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 カノン・プログテックは長けた才能を存分に振るいながら人生を送ってきた成功者だ。特に世相を読む勘に優れており、二十五年前に起きたレイヴンをネストと反ネスト派に分つ抗争の際は、派閥争いに精をあげる大企業が経営を疎かにしているのを横目に、いち早く自社の施設をAC兵器の生産に特化させることで利益を産出してみせた。

 

 しかし彼の最も優れていたのは軍需の拡大を見抜いた先見の明でも、好機と見るや生産力を一挙に注ぎ込む決断力でも、ましてや先祖より譲り受けたプログテック社という資産でもなく、二大企業に匹敵する財と権力を手にしながら、国家的な支配体制を築くことなく、金属加工業という一生産業者の枠に留まるという、成金には不似合いな自制心であった。彼は自身の才を為政者ではなく商人のそれと自覚していたのだ。

 

だから彼は決して歴史の表舞台に立つことなく、常に力ある者の影に隠れて世界を裏から操る道を選んだ。

 

偶然にも自社の配下にあったレイヴン、アリス・シュルフがネストの秘蔵していた最新鋭の技術を持ち込んできた時は、それを各々の勢力に貸し与え、大深度戦争の激化を促した。オーバーテクノロジーに等しいそれを独占して軍事力を拡大させる方法を選択すれば、ネストに取って代わり世界中のミリタリーバランスを制圧できる立場に立てたかもしれないが、生粋の商売人であった彼の目にはそうした直接的な権力よりも血で血を洗う闘争が生み出すビジネスチャンスが輝いて見えたのである。

 

また、アリスを通じて接触することのできたセッツ・ルークスカイがネストの本体…すなわち人類再生プログラムを破壊した際には、ネスト本社周辺の土地一帯を、生産施設共々入手することに成功したが、カノンはこれを新たに樹立した地球政府にこれを譲渡してしまった。政府という最大の信用を持った顧客は、いち生産業者にしてみれば何よりも優先して確保しておきたい宝であった。

 

 これが『旧世代の亡霊』の貸与を初めとする、政府とプログテックの間に組まれた癒着関係の始まりであり、結果から述べてしまうと、カノンの描いたこの図式は計り知れない利益を彼に齎した。世界最大の権力者である政府を隠れ蓑とすることで、独占や囲い込みといった市場の禁句がまかり通るようになり、需要さえ生まれればその全てをプログテックが吸い上げられる体制を作り上げることが可能となった。しかも表向きは政府が執り行っている商売とうたっているので、それを取り締まる者もいない。

 

 カノンはこの体制を最大限に利用し、西に戦争があらば武器を量産して東に飢饉が起きれば運輸のための道を建築するといった具合に、人と物と金を縦横無尽に操って莫大な富を積み上げた。プログテックの資産規模はかつてのムラクモやクロームに匹敵するほど膨れ上がり、ジオ・マトリクスやエムロードを中心とした新体制とは無縁の場所で独自の派閥を形成するほどになっていた。

 

何のために利益を積むのか。そこに理由など見つける必要はないし、そもそもそんなものは存在しないだろう。カノンは本物の商人であり、商人は利益を追求するために存在するのだ。そのためには可能な限りリスクを避け、リターンをかき集める。彼はその最高の手段を用いたに過ぎない。

 

そう、彼は政府を傘にすることであらゆるリスクを消し去る立場を手に入れた。何しろ世間はプログテックの、カノンの名前を知らない。過ちを起こしたとしても責任は政府に向かい、彼自身は傷一つなく切り抜けられる。例え世界を敵に回すような暴行を働いたとしても、制裁の刃は彼の元まで届かないのだ。

 

 

それなのに。

 

 

 プログテック本社工場は紅蓮の炎に包まれていた。パチパチと空気の爆ぜる音が断続的に聞こえる中、コンクリート造りの建造物を粉砕する爆音がそれを覆い隠す。飛び散る火の粉が囲いを失った油や有毒な薬品に引火して、濛々と舞い上がった黒い煙がその場に居合わせたあらゆる生命の灯を吹き消していく。

 

 赤い揺らめきは破壊を、黒い揺らめきは死を撒きながら拡大を続け、カノンが重ねた富と力の結晶を塵芥へと返していった。

 

 敷地内で最も大きく、数百mの空高くへと聳え立った鉄塔が、一発の流れ弾がぶつかっただけで脆くも崩れ去った。小山ほどになろうという量の瓦礫が塊となって落下し、大量の煙と埃を巻き上げる。

 

金属片や化学物質の塵が吹き荒れる様は、まさに嵐であった。数m先の視界すら危うい、どす黒く彩られた世界は、しかし一陣の風によって切り裂かれ、元の色彩を取り戻す。

 

