「その烏の名」
「その獣の名」
「その〝 〟の名」



「その烏の名」


――― 一人の少女を見た、ボロボロの少女を

街灯は照らす、レンガを敷いたこの道を、石造りに見せかけた合成素材の建築物の群を。人は知っていた、この街を通り過ぎる風の冷たさを。それでも尚、寂れた街に人が集うのは行く場所がないから。
けれど、人の数だけは誇れるであろうこの街に、確かに温もりはあった。皮肉にも、その温かさを持った者が人ではないのだが。
少女が居る、この寒さの中をボロ布を纏う事で忘れようとする少女。身体の冷えはだらしなく鳴らす鼻が、小刻みに震わす肌が教えてくれる。そんな少女が今、コートに身を包み憂いた瞳を向ける男の前に居るのだ。
男の瞳には少女がどの様に映ったのだろうか、絶望に気付かなぬまま突き落とされた瞳を持つ少女。男はこの目を知っていた、少女にも恐らく、そう思える節があったのだろう。
二人は互いの目を覗き込んだ。まるで鏡を見るかのように。
「家は?」
少女は首を横に振った。
男の眉間に皺が寄る、内の鼓動が耳に障ったのだ。人はそれを同情だと考え、男はそれを気の迷いと感じるのだろう。
「親は?」
首を同じ様に横に振った。そんな少女に対し男は何とも言えぬ異を覚えた。男は哀れみを知らず、それを怒りと勘違いしたのだった。
しかし、そんな自身がわからなくなっていたのも事実、目の前の少女に腹を立てる理由はなんだ?男はその疑問に対する答えを知らぬまま、ポケットからハンカチを取り出し少女の鼻に当てる。
「そこに座ったままで身体を壊すやもしれん、そんな貴様は何を望みそこに座り続ける」
少女に問うた男は、返答を気にせぬまま立ち上がりにその場から離れようと足を動かした。少女が答えられぬだろうと高をくくっていたから。
だからこそ驚いた、とでも言うのか。返ってきた言葉に男の表情はそう語っていた。
「温かいもの……今、叶った」

聞くに少女は、数日前に戻る場所を失ったようだ


死とは何だろう。
街並みに消えていく人々の目には生気がない、だからと言え死んだワケではないが、この時世、死を垣間見た人間は少なくないだろう。
だが、死を経験できる人間などいない。死は一度きり、心停止からの蘇生や脳波の回復でない、死。

ならば、それが獣ならどうだろうか。
此処に居る男は一度、翼を削がれ死んだ。確実に地に落ち息絶えた筈だった。絶望に拾われるまでは男自身そうであったと、わかっていた。
その胸に隠す淡い青の輝き、薄いシャツから僅かに漏れる。彼に二度目の生を与えた汚れの証であり、再び瞳に覗かせたくもないもの、男が絶望に堕ちた獣だったと言う時の記憶そのもの。
だがこの光に気付く者などこの街に、この通りに居やしない。男もまた、安酒に溺れてはそうであったことを忘れようとしていた。

―――三週間程前

男が再び目にしたものは暗闇か、違う。自身から放たれるあの〝青〟だった。
では男が寝そべり、背中で感じるこの感触は……語る必要もない、金属塊。あの時から男は身体に異常がなく立ち上がれる現状を異常だと悟り、そして憤怒し狂気に身悶えた。
その情けなさ、少なくとも男はそう考えていた。振り上げた拳を加減することなく金属塊にぶつける今、男は内の衝動を隠すことなど忘れている。
「死ねたんだ!!私は!!私はっっ!!!死ぬことができた!……やっと自分の体たらくから…恥から!弱ざから゛!!慢゛心゛か゛゛ら゛!!!に゛げる゛ご゛ドがでぎだっ…の゛に゛ぃ゛!!!!」
力なく崩れた男、その拳は血に染まる。しかし体内に蔓延る青はそれを直ぐに修復するのだ、拳ひとつに見れる光景は男に耐え難い屈辱と絶望を植えつける。
空の筈の胃は締め上げられ抑えられない苦しみは喉を介し吐き出され、大量の吐瀉物には血が汚れた顔には涙が混じる。

〝業だ、精々背負いきることだな?首輪つき〟

男はまたも吐き気に襲われる。
この声は男から全てを奪い去った、『何もなかった自分を見繕った描き幕にさへ爪を立て剥がしていった』あの女の声だ。
男は周囲を窺う、あの女が近くにいるとは思えない。だが確かに聞こえたのだ。繰り返される言葉は耳の中を掻き回し脳にまで到達する。
そんな考えが過ぎった刹那、男は自身の耳を引き千切った。だがそれを青は許さない。掌に転がる自身の耳とは別にもうひとつの耳が既に生え、声は消えず、遍く記憶が、あの日の記憶までもが脳を抉る。

暗闇の中男の絶叫が消えていく。


それから少しして、何故企業に見つかり回収されなかったか、最後に生き残ったのは誰か、街を放浪しながら一般の端末を使い調べた。最中、無意識から忍び寄る狂気を酒と煙草で誤魔化しながら。
古代兵器に関する情報への規制と調査部隊の派遣断念の決定、それらはアライアンス分裂後の復興作業と世論からなる各企業合意の判断。臭い物には蓋、触らぬ神に祟りなしとはこのことだ。
そして―――

〝どの企業すら持て余すラストレイヴンの存在〟

「私やジャック、ましてやあの女ですら…こいつの前では駄目だったのか……」
この感覚は何度目だろう、男にとっては二度と味わいたくもないこの感覚。絶望という底のない穴に突き落とされ、側面の壁に打たれながら闇の中に消えていく。
そしてその穴の中で闇から伸びた手に拾われ、嘲笑い楽しむかの様に落としてはまた拾われる。
何も出来ずに打ちのめされ、女の前で膝を付き、その上望んで受け入れた絶望の力すら名も知らぬ男を前に砕かれ散った。
そして無様にもその力で生を取り戻し、知らぬ間に流れていた時間の中で自身は消えていったのだ。


それは酒に溺れ、気力を失いながらもただ生きていく今にも引き継がれていた。
「何も…ながった゛、私に゛は………何も゛っ……!」
路地の隙間に積み上げられたゴミの山の陰、浴びる様に酒を飲んでは何度も何度も呟いた。狂気に襲われては繰り返す、今この男にとっての全てはコレなのだから。
だが今夜の疼きは何時ものソレとは違った、わかってはいた男自身、日に日にこの感覚が強くなるのを。酒や煙草では抑えきれない、忘れきれないことを。
無様な記憶、無様な体(てい)が拍車かける男の中の狂気は膨れ上がり青とは別に蝕む孤独か、その中でふとあの娘の顔を、言葉を思い出した。

