一人目のレイヴン襲撃に合わせてハッキング開始。ダミーを各所にばら撒いて中央コンピューターに潜入。
たった一つ、たった一人のプログラムでもできる事はある。
餅は餅屋、電子情報体となったモリ・カドルはメインコンピューターの処理速度を利用して一つっきりの頭をフルに回転させてダミー製作のスピードを上げる。
敵はアライアンス本部内に三つに分けられて活動を続けるアライアンス諜報部と今やアライアンスの頭となった研究部。
狙うは研究部のコンピューターの全権。これまでに何百何千のダミーを撒いてゴミ箱から高速で研究部のホストコンピューターに辿り着いた。
ウイルスを大量に作成して流し込むと同時に更に奥深くを目指す。
何回も諜報部のセキュリティーにつかまりそうになったが、そのたびに論理爆弾を設置起爆。
何百何千のダミーをばら撒いても敵は何千何万の追っ手を用意する。一つ一つを相手にしていたらキリがないし、たった一瞬でもつかまったらアウト。
一瞬も気を抜くわけには行かない。敵は人間でしかないくせに数だけでなく腕もすごい。論理爆弾で一気に殲滅しようとしても爆破地点を一瞬で隔離して余波を撒き散らさない。
足跡はいくつもの場所に残しているが、それでも何千分の一かは正確にこちらの居場所を突き止める。
本部と最近多額の資金をつぎ込んで作られた隔離研究施設が繋がっていれば面倒な真似をせずに済むのだが、研究施設はよっぽど重要なようで、ネットの一本も外につなげていない完全な無菌培養だった。
といってもそこで何がされているかをカドルは知っているし、止めなければ面倒な事になるのを知っている。今回の作戦の最大目標だ。
研究部のホストコンピューターに忍び込んでも研究部の人間は暫くは気づかない。彼らは実験の末に作られた無人AC、MKシリーズのデータ最終にてんてこ舞いだからだ。
奴らはバカな事に待機中のM(モリ)K(カドル)シリーズの二分の一を正面、最浅部からの襲撃者に回している。
遠くまで飛ばしたデータの観測は時間がかかる。光の速さで伝達が行われるといっても、カドル自身も光の速さで活動している。五分と五分だ。
研究部のホストコンピューター中心部には巨大な壁がある。その巨大な壁は特殊IDとパスの両方を入力する事で解けるものだが特殊IDを持つものは少なく、カードによる通知でデータとしては残っていない。
さすがに餅屋と言えどもひび割れた鏡餅にはてこずるものだ。カドルは立ち往生する。その間にも何百のセキュリティーシステムを論理爆弾で撃墜しなければならない。
ダミープログラムとウイルスを念入りに撒く。中心点を決して気取られないように様々な場所にダミーのダミーまで置いて準備を整えてからスピーカーをハックする。
音声作成。
本来、人間は自分の声を正確に聞き取る事は出来ない。絶対に周囲の人間と自分の知覚する自分の声には差異が出る。
その原因は周囲の人間が大気を通じて音を感じる事と肉体の振動の入り混じった声の違いだ。耳を塞いでしゃべってみるといい。いつもより低い声が聞こえるはずだ。
というわけでカドルは自分の声を聞いた事がなかった。が、それは自分に肉体があった時の事だ。情報体となったカドルには作戦部に残してあった音声ファイルを開く事など造作もない。
自分の声を1と0だけで表記し、完全に丸暗記していたカドルはその数字を直接プログラムに突っ込んで、誰の耳にも生前のカドルがしゃべっているように聞こえるプログラムを作った。
丁度その時、カドルの進入に気づいたスタッフが情報の収集を断念する。電子の道を最低限まで狭めて逃げられないようにした。追い込んでじっくり料理するつもりなのだろうがまだまだ甘い。
セキュリティープログラムの増援がなくなった今、カドルが身の保身に集中すれば肉ある者にその姿をつかむ事は出来なくなる。
「ホストコンピューターに侵入者発見! モリ・カドルの生存データだと思われます!」
