『こちらベクター=ヒュプノスだ。
コーテックス、これの通信を受信したなら応答をくれ。俺はいま、施設内部の……巨大なドームなのだろうか。
レイヤードでいうなら、自然区に相当する場所だと思う。機体はほぼ完全に……言い方が変だが、うん。
まあ、破壊され、俺はACを降りて、この場所をさまよっているところだ。
作戦開始の時に言われたとおり、回収してもらうことは出来ないんだよな。
でも一応だ。一応送信しておく。位置情報も一緒に送ろう……なら画像付きのほうがいいか……。
そうだなそうだ。俺のメカ眼からの映像を添付して送信し続けることにしよう。
まあどうでもいいことだろうが、どうも俺には『オールドコート』の住人が人間であった、
なんてことは信じがたい。ああこれは俺の意見だから、どうとでもしてくれ。
まあ、とりあえずだとりあえず。……できたかな。ではこの口述メールも送信する。
もう俺は……いやなんでもない。さて……ああそれじゃあ、また会えたらそこで……』
会議室のスクリーンにプロジェクターで投影されたレイヴン:ベクターの遺言。
プロジェクターの後ろの長机には企業連の特殊任務科の主任が三人座ってこれを見ていた。
この映像、音声が遺言として彼らに見られているという事は、彼が帰ることはなかった、という事を意味している。
加熱するプロジェクターは更に彼の行動をなぞる映像を吐き出し続ける。光の帯の中を塵埃がもうもうと通過する。
三人は息をのんだ。スクリーンに映しだされるもう一つのレイヤード『オールドコート』の内部。
自然区とベクターは言ったが、どう見ても我々の知っている植物ではない。地形もあり得ない色、形をしていた。
金属質のキノコ型植物が生える草原。砂はまるでつぶしたポテトチップスのように荒い。
流れる沢はトドメ色の水銀のような液体。手のひらサイズに縮小した航空機の翼のような物体が地面のソコラカシコに刺さっている。
空も奇妙に『曲がっている』。まさに角度が狂っているように。
まるで精神異常者がデザインした嫌悪感を催す世界。『オールドコート』。
一体ここには『誰』が住んでいたのか……。
ベクターは既にレイヴンとして第一線を退き、教官として、新たなレイヴンを育てていた。
しかし、この『オールドコート』の一件でコーテックスは優秀なレイヴンを動員した。
そこで彼にもオファーが来たのだ。他の引退組にも声がかかっただろう。
ベクターは今では引退した身だが、かつてはランカーとしてアリーナに君臨していた。レイヤード時代だ。
ベクターは悩んだ。
「俺だって昔は自慢じゃあないが強かった。ものすごく、な。
だが今は分らない。実戦から離れて何年にもなる。教官としてACにはいつも乗っているがあれは偽物だ。
『本物のAC』とは違う。感覚が鈍っているかも知れん。いや絶対そうだ。きっと死ぬだろうな……」
そして悩んだ末に決断した答えは、
「まあ何とかなるだろう。前も何とかなったんだ。きっと死なないだろう。
そうだよ、死んだら死んだでレイヴンだ。俺はレイヴンなのだ」
心の奥に眠った、死んだ女の影。彼女の望んだ平穏は、彼女には与えられなかった。
与えられるのを待っていてはいけない。勝ち取らなくては。ベクターはそれが出来る立場にある。
実際、ベクターは死ぬのは怖くない。過去にしてしまった過ちが怖いのだ。
思い出すたびに手が震えた。恐ろしかった。
コーテックスのテレコールに「了承」で応じ、彼はガレージへと急ぐ。
まだそこに彼女は居た。彼のかつての愛機、ヒュプノスが立っていた。
重逆間接機だ。武装は外されている。スクリーン発生装置には埃も積もっている。
ベクターは整備重機制御室の扉を開けるや否や、ヒュプノスに関するスイッチを全てONに切り替えた。
バチッと電気が走る。ゴウゴウとジェネレータが回り、レッドゾーンを突破する。
