* * *



 ジナイーダは最近になって活躍し始めたレイヴンだ。最も、そこらの新人のように腕が悪いわけではない。
 二十二人の生き残りに入っているのは、運ではなく確かな力の証だ。


 女の身でありながら、その身体的ハンデを感じさせない操縦は、他のレイヴンを畏怖させ、軒並み上がっていく賞金はその力の証左となっていた。
 それは、彼女にとって喜ばしい事だ。ジナイーダの目指すものは、強さである。
 漠然とした掴みようのないその目的に、少しであろうと近づいた手ごたえが掴めた事は、他の何よりも嬉しい事だった。


 ジナイーダが何よりも強くあろうとするのは、それこそが彼女が生きる意味だからだ。


 彼女はかつてクレストのオペレータを務めていた。相手はアグラーヤ。クレストの中でも赤い星の異名を持つ大物である。
 ジナイーダは、彼女に憧れていた。その圧倒的強さ、力と心。その強靭さに憧れていた。


 だからこそ、アグラーヤが戦死した時に、ジナイーダは思ってしまったのだ。
 彼女が最後に求めたものはなんだったのか。それを知りたいと。


 幸い、自分はすぐ傍で彼女の力を見てきた。
 ならば、それを再現すれば、ひたすらに強くなり、彼女に届く程になれば。
 あるいは、今際の際に彼女の思いに共感できるのではないか。


 最初は純然とした興味として、今では生きる理由として、彼女を突き動かす強さへの欲求は、肥大化し、彼女自身さえも持て余す程になっていた。


 今までは、トップランカーという称号が最強の証左だった。しかし、先の特攻兵器の襲来以来、ランキングなどというシステムは消滅してしまっている。
 賞金というシステムはあるものの、それは必ずしも強さの証明にはならない。


 故に、ジナイーダが強くなる為に戦いを始めるのは無理からぬ事だった。
 最強を見るのも、最強になるのもさして変わるところはない。それに、強くなれば最強のレイヴンと出会える可能性も上がるだろう。そう考えたが故に。


 そして、彼女の狙うレイヴンの中には、一際目立つ存在があった。
 モリ・カドル。AC、ピンチベック。かつてのトップランカーの機体を模したACを駆る、戦術部隊の所属レイヴンである。


 ジノーヴィー。トップランカーであった彼は、どこぞの戦場で戦死したという。だが、それが生きていたのならば、モリ・カドルという存在にも説明がつく。
 よしんば本当にジノーヴィーが戦死していたとしても、扱いの難しいあのACを駆るレイヴンだ。楽しませてくれるだろう。


 そう考えていたジナイーダは、数十分後、失望を味わう事となる。



 * * *



「貴様、誇りはないのか」


 ジナイーダは、思わずそう呟いていた。その白皙のような美貌には、憤怒のあまり隠し切れない険がある。


 その怒りは、ジナイーダが乗り込んでいるAC、ファシネイターにも及んでいた。
 マシンガンの銃口を突きつける姿は、冷静に戦況を判断する傭兵のものではなく、期待を裏切られた戦士のそれだ。レイヴンの殺気が、ACにも伝わっているかのようでさえある。


『……そ、そんな』


 通信越しに聞こえる情けない声が、またジナイーダの怒りを助長する。少しでも期待していた自分が馬鹿らしくなる。
 考えてみれば分かる事だった。ジノーヴィーの戦死は覆らないし、他人の機体を操るレイヴンが、実力者である筈もない。


 だが、これはあまりにも誇りがなさ過ぎる。レイヴンとして失格だ。そう、ジナイーダは叫びたくなった。
 目前のモニターには、両手を上げて降参のポーズを取っているピンチベックの姿がある。ACをこのように使った者など、前代未聞だろう。無論、良い意味ではない。


 そも、僻地に偽装情報で呼び出しただけでホイホイ来るとは、あまりにも警戒がなさ過ぎる。
 ジナイーダは、それすらも色眼鏡で見てしまい、自信の表れだろうと期待したのだが、この状況に来て、かつての自分が馬鹿らしくなっていた。


 そも、この男は自分の立場が分かっているのだろうか。大した事のない実力だろうと、彼は賞金55000Cの首なのだ。
 ましてやレイヴン。略奪の意を持つ言葉を背負った傭兵である以上、降参したところで殺されるのが道理である。モラルなど期待すべくもない。


 全く、甘いにも程がある。降参しただけで、命を繋げると考えるその甘さに反吐が出そうだ。
 ジナイーダは、この男と戦おうと考えた過去の己を蹴り飛ばしたくなった。


「全く、腹が立つな」


 銃口をピンチベックのコックピットに押し付けつつ、ジナイーダは呟く。己の不慮と相手の甘さに、心底憤りながら。


 腹が立つといえば、相手の戦い方もそうだ。
 いや、正確に言うならば戦い方とも言えない。相手がジナイーダだと知った途端に敵わぬと見て降参する。そんなレイヴンがこの世の何処にいるというのだろう。


『……頼む、見逃してくれ……』


 情けない声が鼓膜を叩き、一時間前までは昂ぶっていた戦意がさらに萎える。
 ここでマシンガンの引き金を引けば、モリ・カドルは死に絶えるだろう。そして、55000Cの賞金はジナイーダの懐に入る。
 だが、今回ファシネイターを出したのは任務でなく私事だ。相手がこんな弱者であるのに、わざわざ甚振ってまで金を手に入れる必要はない。


「見逃してやろう」


 ジナイーダがコンソールを叩くと、それに反応したファシネイターはマシンガンを下ろし、ピンチベックに背を向けた。
 ジナイーダの舌打ちをマイクが拾い、モリ・カドルへと通信する。ヒィ、と怯えるような吐息。それに、呆れさえも覚えつつ、ジナイーダは吐き捨てた。


「貴様のような奴は殺すまでもない。何処へなりとも消えるがいい」


 弾かれたように反応し、モリ・カドルはブースターを点火、その場から急いで逃走する。
 逃げ足だけは一人前だったのか、ピンチベックの背中は見る見るうちに遠ざかっていった。その実力を戦闘に生かせば、あるいは強くなりうるかもしれないのに、とジナイーダは嘆息する。


 それでも、戦況は嘆息をそのままにしておける程、甘くはない。
 アライアンスとバーテックスによる戦闘は激しさを増し、それに伴ってレイヴンへの依頼も増えている。実力者は次々と来る依頼に忙殺され、過労で倒れる者も珍しくない。
 過労で倒れるとは、死に直結する、という意味だ。素直にレイヴンを休ませておくような甘い人間は、戦場の何処にも存在しない。
 もしいたとしたら、それは考えなしの馬鹿か、頭が空っぽの平和主義者、強さを求める時代錯誤の阿呆だろう。


「……む」


 そこまで考えて、ふと気付く。その点において、自分はあの甘いレイヴン、モリ・カドルと同類なのだろうか。
 いや、そんな筈はない。自分はレイヴンとしての覚悟は決めている筈だし、休息の隙を狙う者がいるのも理解している。あのような甘いレイヴンとは違う。


 そのまま袋小路に迷い込む前に、ジナイーダはかぶりを振って思考を追い出した。
 こんな事を考えてしまうまでに自分は疲労してしまっているらしい。休息が必要だろう。


 そして、また気付く。休息など出来るわけがないという事を、その隙を狙う者がいるという事を。
 ファシネイターの整備士も信用出来ない。ジナイーダは賞金70000Cのレイヴンだ。整備の報酬で糊口を凌ぐよりも、一攫千金を狙う方が早い。
 そう考えると、ACを隠しているガレージで休むわけにもいかない。それは、隙を曝け出してしまうという事なのだから。


 分かっていた筈の事を忘れていた自分に苛立ちつつ、ジナイーダはコンソールを弾き始める。
 その途中で、目が眩み始めている事に気付いた。やはり、疲労は頂点に達しているようだ。心情的には許しがたいが、休まなければならないだろう。

 ファシネイターのモードを戦闘モードから通常モードへと移行し、ジナイーダは無針注射を白い柔肌に打ち込んだ。


 その薬は、疲れを取りやすいノンレム睡眠の周期を増やすものだ。
 身体に影響がないとは言い難いが、いつ何が起こるかわからない状況において、疲労を癒しながらも睡眠時間を削ってくれるこれはありがたいものだった。


 本拠に戻って眠れない以上、このような場所で休むしかない。しかも、長く休めないから薬に頼る。
 つくづく自分はレイヴンなのだなと、ジナイーダは自分を笑った。眠気に眩む頭を、くつくつと笑って揺らし続けた。
 嘲笑にも似た響きだった。



 * * *



 モリ・カドルは強化人間である。正式に言うならばCREST Plus mk2。クレストによる強化人間の中でも、第二世代技術による手術を受けたレイヴンだ。
 しかしながら、その能力は他に劣る。


 第一世代手術の被験者は急性老化という欠点を持ちながらも高い能力を発揮した。
 だが、第二世代強化人間は、急性老化の緩和と引き換えに能力を失ってしまったのだ。
 端的に言ってしまえば、失敗作だ。


 その上、クレスト、ミラージュ、キサラギが統合されてアライアンスになった事により、クレスト独自の強化人間技術開発は中止。証拠を隠滅する為、大抵が粛清を受けた。
 媚を売って首を繋いだモリ・カドルしか、クレスト独自の強化手術を受けた者は生き残れなかった。
 あるいは、脱走者の中に生き残りがいるかもしれないが、絶望的な確率である。


 それでも、モリ・カドルが背負った枷が消える事はない。強化人間というのは、人間の限界を人為的に超えさせた者の事だ。力には、大抵代償がある。
 ましてや、クレストの実験途中の技術での強化人間だ。
 生態技術、そして強化手術の経験が豊富で、かつ最先端を走っていたキサラギならば、このような不手際はなかっただろうが、今更遅い。


 モリ・カドルはCREST Plus mk2などという仰々しい名前とは裏腹に、他の何よりも弱い強化人間として完成してしまったのである。
 しかも、その代償はアライアンスによる定期的な投薬と検診という、背負うにはあまりにも大きい十字架だ。
 ましてや、戦歴の貧弱なモリ・カドルである。金がない以上、売るのは己の身体とならざるを得ない。


 すなわち、キサラギ派によるクレストの強化技術の抽出、それに伴う人体実験である。
 一応、戦術部隊の所属という事で、キサラギ派も好きには出来ない。だが、可能な範囲でキサラギ派はモリ・カドルに使われたクレストの技術を引きずり出し、己が兵器へと転用した。


「……嫌だなぁ」


 そして、今日も実験、しかも最も嫌う耐久試験の日である。その上、早朝からだというのだから手に負えない。眠い事この上ないが、さぼるわけにもいかない。
 彼の立場は苦しい。もはや、断崖絶壁に立っていると例えてもいい程だ。アライアンス戦術部隊は、彼の強化人間としての力を超絶する腕利きばかりで、モリ・カドルの力を求められてはいない。


 故に、実験から逃れる事は許されない。
 例えその場所が、表向き健全な環境再生を謳っていようが、自分に使われた出来損ないの技術を何に使うのか分からなかろうが、である。


 それでも、名目上は協力という事になっているので、モリ・カドルに対するキサラギの対応は、客人に対するものだ。事実、彼は研究所内の客室に案内された。
 部屋の所々に設置された観葉植物と、鳥篭の中で鳴いている青い鳥が、清涼な雰囲気を醸し出す、お洒落な部屋だ。


「そう言えば、青い鳥は幸運のシンボルだったっけ……」


 モリ・カドルは呟いた。籠に拘束される幸福。部屋のインテリアにされる翼。そう考えてみれば随分と皮肉なものだ。


 それでも、部屋に対する不満を口にするつもりは彼にはない。
 些か薬臭い気がしないでもないものの、客室のソファは柔らかいし、飲み物はおいしいし、PCのモニターの流用とはいえ、テレビは設置されているしで、言う事はない。


