突撃兵器の飛来は、世界中を疲弊させた。ナービス領だけではない。
遍く世界に広がった破壊は、さながら史実として伝わるかの大破壊のように、世界を廃墟に変えたのだ。
それは、世界を混乱と破壊の渦に巻き込むには十分だった。この混乱に乗じて権力を狙う者は後を絶たず、疲弊した企業にこれを防ぐ力は残されていなかった。
結果、時代は乱世となった。これの排除には企業の合併によって結成されたアライアンスがあたり、事態の収拾に努めた。
またバーテックスという組織が結成された事で、弱小勢力はそこに吸収され、情勢は次第に二大組織の戦争へと発展していった。
無論、道理も戦力もアライアンスが圧倒している。所詮は犯罪者予備軍を集めただけのバーテックスなど、法を遵守し、秩序で民の盾となるアライアンスと比べれば雲泥だ。
だが、それでもバーテックスが常識の範囲を凌駕する兵力を保有している事に変わりはない。
特に、アークを下敷きにしただけあって、レイヴンの保有量は圧倒的だ。腕利きの用いる一機のACはMT千機にも匹敵する。
それが奇襲作戦を仕掛けてくるのだから、これはMTでは倒せない。だから、相応の戦力が必要になる。
目には目を。
歯には歯を。
ACにはACを以って報復する。
そうすれば、万全だ。
所詮バーテックスなど烏合の衆。レイヴンさえ倒せば、後は蜘蛛の子を散らすように逃げていくだろう。そこをゆっくり打ち落としてやればいい。
そう。少年は考えていた。
少年に名はない。突撃兵器によって、家族の命とともに失われた。
ジャウザー。それが、今の彼の名だった。
「……こちらゴールディ・ゴードン、目標地点に到達した。送れ」
ゴールディ・ゴードンとは、ジャウザーの本作戦におけるコードネームだ。馬鹿正直に名前を呼び合うのは、機密性の高いミッションでは命取りになる。
故に、戦術部隊の所属レイヴンは、名前を交換して行動していた。
ましてや今回のミッションは重要だ。一度たりとも本来の名を出す事は許されない。
これは、まさしくアライアンスの、いや、全世界の命運を担う、重要なミッションなのである。
――エヴァンジェにバーテックスの内偵を行わせる。これは本部ではなく、戦術部隊の独断で行われる、一大作戦である。
戦術部隊の司令官であるエヴァンジェは、ジャックとの確執があるとはいえ、レイヴンとしての一流の実力で周囲の注目を集めている。
それが寝返るとなれば、バーテックスは嬉々として出迎えるだろう。
二十四時間後の攻撃宣言によって、てんやわんやの状態になっているバーテックスに、寝返りの裏を探る余裕はない。その実力を見込み、懐に入れる筈だ。
だが、スパイだという疑いもまた晴れないだろう。この作戦は、それを解消する為のものだった。
裏切ったエヴァンジェを、戦術部隊のレイヴンが追撃する。その光景を見れば、バーテックスもエヴァンジェを信用するだろう。
彼が、獅子身中の虫、トロイの木馬だとも知らずに。
『こちらエヴァンジェ。了解だ』
プリンシヴァルは戦死した。戦力は少ない。この作戦はギリギリだ。その緊張が、エヴァンジェの声にも滲んでいた。
此度の作戦において、エヴァンジェは名前を変えずに通信を行っている。
これから彼は寝返りを行うのだ。もしこの通信が傍受されていたとしても、疑われないように万全の態勢を整えておかなければならない。
故に、寝返りを行うエヴァンジェの名だけは、変えてはならなかった。
むしろ、戦術部隊が寝返りを察知し、追撃を行おうと画策している――とバーテックスに思われた方が都合がよい。
ただ、これは綱渡りでもある。
本部の人間に知れれば、戦術部隊が解体される事もありえる。バーテックスの攻撃まで残り時間もないのに、そのような判断を下すとは思いたくはないが、決してゼロではない。
無論、布石は打ってある。モリ・カドルを本部に売り渡してあったし、ジャウザーも本部と戦術部隊の二足の草鞋を履く手筈になっている。
そうする事で、エヴァンジェの寝返りというダメージを補填するのだ。一時的に戦術部隊の攻撃能力は低下するが、やむを得ない処置である。
