その日、カドルに与えられた仕事は、特攻兵器襲来のドサクサにまぎれて逃げ出した試作兵器AMIDAの駆逐。簡単に言ってしまえば害虫駆除のお仕事だった。カドルはACを防護服代わりに蜂の巣を突っつきに行くのだ。
AMIDAは虫型の生体兵器で、人類最先端技術の結晶だ。兵器として使うにはまだ今一つな点の多い兵器だけど、未完成の状態でも並の生き物の数倍の生命力、体の巨大さ、どんな衝撃も完璧に防ぎ切ってしまう程強靭で分厚い殻を持っている。
人間程度だったら、抵抗も出来ない間に殺す事だって、簡単にしてみせる強力な生命体だった。
その強力な生命体が某研究所から大量に逃げ出したらしくて、既に都市部にまで進行してしまっているそうだ。
アライアンス研究部の面々は対装甲装備を実装する前でよかった、と安堵の表情を見せていたけど、それでもやっぱり脅威は脅威に違いない。
開発したキサラギ派の研究室はきっと予算をかなり減らされてしまうことだろう。
ご愁傷様、とばかりにカドルは手を合わせた。
『カドル、調子はどうですか』
ピンチベックのコックピットの様子は常時モニタリングされていて、機体とカドルの状態はアライアンスのスタッフ達に厳重に管理されていた。
「行けます」
『よろしい、では今回の任務内容を言ってみてください』
それぐらいはカドルだってわかっている。馬鹿にしないでほしい。
「害虫駆除」
自分を監視する礼儀知らずの主任を急かそうと早口で答えるのだけれども、彼は恐ろしくマイペースで、カドルは馬鹿にされているのではないか、と何度も疑った。
「判断力の混乱は認められない、と。……問題ないようですね。では、がんばってください。生き残っている人間は皆シェルターに避難したはずです。気兼ねは要りませんよ」
ヘッドホンの奥底から、ブツリ、と断線する音が聞こえて、主任の声が聞こえなくなる。
何かに開放されたみたいな気分になって、カドルは大きく伸びをした後コンソールパネルを叩いて装備の以上が無いかどうか、点検をする。
ピンチベックをぶらさげた輸送ヘリは、目標地点に到達したようで、コックピット内に遠慮なしで形式ばったヘリパイの声が響き渡った。
「目標地点に到達、ACを投下します」
毎度毎度同じリズム、同じ口調で同じ中身のことばかり言っていて飽きないのか、とカドルは毎度毎度思う。カドルは毎度毎度聞かされているせいで飽きてきているのに。
カドルは貧乏揺すりをやめて、真下に広がる街を見下ろした。
街のあちこちで火の手が上がってて、町全体が赤く染まっているようにも見えた。これが自分の住んでいた街なのだ、と思うと眩暈までする。
ヘリとACをつなぐフックが大きな音を立てて外れ、コックピット内は軽い浮遊感に包まれる。ピンチベックは火の海の只中に落っこちていった。
「ハァ、ハァッ」
ジナイーダは息を切らして走り続ける。路地は荒れ果てていて、とても入りたい場所じゃなかったけど、黒い虫みたいな化け物から逃れるためなんだからしょうがない。
死ぬよりも臭い方ががまだマシだ。
助かるだけだったら、こんな所を通らなくてもよかったのだけれども、自宅には足が悪い母が一人っきりでいる。ジナイーダは親殺しをすることが出来るような人間じゃなかった。
たった二十分かそこらで家にたどり着けるはずなのに、もう一時間も走ってるような気がして、体中が疲れを脳に訴えた。
ろくに前も見えなくて、足がもつれもする。転びかけて、壁に手をついて。ゴミ箱を蹴っ飛ばして、こぼれた生ゴミを蹴っ散らかした。
家までの最短距離を通るに当たって、一度大通りに出る必要がある。大通りにもしバケモノがいたらゲームオーバー。