 特攻兵器の襲来以来、テレビ局のほとんどは壊滅した為、テレビの需要は一挙に少なくなった。必然、テレビの値段は高くなったし、受信するのにも大金が必要になった。
 ラジオはまだ庶民の間にも残っているが、テレビは完膚なきまでに全滅だ。
 それを設置できているのだから、キサラギ派がどれだけ潤沢な資金を保有しているのか垣間見れるというものである。


 もっとも、放送されるのは大抵がアライアンスの息の掛かった、つまらない番組ばかりだ。
 ニュースやらバラエティーやら色々あるが、どれもこれも反バーテックスが滲んでくるようなものばかりである。


「……泣ける」


 思わず呟きつつ、用意されたコーヒーに砂糖を5ブロック放り込み、さらにはミルクを入れて掻き混ぜる。
 コーヒー党の人間が見たら吐き気さえ催しそうな色合いに、モリ・カドルの顔に喜色が浮かんだ。
 特攻兵器の襲来で豆がやられている以上、このコーヒーも決して安いものではないのだが、モリ・カドルはぐびぐびと飲んでいく。そこに、躊躇は欠片も見られない。


 テレビは、相も変わらずつまらない情報を吐き出している。
 前時代的であるにも拘わらず、庶民にラジオが選ばれた理由は、そもそも番組の内容にあるのだろうな、とモリ・カドルは思った。


「……?」


 ビスケットをほうばりながら、モリ・カドルは違和感を覚えた。テレビを注視してみれば、先程までのつまらない番組の映像にノイズが走り始めている。


 金持ちの道楽として定着しつつあるテレビは、クレームの欠片も来ないように電波を管理している。
 彼らが急遽放送を流すのは、よほどの緊急ニュースか、大金持ちが金を積んだ道楽番組程度のものだ。


 それにしても、ここまでノイズが流れるのはおかしい。
 電場ジャックだとすればかなりの快挙だ。それは、金持ちと癒着するテレビ局の連中から、放送権を奪ったという事に他ならないからだ。
 無論、すぐにアライアンスによって罰せられるだろうが、胸がスッとするような快挙である事は疑いようもない。
 モリ・カドルは、さすがに口には出さなかったものの、思わず喝采をあげそうになった。


 だが、その顔はすぐに凍りつく事になった。


『私は、バーテックスの主宰を務めさせてもらっているジャック・Oという者だ』


 現れる姿。若き頃は流麗だったであろう顔には、年季を思わせる皺と隠し切れない気迫が刻まれている。
 その顔には覚えがある。いや、この世界に知らないものはほとんどいないだろう。
 企業との癒着のあったレイヴンズアーク上層部を追放し、それを良しとしないレイヴンをも放逐、企業と手を結ぶ者を各個撃破する事で、レイヴンズアークの浄化を成し遂げた辣腕家。
 
 名をジャック・O。ナービス領において三位の座を保持し続けたレイヴンである。
 そして、今、アライアンスと戦っている巨大組織、バーテックスの長として君臨しているレイヴンである。
 アライアンスに向けて一斉攻撃の予告を行った、大胆不敵なカリスマである。


「ジャック・O……だって……?」


 驚きの声を漏らすモリ・カドル。だが、それを上回る驚愕がモリ・カドルの脳髄を揺さぶった。


『今回、電波を占有してまで伝えたい事とは、他でもない、アライアンスの事だ』


 モリ・カドルはアライアンスに所属するレイヴンである。
 その名を聞いた瞬間、その表情が強張るのは無理からぬ事だった。それどころか、その甘さが残る眼差しすら、戦士のそれへと変質し始めている。


『かつて、企業は自らの力を高める為に、旧時代の資源、兵器の発掘を行った。それは確かに我々に一時的な富を与えたが、それ以上の戦火が広がったのは皆も理解している事だろう。
 そして、その結末は皆が知る通り、旧世代の兵器の暴走だ』


 ジャック・Oの言葉は事実だ。企業、正しく言えばキサラギが目覚めさせてしまった旧世代兵器は、世界中を混乱に巻き込み、多くの都市を壊滅させた。
 アライアンスが秩序の構築と維持に奔走していても、その不信感は容易に拭い去れるものではない。
 この分では、ラジオの電波も取られているだろう。そう考え、モリ・カドルは爪を噛んだ。


『我々は、アークの後身としての活動を望んでいるわけではない。破壊と戦乱ではなく、平穏を望む気持ちは、我々バーテックスも変わらない。
 その事は、我々も再三アライアンスに伝えてきた事だ。交渉の席を用意する事も、やぶさかではなかった』


 だが、とジャック・Oは言葉を強める。その声色に、自然、モリ・カドルの背が伸びた。


『我らの言葉は聞き入れられただろうか!? 答えは考えるまでもなく否!
 それどころか、我らの言葉を伝えようともせず、情報封鎖を進めるアライアンスが、本当に秩序を守るか? 戦争を、やらないか? 答えは否だッ!』


 テレビの中のジャック・Oが、刻まれた皺をさらに深める。そこに浮かぶ厳しさは、まるで巌のそれだ。


『彼らアライアンスが求めるのは秩序の構築とそれに伴う平穏ではなく、自身の権威とそれによって生まれる富でしかないと私は断言する!
 それは、諸君らも過去の経験から理解している事ではないだろうか?』


 チッ、という舌打ち。それは、苛立ちの中にも賞賛が入り混じった舌打ちだった。
 確かに、アライアンスが富を求めている事は間違いない。秩序の構築も、基本的にはかつての権威を求めてのものだ。
 だから、それを突かれると脆い。少なくとも、アライアンスの反論は冷めた眼差しと共に民衆に受け入れられるだろう。


 加え、ジャック・Oの言葉は特攻兵器によって苦しむ人々の感情を激しく刺激する。上手い、と思わずモリ・カドルは呟いた。


 アライアンスは、この半年という時間を鑑みれば、奇跡的なまでに緻密な秩序を組み立てる事に成功している。
 だが、それでも民衆の憎悪は消えない。守ってもらっている感謝から、その刃を鈍らせているだけだ。 
 ジャック・Oの言葉は、その憎悪を覆う鞘を取り払う。そこに残るのは、触れるものを傷つけずにはいられない、鋭い刃だけだ。


 だから、上手い。ジャック・Oは、扇動者としてもまた一流だった。


『なるほど、今はアライアンスも皆に仮初めの秩序を与えているだろう。だが、我々という脅威がいなくなれば、手の平を返したようにまた争い合う筈だ。
 それが企業というもの。富に溺れた者に導かれる世の末路は、慾に駆られての戦乱だ!』


 その言葉は、感情論に流されまいと考える者達も動かすだろう。
 彼らは理論で武装するからこそ、その未来を予見する。アライアンスが権力を求めて分裂し、再び争いあう未来を。


『企業に任せていては、我々は戦乱の悲しみと苦しみから逃れる事は出来ない! 何故なら、彼らは富の為に我々を使い潰すからだ!
 その苦しみに、レイヴンも、兵士も、武器を持たぬ民さえも巻き込み、死なせていく。そのような企業の集合体であるアライアンスに、未来への舵取りは務まらない!
 故に、我々バーテックスは、アライアンスを討ち果たし、新たな秩序を打ち立てる! それを人々に、君たちに確約するッ!』


 そう断言し、ジャック・Oは右腕を掲げる。その姿は、まるで無知と飢餓に苦しむ民を導く救世主、あるいは賢君のそれを思わせた。
 これでは、バーテックスが正義で、アライアンスが悪だ。今頃、アライアンスの広報部は喧々囂々の騒ぎになっているだろう。


『私が攻撃を予告した時間まで残り二十四時間、その後の新時代を築くのは我らバーテックスだ!』


 そこで一度言葉を切り、ジャック・Oは指先をカメラの先へと突きつけた。 


『それを今一度知らしめる為に、私はかつての予告を再び口にしようッ。
 二十四時間後、我々はアライアンスに対し一斉攻撃を開始する! 
 我欲に溺れる権力を打ち砕く為にッ! 企業の抑圧なき世界の為にッッ!!』


 その言葉は、モリ・カドルの鼓膜をビリビリと震わせた。
 その歯がカチカチと噛み鳴らされているのは何故なのか、当のモリ・カドル本人にも分からなかった。



 * * *


 
 6:00。陽光の眩しさが、人々の眠りを妨げんと輝きを強める時刻。


 その六時ちょうどに、ジナイーダは目を覚ました。
 胡乱だ思考を覚ます為にかぶりを振り、ここのところ手入れをしていない所為で枝毛の目立つ長髪を手櫛で解く。篭もった空気に思わずコックピットを開け放ちたくなったが、溜息と共に自制した。
 ファシネイターのコックピットの居住性は、他に比べれば高い方だが、それでも快適とは言い難い。当然だ。兵器に利便性はあっても、快適など入れられる余裕はないのだから。
 化粧道具など、入る余地はない。


 それでも、手鏡の一つでも持ってくればよかったかと、ジナイーダは一人ごちる。
 レイヴンに顔の良し悪しは関係ないとはいえ、やはり女性であれば見栄えは気にしたいものだ。例えファシネイターの鉄の胸板に隠されるとしても、である。
 自身の美貌を自覚する女性にとって、顔は命の次に大事な“武器”だ。ジナイーダとて、レイヴンに入る前は手入れを怠った事はなかった。


 傭兵稼業に入った後も、しばらくはそれなりに顔に気を使っていたはずなのだが、とジナイーダは嘆息した。
 火の手を次々に上げる戦場は、女の美を貶め、女の怖さを際立たせる。それが、自分の顔にも表れている事を、ジナイーダは自覚していた。故に、嘆いた。


 だが、いつまでも嘆いている時間はないらしい。情勢を確認する為、ファシネイターのコンピュータに備え付けられたメールボックスを開いてみれば、恐ろしいニュースが入り込んでいた。
 バーテックスが、アライアンスに対する一斉攻撃の予告を行った。そのニュースは、さしものジナイーダをも戦慄させる情報だった。


「……忙しくなるな」


 呟きがコックピット内に反響し、鼓膜を震わせる。これにより、アライアンスの動きはますます活発化するだろう。そうなれば、レイヴンへの依頼も一気に増える筈だ。
 残るレイヴンは二十二人。拡大する戦火に飲まれる者も増えていくだろう。そして、生き残るのは強者のみ。言うなれば、強きレイヴンのみが選別される地獄が始まったのだ。


 二十四時間後、一体誰が生き残るのか。


 ジナイーダは口の端を吊り上げる。彼女が目指すものは、強さという概念的なものだ。それには、生存能力というものも含まれている。
 この煉獄すら生温い戦火は、真の強者を生み出すだろう。その時が楽しみだ、とジナイーダは笑った。


 コンソールを弾き、舞い込んできた依頼を確認する。案の定、大量の依頼の通達が入り込んできていた。


 その中でも目を引いたのは、アライアンス、それもキサラギ派による依頼だ。
 独立武装勢力による研究所への攻撃予告が為されたから、所員の脱出を行いたい。だが、念のためにACによる護衛を行って欲しいとの事だった。


「悪くはない、か」


 攻撃予告が真実なら、MT部隊の襲撃が行われるだろう。それだけなら、何の変哲もない依頼でしかない。
 だが、ジナイーダのレイヴンとしての直感が告げていた。これは、そんな変哲もない任務ではないと。


 故に、ジナイーダは承諾の返事を送った。
 幸い、目的地の位置も近いし、ファシネイターの状態も良好だ。武器の残弾も大量に余っており、受けたダメージも少ない。このまま直行しても、何の問題もないだろう。

 
 主の意思に応え、ファシネイターのカメラアイに淡い緑の炎が灯った。ブースターが火を吹き、何トンになるとも知れぬ鉄の五体を押し上げる。
 押し付けるGに、未だに惰眠を貪らんとする身体を覚醒させる。幾度かかぶりを振って睡魔を振り払うと、ジナイーダは期待の笑みを顔に張り付かせつつ、研究所へと向かった。
 その笑みは、やはり、自身に対する嘲笑の色も帯びていた。


