福な最期の一つと言えるだろう。
少なくとも、老いさらばえて逝くよりかは、な」
 それ以降、二人は口を閉じた。
 だがすぐに、言葉が戻ってくる。
 恐らく最後になるであろう言葉が、二人の間を満たした。
『最後の勝負だ。悔いがないように行けよ、ジャック。
煙草をやめてまであんたに尽くしたんだ。最期も、きっちり決めてくれ』
 ジャックは笑い、
「ああ。しっかり戦い、しっかり死ぬさ。私のためにも、『計画』のためにもな」
 それにゲオルグが、慌てて何か言いかけたようだった。
 最後の言葉には、『真剣勝負』に相応しくない異物が含まれており、ゲオルグはそれに胸騒ぎを感じたのだろう。

 が、ジャックはすぐに通信を切ってしまった。
 ゆっくりと息を吐いて、システム・クラッチを踏みつける。

『メインシステム 戦闘モード 起動します』


     *


 命を賭けた戦いには、当事者の存在全てが集約される。
 優れた絵画や音楽が作成者の魂を宿すように、優れた戦いには、当事者の魂が集約されていくのだ。
 ジャックはそうした戦いを愛した一人だった。
 命を賭けた戦いの中に宿る、剥き出しになった自らの命。その命を感じることに、すっかり魅せられていた。
 戦闘。それも、命を賭けた、真剣勝負。
 この世界に、これほど純粋に『生きている』ことを実感できる行いが、あるだろうか。
 そう自問し、心からノーと答えたのだ。
 故に、ジャックはそうした戦いを追い求めた。
 彼にとって戦闘とは、唯一にして絶対の自己表現であり、高潔にして冒すべからざる聖域だった。
 だからこそ、彼は並の戦いには興味を示さない。
 求めるのは常に、命と誇りを賭けた、正真正銘の真剣勝負だ。
 それ以外の戦いは余興にもならない。求める戦いに辿り着くための、階段にすぎなかった。
(……だが)
 ジャックは息を吐き出した。
 ここ数年は、そういった戦いに巡り会えていない。いや思い返してみれば、生涯で数度しか巡り会えていない。
 それも当然だろう。
 命や誇りを賭けるといっても、相手が同程度や、あるいはそれ以上の実力者でないと意味はない。
 技量で圧倒するような戦いでは、そもそもこちらの『命』や『誇り』が宿らないのだ。
 格下相手では、どう頑張っても本気にはなれない、そういうことだった。
 そして、ジャックは仮にもトップに近いランカーだ。彼と同等に張り合える相手など、なかなかいない。

 しかも――数年前から、ジャックはネストの主宰になってしまった。
 これでは、責任が付きまとう。迂闊に命など賭けられない。
 彼が死んでしまえば、ネストは空中分解してしまう。レイヴンそのものを続けることさえ、幹部の説得を要したほどである。
「そうだ」
 愛機の中、ジャックは一人呟いた。
 今回は、そんな中でようやく巡り会えた、最大級の好機である。
 バーテックスは、もはや全ての役目を終えた。
 彼らには申し訳ないが――もはや、自分を縛る『立場』はない。
 しかも相手は、ドミナントと目されるレイヴンだ。相手にとって不足はない。
 どころか、ひょっとすれば生涯で最高の戦いを演じられるかも知れないのだ。
 『命』と『命』がぶつかり合い、眩い火花を散らす――そういった戦いが、生涯夢見た戦いが、叶うかも知れないのだ。
(最期にしては、上出来だろう……)
 愛機の中で一人思っていると、ガシャンと金属音が連鎖した。
 一拍置いて、突き当たりの壁、そこにある扉が――開き始めた。
 思わせぶりな速度で、分厚い鉄板が左右に割れていく。
 ジャックはその扉が開ききる前に、待ちきれず歓迎の言葉を発した。
「遅かったじゃないか……」
 言葉が終わると、ぽっかりと口を開ける暗闇、その中からACが――カスケード・レインジが現れた。
 塗装のない剥き出しの金属が、天窓から降り注ぐ朝日に照らされ、メタリックな輝きを放っている。
 特徴であるオレンジのモノアイが、フォックスアイを静かに見つめ返していた。
「目的はすでに果たしたよ、彼女がな。全ては私のシナリオ通り、残るは憎まれ役の幕引きだ……。
せめて、最期はレイヴンの手によって迎えたい」
 もしこの言葉をゲオルグが聞いていれば、きっと眉をひそめただろう。
 ここには、先程ゲオルグが感じた不安が、さらに明確な形で現れていた。
 ジャックも、もし違った場であれば、発言――というより価値観――の矛盾に気づけたかも知れないが、状況にはそんな余裕はなかった。
 カスケードが、右手のハンドレールをフォックスアイに向けた。
 無論、撃ってはこない。傭兵の世界とはいえ、その程度の礼儀はある。
 これは――意志表示だった。
 御託に興味はない。闘おう。