死ぬかもしれない瞬間が近づいてくるのは怖かったけど、自分を育ててくれた親を見殺しにするのはもっと怖かった。
だから、足は止まらないで、やがて路地の出口にたどり着く。
次に目指す路地はジナイーダから見て、大通りをはさんで右斜め前にある。
大通りは既に真っ赤に染まっていた。
あちこちの電柱や建物にはトラックから二人乗りの小型車まで、様々な車が突っ込んでいて、そのどれもが火を吹いてただの鉄くずに成り下がってしまっている。
いつもならこの通りは学校帰りの学生や、主婦や子供、他にもいろいろな人でにぎわう商店街なのに、今は誰が見ても恐怖と迷惑大安売りの闇市にしか見えなかった。
ジナイーダは肺の底で濁りに濁った空気を吐きつくしてから、大きく深呼吸する。
酸素がほしかったけど、肺が吸い込んだのは煙と二酸化炭素ばかりで、結局咳き込んで余計に気分を悪くした。
痛む喉を押さえながらジナイーダは路地口から通りを見渡す。
視界はとても悪いけど、バケモノは今のところ、この通りにはいないように感じ、居もしない神様に感謝の言葉を吐きかけた。
この通りにバケモノが居なくても、油断するわけにはいかない。次の瞬間に通りの向こう側から走ってくるかもしれない。
今居る路地口から、次通る路地までそれ程距離は無いけど、人間がその距離を全力疾走するぐらいの時間で、バケモノたちは百メートルを一っ飛びする。
そう長く立ちんぼで居ると、掴まる可能性だって大きくなる。
意を決して走り出した直後に
「シュゥルゥゥフゥゥ」
コーラの炭酸が抜けるような音が聞こえて振り返ると、ひしゃげた車の影から、顎に女の細い腕をくわえた、小さなバケモノが顔を覗かせていた。
バケモノはジナイーダを確認すると、咥えた腕を力任せに顎でへし折った。
真っ二つになった腕は粘々したの唾液の糸を引いてコトリ、と陶器のような音をたてて地に落ちた。
ジナイーダはバケモノの背に、腰から下を失くして、瞬きが出来なくなった目でひたすら空を見つめ続ける女性を見た。
女性は右腕と右乳房もなくしている。
「ーーー!」
吐きそうなっても、手で口を押さえて必死に我慢する。そんな場合じゃないことは百も承知で周りを見渡して武器になりそうな物を探した。
いくら小型でも、素手で勝てるとは思っていない。
慌てふためく脳みその記憶袋には穴が開いていて、見渡した景色の中から手に入れた情報も、いくらかを取りこぼしてしまう。
そのせいで、二・三度ブンブンと首を振り回してから、やっとバケモノのそばの火の中に、半分ほど体を突っ込んだ鉄の棒が落ちていることに気付いた。
バケモノがもう一度、顎でコーラが気の抜けるような音を鳴らして、六本あるように見える脚の関節が、全て一斉に曲がる。
ジナイーダは虫が跳ぶタイミングをはかって、棒に向かって走り出した。
いくら想像を超えたバケモノだとしても、物理法則にまで逆らうことは出来ない。
バケモノが跳ぶ速度はとてつもなく速かったけど、ジナイーダが真横にステップすると、虫の動作は丸々無駄になった。
空を切るバケモノは軌道を変えることが出来ないで、獲物の顔をガラス玉のみたいな瞳で見送った。
虫はかなりの距離を跳んでから着地して、人間が嫌う黒くて汚い生きた化石と同じような動きで百八十度ぐるりと回る。
もう一度獲物めがけてジャンプ。鋭くてナイフのような軌道は今度こそジナイーダを正面に捉えていたけど、
その時にはもう、ジナイーダは焼けた鉄の棒を握り締めていた。
焼ける手の平も気にしないで、虫の姿も見ようともしないで振り返りながらフルスイング。