 
 * * *



 そして、彼と彼女は再会する。



 * * *



 キサラギ派によって建造されたその研究所は、特攻兵器の襲来によって失われた自然の復興を謳い文句に研究を続けている、アライアンスの中でも半ば治外法権が適応された場所である。
 この研究所が建造されるに当たっての経緯は、お世辞にも聞いていい気分になるような話ではない。


 かつて、キサラギの中の急進派が暴走し、旧世代兵器を目覚めさせてしまったのは、もはや周知の事実である。
 故に、アライアンス結成に辺り、上層部は彼らを持て余した。


 生物兵器製造の禁止も、これが関係していないとは言えない。
 確かに兵器そのものの危険性は理解していたが、有効活用すればバーテックスとの戦闘も優位に運べただろう。
 それでも、製造が禁止された理由はただ一つ。世間への体裁を取り繕う為だ。


 キサラギを併合した事に対する批判の声に対する対抗策として、彼らはキサラギの技術の結晶である生物兵器の開発を禁じたのである。
 そして、旧世代兵器の復活に拘わった者を粛清し、残るキサラギ出身者の大半を、優れた技術を自然復興に生かすという建前で、僻地の研究所に押し込めたのである。
 詰まる所、ここは戦犯の収容所に等しい。だからこそ、アライアンスの手が伸びる事も少ないし、キサラギ派による半ば治外法権めいた統治が許されている。


 しかし、今回に限り、それは逆に作用するようだった。
 アライアンスの手が伸びてこないという事は、逆に言えばアライアンスという大組織に所属しながら、その盾で守ってもらえないという事だ。
 言わば、張子の虎である。


 武装組織も、それを承知しているのだろう。攻撃予告まで行ったのは、自信の表れか悪質な嫌がらせか。どちらにせよ、武装組織が研究所に喧嘩を売る理由なんてそうそうない。
 キサラギ派への復讐によって組織の結束を固めようというのか、それとも研究所の機能を一時的にでも麻痺させようという策略か。


 ジナイーダとしては、前者を望みたいものである。後者であれば、戦う事すらない、退屈な仕事にしかならないからだ。
 報酬よりも戦闘を選ぶ彼女は、レイヴンという世界にあってさえ異端だった。


「レイヴンさん。ここが第三避難路になります」
「…………」


 童顔の男性所員に促され、ジナイーダは避難路、その入り口の構造を改める。
 見たところ欠陥はないようだが、油断は出来ない。敵の武装組織がMTを保有していれば、研究所など積み木のように壊されるだろう。
 そうなった場合、ACが活動できるだけの広さは、ここにはない。と、なれば、そもそも研究所に入らせない内に迎撃しなければならない。


 ジナイーダは依頼を受け、研究所を訪れた。その際、所員の一人に所内の案内を頼んだのだ。
 襲撃を受けた時、所員がどのような避難経路を取るかで、迎撃の仕方も大きく変えなければならない。ACは汎用兵器ではあるが万能ではないのだ。それ故に、ジナイーダは下調べを行っているのだった。


 敵の戦力は未知数。対して、ファシネイターは多少とはいえ消耗してしまっている。整備を行いに戻っておくべきだったかと自問するも、もはや遅い。
 あのAC、ピンチベックとの戦いで受けた傷は浅いものの、確かに影響を残していた。


「避難路の整備は怠っていないのか?」
「僕は担当じゃないから分かりませんけど、結構の間、放置されてたみたいですよ。増改築を繰り返してきたから構造も分からないし、何より、出るって噂があって誰も近づきません」
「……何が出ると?」
「幽霊です。事故で亡くなった男の人の悲鳴が聞こえるとか、なんとか」


 危機意識が無さ過ぎるにも程がある、とジナイーダは心中で呟いた。こんな様子では、まともな避難は望むべくもない。
 少しでもまともにしておかなければ、任務に支障が出かねない。そう考えたジナイーダは、避難路の構造を確かめる事にした。


 だが、向かおうと思った瞬間、ジナイーダの足が鈍る。
 幽霊。
 その言葉が、ジナイーダの足を縛り付けた。


 震えにも似た衝動を飲み込み、一歩を踏み出そうとする。だが出来ない。
 額に滲む冷や汗の感触。脳髄に重く沈殿する恐怖に、ジナイーダの足は動かない。


 何故動かないのか、彼女は自覚している。
 レイヴンとして情けない話ではあったが、ジナイーダは怪談の類が苦手なのだ。


 とはいえ、彼女の信念は仕事を疎かにする事を望まない。恐怖を押し殺してでも避難路の構造を改めなければならないと、彼女の裡から語りかけるものがある。
 だが、やはり足は動かない。故に、彼女は頼る者が欲しいと考えた。


「……ついて来てくれ」


 ジナイーダは腕を伸ばし、所員の手を握った。所員の顔が、弾力のある柔らかい感触によって見る見るうちに赤くなる。


 ジナイーダは、端的に言ってしまえば美人だ。
 白い肌、すらりとした鼻筋、意思の強さを示す切れ長の眦、普通に生活をしていれば御目に掛かる事すら叶わない程、整った顔立ち。
 長く続く戦闘による疲労も、その顔に野性味にも似た彩を添えている。


 手を握られた所員が赤くなるのも、無理からぬ事と言えた。


「第三避難路を調べてみる」


 その言葉で、所員はジナイーダが何処に連れて行こうとしてるのかを悟った。先程まで赤かった顔が見る見るうちに青くなる。


「ゆ、幽霊が出るって言ったじゃないですか、レイヴンさん!」
「そんな眉唾に怯えて、いざという時、避難が上手くいかなかったらどうする」


 無理矢理に所員を連れて行き、淡い明かりだけが頼りの暗い道を進む。
 なるほど、とジナイーダは一人ごちた。ちょうどいい具合の湿気と、切れ掛かった電灯。怪談話が出てくるのも至極当然と言えるほど、怪しい空気だ。
 だが、幽霊など下らない妄言に過ぎない。そうジナイーダは断じながら、足を進める。


「い、行くんだったら一人で行ってくださいよぉ」
「怪談話に怯えて肝心の避難路が機能しないのでは話にならないだろう? 証明する者が必要なんだ。……決して怖いわけじゃないからな」


 無理矢理に所員の腕を引っ張り、ジナイーダはなお闇夜より暗い道を突き進む。
 所員の顔に浮かぶ怯えの色が、益々濃くなるのを気にも留めず、大股に足取りを進めていく。


 その足取りが、鼓膜を叩く悲鳴のような声によって停止した。


「ぁぁぁぁぁ…………」


 耳を澄ます。間違いない。通路の奥深くから、男のものと思われる悲鳴がする。
 そんな、馬鹿な。その言葉は結局漏れる事無く、微かな吐息となって大気に溶けた。


「ああ、やっぱりいるんですよ! 帰りましょうよ!」


 所員の抗議を黙殺しつつ、ジナイーダはさらに歩みを進めていく。そこに微かに震えがあった事に気付く事もなく、足を動かす。
 恐怖がないわけではないが、任務の為には疎かに出来ない。それに、今更逃げ出すなど持っての外だ。その使命感を頼りに、ずんずんと突き進む姿を見て、所員はますます怯えの色を濃くした。


 悲鳴はだんだんと大きくなっている。別段、悲鳴の主の声量が大きくなった訳ではない。ただ単に、悲鳴の主の元へと近づいているだけだ。
 いや、それとも。悲鳴の主がこちらに近づいてきているのか。

 
「ど、どうせこの避難路は使えませんよ! 僕、それを伝えてきますね!」


 半ば強引に腕を振り解くと、所員は跳ねるように立ち去っていった。
 よほど怖かったのだろう。微かな明かりに映った顔は、恐怖によって歪んでいた。


「あ……」


 呆然としたまま立ち竦む。手を握る感触が消えた途端、抑えこんでいた恐怖が噴き出してくる。
 先程まで使命感という仮面で覆い隠していた顔に、恐怖の色が浮かび始める。


 ジナイーダは、足を止めた。所員が離れた途端に心細くなり、足を進める事が出来なくなってしまった。レイヴンだろうと自責しても、足は凍りついたかのように動かない。
 恐ろしいなどという感情は不要だ。レイヴンだろう、お前は。そう言い聞かせても、足は凍りついたかのように動かない。


 いつしか、悲鳴は止んでいた。
 それで、それ以上進む事も、戻る事も、ジナイーダには出来なくなった。



 * * *



 汗をシャワーで洗い流し、研究所で用意された服に着替えると、モリ・カドルはようやく安堵の溜息をついた。
 今回の実験はいつにも増してきつかった。強化人間の耐久力を測る実験が厳しいのはいつもの事だが、今日は久方ぶりに麻酔なしで電流を流された。半ば、拷問である。


 
 だが、終わってしまえばそれも過去の事だ。意気揚々とモリ・カドルは更衣室の扉を開け、外の廊下へと足を踏み出した。


 一応、この通路は避難路のひとつという事になっているものの、ろくに整備もされず放置されている。
 それを利用して、このような日向に出せぬ所業が行われる研究施設が増築されるのだ。言わば、研究所の裏側とも言うべき場所である。
 それ故に、薄闇の廊下は怪しげな雰囲気を醸し出しており、今では所員の誰も近寄りたがらない魔境と化していた。


 尤も、その方が都合がいいだろうとモリ・カドルは思う。強化人間の人体実験、生物兵器の開発なんて、一般の所員に知られない方がいいに決まっている。
 そう心中で呟きながら足を進めると、廊下の端に見慣れない人影を発見した。それが女性である事を近づくにつれ確認し、モリ・カドルは驚愕した。


 所員ではない。白衣にも制服にも身を包んでいない以上、その可能性はあり得ない。
 だが、モリ・カドルにとって、女性が着込んでいる服は身近なものだった。
 パイロットスーツ。それもAC用に用意された特注のものだ。今となっては、現行のレイヴンのほとんどが着用しているという代物である。


「……レイヴン?」


 それがジナイーダだとも知らず、モリ・カドルは声を掛けた。


「……誰だろうかと思えば……お前か……」


 応える声の色合いには呆れが乗っている。その声で、モリ・カドルは気づいた。その女の正体、名、そして力を思い出した。


「ジナイーダ……」


 何故、お前がこんなところに。そんな陳腐な台詞は肺胞に呑まれて消えた。
 喉は震え、唇は青褪め、もはや言葉を口にする余裕は無かった。


「一時間とおかずお前と再会するとは、これも縁か」


 怯えの色を露にするモリ・カドルに対し、ジナイーダの顔は蒼白だ。元々の顔立ちと相まって、そこには凄絶な雰囲気があった。


 ゆったりと歩み寄って来るジナイーダに、モリ・カドルはあとずさる。恐怖にも似た感情に、逃げ出したくなる。
 拳銃でも突きつけるつもりか? いや、それだけには飽き足らず殺すつもりじゃないだろうか。そもそも、見逃してくれたのは気紛れのようだし、今ここで殺そうと考え直してもおかしくない……


 錯乱しつつも、モリ・カドルの足は動かない。実験の苦痛に続いての不幸に、思わず嘆きたくなる。
 だが、嘆いていられる余裕は今の彼にはない。僅かな呼吸にその色を残すのみだ。


 モリ・カドルは息を飲み、震える眼差しで近づいてくるジナイーダを見つめる。その顔は恐怖に引きつっていた。


「ひぃっ! い、命ばかりは……」


 慌ててジナイーダを突き飛ばさんと腕を伸ばす。だが、その手は空を切り、逆に反射的に伸ばされたジナイーダの手によって掴み取られた。
 一瞬、ジナイーダは驚愕の表情を浮かべ、そこに僅かに安堵の色合いを載せる。だが、モリ・カドルはそれに気付かない。