 そういった戦意の当てつけだ。
(……そうで、なくてはな)
 笑い、ジャックは最後の言葉を口にした。
 思考のねじれを気づかぬまま、
「私が生きた証を……レイヴンとして生きた証を……最後に残させてくれ」
 ジャックがスティックを倒す。
 フォックスアイが一歩踏みだし、右手の銃を相手に突きつけた。
 丁度、お互いが武器を向け合っている恰好だ。
 もっとも、この時点でもまだ発砲の意志はない。
 だがすでに、二人の間には濃密な殺気が渦を巻いている。空間全体がぐんと密度を増し、全身に重くのしかかってくる。
 その懐かしい感覚に、知らず口元が歪んだ。
(これだ……!)
 三年。アークの主宰となり、あるいはランカーとなり、求めていた真剣勝負から遠ざかっていた。
 特に、この半年はひどいものだった。
 バーテックスの主宰となり、人類を救う計画を立案、実行していくに当たって、レイヴンとして任務をこなす機会自体が、極端に減った。
 それが止めとなったらしく、ついに彼の世界は、完全に動きを止めた。
 全てものが色を失い、鈍色に沈んだ。
 若い頃は世界が躍動して見えたものだが、今は死体のように動きを止めている。
 先程パルヴァライザーと闘ったが、その中においてさえ、それらは変わることはなかったのだ。
(だが、それもここまでだ……!)
 真剣勝負に巡り会えれば、そういった倦怠からは解放されるだろう。
 世界は色と躍動を取り戻し、ジャックはかつての興奮を取り戻せるはずだ。
(『殺される』ことを、愉しもうじゃないか……!)
 ジャックはブーストペダルを踏み込み、カスケードへ特攻した。
 彼はその特攻の先に、かつての熱意が、闘争心が、戻ってくるのを予感していたのだ。
 だが――その見通しが甘かったことは、すぐに明らかとなった。


     *


 ジャックが戦闘を開始する一方で、司令部は――バーテックスの司令部は、実に無様な混乱を見せていた。
 映画館ほどの空間で、多くの人員が駆け回り、喚き合っている。
 どの顔にも明確な焦りと、不審が深く渦巻いており、もはや常の冷静さなど欠片も見られなかった。
(……無理もないがな)
 その一角で、オペレーター――ゲオルグがため息を吐いていた。
 彼は、ジャックより様々な情報を知らされていた。だから特に取り乱すこともなく、冷静に状況を受け止めていた。
 だが、他の面々はそうはいくまい。
 彼らにしてみれば、いきなり組織のボスが司令部の地下空間で、正体不明の敵――パルヴァライザーと戦い始めたのだ。
 これだけでも、もはや疑問は山積みだろう。
 彼らとて、流石に指令部の地下に、大空洞があるのは知っていただろうが――なぜそこにパルヴァライザーがいるのか、どうしてジャックはそれと闘っているのか、などと訊きたいことは山ほどあったはずだ。
 そこに追い討ちをかけるように、今度はアライアンス側のレイヴンと戦闘を始めた。
 現在、ジャックは弱っている。これは明らかな死に戦だ。
 つまり、組織全体の敗北が決まったというわけだった。
 これだけの事実が重なって、むしろ平然としている方が、問題があるだろう。
(てことは、俺は問題があるのかな)
 思いつつ、ゲオルグは正面の壁、そこをスクリーン替わりとして放送されている、映像に目をやった。
 と、丁度戦闘が始まったところだった。
 フォックスアイが、OBでカスケードへ一挙に接近、その極至近距離から武装を打ち込もうとする。
 いきなり『止め』に近い攻勢だった。
 部屋中が息を呑み、ゲオルグもおっと目を見張った。
 だが、それは焦りすぎの感が否めなかった。
 実際、カスケードは横に飛んで、難なくその攻勢を回避する。
 こういった攻撃は直線的であり、それ故読まれやすい。相手の隙を作って、それから叩き込むべきなのだ。
「らしくねぇぞ……」

 ゲオルグは、この時点で不穏な空気を感じていた。
 そしてそれは的中した。
 ジャックは逃げたカスケードを――追いかけたのだ。
 致命的な愚行だった。
 自殺行為も甚だしい。
 ACの戦いにおいては、常にヒットアンドアウェイが基本だ。常に相手に張り付いていれば、どんな反撃が来るか分かったものではない。
 そして追いかけるということは、そこに注意が向くということであり、反撃も回避しづらくなる。
 重量二脚では尚更だ。
 まるで、死にたがっているかのようだ。
「馬鹿!」
 ゲオルグは思わず叫びをあげたが、それはジャックに届かない。
 そしてカスケードは、その愚行を見逃さなかった。
 オレンジのモノアイが、確かな殺意にぎらりと輝く。
 カスケードは、追いかけてくるフォックスアイ、その鈍重な機動を逆手にとって側面に回り込んだ。
 こういう場合のために、緊急回避用のOBがあるのだが――ジャックは、近づきすぎていた。OBで逃げる、その余裕さえない。
 どころか、カスケードが真っ青なブレードを伸ばしても、受け身の予備動作さえ取れていなかった。
「総帥!」
 誰かが悲鳴を上げる。
 だが青い刀身は、情け容赦なく振り抜かれた。
 左腕だったのが幸いした。
 斬撃でAPをごっそり持っていかれたはずだが、新たに破損したのは左肩のエクステンションだけで済んだ。
 左腕はすでに破損していたため、そこに新たな斬撃を受けても、状況はそれほど悪くはならなかった。
 これが右腕であれば――ひょっとしたら、ジャックは右腕さえも失い、肩武装だけになっていたかもしれない。
 フォックスアイの防御はタンク並であり、一度の斬撃で腕が取れるとは考えにくいが――関節を狙われれば、可能性はある。
(何やってやがる……!)
 ゲオルグは歯ぎしりした。
 こんなものではない、という言いしれぬ焦りが渦巻いた。
 今の攻防で失望の色さえ浮かべている人員に、ジャックの本当の強さを見せつけてやりたかった。

