中心に穴が開いた、四角く妙な機械がその黒々とした穴の中心から青白い光を吐き出した。
その妙な機械は六角柱型の空間の一角に設けられており、その一角以外の五つの角にも同じような機械が備え付けられていた。だが、今光を放ったもの以外のそれはいずれも、どこかに中心のものとはまた別の穴を開けて沈黙していた。
穴から吐き出された青白い光は、自身の持つ熱によって空間に対流を起こしながら、空間の底を高速で這いずり回る銀色の人影に向かって突進する。
人影は青白い光を一瞥もせずに、何かに流されるがごとくその巨体をわずかにずらした。
光はもはや何者も存在しない空間を貫き、やがて地に落下、持っていたエネルギーのすべてを周囲に撒き散らした。
銀色の巨人はその右手に持っている仰々しい銃を前方斜め四十五度に構え、次の弾を準備している機械にその銃身を向ける。
巨人の指が引き金を引き絞ると銃を構築している三本の柱がイオンの光を纏い始め、その光は次第に大きくなり、やがてそれはひとつの弾丸を形作る。
弾丸は力を与えられ、銃が向く方に向かってに飛び出す。時を同じくして妙な機械から光が放たれた。
銃から飛び出した光は一直線に機械に向かって飛び、青白い光は発射された直後に無駄弾になることが確定していた。
巨人の回避運動に間違いはなく、青白い光は巨人にかすりもしなかったが巨人の放った光ははずれはしなかった。
標的に到達した光は標的に命中した時点で圧倒的な破壊を辺りに撒き散らし、標的はその破壊に耐え切れずにあちこちから火を噴いて爆散した。
機械はその役割も何もかもを終え、そのせいで部屋の中心に輝いていた光の柱は消え、照明までもが消える。
部屋は完全に闇に包まれたが、巨人の瞳だけは光り輝き、闇の中でもその存在を主張し続けた。
ジャック・Oの居場所が判明した。
どうやら彼はサークシティの地下に潜伏しているらしい。
進入経路は我々アライアンス戦術部隊が確保した。
君は世界を混乱に陥れた首謀者である、ジャックOを探し出し、これを討ち果たし てくれ。
我々とバーテックス。互いの存亡をかけた争いも、今日で終わる。事態の収束は目前だ。
依頼を受けた。依頼人はエヴァンジェ。アライアンス戦術部隊司令官であり、裏切り者を装っていた男。
任務内容は彼らアライアンスと対立しているバーテックスの頂点立つ男の抹殺。
作戦領域はサークシティ地下。それはつまり今ノブレス=オブリージュが乗っているエレベータが目指す地点のことである。
「ノブレース、聞こえてる? まもなく作戦領域に到達するわ」
ヘルメット備え付けの通信機から、コックピットに座る男にとっては聞きなれたシーラの声が聞こえる。
その声を聞いてから、目の前で各々勝手に動作している計器類に目をやり、モニター横にある鉄の蓋を開けて中にあったスイッチをONに傾けた。
スイッチの隣には大量の配線がガムテープで強引に束ねられているのが見える。
「準備はできてる?」
そんなことはわざわざ聞かなくてもいいと、彼は思う。お節介な事を言われると腹が立つ。
「今やってる」
鉄の蓋を叩きつけるように閉じる。閉じた蓋には『FCS』と書きなぐってあった。
「準備は早めにって、いつも言ってるでしょう」
「お節介はいらないんだよ」
モニターに長方形のロックオンサイトが表示される。
カラスと名づけた愛機は右手に装備しているマシンガンに合わせてFCSを調整しているので、サイトはかなり大きいものだった。
備え付けているキーをいくつかをたたくと、小画面に機体の全身像が現れる。装備はマイクロミサイル、マシンガン、そして必殺の杭撃ち機。いつもどおりのものだ。
「おそらく、これが最後の戦いよ」