カメラを一台間借りして部屋の様子を観察する。それ以外のシステムにはすべてID必須のロックがかけられていて、カドルは今つかまらない代わりに攻める事も出来ない状態にある。
調整無しの論理爆弾を投下すればコンピューター内のデータごとぐちゃぐちゃになってしまい、MKシリーズのプログラムとは永遠に連絡が取れなくなってしまう。光の速さで行動するカドルにも着々と減っていくMKシリーズの残機数表示は見えている。
「逃走経路を完全に封鎖、袋の鼠です!」
ばかめ、お前ら如きに捕まるカドル様ではない。スタッフが飛ばしたプログラムはダミーに付随した論理爆弾によって撃墜されていく。取り敢えずの身の安全は確保できた事を確認したカドルは、敵との取引に出る。
もっとも、この取引も時間稼ぎにしか過ぎなくなる場合もある。最低限ここでしなければいけないことはMKシリーズ指揮権の奪取だ。その条件だけを満たそうと思えばもう一組のレイヴン突入、コンピューターの接触まで待てばいい。隙さえあればカドルには威力調整をした論理爆弾を作成する自信があった。
その時は奪取したMKシリーズと自分、残ったレイヴンのみで過去の遺物を取り込んだレビヤタンを相手にしなければならなくなる。それだけは何とか回避したいが、口下手の自分に取引が成功させられるともなかなか思えない。
こんな時に思い切ったことが出来ないのがカドルである。最後の最後で踏みとどまってしまうのは自分でもよくないことだとは思うが、ジナイーダはそれでも言いと言ってくれた。
――それなのに僕はジナイーダを哀しませてばっかりだ。
二組目のレイヴン達の中にはきっとジナイーダも混じってくるはずだ。メインコンピューターを奪取した上で謝らなければならない。
『あー、あー、テステス、マイクのテスト中。みなさん聞こえてますか』
そのマイペースな物言いが挑発になった。
袋の鼠だと思っていたカドルを捕らえられないスタッフたちが躍起になってキーボードを叩きまくる。
一瞬で研究部は戦場になった。
爆弾投下、爆発、隔離、ダミー、防壁、ウイルス。
四方八方手を尽くした情報戦の全てにカドルは紙一重で打ち勝ち、その上で話しかける。
『あなた達に取引を提案したい』
その声をまともに聞いてる奴なんてせまっこい部屋の中で一人しかいない。
冷たいツラにフレームレスの眼鏡をひっかけた髪の色の薄い男。まるで凍りそのもののような瞳は何時見てもぞっとする。
つい一昨昨日、親を自らの手で殺しておいて出来る表情じゃない。親を殺すという所業そのものが鬼の所業だと言うのに、その事実を眉一つ動かさずに認めてしまう男は精神が最早人間ではないとカドルは思う。
男はレビヤタンの改造計画にも一枚噛んでいて、既にアライアンスの裏のブレーンだ。表に立っている各企業の責任者連中なんてもう遺影ぐらいしか残っていない。
人鬼誅すべし。
カドルはコンピューターを乗っ取った暁にはこの男を殺す事を決意している。それは自分が本物の人殺しになる事と同義だが、イカレた冷血漢を目の前に置かれて黙って見てられるカドルではない。
メガネを中指で押し上げて、表情の見えない目を正確にカドルがハックしたカメラに向けてくる。一瞬で気づくなんて凄い。
「いいでしょう。そちらの要求は?」
『MKシリーズの開放と指揮権の譲渡。レビヤタンの破壊だ』
氷の目だけがニイと笑う。爬虫類に似ていて気持ち悪い割りに顔は変形しない。矛盾してる。やはり人外に違いない。
「アレは大事なものなんでね、あなたに渡す事は出来ない。そもそもココまで自力でこれるあなたの事です、指揮権ぐらい強引にとって行っては?」
――コイツ
プロセスがバグって気持ちが高ぶった。こんな状況で挑発なんて大した根性じゃねえか。こっちが出来ないのを知っていて言ってるんだろうがこっちにもまだ保険がある。
それにコイツは人間の感情処理と経験処理と肉体処理の密接な関係に対する知識を持っていない。この世界の中でそれを正確に理解しているのはカドルただ一個だ。