(こんなもんじゃないだろう、お前は……!)
 そう激しく思う中で、ゲオルグの思考は原因を探り始めた。
 ジャックはハイスペックな男だが、それでも人間だ。どこかしらで道を誤ることもある。
 そういう時のサポートは、オペレーターである自分が為すべきだ。
(ブランクか?)
 それも違う気がした。パルヴァライザーとの戦闘では、相変わらずの力量を見せている。
 無論、機体の異常ではあり得ない。
 目の前の体たらくは、むしろ――ジャック本人の中身が、『噛みあっていない』という印象だ。
 そもそも、ジャックに戦いの心構えが出来ていない。
 無論、いい戦いをしようという意欲はあるだろう。
 だが、少なくとも『燃えてない』。
 パルヴァライザーとの戦いにおいてさえ、そこには指揮官としての、あるいはプロとしての、最低限の戦意があったはずだ。
 だが今は、その最低限の戦意さえ感じられない。
 闘う前から、死んでいる。そんな印象だ。
 戦略も、どころか勝利への意志さえなく、漫然と戦いを挑んでいくゾンビ。
 ジャックの姿は、まさにそれだった。
 そして心なしか――その背中には、『義務』という名の亡霊が、べったりと張り付いているように見えた。
(とすると……)
 そこで、ゲオルグの中で瞬時に答が導かれた。
 戦闘前に見せていた、あの悲壮な態度。今までの重責。気負い。それら全てを鑑みると――どう考えても、これしかないという答だった。
 それは同時に、笑ってしまうような答だった。
「……世話がやけるなぁおい」
 ぼやきつつも、ゲオルグはデスクのコンソールを叩いた。
 閉じられていた回線を、緊急信号で強引にこじ開ける。
 そうやってフォックスアイとの間に、通信回線を復活させた。
 ゲオルグは、そこではたと止まった。
 最初になんと言うべきか、少し迷ったが――結局、最も正直な気持ちを口にした。


     *


(……どうなっている)
 ミサイルから逃げ回りつつ、ジャックは唇を噛みしめた。
 これは、最後の戦い。
 己が望みうる、最後にして最高のチャンス。
 それは理解しているが、どうしても大事な部分が噛みあわないのだ。
 最高の戦いをしよう、という気持ちは胸中で煮えているが、それに反して闘争心は燃えない。
 いや、燃えていたはずだが、戦闘が始まると雲散霧消してしまった。
 今も思考は冷え切り、目の前の景色はくすんだ色に沈んだままだ。
 どころか、自分は世にも無様なやられ姿を晒している。
 もはや、真剣勝負がどうの、というレベルでさえなくなっていた。
「私は……どうしてしまったのだ……!」
 沈痛な呟きが漏れた。
 と、カスケードがレールガンを撃ち放った。
 無論、避けられない。
 コクピットが揺れ動き、フォックスアイが不意の衝撃に膝を突く。
 そこに、ずっと追いかけていたミサイルが、全弾命中した。
(こんなことが……!)
 だが、どうしようもない。
 最高の戦いをしようとする意欲が、確かにある。
 だが――燃えない。
 戦いに不可欠な、闘争心がまるで沸いてこない。
 パルヴァライザーとの戦いにおいてさえ、それは僅かに喚起されていたのだが、今は沸いてくる気配さえ感じられなかった。
 そんな冷め切った態度を象徴するかのように、機動にキレはなく、攻撃も散漫だった。
 故に、敵の攻撃が避けられない。攻撃に踏み切れない。
 ばかりか、気づくと無謀な追跡をしていたりする。
 近距離戦を仕掛けようとする敵に向かって、ほいほいと近づいていくことさえざらだった。
 先程から繰り返されているのは、自分でも信じられない動きばかりだ。

 無論、この有様なら確実に死ねるだろう。『計画者』としては、それは喜ぶべきことだ。
 その点については、安堵している自分もいる。
 だがそれでは――レイヴンとしての望みには、とても届かない。
(……もう戻れないのか?)
 ジャックの胸に、どす黒い影がヘドロのように沈殿した。
 それらに耐えきれず、ジャックは牽制にミサイルをいくつか吐き出すと、そのままOBで物陰に退避した。
 レーダーを確認したが、向こうも警戒しているのか、追ってくる気配はない。
(これで、時間稼ぎはできるだろうが……)
 体たらくの原因が分からなければ、どうしようもない。
 唇を噛みしめていると、通信が来た。
『ジャック』
 オペレーター――ゲオルグだった。
 心中では激しい焦りが渦巻いていたが、ジャックは無意識の内に、常の冷静な声を紡ぎだしていた。
 『総帥』として習慣が、まだ生き残っているのだ。
「どうした」
『いつまで遊んでやがる』
 厳しい言葉が、ジャックの胸を打った。
 すると、激しい怒りが燃え上がる。
 彼にしては非常に珍しい、八つ当たりに近い激情だった。
「……私とて、やりたくてやっているわけではない……!」
 口調にも、隠しきれない憤怒が滲んでいた。
 『総帥』という仮面から、生の部分がはみ出している。
 だがそれ故に――その言葉は、ジャックの状況がいかに深刻かを、逆説的に示していた。
『聞けよ』
 だがゲオルグは、動じなかった。
 毅然とした態度で、友人を窘める。
『いつまでボス気取りしてるつもりだ。そんなんじゃ、まともに闘えるはずがないだろう』
 ジャックが動きを止めた。
 本能的な部分が、彼に『聞く価値がある』と囁いた。
 口が、知らず言葉を紡ぐ。