シーラはノブレスの専属オペレーターだ。ノブレスがレイヴンとして認められた瞬間から定められたパートナーである。
そのシーラの声はノブレスがレイヴンであることの証明のひとつであり、シーラがいる限りはレイヴンは受けた依頼は必ず成功させる真のレイヴンであり続けるのだ
「必ず…必ず生きて帰ってきて」
その声はレイヴンに勝利を与える声である。
「わかってる、まだ若いんだ。死にはしない」
レバーを握る手が汗で滑る。軽口をたたいても緊張した全身がほぐれない。
無音だったエレベーターが減速をはじめ、減速機が壁とこすれて火花を散らして悲鳴を上げる。
やがて止まったエレベーターはその口をあけ、ひとつの道を示す。カラスはエレベーターを降り、道の先で待つ扉の前に立った。
この先には間違いなく混乱の元凶がいると、ノブレスは思う。
レバーを握りなおして、シートに座りなおす。覚悟を決めて握るレバーを動かした。
カラスはその手をグーに握り締め、右方の壁に備え付けてあるスイッチに叩きつけた。
「任務完了。インターネサインの停止を確認した」
待ちわびていた声を聞いたとき、ジャックは安堵のため息を漏らし、体中の力を抜いてシートにもたれかかった。目を閉じて無精ひげをさする
「了解した。帰還してくれ」
目的は果たした。ほうっておけばこの世界に更なる混乱を呼び込むであろう存在は停まった。
インターネサインの破壊計画を立てたジャック・O、そして実行したジナイーダ自身しか知らないことではあるが、結果的に彼らは救世主となったのだ。
しかし、ジャックはその結果を求めていたわけではない。
いつだったか、全世界を埋め尽くした特攻兵器。
いつ、何者によって作られたかもわからない兵器はこの世界にとって未曾有の災害へと姿を変えた。
空を自在に飛び回り、自分たち以外の熱源を見つければ、突撃、自爆するそれは人類にとって明らかにオーバーテクノロジーだった。そして生きている。
それらは自分の命の責任を取ることもとられることもできず、その悲しみを破壊へと変えて業を深めた。
その業を背負うのであれば、ジャックは真なる意味で英雄であったろうが、ジャックはその破壊によって奪われたものの責任しかとろうとしなかった。
特攻兵器が破壊をばら撒く対象は、熱源を発するものである。
例外はほとんど無く、ジャックは自分の知る人たちが例外ではなかったことに自分でも驚くほどに動揺した。
動揺し、復讐を誓った。復讐の相手を探し出し、それを討つための道具を探し出した。
その道具を探すための道具がバーテックスであり、この戦乱そのものである。
フォックスアイが広場の中心にそびえ立つビルの頂点をカメラ内におさめた。
ジャックは自分がビルの頂点に立っていたのだと思う。
しかし、そこにあり続けるビルとはちがい、ジャックが立っていたビルは見る影もなくなってしまった。
今、ジャックは地の底から見上げているのだ。
それでもいいと、ジャックは思う。むしろその方が都合がいい。地の底にいてこそレイヴンであるということだと思う。
ジャックは復讐者ではなくレイヴンである。
ジャックは復讐を果たすための道具を二つ持っていた。
ひとつはジナイーダでありもうひとつはもうすぐここにとどく。そして、その道具にジャックはレイヴンとして相対するのだ。
心が躍り全身を熱い血が駆け巡った。
おもちゃを迎え入れるため、フォックスアイは背後の扉を振り向く。ジャックは口元を引き締め、口内にたまっていたつばを飲んだ。ゴクリという音がやけに耳に残る。
愛機のひざの関節が悲鳴を上げてバランスを崩した。ひざを立てる姿勢になるが、頭部は依然として扉を見つめつつけていた。
ゆっくりと開いていく。