「温かいもの……今、叶った」

温かい?あのハンカチが?私の行いが?男にはわからなかった。だが、今そんなことどうでも良い。彼女の言葉を思い出した時確かに忘れられた。
この痛みを、感覚を、絶望、孤独……狂気、なんでも良いこれの呼び名など、そう繰り返す頭は男の身体を突き動かした。足は自然と路地を抜け、あの人通りのない街外れへと。


その晩、寒さ凌ぎに布切れを幾重にも纏い身を丸くし眠る少女を起こしたのは声だった。
ブツブツと何かを否定しては悶える声。寝起きの眼を擦りながら街灯の明かりが届かない暗がりから顔を出した時、目にしたのは白昼に出会った男だ。
しかしあの時の様な凛々しさは見られず、壁に凭れながら頭を抱え身を震わせていた。
「泣いてるの?」
静かに歩み寄る少女の鼻づまった声に返答はなく、代わりに肩をひしと掴む腕が伸びた。一瞬、恐怖から手を振り払おうとしたがその腕のあまりの力なさに戸惑わせる。
その腕が少女の身体を抱き寄せようとするのにも、彼女は無言で従った。何故なら、長い前髪の隙間から覗く男の顔は酷く醜いもので、荒れた息に食いしばった歯は獣のそれだったが、少女にはそれが恐ろしいとは感じられず、どこか物悲しい悲哀に満ちたものに見えるから。まるで暴力に怯える子供の様な…。
それが少女の握る〝護身用〟を使えない理由だった。
しかし今の男には少女の感傷など気付ける筈もなく、それを無抵抗と受け取る。少女の着込む布切れを強引に脱がし、煤けたシャツを剥いて露出した柔肌に舌を這わせ、男は少女の無垢な体を貪った。


どれ程の時間が経ったのか、男は深い眠りに付いていたようだ。
朝日、というには少々傾いている日の光に瞬き、汚れた面だと呟きながら顔をコートの袖で拭った。はっとして昨夜のことを思い出す。辺りに少女はいない、何時ものとは別の痛みに心と胃が軋むの感じた。
半ば靄のかかった記憶に吐き気を覚えながら手元の小さな紙切れと金属に気が付き、拾い上げる。
紙には一言

痛かった

と、もうひとつは9mmの弾頭だ、これは少女からの警告なのだろう。男は顔を掌で隠すように覆った。
本当に堕ちたものだな…そう呟きながら男は街へと、一度振り返ってはみたもののやはり少女はいなかった。そして、そのまま消えていく。


意識がこれ程ハッキリとしているのは何時ぶりだろうか、酒気すら抜け喉を通る煙草の煙がいがいがと刺激するのがはっきりと伝わることに驚いていた。
昔を思い出せば今でも痛むものを感じる、だが、あの粘り気のある暗いものに呑み込まれるような感覚は何処へやら。
何よりも、少女のことを頭に浮かべると鼓動が早くなった。良心の呵責もあるだろうがそれとは違う別の何かも感じているのは確かだった。そして、鼓動の早さは痛みにさへ変わっていく。
胸に手を置けばあの光が、その只中に感じる躍動する熱が、抑えることのできない感情がひとつの手を跳ね除けるかのように。
強く激しく、鼓動に合わせて脈打つ。あの時から変わらぬ姿を保てるが故、こうして無様な自分を見つめ続けねばならぬ元凶を。
金属の身体を拠り所に、全てを呑み込まんとし、総てを粉砕せんとし、凡てを絶望へと歩ませんとし、その身体を突き動かし続けた破壊者の血。
「何故…気が付かなかった?」
思考もそうだが、目覚めてからというもの男の身体の調子は頗る良いものであった、それは五感も例外ではないだろう。だからこそ、あるひとつの物が感じられないこの身体に対する違和感が湧いて出るのだ。恐らくは三週間前のあの時、目覚めてからずっと、こういう身体であっただろう。
どうして今更なのか。だが確信ではない、色々と疑問を残す節もあった。だが男にとっては無下にできないものだ。どうしても確かめておきたい、もしそうであるのならば、この力を、この身体を、彼女ために遣ってやりたい。
男の想いが鼓動をひとつ早くする。
「あぁ?武装勢力?それなら西のゲート抜けた何キロも先にずぅっと駐留してるよ、ここいらの難民というか浮浪者はよ、そいつらに街焼かれて逃げてきた連中なんだよ。てっきり俺はアンタも同じ部類の人間だと思ってたがね」
男は店から飛び出すと店主の指差す方へ、店主は常連である男が酒も買わずに出て行くのに口を噤むだけだった。
街のゲートをとうに過ぎたであろう、男は未だに全力で走っていた。息を切らすことなく体温を微塵も上げることなく。いや、既に体温は高い、おおよそ50度を超えているだろうか、肌に触れるべき風の感触がなく、寒さを感じないのだ。男の身体が放つ異常な〝熱〟が風の接触を身体の冷えを阻害していたから。
男の脈は既に人のそれを超えていた、胸の内が酷く痛む。表皮に透ける血管に青の脈動。その速さは正にエネルギーの循環に等しいのだ。

金属の身体を拠り所に…金属…常人にはまず縁のない強化人間用高濃度身体強化ナノマシン、循環系統を満たすそれらは吸収用の液体金属の注入において著しく活性化し怪我の治癒なども可能とする。
そしてそれは体外からの接触による吸収をも可能とし、もしその液体金属を作業用重機などから間接接触によってこの青が掌握できるのなら或いは…、そんなことを考えていた最中、あの言葉がまたも蘇り、男は口にした。
「温かいもの…
呟きは足音に消えた。