「どういうことだ?」
『……ボスでいるのが長くて、すっかり忘れちまったのか?
まさかこの期に及んで、「作戦の仕上げ」とか、「死ななければいけない」とか、考えてるんじゃないだろうな』
 図星だった。
 この戦いは、長い作戦の仕上げ。自分が死ぬための戦い。
 バーテックスの首領として、あるいは計画者として、それは当然持つべき価値観だった。
 そしてあまりにも長く、重い重責により、ジャックにはそういった視点が楔のように打ち込まれている。
 その価値観を当然のように受け止め、この戦いにも持ち込んでいたのだ。
 だが、ゲオルグはそれを一蹴した。
『邪魔だろ、そんなもんは。捨てちまえ』
 ゲオルグの言葉に、ジャックは怪訝そうな顔をした。
 が、直後はっとする。
 長い年月に晒され、錆び付き、風化しきった『レイヴンの常識』が、忘却の淵から蘇った。
(……その通りだ)
 なるほど『指揮官』としては、その考えは――この戦いは死ぬためのものだ、という考えは、正しい。
 だが『一レイヴン』として、真剣勝負を興じるのであれば――それは絶対に持ってはいけない価値観だった。
 ジャックの真剣勝負とは、お互いの命を全身全霊でぶつけ合い、火花を散らす、そういう戦いだったはずなのだ。
 その瞬間には未来も過去も、他のこと全ても一切忘れ、勝つためだけに全ての力を絞るべきだ。
(だというのに……)
 自分は、その真剣勝負を、心の底では『計画の仕上げ』と認識していた。『死ぬための通過点』と認識していた。
 求めるのは、完全無欠の真剣勝負。にも関わらず、計画者としての『義務感』が先に立ち、最初から『負ける予定』を組んでいた、ということだ。
 これで闘志が燃えるはずもない。
(馬鹿か、私は……!)
 ようやく気づき、ジャックが痛恨の表情を見せた。
 三年。
 本物の戦いから遠ざかり、計画者として、あるいは責任者として生きてきた歳月で、すっかり『計画者としての考え方』が染みついてしまっていたのだ。
 そのせいで、レイヴンとしての価値観を見事に忘れた。
 『立場』から自由になったと思ったが、根本の部分では『バーテックス首領』のままだった、ということだろう。

 どんな弁明もできない、一生ものの恥だった。
 思えば――戦いで見せた無様な機動も、この『死にたがる』気持ちの現れだったのかも知れない。
「……情けないものだ……」
 たっぷりと沈黙を置いてから、ようやくジャックはそれだけ言った。
 ゲオルグが苦笑を返す。
『……やはり、ブランクは相当だったようだな』
「そうだな。ひどい失態だ。笑ってくれて、構わんよ」
『……笑えねぇよ。お前は、それだけでかい計画をこなしてきたってことだ。
そしてそれは……お前以外の誰にも、できなかったことだろう。そのキャリアは、誇っていいもんだ』
 ゲオルグは、それに『だがな』、と付け足した。
『だがな、ジャック。これ以上はダメだぜ。流石に恰好がつかない』
 ジャックは頷いた。
 その動きに反応し、ドクン、と心臓が大きく波打った。
「分かってるさ」
 応えと共に、鼓動が一段と速まり、全身に熱い血が行き渡っていくのを感じる。
 ゲオルグもその興奮を察したのか、嬉しげに語る。
『そうだ。どうせ、これは最後の戦いだ。
何もかも忘れて、ただ闘うのが丁度いい。たまには、羽を伸ばしてみろよ』
「……そうだな」
 ジャックが応じると、ゲオルグが、声でその背中を叩いた。
『……行っちまえ』
 瞬間――ジャックの中で、何かが爆ぜた。
 今まで貯め込まれていた、根元的な欲求が、今度こそ全ての束縛を解かれて噴出した。
 先程あった、仮初めのものとは比べものにならない。
 もはや、それは火山の噴火だった。
 真っ赤に滾った、マグマのような情熱が、ジャックの内部で荒れ狂う。
(……これは……)
 ジャックが息を呑んだ。
 体が熱い。心臓が激しいリズムを刻んでいる。口元には、抑えきれない笑みがある。
 そしてその全てが、かつての、全盛期のジャック・Oのものだ。