「ジャウザーはどうしま、いや、どうした?」
ここでジャウザーが言っている“ジャウザー”とは、戦術部隊の主力レイヴン、ゴールディ・ゴードンの事だ。
彼は幾つもの重要任務を遂行してきた腕利きであり、戦術部隊での実力はトロット・S・スパーよりも高い。事実、彼の手で首を取られたレイヴンの数は多い。
だが、それはゴードンが優れたパイロットであるからではない。レイヴンとして優れているからだ。
幾度もアセンブルを変えた経験からか、ゴードンはACの傾向データを把握し、その弱点を見出す能力を持っていた。
ECMに弱いACにはジャマーメイカーを持ち出す。
フロートを相手取るときは、地形の凹凸の激しい地点を戦場とする。
高機動ACが相手の時は、天井の低い場所に引き込み、同等の勝負に引きずり込む。
大抵のレイヴンが、自身のACのアセンブルを変えない事を逆手に取った、見事なテクニックだった。無論、そこに幸運という要素も多分に含まれていたが。
だからこそ、ゴードンは戦術部隊の主力になり得たのだ。
『足止めを食らっている。どうも首を狙った奴が来たらしい。まあ、奴なら返り討ちにするだろう』
楽観的な言葉を紡ぎつつも、その声色は重い。それは、実質ゴードンがこの作戦に参加出来なかった事を意味しているからだ。
だが、一度動き出した歯車は止まらない。如何に歯車が欠損し、不良を起こそうとも回るしかない。
ましてや、この任務。今更投げ出す事は出来ない。
「では、今回の任務は」
『実質、お前一人で行ってもらう。トロットは動けんのは知っているな?』
元々、トロット・S・スパーはエヴァンジェの腹心だ。エヴァンジェと共に裏切らないわけがない。
もし、そうでなかったら、バーテックスは、エヴァンジェをスパイではないかと疑うだろう。
故に、トロットも同時に裏切るように手筈は整えていた。だが、それがこんなところで悪影響を及ぼすとは。
本来は、ゴードンと同時攻撃を仕掛ける事で、辛くもエヴァンジェとトロットはサークシティへと逃げ込む、というのが今回の作戦の筋書きだ。
だが、その追撃役を、ジャウザーは一人で演じなければならない。エヴァンジェとトロットを相手に、傍目から見て追い込むだけの実力を発揮しなければならない。
胃がしくしくと痛んだ。過度のストレスによるものだ。
こんな重要な役目が、自分のような新参に任される。彼とて自身の実力に自負は持っていたが、それでもエヴァンジェを相手取って勝てるとは到底思えない。
しかし、やらなければいけない。
「分かりました。他に変更はありませんか、隊長?」
『ない。ゴールディ・ゴードン。存分に役者を演じろ。……私はお前の腕を信用している。以上だ』
通信が途絶される。作戦開始まで後五分。秒読みの世界だ。
汗を拭うと、べっとりと肌に絡みついた。苛立ち、舌打ちした自分にまた苛立つ。自分はこんな人間じゃない。そんな不良のような人間ではない筈だ。
だが、これではまるでバーテックスに所属する下種どものようではないか。そう、ジャウザーは自身を恥じた。
三分が経った。ミッションを見直し、サークシティの全図を確認する。
防衛戦力に当たっているのはMTが中心だ。Ωもンジャムジも別拠点防衛に向かっているし、烏大老も前線部隊の指揮をしている。
加え、ライウンはすでに戦死している。敵のレイヴンはいない。まさかにもジャック・O自ら打って出るような真似はないだろう。と、なればこちらに出てくるのはMTが中心になるはずだ。
やはり、問題はエヴァンジェを追い詰められるかどうか、という事だ。エヴァンジェも、ジャック・Oの手前、過度の手加減も出来ないだろう。
ある程度は手を抜いてくれるだろうが、それ以上は期待できない。
「勝てるのか……?」
不安が口をついで出た事に驚きつつ、ジャウザーはAC・ヘブンズレイを起動させた。作戦開始時間まで、残り十秒。
五秒。
四秒。
三秒。
二秒。
一秒。
「オオオォォォーーーーッッ!!!」
自身を鼓舞するように雄叫びを挙げ、ジャウザーはオーバードブーストを起動した。
