エピローグ ~アリス・シュルフの独白~
私のやってきたことには何の意味があったのだろうか。
全ては私一人の空回りだった。自由に基くレイヴンの解放も、世界を破滅させる危険を背負ったジャスティスの起動も、終わってしまえば不要の手回しだった。レイヴンとして両手を血に染め、プログテックという大企業を裏から操り、生命誕生の禁忌すら破って蘇らせた仇敵は、戦う意志すら持たない抜け殻に過ぎず、兵器を用いずに生身で侵入すれば、事もなく無力化させることが出来たのだ。
その報せを帰還したアイラから受けた際には、あまりの馬鹿馬鹿しさに卒倒したものだ。無理もないだろう。二十年もの間、命を賭して貫いてきた目標が達成を前にして無意味であったと断じられたのだから。
ともあれロストフィールドの戦いが終わった直後、私は疲労と動揺で前後不覚の状態が続き、床に伏せたまま動くことが出来なかった。常々続いていた頭痛と嘔吐は限界を迎え、視界が白く染まって死すら覚悟したが、存外に人体というのは丈夫なもので、半月ほどの休養で症状は治まり、一月もすれば現役時代と同じようにACの操縦すら可能であろうというほどに回復した。
そして驚くことにその頃になると、チーム・ルークスカイでは一連の騒動が元から無かったかのように、当たり前の日常が繰り広げられていた。
オフィスに行けば事務員が無表情しかし一心不乱に情報の整理を続けており、ガレージに行けばウィンが煙草をふかしながらサムを初めとした部下をからかって遊んでいた。激務に忙殺されながらも無理に時間を作ってはフェイが足を運ぶと、その度に周りの予定も都合も無視したアイラの手に引っ張られ、二人はシルフィと共に空の彼方に飛び去っていく。
彼らは私を咎めはしなかった。身勝手な都合で世界中を混乱させるほどの騒動に巻き込んで、存亡の危機に追い遣っておきながら、チームの責任者の座は空白のままで、私には帰る場所が残されていたのだ。
この事実には、アイラたちの意志が込められているように感じられた。共にチーム・ルークスカイを、今までと同じように、続けていこう。と。
だが私は思うのだ。私が姿を消し、床に伏せている間も、チームは何の支障もなく動いてきた。
昨日も今日も皆は同じように生きている。そしておそらく明日も。アイラは、フェイは、いや、チーム・ルークスカイという一羽の烏は、私の手を離れ、青空を自由に飛び回っているのだ。
ならば、ここに私がいる必要はないのだろう。もちろん、この大烏の羽根の一本として加えてもらう選択もある。つまり、後は私の意志次第だ。
私は胸が大きく広がり、空に溶けていくような感覚を覚えた。それはナインボールによって全てを壊され、憎悪と復讐にしがみついてしか生きて来られなかった私にとって、初めての体感する解放感であった。
今、私は私の意志で私の行く先を決めることが出来る。自由とは何と幸せなことか、心の底からそう思った。
ロストフィールドは四方を流れの激しい海に囲まれた小島の中央部に存在する。私は島の周辺に位置する高台に立ち、かつての支配者が君臨していた遺物を、静かな気持ちで眺めていた。
主を失ったロストフィールドは沈黙を保っている。報告では、ナインボールを初めとした旧世代の兵器は健在であるものの、ネストの中枢であるコンピュータが目覚めることは二度とないという。性能に劣る旧式ACを掘り返すような物好きが現れない限り、島の自然と共にこの静寂は永遠のものとなるだろう。
人工物の香りなど一切しない波風が、ロストフィールドの安息を私に知らせてくれる。彼らはようやく役割を終え、永遠の眠りにつくことが出来たのだ。本来ならばとうの昔、人々がネストに代わる管理者を自らの手で築き、この大地を離れ火星で歩み始めたその頃に、終えていたはずの役割を。
私は目を閉じる。切り立った岩壁を波の叩く音が響く。玄武岩で構成されたその壁面は黒く、長年潮に削られたことで十mに及ぶ崖が、私の背後には形成されていた。
私は振り返り、目を開く。彼方には黄金色に光る太陽が、ゆらゆらと揺れる波に溶けて世界の全てを輝かしく染め上げていた。
私は地を蹴り、飛び立つ。自由落下に任せて風を切る感覚は、全身の毛穴が逆立つほどの解放感に満ちていた。
ああ、私はここまで来た。
いつだったか彼が口にしていた通り。求め、もがき、登りつめた先には何も無かった。
ただ、私は今こんなにも、
自由だ……!