山岳地帯より見下ろす光景には金属と灰に煤けた街。
居た、男は眼光をよりいっそうのものとする。15メートル程はある人型の群、100t級のMT(マッスルトレーサー)が瓦礫の下から物資の代わりとすべく残骸を集めている。フツフツと湧き上がる怒り。さらに加速する青の脈動が怒りを視覚可させた。
心の臓は今や機械の出力機の様で、伸縮しないのだ。そのせいか耳鳴りにも似た轟流音が脳内の一切を排除しようとしている。近くに転がっている眼下のものと同じ100t級のMTの残骸に歩み寄り触れる。掌の感覚を通した装甲、その表面は傷付き元の滑らかさなど感じられなんだ。
男の耳鳴りが止まない、酷く騒がしい、鼓動が、脈動が、循環する青。何よりも感情に支配されていた……感情に支配されている自分に。
口元に歯軋り、表情筋はより深い皺を、その瞳に絶望の煌きを。
「わかっているのか…引き換えせんぞ」

〝業だ、精々背負いきることだな?首輪つき〟

「…だが、抑えられんさ」
想いはもう止まらない―――


――   パ  ル  ヴ  ァ  ラ  イ  ズ  ――


見上げる空に絶望の光、山岳部一帯を包み込んだ青の輝きに辺り総てはその瞳を照らされる。
降り注ぐ粒子に星の煌きを、光の中心に大いなる災いを、現れた人型に底の知れない絶望を。
あの日総てを削ぎ落とし輝きに終止符を打とうとした者が居た。その願いは他者に預けられ、預けられた者は〝そうであれ〟とトドメを刺さなかった、僅かに躍動し呼応する青に気付かなかったのだから。
その一瞬の間違いから、絶望は再び地上に手を伸ばす。

光の渦の中心、粉砕者<パルヴァライザー>に代わりし絶望は、神託<オラクル>を受けし青の巨人となりて飛翔する。
浅葱の板金に身を包み、模した姿は人の四肢、今此処に君臨せしもの、人それをこう呼ぶ…

〝アーマード・コア〟

と。


暗がりに明かりがひとつ。
それに照らされるものは皺と無精髭、疲れの浮き出た曇り眼を持つ男性の顔だった。それ以外に見れるものはなく部屋の広さも、部屋にいるのかもわからない。
深く瞬く眼は何かを見るでもなく、ただ過去を、反芻するかのように昔を見つめている。そういった目だった。
あまりにも動きの見れないその顔は瞬きと僅かな呼吸を除いてまるで死んでいるかの様に、その暗がりの中で鳴り響いたアラートに気付いた時、ピクリと顎を持ち上げたのには驚くことだろう。
『レイヴン、聞こえてる?』
突如聞こえた女性の声に、レイヴンと呼ばれた男は顔の近くで指を弾いた。弾き手の近くからは電子画面がひとつふたつ、現れれば先程の声の主である女性の顔が浮かび上がった。
少し遅れたが、この男こそが〝ラストレイヴン〟と呼ばれている者であることを加えておこう。この世界で唯一にして最後の烏とされており、他者からは最強の称号を貼られ畏怖されている存在。
そんな彼は電子画面の女性と疲れた目を摩りながら話し交えた。時折聞こえてくる『寂れた街』や『武装勢力』など、聞き覚えのあるものだ。
「全滅?」
レイヴンは僅かに声を荒げた、画面の女性も同様に少々興奮の気が見れる話し方だ。そしてまた続ける。
そこからは女性の言葉を聞くたび男の瞳からは気だるさが失われ、そして輝きが見れるまでになる。余程のことを聞かされているようだった。
それに気付いた女性も勿体ぶるように言葉を濁し、レイヴンに続きを催促されては小さく笑った。
『えぇ、現地の残骸から映像データも取れた、かなり荒いし直後に撃破されているから確信を持っては言えないわ…ただ、ここまで特徴が一致するのも偶然とは思えない、多分生き残っている、貴方以外のレイヴンがね…覚えてるでしょ?彼の名前…―――』



「エヴァンジェだ、私の名は……」

あれから、少しして男は少女を見つけた。もう戻らないだろうと思っていたあの街外れ、あのレンガの道の上に彼女は腰を落ち着かせていた。
そんな少女に近付いた際、その顔に見える僅かな警戒心に心を痛めながらその少女へと名乗ったのだ。罵倒のひとつでもあるだろうと覚悟していた男を尻目に、少女はその顔から警戒の色をなくしそのまま座っている。


仇討ちをしたと言えばよろこぶだろうか?

シャツの胸ポケットから煙草を、コートのポケットからオイル式ライターを、緊張に腕が震えた。火打ち石が上手く噛み合わない。
さり気無く歩み寄るつもりだったが足が縺れて転びそうだ、落ち着け、この娘のために色々と準備しただろう。そう自分の頭に渇を入れながらようやく点った炙り火に煙草の先を近づける。
彼女がこちらを見ているのに気付くと出かけた言葉が喉に詰まる、ただでさへ高い体温が更に上がってしまいそうだった。
首を横に振り脇道にそれた思考を正す。咥えた煙草を指に持ち煙と一緒に言葉を吐き出した。
「スープを作りすぎてしまたんだが…一緒にどうだ?」
無礼を詫びる意味も含めた言葉にも関わらず、震える舌に言葉を噛み誤った。そんな自分に情けなさすら覚える。
今すぐにでも言い直したい衝動を下唇を噛むことで抑え、返答を待つ。少女は言葉を返してくれるだろうか?余計な考えが頭の中を支配しないようそれだけを考え待った。
だが、声は聞こえない。額や鼻に嫌な汗が浮かぶような感覚。永い、今この瞬間がすごく永く感じられる。やはり素直に謝るべきだろうか?そうこうとしている内に危惧していたように余計な考えが男の頭を支配しかけていた頃、少女は口を開いた。
「また…痛いことする?」
少女は頬に、その下の布切れに、ぽろぽろと涙を零していた。
男の胸に稲妻のような感覚が、今すぐにでもこの心臓を抜き取ってしまいたいと思う程の痛みとなって駆け巡る。少女が持っているであろう銃で、この頭を撃ち抜かれればどれだけラクだろうか、少女に願ってでもそうして貰いたかった。
「絶対にしない…!誓おう!」
近寄った男のコートの端を掴み、少女は顔を埋めながら泣いていた。男も釣られて涙を流す。
この娘にどう接してやれば、私の胸の内の痛みは和らぐだろうか?この娘にも同じ痛みがあるならそれはどう和らげてやれるだろうか?痛烈に胸を打つ鼓動感じながら、男は考えた。だが、今の男には到底わからないだろう。不器用な男は泣きじゃくる少女の頭に手を置いた。
「スープ…飲むか?」
泣きながら少女は頷き、男もまたしゃくり上げながら少女を優しく抱き寄せた。