一拍の溜めを置いて、強烈なGがジャウザーを椅子に押し付ける。血が速度に付いて行けずに背中で凝固。代わりに視界に送られる血液が不足し、視界がモノクロに染まる。
歯を食いしばりながら、戦闘機さながらの速度で流れていく景色を視認する。目標であるエヴァンジェは、レーダーにも視界にもまだ現れない。
ゴードンがいてくれれば、まだまともだったのに、と思う。本来の任務では、ゴードンがエヴァンジェ達の足止めをしてくれる筈だった。
それがないから、ジャウザーはオーバードブーストを使用してまで、追撃に掛からなければならない。
作戦に不確定事象は常とはいえ、さすがに応える。強化手術を行ったとはいえ、ジャウザーの身体は少年と言ってもいい代物なのだ。過度のGに耐えられるようには出来ていない。
それでも耐えるのは、彼の精神的な視野の狭さから来る盲信と、それに付随する強い精神力の賜物だろう。
「……っ!」
一瞬、緑色の光芒を視認したような錯覚を覚え、ジャウザーは機体を横へと移動させた。オーバードブーストによる強いGに頭がくらくらとしてくるが、気合で耐える。
そして、その成果を、彼は横目で視認した。一秒とおかず、先程までヘブンズレイが位置していた地点に、レーザーキャノンの光が着弾したのだ。
「っ……たい、ちょう……!」
オーバードブーストを切り、着地する。もうこの距離まで来れば、視界もレーダーも目標の姿を捉えられる。
奇しくも中空に位置する太陽。そして、それに映える青い色合いを纏ったAC。
オラクル。神の宣告の名を冠すACが、天の名を冠すACの前に立った。
『かつての同胞とはいえ、手加減は出来んぞ』
裏切った者としての言葉を、エヴァンジェは演じた。それにジャウザーも応える。
「ええ。それはこちらも同じです! 隊長」
『トロットがバーテックスに増援を呼びに向かっている。同胞だった情けだ。剣を収めて逃げ帰るなら、見逃してやってもいい』
どうにか、トロットを外してくれたらしい。エヴァンジェの機転に感謝しつつも、舌鋒鋭くジャウザーは彼を糾弾する。
「裏切り者が! 分相応に収まっていればいいものを、野心で身を滅ぼすとは!」
『……言ってくれるな、ジャウザー。新米とはいえ、その暴言は聞き流せん』
同時に、リニアライフルの弾丸がヘブンズレイの足元に着弾する。ぶすぶすと、熱を帯びた音がスピーカー越しにジャウザーの鼓膜を叩く。
『最期だ。退け』
「断る!」
その言葉と同時に、ジャウザーはビームマシンガンを乱射。弾幕を張りつつ、エヴァンジェへと飛び込んだ。
対するエヴァンジェもイクシードオービットとリニアガンの掃射で応える。
狙いは正確、速度は鋭く、当たれば動きを封じられ、そのまま蜂の巣にされるだろう。ジャウザーは、改めて自身が隊長として仰いできたレイヴンの力を思い知った。
「だが!」
退くわけにはいかないのだと、ジャウザーはミサイルへと武器をシフト。連動ミサイルを起動し、間合いを引き離す。
エヴァンジェも、間合いは離さないとばかりに接近してくる。彼の機体は接近戦重視のものだ。遠距離戦が可能なのは、精々がレーザーキャノン。他の武装は、弾速があまり速いとは言えない。
ヘブンズレイがミサイルを吐き出す。合計六つにもなるミサイルが、エヴァンジェ目掛けて突撃する。
『邪魔をしてくれるなッ』
それを避けるも、オラクルは体勢を崩してしまった。通信越しに聞こえるエヴァンジェの声も、何処となく焦りが滲んでいるように思える。
この隙を見逃すわけにはいかない。ジャウザーは一気にヘブンズレイを接近させつつ、スラッグガンへと武器をチェンジした。
荒い呼吸でトリガーを引き絞る。同時に、吐き出される無数の対AC弾丸。それはエヴァンジェの装甲に大半を弾かれつつも、その間接部に多大なダメージを与えていた。
だが、それを黙認し、第二射を受けるほどエヴァンジェは甘くない。
ダメージを覚悟でエヴァンジェはヘブンズレイへと接近、スラッグガンを打ち込み、無防備になったヘブンズレイを、自慢のMOON―LIGHTで切り裂かんとする。