 ――帰ってきた。

 そう実感した直後、世界が、変わる。
 鈍色に沈んでいた世界が、今度こそ、再び彩りを取り戻した。
 死体のように静止していた世界が、かつての躍動感を取り戻し、鮮烈なイメージがジャックの目に焼き付いた。
 抑えがたい感動が、ジャックの全身を震わせる。
 長かった。
 だが最後の最後に、再びこの世界に辿り着いた。
 積み上げてきた年数も相まって、それはジャックにかつてない程の感動を呼び込んでいた。
 同時に――闘争心も、沸き上がる。
 多くの年月を、障害を飛び越えて、かつての激情が彼の胸に舞い戻った。

 ――闘え。

 ジャックが獰猛な笑みを浮かべた。
 もはや、「計画」も、「義務」も、そんなつまらないものは吹き飛んでいた。
 眼前の敵を打ち砕く――それ以外のことは、何も考えられなかった。
 今の彼にとっては、もはや目の前の戦いだけが、この世の全てだ。
「……この感覚……久しく忘れていたな」
 ジャックはスティックを握り直した。
 足の配置も直し、逸る気持ちを抑えるように、一つ大きな息を吐く。
 意を決し、システム・クラッチを踏みつけた。

『メインシステム 戦闘モード 起動します』

 フォックスアイに、最期の灯が点る。


     *


 画面の中で、フォックスアイが動いた。
 物陰から颯爽と飛びだし、カスケードの正面に立った。
 カスケードがそれに反応し、肩のロケットを構える。
 だがそれよりも早く、フォックスアイからミサイルが放たれた。
 二つの連動ミサイルが、真正面からカスケードへと殺到する。
 ミサイルは速い。
 通常でも、回避にはある程度の技術を要する。しかも、この段階では両機の間合いは詰まっていた。
 この位置関係で撃たれれば――回避はとても難しい。
 だが、カスケードは避けた。
 ブースターを全力で起動させ、正面にジャンプ、すさまじい加速で、飛来するミサイルを飛び越えた。
 だが、フォックスアイの攻撃はそれで終わらなかった。
 着地したカスケードへ、今度は垂直ミサイルが上空より迫る。
 先程、連動ミサイルと同時に発射されていた、両肩の垂直ミサイルだ。
 カスケードは、こちらも前にダッシュして避けようとしたが――直後、凍りついた。
 フォックスアイだ。
 OBの加速を受けて、重量ACが正面から突っ込んでくる。
 一見、無謀な突撃だったが――それは緻密な計算に裏付けされた、高度な戦術だった。
 左肘から先は千切れ、左肩のエクステンションも死に、左腕全体がもはや重りでしかない。ならばタックルを繰り出し、左腕部を相手に衝突させる――つまり、いっそ『武器』に転用してしまおう、という合理的かつ大胆な発想がかいま見えた。
 そしてそれは大胆な発想であるからこそ、一瞬ながらも、カスケードの注意を強烈に引きつける『おとり』効果もあった。
 その結果――注意を奪われたカスケードは、垂直ミサイルをもらってしまった。
 大威力のミサイルが、カスケードの頭部に振り下ろされる。
 そしてそれは、機体を地面に押しつけた。一瞬ながら、一切の機動が奪われた。
 そこに、フォックスアイのタックルが来たのだ。
 カスケードは大質量の突進をもろに喰らった。
 それはまさしく、『撥ねられた』という表現がぴったりだ。

 決して軽くないカスケードが、吹き飛び、低い軌道を描いて後ろの壁に衝突する。
 轟音が響き、途方もない衝撃にインターネサイン全体が打ち震えた。
 しかし――フォックスアイは、それでもまだ飽き足らなかった。
 右手のハイレーザーライフルを――ミラージュの傑作『カラサワ』を、壁際のカスケードへ向ける。
 カスケードはいち早く体勢を立て直し、回避しようと足を沈めていた。
 だが際どいタイミングだ。
 カスケードが横へ跳ぶのが先か、攻撃が届くのが先か。
 フォックスアイから、禍々しい声がする。
『死んでみろ……!』
 同時に、カラサワから青いレーザーが放たれた。
 戦艦砲に匹敵する、大威力のレーザーだ。そこに込められたエネルギーは、尋常ではない。
 光弾が放つ強烈な青光が、フォックスアイを、カスケードを、幻想的なブルーに染め上げた。
 そんな中――カスケードが、右へ跳んだ。
 間一髪のタイミングで、眼前に迫るレーザーを回避した。
 その背後で凄まじい爆発が起こるが、カスケードは構わず、右のレールガンを標的に向ける。
 焦げるような、放電音。
 レールガンがエネルギーを貯めている。
 カラサワと同じ、青いレーザーが今度はフォックスアイを狙っていた。
 だが、カスケードと違いフォックスアイは重量級だ。
 動きは鈍く、無論、弾速の速いレールガンなど避けられない。
 事実、レールガンが青い光を発射したとき、フォックスアイはまだ回避の予備動作さえ取れていなかった。
 だが、代わりに――フォックスアイのレーザーライフルが、肩のミサイルが、カスケードに狙いをつけている。
 攻撃を避ける気など始めからなかったのだ。
『これしきのこと……!』
 愉悦を滲ませた、ジャックの声だ。
 直後、レールガンが直撃する。