その上ならば物量作戦だろうがなんだろうが本物のレイヴンには通用しない。何をしたってレイヴンはレイヴン以外のものには負けない。ジノーヴィーだって、カドルが今まで見てきたレイヴンだって皆そうだ。
その時だった。スタッフが悲痛な叫びを上げる。
「ジャミングです! もう一組の侵入グループがL5ブロックから!」
薄暗いコクピットの中、薄緑に照らされた男がイヤホンを外す。
全てを聞いていた男は組んでいた腕を解いて、右腕左腕に対応したレバーを握る。計器類に順々に火が灯って、最後にモニターが閑散とした地下ガレージ内を映し出す。
明るくなっても依然男の目元には暗い影が取り付いていて、彼の笑いを不思議に演出する。
薄暗いコクピットなのにどこか明瞭、どこか単純明快としたものを感じる。
それは強さを求める意思と弱肉強食の理だ。
強い、最も強いといわれた男とやっと戦える。その男と戦って勝って、ドミナントもイレギュラーも関係無い最強の存在に自分はなるのだ。
簡易電算室から端末を引っ張ってきて助手席に固定する。
ちんまいキーボードで様々なデータを入力して、ジャウザーからぶんどったアンテナを通した長距離用の強力な電波にウイルスを乗っけて無差別に射出。
一応敵味方識別は出来るようにセットされたウイルスは光の速さで搬入通路のあちこちを反響しながらどんなに小さい端末の入り口も見つけ出して、その身を無理矢理ねじ込む。
結果、一つの端末を通して増殖したウイルスは伝染病のように管理局のコンピューター内部を跳ね回る。
その際、ウイルスはスピーカーに接続して音楽を流すように細工されている。セットされた種類の音楽ファイルは全部人類が地下に引っ込む前のレアモノばっかりで、ついさっき流れ始めたのはドヴォルザークの新世界より。
その音楽でウイルスが正常に機能した事を流した主に知らせるのだ。
新世界よりドヴォルザークの故郷であるボヘミアへ向けられた音楽は今、アライアンスの無い半年振りの新世界への狼煙となる。
アクセルを踏みつけて全速前進。
相手の本拠地だろうと何だろうと、宇宙まで突き抜けるクソ強い電波にとって穴倉の中を駆け回る事など造作も無い。その場合どこに情報が駄々漏れになるかわからないが、だからこそのジャミングでもある。
「ノブレス、ジナイーダ。表層部のほうでなんか騒いでるけど警備部隊がいなくなったわけじゃないからね、しっかり陽動よろしく!」
『……せとけ!』
『まかせ……!』
強い電波に逆らう比較的微弱な通信機の電波が届く。
ジナイーダの物言いが微妙に今までのイメージと食い違うが、今はそんな細かい事を気にしている時でない。
「ジャウザー君、しっかり護衛よろしく!」
『君なんて歳じゃありませんよ!』
トラックは相変わらずクソ程でかいがエンジンの馬力もクソ程でかい。千馬力なんて目じゃないぜ、百万馬力でも二百万馬力でも出してやる。
時速二百キロでかっ飛ばす十五メートル級トラックとその前を走るACが一機。
走るACは、青と赤の妙な色彩で方にはスラッグガンとミサイルを背負っている。追加ミサイルを肩先に引っさげて、左手にブレード右手にはENマシンガン。
ENマシンガンは巷では弱いとか役立たずとか散々な言われようだが、そういう奴らにとっては実はまだ見ぬ効能とやらがある。
通常、EN兵器は物理的な弾丸を浪費しない事により弾丸の費用がかからない程度に思われている。しかし広く知られてはいないがこの種の兵装には相手の制御系等を狂わす効果があるのだ。
ENマシンガンはその制御系等のバグの発生を最大限促すための装備である。小出しされるEN弾は一発一発では些細なバグしか発生させられないが、続けて当てるといくつものバグが重なり、最後にはオペレーションシステムの機能不全まで引き起こす。
ただ問題なのは、それまでジェネレーターの蓄電力が持たない事だ。馬鹿みたいにENを食べるせいで一般的には役立たずの太鼓判を押されてしまう。