青い月光。至近距離において最強とされたブレード。旧式となった今も、イレギュラーナンバーと恐れられた威力は健在。
それを回避出来なかった以上、ヘブンズレイの左腕が切り飛ばされるのは当然の帰結だった。
「ぐっ、やる……!」
これでブレードを封じられ、ヘブンズレイにカウンターの手段はなくなった。そう判断し、エヴァンジェは二太刀目を構える。
しかし、それを許すほどジャウザーは常人ではない。
彼は急いで右腕のエネルギーマシンガンを構え、至近距離で乱射。ブレードの威力にさえも匹敵しかねないその猛射撃に、たまらずエヴァンジェは距離を離す。
『……腕を上げたな』
その言葉は演技ではなく、エヴァンジェというレイヴンの心からの賞賛だった。
同時に、リニアライフルの射撃音をヘブンズレイのスピーカーが拾う。回避の挙動が間に合わない。足に着弾し、一瞬、ヘブンズレイの動きが止まった。
「しまっ……!」
だが、エヴァンジェはその隙を見逃し、攻撃を控えた。いや、それどころか優位である筈の間合いから離れていってさえいる。
いくら手加減するといってもやり過ぎだ。一体何が起きている、と思いジャウザーはレーダーを見やる。
瞬間、意識が凍った。
『随分と派手に暴れてくれたな、小僧』
陽光を背に、着地する漆黒のAC。さながら鷹を思わせる優雅なフレームからは、想像もつかない中の人間の獰猛さを、ジャウザーは肌で感じ取る。
まさに、烏の名に相応しいレイヴンであり、ホークの名に相応しいAC。その今なお前線で銃を振るう老兵の名を、ジャウザーは知っていた。
「烏……大老……!」
マシンガンの銃口をエイミングホークに突きつけ、敵の動きを封じようとするジャウザー。だが、その焦りを読み取ったかのように、烏大老は余裕の構えを崩さない。
それは、絶対の強者の余裕だ。相手が撃とうと避けられるという、確信。それが、烏大老の余裕となっている。
『エヴァンジェよ。調子が悪そうだな。ここは私に任せておけ』
『…………』
その通信を傍受し、ジャウザーは苛立ちを覚え、思わず舌打ちしそうになった。
なにが調子が悪そうだな、だ。こいつはとっくに気付いている。エヴァンジェが手を抜いているという事を。
さすがに、こちらの寝返りまでもを悟っているようではないらしい――仲間意識によるものだと考えているのだろう――が、それでも危険である事に変わりはない。
『分かった。貴方が奴の相手をしてくれるなら心強い。頼んだぞ、烏大老!』
だが、それを表に出すわけにはいかない。そう考えたのだろう、エヴァンジェは躊躇なくサークシティへと向かった。
恐らくジャウザーは死ぬだろう。だが、その死は無意味ではない。そう判断したが故に。
『……さて、若造。ジャウザー、とか言ったか。お主の名は聞いているぞ』
「それは光栄ですね。バーテックス最高のレイヴンに名前を覚えていてもらえるとは」
くつくつという笑い。それは、スピーカー越しに聞こえる、烏大老の老獪な笑いだった。
『我々はエヴァンジェというアライアンスの英雄を仲間に引き入れた。だが、アライアンスは長年の仇敵。加え、その戦術司令官である男だ。部下達の不満は溜まるだろうな』
故に、と烏大老はエイミングホークの持つ両銃の銃口を、ヘブンズレイへと突きつける。
『その不満を避ける為の、スケーブゴートが必要だと思わんか?』
「それが私だ、と?」
『幸い、68000Cというゴードン以上の大物首だ。生贄には最適だろう?』
その言葉と共に、烏大老はエイミングホークを跳躍させる。
ジャウザーが慌ててサイトを空中に向けるも、遅い。すでにエイミングホークの姿はそこにはなく、烏大老はジャウザーの死角に移動している。
『ここで果てろ! 小僧ォッ!』
左手のエネルギーライフル、右手のマシンガンの連射を浴び、ヘブンズレイの頭部が弾け飛ぶ。甲高いアラーム音がジャウザーの鼓膜を叩き始めた。
容赦のないその攻勢は、その実、烏大老の老練さを物語る。相手がこちらの動きに慣れる前に殲滅する。