やめておこう、この子にはこれ以上…汚れを見せずにいたい―――


『でね、レイヴン問題は此処からなの』
画面に映る女性の表情に、そして言葉に、変化が見られ、画面を通して挟むレイヴンとの場の空気が変わった。
勿論話に続きがあることを、結末が悲惨なものであることをレイヴンは察していた。浮かれた気分などすぐに何処かへ消えていく。
『貴方が最後に彼と戦った時のことを……貴方が忘れたワケではないでしょう?』
蘇る記憶は新しい、そして忘れるべくこともないであろう…インターネサインでの決着。
ジナイーダとのやりとりの直前にレイヴンはエヴァンジェを殺した。そう信じきっていた。
倒される度にその力を増しながら形状を変えては再び現れる悪魔とも言えるその存在、彼がどうやったのかはわからないが、エヴァンジェはその力との融合を果たした。
そしてその存在は直接的な強さに関わらず、畏怖の対象でしかない。

「…パルヴァライザーか」

『そう、本人と断定したワケではないけれど彼は、エヴァンジェは…―――


〝無限に進化する力〟を有している


つづく




「その獣の名」




ふと考えるときがある、此処に居る私が何なのかを。


哲学的な言葉を並べる気はないが、己の存在が自分の知る哲学というものよりも曖昧で、宙をぶらつくものだというのは事実だろう。
幼き頃の苦い思いも、死を迎える間近のことも、再び目覚めたそのあとも、変わらぬ記憶は色褪せていない。
だがその身体は、人であった頃とはまったく違う。
疲れを知らず、痛みを知らず、傷付くことを忘れている。
そして、それの代わりを務めるかのように、胸の内は酷く脆かった。


―――人ではなかった烏<レイヴン>の心を持った獣<パルヴァライザー>、とでも言うのか。


男は呟きに一人笑う。
肌を掠めた風が冷たいものだとは知らず、蔓延る青は蒼白く、エヴァンジェを蝕んでいるものは煌きを見せるのだった。
その作り笑いに覗く微かな嘆きと共に。


あれから4ヶ月、多くの企業が本社、支社施設を展開する都市部では急速な復興活動により様々な機能が回復している。
複数の車両用レールには既に貨物車両も見られるし、大型の作業用MT<マッスルトレーサー>や重機が騒がしくあっちへこっちへ。
柱の溶接によって吹き荒ぶ火の粉を避けながら走るヘルメットにスーツ姿の企業人などは何処か可笑しな光景だ。
そしてそれらを通してわかること、それは世界が確実に修復を遂げて行っているということだ。
一度分裂したアライアンスではあったが、各地で多発する頭を失った武装勢力による略奪行為、これへの抑止力としてクレスト、ミラージュ、キサラギは再度アライアンスの名を使い〝ラストレイヴン〟を企業側へと置くことに成功。
この絶対的存在を広告塔とすることで武装勢力の暴走はこれを機に激減し、歯止めが効かない程膨れ上がった勢力は企業側の部隊によって文字通り殲滅された。
それにより都市部から離れシティーガードすら存在しない小規模なコロニーでも復興作業が盛んになり、都市部の機能回復によって企業からの支援も円滑になった今、とある街にも復興という言葉は形となって見られた。
一人の男が身を隠す寂れていた街にも。

男は見惚れていた。
ケーブルを命綱に高所の僅かな足場を軽やかに渡っていく若々しい男性を、旦那にでもと焼いたのであろう香ばしいパンを包む女性を、露店を開くためか古びた木材に金槌を小気味良く鳴らす初老の男性を。
こうして自分達の住むべき街を自身の手で自身の足で、蘇らせ心地良い場所へとするため汗を流し、誰かを想い、動き続ける、この街に。

「人…か……」

その顔に見られる羨んだ瞳はどこか曇り沈んでいた。



「どうしたの?」
隣から聞こえる、か細い鼻声に男はふと我に帰る。
街並みに忘れていた少女にそれを悟られぬ様すぐに作り笑い。
更に誤魔化しを畳み掛けるように少女の頭にポケットから抜いた手を少し力強く押し付けた。


「なんでもない、必要な物は買えたか?」
「リンゴに、缶コーヒー…缶詰もある」

そうか、どこか遠い眼差しでそう答えた男は少女と共に人込みの中へ。
活気付く通りの中で男の憂いはそぐわない、とでも言うような顔付きはもう見えなくなった。


二人は現在、初めて会ったあの街外れからそう遠くない、崩れた高層の建造物に住んでいた。
元から居住用だったかは定かではないが各フロアに放置されている生活用品は未だ使えるもので、それらを寄せ集めかなり上層の、壁が一部なくなっている部屋を選び腰を落ち着かせていた。
そこから見える風景は街とは反対方向に広がる崩れに崩れたビル群のみ、男が此処にしようと言った時少女は風通しがいいねと、歳相応とは言えない皮肉を男に向けた。
今では少女も此処での暮らしに満足している(男から見ればそう見える)ので悪い選択ではなかったのかもしれない。



「…ひま」
壁の向こうにビル群を覗くことのできる書斎にて、男が耳にしたのはひどく端的だが少女がどういったことを望んでいるのか容易に説明が付く言葉だった。
雨を凌ぎ食う寝る以外のことは考えていないこの場所で、彼女は〝暇が潰せるもの〟を欲していた。
最近になり少女は子供には有って当たり前の我侭な面が見えてくる。辛い経験によって抑圧されていたそう言った面が垣間見えるというのは喜ばしいことだろう。
と、わかっているつもりではあった。だが〝幼い頃の自分〟はまったくと言って良いほど参考にならないことも知っていた男は、こういった時のマニュアルが欲しいと無精髭を困惑交じりに摩る。
さてどうするかと悩む最中、今しがた読んでいた一冊の本を思い出し少女に手招き、この歳の子が持つにはあまりに重く厚いハードカバーを渡してやった。

「アイラ?」

手渡された本の題を口に出す少女は、如何にも重そうにそれを抱えている。
可愛らしいその姿に眼を細める男は、良い本だぞ?と付けたし、棚からそれと同じ題の本を一冊取り出すと少女の前でひらひらと捲ってみせる。