「…………ッッ!」


 声にならぬ悲鳴と共に、モリ・カドルの身体が回転、傾斜。少しでも早くこの場から逃亡せんと、強化人間の持つ驚異的な筋力を生かして疾走する。


「あ、ま、待て!」


 慌てたような声が鼓膜を叩くのも意に介さず、モリ・カドルは走り続ける。
 そうなれば、手を掴んでいるジナイーダは、為す術も無くモリ・カドルに引っ張られていくしかない。
 止めようと言葉を投げかけても、モリ・カドルは聞く耳を持たずに疾走を続ける。故に、同速での疾走を行うのは当然至極の話だった。


「待てと言われて誰が待つもんか!」


 モリ・カドルの速度は緩まらない。それに引っ張られる形になっているジナイーダも同様だ。
 二人の人影が、ぼんやりとした薄明かりの中を駆けて行く。リノリウムの床が四つの靴底に打ち鳴らされ、乾いた音を立てる。


 レイヴンとして鍛えられているとはいっても、ジナイーダは女性だ。男性であるのに加え、強化人間の膂力も持つモリ・カドルに引っ張られて、対抗する手段は無い。
 だが、ジナイーダは決して手を離さずに、駆けゆくモリ・カドルの背中に続いていく。息を切らせながらも、その腕は離されない。


「だから待てと言ってるだろう!」
「は、離せよッ!」


 ジナイーダの苦しげな吐息を聞き、モリ・カドルの足がさらに速度を増す。
 ジナイーダが手を掴んでいるというだけで、彼の鼓動は早まった。無論、それは照れなどというものではなく、恐怖に寄るものだ。


 まさかにも、ジナイーダが幽霊の話に恐怖しているとは、誰も思うまい。故に、モリ・カドルに罪は無い。
 罪はないが、しかしその行動は、決して褒められたものではなかった。


「頼むから止ま……」
「わああああぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 モリ・カドルは、腕を掴んでくるジナイーダの手を力づくで振り払った。
 勢いを殺せず、ジナイーダの痩身が吹き飛ばされる。尻餅をつき、苦悶に顔を歪めるジナイーダ。その姿を見て、モリ・カドルは躊躇いの色をその顔に浮かべた。 


「あ、ああ、……と……」


 声にならない呻きには、モリ・カドルの迷いが滲んでいる。
 このまま逃げ出すのが最良だろうと理性は判断を下す。だが、モリ・カドルはそれを実行する事が出来なかった。


「ごめん……立てるかな」


 迷った末、モリ・カドルは手を差し伸べた。
 ジナイーダの鷹のように鋭い眼差しが、モリ・カドルの目を射抜いた。差し伸べられた腕を払い、軽く尻をはたきながら立ち上がる。


「……まあ、助かった」


 ジナイーダは一瞥をモリ・カドルにくれると、痛みを堪えるような足取りで歩き出した。
 モリ・カドルが周囲を見渡してみれば、すでに第三避難路を抜け、研究所の一般通路へと出ていた。蛍光灯も明るく、第三避難路の陰湿さは何処にもない。


 だが、遠ざかるジナイーダの背中は、決して明るいものには見えなかった。


「……嫌われちゃったかな」


 呟き、胸に重いものをモリ・カドルは感じる。
 だが、それでいいのだろうと言い訳をした。自分はレイヴンなのだから、友誼を結ぶ必要など無いと。
 それは、正論の言い訳だった。


「まあどうせ、次に会うときは」


 戦場だろう。だから、これは余計な感傷だ。
 そう自身の思考を断じ、モリ・カドルは自分に宛がわれている客室へと向かった。



 * * *



「…………」
「ねえねえ」
「………………」
「ねえってば」
「……………………ねえ」
「ああもう鬱陶しい! なんだ一体!」


 ジナイーダの怒声に、モリ・カドルは萎縮する。通算三回目。モリ・カドルの投げかけた声は、悉く相手を不快にさせただけに終わった。
 キサラギの人間も随分と趣味が悪いな、とモリ・カドルは心中で一人ごちる。まさか、自分と同じ客室をジナイーダに宛がうとは。お陰で、室内の雰囲気が悪くてたまらない。
 空気を和ませようと話しかけても、相手の態度がこれでは逆効果だ。実験に赴く前まではお洒落な雰囲気が漂ういい部屋だったのに、今では電流めいた痺れが満ちている。
先ほどの実験が肉体的な苦痛なら、今のそれは精神的な苦痛だ。


 幸い、今はジナイーダの、睨みにも近い視線は籠の中の青い鳥に向けられている。
 だが、いつ自分に向けられるとも限らない。そう思う度、モリ・カドルの胃に痛みが走った。


 誤魔化そうとコーヒーを飲めば、入れる砂糖の量が気に入らない、ミルクの量が気に入らない、そもそも音を立てて飲むのが気に食わないとばかりの眼差しで睨まれる。
 テレビを見れば、報道とは名ばかりの、バーテックスの電波占有に対する糾弾番組で持ち切り。
 鳥を眺めれば、ピーチクパーチク喧しいと来た。


 早くここから帰りたいなと思いつつ、伏し目でジナイーダの姿を見やる。飲んでいるコーヒーは完全無糖。ブラックが飲めないモリ・カドル憧れの大人の味である。
 加え、冷たささえ感じる玲瓏な美貌。鋭さと共に意思の強さを宿す眦。なるほど、彼女の外見は、ある意味最もレイヴンらしいものと言えた。
 惜しむらくは胸の厚みだが、人の趣味によっては許容範囲だろう。


 それだけの美人を前に、話をしないのは勿体無い。そう自身を誤魔化しつつ、モリ・カドルはジナイーダ再び声を掛けた。


「…………あーと、さ」


 睨まれ、視線を逸らす。それだけで興味を失ったのか、ジナイーダはその手に握られたモバイルへと視線を移した。
 参ったな、と小声で呟きながら後頭部を掻く。胃が痛むわけではないが、やはりいづらい。鉄火場にいた方がマシ、というわけではないのだが、それでも針の筵に座るような気分だった。


 針の筵と言えば、昔もそうだったか。紛い物と嘲られ続けたあの時と、同じだ。
 かつてのトップランカーの機体を模して戦う姿を、レイヴンとしての誇りなき姿だと嘲笑われた。例え敵を倒したとしても、それは実力ではなくACの力だと侮蔑を受け続けた。
 悔しい、と思ったのは一度や二度ではない。だが、それ以上に諦観があった。自分は確かに、レイヴンとしての腕が致命的にない。それも、適正レベルの問題で。


 ジナイーダには、こんな悩みはないのだろう。すでに十分な強さを持っている彼女には。


「うらやましいな……」
「…………」


 思わず漏れた呟きに、目前の美貌に険が混じる。何を言っているのか、と訝しむような眼差し。睨むでもなく、ただ極寒の冷たさだけを纏った視線を受け、背筋に寒気が走る。
 応えようかどうか、一秒にも満たぬ一瞬の間、逡巡する。光ファイバー製の神経とシナプスの間を電気信号が行き来し、あ、だの、う、だの言葉にならない呻きが漏れる。
 

「……僕は、弱いから」


 結局、モリ・カドルはそれだけを呟いた。言ってしまえば、それが自分の本意であるようにも思えた。
 だが、その先にあるのは羞恥だけ。自分の呟きの情けなさに、モリ・カドルは顔を赤くして俯く。


 沈黙が部屋に満ち、ジナイーダの眼差しだけがモリ・カドルに注がれる。それに更なる羞恥を覚え、ますますモリ・カドルは俯く。


「……君には、分からない悩みだろうけどさ」
「なら、何故強くなろうと努力しない。強くあろうとしない。お前のそれは、ただの逃げだ」


 容赦のない糾弾の言葉。モリ・カドルは、それに憤りを覚えつつも、頷き、肯定した。
 だが、反発を抑えられない。唇が勝手に言葉を紡ぎ、ジナイーダを責めたてる。


「命が惜しいのさ。あの時、君が見逃してくれたのも、僕が弱者だったからだ。君は強い。僕は、弱い。戦って、どちらが勝つかは分かりきっている事だろう」


 投げやりな言葉に、ジナイーダの表情が歪む。
 怒りとも悲しみともつかぬ表情を浮かべつつ、ジナイーダはモリ・カドルの眸を見やる。そして、ゆっくりと歌を紡ぐように口を開いた。


「恐れる事は、逃げる事は悪くは無い。ただ、いざという時に立ち向かう覚悟。それが、お前には足りていない。だから、強さも誇りも付いてこない」
「……強さの後に、誇りが来るのではないと?」
「誇りの後に強さが来るのでもない。だが、双輪となって共に走る事は出来る。強さと誇りは、そういうものだ」


 そこまで言って、ジナイーダは僅かに顔を赤らめた。


「少なくとも、私はそう思うのだが……」


 恐らく、思いの丈を整理せぬまま言葉にしてしまった結果が、この冗長で意味もはっきりと掴めぬ言葉なのだろう。
 だが、モリ・カドルはその言葉に安堵した。何処と無く、強さという遠い概念を持つ女性が、身近に感じられたような気がした。


「……クサイ台詞」


 とはいえ、先程抱いた反発が消えるわけでもない。棘棘しい思いを消そうと、モリ・カドルの唇は勝手に言葉を紡いだ。
 転瞬、ジナイーダがコーヒーカップを手に取る。からかわれ、赤くなった顔のまま、カップを振りかぶり、投擲した。
 黒色の液体がぶちまけられ、モリ・カドルの胸上を真っ黒に染め上げる。


「……ひどいと思わない?」
「自業自得という言葉を知っているか? モリ・カドル」


 拗ねたように呟くジナイーダを尻目に、モリ・カドルは布巾を手に取った。



 * * *



 大地が蠢く。戦きにも似た音を立てて揺れる。
 その原因は単純にして明快。地上を押しつぶす程の重量が、大地の上を走破しているからに他ならない。


 重すぎる自重は滅多な事では悲鳴を挙げない大地すらも泣かせ、限界まで装備された武装は火を吹く瞬間を今か今かと待ち構えている。
 AC、ストレイタス。幽霊の名を冠す主を心臓とするそのホバータンク型ACは、熱気を大地に吹きかけながら、目的地に向けて進んでいた。


 朝の陽光は肌寒く、光の色もまた薄い。緑色に塗られた重厚な装甲が、霞に揺れている。その朝靄の中を走破するストレイタスは、さながら幽霊のようにも見えなくもなかった。


「……と、そろそろか」


 ストレイタスの胸部の奥、コックピットの中で足を組んだレイヴン、ファントムは、ごてごてとエメラルドを取り付けたペンダントを片手で弄くりつつ、もう片方の手でコンソールを操作した。


 無機質な機械音と共に、カメラを通しての外部情報。ストレイタスの視野とも言うべき画面が狭まる。
 一寸の空白を置いて、その画面が拡大された。その先には、キサラギ派が環境保全を謳って設立した研究所の姿がある。


 今回、ファントムが受けた依頼は、この研究所の攻撃だった。
 依頼主は武装組織の一つだ。名前などファントムは覚えていない。ただ、その長は悪名で名を馳せていた為、頭の隅に残っていた。


 ズベン・L・ゲヌビ。今日まで生き残った二十二人の中で、確実に死ぬと目されているレイヴンである。
 とはいえ、その力を侮る事は出来ない。レイヴンとしての実力は半人前に届かずとも、組織の方は十分な戦力を保有していた。


 無論、バーテックスやアライアンスに狙われればひとたまりもない程度の戦力である。それ故に、ズベン・L・ゲヌビはキサラギの研究データを欲していた。
 キサラギの旧世代兵器や生物兵器のデータがあると、環境保全はスケープゴートに過ぎないと、彼は判断していた。


 故に、今作戦の目的は研究データの奪取にある。だが、奪取を行うのはファントムではない。
 彼のAC、ストレイタスは潜入任務には向いていない。タンクという特性上、通路などの閑所戦闘は得意だが、施設の破壊を避けなければならない任務である以上、彼が潜入する事はない。