手の内に嫌な手ごたえが残って、化け物の小さいながらも重たい体が宙を舞って、背中からコンクリの壁にぶつかった。
派手に吹き飛んだけれども、棒が叩いたのは殻を被った顔だったので、大した打撃にはなっていないだろう。
野性の本能に従ったジナイーダは、高温の鉄棒を長ドスの様に腰溜めに構えて、殻のついていないバケモノの腹めがけて子供の頃に見た任侠物の様に突進した。
体重と、足のバネ、腕のバネ。それぞれ出せるだけの力を出して、鉄棒の先に集まる。
合計でいくらの力がかかったのかはわからないけど、バケモノの柔らかい腹に棒は突き刺さり、高温で体の中を焼く。
体液が沸騰して、傷口から蒸気が吹き出る。六本の不細工な節足がてんでばらばらにもがいて痛み苦しみを表そうとした。
「キィィィィィイィィィィヒィィィィィィ」
やがて、黒板を引っかいた音のような叫びをあげて、バケモノはその息の根を絶たれる。
ジナイーダは鉄棒を握った手をダランと下げて、不気味な死体は落っこちてベチャリと嫌な音を立てて中身をぶちまけた。
「――ハァッ、ハァッ、アッ……」
頭を垂れて目を瞑ると、そのまま倒れて眠ってしまいたくなった。
体が訴える疲れの量はもう耐えられる量を超えていて、気持ちが負けてしまいそうになる。
「なんだってのよ、一体……」
突然、手の平にもの凄い違和感を覚えた。馬鹿みたいに熱い棒を握ってるのに、その熱さを全く伝えてこない手のひらはがむしゃらにジナイーダの不安を煽った。
棒から手を離そうとしても、皮膚が焼き付いてしまっているみたいで、ちょっとやそっとの事ではがれそうにも無かった。
そのことに気付いてからは、夢中になって棒を手の平から剥がそうとする。
足で棒を踏みつけて手を引っ張ると、腕の神経がいつもの何倍もの力に痛みを訴えかけたけど、それはもうちいさな問題でしかなかった。
火事場の馬鹿力は手の平の皮膚ごと棒を引っぺがす。ビリ、という何でも無さそうな音が心に痛い。
皮膚の向こうの肉はまだ焼けてはいなくて、その事については幸運以外に言いようも無かったけど、皮膚がはがれる痛みはジナイーダの人生の中でもダントツで一位を取ることのできるものだった。
皮の無くなった手の平は鮮やかなピンク色だった。
鮮やか過ぎて、それが逆に不気味で気持ち悪くてたまらない。血管が肉の下で蠢いていた。
ジナイーダは絶望的過ぎる状況にとうとう我慢し切れなくなって生まれたばかりの子供の様に泣き出した。
「アアァッァッァァァ……」
肺に残った酸素も少なくて、叫びも尻すぼみになってすぐに消える。
血まみれの両手で顔を覆うと、涙がいくらも溢れてきた。
――んなときにかドルはどうしたんだろう。こんなときぐらい、白馬に乗って助けに来てくれてもいいのに。
書置きだってしないで家を出て行って、もう二週間。
爆発する妙な飛行生物を指差してUFOだUFOだと大騒ぎした挙句、爆発に巻き込まれて死んでいった知り合いを尻目に、
いなくなった男を待ち続けてきたけども、
カドルは一向にかえってこなかった。もしかして、この街はもう存在しないとでも思っているんだろうか。だったら悲しい。カドルも少しは悲しんだろうか。
「―――――――ッッッ!」
人が聞き取れる範囲を、完全に通り越した叫び声があたりに響き渡る。
鼓膜が身震いして張り裂けそうになった。続いて何かとても大きな物が崩れおちる音も聞こえた。
へたれこみそうになった足を殴って喝を入れる。
立ち上がって、音がしたほうを見ると、さっきの虫をそのまま何倍にも大きくしたものがビルに寄りかかっていた。
大きくした、といっても、それを一口で表現しちゃうのはちょっとまずいかもしれない。