「上下巻構成の、そっちは上巻、こちらは下巻だ。そっちを読み終えたら貸してやる」
「どんなお話なの?」
「レイヴンである少女の話だ、自由で気高く、そして強い……そんな少女のな」

既にペラペラと数ページ捲っている少女はぎっしりと詰められた文字に流し目、興味津々に男に問う少女へと。
繰り返し読み耽った本の内容を反芻するかのように男は髭を摩りながら勿体ぶったように、それでいて少しでも興味を持たせるように教えやった。
そう、本当のレイヴンの姿だ。
少女にも聞こえぬ声は呟き、無き壁の向こうに見える空は少しだけ紅く染まっていた。



「エヴァンジェ、泣きそうな顔してる」
扉に手をかけた少女がこちらに振り返っていたことに気付き、彼女の言葉に思わず顔を触ってしまった。頬は濡れているワケではないようだが。
そんなことはない、と強がりの口調も流され抱える本を足元に、少女は男へと駆け寄りその勢いのまま座る男に抱きついた。
驚きながらも自身に顔を埋める少女の頭をゆっくりと撫でてやる。そんな男が今、どれほど優しい瞳で笑っているかを教えてやったらそれは驚くことだろう。
その顔に獣など影も見られない。

「エヴァンジェのこと、好き…エヴァンジェは?」
「無論、君が好きだ」

引っ張るコートから上目遣いに少女は頬を赤らめた。返す言葉も照れくさい、日の落ちる空のように男の顔もまた赤く。
シンとする室内、男の耳に届くのは少女の息遣いと身体を通して伝わる鼓動だけ。
それのなんと心地良いことだろうか。
男が知らなかった感覚、本来ならば知らずに世を離れていただろうこの感覚は、いつの間にか男の琴線に触れていた。
ほろりと零れる男の涙に少女は口を、つんと尖らせる。

「やっぱり」

流れる雫に、少女の言葉に、男は…エヴァンジェは無理にでも笑ってやろうとしていた。
だが上手く笑えない自分が居て、それに気付いた自分もあって、男の涙大粒のものと。



〝あの頃<死ぬ前>〟の自分にこんな感情はなかった。

此処いるのはやはり、獣が模しただけのまったく別な存在なのだろうか。だからこんなにも温かいのか。だからこんなにも胸が苦しいのか。
今こうして感じている人間の様な感情すら粒子の思考でしか、0と1でしか、もっと高度なものなのか単純なものなのか。
ただ、そういったものでしかないのか。
ふと思い出す幼少期、人として扱われなかった自分、父と母の顔よりも深く刻まれたのは双方から受けた暴力の痛みだった。
人として扱われなかったが故に男は自分を捻じ曲げた、何が神託<オラクル>、何が選ばれた者なのか。
それは特別<ドミナント>を前に簡単に砕かれ、安いプライドすら残らない。
そして闇に堕ち、目覚めてから拠り所を見つけ、そこで初めて気付いてしまった。
獣になる前の、以前の自分はなんとも醜くひ弱な存在だったのだろう、と。

人として未完成で、烏として不恰好で、獣となった今あまりにも眩しい。

それが悔しかった。
そして恨めしかった。
何よりも―――

「わからない、………わからないんだっ。自分が何なのか、どうすれば良いのか、どうしてやれるのかが!」

椅子から崩れ、膝を付く男はぐいと抱き寄せた少女の胸に泣いた。
少女の近くに居ると、男の心は温かく、それが獣であるが故と考えてしまうと、どうしようもなく涙が溢れてくる。
男がどこか、端で望むように。
自身が人で在れたならば、もしくは烏で在ったとき、この温もりをもっと早く、知り、感じたかった。
そう願うのは贅沢なのだろうか。



『どう思う、レイヴン』
影を落とす女性の顔を映す電子画面に照らされるこの空間は相変わらず暗く、レイヴンと呼ばれる男は気だるそうな瞳に一握りの哀愁が。
これに気付いた女性は、勘繰るような瞳でレイヴンへと問いかける。

『同情しているの?』
「なんだか、見ちゃいけないものを見ちまった気がするよ」
『…そうね、以前の彼からはまるで想像できない。でも、企業と貴方、ふたつを仲介する立場として言わせて貰えば、精神が不安定だからこそ危惧すべき存在であり、早めに芽を摘むべきだと思うわ』
「不安定ねぇ、建前用意して三企業を再び統一、それでやることは道理のわからないガキと変わらん男一人を殺すこと…か。物のわかった大人ってのは恐い恐い」

画面の向こうからそれは皮肉?と言う声が聞こえたがレイヴンは軽く流し、重い腰を持ち上げた。どうやら彼は何かに腰を下ろしていたようだ。
一旦暗闇の中へと消えた男、次には眩い光源が天井から辺り一帯の暗闇を呑み込みかき消した。
どうやら此処は巨大な造りのガレージの様だ、飾り気もなく温かみもないただただ無骨な金属の空間。作業用のクレーンやケーブルがぶら下がる天井には大型のライトが幾つも並ぶ。
そしてその下に佇むは鋼の皮膚に身を包む白金の板金が眩い巨人。

「シーラ、出撃する。ガキの相手は同じガキが一番だ」

展開される電子画面の近くに戻ったレイヴン、その瞳には紛れもない最後の烏として鋭さが光る。
シーラと呼ばれた女性は目標と呼ぶ者の所在地を画面へ出力、そしてその画面には、エヴァンジェの名の代わりに並べられたパルヴァライザーの文字。
獣の烙印を捺されたことへの同情か、レイヴンはその表情を僅かに歪めた。

『あの時、ちゃんと止めを刺していれば…なんて責任感じる程度には大人なのね』
「……どうだかな」

白金のACに紅い瞳、各部から排出される蒸気は息を吹き返した姿の様に。
最強を冠したレイヴンは再び動き出す。


男が平静を取り戻し、少女が書斎をあとにしてから随分と時間が経った。
崩れた壁の一部、手を置いて見渡すは月明かりの下浮かび上がるビル郡のぼやけた輪郭。眺める男の背中はいつにも増して憂いの影。
夜風を楽しむにはあまりに体温が高く、一人で居るにはあまりに冷え切った心。そんな男に呼応するかのように青はその熱を剥き出している。

