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 衛星砲ジャスティス。その名の通り衛星軌道上を周回し、物理的に届かない地球の裏側を除き地表のおよそ半分を射程に収める、人類史上最大の対大陸兵器である。数十kmに及ぶ規格外の大口径からは、高濃度に圧縮され周囲の分子をプラズマ化させるほどのエネルギーが放たれ、砲撃地点の周辺のみならず弾道がかすめた地域にある物質全てを分化する。

 

 かつて人類は国家間の戦争においてこれを使用し、一時的に地球上からあらゆる生物を死滅させる事態を招いた。

 

後に「大破壊」と呼ばれるこの事件を境に人類社会を初めとする世界の有り様は一変し、荒廃した文明はネストや企業国家を生む温床となるのだが、そうして新たに成立した世界に住まう人々は、ジャスティスを禁忌として誰の手にも触れぬよう封印した。

 

 その後、二度に渡りこの封印が解かれそうになり、セッツ・ルークスカイがその身を持って再び歴史から抹殺した経緯は、以前に紹介したスカイウォーカーに記された通りである。

 

 人と機械を物理的に融合させるシステム、ファンタズマを用いて文字通りジャスティスと一体化したセッツは、これの運用権を掌握することに成功した。そのため外部からの働きかけは一切受け付けられず、これを利用するためには、自立的に行動しながら有機生命体でも無機質でもない、ジャスティスに宿った何者かとしか表現のしようのない不可思議な存在となったセッツの許可を得る必要があった。

 

 アイザック条約の締結後、ジャスティスの保有権は政府が握ることになったが、彼らはこれを二度と目覚めることのない過去の遺物として歴史から葬り去った。セッツ・ルークスカイの存在はあまりに非科学的で不可解であるために、人類の意図に反する起動が行われないよう隠匿したわけだ。

 

 アリスの狙いは、この忘れられた破壊兵器にあった。彼はネストの強大さを身を持って知っているからこそ、現在の人類にはその打倒が不可能なこと、対抗するには同じく過去の遺産を用いる他にないことを痛感していた。だからネストが活動を開始すれば、政府は必ず追い詰められ、禁断の兵器にも手をかけると確信していた。そこでジャスティスの安全キーを解除する方法を提示すれば彼らは喜んで食いついてくる。ここまで舞台を整えてようやく、衛星砲を持ってネストを殲滅するという彼の真なる目的が達成されるのである。

 

 ジャスティスに起動するために政府を追い詰めねばならず、政府を追い詰めるためにネストを復活させねばならず、ネストを復活させるためにカノンを煽り、カノンを煽るために戦乱を起こし、戦乱を起こすためにレイヴンを自立させ、レイヴンを自立させるためにチーム・ルークスカイを立ち上げた。ややこしいのはジャスティスを起動させるための条件であったネストの復活が同時に殲滅対象であり、戦乱の遠因に過ぎなかったレイヴンの独立がその実直接政府への攻撃になっているといった、因果が逆転しているケースが当然のように存在していることだが、ともあれアリスはこの複雑に絡み合った謀略の糸を手繰り寄せ、ついに最終段階であるジャスティスにたどり着いた。

 

 地球政府はアリスの要請を聞き入れ、ジャスティスの起動に許可を下したのである。

 

 あとは最後のピースを持って、セッツ・ルークスカイという名の鍵をこじ開ければ事は成る。アリス・シュルフが抱えた宿願の達成は、目の前にまで迫っていた。

 

 

 地上三千m、夕日の光を浴びた一面の雲は地上の戦火と同じ色に染まっていた。一枚の膜のように、空を地上の目から隠すように広がっていたそれは、しかし高速で飛来する一機の飛行機によって引き裂かれて虚空に消える。漫然とたゆたうだけの雲が、ただ一直線に己の道を突き進む彼のものを止めるなど出来るはずもない。ただその圧力と熱量の前に霧散するのみであった。

 

 飛行機は十m足らずの小型機で搭乗席は二席しか設けられていなかった。機体の大半を機械系が占める構造は戦闘機と何ら変わりがなく、輸送艦と呼ぶにはあまりに乗り心地が悪い代物であったが、それだけに強度が高く、音速に近い速度を実現する一点だけが、移動に適していると言い切れる長所であった。

 