スクリーン発生装置に溜まった埃はたちまち燃えて吹き飛び、鮮やかに塗装された紫に変わった。
整備MTが武装を取り付け始める。ハンドガンと投擲銃が手渡され、ヒュプノスが握ると爆砕ボルトで固定された。
そして彼女に搭載される最強の兵器、二機の超大型ミサイル・ポッドが肩武器ラッチへ接続される。
大空の無い時代のカラスは、太陽の下で今初めてプラズマの尾を引き羽ばたく。
凍えるラジエータが機体温度の上昇を今か今かと待ち焦がれていた……。
@
「久しぶりだな、ベクター」
「まさかお前まで参加するとはな、ゼロ」
「その台詞、そっくりそのままお返しするよ」
「ごもっともだ、伝説の英雄=ゼロ?」
「よせってよ、俺は今はただのゼロさ。過去の俺はもういないのさ」
「ははは、そうであったなあ!」
作戦会議室に集まったレイヴン。ここのパイプ椅子に座っているレイヴンは十人ほど。
ベクターはここで過去の友人と久々に出会った。
腐る程の数のレイヴンがぞくぞく集まっているが彼らはこの会議室に呼ばれてはいない。
ここに集められたレイヴンは隊長機としてこの作戦に参加することになる者だけだ。
彼らは彼らの仲間のレイヴンに今ここで伝えられることを伝えなければならない。
外からスーツの男が入ってきて、今回の作戦内容を説明し始めた。
「回収は無し、だとさ」
「まあどっちみち、失敗すれば死ぬだろうな。回収する暇すら無く。
……なあゼロさん? 今日で朝日を拝むのも最後かもしれないな」
「俺は太陽を崇めたことなんて一度もないぜ。俺が信じるのは俺だけさ」
「ははは、まるで変わってないなあ。やはり伝説の英雄と俺はあんたのことを呼びたいね」
「どうとでも呼べばいいさ。まあ俺は失敗なんてしないから死なないで帰ってくるさ」
「そう、胸張って言い切れるところがうらやましいよ。俺は優柔不断みたいだからなあ。
でもなんでこんな作戦に参加したんだ。辞退だって出来たはずだろうに」
「確かめたいことがあってな……」
「確かめたいこと?」
「んん、まあいろいろだよ。ベクター、お前はどうなんだ」
「俺は何となく……かなあ。特に理由はないよ。ただ困っている人がいるから」
「俺もお前のそういうところ好きだぜ。優柔不断だそうだが、
そういう恥ずかしいことを平気で言えるのには憧れる。俺もそうなりたかったなあ」
「褒めているんだかけなしてるんだかわからんなあ」
「きっとほめているのさ。……あ、そろそろ時間か。それじゃあな、俺の友人よ。また会う日まで」
「ああ、そうだなじゃあ……そういえば」
「そういえばなんだい」
「そういえば、お前の遼機はあの娘じゃあなかったか。気をつけろ。
彼女は俺が育てたんだ、かなり強いぞ。後ろからピーピーピーボボボされるかもしれんぞ?」
「ご忠告有り難く承るよ、方向を示す者《ベクトル》ベクター。まあそんときは、そんときだろう。ではな」
「お気をつけて、伝説の英雄。さらばまた会う日まで、無称号《カウント・ゼロ》!」
ゼロはドアの向こうに消えていった。他のレイヴンも次々といなくなった。
ベクターはパイロットスーツのポケットから萎びた煙草を探り当て、咥えて火をつけた。
「これいつのだろうな。うわ……やっぱりしけってやんの……」
萎びた煙草はただの煙、距離を置いていた戦場の煤の味がした……。
「だが、ゼロ。お前のように過去を捨てることは俺には出来ないようだ……」
ベクターは席を立ち、ヒュプノスのコクピットへ歩を進める。
ドリルロケットで施設外郭を突き破り、深部へと歩を進める。
ハンドガンのマガジンは何度も交換した。すり減り赤熱した銃身は最早弾の一発も発射できない。
思い切って敵に投げつければ破壊出来た。しかし増援の尽きることは無い。
両肩の破壊兵器は瞬時にフロアを焼き尽くす。焼き尽くしたフロアに敵影は無し。
しかれども瞬滅の焔の残弾数はこころともない。