〝だからお前は犬だと言うのさ!〟

今にして思う。

「犬であると認めた方が幾分格好は付いただろうか」

椅子に投げていたコートを手に書斎の戸を足で、男と同じくらい独り言の多い蝶番にうんざりしながら通りを抜け広間へと。
出口に向かう途中でつい寝室の戸に手が伸びてしまった。隙間から覗くとベッドの上では本を開きはなしにすやすやと寝息をたてる少女。
物音を立てぬように挙動も遅く、灯ったまま忘れられているランタンの摘みを捻った。
出戻りに男は少女の髪に触れようと手を伸ばすが、指先に戸惑い、それは握り締められた。加わる負荷に負けた指先から赤い血が、それに続いて輝きが。
開いた掌に戸惑いも傷もない。


気付けば男はその足を馬車馬のように走らせていた。闇雲にただ只管に。
理由はわからずとも知れたこと、止まるまでこの足、止められるまで走りたい。
目前のビル群は生憎何処までも続いている。男は此処の果てを見たことがないから少なくともそう思えた。



―――少女は

目覚めてから開いたままの本に気が付き、それを閉じる。
口元を拭う際扉が開いているのがわかり、周りにエヴァンジェがいるのではと周囲を見やるが見当たらない。
少ししてから少女が違和感を覚えたのは寝起きの靄が抜けたから、部屋だけでなく何処からも人の気配がない。
寝室を飛び出し書斎の方へ、戸を開いても彼のそっけない言葉は聞こえない。

「エヴァンジェ?」

呼吸が荒くなるのを感じた。普段利用している部屋を、扉を出た先の同階層の部屋という部屋まで駆けずり回った。が、見つからない。
少女の内には久しく忘れていた孤独、また一人になってしまうのでないかという恐れ、それは不安となり胸の内を急がせた。
トクントクンと急ぎ足の鼓動、それにつれ肺が潰れていくような錯覚に息は乱れ、少女の頬に涙は浮いている。

―――エヴァンジェは

崩れた建材に埋もれた道なき道をひた走る。兵器の残骸が車両の残骸が、そこかしこに転がるこの場所を。
躓き、転び、身体を打ち付けても、男の足は止まらない。
ただ、こうやって我武者羅に進んでいけば、あそこから離れれば、もう獣は人に依存し続けることもない。
人である少女を、人のフリした獣が騙す日々も終わる。
それが少女の望まぬことでも、男が望んでいなくとも、正しい選択でなくとも。
全ては衝動に任せたものなのだから。
喉まで出掛かった「どうすればいいっ!」の一言を飲み込んだ。

「私は…獣だ」

代わりとなった叫びのなんと弱々しいことか。



『どうしたぃ?エヴァンジェ、そんな顔して……自分を忘れたか?それともわからないか?』

薄らと浮かぶ涙にぼやける瞳を空へ、見上げる月明かりに白金、そのいぶし銀はビルの上、こちらを見下ろしている紅が強烈に脳を刺激する。
投げかけられた外部スピーカーからの言葉は機器を通した特徴的な曇り声。それがエヴァンジェの足を止めたのだ。

―――ラストレイヴンは

            『感傷を持って…歓迎しよう』

                            そこにいる―――


つづく




「その〝 〟の名」


感傷を持って歓迎しよう―――

烏の言葉は響く。
月明かりに照らされたこの場所に。
その言葉を向けられた者、エヴァンジェにも当然。

「ラスト…レイヴン……、レイヴンッ!!」

怒りであった。
男の表情が物語るのは。握り拳が震えるのは。

「私が!どう見える!!」

足元に靄靄と揺らぐ青の中を濁る粒子。
感傷に溺れる感情は周囲の金属に干渉していく。

それはまるで、すぐに癇癪を起こす

「この姿が!!どう見える!!!」



『子供だ』

ラストレイヴンの眼下、金属と瓦礫と砂煙、粒子と感情とが渦巻き残骸を呑み込んでその姿を現した。
胴から脚に代わり伸びる二対の棘状の射出機に後方へと向けられた巨大な推力機。そしてフレームに走る、フレームの色すらも変えている青。
青いパルヴァライザーに放つ言葉。

『わかんないわかんないつって癇癪起こす、起こした理由までわからないなら言ってやる』

射出機から繰り出される誘導性の高密度エネルギー体はレイヴンへ。
迫る誘導弾に脚を動かすこともなく、レイヴンは続ける。

『ガキだ!認めろ!!』

ほんの数瞬後には直撃するであろう緑の線を引いて近づくそれを前にレイヴンは吼えた。
ミラージュ製の頭部パーツ、マンティスに備えられたセンサーは反応、レイヴンの乗るいぶし銀の機体、クレストとミラージュのフレームで構成されたAC<アーマード・コア>は並のものとは企画が違った。
そしてそれを把握しているからこそ、彼はその脚を突き立てる構造物から離れようとはしなかった。
何故なら、直線的な斬れのある頭部は縦に割れ、真横に開かれた怪物の口の様な機構は絶対障壁を

――カ イ ル ス 粒 子 開 放――

カイルスフィールドを展開する。
散布するナノマシンが集束された高密度のエネルギーを四散させ、それは拡散させられた熱として消えていった。

『お互いにな。やんちゃするのはもう終らせなけりゃいかんのさ…』


少女はひた走る。
躓き、転び、身体を打ち付けても、少女の足は止まらない。
ただ、こうやって我武者羅に進んでいけば、短い足を突き動かせば、エヴァンジェに少しでも近づく。
何時までも変わらない瓦礫ばかりの風景も、残骸に足をとられるこの道なき道も、男に会えれば終ると。
全ては衝動に任せたものなのだから。

「エヴァンジェ!!」

――

「エヴァンジェ」

暗闇に男は影を落とす、それのどこまでが影でどこからが闇かはわからない。
そして自身の名を耳にしながら、男はただじっと座っていた、冷たい影の上に。

「わからないなんてズルいよ、もうわかってるんでしょ」

俯く男の前にはどこか薄幸を纏う少年。
まるで目の前の男をそのまま幼くしたようで、それが男にとって見覚えのあるものなのは言うまでも無く。
顔や細い腕に幾つも見える痣の中には今でもその痛みを思い出すものばかり。
いつまでそうしているの?の問いに男は唇を固く結んだ。



本当に獣ならよかったと思ってるんだよね――
男の口から返事はでない。

自分が自分じゃないって、ずっと前からそうだったことに気付いてた。でしょ?――
返事は軋む歯で。

「例えば…僕<君>の頃から、とか」
そう言って少年は、自分を指差した。その指は同時に男にも向けられたものであった。
男はずっと背伸びし続けた。
結果は目の前の少年から幼さが抜けただけのもの。

「認めたらもう何にもなれない!そうだろう!!ずっとこうだった……」
「それも含めて、もうわかってるって言ったんだ……あとね、少し勘違いしてる」

男は顔を上げた。
勘違いとは。

「獣になってから人らしく在れたんじゃないよ、忘れたの?自分が本当に自分か獣かどうかを意識しだしたのも全部――

エヴァンジェ!!