フォックスアイは戦う前からぼろぼろだった。左手は二の腕から先が無く、各部の間接もかなり磨耗している。
そんなぼろぼろのフォックスアイが見つめる闇の向こうに一本の光の線が浮いていた。
闇の向こう側で何者かが歩を進める音が響く。
やがて、闇から浮き出るように黒い鋼の腕がせり出てくる。
同様にせり出してきた足はしっかりと大地を踏みしめ、埃を巻き上げた。
黒光りするコアは見るものにナイフを連想させ、最後に姿を見せた頭部はフォックスアイをにらみつけていた。
そのACは闇そのもののようにも見える。
「遅かったじゃないか」
ジャックの目の前にいるACは依頼を必ず成功させ、敵対した者は必ずこの世から消えてなくなり、レイヴンたちの間で悪魔と呼ばれる男の象徴だった。
そしてジャックはそれに挑もうとしている。
怖いとは思わなかった。或いは全身を滾る血は巨大な恐怖をも上回ったのかもしれない。
フォックスアイをにらみつけるACは無言。
ジャックはペダルを踏み込み、今一度愛機を立たせた。これから自分がしようとしていることを頭の中で何度も反芻し、口元を笑みの形にゆがめる。
フォックスアイが一歩踏み出した。
「すべては私のシナリオ通り。目的はすでに果たしたよ、彼女がな」
全てはシナリオ通りではあるし、カラスと対峙する事もジャックの心の台本に書かれていたことだけれども、それより後の事は書かれてはいなかった。
次に起こす行動はアドリヴのうちである。
「後は憎まれ役の幕引きだ」
もう一歩踏み込んで、相手を威圧する。カラスは右足を引いて拳を低く構える。
「私が生きた証を…」
両者が腰を低く、どっしりと構える。
「レイヴンとして生きた証を…」
二匹の獣の背中についている蓋が全て開放される。蓋のしたには大型のブースターが隠れている。OBと呼ばれる今のACの標準装備であり、その割には使いこなせるものの少ない装備である。
「最後に残されてくれ!!」
アドリヴのセリフを言い切った直後に両者のOBが青い火を噴き、狐の尾と鴉の羽を象った。
尻尾と羽は膨大な熱と膨大な推力を生み出し、カラスは目の前の獲物を仕留めるために飛び、狐は背負っていた全てを投げ出して自由になった体を存分に跳ねさせた。
「正気とは思えないわ…あんな状態で戦いを仕掛けてくるなんて……」
元来、人殺しは正気の沙汰ではない。では人殺しが日常であるレイヴンはどうなのだろうか。正気は正気でありえるのか、それとも狂気が正気なのか。
カラスが硬く握った右拳を振りかぶり、備え付けられた杭撃ち機の中の杭が高速回転を始めた。
二機のACが向き合ってOBをふかせば相対速度は千四百キロを超える。チャンスも、チャンスにいたるまでの時間も一瞬だけ。
カラスが右腕を突き出そうとしたとき、不意にフォックスアイがOBを切った。青い尾は消えるが、スピードは死なない。地に足を着け、右に飛んでカラスが突き出した右腕を紙一重でよけた。
カラスは目標を捕らえられないままに杭を撃ち出した。杭は回転で周囲の空気を巻き込みながら宙を舞い、やがて地に落ちて耳障りな音を立てた。
フォックスアイに合わせてすぐにOBを切ったカラスだが、慣性をすぐに殺すことはできずに、停止したときにはフォックスアイに背後を取られていた。「っやってくれる!」
エクステンションとして装備している急旋回用のブースターを起動させた。
フォックスアイはENライフルの照準を合わせて撃とうとしたものの、振り向きざまに突進してきたカラスがライフルの射程の内側に入ってきて撃つことができなかった。
カラスは敵の懐に忍び込み、マシンガンをコアめがけて撃とうとする。