遼機は三機いたが、いまでは一機に減ってしまった。
かつての生者の持つ武器を拾い、やがて死に往く亡霊は奥へと進む。
仲間の最後の一人が破壊される。蜘蛛型無人兵器トライロバイトは角砂糖に群がる蟻の如し。
ベクターは断末魔を叫ぶ彼を振り返らず、ただただ奥へ、指針を示す。
OB《オーハ゛ート゛フ゛ースト》機構はすでに焼け切れ、爛れて、銃器を持つべき腕も吹き飛とんで、虚ろな紫電を纏うのみ。
たった一発の雷残し、死に抗う戦いの力、無し。頭部はあらぬ方向を向き、無意味にうなづくだけの玩具と化している。
鉄の装甲はひび割れ老いた樹木の如く、割れる表皮が剥がれ落ち、ジェネレータの微かな心音に合わせて鼓動する。
防御スクリーンなどとうに消え、コクピット内もだいぶやられた。
メイン以外のモニタは全て砂嵐に代わって、まともに映るただ一つもエラーメッセージに埋め尽くされている。
「さて、どうするか」
ベクターは遺言を送信し終えると、アンテナユニットを耳の後ろのソケットに差し込んだ。
そしてヒュプノスの変形したハッチからサクサクとした砂の上に降り、サバイバルガンを腰から引き抜いた。
ゼロの言っていた、『確かめたいこと』とはこういうことなのだろうか。
今更彼にベクターが聞くことなど出来やしない。
ここの住人がどうなったのか。ここは本当に『滅びた』レイヤードなのか。
そんなこと彼には関係なかった。ただ進むしかなかった。
水銀の水の味は酒の味だ。匂いはしけった煙草の匂い。
角度のおかしい空間。右も左も、見えているのに、行先は違う。
ひび割れた空間の歪み。そこから何かが見ている様な気がする。
振り返っても振り返った先は前だ。前しか見えない。前にしか進めない。
前に進むしかない。この世界の方向は前だけだ。
ベクターには丁度いい。考えても仕方ない。優柔不断な彼にも今では決断することができる。
選択肢はない。ただ一つの道へ別れる分岐点。それがここである。
生の方向《ヘ゛クトル》はいつも一つだ。どれを選んでも前に進む。
金属の咆哮が聞こえる。地平線より湧き出る無人兵器の影。自然区は彼らでいっぱいだろう。
右も、左も後ろもやつらに囲まれている。分かってる。分かっていたことだ。俺を殺しに来い。俺はただでは死なんぞ。
ベクターはACに戻り、コンソールを叩く。
装甲が全て吹き飛び、ジェネレータが露出する。白熱する機械の心臓は狂ったように鼓動する。
「今、君は、何処にいる?」
もう、手は震えない。迷いなんて、どこにも無い。
なすべきことは、分かっている。ベクターはトリガーを引いた。
背部大型ミサイルの最後の一発が発射され、直後に起爆。ジェネレータに誘爆する。
太陽の無い世界に太陽が現れた。
大爆発は、自然区を飲み込み、一瞬のうちに光を失った……。
最早此処に自ら輝くモノは無し。ただ暗黒が支配するのみ。
最後の残り火が絶える時、全ての光がついえる。
ベクターはあの時の部屋に立っていた。薄暗いカーテンの締め切った部屋。
ベクターの目の前に、彼女がいた。あの時と同じように。
彼女は泣きながら、それでも笑みを浮かべようとしている。
彼女は拳銃の銃口を己のこめかみに当てた。
そして彼女は言う。彼女の死んだ時と同じように。
「さよなら、ベクター」
「やめろ……やめてくれ」
「だめ……、私に生きている資格なんてない」
「資格なんて必要ない。君は生きるんだ、さよならはいらない!」
「……さよなら」
「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
ベクターは叫んだ。そして手を伸ばす。手が届くほど近いのに、それでいて何百光年も先の彼女に、ベクターは手を伸ばす!
いやだ。そんなの嫌だ! またもや彼女を失うのか。そんなのは嫌だ。俺が守ると約束したのに!