大きい虫が一分の一スケールとすると、さっきの小さいのは六十分の一スケールだ。
過剰表現だとわかっていても、前言を撤回する気にもなれない迫力は、つぶらな瞳でしっかりとジナイーダをにらみつけた。
さっきの断末魔は「仲間を呼ぶ」叫び声だったわけだ。小さいやつは大きいヤツの子供かなんかだったのか。
ジナイーダは死にたがりじゃ無い。死ぬのなんかごめんだと思ってるクチで、それは人間としちゃあ当たり前のことであるからして、ジナイーダは全力疾走を始めた、
もうすぐで家に着けるけれど、本当に母は生きていてくれるだろうか。
火に照らし出された巨人が、相対的にはちっこくてアリのような虫を踏み潰した。AMIDAは叫ぶ暇だって与えられずに地を撒き散らしてペチャンコになった。
人間にとっては脅威のAMIDAもACにかかればこんなもので、正に虫けら、といった風である。
邪魔を通り越して可愛いとも思えた。
ビルに巣を張ったAMIDAが灰になるまでグレネードを叩き込む。
火の玉が三発。ビルを真ん中からポッキリと折るのは気分爽快。なかなか味わえない快感だった。
ビルに着弾したグレネードはその場で爆発。
炎を風をばら撒いて、フロア内のものは根こそぎぶっ倒れるか吹っ飛ぶかする。どっちにしたって高温に耐え切れなくなって溶ける。
やがて、波は向こう側のガラスも叩き割って、支えを失くした上のフロアが落っこちてくる。
そのまんまバランスを崩したビルは、脆くなった部分からポッキリとイッちまう。
地面に落っこちたビルが窓ガラスを割り散らして大合唱してカドルを歓迎した。
カドルはその涼やかな音に酔いしれて、次のグレネード、その次のグレネードを撃ち続ける。
五本くらいビルを折ってから、やっと尋常じゃない弾の減りに気付いた。
「そろそろ自粛するか」
わざわざグレネードなんて使わなくったって、仕事は簡単なのだ。
もう自分は十分楽しんだし、ライフルで穴を開けるのも、ブレードで焼き切ってしまうのも楽しめそうに思えた。
そういうわけで、コンピューターと直接つながるカドルの脳はFCSの処理対象をライフルだけに絞り込んだ。
カドルが思っただけで、コンピューターは勝手に仕事をこなし、パネルには「R arm」の文字が点滅した。
足を止めていたピンチベックが歩き出す。
もうレーダーにはそれほど多くの生体反応は映っていなかった。
そんなに急ぐ必要を感じないカドルはそれなりにリラックスして、さも自分とは無関係とでもいいたそうな目で街を眺めた。
街をぼろぼろにしたのはたぶん、今回のAMIDAだけじゃないだろう。
それでも、カドルが見てきた他の街よりも、原形を留めている分まだマシなように思える。
今回の襲撃の直前までは街の役目を果たしていただろうということの、名残があちこちに見つかった。
特に気を回さなくても、レーダーはカドルに間違いの無い情報を伝える。
それによれば、二匹ほど、近くによって来ているらしい。それと残りの虫の多くが一点に集まり始めていた。
まずは近くに潜む二匹を殺すのが先、その次に虫が集まる所に行けばいいだろう。
二匹の虫はいつの間にかピンチベックを挟むように左右からピンチベックの隙を伺っている。
二匹とも、同時に体を縮こまらせて、同時に跳ぶ。大した速さだったけれど、ドーピングを受けているカドルからしたら牛歩みたいなものだった。
ピンチベックは仁王立ちのまんま左右に手を広げ、まずはブレードを起動させる。
伸びた青い刃は熱で空気をかき乱して、らっかをはじめたAMIDAを焼いた。光へ上から落っこちたのに、光の下からは何も落ちてこない。