フォックスアイは即座にブースターを最大出力で吹かす。圧倒的な重量の巨体は圧倒的なエネルギーを持ってカラスの小さい体に突進した。
カラスはなすすべもなく吹き飛ばされ、ぶつかった部分の装甲が大きくひしゃげた。
ジャックは間合いが離れた隙にエクステンションを起動してから垂直ミサイルの狙いをつける。肩先についている箱と背負った箱がそれぞれの口をあけた
ノブレスが与えられた衝撃でふらふらとする頭をもたげる。
滲む視界の向こう側ではフォックスアイが四発のミサイルを飛ばしてきていた。フォックスアイは上にもミサイルを飛ばしていたのだが、朦朧とした頭でそれを視認することはできなかった。
カラスがひざを曲げて力いっぱいに跳躍する。同時に肩口にぶら下がっていた箱が七つの口を開けた。
四発のミサイルは全てカラスの動きを追いきれずに全弾狙いをはずすことになった。ミサイルをよけたカラスはすぐに七発のミサイルをロック、フォックスアイに向けて打ち出す。
ジャックの反応は早く七つのミサイル発射よりも早く後退を始めたところにカラスの撃ったミサイルが飛んでくる。
ジャックはミサイルの中の一発に狙いを定めてENライフルを撃つ。
高い電力を持った光弾はミサイルに着弾し、ミサイルは過電圧に耐え切れずに内部の回路が発火し、引火した火薬により爆発した。
光弾による被害はそれだけではなく、光の弾は着弾した後に持っていたエネルギーを周囲に撒き散らし、そのエネルギーによって周囲のミサイルまで回路を焼き切られ、やがて爆発した。
マイクロミサイル七発程度の爆発ではたいした目くらましにもならずにまったくの無駄となる。
ノブレスは愛機にマシンガンを撃つよう命ずるが左手の装備はFCSのサポートが完全にいきわたらないので、トリガーを引いてから実際に機体がマシンガンを撃つまでかなりの時間を要した。
ジャックはその間にOBを展開し、急加速を始める。
「この感覚…久しく忘れていたな」
カラスはあわせて合いカメラを真下に向け、すさまじい速度で前進を始めたフォックスアイを追い続けながらマシンガンをうち続けるが、一発もあたらない。
そのうちにフォックスアイは視界の下方に消えていく。ノブレスの眼にはフォックスアイの背後のパーツが妙に気になった。
「あのパーツは確か…」
さっきカラスがよけたミサイルは四発。それに対して、フォックスアイの背後のパーツは前方にミサイルを撃てるようにはできてはいないのが気になった。
つまり、どういうことか。
「っ!」
突如としてカラスのコックピットを大きな衝撃が襲う。衝撃は座席からノブレスの脳みそまで、コックピット内の何もかもを揺らし、ヘルメットのフェイスカバーが割れた。
上からの攻撃、爆発、衝撃。ノブレスはそれら全てを受け取った後にフォックスアイの武装の正体に気付いた。
両肩の垂直ミサイルは全砲門同時発射式で、一度に四発のミサイルを放つ。ならば上空からの攻撃は後三回残っているということだ。
気付くまでは遅かったが、気付いてからの行動は迅速。
後頭部を襲った衝撃のせいで頭部は不調をきたしバランスは大きく崩れたが、ブースターには被害は及んではいない。
カラスは姿勢をそのままでブースターを吹かす。バランスをとらず、地に足もつけないままでの噴射により、機体は高速で回転を始める。
上空から飛来し、一発目に続いて頭部を狙っていたミサイル群は全て何もない宙を切り、そのまま前進を続けて地面に衝突、火球を作って地面を抉る。
カラスは一回転したところで旋回用ブースターを点火、後方に回り込んだであろう
フォックスアイを振り向いて着地した。
そのときにはフォックスアイはかなり間合いを取ってこちらを睨んでいる。
マシンガンもマイクロミサイルも届かない距離。しかしあの長大なENライフルならば届くのだろう。