俺は彼女を守れなかった。俺は彼女を信じてやれなかった。愛していた筈なのに。
銃を持つと手が震えた。人の血を見るたび彼女を思い出すから……。
だから俺はレイヴンを辞めた!
しかしこれは逃げだった。分かっている。分かっていたが、俺は我慢できなかった。
彼女の夢を毎晩見た。吹き飛び散る彼女の脳片。死んだ彼女のあの表情。抱きしめた彼女の失っていく温度!
何度手を伸ばしても、彼女の手からは銃を奪えない。
「さよなら、……ベクター」
だがここなら、この世界なら彼女を前に進ませることが出来る筈。
ここは夢ではない。汚れたパイロットスーツを着ている。体中が打撲でズキズキする。痛みがある!
もう一度、彼女を死なせるなんて出来ない。それが夢の中でもだ!
ベクターは真っすぐに手を伸ばした。一直線の最短距離で。そして彼は今度こそ銃を彼女から奪った。
「ただいま、……ベクター」
「おおぉ……おおぉおおおおぉうおお!」
もう、こんな事はするな。俺が君を守るから。君が死ななくてもいいように。きっと明日を変えて見せるから!
一度死んだ彼女を抱きしめる。嗚咽を漏らす彼女に胸を貸す。
彼も泣いた。彼女がここにいる、ベクターの腕に彼女の温かさが伝わるから。
温かい涙にパイロットスーツの煤が溶け出す。彼女の首筋にベクターの涙が滝のように流れる。
このぬくもりは、死体の彼女には既に無くなっていた。生きている温度だ。彼女はここに存在している。
二人は口づけを交わす。それは短いキスだった……。
そして彼女は消えた。彼女の体温だけがベクターに残された。
暗闇に帰る。
今度こそ本当に、さよならだ……。
ベクターも次第に暗闇に同化した。
彼女の温もりも、闇の奥へと消えた。
ベクターは死んだ。
方向は消えた。しかし力は残った。。
拡散しながら、固形化した全てを発散しながら、未来を変えていく。
貴方を形作る、針の穴にも満たないモノは、彼の愛の力だったのかもしれない。
そして貴方もやがて世界を形作る力の一部となるであろう。
終わり
コーテックス、これの通信を受信したなら応答をくれ。俺はいま、施設内部の……巨大なドームなのだろうか。
レイヤードでいうなら、自然区に相当する場所だと思う。機体はほぼ完全に……言い方が変だが、うん。
まあ、破壊され、俺はACを降りて、この場所をさまよっているところだ。
作戦開始の時に言われたとおり、回収してもらうことは出来ないんだよな。
でも一応だ。一応送信しておく。位置情報も一緒に送ろう……なら画像付きのほうがいいか……。
そうだなそうだ。俺のメカ眼からの映像を添付して送信し続けることにしよう。
まあどうでもいいことだろうが、どうも俺には『オールドコート』の住人が人間であった、
なんてことは信じがたい。ああこれは俺の意見だから、どうとでもしてくれ。
まあ、とりあえずだとりあえず。……できたかな。ではこの口述メールも送信する。
もう俺は……いやなんでもない。さて……ああそれじゃあ、また会えたらそこで……』
会議室のスクリーンにプロジェクターで投影されたレイヴン:ベクターの遺言。
プロジェクターの後ろの長机には企業連の特殊任務科の主任が三人座ってこれを見ていた。
この映像、音声が遺言として彼らに見られているという事は、彼が帰ることはなかった、という事を意味している。
加熱するプロジェクターは更に彼の行動をなぞる映像を吐き出し続ける。光の帯の中を塵埃がもうもうと通過する。
三人は息をのんだ。スクリーンに映しだされるもう一つのレイヤード『オールドコート』の内部。
自然区とベクターは言ったが、どう見ても我々の知っている植物ではない。地形もあり得ない色、形をしていた。
金属質のキノコ型植物が生える草原。砂はまるでつぶしたポテトチップスのように荒い。
流れる沢はトドメ色の水銀のような液体。手のひらサイズに縮小した航空機の翼のような物体が地面のソコラカシコに刺さっている。