 地球暦224年、9月26日。政府よりジャスティスの使用許可を得たアリスがキリマンジャロの地下ガレージに向かうべく、借り受けたのがこの機種だった。政府の拠点であるアイザック・シティの中枢、ネオアイザックからキリマンジャロまでは地球の三分の一を横断する長距離にある。一般的なシャトルであれば二日ほどで到着する計算であるが、二十年もの間も求め続けた獲物が手を伸ばせば届く位置にある今、四十八時間もの空白を柔らかなシートに持たれかかって待つなどと悠長なことは言っていられなかった。

 

何重にもベルトを巻きつけられ全身が固定されようと、常時強力なGに内臓が抑えつけられて気を抜けば嘔吐しかねない圧迫感に見舞われようと、胸の内から絶えず沸きだしてくる高揚感に比べれば容易に対処できる。今はただ、時間の短縮を優先させたかった。

 

「天の時はこの瞬間にあり」

 

 コックピットに座し、自ら機体を操るアリスの口元には極度の興奮からか笑みが漏れていたが、その顔色は青く額からは冷たい汗が滲み出していた。達成感に浮き立つ心持ちとは裏腹に、溜め込まれた疲労が超高度の高速飛行という生命の活動には不向きな環境で表面化し、今にも噴き出そうとしているのだ。

 

 何者でもない只の凡人が世界を相手に大盤を振る舞い続けてきた。計り知れない苦難の繰り返しが、彼の寿命を削りつくしていたとしても決しておかしくはなかった。

 

 アリスは胸のポケットから一箱の紙ケースを取り出す。「Peace」とラベルを打たれたタバコはセッツ・ルークスカイが愛用していた銘柄であり、この12本入りのケースも彼から手渡された一品であった。地上との気圧差でくしゃくしゃになったそれを彼は初めて開封し、内の一本を取り出して口に咥える。そこまでして、喫煙の習慣がないために火をつける手段を持ち合わせていないことに気付いたのであった。

 

「柄でもない」

 

 アリスは苦笑いしながらタバコを戻し、紙ケースごとそこらに放り投げた。もう、それは彼に必要のないものだったから。

 

「もはや天の導きも、英雄の祝福も必要ない。あとは、たった一人の協力さえあれば、それで事は済むのだ」

 

 それに、と彼は加える。

 

「自分の身勝手で人を撃ち殺した私に味方する神などいない」

 

 自嘲気味に呟く彼の脳裏には、こめかみを撃ちぬかれ、割れた頭蓋から脳が零れ落ちたカノンの醜い死体が浮かんでいた。もちろん元レイヴンであるアリスが人を殺めたのはこれが初めてというわけでもなく、依頼という名目の下、理由のない殺戮に手を染めたこともあるが、モニターを通さず、自らの手で殺めた死体を肉眼で目の当たりにして、正気を保てるほど死に親しんでいるわけではなかった。心に重く圧し掛かる殺人の憂鬱は、まだ彼が人間である証とも言える。

 

 では。と、アリスは口に残った「Peace」の香りに意識をやりながら思う。人を殺める訓練さえ受けてきたこの香りの主は、果たして人間と言えるのだろうか。ならば同じ経験を積んできたその娘は…。

 

 ここまで考えたところで、アリスは首を振って思考を中断させた。そんな感傷は建設性のない自己満足だ。疲れた心身は癒されるかもしれないが、今は無駄な思いやりに足を止めるべき時ではない。いや、ここまで来てしまったら立ち止まることなど許されない。

 

「初めから、許されるつもりなどない」

 

アリスはキリマンジャロへ、チーム・ルークスカイのガレージへ、アイラ・ルークスカイの元へとシャトルを奔らせる。太陽を追いかけるように東へと飛び続けた結果、一度も夜を迎えないままに、彼は最後の目的地に到着した。

 

 

「何だこれは」

 

 屋外の滑走路にシャトルを着陸させ、地下ガレージの入り口の前に降り立ったアリスは、しんと静まり返った周囲の様子に思わず声をあげた。

 

 最寄りの街からも数km離れ、乾燥帯の真ん中にぽつんと設置された建物だ。殺風景なのは今に始まったことでもない。しかしガレージ内は数十人のスタッフが生活を営んでいるにも関わらず、一切の人の出入りが見られないというのは異様という他になかった。

 

 ガレージの一階裏側に設立されている立体駐車場に目を遣ると、普段はびっしりと駐車されているはずのスペースには一台の車両も見受けられない。これは一体どういうことか? スタッフ全員で買出しに出掛けているとでも言うのか?