男は確かに少女と自分を重ねていた、あまりにも似ている瞳に。
他人とは思えなかった彼女の強がりに。
同じように知らずに堕ちていくのが見えていたあの少女に。

「何にもなれないのは変わらない」
「そう、でも…与えることはできる。いや、できてたよ実際に」

人として未完成なら、それを手本にさせればいいさ
想い――

烏として不恰好なら、不恰好なりに格好付ければいいよ
熱い想いは――

獣として眩しいんじゃない、あの子と居る君<僕>がそう映っただけ
この想いはもう――

「止まらない」

男の瞳に輝くのは、青ではない。


ラストレイヴンは変わらずに見下ろしていた。
瓦礫の上に転がるのは既に瓦礫と見紛うまでに砕かれた青のパルヴァライザー、その上半身に当たる部分が折れた腕や無い脚をどうにかしようと蠢いている。
それはまるで脚や羽を失った虫の様で、そしてレイヴンの駆るACの白金の装甲には目立った損傷は見受けられなかった。
右手の主兵装であるハイレーザーライフルKRSW、大型の集束熱量射出機構からは数百とまで上がった熱が煙として。
左手の主兵装である腕部携行用のハンドレールカノン、射出口から伸びる三本のバレルからも同じように煙、バレル表面は高温によってその色を変える程。

『手は抜かん、あの時と違ってな』

そう言ってACは男の言葉に従うように。
男がそうさせるように、左手のレールカノンを構え、そのバレルからコンデンサから、可視化するエネルギーは攻撃性を剥き出しに。

『跡も残さんよ』

放たれた一直線の雷光の眩しさに、星の光すらも翳る。弾頭の直撃と同時に生じる爆発は一度球状に膨張したのち、中心へと収縮。
それから形と言える形を成さない炎が爆風と共に広がっていく。炎に呑まれずに済んだ物も砂煙の混じった、と言うには幾分濃い風に隠される。
そうなる筈であった。
弾頭直撃を前に突然の光、青ではない、パルヴァライザーのコアに位置する部分からの突然の爆発。
レールガンから放たれた弾頭は威力を殺され、爆縮球体から伸びるマニピュレーターに握られていた。
濃淡のある煙の中に浮かび上がる人型の影。晴れてくれば目に見える青のフレームは板金の装甲。鋭い紅は感情の燃える想いの瞳。

「認めよう、レイヴン」

男が、エヴァンジェが搭乗する浅葱のAC、オラクルは、レイヴンを前に現れる。



『憑き物でも落ちたようだな、聞かせろよ』

両手の大筒で狙いを澄まし、地を駆けるオラクルを叩き付けんとするレイヴン。
夜空から星が降るが如く注がれるKRSWの光弾、しかしブレード以外の装備が排除されているオラクルは持て余した俊敏性によって回避。
瓦礫を踏み潰し、奔り抜け、脚部の筋を目一杯に壁を蹴り上げる。少しでも前へ、少しでもレイヴンの佇むあの場所へ。

「私に勝てたらな」

強がりでも良い、あの特別を前にすれば、霞まない者などいないのだから。
電磁加速によって空気抵抗と知覚領域を抜ける弾頭を跳躍によって避けた。後方のビル群を巻き込み吹き飛ばすその威力に戦慄しながらも推力と共に踏み込む。
あと少し、男の目前にレイヴンは居る。
その脚をどっしりと据えコチラを睨むあの白金を。
この距離なら!そう見切ったエヴァンジェは両腕のブレードを月光の直射集束レンズから伸びる蒼刃を、振り抜くと同時に出力の調整、刀身を視覚不可の武器とし飛ばした。

『カイルス粒子開放』

直撃寸前の射出された光波は打ち消された。
カイルス機構を展開するマンティスは奥底に、大きなナノマシン調整構成機を煌かせ、それはまたも戦慄の対象となる。
良い攻撃だな?レイヴンからの通信に余裕が見られた。
タネ明かしだと並べられる説明『カイルスフィールドはエネルギーの集束を大幅に低減、四散させその威力を殺す。近距離での殴り合うにはソッチは少し揃いすぎてる、だろう?』と冷ややかに。
これを聞いたとき、エヴァンジェはその影響を回避する策など思いつかなかったのも事実、粒子の性質からしての問題でもあったのだから。
だからと言ってただ指を咥えるワケでもなく、先刻の強がりの言葉とも違う。

「試してみるか?レイヴン」


…天高く流れる星に撃ち込む自信など私にはない
星を背に、衝撃波を撃ちやるレイヴンを前に、時間すら縮める光の前にはどのような動きを取ろうとも無駄なことだ。
エヴァンジェの脳裏にふと過ぎる言葉と考えがあの時を思い出させたが、無駄なこと、そうは思えない。今なら捉えられる。
威圧と異型を持つ長槍の如きKRSWから驚異の速度で瞬間的に射出し続けられる光弾の雨。
視覚から得る周辺の状況、状態と光弾の予測落下地点、自身の出せる最大速度と、確保できる脚取り、踏み込み位置。
避けられない、機体の損傷度から問題にならずに済む弾は無視。しかし直撃すれば確実な致命傷となり得るものが一から三発。
ぐるぐると巡る考えの中、刹那に選び出した策。
エヴァンジェは光弾を叩き落すと決めた。
両の腕に備えられた金色のブレードフレームから、蒼の刀身を伸ばせば僅かに触れた部分からは火の粉。
光弾網との接触地点へと突入し加速する推力機を絞り込み、初弾、コアへと直撃する光弾を右腕のブレードで除去。
そこから振り抜いた腕を地に、その支えを主軸に各推力を順に吹かして加速度を生かしたままの脚を浮かし、空転、瓦礫で埋め尽くされた足場を削っていく光弾の隙間を縫い着地。
主推力をもう一度全力に、回転を加えたままの姿勢から二、三の光弾を打ち落す。
この間に減速は見られなかった。