右上に突き出されたライフルは落ちてきたAMIDAを銃身に引っ掛けて、そのまま弾を弾き飛ばした。
AMIDAは落としたトウフの様にばらばらに砕けてあたりに肉の破片と緑色の血を撒き散らした。
複数のAMIDAが集まる点の中心にはかなり弱い生命反応が見えた。たぶん、人のもの
その事に今の今まで気付いていなかったカドルは、急に慌てふためいてフットペダルを全力で踏みつけた。
――もしも、ジナイーダだったら助けなければならない。
ゲンコツを握り締めて全力で走る。細い路地に体を放り込めば、その直後に一分の一スケールのバケモノも路地に突進する。
そんなでかい体で路地に入れるわけが無くて、路地を挟むように立つ元ヤミ金のビルと元ヤのつく人たちの事務所にぶつかった。
ジナイーダは勢いあまって、前のめりにごろごろと転がって、その後を追うようにコンクリと歪なレンガが落っこちてきた。
巨蟲は赤い瞳で怒り狂って、顎を鳴らしながら何本もある触手の様な舌を地面につきそうなほどにたらしていた。
とにかく全身(と言っても全身は見えないんだけれども)で怒りを表現するアニメ映画から飛び出してきたバケモノを振り返って強がりの笑いを顔に浮かべた。
「ハハっ……オニさん……こっちら……」
――大丈夫、まだ走れる。
自分に言い聞かせて、踵を返し、血がにじむ手の平を握り締めて走り出した。
路地は短くて、すこし先から赤い光が差し込んでいる。
イヤな光だけど、その光はジナイーダの心を責め抜いて、負けず嫌いの彼女に体を動かす原動力を与えた。
一本きりの光はやがて大きな光に変わって、その向こう側のビルと焼け落ちたアパートと真っ黒こげの自販機と歩き去ろうとする虫を映し出した。
虫は、通りに飛び出したジナイーダにも気付かないで、通りの向こう側に向かって歩みを進める。
辺りを見回すと、同じような姿で、同じような目をして、しかし、大きかったり小さかったりいろいろな大きさの虫がひとつの方向目指して這い続けている。
遠ざかっていく虫の背に安心しかけたが、まだ気を緩めてはならないことを思い出し、目に強い光を宿した。
虫たちが目指している方向には何もないように見えたけど、きっと何かがあるはずだと思い、目を細める。
虫たちは本能に従って行動する生き物だと、ジナイーダは思っている。ならば、ヤツらはきっと食べ物を目指しているはずだと思う。
この街で、彼らの食べられそうなものと言えば、犬か猫か、それとも人間。
特に人間はごちそうだ。犬よりも猫よりも、弱くて遅くて捕まえやすい。それに大きい。
鴨が葱と鍋とコンロまでも背負って歩いている様なものだ。
だからきっと、虫が求めるのは人間。
ここで、もしかして、とジナイーダは思うわけだ。
まさか、とも思う。
そんなばかなことがあるわけない、とも思うのだ。
目を細めて、炎のもっと向こうを見つめる。
格好悪く這い回る虫ばっかりが目立つけれど、それでも炎の向こうを見つめ続ける。
もっと目を細める。
不安と恐怖は目の前を揺らして、ジナイーダの心はまたもや潰れそうになったけれども、それでも炎の向こう側を見ていると、ゆれる炎の隙間から青い何かが見
それは車椅子の安っぽい青色のシートだった。
歩くことが出来ないジナイーダの母はきっと車椅子の近くにいる。
うずくまっているのか、気絶しているのか、そんなことはわからないけど、きっと危険にさらされていることだけははっきりわかった。
ジナイーダはバケモノの気を引かないといけないとおもって、小さいな石を拾って、
「ケダモノがぁ」