 

 アリスは警戒しながら入り口の前に立つ。自動ドアが作動したので電源は生きているようだが、電灯は軒並み切れていた。もちろん人影は見当たらない。

 

「アイラか」

 

 ガレージがフェイの製作した作業計画に従い無休で活動しているように、受付担当を初め一階のスタッフもローテーションを組んで二十四時間体制の勤務形態を取っている。それを一斉に退去させるには、彼らを統括する権限を持った者の命令が必要となる。そしてチームの責任者であるアリスを除けば、それだけの影響力を持っている者は彼女の他には考えられなかった。

 

 アリスはエレベータに乗り込み地下を目指す。アイラがガレージに残っているとしたらハンガーでシルフィと共にいる可能性が最も高いと思われた。

 

 エレベータが降下している間、彼女がこのような行動に出た動機が気にかかったが、それは本人に問い質した方が正確なので後回しにすることにした。何しろ相手は常識の裏を掻く達人だ。下手な推理は自らの首を絞めると、アリスは熟知していた。

 

そのように育てたのだから。

 

 

 エレベータのランプが地下七階を示し、扉が開くと、そこにはACを保管するための広大な空間が広がっていた。

 

 やはり電気が点いておらず、アリスが手探りでスイッチを探して補助灯を入れると、建物全体の実に三階分をくり貫いて作られた、円柱状のハンガーの全貌が露となった。

 

 非出撃時には常時聳え立っている二機のACの姿はなく、そのため天井を見上げると頭がくらくらしてくるほど建物全体が広く感じられた。

 

 アリスは苛立ちを隠そうともせずに舌を打った。正直言って当てが外れた。人払いをしたのがアイラだとするならば、それは自分と一対一で対決するためだろう。ならば彼女はシルフィのコックピットでいるものと思われた。そう、いつも通り、まるでそこが住み慣れた故郷であるかのように、缶コーヒーの一本でも口にしている自然体で、その実あらゆる弁舌のパターンを準備した磐石の態勢で、待ち構えているはずなのだ。

 

 アリスと、つまりは自分自身の人生と決着をつけるために。

 

「どこに行った!?」

 

 アリスが焦りを覚え、声を荒げるのは無理もない話であった。彼はここで計画を完成させるつもりでいた。それこそ限界間近の体に負担を強いて移動に高速機を用いるほどに、彼女との対決を待ち望んでいたのだ。

 

 ここまで来て時と場を改める余裕など残されていない。アリスは何としてもここで全てを終わらせたかった。何度も述べるように、もはや立ち止まることは許されないのだから。

 

 アリスは詰め所に移動し乱暴にドアを押し開けたが、中に誰もいないことを確認するとすぐに立ち去った。スチール製の扉が、長い間きぃきぃと軋む音を立てていた。

 

 ハンガーを一通り回った後は事務室、住居区と手当たり次第に調べていくが、アイラはもちろんのこと人っ子一人見つからなかった。アリスは次第に平常心を失っていくのを自覚しているが、半生を賭けて作り上げてきたパズルの、最後のワンピースを見失ったもどかしさは人の手で制御できるものではなく、いつの間にかガレージ中をほとんど全力疾走で駆け出していた。

 

 不思議なことに気分はせつなくなり、まるで祈るような気持ちで彼はアイラを求めていた。

 

 やがてガレージのほぼ全ての場所を巡り、彼は最後に地下十階の中央会議室の前にやってきた。心臓が高鳴っているのは体力ではなく精神的な興奮によるものだった。

 

何故なら彼はアイラがここにいない可能性を考えていない。舞台は全て整い、彼女はその中心で踊るプリンシバルだ。一人の人間が命を賭して築き上げた大一番から、アイラ・ルークスカイは逃げ出したりしない。アリスにはそれがわかっていた。

 

アリスは確信を持って中開きの扉を開け放った。

 

室内は蛍光灯の明かりで照らされていた。プレゼンテーション用の機材や、予備の椅子は隅に押し込まれるように片付けられており、中央に置かれた円卓は埃一つ落ちておらず白い光沢を放っていた。室温は空調によって適度に調整されていたが、テーブルに置かれた一個の紙コップから立ち込める湯気が作ったわずかな湿度が、外界とは決定的に異なる、人間の存在感を実感させていた。