 だがジャックの言葉通り、フォックスアイは揺るぎもしなかった。
 コア表面で青の光が炸裂したはずだが、その射撃姿勢は安定し、少しの揺らぎも見られない。
 『喰らう』と割り切ってしまえば、反動も操縦者の技量でカバーできるのだ。
『いくら喰らおうと……こちらが死ぬ前に、貴様が死ねばいいことだ!』
 言葉と同時に、フォックスアイの全ての武装が、反撃の火を噴いた。
 青のレーザーが空中を突き進み、大小のミサイルがカスケードに向かって様々な軌道を描く。
 色とりどりの光が、インターネサインを色鮮やかに照らし出した。
 それは――まるで祭りだった。
 フォックスアイという火薬庫のようなACが、全ての武装を、エネルギーを、全力で展開している。
 その結果としての、極めて派手な攻勢だった。
 どことなく、『花火』の姿さえ思わせる。
 先程の茶番などとは、比べようもない、鮮烈な戦いの姿だった。
「……すげぇ」
 そんな様子に、どこかでため息が漏れた。
 それは次々と連鎖し、部屋の中で徐々にざわめきが広がっていく。
 作業員達は、引き込まれていた戦闘の映像より、ようやく我を取り戻しつつあった。
 だが完全に興奮が冷めるはずもなく、いずれの顔も赤く染まっている。
「……確かに、すげぇな」
 そんな部屋の一角で、呟くのは――ジャックのオペレーター、ゲオルグだ。
 彼らが座り、戦いを観戦している場所は、先程の司令部だった。
 そして、その壁一面を占領して、フォックスアイとカスケードの死闘が放送されている。
 彼らは、ずっとそれに見入っていたのである。
(……無理もないか)
 ゲオルグは、視線を正面の壁、そこのスクリーンに戻した。
 途端、胸が熱くなる。
 目の前の戦いは、モニターを通してさえ、尚も鮮烈なエネルギーを放っていた。
 もはやそれは、最初の戦闘とは別物だった。
 お互いがお互いを殺すことだけを考え、そこに全力を投じている。
 とてつもない殺気が荒れ狂い、戦闘そのものが生き物のように躍動していた。
 それは当事者が全存在を賭けて行う、冒しがたい『高潔な戦い』だ。

 彼らには、もはや相手以外見えていまい。
 未来も過去も忘れ、ただこの瞬間、この戦いだけを生きている。
 レイヴンが、アウトローが望みうる、最高の戦いの一つだ。
(いい感じじゃないか)
 ゲオルグは笑った。
 本当は拍手でも送りたい気持ちだったが、それは我慢した。
 と、そこで画面に動きがあった。
 ついに、カスケードが攻勢に転じたのだ。
 ミサイルの雨を縫って、高速で接近、一挙に近距離射程に持ち込んだ。
 その左腕からは、青の収束エネルギーが、ブレードが長く伸ばされている。
 斬られる。
 誰もがそう思った。
 どこからか、悲鳴に近い声がする。
「避けて――!」
 フォックスアイは――避けなかった。
 まるで『その必要はない』とでもいうかのように、傲然と構えている。
 そこに、コアを真横に裂く、水平切りの軌道。その一閃が、芸術的に決まった。
 全員が息を呑んだ。コクピットを直撃。並のACであれば、致命傷でおかしくない。
 だが――フォックスアイは怯まない。揺るがない。
 タンク並の防御スクリーンは、ブレードの威力を受けきった。
 と同時に、重量二脚が、操縦者の技量が、衝撃さえも完全に殺している。
 フォックスアイから、濃密な殺気が立ち上った。
 カスケードが、危機的な空気を察したのかバックダッシュで間合いを開けた。
 直後――フォックスアイが、鉄の咆吼を上げた。
 高威力のレーザーが、ミサイルが、全て一斉に火を噴いた。
 引き上げるカスケードに、高威力の攻撃が次々と追いすがっていき、ばかりか幾つかの攻撃がクリーンヒットした。
 ブレードで受けたダメージは、きっと倍以上にして返せただろう。
「……すげぇ」
 誰かが、再び呟いた。

 そしてそれは、ゲオルグも同感だった。
 強力なブレードを喰らってさえ、フォックスアイに全く揺らぎは無かった。
 まるで冒しがたい何かのように、今もその堂々とした偉容をそびえ立たせ、敵に苛烈な反撃を送り込んでいる。
 そしてそれは――希にみる、誇り高い姿だった。
 どんな攻撃にも怯むことなく、曲がることなく、受けきり、立ち向かっていく。
 今のフォックスアイの姿は、そうした搭乗者の有様が宿っているかのようだ。
 心なしか、白い機体が神々しく輝いて見える。
(……珍しいことじゃねぇがな)
 ゲオルグは、自分に言い聞かせた。
 もとより、全力を賭けた戦いでは、搭乗者の内面がもろに出る。
 レベルが高ければ高いほど、そういう傾向は強くなっていく。
 今回も、その法則に従ったまでだ。
 ジャックは、元々これほどまでに誇り高い男なのだ。
「……これが、俺達の総帥……!」
 そして、その誇りは部下達にまで伝播した。
 初めて見る、ジャックの戦いに、その高潔な姿に――誰もが目を奪われ、頬を上気させていた。
 その表情からは、もはや先程までの不信感、失望は吹き飛んでいる。
 例え計画の詳細は分からなくとも、この誇り高い男が、何かを為すのを手助けした――その事実は、彼らの中で末永く誇りとして生きることだろう。
 そして、その誇りは持ってよいものだった。
 何故なら、彼らもまた、ジャックが世界を救う一助を為したのだから。
「……大したやつだよなぁ」
 ゲオルグが呟いた。
 分かっていたことだ。自分は彼の側にいて、誰よりも彼を知っていた。
 だが、それでも――凄いと思う。
 ただそこにあり、行動する。それだけで多くの人を引っ張り、導いていく。今のように。
 これが、ジャック・Oという男なのだ。
「もったいねぇ」
 ゲオルグが顔を歪めた。
 この男をこんな場所で使い潰すことが、今更ながらとても惜しいように思えてくる。