地獄の中心に突如として現実感を取り戻させてくれる光景が蘇るが、それは他でもない塵を吹き飛ばした主の姿によって侵食された。

 

 ソレはまさしくACだった。今やここら一帯を等しく塗りつぶさんとする赤と黒の二色に塗装された金属の肉体は、人と同じ五体を象っていた。しかしそれはコンコードが容認している、引いてはかつてのネストが配布していたACの標準規格と比べると、倍に値するサイズを持った巨体で、一切の容赦も慈悲もなくひたすらに淡々と破壊と殺戮を繰り返す姿勢には、おおよそ搭乗兵器にあってしかるべき人間らしい感情の動きが見られなかった。

 

 プログテックとて、暴虐の限りを尽くすこの赤い悪魔の化身を、ただ手をこまねいて静観していたわけではない。戦力の多くを政府に譲渡していたとはいえ、本社であり重要な生産拠点であるこの敷地には、『旧世代の亡霊』を初めとした決して少なくない戦力を防衛の手段として配備されていた。二流三流のレイヴンはおろかナインボールが押し寄せてきたとしても十分に太刀打ちできるだけの備えを保っているはずだった。

 

 『旧世代の亡霊』は現存する世界最強の兵力師団だ。未知の敵に相対するにあたって、これ以上に信用のおける戦力があるはずもないだろう。

 

 だが、敵はあまりに強大すぎた。結果に理由があるとすれば、その一点に尽きるだろう。

 

 『旧世代の亡霊』に標準装備された鋼鉄をも貫くレーザーライフルは、赤黒い輝きを放つ敵の装甲に容易く散らされた。また、接近しようにも数十発の大型ミサイル弾と五指を発射口として絶え間なく連射される銃弾によって構成された、圧倒的な弾幕には掻い潜る隙間など物理的に存在しなかった。仮に近づいたとしても、施設の壁すら何の抵抗も感じさせずに両断する、十mを超える長大なレーザーブレードの前では一太刀を浴びせることも許されないだろう。

 

 総括するならば、彼らにソレを倒す手段はなかった。故にそれは戦闘ではなく一方的な蹂躙だった。

 

 絶望的な戦況を一層むごたらしめたのは、赤い悪魔がその背に負った黒い翼が生み出す圧倒的、いや非現実的と称するべき機動性能だ。悪魔の背中、人間で言う肩甲骨の部分には、自身の半分にも及ぶ巨大なブースターが一対、天使の翼を思わせる形で装着されていた。一体どのような仕組みになっているのか、翼の生み出す爆発的な推進力を自在に操り、悪魔は二十m近い巨体でありながら小型戦闘機のような俊敏性を実現させていた。

 

 そして真に恐るべきはそうした物理法則を無視するかのごとき性能ではなく、物理法則そのものを恐怖へと変換したもう一つの武器である。

 

 ソレはあらゆるAC産業に携わる者が目指しながら未だ達成されていない、複数の機能を装備し、状況に応じて切り替える…すなわち変形機構を備えていた。四肢を折りたたみコアパーツを前方に押し出して空気抵抗の低い(もはやそんな小賢しい理屈でどうにかなるレベルではないが)円錐型を取ると、先の翼が持つ推進力に任せて高速飛行を開始する。その速度は軽く音速を超え、自ら撃ち出したミサイル弾を追い越すという笑えない冗談を現実のものとさせていた。

 

 その結果として何が起きるか? ACの巨大質量が空気の壁を打ち破ることで生み出された破格の衝撃波は、施設に備え付けられた防衛機能のあらかたを沈黙させ、遅れて到着したミサイル弾は無力化した施設を当たり前のように崩壊させた。

 

 そう、ネストの知識を流用し、人類の頂点を極めんとする技術の結晶そのものであったプログテック本社は、血塗れの烏と化した悪魔がただ通り過ぎるだけで全滅したのだ。

 

これが喜劇でなくて何を笑うことができようか。カノンという稀代の才能が二十年にも渡って積み重ね築いてきた栄光の塔は、一閃の雷によりわずか一夜にして崩れ去ったのだ。人の営み全てをあざけ笑うように無に返す地獄の使者には、地の底に潜みながら生きとし生ける者を弄ぶ悪魔の名が相応しいだろう。しかし理不尽にも彼のものに与えられた名はナインボール・セラフ、神の下に人類を導く使命を持った熾天使の称号である。

 

 

 カノンは今、日の光すら届かない地底深くに設置された、鋼鉄造りのシェルターにて、暗闇の中、ひんやりとした冷気だけを肌に感じながら、一人頭を抱えていた。

 

 周りに人の姿はない。彼が真に命をおびやかされる危機に陥った際にのみ使用される避難経路なのだから、外部に情報が漏れないよう本人とごく一部以外の人間には存在が秘匿されているのが当たり前で、今回の場合も誰の目にも触れないように逃げ込んだ。