 

「まさか君とはね」

 

 アリスは普段の暢気な口調を装って、そこに待っていた人物に話しかけた。

 

 下座の席に座り、彼を待っていたのはアイラ・ルークスカイではなかった。アリスの来訪に気付いたその者は、椅子を回転させて彼と向かいあい、立ち上がった。アリスよりも頭一つ高いその身体は不自然な艶のかかった、一目で安物とわかるスーツに包まれており、目鼻立ちのくっきりとしたルックスに金色の短髪が呆れるほど似合っていなかった。

 

「アイラへの依頼を管理することが僕の仕事でしょう?」

 

「そうだね、私が与えた仕事だよ」

 

 フェイとアリスは実に一年ぶり、奇しくも場所を同じくして、チーム・ルークスカイ結成当日以来の会合を果たすのであった。

 

 

「これはアイラの差し金かい?」

 

 アリスはフェイの座っていた場所から席を二つ離した位置に腰を下ろし、頬杖などつきながらあくまで悠然とした態度で問いかけた。もちろん相手が何を考えているか読めないのだから本当に安心出来るはずもなく、落ち着いた振る舞いは張り詰めた胸中を悟られないための演技であった。席を離したことに本心の警戒が表れており、非常時に手が掛からないよう一足以上の間合いを置くという、傭兵の心構えを無意識に実践しているわけだ。

 

「ガレージが空になっていることならアイラの命令ですよ」

 

「君が残っているのも?」

 

「はい」

 

 フェイが肯定すると、アリスは頭の中で思い描いていた対応をいったん忘れて相手の出方を見ることにした。事の原因がアイラならば思考の先回りは意味を成さない。何しろ彼女は心理誘導のプロフェッショナル、必勝の構えで向けた策さえも気付けば自身を傷つける刃に変えてしまう女だ。いくら頭を凝らしたところで、腹の探り合いで敵うとは思えなかった。

 

「出来た娘に育ったものだ」

 

 アリスは小さく自嘲の声を漏らした。計画の最後を飾る駒として、クロームの強化カリキュラム…かつてセッツによって施設ごとデータを破壊され、スカイウォーカーの中にだけ現存している手法を施し、世界有数のレイヴンにまで育て上げたのは他でもない彼自身だが、ここに来てその優秀さが障害になるとは考えていなかった。

 

 いや、彼女がこちらの思惑を察する事態は想定していたし、そのための対策も用意していた。だが、それすらも上回った対応を取られた場合、もはや彼に打つ手は残されていない。

 

 一体アイラは何を考えているのか、おそらくはその答えを知っている者が目の前に残されているのだが、迂闊にそれを尋ねるわけにはいかなかった。何故なら鍵を握っているフェイをこの場に置いたのは、他でもないアイラ本人だからだ。これみよがしに答えをこちらに差し出してくるなど、早急に彼女の思惑を割り出したい気の焦りを見透かされているように思えた。

 

 そんな葛藤を察しているのかいないのか、フェイは口を閉ざしたままじっとアリスの目を見つめていた。先ほどの独り言にも反応しない。元より公的な場で感情的に振舞うような浅はかな人間ではないが、確かな意思を両目に宿しながら沈黙を保つ姿はまるで何かを待っているようにアリスには見えた。

 

「君はどこまで聞かされているんだ?」

 

 アリスはまず彼に対して切り込むことにした。アイラに関して尋ねれば応対の仕方を彼女から吹き込まれている可能性が考えられたが、彼自身への問いは本人が考えて答えるしかないだろう。フェイは優秀とは言え平凡な社会人の一人に過ぎないし、そうした凡百の相手ならば遅れを取ることもないと踏んだのである。

 

「貴方がジャスティスを動かそうとしていることから、アイラがロストフィールドに向かっていること。それにスカイウォーカーの中身は全部確認しました」

 

 フェイは緊張した面持ちで答えた。曖昧な表現を避け、具体的な事柄を並べて示した彼の回答は模範的と言えたが、そんな部下の出来た対応に感心する余裕はアリスに残されていなかった。何事もなかったように、一息で言ってのけた彼の一言からは、アリスが想像もしていなかった展開が二つも顔を覗かせていたのだ。

 