 ゲオルグは、声を大にして叫びたかった。
 何故自分は、ここにいるのか。
 どうして今あの白いACに乗り、死につつあるのが自分ではないのか。
 あの男のために死ねるのであれば、自分の命も、惜しくないように思える。
 無論、それは本当に一瞬の感情であったが――彼をしてさえそう思わせる、何かが存在していた。
(……いや、そんなものを持っているからこそ、あいつはあの場所にいるんだろうな)
 ゲオルグはため息を吐きだした。
 もはや、彼にできることは、彼の最期の時間が一秒でも長く続くことを、祈るのみだ。
「行け、ジャック」
 応じるように、フォックスアイがOBを展開した。


     *


 過去の事例を省みるまでもなく、これはジャックにとって最高の戦いだった。
 今や、ジャックは愛機と一体になり、相手を殺すことだけに全力を費やしている。
 彼は、まさしく自らの命を全身で感じていた。
 その悦びが、声になって喉から飛び出した。
「はぁぁ――――!!」
 猛々しい叫びと共に、フォックスアイがOBを噴射した。
 突進しながら、決定的な一撃を打ち込むつもりだ。満を持しての、『止め』の動きだった。
 体を打つ加速の中で、フォックスアイが右手の銃を相手に向ける。
 カスケードも、ロケットでこちらを狙ってきた。
 一瞬の勝負に賭けた、撃ち合いである。
(……これだ!)
 ジャックは心中で快哉を上げた。
 この打ち合いの瞬間、全ての感覚が研ぎ澄まされる。

 一瞬が永く引き延ばされ、五感が微細な揺れを、戦場の匂いを、相手の動きを、異常なほどの緻密さで伝えてくる。
 まさに、若い頃に数度体験しただけの、焦がれ続けた『戦い』の世界だった。
 この全存在が相手を殺すために特化される、その感覚を、ジャックは求め続けていた。
(私の、世界だ……)
 ジャックはそれら全てを感じつつ、ゆっくりと流れる世界の中、状況を観察し続けた。
 勝負は一瞬。撃てるのは一発。
 ならば、タイミングを限界まで見定めなければいけない。
 OBの加速の中、ジャックの目が鋭くを細められた。
 反対に、口元には笑みが浮かんでいく。
(――距離、40)
 ジャックはトリガーの指に力を込めた。
 だが、まだ撃たない。もっと近づいてからだ。
(30)
 相手が動いた。
 ロケットが、肩の筒から発射される。
 白い煙が花開き、その中から鋭利な弾頭が飛び出してきた。
 しかし――ジャックは撃たない。
 どこまでもスローな世界の中で、冷静に、状況を観察し続けた。
(20!)
 ロケット弾がすぐそこに迫り、相手の機体もかなり近づいて見えた。
 瞬間――ジャックに獰猛な笑みが宿った。
 全ての条件がクリアーされ、何かが脳裏で『殺せ』と囁いた。
 ジャックの指が、自動的にトリガーを絞る。
 カラサワが火を噴いた。
 濃縮されたエネルギーはロケット弾を消し飛ばし、さらに、その向こうにいるカスケードへと直進する。
 すでに距離は近く、避けられないタイミングだ。それに例え凌いだとしても、その直後フォックスアイの体当たりに――OBの加速を受けた、先程のようなタックルに見舞われるだろう。
 それは、円熟した二重の仕掛けだ。
 通常のレイヴンであれば、これをされた時点で終わっている。
 だが――カスケードは、普通ではなかった。
「なっ」