 
 潜入するのは、長であるズベン自身だ。軽量逆間接ACであるサウスネイルなら、データの回収もそれなりにこなせるだろう。
 もっとも、軽量という事は打たれ弱いという言葉の裏返しでもある。潜入する前に敵の攻撃を受ければ、あっけなく沈んでしまいかねない。


 その為、ズベン・L・ゲヌビは敵の目を惹きつける囮を必要とした。
 それ故に、ファントムが駆り出されたのだ。現行のレイヴンの中でも、攻撃力という点では最高のレイヴン。人目を引く業火を放つストレイタスが必要とされたのは、偏にそれが原因だった。
 攻撃予告により、敵の緊張を謀る。そして、ストレイタスの攻撃によって敵を引きつけ、その隙に潜入。それが、ズベン・L・ゲヌビの立てた作戦だった。


「おっと、そろそろ相手のレーダーに引っかかるか」


 ペンダントから手を離し、ファントムはコンソール上で指を躍らせる。程なく、エクステンションの起動を伝えるランプが点灯した。


 ストレイタスの両肩側面に付けられていた、三角形型の不可思議なエクステンションが淡い紫電を帯びる。
 同時に、モニターの右上にエクステンションの起動限界が表示される。残り二十秒。容赦のないカウントダウンの火蓋が切られる。


 CROWと呼ばれる、正式名称すら定かではないこのエクステンションは、ACにステルス性を付属させる機能があるという。
 起動している間、ACの熱、音、そしてレーダー波の反射、その全てを誤魔化すオーバーテクノロジー。それ故に、起動には多大なエネルギーを必要とし、維持できる時間も圧倒的に少ない。


 無論、それでも圧倒的な性能を持っているのに変わりはない。だというのに、今日まで多様されなかった理由はただ一つ。欠陥品が多いからだ。


 ステルス性を機能させる事無く、エネルギーを食うだけに留まり、そしてやられたAC達を、ファントムは星の数ほど見てきた。
 まともに機能したのは、遥か過去に活躍したというアフターペイン、ラファールという二機のACに装備されていた分だけだとも聞いた事がある。
 いや、ラファールに装備されたそれも、時には機能しなかった事があったらしい。


 そんな欠陥だらけのエクステンションを使わなければならないという作戦に、ファントムは嘆息した。不確定要素は作戦の天敵だ。可能な限り削っておくのが利口だろうに。
 最も、報酬がもらえる以上、今更逃げ出すわけにもいかない。ファントムは、萎縮し始めた胃袋を空気で無理矢理膨らませ、コンソールを叩いた。 
 

 火器管制用のエネルギーを足元へと集中、一時的に他所にまわされるエネルギー量が上昇する。
 主の命に応えるように、モニター右上の制限時間が五秒増加、同時にストレイタスの腰下より噴き出す熱気が強まる。


「頼むぜ……欠陥品ってオチは無しにしろよ……」


 呟きつつ、ファントムはアクセルを踏み込んだ。
 エクステンションを輝かせつつ、ストレイタスは前進。キサラギの研究所に設置された管制塔、そのレーダーの範囲内に身を乗り込ませる。


 ファントムの呼吸が浅く熱を帯びる。額に滲む汗を拭い、緊張を誤魔化すように手がせわしなくペンダントを弄くる。
 レーダーに捉えられたら、それで終わりだ。火器管制にエネルギーを回して復旧している間に、敵の集中砲火を受けて沈むだろう。
 タンク型の重装甲とはいえ、ACは兵器だ。数多の砲火を受ければ破損し、ジェネレーターをやられれば爆発する。それは、ファントムの愛機であるストレイタスも例外ではない。


 喉奥を震わせる嘔気を飲み込みつつ、ファントムはさらに強くアクセルを踏み込む。今のところ攻撃は受けていない。だが、レーダーに捉えられていないとは限らないのだ。
 ステルスが機能しているかどうか。それは研究所に近づくまで分からない。


「……どっちだ?」


 見つかったのか、見つかっていないのか。どっちだ?
 ますます浅くなる呼吸。血走った眼差しで、ファントムは研究所を睨みつける。


 カウントダウンが進む。残り十秒。
 八秒。呼吸が止まる。
 六秒。汗が滴る。

 
 五秒を数えたところで、ファントムは、愛機ストレイタスの間合いに管制塔を捉えた。
 相手に動きはない。どうやら、ステルスは上手く機能してくれたらしい。


「……ハハ、ついてるぜ、俺」


 四秒。ファントムの口の端が吊り上がる。
 三秒。コンソールを叩く。
 二秒。火器管制にエネルギーを回す。
 一秒。エクステンションをパージする。


 零秒。ようやく管制塔はストレイタスの姿を捉えた。


「やらいでかァッ!」


 ストレイタスは軽量型グレネードを構え、射撃。二連の砲声が天空を揺らし、管制塔を直撃した。
 それを狼煙として、ストレイタスは両腕の武器を構える。バズーカとショットガンという二つの武装が、警鐘を鳴り響かせる研究所の施設に向けて発射される。
 爆音が鳴り響き、紅蓮の炎がその舌を伸ばす。舐め回され、遷り続ける炎が研究所に惨禍を広げる。


 これ以上の狼藉は許さんと、何機かのMTが出撃する。逆脚型の、標準的なMTだ。旧式とはいえ、十分実用に耐える代物である。
 だが、それも展開していればの話。この状況下において、MTの動きは、遅い。


 MTが攻撃態勢に移る前に、ストレイタスの武器が火を吹く。
 秒とおかずに放たれる連撃。FCSの揺らめきは正確に敵を捉え、致命的な傷を与えていく。
 あるものはショットガンによって蜂の巣になり、あるものはバズーカの砲弾に叩き潰され、十秒が経つ頃には、全てのMTが倒れていた。


 慌てて飛び出す増援MTも、展開しているのではなく個別に出てくるのであれば、ストレイタスの敵ではない。現れるMTをバズーカで各個撃破しつつ、ミサイルで上空を飛び交うヘリを叩き落す。
 ヘリはミサイルの横槍にコックピットを撃ち抜かれ、羽を失った鳥のように落下。戦闘機の滑走路に激突し、発進を食い止めるような形で塞いでしまった。


 ショットガンによってばら撒かれた対AC弾が、敵わぬと知りながらも攻撃を行った歩兵の血肉を引き裂き、中空へとばら撒く。
 鮮烈な赤色に大地を濡らしつつ、ストレイタスは前進。亡骸とも言えぬ肉の塊と化した兵士達を、圧倒的な自重で押しつぶし、挽肉へと変えた。


 だが、それでも足りない。潜入するサウスネイルに気付かれれば、それで終わりなのだ。可能な限り敵を惹きつける必要がある。
 相手の目を惹きつけるべく、ファントムはマイクのスイッチを入れる。同時に、大きく息を吸い込んだ。


「どうした雑魚どもッ! 殺る気が足りねえぞ!」


 ファントムの叫びをストレイタスの外部スピーカーが吐き出す。砲声もかくやという大声は、戦闘に慣れていない研究所の所員に、戦慄を以って受け止められた。
 鬼気迫る迫力に足を震わせる兵士の一人が、バズーカに吹き飛ばされたMTによって押しつぶされる。六連雲を描いて飛ぶミサイルが着弾し、その爆風が施設の窓を割裂させる。
 今この時、研究所の全ての目が、この阿鼻叫喚の地獄と、それを生み出すストレイタスへと向けられていた。



 * * *



 その巨獣の戦きにも似た振動に、モリ・カドルとジナイーダの二人はすぐさま反応した。敵の攻撃だ。
 衝撃に落ちた鳥篭が門を開け、青い鳥が翼を羽ばたかせて脱走する。テレビにノイズが走り、雑音を吐き出し始める。


 ジナイーダはすぐさま立ち上がり、拳銃を引き抜いた。同時に響き渡る警鐘の音。攻撃を知らせるアラームが、耳奥の鼓膜を劈かんばかりに鳴り響く。


 何事か、などという問いはない。状況は明白だ。この研究所が、何者かによって襲われている。視線を交わせる事すらなく意思を交わし、両者は同時に外へと飛び出した。
 動揺し、避難の手順すら守らずに走る所員の姿に、ジナイーダは舌打ちする。状況はかなり悪い。ファシネイターの格納されている一番ガレージと、人の流れは完全に逆行している。


 それが示す事実は単純にして明快。一番ガレージに至る道が、なんらかの理由で封鎖されてしまっているという事だ。
 だから、これだけの所員がこちらになだれ込んで来ている。回り道をしようにも、外は銃火の真っ只中だ。生身で乗り出せば、その瞬間に蜂の巣が挽肉になるだろう。


「……と、待てモリ・カドル!」


 ジナイーダは手を伸ばし、人の流れに飲み込まれかけたモリ・カドルの手を取った。そのまま、肩を脱臼させかねない勢いで引き寄せる。


「あたたた! ちょ、ちょっと遠慮とかは!?」
「ない!」
「ひどい!」


 モリ・カドルの抗議を無視しつつ、なおもジナイーダは腕を引っ張る。


「お前、ACは持ってきているな?」
「あ、ああ。ピンチベックなら二番ガレージに置かせてもらってるけども……」
「よし、借りるぞ! 案内しろ!」
「え、えええぇ!? 何故!? 何ゆえにッ!?」
「一番ガレージに向かう為の装甲車の代わりだっ! いいから案内してくれ! このままじゃ二人とも生き埋めか爆死のどっちかだぞ!」
 

 一秒にも満たない間、モリ・カドルは悩むような表情を見せた。そして、顔を緊張に引き締め頷く。
 その肯定を受け、ジナイーダはコンマの刹那、笑みを浮かべてみせた。転瞬、笑みを引っ込めると、先程よりもさらに強い力でモリ・カドルの腕を引っ張る。


「引っ張らないでくれよっ、脱臼する!」
「しろ! どうせ操縦は私がする!」
「人のACを使うっていうのかい!?」
「不服を述べるのは生き残ってからにしてくれ! ほら、どっちに曲ればいいんだ!」
「あ、ええと右ッ! って、うわ、なんか青い鳥が付いてきた!?」
「邪魔だ! 適当に振り払え!」
「幸福のシンボルなのにッ!?」
「知るかそんなことッ!!」


 喧々囂々、喚き散らしつつ、両者は金属質の床を蹴り飛ばす。スプリンターさながらの疾走で突き進む背に、青い鳥が続く。
 両者の言い合いに感化されたのか、小鳥は籠の中にいた時よりも一際強く鳴いた。


 羽ばたく翼が、ジナイーダの視界を横切る。チ、という舌打ちと共に睨みつける。
 ジナイーダの睨みを受け、怯えた小鳥は、比較的温和そうだとでも思ったのか、モリ・カドルの肩に止まった。そこでようやく気付いたのか、彼の表情が驚愕に染まる。


「鳥早ッ!」
「キサラギだから何が起きてもおかしくないだろう。それよりずっとそこに留めといてくれ、正直目障りだ」
「ちょっとジナイーダさん目が怖いですよ!?」
「いいか、私は幽霊と鳥類が大の苦手なんだ!」
「…………」
「待て、何故そこで黙る!?」


 一瞬の空白を置いて、モリ・カドルは噴き出した。呼吸を乱し、走りを緩めてさらに笑い続ける。
 ジナイーダの顔が赤く染まった。そのまま、併走するモリ・カドルの横腹に肘鉄を叩き込む。


「ひどい! 暴力だっ!」
「そう思うなら笑うな阿呆っ……!」


 ジナイーダの速度が、急激に緩み始める。呼吸も荒くなり、ついには立ち止まり、座り込んでしまう。その顔色は苦しげだ。
 当然である。全力で疾走しながら怒鳴りあっていたのだ。どんな超人であろうとも、酸素が足りなくなってしまう。
 ましてや、ジナイーダは女性なのだ。そもそもの身体能力が、致命的に足りていない。