敵の不意と視覚をつく為に作られたエイミングホークにとって、動きに慣れられる事は死に等しい。そして、如何に実力を保っているとて、老いた身である烏大老に、それ以上の動きは行えない。
一見、烏大老が押しているように思えるが、その実、大老の勝機はここにしかなかった。
そして、この詭道という常道こそが、烏大老が生き延びる為の最大の武器だった。
「最初からそのつもりか! くそっ、させませんよ!」
だが、攻撃を受けているジャウザーに、冷静に状況を判断する余裕はない。
スラッグガンを構えて、中空で浮遊するエイミングホークの姿を追う。
こうすれば、ロックサイトを動かす必要はない。高度を合わせて接近、スラッグガンの一撃を叩き込む。
ただでさえ、エイミングホークの装甲は脆い。流れ弾でも、かなりのダメージになる筈だ。そこを突けば、こちらにも勝機はある。
だが、その判断が甘いという事を、ジャウザーは思い知らされた。
エイミングホークの背後に、紫色の眩い輝き。それがオーバードブーストの準備によるものだとジャウザーが気付く前に、展開は為されていた。
通常のブーストなどとは比べ物にならない速度を出し、エイミングホークは中空を駆ける。その速度に、ヘブンズレイの機動性ではついていけない。
一拍置いて、再び連射がヘブンズレイに浴びせられる。エネルギー弾と実弾。あらゆる状況を想定したその攻撃は、烈火の如くヘブンズレイの装甲を削り取った。
対して、ジャウザーは満足にエイミングホークを捉える事すら出来ない。それは、烏大老の技量に、ジャウザーの技量が届いていないからだ。
高機動など、強化人間であるジャウザーには通用しない。優れた視認能力は、例え戦闘機であろうと容易く視認する。
だが、そもそも視界に入らないように機動は、むしろ詭道とでも言うべきものだ。実直なジャウザーにとって、その動きは全く未知のものだった。
そして、人間というのは少なからず経験則に頼るものだ。それ故に、烏大老の詭道は、ジャウザーから余裕を奪っていった。
このまま唯々諾々と敵の思惑に従うわけにはいかない。
相手は軽量機体の基本に忠実な、接近戦思考のACだ。ならば、距離を離せばミサイルで倒せるだろう。それが常道だ。
だが、そんな常道がエイミングホークに通じるとは思えない。そもそも、相手はオーバードブーストを持っている。こちらが退く速度よりも、相手が接近する速度の方が早いだろう。
ならば、どうするべきか。エイミングホークの繰り出す容赦のない攻撃を避けつつ、ジャウザーは必死に思考する。
エイミングホークの武器は、軽量の代わりに火力には乏しい旧式だ。今はまだ、こちらの機体にも余裕がある。
エヴァンジェの攻撃に傷つき、エイミングホークの攻撃で頭部を吹き飛ばされたとしても、まだ分はこちらにある。
ならば、流れを引き寄せればいい。
どうやって? それは簡単だ。詭道に常道で立ち向かってはいけない。詭道には詭道を以って抗するべきだ。
ジャウザーは降って湧いた天恵に感謝した。
一縷の閃きに全てを掛ける覚悟。一流と二流を分ける境界線の向こう側に、ジャウザーは踏み込む決意を固めた。
ジャウザーは、エネルギーマシンガンをロックもせずに乱射し始めた。如何に収束率が低く、弾がバラけるとはいえ、そんな攻撃が命中する筈はない。
青色の刃の如きレーザーは、その悉くが空を切る。
それを見て、ついに乱心したか、と烏大老はほくそえんだ。
今まで大抵のレイヴンは、エイミングホークの詭道についていけずに、焦りから自滅した。如何に才覚を謳われるレイヴンであっても、その法則は変わらなかったと見える。
そして、その隙をついて烏大老は今まで勝利してきたのだ。つまり、これこそが烏大老の必勝の好機。
命中率を上げるためか、ジャウザーは接近を開始する。だが、当たる筈はない。烏大老は腕利きのレイヴンだ。その老練な操縦に、流れ弾が命中する不手際はない。
――そして、ヘブンズレイが装備している武器はエネルギーマシンガン。それを連射すれば、敵は確実に――
ヘブンズレイの動きが止まる。ブースターが静止し、誤魔化すように足で歩き始めるようになる。
――エネルギー切れを起こす――!