そこで生まれたのがシーラお手製の携帯バッテリー、これを使う事でENマシンガンの連続使用が可能になる。ヘヴンズレイの右腰に引っ付いてる箱の事だ。結構な重さだが、それに見合うだけの効果はある。
ENマシンガンからは太いチューブが何本も右腰のバッテリーにつながれていて、いつでも戦闘に入れる状態にある。戦闘しなければいいに越した事は無いが、最深部に警備部隊がいないなどありえないだろう。
ジャミングの効果により機能不全を起こした無人機銃座が首をがっくりとうなだれている。
無駄弾は使ってはならない。条件反射で撃ちそうになるが、その度に後ろを走るトラックからの『無駄弾禁止!』の声で踏みとどまる。
現在、L6区画のS通路。Sはシークレットの略で、IDを持っている人間しか入れないが、ジャウザーのIDはまだ抹消されていない。ジャウザーのIDがあれば、警備部隊のいないS通路をL7まで使う事が出来る。
アライアンスの本部は三つある。表向き本部と指令本部と大本営の計三つだ。下っ端達は表向き本部でのほほんとしていて、アライアンスが最低でも三枚以上の岩でできている事すら知らない。
その事実は専属レイヴンのジャウザーだって戦術部隊に入るまで知らなかった事だ。
自分達が潜っている大本営は地下八階構成、つまりL8まで存在する。L8というのは研究部本部とアライアンスの脳みそともいうべき超巨大コンピューターが存在する。
その手前には各フロアへのID必須直通通路があって、そこはメインターミナルといわれている部分だ。他にも少数の物資を搬入する時だけ使うサブターミナルがあって、今ジャウザーとシーラが目指しているのはそっち。
IDにはレベルが設定されていてカドルのIDはレベル7、カドルは地下七階までは自由に出入りできるわけだ。
ただそこから先はジャミングの力を借りる事になる。
三叉路が見える。あらかじめ用意したマップには進入経路が赤く塗りつぶされている。
それによれば右の道を行くべきだ。
カドルのIDを使って物資搬入エレベーターを使う。それによって一階から五階までのセキュリティーは相手にしなくてもいいわけだ。
ただの陽動ならばL1から突っ込むのもアリだとは思うが、シーラ達とあまり離れすぎると寧ろ彼女達が見つかりやすくなる。
だったら固まってL5まで降下して一気に攻め入ったほうがいいとジャウザー除く全員が言ったのだった。
三対一、最大限民主主義的な解決方法によってL5まで降下することが決定して、最大限の隠密行動可能な面からジャウザーとシーラがサブターミナルを通じてメインコンピュータールームへ、ノブレスとジナイーダが正面突っ切ってメインターミナルを通ってメインコンピュータールームへと行くことになった。
やたらに大きい搬入通路を一列になってファシネイターとカラスが通過する。
ファシネイターは右腰にヘヴンズレイのよりも更に小さいバッテリーと左腰にマシンガンのマガジンを三つ格納している。
カラスはマガジンの予備は持たないで、左腰に直列繋ぎのブレードと右腰に杭を四本。
ファシネイターにバッテリーを持たせるのはあまり得策ではないと諸兄は思うかもしれないが、これにはちゃんとワケがある。
銃というのは火薬により弾丸を発射するものの総称で、ライフルとはバレルを何倍もの長さにして弾丸を加速させて貫通力を上げたものだ。
レールガンというのは電磁加速の力で弾丸にそのバレルが何倍と言わず、何十倍にも錯覚させる装置なのだ。
ハンドレールガンの短所はそこにこそある。極限まで小型化したせいで回路が縮小されすぎていて、電磁加速のための電力が足りなくて弾丸のスピードが低下する。
それを補うのが今回の装備の小型バッテリーである。過剰電圧に耐えられるためのレールガン本体の回路の強化はもちろんのこと、レールガンのキモともいえるレールの部分に直接バッテリーを接続して無茶な電圧をかけるのだ。