放たれた青い光弾は正確にカラスを狙っており、後退を余儀なくさせる。
カラスは迫りくる弾丸を紙一重でかわしつつ背後にあったビルの陰に隠れたが、いくつか装甲をかすった弾丸はその過剰な電力により装甲の内側にある回路やコンピュータにダメージを与えた。
ジャックは通信回線を開き、黒い機体がフォックスアイのモニターから見えなくなったときは引き金を引くのをやめた。
「運だけでここまで残ったというのか…自身は臆病者であると?」
その声はくぐもったノイズとなってカラスの内臓に反響する。
フォックスアイがビルの方へゆっくりと近づいていく。
ジャックの目には死神が見えていたはずなのに、その死神は目の前で小動物のように震えている。その事実をジャックは認めたくない。
この程度でドミナントだなどとは聞いてあきれる。
猫に追い詰められたネズミは猫を噛む事があるという。自分もその根性を見習いたいものだ。
OBは見切られ杭もよけられ、ライフルの正確な狙いから逃れつつマシンガン浴びせ続ける自信はない。
すでに頭部はその機能の半分を失っており、モニターにも多少のノイズが走るようになった。
全体から見れば大した損害ではないが、頭上からの不意打ちはそれを喰らった者に自信を忘れさせるには効果的な手段となっていた。
自信をなくせば、眼に映る全てが不安要素にさえ見えてくる。迫りくる足音は死の瞬間が近いことを忘れさせてくれず、更なる混乱を生もうと切磋琢磨する。手の内を完全に封じられたわけではないが自分の繰り出す攻撃が相手に通用するように思えない。思えないが実際はどうなのだろうか。やってみる価値はあるのだろうか、ないのだろうか、可能性があればそこにかけるのが道理というものだが、そんな道理すでに頭が忘れてしまっている。道理が通用しない頭で考えた打開策など所詮われを慰めるだけの物になるだろうと頭のどこかで考える。自分を慰めるだけのものが目の前の現実に効くものか。目の前の現実はちょっとやそっとで動くものではないのだ。ならば何もしないのか。黙って死を待つのか。可能性にかけてみようとは思わないのか。でもその可能性が限りなくゼロに近く見える。もうだめだ。迷いがさらにさらに混乱を生んで八方を塞がれる。
『ノブレス、聞こえてるの、ノブレス!?』
我にかえった
空回りに空回りを重ねていた思考が全てブラックアウトしてから、全て一から起動しなおされる。
デスクトップを埋め尽くしていたエラーメッセージは全て消え、真っ白で無愛想な下地が顔を出した。
「だいじょぶ、へいき、ケガない」
真っ白すぎて幼児のような受け答えしかできなかった。
『…本当?頭が大丈夫じゃないように聞こえるんだけど…それで状況は?』
「悪い、通信切るぞ」
「え?ちょっと、よく聞こえ――」
ヘルメットのフェイスカバーが割れてる部分から手を突っ込んで、頭からヘルメットを引っこ抜く。
手の甲で汗をぬぐい深呼吸した。
目の前に並んでいるコンソールパネルをたたいて、機体の状況を確認する。
機体の全身が小画面に表示され、残弾数と損傷度、ジェネレーターがどれだけENを蓄えているのか。機体に関する情報の全てが画面に表示される。
後頭部にもらったミサイルは頭部の機能を半分を奪い、ビルの陰に隠れる際に機体をかすめた光弾はミサイルポッド内のコンピュータに動作不良を生んだ。
このままミサイルを射つことはおそらくできないだろう。ならばいっそ別の使い方があるのではないか。
ジェネレーターは蓄えられるだけのENを蓄え、杭は後三本、マシンガンもかなりの弾数が残っている。