「……ごめん。笑い過ぎた」
「……気にするな。私の油断だ」


 喋る事すら苦しいのか、赤くなっていた顔が蒼白になっていく。先程までモリ・カドルを引っ張っていた右手が、苦しそうに左胸へと当てられた。
 モリ・カドルの顔が微かに歪む。そうだ。普通の人間の心臓は、ずっと走っていて耐えられるようなものじゃない。自分の体が強化されているのに慣れすぎて、そんな事も忘れてしまっていた。


 モリ・カドルはジナイーダの隣に座り込んだ。両腕をジナイーダの足と背中に伸ばす。


「……なにをする……?」
「いいから、首に手、回して。大丈夫、これでも体力には自身があるんだ」


 力のない抗議に応えつつ、モリ・カドルはジナイーダの身体を持ち上げた。意外な軽さに驚きつつ、体勢を整える。
 それは、所謂お姫様だっこの形だった。確かに身体に負担は掛からないが、恥ずかしい格好である。ましてや、ジナイーダは女性だ。その顔が、羞恥によって再び赤らむのは無理からぬ話だった。


「ちょ、ちょっと……」
「喋らない喋らない、息を整えといて。ACを操縦するのは君なんだろ? なら、ここぐらいしか、僕がいいところ見せるシーンはないじゃないか」


 優しげな声でジナイーダに語りかけると、モリ・カドルは再び疾走を開始。可能な限りジナイーダに対する揺れや負担を軽減できるよう注意しつつ、可能な限りの速度でガレージへと向かう。


 首に回された手の力が、ゆっくりと、信用するように強められていくのを感じつつ、モリ・カドルは只管に走った。
 揺れる風に、青い翼が揺れた。静かに、強く、鳴いた。



 * * *



 ストレイタスがミサイルを乱射する。かつてのそれと同じ六連星は、雪崩れるように敵MTへと吸い込まれ、爆音と共に沈黙させる。
 作戦開始より三分が経過し、研究所は惨状広がる戦場と化していた。
 
 それでも、ファントムはトリガーを引くのを止めない。ズベン・L・ゲヌビはすでに潜入しているだろうが、攻撃を行った以上、今更手を休めるわけにもいかない。
 相手からの報酬は、目標施設の破壊量に比例する。故に、ファントムは攻勢を緩める事無く、施設へ銃火を降り注がせた。


 エメラルドのペンダントを弄りつつ、鼻歌交じりに射撃する。ファントムの優勢は誰から見ても明らかで、反対に奇襲を受けたキサラギのMT部隊は壊走していた。
 陣営を整えようにも、本営である基地から撤退するわけにはいかない。命令も出されず、混乱するMTをバズーカで撃ちぬくのは、赤子をくびり殺すよりも容易い仕事だ。


「……悪いが、運がなかったと諦めな。お前を倒せば報酬が増えるんだ」


 ショットガンの散弾がMTへと着弾。姿勢制御をやられたMTが、散弾によって抉られた窪みに足を取られ、倒れこんだ。
 立ち上がる隙を与えず、ショットガンによる追撃。弾丸の驟雨が降り注ぎ、先程まで動いていたMTを鉄くずに変える。


「ハハッ、鴨撃ちだぜ」


 ファントムはそう呟くと、ペンダントを玩びつつ目を弓にした。
 笑いが止まらない。あまりにも運がいい。万馬券なんてレベルじゃない、それこそ一生に一度あるかどうかの幸運だ。


 こうまで奇襲が上手くいくなんて、本当に今日はついている。バーテックスが一斉攻撃を仕掛けるまで残り約二十四時間。このツキっぷりなら、その間にたんまりと稼げそうだ。


「……ん?」


 視界の端に動体を捉え、ファントムの顔が怪訝そうに歪む。MTだとすればカモになるが、これだけの被害を出して、たったの一機を増援に送るとは思えない。
 恐らくは、キサラギの切り札だ。大型MTの類か、あるいは無人ACか。前者なら兎も角、後者なら中々に厄介だ。


 なにしろ、キサラギの無人ACはアライアンスによって生産を中止された、旧世代技術の遺物の一つである。
 アークを離反して以降、幸運にも出会った事はなかったが、その実力は風の噂だけでも推し量る事が出来た。


 もしも、それが襲い掛かってくるとしたら、これに勝る恐怖はあるまい。アークを離れてすでに半年。腕は鈍っていない筈だったが、これまで強敵と言える程の相手に出会えていなかった事も事実。
 腕は鈍っていない。危惧すべきは、自身のレイヴンとしての勘。それが鈍っていれば、為す術もなく殺されるだろう。


「上、等……だ!」


 だが、今の自分なら殺れる。ファントムはそう結論した。
 今の自分は最高にハイだ。しかも、ツキも回ってきている。この状況で、負ける筈がない。例え、どんな相手であろうと。


 相手の無人ACのカメラアイがこちらを捉える。ぼんやりとした、陽炎のような色合いの光。それを確認するやいなや、無人ACは音速で間合いへと飛び込んできた。


「はぇっ…………!」


 速い、と言葉にする事すらままならず、ファントムはトリガーを引いた。二連射のグレネード弾が、敵の無人AC目掛けて吐き出される。
 だが、捉えきれない。第一射は、相手の速度にFCSのロックが追いつけず、明後日の方向と飛んでいった。二撃目も直撃はせず、掠るだけに留まる。


 ファントムはコンソールを叩いてFCSを一時的に拡大、同時にショットガンの引き金を引く。吐き出された無数の弾丸は、接近していた無人ACに直撃し、その痩身を吹き飛ばした。


 だが、無人ACとて敵に流れを掴ませれば死ぬと理解している。故に、追撃は許さない。
 無人ACは機械特有の無茶な機動で体勢を立て直すと、苛立ったようにパルスライフルを乱射する。
 軽い射撃音も十重二十重と重なれば轟音となる。撃ち鳴らされる射撃音と、先程のカウントダウンさながらに減っていくAP、反比例して上昇する機体温度に、ファントムの背筋に戦慄が走る。


「てめぇ……」


 ファントムの目が据わり、全身から凶暴な鬼気を放射し始める。同時にコンソールの上を指が踊った。
 呼応するように、ストレイタスの武器が構えられる。CR―WH05BP。重量を犠牲として威力と速度を両立させたバズーカの最高傑作。それが、専用砲弾を射出する。


 音速を越えんばかりの速度で大気を滑る砲弾。それを至近距離で交わす事など、さしもの無人ACでも敵わない。
 中途半端な回避運動を遮られ、無人ACは右腕に砲弾の一撃を受けた。


 右腕が吹き飛ばされ、残る武器は左腕のパルスライフルだけとなる。だが、それでもまだ侮れない。
 ストレイタスはタンク型のACである。機動型である敵ACとは相性が悪い。


「機械風情がっ……」


 だが、それも腕次第で補いうる範囲だと、ファントムは笑う。
 積極的に狙いにくい上空を取ろうとする敵ACを、正確にFCSのロック範囲に捉え続けるファントムは、神掛かったというよりも、むしろ悪魔めいた腕前だった。


 それでも、タンクの欠点である機動力の低さは覆せない。パルスライフルを受け続けたストレイタスの機体温度が上昇し、コックピットに警告音をがなりたてる。
 同時に、エネルギーメーターがみるみる内に減少していく。ラジエーターの過剰運動が、機体の稼動エネルギーを奪っているのだ。


「チィッ、味な真似を」


 吐き捨てつつ、ファントムはミサイルの照準を合わせる。幾らかの時間を置いて放たれる三連砲火。ミサイルは、その追尾頭脳の髄を生かし、敵ACへと肉薄する。
 だが、届かない。無人である事を最大限に生かしたGを考慮しない運動で、敵ACはミサイルを回避する。
 同時に肉薄し、パルスライフルを構える。その銃口が光り、輪状のエネルギーを装弾する。


 しかし、それが放たれる事は永久になかった。
 突きつけられるショットガンの銃口。もし、ACに乗っている者がいたならば、戦慄を覚えた事だろう。


「間抜けめーーーッ!」


 パルスライフルの銃口が輝くより先に、ショットガンの散弾が発射。装甲の薄い無人ACが、それを受け止められる道理はない。
 直撃を受け、敵ACの機能は完全に停止。その上、それだけに留まらず、ジェネレーターの暴走までが始まった。
 ラジエーターの過剰運動が、エネルギーを臨界点にまで押し上げる。限界を超えたジェネレーターが、黒煙を吐き出し始める。


 それだけではない。ショットガンによる運動エネルギーを殺しきれず、ACは後方へと破損したパーツをばら撒きながら吹き飛んでさえいた。


 如何な正確なAIであっても、これだけの悪状況を覆せる筈がない。 
 無惨な様相を補う事すら叶わず、無人ACは背を地面に擦りながら倒れ、壁に衝突し、停止した。


 黒煙を噴きながら動きを止めたACに、かつての機動は見られない。ファントムは、止めとばかりにバズーカの砲弾を撃ち込み、敵ACを爆散させた。
 紅蓮の炎が、天空へと立ち上る。黒煙の混じるくすんだ紅色が、ストレイタスの五体を染めた。


「……やれやれ。これで終わりかね」


 ストレイタスのカメラアイを操作し、周囲を見渡す。阿鼻叫喚の惨状、MTの墓場とも言うべきその様を見やり、ファントムは口元を歪める。
 これだけやられれば、もう防衛戦力は残っていないだろう。後は、守り手を失った施設の残りを、ゆっくりと料理してやるだけだ。


「しかし、随分とまあ派手にやっちまったな」


 かなりの報酬が見込めるだろうな、とファントムは笑う。本当に俺はツイていると、胸の内より鎌首をもたげる衝動が抑えられなくなってくる。
 祝杯代わりに天空へとバズーカを打ち込んでみようか、と考える程、今のファントムは上機嫌だった。


「……ん?」


 背後より熱源反応がある。モニターに浮かび上がる表示に、ファントムの顔が怪訝げに歪む。
 その直後、ストレイタスの背後に高熱を纏った砲弾が直撃した。そんな弾を放てる武装は、ファントムの知る限り一つしかない。
 グレネードランチャー。現行のAC用肩武装の中でも、一、二を争う高火力兵器だ。


「なにぃ!?」


 ファントムは、慌てながらも正確にコンソールを弾く。ストレイタスが、ホバータンクの足より熱気を吹かし、旋回。その眼に、グレネードを放ってきた敵影を捉えた。
 遠く離れた上空に、全身をクレスト製のパーツで固めた漆黒のACの姿があった。
 肩に備え付けられた大型グレネードが、朝の陽光に黒光りし、カメラアイが陽光すら霞む赤い眼光を光らせている。


 覚えている。その姿を知っている。それは、かつてのトップランカーであるジノーヴィーの愛機、デュアルフェイスと呼ばれるACだ。
 だが、ジノーヴィーはすでに戦死している。ならば、ここにいるのは贋物だ。ファントムはそう結論し、バズーカの照準を敵ACへと合わせた。


「あー、なんつったか、いたな、そう言えば。確か……モリ・カドルだったか」


 引き金に指をかける。


「俺の気分を害しやがって。死ねよ贋物」


 砲弾が放たれる。



 * * *



 唐突ではあるが、ACのコックピットは単座である。
 単座とは、その名の通り一人乗りを想定して作られたものだ。情報処理能力の幅を広げる為に、複座型にされた大型MTの存在も確認されているが、ACは基本、単座型である。
 一人のレイヴンが乗る際に、戦闘において最適な扱いがこなせるようにと設計されたそれは、快適性とは無縁なものの、利便性においてはかなりのものを誇る。
 熱暴走を起こそうと肉体の稼動に最適な温度を維持し、ボタン操作や声一つでコンソールを叩かずとも、簡易操作が可能になる。
 