 まずはロストフィールドという単語。かつてネストの本拠地が存在し、つい先ほど政府より制圧の命令が下った地に冠せられた名前である。一部の限られた人間以外には伏せられているこの名をフェイが口にすること自体が異常な事態ではあるが、そこにアイラがいるという情報は、些細な疑問など吹き飛ばす衝撃をアリスに与えた。

 

 二日前の輸送シャトルで見せた態度から察するに、彼女はアリスの計画を悟っていたはずだ。まさにこれからジャスティスを撃ち込み、この世から消滅する運命にある地へ、何のために足を運ぶというのか。

 

疑問は尽きないが、しかしそれすらも霞んで見える、少なくともアリスには他のあらゆる思いを雑念に変えてしまう事実が、フェイの言葉には含まれていた。

 

「どうして君がスカイウォーカーを知っている!?」

 

 思わず立ち上がり、声を荒げる。

 

 縁もゆかりもない赤の他人であるはずのこの青年がスカイウォーカーを手にするなど、アリスには考えられない話だった。その中に眠る情報の重要性と意味を把握していれば当然のこととも言える。あれは数々の隠匿された歴史と共に文字通りアイラ・ルークスカイという人間そのものが詰まっているブラックボックスだ。その中身を閲覧するということは、アイラの全てを覗き見ることに等しく、彼女は許可なく触れる者が現れないよう食事から就寝時まで常に肌身離さず持ち歩いている。

 

 だから、誰一人として真実の箱に近づける者はいないはずだった。

 

「それはアイラが」

 

 だが、アリスは気付いていなかった。

 

「誰かに知ってもらいたかった、と」

 

 その、全てを曝け出す行為こそアイラは求めていたことを。

 

 彼女が背負い続けてきた秘密は、人間が関わるにはあまりにも重過ぎた。だから何の義務も負い目も背負わない第三者と共有することで解放してやらなければならなかった。そうでなければ潰れてしまう。

 

 そう。たった今、顔面を蒼白とさせながらも気力を振り絞り立ち続けている、アリスのように。

 

「ではアイラ・ルークスカイという人間が何者であるか、君は知ってしまったのだな」

 

 声を震わせながら尋ねるアリスに、フェイはゆっくりと、十分な間を置いてから答えた。気持ちを落ち着ける準備をさせなければ、そのまま卒倒してしまうように思えたからだ。それほどにアリスは憔悴した様子を見せていた。

 

「アイラ・ルークスカイはセッツ・ルークスカイと同一人物です。少なくとも、情報上では」

 

 フェイがとうとうその一言を口にすると、アリスは全身から力を失い、崩れるように席に倒れこんだ。

 

「スカイウォーカーの最深部にはセッツ・ルークスカイが残したデータの他に、新たに書き加えられたものがありました。それはアイラと、貴方が」

 

「それくらいにしてもらえないか」

 

 アリスは両手で顔を覆いながらゆっくりと起き上がる。その表情はフェイからは確認できないが、笑っているように見えた。

 

「全く、当たり障りのない人材を要求したというのに」

 

 不思議な話だった。

 

 アリスは顔を隠しているというのに、彼は誰にも見せたことのない素顔をフェイに向けている。

 

「私にとって、君は最大のイレギュラーだ」

 

 

 アリスにとってジャスティスは最後の希望だった。

 

 ナインブレイカーことセッツ・ルークスカイがこの世から消えた時点でネストを破る方法は潰えたと言って良い。アリスは宿敵であるネストからデータを流用し、いったんは仲違いしたプログテックを巻き込むという、まさに手段を選ばずに世界最高の兵器として『旧世代の亡霊』を作り上げたが、結果はつい先日証明された通り散々なものだった。トップクラスのレイヴンが乗り込んですらナインボール数機と五分に渡り合うのがせいぜいで、ネストの守護者とも言うべきナインボール・セラフを前にしては数秒と立っていることさえ不可能だ。ましてや一流半の腕前しか持ち合わせていないアリスでは太刀打ちできるはずもなかった。

 

 だが、アリスは諦めなかった。かつて記した物語の通り、アリス・シュルフという人間はナインボールの手によって一度既に壊されており、現在の彼は復讐という動機を核に再構成された仮初めの人格である。ネストの打倒を諦めた瞬間に元の物言わぬ人形へと戻ってしまうだろう。犠牲を惜しんでいる暇などなく、例え全世界を敵に回したとしてもネストと戦い続けなければならなかった。

 