シーラの声は男がレイヴンであることの証明のひとつであり、また、シーラの声がある限り男は受けた依頼を必ず成功させる真のレイヴンであり続けるのだ。
「どうした、本当に終わりだというのか…」
フォックスアイはジャックが持つ絶対的な自信を具現化したようなACだ。ほかのACとは比較にならないほどの存在感を持ち、誰もその存在を意識せざる終えないのだ。
その存在感は今、ビルの陰に隠れる臆病者の双肩を押しつぶそうとしているのだと、ジャックは確信していた。
同時に自らの眼が間違っていたことまでも認めることなり、苛立ちが募る。
突然――
ビルの陰から四角い箱が飛び出してきた。箱は七つある口を大きく開け、ゆっくりと宙に舞う。
カラスが隠れているビルの陰から幾本もの弾丸が飛び、宙を舞うミサイルポッドを激しく叩き続けた。
ポッドは耳障りな音を立てて踊り狂い、形が変わるほどに打ちのめされて幾つかの弾丸は黒い口の中に飛び込んだ。
弾丸は箱の中でも暴れ回り、そのうちにミサイルの一発にぶつかる。ミサイルは起爆し、隣のミサイルを巻き込み…
その繰り返しで計六十三発ものミサイルが限定空間内でその力を発揮した。
空間を限定する仕切りは力の大きさに耐え切れずに裂け、割れ、弾けて巨大な力を外の世界に解放する。
いくら火薬の少ないマイクロミサイルといえど、六十三発の一斉爆破ともなれば絶大な火力といえよう。
巨大な火の玉と爆風によって舞い上がったほこりがフォックスアイのモニターのノイズになった。
爆風によって巻き上げられたものはほこりだけでなく、ジャックの闘争心までも巻き上げた。
ジャックが思った通り黒いレイヴンはやはりドミナントなのだ。あきらめざるをえない状態でも戦うことを忘れない、戦闘能力特化種族。
ジャックは自身の動物的な間に任せてブースト移動による後退を行った。
その瞬間、煙の中から一本、二本三本四本、何本もの火線がそれぞれ煙を引っ掻き回しながら現れて、
アイカメラを叩き割り、コアをへこませ、長大なライフルを支える右腕間接のピストンを曲げる。
弾の嵐に晒されながらもジャックは全速力での後退を命じるが、フォックスアイのスピードでは次の脅威を振り切ることができなかった。
煙を乱暴に引っ掻き回しながら青い火を従えた死神が飛び出す。構えた右手では杭が不愉快な悲鳴を上げている。
不意は突かれたが、その程度でやられてしまうジャックではない。フォックスアイはすでに使い物にならない左肩を前に突き出した。
カラスが撃った杭はコアに刺さることなく、フォックスアイの左肩に流された。
杭の回転は装甲との接触で膨大な熱量を生み、分厚い鋼の板をものすごい速さで溶かしていく。
左肩には大穴が開き、その向こうで杭が地に吸い込まれていった。
片腕のないACは左足をねじり、軸足として体全体を回れ右すると同時にOBを起動した。
黒いACは必然的に振り回されるENライフルを一歩引いてかわしてマシンガンを構えたが、刹那OBの起動によって生まれた熱と光に邪魔されて引き金を引くことはなかった。
自身もすぐにOBを起動、追いすがりながらマシンガンを乱射するが、すでに射程ぎりぎりまで逃げている狐の背中を捕らえることは難しかった。
狐は体を傾けて流れるようにロックオンサイトの枠から逃れていく。
FCSに従ったままの右手は獲物の速さに追いつけず、マシンガンは見当違いの方向に火を噴き続けていた。
「機械の分際でよお!」
ノブレスは『FCS』と書きなぐられた蓋を力任せにこじ開けて、中にあるコードをまとめて引きちぎった。
途端にロックオンサイトはモニターから姿を消す。
ノロノロとフォックスアイを追い続ける腕部は司令塔をなくして一瞬立ち止まったが、コントロールはすぐに主導へと切り替わり、撃つべき点を見直した。