 MTのそれよりも膨大な情報を扱うAC。それを使いこなすには、レイヴンの能力も不可欠だが、その能力の足を引っ張らないコックピットの性能も当然重要なのだ。


 だが、今に限り、その当然は覆っていた。
 繰り返すが、ACのコックピットは単座である。断じて、複座ではない。


 だというのに、人間が二人乗り込めばどうなるか。その結果が、これだった。


「狭いよ苦しいよジナイーダ!」
「黙ってろ!」
「痛いんだよ!」
「耐えろ、男だろう!?」


 そう喚き合う両者の体は、完全に密着してしまっていた。
 正確に言うならば、ジナイーダが単座の椅子に座り、モリ・カドルがその背後に押し付けられている。人間一人を収納するには十分なスペースも、二人はさすがに収めきれない。


 結果、押しくら饅頭さながらの様相となってしまった二人は、ピンチベックのコックピットの内部で不満を叫びあう。
 何はともあれ、狭い。お陰でジナイーダはレバーに満足に手を伸ばす事も出来ないし、モリ・カドルもコンソールに腕を伸ばす事が出来ない。


「大体、なんで乗ってくるんだ! 借りるだけだと言ったろう!」
「愛機を置いてくレイヴンがどこにいるんだよッ! それに、君にこの機体が使いこなせるものか!」
「この、言ったな! 真似事アセンが偉そうにっ!」
「そういう事を言ってんじゃなくて……って待って待って!」


 強化人間ではないジナイーダには操作できないんだ、と。そう言おうとしたモリ・カドルの口から、慌てて静止の言葉が飛び出す。
 だが、遅い。重量過多を解消せんとコンソール上を踊っていたジナイーダの指が、最後のキーを弾いてしまった。
 その意思を受け、ピンチベックは肩部に取り付けられていたグレネードをパージ。投棄し、自重を軽減させる。


「違うから! ああもうなんでそんな真似するんだ!」
「こんな重量過多の機体じゃまともに戦えない! だから装備を排除した。何の問題がある!?」
「だから僕が制動するんだって、うわぁぁぁぁ!」


 ジナイーダはアクセルを踏み込んだ。途端、ピンチベックはブースターに点火、急加速し前進する。
 その勢いに足を踏ん張りきれず、モリ・カドルの五体が前面へと傾斜、倒れこむ勢いのまま、ジナイーダの背を押し潰す。


 がごん、という鈍い音と共に、ジナイーダの額が機器に衝突する。幸い、機器にダメージはなかったが、額が衝撃によって赤く腫れ上がった。
 ゆっくりと、震えながらジナイーダは身体を起こした。振り返り、背後のモリ・カドルを憤怒の形相で睨みつける。


「キサマ……随分な真似を……!」
「わー今の無し無し僕の所為じゃないだろそれ!」
「問答無用だ! お前降りろ!」


 モリ・カドルの首根っこを掴み、同時に片手でコンソールを弾く。重い鉄の天蓋が開放され、朝日がコックピットに差し込む。
 尤も、モリ・カドルにそれを享受する余裕はない。危うく放り出されそうになるのを必死で堪えつつ、腕を振り払わんと暴れる。


「と、待てやめよう! このままじゃ二人とも落ち……」
「うるさいっ!」


 慌ててコンソールに手を伸ばし、モリ・カドルはコックピットを閉める。それとほぼ同時に、両者のバランスが崩れ、二人揃って倒れこんだ。


「…………」
「…………」


 モリ・カドルがジナイーダに馬乗りになる形になり、両者の目が点となる。時間が停止したような錯覚の中、無言のまま視線を交わし続ける。
 ジナイーダの眼差しから逃れるように、モリ・カドルは視線を下ろす。その先には、コンソールを今なお掴んでいる右腕があった。


 ――否。あまり平面過ぎて気付いていなかったが、それはコンソールではなく。もしかすると、もしかして、ジナイーダの?
 思わず手を握ると、あるかないかの微かな、しかし柔らかい胸の感触。それと共に、ジナイーダの顔が真っ赤に染まった。


「……よっぽど死にたいらしいな」
「……えーと、不可抗力! 事故! 無罪でゲフォッ!?」
「うるさい黙れ息するな!」
「暴力反たゲホォッ!??」


 釈明の余地なく、モリ・カドルはジナイーダの渾身の蹴りを腹に叩き込まれ、悶絶した。
 

「普通だったら銃殺しているところだ。運んで貰った恩があるから殺さんが……」


 拳銃を引き抜き、突きつけながらも、その顔はまだ微かに赤みを残していた。


 呆れたように拳銃を収めつつ、ジナイーダは椅子に座りなおすと、モニターへと視線を戻す。コックピットの中の喧噪を意に介さず前進していたピンチベックの目に、戦場の惨禍が捉えられた。
 倒れ伏すMTの山と、僅かに血を染める赤い肉片。崩れ落ちた施設、瓦礫に埋もれた戦闘機。その全てが、見る者に忌避を覚えさせるに十分な惨状を示していた。


「こ、れは、ひど、いね……」


 激痛に顔を蒼白にさせながらも、モリ・カドルは呟いていた。ジナイーダも同じ思いなのか、唇を強く噛んでいる。
 それも当然。彼女の受けた依頼は研究所の防衛だ。それが果たせなかった自責は、他の誰よりも強かった。


「ファシネイターを取りにいく暇は、なさそうだな」


 呟きつつ、ジナイーダはコンソールを弾く。拡大されたカメラアイが、瓦礫の王国の中で唯一五体満足の姿を保っているACの姿を見つける。
 ホバータンク型のAC、ストレイタス。緑色の威容を炎の色に染め上げたACが、勝利を祝うかの如く、天空へとバズーカを掲げていた。


「……チャンスだ」
 

 ジナイーダは肩武装を起動。グレネードを構え、照準を合わせる。
 グレネードランチャーは、AC用武装としては反動が強すぎる為に、構えが必要となっている。
 ACにとって重要な機動性が失われるという欠点は大きいが、それを補いうる圧倒的な火力が売りだ。


 故に、相手が油断している間に初撃だけでも叩き込めれば、それだけで十分な効果が望める。
 如何な重装甲を誇るタンクACとはいえ、グレネードの直撃を受けて平然としていられる筈がない。


「ま、待って」
「……なんだ?」


 背後の声に振り返り、怪訝そうな眼差しでモリ・カドルを見つめるジナイーダ。
 その鋭い視線に萎縮しつつも、モリ・カドルは戸惑う事無く腕をコンソールへと伸ばした。


「いや、胸触るつもりないから。そんな薄いものに触れるなんてよっぽどの事故がなければいやナシ今のナシ! ほら、敵がいるから暴れるのナシ!」


 胸を隠しながらねめつけ、すね蹴りをかましてくるジナイーダに釈明の言葉を返しつつ、モリ・カドルはコンソールを叩く。
 残像さえ見えかねない高速タイピングに、ジナイーダの眼が驚愕に見開かれる。


 モニターの片隅で流れるプログラムコード。記載されていく情報の数々が、ピンチベックの駆動に影響を及ぼす。
 光ファイバー製の神経、インプラントを埋め込まれた脳が灼熱するような錯覚を覚えつつ、モリ・カドルは指を動かす。
 その主の興奮を受け止めるかのように、ピンチベックのカメラアイが一際強く煌いた。


「これで、よし……」


 グレネードランチャーの自重を、繊細な足運びで捌きつつ、ピンチベックが立ち上がる。
 無論、ランチャーは構えられたままだ。折りたたみ、格納しているわけではない。照準も、標的であるストレイタスに合わせられたままだ。


 これこそが、強化人間の能力の一つである、キャノン制動能力の強化である。


 本来、構え撃ちでなければ反動を殺せないキャノンを、通常の状態で使えるように調整するこの力は、状況に応じての繊細かつ的確な調整が必要となる。
 理論上は可能とされていたが、、到底人間にこなせる所業ではない。


 だが、強化人間の身体能力はその不可能を可能にする。的確なバランス調整、滞空しつつ姿勢を制御する機械のそれよりも柔軟かつ正確な動作。
 それこそが、強化人間が恐れられる要因の一つだった。


「こうやって、僕がプログラムに手を加え続ければ、ジナイーダでもキャノンが使えると思う」
「お前……プラスだったのか……」
「出来損ないだけどね。プログラムの力を借りなきゃ、ろくにキャノンの制動も出来ない」


 自嘲するように呟くモリ・カドルに対し、ジナイーダは首を横に振った。
 微かな驚きを眸の色に乗せるモリ・カドルに対し、ジナイーダは口を開く。


「だが、取り得がないわけじゃないだろう。助かった、正直ライフルとブレードだけでは心許なかったからな」
「もしかして、もう片方のグレネードもパージするつもりだった?」
「当たり前だろう。タンクに勝つには機動性が重要なんだからな」


 その言葉に、モリ・カドルは笑った。
 そこには、人の機体を勝手に使って、という憤りよりも、むしろ賞賛があった。


「じゃあ行ってくれジナイーダ。姿勢制御は僕に任せてくれて構わない」
「逃げるなよ」
「逃げないさ。ここは立ち向かう場面だ」


 ジナイーダは口の端に笑みを浮かべると、アクセルを一息に全開まで踏み込んだ。後ろから伸ばされるモリ・カドルの手にコンソールを任せ、ピンチベックの操縦へと集中する。
 上空に飛び出し、ストレイタスの背後からグレネードを射撃。太陽のそれにも匹敵せんばかりの熱陽が、ストレイタスに直撃する。
 同時に武装を変更。速射ライフルによる追撃によって、ストレイタスの顔面を狙う。


 反撃とばかりに放たれる、ストレイタスのバズーカの砲弾が、ピンチベックの装甲に的中した。
 だが、姿勢は崩れない。モリ・カドルの正確な姿勢制御によって、ピンチベックはバズーカの反動を殺す事に成功する。


 放たれるショットガンの散弾を交わし、ピンチベックはライフルを発射。ピンポイントで頭部を狙ってくる相手に、ファントムは苛立ちを露にする。
 タンク型ACにとって、目はともすれば火力よりも重要なものだ。機動力のないタンクだからこそ、視界が最も重要になる。
 なにしろ、目がなければ敵の動きも判別出来ないし、追う事も出来ない。十分な機動性を持たないタンクだからこそ、その事実は死活問題となる。


 それを、相手は見抜いている。先程の無人ACに感じたものよりも強い戦慄を、ファントムは覚えた。
 加え、ここまでの戦闘で残弾数は心ともない量にまで減っている。この状態でACと戦うのは、自殺行為だ。
 だが、退くような真似はしない。彼はレイヴンだ。即物的な金を求めているとはいえ、誇りはその胸の内に息づいている。


 故に、防御に移るなどという真似はしない。相手の攻撃を受けながらも、より高い火力で敵を殲滅する。
 肝が大きいだけではない。死の恐怖、そのリスクを知りつつも、なお覚悟を決めるという意思。それこそが、ファントムというレイヴンの真価だった。


 ストレイタスの肩部に装備された小型ミサイルが、最大同時発射数の限界、六発を放った。
 追尾の機動に白雲を残しつつ、その牙を突き立てんと飛翔する六連星。それが、ピンチベックのレーダーに映し出される。


「モリ・カドル!」


 ジナイーダの声にモリ・カドルは頷くと、コンソールの上に置いていた指を走らせた。モニターの片隅に火が灯り、迎撃システムが機動する。
 放たれた迎撃ミサイルが三つのミサイルを叩き落とす。だが、それだけには留まらない。
 強化人間の能力によって迎撃効率の上がったACである以上、ピンチベックはミサイルに掠る事すら許されない。


 迫る三つの犬歯を折らんと、コアに備え付けられた迎撃レーザーが放たれる。
 威力を絞り、弾速のみを重視したレーザーが、三連に迫るミサイルの全てを、その閃光で焼き捨てた。


 ミサイルは効かないと判断したのか、ストレイタスがショットガンを構える。だが、空中に位置するピンチベックに、その弾は届かない。
 放たれる散弾は、一、二発を掠らせるに留まり、逆に相手に反撃の機会を与えてしまう。