 ジャックが目を剥いた。
 カスケードが、レーザーを避けた。
 両脚を沈めて、激しく体を前に傾ける。ほとんど転ぶ直前の姿勢であり、実際、カスケードはバランスを崩して俯せに倒れ込んだ。そう見えた。
 が、直後、ブースターが火を噴いた。
 地面にコアが接触する直前で、浮力が発生、カスケードは倒れるギリギリで踏みとどまった。
 そしてそのまま――進んでくる。フォックスアイに向かって。
 凄まじいスピードで、一直線に。
 まるで低空を泳ぐ弾頭だ。
 その左腕が突き出され、その先から真っ青な収束エネルギーが――ブレードが伸ばされる。
 それは、『斬る』形ではなかった。ただ一点に威力を集中させる、『突き』の構えだ。
(……面白い!)
 これは、賭だった。
 カスケードの目論見通りに行けば、ジャックはコクピットごと貫かれる。
 だがフォックスアイはそんなに柔ではない。
 的確に命中すればともかく、半端な角度で突きが繰り出されても、きっと防御スクリーンが働き、即死は防いでくれるはずだ。
 しかもその場合、カスケードはフォックスアイの突進を喰らうのだ。
 突進を真正面から喰らえば、バランスを崩し、倒れ、そこに攻撃を受け続けてしまうだろう。
 故に、リスクは非常に高い。だが、成功時の効果は絶大とも言える。
 ――いや、もっと厳密に見積もれば、相手に分がある賭だろう。
 そもそも、カラサワを避けた時点で人間業ではない。そんな相手が、この攻撃をしくじるとは思えない。もとより、戦力的な差もあったのだ。
(……だが、まぁ……そんなことはどうでもいい。
今ある戦いを、全力でこなすだけさ)
 不敵に笑い、ジャックはブーストペダルを踏みつけた。
 速度が上昇し、両者の距離は一挙に縮まる。
 まさに相手の突きと、フォックスアイのタックルがぶつかり合う瞬間だ。
 途端――ジャックの中で、さらなる変化が起こった。
 時間が、さらにゆっくりになる。

 スローモーションのような世界の中で、相手のブレードがまずこちらに接触、装甲と擦れ合い、眩い火花を上げる。
(……これは……)
 ジャックが息を呑んだ。
 ――美しい。
 空中に噴き上がる、オレンジの、鮮烈な火花。
 それはジャックとカスケード、お互いが命をぶつけ合った結果、砕け、飛び散った光だ。
 二つの命が、レイヴンが、空間でスパークを起こしている。
 ジャックの目には、そう映った。
「ああ……」
 息が、漏れた。
 いい戦いだった。
 長い間のブランク、そこで溜まっていた不満を返して余りある、素晴らしすぎる戦いだ。
 これから先生きても、恐らくこれ以上のものを感じることはあり得まい。
(これ以上のことが、私にあるだろうか……)
 自問し、ジャックは首を振った。
 言葉が口をついて出てくる。
「礼を言う……」
 カスケードのブレードが、フォックスアイの装甲を食い破った。


     *


 ああ、と全員が同時に息を漏らした。
 カスケードのブレードが、フォックスアイのコアを貫いた。
 フォックスアイはバランスを失って、突進の勢いそのままに、地面に倒れ込もうとする。
 だがカスケードはそれさえも避けた。
 左手でフォックスアイの肩を掴み、そのまま重心移動の要領で、二機の位置を素早く入れ替えた。
 ジャック・O最後の突進は、虚空に向かって放たれた。白い機体は高速のままで地面に倒れてしまい、道路と擦れて金属の悲鳴と火花をあげた。
 直後、爆散。

 フォックスアイは無数の破片となって、四方に飛び散った。
 操縦者は、生きてはいまい。
 バーテックスの敗北は決定した。
 だが――司令部は、すぐに反応しなかった。
 誰もがスクリーンを見つめたまま、夢をみているような調子で、固まっている。
 戦闘に、魅せられているのだ。
「……死んだか……」
 ゲオルグは、そんな司令部の隅で呟いた。
 次いで、画面に向き直って、
「お疲れさん、ジャック」
 涙は出なかった。
 他の人員と違い、彼は椅子に座ったまま、スクリーンを静かに見つめ続けている。
 無論、彼も感動してはいた。
 胸の内からは常に熱いものがこみ上げ、頭の中では先程の戦いが繰り返し再生されている。
 その証拠に、彼は無意識の内に胸ポケットに手をやっていた。
 そこにあるのは――煙草だ。
 その箱の中から一本とりだし、ライターで火をつけ、口の端にくわえる。
 激しく心を揺り動かされたとき、煙草に手が伸びるのは、愛煙家の性なのだ。
(……本当に、最後まで……)
 大きく薫りを吸い込んで、吐き出す。
 真っ白な煙が、もわりと口から立ち上り、やがては空中に溶けていった。
 ゲオルグはそれを眺めながら、また薫りを吸い込み、吐き出す。
 それを何度か繰り返した。
 久しぶりに吸う煙草の薫りが、彼の胸を心地よく満たしていく。
 いつしか気持ちも落ち着き、身体の緊張もほぐれ、リラックスしてきた。
(……そういや、煙草を吸うのも久しぶりだな)
 ゲオルグは職務の関係上、ずっと禁煙していた。
 今日は最後の日ということで、愛着のある銘柄を、一箱胸ポケットに突っ込んでおいたのだ。
(……『満足』、か)

 その愛煙家としての充足感を感じながら、ゲオルグは思った。
 自分は長いこと禁煙をしていた。
 それ故に――今吸っている煙草が、美味い。この一本の味は、かつて一度だけ吸った葉巻にも勝るだろう。
 そして、それはジャックにとっても同じはずだった。
 彼もまた、長い間戦いから遠ざかっていた。
 だからこそ、先程の戦いは格別に味がしたに違いない。
 その感覚は、ジャック本人にしか分からないだろう。
 だが――その感動が、彼を快く送り出してくれたに違いない。
 そんな気がするのだ。あの戦いを見ていると。
「……安らかにな、ジャック」
 ゲオルグは、小さく呟いた。
 その言葉を待っていたかのように、長くなった煙草の灰が、ぽとりと床に落ちる。

 二四時間の幕が下りた。





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