空も奇妙に『曲がっている』。まさに角度が狂っているように。
まるで精神異常者がデザインした嫌悪感を催す世界。『オールドコート』。
一体ここには『誰』が住んでいたのか……。
ベクターは既にレイヴンとして第一線を退き、教官として、新たなレイヴンを育てていた。
しかし、この『オールドコート』の一件でコーテックスは優秀なレイヴンを動員した。
そこで彼にもオファーが来たのだ。他の引退組にも声がかかっただろう。
ベクターは今では引退した身だが、かつてはランカーとしてアリーナに君臨していた。レイヤード時代だ。
ベクターは悩んだ。
「俺だって昔は自慢じゃあないが強かった。ものすごく、な。
だが今は分らない。実戦から離れて何年にもなる。教官としてACにはいつも乗っているがあれは偽物だ。
『本物のAC』とは違う。感覚が鈍っているかも知れん。いや絶対そうだ。きっと死ぬだろうな……」
そして悩んだ末に決断した答えは、
「まあ何とかなるだろう。前も何とかなったんだ。きっと死なないだろう。
そうだよ、死んだら死んだでレイヴンだ。俺はレイヴンなのだ」
心の奥に眠った、死んだ女の影。彼女の望んだ平穏は、彼女には与えられなかった。
与えられるのを待っていてはいけない。勝ち取らなくては。ベクターはそれが出来る立場にある。
実際、ベクターは死ぬのは怖くない。過去にしてしまった過ちが怖いのだ。
思い出すたびに手が震えた。恐ろしかった。
コーテックスのテレコールに「了承」で応じ、彼はガレージへと急ぐ。
まだそこに彼女は居た。彼のかつての愛機、ヒュプノスが立っていた。
重逆間接機だ。武装は外されている。スクリーン発生装置には埃も積もっている。
ベクターは整備重機制御室の扉を開けるや否や、ヒュプノスに関するスイッチを全てONに切り替えた。
バチッと電気が走る。ゴウゴウとジェネレータが回り、レッドゾーンを突破する。
スクリーン発生装置に溜まった埃はたちまち燃えて吹き飛び、鮮やかに塗装された紫に変わった。
整備MTが武装を取り付け始める。ハンドガンと投擲銃が手渡され、ヒュプノスが握ると爆砕ボルトで固定された。
そして彼女に搭載される最強の兵器、二機の超大型ミサイル・ポッドが肩武器ラッチへ接続される。
大空の無い時代のカラスは、太陽の下で今初めてプラズマの尾を引き羽ばたく。
凍えるラジエータが機体温度の上昇を今か今かと待ち焦がれていた……。
@
「久しぶりだな、ベクター」
「まさかお前まで参加するとはな、ゼロ」
「その台詞、そっくりそのままお返しするよ」
「ごもっともだ、伝説の英雄=ゼロ?」
「よせってよ、俺は今はただのゼロさ。過去の俺はもういないのさ」
「ははは、そうであったなあ!」
作戦会議室に集まったレイヴン。ここのパイプ椅子に座っているレイヴンは十人ほど。
ベクターはここで過去の友人と久々に出会った。
腐る程の数のレイヴンがぞくぞく集まっているが彼らはこの会議室に呼ばれてはいない。
ここに集められたレイヴンは隊長機としてこの作戦に参加することになる者だけだ。
彼らは彼らの仲間のレイヴンに今ここで伝えられることを伝えなければならない。
外からスーツの男が入ってきて、今回の作戦内容を説明し始めた。
「回収は無し、だとさ」
「まあどっちみち、失敗すれば死ぬだろうな。回収する暇すら無く。
……なあゼロさん? 今日で朝日を拝むのも最後かもしれないな」
「俺は太陽を崇めたことなんて一度もないぜ。俺が信じるのは俺だけさ」
「ははは、まるで変わってないなあ。やはり伝説の英雄と俺はあんたのことを呼びたいね」
「どうとでも呼べばいいさ。まあ俺は失敗なんてしないから死なないで帰ってくるさ」
「そう、胸張って言い切れるところがうらやましいよ。俺は優柔不断みたいだからなあ。
でもなんでこんな作戦に参加したんだ。辞退だって出来たはずだろうに」