OBは速度こそあるものの小回りは利かない。モニターを横切るフォックスアイの軌道を読むのはドミナントにとって赤子の手を捻るような者。
どこを狙えばいいのかわかっているなら、FCSは足枷にしかならない。
カラスは無造作に腕を振るい、ドミナントが見据える一点に向けて引き金を引いた。
弾速から何から何まで瞬時に計算しつくされた鉄の塊は高速飛行するフォックスアイに向けて、反則じみた軌道を描き、やがてはランデヴーする。
紙一重でバランスをとり続けることになるOB起動中のACは、ほんの少しの力を加えられただけで大きく傾く。今まで機体の姿勢を保っていた重力が、風力が機体の
バランスを崩そうと必死になる。
フォックスアイは空中で鉄の嵐に弄ばれ、OBを停止した今も機体はこの世界の物理法則にしたがって高速で飛び続ける。
ジャックは無事に着地することに全部の神経を注ぎ込む。一秒きりの時間が永遠に続くようにも感じられ、周りの者は何も見えない。
そんなジャックには青い羽をはためかせて飛来する黒い悪魔に気付くことはできなかった。
出力を調節しながらブーストを吹かして機体の回転を止め、自分に楯突く者と対峙するように着地する。
そのときにはすでにカラスは元いた場所にはおらず、地上と水平に構えたフォックスアイのアイカメラがその姿を捉えることはなかった。
ジャックが周囲を見回した時、フォックスアイのレーダーの中心に青い点が表示されていた。
フォックスアイが見上げ、ジャックが見上げる。
そこには一羽の鳥がいた。
ACでなく、機械ではなく、ドミナントという妄想が生んだ夢物語でなく。
青い羽を雄雄しく広げ、見る者全ての心と命を奪う死の鳥――レイヴン。
ジャックも心を奪われる。
ジャックは頭の隅で響き続ける警告通りにフォックスアイの右手を上げさせようとしていたが、フォックスアイも心を奪われてしまっていたのだろう。第二間接がENライフルの重さに耐え切れずに動作をとめた。
動きを止めた敵機を前にカラスが構える必殺の杭撃ち機は甲高く叫ぶ。
「とどめ!」
掛け声とともにその腕が振り下ろされる。
棒立ちのフォックスアイのコアに斜め上に拳が衝突してカラスの自重とOBの衝撃に耐えられない腕が部品をばら撒きながら分解していく。
そんな中でもかまわずに杭は撃ち出され、コアの中心向かって突き進んでいく。
外板を容易く砕き、いくつもの回路と鉄とそれに染み付いた錆びを溶かして杭は己が道を作り上げていく。
フォックスアイのコックピット内は甲高い音と途方もない衝撃に襲われていた。AC内の温度を測る計器はあっという間に振り切れてカバーガラス後と溶け出す。
赤いランプが明滅して逃げろ逃げろとわめきたてたが、時が遅すぎる。
杭は回転しながらモニターも何もかもを巻き込んで壊していき、
「…礼を言う……」
ジャックの頭を砕いて脳を焼き骨を粉にして天へと送った。
OBを全開にしたままフォックスアイに覆いかぶさったACは、大地と衝突した時点で機体の全身に自重の何倍もの力を受けていびつな形に変わっていく。
原形はもはやとどめておらず、腕と足はどこかへ飛んでいってしまっていた。
頭から着地したACのコックピット内はもちろん上下が逆さまで、搭乗者は今は床となった元天井に突っ伏していた。
固定している物もしてない物もそこらじゅうに散らばっていて、比較的原型を留めている通信機つきヘルメットが床から落ちて天井に伏せる主人の頭をぽかりと叩いた。
通信機はその衝撃で機能を回復させたのか、
「――ヴン、―イヴン!」
声を漏らす。
気付いたノブレスは自分の妙な姿勢を直そうと勤め、腰を捻ってパネルのしたから足を引っこ抜き、天井にあぐらをかいてからおまけに足をつって小さく悲鳴を上げる。