『命を粗末にしたな、小僧』
ACとはいえ、タンクでもないのに機動性が死ねば、もはやそれは的でしかない。
烏大老は、まともに反撃も出来ないヘブンズレイに対し回避運動を止め、攻撃へと専心する。
その攻撃は烈火を超えて業火の如く。軽量級の機体とは思えない攻撃は、ジャウザーの死を予見させるに十分な獰猛さを示していた。
「掛かったな、大老!」
だが、それこそがジャウザーの狙い。相手が勝機を掴んだと錯覚し、回避を緩めるその時こそが、彼の見出した唯一の勝機。
コンソールを叩き、オーバードブーストを起動する。あのGをもう一度味わうと思うと不快だが、背に腹は変えられない。
『なにっ!』
ここに来て、烏大老もようやく敵の狙いに気付く。相手はエネルギー切れの振りをしていただけだと察知する。
『小物め、その程度でやれるとでも!?』
だが、烏大老の戦闘経験の中で、このような事態はいくらでもあった。
コンソールを叩き、操縦装置をせわしなく動かす。それに応えるように、エイミングホークは、自身を左右に小刻みに降り始めた。
俗に、“踊り”と呼ばれる特殊機動。予測射撃というFCSのシステムを逆手にとった、敵の攻撃の狙いを外す為の旧来の技術だ。
今はFCS技術の発達で意味を為さなくなり始めているが、あのエネルギーマシンガンのように狙いが甘い兵器ならば、十二分の効力がある。
そして、回避運動に専心するほど大老は甘いレイヴンではない。射撃の手を緩めず、ガトリングとレーザーの波状攻撃が、ヘブンズレイを襲う。
オーバードブーストが機動したとしても、この弾幕に突っ込みつつ、なお射撃を行う技量はジャウザーにはあるまい。そう判断したが故に。
烏大老の判断は正しかった。しかし、それはジャウザーも理解している事。
故に、そのような突撃の常道が取られる筈はない。
「ぎっ、ぐっ……!」
オーバードブースト特有の強烈なGが、ジャウザーを硬椅子に押し付ける。今度の報酬でもっといい椅子を買おう、そう思わせる程度には、その重圧は苦痛だった。
頭部を砕かれ、代わりに起動したサブカメラが、視界にエイミングホークの姿を納める。だが、武器は構えない。そもそも、Gに苦しむジャウザーにそんな余裕はない。
故に、
「見誤ったなッ!! 烏大老ーーーーーッ!」
行うのは、己が機体の自重を生かしての体当たりだ。
それは、常道ならざる技。烏大老の余裕を砕くのに十分な詭道だった。
『ぐっ、なんとッ、貴様ァァーーーーーー!!!』
軽量機体である以上、エイミングホークがヘブンズレイの体当たりを受けきれる力はない。
オーバードブーストによる勢いに吹き飛ばされ、エイミングホークはヘブンズレイの体当たりの直撃を受けた。
『若造がッ、調子付くなァァ!』
衝撃に揺れるコックピットの中、烏大老は憎悪の言葉を迸らせる。だが、勢いは緩まない。オーバードブーストの勢いは他のどの兵器をも超絶する。
中空を泳ぐ二機のランデブー。これで相手が女だったらと、ジャウザーは生真面目な性癖に似合わぬ思いを抱いた。
だが、烏大老にはそのような余裕はない。この勢いのまま地面に叩きつけられれば、軽量機体であるエイミングホークには致命的なダメージとなる。
とくに、背中から落ちた場合は致命的だ。軽量化によってブースター出力を結果的に高めているエイミングホークにとって、ブースターの故障は死と同義語である。
『ぬぁぁぁぁ!!』
だが、ガトリングガンもレーザーライフルも、この距離ではまともに構える事さえ出来ない。銃身が長すぎるのだ。これでは接触する相手に対する白兵戦など行いようがない。
ブレードを持たなかった事を、烏大老は後悔した。だが、その後悔など無視して、地獄のランデブーは続く。エイミングホークに対抗手段はなく、接触するヘブンズレイを引き離す術もない。