『早過ぎる、これは…』

レイヴンの脳裏にも言葉は過ぎる。
無限に進化する力、そんな実在する御伽噺を。だがそうだろう、以前とは違いすぎるのだから。
無茶な連続射撃を試みたせいで、ACの出力機は一時的な出力不足。その脚を一度構造物の上に突き立てる必要があった。その合間の考えだ、嫌な汗を感じるのはあの時以来か。
今目前に迫る男との戦闘の後に戦った彼女のことを思い出す。
エネルギーの回復は間もなく、迎え撃つ準備を。レイヴンは標準調整と火器管制の変更、前面に展開する防御スクリーンの被弾角度や展開構造の二重化三重化。
カイルスのナノマシン残量はあるが、不安要素は残る。
エヴァンジェとの距離、あと僅か。



しかしほんの数瞬、間に合わず。

直線状の構造物を足場に、高出力の推力を全開に最大の加速度をぶっ放して最後の足場を蹴り崩しレイヴンへと跳躍したオラクル。
を、チャージが完了したレールカノンが襲う。
ほんの一瞬、先行する閃光に気付いた瞬間には知覚領域での察知不可な弾がオラクルのフレームを貫き、衝撃と同時に空中で爆発。
黒煙の塊は慣性に従い弾の過ぎて行った方へ、後に重力に従い下へ下へと。

砕け散るオラクルは粒子となり黒煙の中にちらちらと。
その煌きの少なさに虫の知らせ。

「レェェイィヴゥンッッ!!」

失った右半身、そこから散っていくは鮮血の様に粉となり流れる破片。纏わりつく黒煙の壁、その糸を引き千切りオラクルは再動。
関節の限界にまで引いた左腕に光るブレード、それはレイヴンを目掛け突き動く。

『カイルス…!―――




瓦礫に落ちる雨粒は終わりの合図となった。
辺りに充満する硝煙の香、風に混じる砂、そして白金のフレームに滴る赤黒いオイル。
全てを洗い流す。

『レイヴン、応答して!レイヴン!』

夜明けに滲む紺の空の境、朝霧に雨音と女性の声はこだまする。


何者で在れなくとも、何も無くても構わない
こんな抜け殻みたいなざまの私を見て、同じ瞳の少女は歩み寄ってくれた
類は友をと言うのか、一緒に堕ちていくとばかり思っていた
だが、あの子は泣いてくれた、笑ってくれた、優しく、温かかった
同じにしてはならないと、教えてやりたかった
だから、今更自分がどうであろうと、構わない
やっと気付けたことに、手が届く気がするから…―――

「…とさ」

レイヴンは雨水に顔を打たせた。
汗と疲れは憂色を残し流されていく、それと同時に嗚呼の声。
彼のACの装甲に響く雨音と一緒に叩くのはブーツ、伸ばした手で引く緊急用のレバーは頭部パーツの強制分離機能。
固定ボルトの雷管に点火、指向性爆薬の起爆と同時に支えのなくなった頭部はコアの上で転がりレイヴンはそれを蹴り落とす。
ボルトの爆発以前に酷く歪み破損して、原型を失っていたそれは数メートル下へと落ちていく。

『…勝てたのね』

レイヴンの語らいに耳を傾けていたシーラは、彼のヘッドセットへと言葉を。
まぁな、と寂しげの呟きに彼女はトドメを刺せたかどうか、そんな野暮なことを聞くことはできなかった。

「俺から言わせれば…高望みでもしてんのか、どれにでも、そう在ることはできていたと思うがな」

生真面目なのか、考えすぎなのか。そう口走るレイヴンの顔にもどこか幼さが。
同じ子供、そう思っていたエヴァンジェが、今の彼からはとても大きく見えていたから。

「周りの意じゃない、本人がそう思っている以上、何も変わらないのさ…結局」


足を滑らせた。
雨で濡れたこの場所を短い足で歩くのは困難だろう。
だがそれでも、少女は足を止めない。疲れで既に震える足に鞭を、少女の顔は苦痛で歪むも歯を食い縛り強がり。
最早顔を流れる涙は雨と混じり見分けなどつかない。しかし消えることはない、少女の瞳からはずぅっと流れ続けている。

「……エヴァンジェ」
「すまん、格好付けてみたがやはり負けてしまったよ」

突如聞こえた、ずっと求めていた声が、その主が、見上げる少女を前に立っていた。
何を言うでもない、下唇をきゅっと噛み、溢れる涙や言葉にもできぬ情を、近付き、抱きしめることで我慢した。
ぼろぼろで薄汚れて雨にずぶ濡れの二人は身を寄せ合い、肩を震わせた。

「エヴァンジェの身体、つめたい…すごく、すごく冷たい。ぎゅってして、温めてあげる…から、だから!もう居なくならないで!一緒にずぅっとずぅぅっと、一緒に居てよ」

少女がひしと抱きついた男の身体の冷え、それが何を意味するかなど彼女は知る由も無い。
この時、男の腕の振るえが彼女の身体からやっと感じることのできた温もりによってのものであることだと言うのも、また同様に。

「あぁ…あぁ!誓おう!」

エヴァンジェが胸の内で叫ぶ、すまないの言葉に理由はふたつ。



それから間もなくして、男の誓いは破られた。

間もなく、とは言えそれは男にとってのことだ。
あれから男は少女との一日が、それはそれは早く過ぎて行くよう感じられたから。だが実際に長い月日を共にできたワケではないのも事実だ。
この短い間に、少女に何か与えることはできたろうか?最後に目を閉じた時、闇に呑まれる最中で感じるは不安。
少女が男の名を呼ぶのが聞こえる。
そうだ、と男は思い出す。自分に残こされた本当に最後のものを、少女に与えようと。
それを口にした時、少女が一体どんな顔をしてくれていたかはわからない。
だが、しかと与えたのだ。喜んでくれたかどうか、よく考えれば女の子に似合うものでもないだろうか。
いっそう強く握られた腕は喜びからか?だが不思議と安堵に包まれ、そして消えて逝く。
こうして男は、本当に何者でもなくなった。


「ありがとう」


冷えきった手を強く握り、涙に濡れた手向けの言葉は目覚めることのない男へ送られた。
うそつきと、声を大にし叫びたい。そう思うことすら忘れ、今しがた与えられたものを口に。
それは、その〝少女〟の名―――


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