 ピンチベックのブースターに火が入る。先程まで点いていた火に火が重なり、炎となる。
 自重に似合わぬ速度を以って、ピンチベックは再び飛翔。空中に青い軌跡を残しつつ、ストレイタスへと接近する。


「このっ!」


 ストレイタスの上空を飛び越えつつ、ジナイーダは眼下に向けてトリガーを引き絞る。
 ライフルより吐き出される対AC弾丸は合計四発。その全てがストレイタスの頭部へと的中し、相手のカメラを破損させる。


『舐めるなッ』

 
 近距離で通じ合った通信波に、敵レイヴン、ファントムの怒号が乗る。担い手の怒りを体現すべく、ストレイタスの肩に備え付けられた軽量型グレネードが構えられた。
 ストレイタスの装備するグレネード、CR―WB87GLLは、軽量化するに当たっての威力軽減を補うべく、二連射を可能とした画期的なグレネードランチャーだ。
 総火力で大型グレネードに劣るとはいっても、瞬間火力ならひけを取らない。直撃すれば、数発でACすら沈める業火の大砲である。


 狙いが甘いという欠点こそあるが、それは愛用してきたファントム自身が最も熟知している。故に、定石どおりに相手に避けさせる筈もない。
 ファントムがトリガーを引き絞るやいなや、ピンチベックのそれにも劣らない轟炎が放たれた。だが、その機動は空中を行くピンチベックには命中しない、地上スレスレの距離である。


「外した?」
「いや、違う!」


 気を緩めるモリ・カドルを叱咤し、ジナイーダはブースターを点火した。ピンチベックが、勢いよく後退する。
 だが、間に合わない。ジナイーダの顔が、焦燥に歪んだ。


 ストレイタスの放ったグレネードは、ピンチベックに当たる事無く、地上へと着弾した。
 だが、爆風が広がり、ピンチベックの足を、さながら蔦のように絡めとる。空中を行くピンチベックの姿勢が、大きく崩れる。


 体勢を崩し、機動性を失ったACなど、ただの的でしかない。ファントムは必中の確信と共に、グレネードのトリガーを引き絞った。
 大型グレネードのそれよりも遥かに短い間隙を縫って、発射される第二の明星。それは、回避運動すらままならぬピンチベックに、一直線に突き進んでいく。


「ジナイーダ!」


 モリ・カドルは、グレネードの光を確認するやいなや行動を開始。
 光ファイバー製の神経が、人間のそれを上回る速度で身体に命令を伝達し、その指運びがピンチベックを再び駆動させる。


 だが、爆風の衝撃は未だ消えず、如何なモリ・カドルであっても回避運動を取れる程に姿勢を立て直す事は出来ない。
 故に、彼はピンチベックにグレネードを構えさせた。


「引き金を!」


 モリ・カドルの叫びに応え、ジナイーダは引き金を引き絞る。紅蓮の炎が点火され、ACの兵装の中でも最強と言われるその御名に、相応しい魔弾を発射する。
 ストレイタスのそれが轟炎なら、それはまさに獄炎。放たれる真紅の閃光が、迫り来る脅威を打破せんと中空を迸る。


 轟音が、天空と大地。戦場の遍く全てを揺るがす。
 グレネードとグレネード。中空で二つの明星が衝突し、両機の間に一瞬の太陽を作り上げた。


『なんとぉぉッ!?』


 ここに来て、ファントムは戦慄を覚えた。
 なにしろ“見えないのだ”。先程ライフルによって潰されたメインカメラは機能せず、彼に視界を与えているのはストレイタスのコアに付属するサブカメラである。
 それが、二つのグレネードの激突による閃光の光度を捉えきれず、目潰しされる形になっている。モニターに移るのは雪の如き真白のみ。


 カメラが、機能していない。
 機動性のないストレイタスにとって、これは致命傷だ。なにしろ、機動性を補うべき火力と視力の双輪のうち、片方が潰れてしまったのである。
 一つの車輪でまともに動けるバイクがないように、視界を潰され戦えるACも存在しない。


 だが、それでもファントムの勘が訴えていた。敵のAC、ピンチベックが肉薄してくるその気配と殺気を。
 それを迎撃せねば、死ぬのは自分だと。


『殺ぁぁぁぁらいでかぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!』


 装甲越しに感じる殺気。それだけを頼りに、ファントムは武装の照準を合わせる。グレネードは先程のそれで弾切れを起こし、バズーカも残り一発だ。
 故に、掛けるべきはショットガン。相手が肉薄するその瞬間に、全てを掛ける。


 ファントムは、バズーカのトリガーに指を掛けた。当たらずとも、この一撃は次撃の布石となる。
 動きを封じ、ショットガンを叩き込む。それこそが、ファントムの狙いだ。


「くのっ!」


 迫るバズーカの砲弾をモニターに捉え、ピンチベックはブレードによって切り払う。
 先程まで溜め込んでいたエネルギーがリロードさえ、ジェネレーターのエネルギーが充填され始める。


 目前には、ショットガンを構えるストレイタスの姿。その引き金が引かれる前にブレードを放てば、ストレイタスは沈黙する。
 だが、それはあり得ない可能性だ。故に、ジナイーダはモリ・カドルに問いかける。


「……いけるか?」
「いけるさ!」


 よし、と頷き、ジナイーダはアクセルを踏み込む。最後の輝きとばかりに速度を上げるピンチベックが、ブレードを構える。
 ダガーと呼ばれるそれは、射程と引き換えに熱量を上昇させた一撃型のブレードだ。瞬間のダメージであれば、かのムーンライトすら超越する、クレストの傑作である。
 その一撃を受ければ、いかなストレイタスとて生きてはいられない。


 ストレイタスのショットガンから、散弾が放たれ、直撃する。対AC弾、約十発にもなるそれを受けて、よろめかないACはいない。
 故に、ファントムはストレイタスに第二射を構えさせる。追撃し、止めを刺す為に。


『っ!?』


 だが、よろめかない。ピンチベックが、よろめかない。
 どころか、ますます速度を増して迫る。その感覚を、ファントムは肌で感じ取る。


 だが、それはその実、当然の事だ。強化人間であるモリ・カドルが、姿勢制御に専念しているのである。
 今のピンチベックの安定性は、四脚ACにも匹敵する。それが、生半な一撃で五体を揺るがす筈がない。


「いけえええええええ!!」
「おおおおおおおおおお!!」


 二人は雄叫びを挙げる。その叫びと共に、ダガーブレードの鮮烈な赤光が輝き。
 ストレイタスの胴体を、右から左へ、横一文字に薙ぎ払った。


 胸部装甲に閃光が一文字にちりばめられる。上昇しすぎた機体温度に、まともな稼動すらもが困難になっていく。
 だが、まだ諦めない。赤銅色の火花を散らしてなお、ストレイタスはショットガンを構えんとする。


「しつこいっ!」


 薙ぎ払った勢いを利用して、ピンチベックは一回転。ライフルを構えなおし、ストレイタスに叩き込む。
 それが、終焉。戦場の惨禍を生み出したストレイタスは、自身の身体をも鉄の墓場へと埋めた。


 だが、ピンチベックもそれが限界。重なる無理が祟り、地面に膝をついて沈黙する。


『チィッ、ツイてねえ』


 舌打ちと共に、ファントムはコックピットを開き、脱出。ストレイタスを降り、その場を後にした。
 それを追う余裕は、ジナイーダにも、ピンチベックにも、モリ・カドルにもなかった。



 * * *



 オーライオーライ、という声が聞こえる。MTの残骸を移送するトラックが、せわしなく行き来する。
 それを、眺める人影が二つあった。


 モリ・カドルとジナイーダである。


「結局、ファシネイターの出番はなかったね」


 肘鉄を叩き込まれつつも、モリ・カドルの表情は明るい。だが、それも一瞬の事。視線に戦場の傷痕を収める度、その顔が後悔に歪む。


「……気にするな。お前はお前の為すべき事をした」
「……そうだね。うん。そうだ」


 戦いの熱が冷め、モリ・カドルの表情に熱はない。
 だが、その顔は引き締まっている。先程までの逃げ腰は、もうそこには見られない。臆病であろうとも、その顔は戦士のそれだった。


「君のお陰だ。ありがとう、ジナイーダ」
「な、なんだ。急に」


 唐突に礼を言うモリ・カドルに、ジナイーダは照れたようにそっぽを向いた。
 くすり、とモリ・カドルは笑う。豪放ではない、女々しいとさえ言えるかもしれないその笑みは、しかし確かな暖かさを以ってジナイーダの胸に響いた。


「……全く。これだけの損害を出しては赤字だな」


 誤魔化すようにジナイーダは呟く。その目は、破壊され、瓦礫の山と化してしまった施設へと向けられている。
 旧世代技術研究煉はほぼ壊滅。残っているのはAMIDAを開発している生物研究煉だけらしい。迎撃施設も、その大半がやられたとの事だった。
 アライアンスの援護があれば、こうはならなかったのだろうが、と所員の一人が嘆いていた。


 尤も非合法の研究を行っていたのだから、アライアンスの援護がなかったのはキサラギの自業自得ではある。施設の崩壊も、必然だったと言えなくもない。
 だが、ジナイーダにとってはそう分かっていても気になる事があった。


「プラスになった人間は、定期的に治療が必要だと聞いている。お前は、ここで受けていたのか?」
「うん、まあ、そうだね」
「……守れなくて、すまない」


 ジナイーダはモリ・カドルに向き直ると、目を伏せ、小さく頭を下げた。
 その奇異な行動を受け、モリ・カドルは狼狽する。


「いいさ。離れるいい切っ掛けになる。ここでの実験は、嫌だったしね」


 慌てて吐き出した言葉は、それ故に彼の心中の本心を示していた。
 その事実に気付き、モリ・カドルはしばし凍りついた。自身の言葉を噛み締めるように、口中でもう一度呟く。


 そして、決意の色を顔に乗せ、頭を下げるジナイーダに語りかけた。


「医者に掛からなきゃいけないのは本当だけど、後から探す事も出来るだろうさ」
「そうか。そうだな……」


 ジナイーダは、その美貌に笑みを乗せた。それは冷笑でも嘲笑でもない、彼女の美貌に相応しい、花のような笑みだった。
 どきり、と鼓動する心臓に、モリ・カドルは再び狼狽する。戦場にいるわけでもないのに、鼓動が早まった不可解を感じる。


「……私は次の依頼があるから先に行く。お前は、どうするんだ?」
「あ、と、ん……とりあえず、本部への移動命令が出たから、向かおうかと思ってる、けど……」
「そうか。じゃあここでお別れだな」


 ジナイーダは、右腕をモリ・カドルへと差し出した。白い手が、朝日を受けてより白さを際立たせている。
 モリ・カドルは、その手を握った。強く、だが傷つけないように注意しながら。


 そうして、十秒の握手を交わし、ジナイーダはモリ・カドルから離れる。その顔には、変わらぬ笑み。
 モリ・カドルはどうするべきか逡巡した後、笑みを浮かべる事にした。ジナイーダの笑みが、ますます深くなった。


「生き残れよ。もし生き残れれば、お前にいい医者を紹介してやれるだろう」


 そう言うと、ジナイーダは颯爽と踵を返し、自らの愛機、ファシネイターの下へと向かった。
 その背を、モリ・カドルは呆然と眺めていた。


 遠ざかり、小さくなり、ファシネイターが立ち上がり、そして研究所から消えた後も、モリ・カドルは見つめ続けていた。


「……よし」


 そして、しばらくが経った頃。頬を張り、気合を入れなおしたモリ・カドルは、自らの愛機ピンチベックへと向かった。
 ジナイーダと共に戦った時の傷が、朝日の中、誇らしげに煌いた。


 その肩に幸運の証が留まっていた。幸を呼ぶという青い翼が休められている。
 飛び立つ時は、まだ遠い。


 
 ――バーテックスの襲撃予告時間まで、残り二十三時間二十分。






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