故に、その地獄はヘブンズレイもろとも地面に叩きつけられるまで続いた。
『ぐぉぉぉぉっ!』
「うぐぁぁっ!」
お互いに、地面に激突する苦痛に苦悶の声を挙げる。だが、ヘブンズレイの方がダメージが少ない。
エイミングホークがクッションになったのだ。クッションと証するには、あまりに無骨だが、衝撃を殺してくれた事は、ジャウザーにとってありがたかった。
『ぬ、小僧めが、味な真似を……!』
しかし、烏大老にとっては溜まったものではない。背中から地面に叩きつけられただけではない。さらに、ヘブンズレイによって押しつぶされたのだ。
お陰でエイミングホークは悲鳴を挙げている。着地体勢を取ろうとして失敗した脚部は破損し、コアに搭載されたミサイル迎撃機構も死んだ。これは、回避を至上とするエイミングホークにとって致命的だ。
それだけではない。これだけの犠牲を払ってもなお、状況は全く好転していないのだ。目前には、銃口を突きつけるヘブンズレイの姿。死を予見させるに十分な威容。
「ここまでですね」
ジャウザーが引き金を引き絞れば、大老は死ぬ。それは確実だ。
だが、それは絶対ではない。要は、撃たせなければよいのだ。
こちらの詭道をジャウザーは読みきり、更なる詭道で以って報復を行ってきた。ならば、応えるべき反撃はただひとつ。
さらなる詭道だ。
『舐めてくれるなっ!』
コンソールを叩くのでは間に合わない。そう判断を下し、烏大老は直接レバーを握る。行うべきは詭道。しかし、戦闘の原型である喧嘩における常道。
右手は間に合わない。左手は言うまでもない。破損した足では蹴りも行えない。ならば、相手の銃口に上回る攻撃とは何か?
答えは簡単だ。
「なにっ!?」
エイミングホークが跳ねるようにして立ち上がる。それだけなら、間合いを引き離そうとする敵を追ってマシンガンを叩き込むだけでよかった。
しかし、自身にも不利だと知ってなお突撃してくるのはどういう事か。
スラッグガンへと武装を変えるも、間に合わない。烏大老は、不利を覆す勝機に歓喜しつつ。
「なにをぉぉっ!?」
ヘブンズレイに、頭突きをかました。
装甲がぶつかり合い、はじける音。ブースターが吹かされ、己を吹き飛ばそうとする音を、ジャウザーは聞く。
まずい。エイミングホークは自重の少なさを速度で補っている。先程のそれとは状況が違いすぎる。この押し相撲、負けるのはこちらだ。
そうジャウザーが確信した瞬間、強烈なGが彼を襲った。ヘブンズレイが、エイミングホークによって吹き飛ばされたのだ。
間合いが一挙に離される。この距離は、烏大老の独壇場だ。背中に流れる寒気を、ジャウザーは確かに感じた。
エイミングホークの頭部であるCR―H95EEは、通称レーダー頭の異名を持つ頭部だ。性能の代わりに、防御力は紙にも等しい。
それ故に、エイミングホークの行った起死回生の頭突きによって、頭部は完全に破損した。
だが、その犠牲は流れを再び烏大老に引き戻す。勢いに押し切られて踏鞴を踏むヘブンズレイに、一気に距離を離すエイミングホークを追う余裕はない。
『なかなかやってくれたな』
ガトリングとレーザーの二重の砲火が、再びヘブンズレイを襲う。ビービーと警鐘をかき鳴らすコンピュータに苛立ちを覚えつつ、ジャウザーはエネルギーマシンガンを構える。
だが、勝てない。引き金を引き絞り、吐き出す弾丸。その質も量も、烏大老の方が上だ。
『これで終わりだ小僧』
トドメとばかりに、エイミングホークの左手銃がエネルギーを収束させる。竜の名を冠す銃の牙は、ヘブンズレイの心臓部に突き刺さり、ジャウザーの命を奪うだろう。