世界を犠牲にしてでも。その境地に至った彼が、ジャスティスの存在に思い当たるまでに長い時間はかからなかった。

 

 だが、その実現には幾多もの障害が立ち塞がっていた。地球政府が施したネストの封印を解く方法やジャスティスの使用権を得るための手順は先ほど説明した通りだが、最後に行く手を阻むのは他でもない、アリスの切り札であり導き手でもあったセッツ・ルークスカイの存在だった。

 

 禁断の兵器を使用する最終的な決定権はそれと同化した彼に委ねられており、アリスがそれを扱うには、セッツ・ルークスカイをジャスティスから引き剥がして権限を奪い取らなければならない。

 

 しかし人でも機械でもない、本物の生霊(ファンタズマ)に対してどう立ち向かえと言うのか。アリスは手元に残されたセッツの遺品、スカイウォーカーと格闘する毎日を過ごし、やがて一つの結論に辿りついた。

 

 それは生霊を飲み込む悪霊の成せる業だった。少なくとも正常な人間が思いつく代物ではなく、まさしく狂気の所業に違いなかった。

 

「人間など、所詮四進数で表現される肉の塊だ」

 

 一度はファンタズマによってACと融合し、後にセッツによって切り離された経験を持つ彼は、それが可能だと確信していた。

 

「スカイウォーカーの容量を何割と埋めるにさえ足りない」

 

 人を情報に転化して機械と融合させることができるならば、

 

「小さな存在に過ぎないのだよ」

 

機械から人の情報だけを抜き出して転生させることも可能である。と。

 

 

 発想さえ得られれば実現は容易なことであった。

 

 それは地球暦204年。セッツが消滅してより五年が経過し、ネストが表舞台から姿を消したことによって引き起こされた混乱も収束を迎えた頃の話である。アリスはカノンに向けて、プログテックに多大な富を齎した大深度戦争を再現させる長期プランを提出した。その要綱は繰り返す必要もないだろう。

 

 世界を二分する戦いを引き起こすには、コンコードを初めとした組織の犬と化しているレイヴンたちを解放する必要があったのだが、ここで彼らを導くリーダーの存在が問題視された。自由の下に独立させるという名目を立たせる必要があったので、政府やプログテックが先導するわけにもいかず、ずば抜けた求心力を備えた英雄が要求されたのである。

 

 アリスはそうした計画の急所に自ら付け込んだ。反ネストの代名詞でもあったセッツ・ルークスカイならば、レイヴンを率いる役目を与えるに相応しい。ファンタズマを用いて彼の分身を生み出し、旧き良きレイヴンの時代を蘇らせよ。と。

 

 そして、カノンの協力を得て十分な設備と人材を確保したアリスはとうとうセッツ・ルークスカイの生まれ変わりを誕生させる。全く同じ遺伝子を持った同一人物では存命していた頃の本人を知る者に勘付かれる恐れがあったので、全体の二十四分の一、すなわち性別を司る情報に改変を施し(正直無茶な設定だとは思う)、彼の隠し子として世に送り出された少女には、アイラ・ルークスカイという名がつけられた。

 

 その後、成長した彼女が見せる快進撃は知っての通りだが、レオス・クラインの反乱も、ヴァッハフントとの激闘も、チーム・ルークスカイで過ごした栄光の日々すらもが、真実を覆い隠すカモフラージュに過ぎなかった。遺伝子の九十五%をセッツ・ルークスカイと同じくする彼女は、機械的に判断するならば同一人物と見なされ、故にジャスティスはその命令を受け付ける。アリスはそのために彼女を作り出し、彼女はそのために生まれたのである。

 

 そう、彼女の行く末は最初から定められていた。走り続けることに意味はなく、飛び続けた果てには何もない。そのセッツ・ルークスカイが生き抜いた末に到達した結論は、アイラ・ルークスカイが生き抜くため最初に覚えた前提となった。

 

 

「僕はそっちの方面には疎いので、解読したって読み取れませんが、それが何なのかはアイラから聞きました」

 

 そう言ってフェイは黒い箱を取り出し、テーブルの上に差し置く。アリスはなおも右手で顔を隠したままだが、指の隙間から覗き見える視線がギロ、と動いてスカイウォーカーを突き刺した。

 

「階層の底には、他のソフトや記録とは何の関係も無いのに、小さくない容量を占めた情報群が保存されていました。これが」

 