「確かめたいことがあってな……」
「確かめたいこと?」
「んん、まあいろいろだよ。ベクター、お前はどうなんだ」
「俺は何となく……かなあ。特に理由はないよ。ただ困っている人がいるから」
「俺もお前のそういうところ好きだぜ。優柔不断だそうだが、
そういう恥ずかしいことを平気で言えるのには憧れる。俺もそうなりたかったなあ」
「褒めているんだかけなしてるんだかわからんなあ」
「きっとほめているのさ。……あ、そろそろ時間か。それじゃあな、俺の友人よ。また会う日まで」
「ああ、そうだなじゃあ……そういえば」
「そういえばなんだい」
「そういえば、お前の遼機はあの娘じゃあなかったか。気をつけろ。
彼女は俺が育てたんだ、かなり強いぞ。後ろからピーピーピーボボボされるかもしれんぞ?」
「ご忠告有り難く承るよ、方向を示す者《ベクトル》ベクター。まあそんときは、そんときだろう。ではな」
「お気をつけて、伝説の英雄。さらばまた会う日まで、無称号《カウント・ゼロ》!」
ゼロはドアの向こうに消えていった。他のレイヴンも次々といなくなった。
ベクターはパイロットスーツのポケットから萎びた煙草を探り当て、咥えて火をつけた。
「これいつのだろうな。うわ……やっぱりしけってやんの……」
萎びた煙草はただの煙、距離を置いていた戦場の煤の味がした……。
「だが、ゼロ。お前のように過去を捨てることは俺には出来ないようだ……」
ベクターは席を立ち、ヒュプノスのコクピットへ歩を進める。
ドリルロケットで施設外郭を突き破り、深部へと歩を進める。
ハンドガンのマガジンは何度も交換した。すり減り赤熱した銃身は最早弾の一発も発射できない。
思い切って敵に投げつければ破壊出来た。しかし増援の尽きることは無い。
両肩の破壊兵器は瞬時にフロアを焼き尽くす。焼き尽くしたフロアに敵影は無し。
しかれども瞬滅の焔の残弾数はこころともない。
遼機は三機いたが、いまでは一機に減ってしまった。
かつての生者の持つ武器を拾い、やがて死に往く亡霊は奥へと進む。
仲間の最後の一人が破壊される。蜘蛛型無人兵器トライロバイトは角砂糖に群がる蟻の如し。
ベクターは断末魔を叫ぶ彼を振り返らず、ただただ奥へ、指針を示す。
OB《オーハ゛ート゛フ゛ースト》機構はすでに焼け切れ、爛れて、銃器を持つべき腕も吹き飛とんで、虚ろな紫電を纏うのみ。
たった一発の雷残し、死に抗う戦いの力、無し。頭部はあらぬ方向を向き、無意味にうなづくだけの玩具と化している。
鉄の装甲はひび割れ老いた樹木の如く、割れる表皮が剥がれ落ち、ジェネレータの微かな心音に合わせて鼓動する。
防御スクリーンなどとうに消え、コクピット内もだいぶやられた。
メイン以外のモニタは全て砂嵐に代わって、まともに映るただ一つもエラーメッセージに埋め尽くされている。
「さて、どうするか」
ベクターは遺言を送信し終えると、アンテナユニットを耳の後ろのソケットに差し込んだ。
そしてヒュプノスの変形したハッチからサクサクとした砂の上に降り、サバイバルガンを腰から引き抜いた。
ゼロの言っていた、『確かめたいこと』とはこういうことなのだろうか。
今更彼にベクターが聞くことなど出来やしない。
ここの住人がどうなったのか。ここは本当に『滅びた』レイヤードなのか。
そんなこと彼には関係なかった。ただ進むしかなかった。
水銀の水の味は酒の味だ。匂いはしけった煙草の匂い。
角度のおかしい空間。右も左も、見えているのに、行先は違う。
ひび割れた空間の歪み。そこから何かが見ている様な気がする。
振り返っても振り返った先は前だ。前しか見えない。前にしか進めない。
前に進むしかない。この世界の方向は前だけだ。
ベクターには丁度いい。考えても仕方ない。優柔不断な彼にも今では決断することができる。
選択肢はない。ただ一つの道へ別れる分岐点。それがここである。