頭頂部がへこんだヘルメットはあまりかぶる気がしなかった。
「はいよ、こちらノブレス=オブリージュ、どうぞ」
「無事?」
姿は確認できないが、返ってきた返事には黄色い喜びの感情が見え隠れしていて、ノブレスにはそれがうれしかった。
とりあえず外に出ようと思って、ハッチ開閉のボタンを押したが、ハッチはうんともすんとも言わない。ジェネレーターは停止し、積んであった予備の電池も壊れてしまったのか、機械が動作していない。
仕方なく、ハッチに備え付けの錆び付いたハンドルを握って、腕に力をみなぎらせた。
「ハッチが開かない。ジェネレーターが停まった。電池が壊れた。救援も求む」
「アライアンスの回収部隊がそっちに向かってる。救助はそっちに頼んで」
間髪入れない返答は相手に有無を言わせない。
硬く閉められていたハンドルは回せば回すほどに軽くなり、片手でも回せるようになったときにはハッチを軽く開けることができた。
狭い空間の中にこもっていた空気は我先にと機外へ飛び出し、機外からはその代用品が飛び込んできてそよ風を作った。
開いたハッチの遥か向こうには黒い機械の腕が転がっているのが見えた。それを
見たノブレスには家計簿に忍び寄る魔の手までもが見えた。
ハッチから顔を出して機体の全身を確認しようとしてからやっと腕どころか足もないことを知って、顔が青ざめていく。
『今回の報酬で今度こそ輸送用のヘリを買い換えるわよ。トレーラーもずいぶん古くなってるし…リビングの椅子も買い換えなきゃなんない。ちょっと聞いてる?足のない椅子は椅子って言わないんだからね。この前なんて――』
ごつごつとしたヘルメットを脱いで、手にぶら下げたまま逆さになった機体をよじ登り、カラスのまたにたどり着いてから広場を見回す。
通信機は仕事を休むことを知らない。
『――けごとは禁止。一回も当てたことないくせにカジノなんて行かないでよ。あんたみたいなのがカモネギって言うのよ。なんでわ――』
高い所に立ってみれば、広場中にいろいろなパーツが飛び散ってることがわかる。
両足とも根元から吹き飛んだようで、遥かかなたに仲良く転がっている。左腕はマシンガンごと広場の中心に立つビルに突っ込んでいた。頭はもちろんぺしゃんこだった。
全部確認すると、ノブレスの顔は我知らずの内に全身の筋肉を緩めきり、馬鹿のように口をあけていた。
『溜まったツケと借金を返すだけでもかなりのお金が持ってかれるんだから無駄遣いはできないわよ。昨日今日で買ったお金でも全――』
――だったらバッグなんて買うな。
無感情に仕事を消化する通信機が無性にうらやましく思いながら、死の鳥をもあっさりと殺してしまう悪魔の名をつぶやいた。
「赤字だ…」
『――わかんな…赤字!?あれだけ金もらっといてなんで赤字になるのよ、ちょっと――』
修復不可能なACそのもの、自分で壊したミサイル。マシンガンは回収を頼むよりも買いなおしたほうが安くつくだろう。
いったい合計でいくらになるのか、考えたくもなく、そんな悩みを吹き飛ばしてくれることを期待して見上げた瞳に移ったのは、あいにくとノイズを垂れ流すパネルのみだった。
アライアンスはこの後、救援部隊をよこそうとしなかった。そのせいでノブレスとシーラはぶつくさ言いながら機体の引き上げを何日か掛けて行う。
今は全てが終わった事に満足して、夜空を見上げていたノブレス達はそのまた翌日に何故アライアンスがアフターケアに手間を払わなかったのかを知る事になる。
全てが終わったと言う事は何かが始まったと言う事だ。この世の中では常に何かが動いていて、その何かが止まる事は決して無い。