「ああ、アイラの遺伝情報だよ」

 

 不意にアリスは口を開き、肯定の言葉を漏らした。その口調はひどく冷静で、隠し続けてきた真実を暴露されている者の態度には見えなかった。

 

「それが残されている限り、いくらでも彼女を量産することが出来る。もっとも、あれだけの一品に磨き上げるには相応の手間がかかるがね」

 

 彼は口を動かしつつゆらり、と立ち上がり、顔を覆っていた手の平を離した。その裏から現れた眼光の鋭さに、フェイは思わず一歩後ずさる。秘めた心の闇を隠すつもりを失くしたためか瞼は暗く淀み、真っ赤に充血した眼の中央では焦げた茶色の瞳が鈍い輝きを放っていた。

 

「それよりも今の問題は、だ」

 

 アリスは澄ました顔をしながら、まるでそこいらのビジネスマンが昼食の時間を確認するために懐中時計を取り出すような滑らかな動作で、懐に手を入れる。

 

「そこまで知ってしまった君を、どうしてここに残したのか。かな」

 

取り出したのは黒光りする、手の平に収まるような小さな銃であった。つい先日、カノンの命を奪ったものである。

 

「アイラに伝えてくれよ」

 

アリスはそれをフェイの額に突きつける。視線は彼の両目から離さず、抵抗の素振りを見せようものなら即座に発砲するつもりであるのが、素人のフェイにも見て取れた。

 

「ジャスティスをロストフィールドに向けて発射しろ。さもなくば君の大切な友達を殺す。と」

 

 全てを捨てる覚悟を決めた男の言葉は、この上なく現実的な脅迫としてフェイの恐怖心を刺激した。アリスはネストを滅ぼした後のことなど考えていない。ここでアイラを従わせることが出来なければ計画は破綻し生きる意味を失ってしまうのだ。未来を見ていない故に彼は罪も罰も恐れない。だから、この場でフェイを殺すことに何の躊躇いも持っていないだろう。

 

「権力を相手に脅迫など下策だ。だからこれまでは回りくどい方法しか使えなかったが、相手が彼女一人ならこれ以上の手もないだろう。本当は別の条件を用意していたのだが、どうやら君が適役のようだ」

 

今のアリスは目的を遂行するためには手段を選ばないマシンだ。情に訴える余地はなく、抵抗しても無駄に終わるだろう。腕力ならば若く体格に勝るフェイの方が上だろうが、レイヴンとして戦闘訓練を受けた相手から素手で銃を奪おうなど無謀極まりない。

 

「私は君の生死などどうでも良いし、個人的にはむしろ敵対したくない相手に入る。だから、無駄に手間をかけさせないでほしいね」

 

 力も、知恵も持ち合わせていないフェイがアリスに立ち向かうには、同じく思考を捨てたマシンとして対抗する他になかった。そうすれば少なくとも己を見失うことはない。やることをやったならば、あとは運を天に任せるだけだ。

 

 そうだ、結果など誰かに任せてしまえば良い。そうやって彼はチームの栄光を掴み取ってきたのだから。

 

「スカイウォーカーを受け取ってください」

 

 アリスの要求内容も、目の前の銃口も無視して、フェイは自分の用件だけを告げる。それだけが、彼がこの場に立ち合わせた理由だった。

 

 もしかすると、この瞬間に引き金を引かれるかもしれない。だが幸いなことにフェイの言葉に向ける興味が勝ったのか、アリスの手にする銃が火を噴くことはなかった。

 

 アリスは気付かない。そしてフェイ自身もまだ気付いていない。

 

勝敗は、この一線で完全に分かたれたことを。

 

「ジャスティスは既に解放されているそうです。あとは承認のキーを押すだけで、衛星砲はロストフィールドを消し去ると、アイラが言っていました」

 

 アリスは知る。それは驚愕なのか混乱なのか、本当に強力な衝撃を受けた時、人が取る反応とは沈黙と停滞以外にあり得ないと。

 

「ただ」

 

 フェイは続ける。アイラから依頼された伝言、成すべき仕事は今言い終えた内容で全てだった。だから、ここから先は彼が考え、口にするべきと、しなければならないと判断した、彼自身の発言となる。

 

「ロストフィールドにはアイラがいます。もしジャスティスが発射されれば」

 

 

「アイラも一緒に消えます」

 





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