電磁加速の力はこれで今までよりも更に強くなるはずである。速度は落ちるが屋内戦闘でならそこまで重要でもないだろう。
L5まで一気に降下してガッチガチに構えながら進んでいたノブレス達だったが、敵が全然見当たらない。
なぜかと最も電子機器を積んだトラックに乗るシーラに聞けば、今二階で暴れているやつがいるらしいとのこと。
盛大な暴れっぷりで随分と上等な囮っぷりを披露しているらしい。セキュリティーのほとんどがそっちの迎撃に向かっているから静かなのだ。
それでも警備が全く無いわけではない。さっきは機銃座があったし、通路を巡回中のMTを二機屠った。気づかれる前にやったので、他のヤツには連絡がいってないはずだし、そろそろジャミングが始まった頃だろう。映像だって届かない。
カラスもファシネイターも通信オンどころか外部音を全部拾う事が出来るまで音に関してオープンにする。
突然搬入路の各所に設置されたスピーカーがブツリブツリ、と鳴ったかと思うとドヴォルザークの「新世界より」が流れ始める。
「新世界より」はアントニン・ドヴォルザークが作曲した、4楽章からなる彼の9番目の交響曲である。ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」、シューベルトの交響曲第7番「未完成」と並んで「三大交響曲」と呼ばれることもある。
この曲はドヴォルザークが新世界より故郷ボヘミアへ向けた曲らしいが、ならばドヴォルザークとは新世界を知っていたのだろうかと思う。
無論、知っていなければそんなものは流せないのだが、ノブレスはこう思うのだ。
古き良き世界に新しい世界を巻き込むなど言語道断。
ドヴォルザークは一種の罪人だと思わないでもない。開発してはいけないものだってある。
そんなことは知ってか知らずか馬鹿みたいに強い電波が後方から襲来。無線が勝手に開いて、
『ノブレス、ジナイーダ。表層部のほうでなんか騒いでるけど警備部隊がいなくなったわけじゃないからね、しっかり陽動よろしく!』
「まかせとけ!」
敵がいれば、の話だが。
「まかせなさい!」
とこっちはジナイーダ。今までとは印象の違う声だった。データの高低で確認できるような違いじゃなくて、柔らかいと言うか明るいと言うか。
どう表現すればいいかよく解らないが、彼女が何か吹っ切れたのは確かだろう。
通信回線は以降開きっぱなしに設定する。通信機の向こうからは
『ジャウザー君、しっかり護衛よろしく!』
『君なんて歳じゃありませんよ!』
それでも君がお似合いだ。きっとジャウザーはそんな星の下に生まれついているに違いない。
さして敵の反応も見えないままに地下六階への下り坂に出会う。
本当に警備部隊が見当たらない。ジャミングによって自動機銃座の全てが沈黙してしまってるようで、今にも動きそうな体をさらしたままに天井からぶら下がっている。
白っぽい搬入路はどこへ行っても代わり映えがしないし、扉も注意して見つめなければ扉とはわからないほど素っ気無いものだった。
とても天下のアライアンス様の本部とは思えないが、事実そうなのだから仕方が無い。大体、こんな巨大な施設があること事態がなかなかに珍しい。
シーラのトラックから飛んでくるクソ強い電波を間借りしてレーダーの電波を乗せて、索敵範囲の拡大を行う。
難しい操作が必要かと思いきや、ジナイーダに通信で教えられるとおりにやれば案外簡単にセッティングできた。どうやら自分はもっとACのことを知る必要が在るようだが、果たしてどうやってシーラにばれないようにそれを学習するかが問題だ。
レーダーの端のほうに敵が見える。ジャウザーからもらった本部の地図と照らし合わせれば、すぐにそこは下層への道を守護する何かであることわかる。
正面から突っ込んでくるようなやつがいるときこそ護衛は多く残しておくべきなのだが、人間と言うのはよっぽど設計に失敗した生き物らしい。ほとんどの警備が上層部の迎撃に血気盛んになっているようで、レーダーに光る光点はわずか三つのみ。その上残った奴らは敵に行くべき道を示している。