拾った右手を振りかぶる。熱をもった頭は後先考えないで、勝手に突っ走る。もし冷えていたとしたら考えたかどうかもわからないけれど。
「触れるなぁ!!」
たくさんの力が石ころに託されて、石ころはどんなバッターにだって捕らえられない魔球になって虫の一匹にぶつかった。
走りながら石を投げて、近づき過ぎないように立ち止まる。母を助けて、自分も助かる。そのためには自分が突っ込んでしまってはダメ。
どんなに力を込めたって、どんな魔球を投げたって人の力で分厚い虫の殻を割ることは出来ない。
殻にぶつかった石ころは、ただジナイーダの存在を虫達に教えるに止まった。
歯向かう者を許すことの出来ない下等生物は青い瞳を真っ赤に染めて、体が引きちぎれそうな速さで振り向いた。
顎を何度も鳴らして、その耳障りな音で小さな障害をこれ以上無いまでに脅す。
石ころが地に落ちて、甲高い音が辺りに響き渡る。
その音を合図にして、虫たちは一斉に走り出した。
あまりの虫の迫力にジナイーダはたじろいだが、負けん気とプライドが闘争心のケツを蹴っ飛ばした。
理性は沈黙し、おつむの弱い本能が幅を利かせる。
自分を守ろうと思うより先に、目の前のケダモノをズタズタにしてやりたいと思って、ジナイーダは瞳に油を注ぎこんで、歯を食いしばった。
熱風に煽られた髪が揺らめいて、沸騰した血が手の平からいくらもこぼれ落ちていく。神経はそれらの小事を頭から切り離してシカトを決め込んだ。
虫の群れは関を切った水みたいに溢れ出して、何十本もの足がコンクリとレンガを踏み抜いて、ガレキを蹴散らし、一匹が地面にぶっ倒れて、大地が揺れに揺れて、大きく轟いた。
「一匹が地面にぶっ倒れて」。虫たちが異常に気付いて立ち止まる。それから振り返るまで、何秒も時間はかからなかった。
そして、その場にいる全員が足を止めて、さっきまではそこにいなかったプレッシャーの塊を口をあんぐりとあけて見上げた。
火に照らされて暑苦しさを振りまく鉄巨人は、カメラをズームにして自分の追い求めていた微弱な生命反応を確認した。
AC、鋼鉄の巨人のパイロットはズームにしたカメラが写す人間が、ジナイーダでないことを確かめると、わずかに安堵の表情をこぼした。
モニター内で気絶している人は、見覚えのある顔をしているように思えたが、ジナイーダでないのならば特に注意することはない。死んだってかまやしない。
ACに対して、どのような意味であろうが勝ることが出来る生き物はこの地球上には存在しない。
その事実には、原因が存在しない。理由をつけられる事実じゃない。
なぜなら、それは絶対に破られちゃならない決まり事だからだ。
そんな当然のこともわからないバカなAMIDA達は、目の前の敵を打ち倒すことだけを考える。
その場にいる虫は一匹残らずACに向かって走り出した。
カドルが見つめるモニターの中で、ロックオンマーカーと疾走するAMIDAが重なる。
トリガーを引くと、ACが担いだ黒い筒から火の玉が飛び出して瞬きよりももっと短い時間でAMIDAに当たって砕けた。
魔球まで跳ね返した殻は簡単に割られてしまって、炎が身を覆い尽くして焼き尽くす。
爆風が無骨な節足と燃え残った殻のきれっぱしと車椅子と、ジナイーダの母親を空高くゴミみたいに巻き上げた。
爆風が作り出す力は人の体が長い間耐えられるような力でなくて、
お母さんの腕と、足と、首とが千切れてもげて、宙を舞った。
私はその光景をただ棒立ちで見つめ続ける。私には何をする力だって残されちゃいなかったし、残っていたって何も出来なかったに違いない。
反転したエンブレムがお母さんを焼いた炎に照らし出された。