負けた、とジャウザーは直感した。単独で烏大老を真っ向から倒せる実力は、自分にはない。レイヴン、ジャウザーはここで死ぬ。
ならばせめて一太刀浴びせねば気が済まぬ、とジャウザーは突撃を行った。勝機はもはやない。ならば、この命と引き換えにしてでも、奴の首を持っていく。
だが、それを許す烏大老ではない。照準を正確に、満身創痍のヘブンズレイのコックピットへと合わせる。
『……ぬぅ!』
アラーム音と共に、エイミングホークの側面からレーザーが放たれる。見れば、そこには中空に浮かび、自律して敵を狙うという兵器、オービットの姿があった。
レーザー網を避けるが故に、狙いがそれ、レーザーが彼方の方向へと飛んでいく。小さく舌打ちし、戦いに横槍を入れた憎むべき相手の姿を見やる。
だが、そこにいたのは、烏大老の予想外の人物だった。
予測は出来た。そもそも、アライアンスでオービットを使うレイヴンは一人しかいない。戦術部隊の主力レイヴン。ゴールディ・ゴードン。
だが、それはバーテックスのMTに足を止められている筈だ。その男が、そのAC、レイジングトレントⅣが、何故ここにいる。
『無事かっ、ゴードン!』
「ゴードンさん……もうコードネームで呼び合う必要はありませんよ。そも、バレバレじゃないですか」
『む、そうなのか? じゃあジャウザー。改めて聞くが無事か?』
のん気な声に思わず苦笑が漏れる。しかし、それはジャウザーにとって心地よい苦笑だ。
仲間が来た。これは、二対一という以上の意味を持っている。ゴードンの救援は、力にして千人力だ。
『さて、バーテックスの鳥ジジイ。若者を甚振るにしてもやり過ぎだろう? 少しお灸を据えてやらにゃあいかんな』
『運だけで生き延びたレイヴンが法螺を吹くな。徒党を組めば勝てると思っているのか』
『ああ、勝てるとも。こっちも戦場から飛んできたんだが、ハッ、MT如きにダメージを受ける俺じゃねえ。で、アンタはうちの才児と戦って満身創痍。どっちが勝つかは、言うまでもないよな』
レイジングトレントⅣが、両手に持った銃を構える。その火力は、エイミングホークの傷ついた痩身を打ち砕くのに、十分だ。
烏大老には、それすらも回避する自信があったが、重量級ACであるレイジングトレントⅣを落とすだけの弾丸は、エイミングホークには残されていない。
『……小僧ども、勝負は預けるぞ』
エイミングホークは背を向けると、オーバードブーストでその場を離脱。
その漆黒の羽を休ませる宿り木、サークシティへと帰還していった。
戦いが終わり、ゴードンは銃を下げると、おどけた調子でジャウザーへの通信回線を開いた。
『……あー、大丈夫か、ジャウザー。ボロボロだぜ?』
「ゴードンさんこそ。確かに傷は受けてないけど、足止めされるほど大量のMTを相手取ったのなら、武器はほとんど弾切れでしょう?」
『やっぱバレてた? いや、あそこで烏大老が逃げてくれて本当に助かった』
大袈裟に安堵の溜息をつくような仕草を、わざわざACで挙動させる。その行動が自分を安心させる為のものだと悟り、ジャウザーは笑みを口の端に乗せた。
すでに機体は満身創痍だ。これ以上、戦える状態ではない。
「じゃあ、本部に戻りましょうか。これから忙しくなりますよ」
『そうだろうなぁ。金にはなるだろうけど、さすがに不眠不休はつらい』
おどけた調子で言うゴードンに、ジャウザーは思わず噴き出した。言っていてゴードンもおかしくなったのか、次第に笑い声がスピーカーに漏れ始める。
そうして、帰営の途中、ゴードンとジャウザーは二人して笑いあった。それは、戦場に身を置く者とは思えぬ、暖かな笑いだった。
戦士を癒す笑いだった。
それが、ゴールディ・ゴードンとの最後の会話になる事を、ジャウザーは知らない。