先行していたカラスがブレーキをかけて立ち止まって、片腕でジナイーダに待ったをする。ファシネイターもじきに立ち止まった。
カラスが止まった地点は丁度曲がり角のすぐ傍で、カラスは背中を壁に引っ付けて角の向こうを伺うようにしている。ACではそんなことをする必要なんて無いのだが、ノブレスはかなり無駄が好きなようだ。
角の向こうはマップ表示ではレーダーの外まで一本道。その一本道と重なったレーダーの先にはさっきも上げた三つの光点。
一ミリとも動こうとしない赤い光点は見ていれば、正体が何なのかはすぐにわかる。
そして拠点防衛とくればCR-MT06SBに決まっているのだ。
CR-MT06SBはその分厚い耐火防弾防刃の特殊シールドで拠点の守りを固める厄介なタイプのMTの一つだ。開けた場所では脅威でもなんでもないが、閉鎖空間では恐ろしいほどの防御性能をフルに使ってくれる。
特に一本道で盾を展開されると後ろに回りこむことが出来ずにかなりの被害を被ってしまう場合が多い。一人では。
今は二人いるし、この物資搬入路は横はAC一機半ぐらいしかなくても、縦にはACが二機は入る。それならばいくらでも料理しようがあるのだ。
「ジナイーダ聞こえてるか、まず俺が突撃する」
通信機が飛ばす電波は微弱で、後ろに向かってその電波を飛ばすということはバカ強いアンテナの電波に引っかかると言う事で、声がくぐもって聞こえるのは当然だろう。ジナイーダに声は届いてるだろうか。
返事が遅いように感じる。念のためにワイヤーを伸ばしてファシネイターと接触通信。
『この一ぽ―』
「ジナイー」
声が重なる。どうやら近距離なのでしっかりと聞こえていたらしい。それでも接触通信のほうが色々と便利だろう。ほら、何の影響も受けないし外に漏れないし。
『この一本道だろう。狙撃されるんじゃないか?』
「それを何とかするのがレイヴンだろうが。OBで先行するから援護しろよ」
りょーかい、と頷くジナイーダ。間延びした声がノブレスの知るジナイーダ像と食い違うが、やはりそれはきっとふっ切れたからだろうし、元からこういう奴だったと言う事だろう。
そのほうが好感が持てる。元からガチガチなのではなく、ガチガチに心を武装しただけの、やっぱり普通の人間できっと女の子だったに違いない。
嬉しい。人のいろいろな表情を知れた事をとても嬉しく思える。人と人とのかかわりはとんでもなく重要なのだ。
口元がほころんだ。そんな場合でないけど、リラックスしている。
リラックスしてると人間の脳は最大限の力を発揮すると聞いた事がある。そうかもしれない。今なら何だって出来る気がするのはきっと勘違いでもなんでもなくホントの事だ。
「ゴー!」
ぐるりと、器用に最短距離で片足を軸に半回転して通路にその姿を余すトコなくさらけ出してすぐにOBをチャージする。
通路の向こうにいるのはやっぱりCR-MT06SB。三機が一列に並んで三重の装甲になっているが、真上ががら空きだ。
こっちに気づいた一番前のCR-MT06SBが後ろのヤツに通信。ジャミング波に邪魔されていると言っても、そんなに距離が離れていないので、通信状態は良好な様だ。
二番目のヤツもきっと気づいてくれる。そうでなければ困るのだ。
OB点火、10Gを超える大加速が中の人間をむちゃくちゃに押しつぶす。ノブレスは安物の硬いリニアシートに押し付けられて、内臓が悲鳴を上げる。
そんなのなれっこ、そんなのなんでもない、そんなのぜんぜんくるしくない。ニュートンなんかクソして寝ろ。
押しつぶされそうになりながらもGに逆らって通常ブーストを起動、上昇する。通路の高さは四十メートルほど。MTの上をぎりぎり飛び越えられる。
MTのパイロットたちは状況に対応しきれて無いようで、あたふたしながら盾を真ん中から半分に割ってバズーカをむき出しにする。
――遅い!