生の方向《ヘ゛クトル》はいつも一つだ。どれを選んでも前に進む。
金属の咆哮が聞こえる。地平線より湧き出る無人兵器の影。自然区は彼らでいっぱいだろう。
右も、左も後ろもやつらに囲まれている。分かってる。分かっていたことだ。俺を殺しに来い。俺はただでは死なんぞ。
ベクターはACに戻り、コンソールを叩く。
装甲が全て吹き飛び、ジェネレータが露出する。白熱する機械の心臓は狂ったように鼓動する。
「今、君は、何処にいる?」
もう、手は震えない。迷いなんて、どこにも無い。
なすべきことは、分かっている。ベクターはトリガーを引いた。
背部大型ミサイルの最後の一発が発射され、直後に起爆。ジェネレータに誘爆する。
太陽の無い世界に太陽が現れた。
大爆発は、自然区を飲み込み、一瞬のうちに光を失った……。
最早此処に自ら輝くモノは無し。ただ暗黒が支配するのみ。
最後の残り火が絶える時、全ての光がついえる。
ベクターはあの時の部屋に立っていた。薄暗いカーテンの締め切った部屋。
ベクターの目の前に、彼女がいた。あの時と同じように。
彼女は泣きながら、それでも笑みを浮かべようとしている。
彼女は拳銃の銃口を己のこめかみに当てた。
そして彼女は言う。彼女の死んだ時と同じように。
「さよなら、ベクター」
「やめろ……やめてくれ」
「だめ……、私に生きている資格なんてない」
「資格なんて必要ない。君は生きるんだ、さよならはいらない!」
「……さよなら」
「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
ベクターは叫んだ。そして手を伸ばす。手が届くほど近いのに、それでいて何百光年も先の彼女に、ベクターは手を伸ばす!
いやだ。そんなの嫌だ! またもや彼女を失うのか。そんなのは嫌だ。俺が守ると約束したのに!
俺は彼女を守れなかった。俺は彼女を信じてやれなかった。愛していた筈なのに。
銃を持つと手が震えた。人の血を見るたび彼女を思い出すから……。
だから俺はレイヴンを辞めた!
しかしこれは逃げだった。分かっている。分かっていたが、俺は我慢できなかった。
彼女の夢を毎晩見た。吹き飛び散る彼女の脳片。死んだ彼女のあの表情。抱きしめた彼女の失っていく温度!
何度手を伸ばしても、彼女の手からは銃を奪えない。
「さよなら、……ベクター」
だがここなら、この世界なら彼女を前に進ませることが出来る筈。
ここは夢ではない。汚れたパイロットスーツを着ている。体中が打撲でズキズキする。痛みがある!
もう一度、彼女を死なせるなんて出来ない。それが夢の中でもだ!
ベクターは真っすぐに手を伸ばした。一直線の最短距離で。そして彼は今度こそ銃を彼女から奪った。
「ただいま、……ベクター」
「おおぉ……おおぉおおおおぉうおお!」
もう、こんな事はするな。俺が君を守るから。君が死ななくてもいいように。きっと明日を変えて見せるから!
一度死んだ彼女を抱きしめる。嗚咽を漏らす彼女に胸を貸す。
彼も泣いた。彼女がここにいる、ベクターの腕に彼女の温かさが伝わるから。
温かい涙にパイロットスーツの煤が溶け出す。彼女の首筋にベクターの涙が滝のように流れる。
このぬくもりは、死体の彼女には既に無くなっていた。生きている温度だ。彼女はここに存在している。
二人は口づけを交わす。それは短いキスだった……。
そして彼女は消えた。彼女の体温だけがベクターに残された。
暗闇に帰る。
今度こそ本当に、さよならだ……。
ベクターも次第に暗闇に同化した。
彼女の温もりも、闇の奥へと消えた。
ベクターは死んだ。
方向は消えた。しかし力は残った。。
拡散しながら、固形化した全てを発散しながら、未来を変えていく。
貴方を形作る、針の穴にも満たないモノは、彼の愛の力だったのかもしれない。
そして貴方もやがて世界を形作る力の一部となるであろう。
終わり