10Gを超えているのだ。通常の反応速度でも間に合わないのにそんな悠長な動きが間に合うはず無い。
流れ流れていく景色は人間の知覚出来る情報量をとっくにすっ飛ばしていて、目では小学生が図工の時間に作った塗り絵みたいな風景しか見えないが、そうではない現実の冷静な情報を全て勘だけで処理する。
十五メートル越えのMTの頭に足の裏がこすれて物凄い音が響く。同時に頭も天井すれすれを通過して、淀んだ空気を丸ごとかき回した。
一機目と一直線に並んでいる二機目のMTまでブーストを維持しつつ、OBは停止。慣性の力だけでギリギリ二機目を飛び越えて埃を巻き上げながら着地する。
MTのパイロットに正常な思考なんて一片だって残っちゃいない。何も考えずに反射的にMTはカラスの後を追って視界を上に向ける。
盾は開いたままで上を向くMTは防御専用機体なのに驚くほど無防備で、殺してくれと言っているようなものだった。
バカにするでない、ジナイーダがいくらバカだと言っても援護の意味くらい知っている。
FCSなんてもう無用の長物とばかりにコードを全部引きちぎって、手動で飛んでいくカラスの背後に狙いをつけていた。
レールガンは電磁加速に時間がかかる。隙を考慮して早めのトリガーを引く。
追加バッテリーを装備してから初めてのレールガンの使用。どれだけの力が出るかは解らないが、取り敢えずは撃ってみれば全てわかる。
レールガンの三本の柱の真ん中、最奥部に小型の貫通弾を装填、バッテリーから砲身に直接、ジェネレーターから変換機と回路を通じてハンドレールガンへ。
電磁加速が始まる。おぞましいほどの光が弾丸に集中して、次に砲身全体を覆う。回転する。エネルギーが貫通力を増すためにコークスクリューのために回転する。
走る電子は力の象徴。全てを焼くための力が大量に集約されて弾丸は短いだけの砲身をその何十倍、もしかしたら何百倍までも錯覚したかも知れない。
打ち出された。
もしかしたらOBなんて目じゃないかも。10Gなんてけちくさい数字で測れるものじゃない。電光石火とは正にこの事だろう。
ノブレスは背を向けていたし、MTのパイロット達だって上を見ていてきっと気づかなかったはずで、見ていたのはジナイーダだけだった。
しかしわかる。電子の光を纏い、一つっきりの本物の火となってMTに一直線。
気づかなかったはずだ。驚くほどの無音空間はMTを完全に支配していて、聞こえるのはドヴォルザークの「新世界より」。MT乗り達にとってはきっと「死後の世界より」。
死んだと知覚することだって出来なかっただろう。雷光がコックピットを直撃、全ての装甲をやすやすと貫通して、運動エネルギーの大半を削られながらも二機目のMTを打ちのめす。
それだってノブレスは見てなかったし、今の今まで忘れ去られていた三機目のMTは目の前で仲間が死んだ事にすら気づかなかった。ただ、目の前に死神が二人もいるのだけが確かだった事だろう。
マイナスとマイナスをかけるとプラスになる。しかし死神と死神をかけても天使には到底なりっこない。
どうやら死神はマイナスではないようだ。死神は二人になっただけで状況は変わらない。
CR-MT06SBは盾を大急ぎで二つに割って、バズーカを突き出す。目の前に立っているだけなら仕留めようもあるはずで、避けられなかったら命は無い。さっさと死んでくれ。
アホくさい。死神は人間にどうこう出来るものじゃない。
カラスがマシンガンを乱射する。こっちもFCSなんて無視した完全手動射撃。腕を操作する事自体が至難の業なのに、動体に照準をつけるのはありえない。
弾丸は装甲を撃つ。バラける弾は一箇所に連続してダメージを与えようとしないでいて、痺れを切らした死神の右手が唸り始めた。
ノブレスが右のペダルを踏み込む。MTのバズーカの照準が合ってなくて、せっかく撃った弾は脇のほうの壁にぶつかって大穴を作った。
体を盾を開いたMTにぶつける。MTのパイロットは一々したことに驚いて、感知したままの接触回線から悲鳴が聞こえた。
でもノブレスの意識はそんな声は聞いてないで、目の前の敵を殺す事に専念する。
右手をコクピットブロックに押し付けてトリガー。
超高速回転によって生み出された膨大な熱は触れる前からMTの装甲を溶かし始める。前に進む力はないくせに回転によって生じる熱で全ての装甲を無効化して、勢いを失うことなく溶かし裂いてコクピットをついた。
杭に触れる前からその有機体は体を火に包まれている。腐臭があたりを支配する前に灼かれていく。あくまで人の形を整えていた燃えカスは杭の到達によって、胴体からぐちゃぐちゃに吹き飛ばされて空気に入り混じって飛んだ。
装甲がなくなった。回転する鉄が全てあの世へ連れて行く。
まさしく死神だと、銀色の死神が思う。
その一終了。その二へ続く。