 

 シェルターの隅でうずくまるカノンの体は震えていた。

 

 ただし恐れているのは、現在も頭上で繰り広げられているであろう地獄ではない。リスクを避けることを信条としていた彼といえど、軍事産業の最前線に立っていては命の危機に瀕することも珍しくなく、死線を越える覚悟は常に出来上がっていた。

 

 彼が恐れたのは、政府という傘を迂回し、突如として不幸が降りかかるという理不尽な仕打ち。いわば理解の及ばない展開そのものであった。

 

 カノンは情勢を見極める天才であった。だから幸も不幸も予測される展開のうちの一つでしかなかった。

 

ネストからの制裁が下るのは予測の範疇だ。だからこそ政府を矢面に立たせ、自らは支援者の立場に甘んじた。万一、火の粉が周辺にまで及んだとしても、あくまで敵の主な目標は政府であり、自身に主だった危険が迫るわけではない。仮に何らかの攻撃を受けたとしても『旧世代の亡霊』さえあれば問題なく対処できるはずだった。

 

 しかし、それならばたった今目の前で繰り広げられている惨劇は何なのだ? 政府が攻撃を受けているという情報は入っていない。ネストは首謀者であるはずの政府を無視して直接プログテックを叩きにかかったのだ。それもナインボール・セラフという、かつてあのアリス・シュルフが齎した情報に一度しか登場していない伝説の兵器まで持ち出して。

 

「そんな行動に何の意味があるというのだ!?」

 

 ナインボールは、その元締めであるネストの正体は、この世界の復興を目的としたコンピュータだとセッツ・ルークスカイの報告にはあった。思考に一切の予断を許さぬ機械の所業だからこそ、その行動は実に効率的且つ合理的。このような理不尽な暴挙に出るはずがない。つい先日も、アイラ・ルークスカイとの戦闘でそう証明されていたではないか!

 

 カノンは冷静さを欠いていた。どんな時も安全な逃げ道を残しながら戦ってきた男は、袋小路に追い詰められてなお立ち上がる術を持っていなかった。

 

 だから解き明かせなかった。アリス・シュルフ、セッツ・ルークスカイ、そしてアイラ・ルークスカイ。全てを紐解く三人の人物を思考の中に挙げながら、それらを一つに結びつける余裕が、彼の頭には残されていなかった。

 

 そんな状態だから誰一人として存在を知らないはずのこの一室に、何者かが迫る足音が聞こえてもそれを認めることが出来なかった。

 

 

 暗闇の中、カノンは頭を抱えてうずくまる。非常時の逃走経路であるこのシェルターには、当然脱出路も用意されていたが、理不尽の圧力にすり減らされた彼の神経に、未知の世界に身を曝け出そうとする勇気は灯らなかった。

 

 まるで留守の家に取り残された子供のように、震えながら事が過ぎることを願う彼の元に、ゆっくりと、革靴が鳴らす音は近寄ってきた。

 

 カノンは顔を上げなかった。自棄になっていたのかもしれない。この世界はもう訳がわからない代物に変わってしまったのだ。どうすれば助かるのか思いつかないし、どうして死のうとしているのか理解できなかった。

 

 だから相手が誰でも関係ないし、興味も沸かなかった。

 

 彼はただ、

 

「何故だ」

 

 と、問い続けるだけの人形と化していた。

 

「理由などありません」

 

 冷たく告げた声の主は、一発の銃弾をもってカノンの頭を吹き飛ばした。

 

 支える相手を失った生首からふしゅうと上がる飛沫の色は、月夜の海のように闇に染まっていた。

 

「貴方が生きていると私が困るだけです」

 

 プログテックにネストの技術を与え、『旧世代の亡霊』を操り、政府と結託して此度の計画を立案した張本人。アリス・シュルフは目的を果たすと右手に握った銃と、左の脇に抱えた小さなコンピュータ…スカイウォーカーの模造品を仕舞い、シェルターと、そしてこの地獄から姿を消した

 

 

 プログテック本社がナインボールの襲撃を受けた。責任者カノン・プログテックは行方不明。なお本社工場施設は全壊、復旧不能。

 

地球政府による反ネスト宣言が行われた二十四時間後に起きた話であった。

 

 

 同刻、キリマンジャロの地下ガレージでは嵐のような時間が流れていた。

 

 設定されて以来、一度たりとも崩されることのなかったフェイの作業計画表がアイラの手で切り捨てられた事実は、チーム全体に事態の緊急性を強く伝え、ガレージ全体を異様とも言える殺気立った気配が包み込んでいた。

 

 長期的な効率性を捨ててまでアイラが強行した仕事の内容は、一言でまとめればブルーバード・シルフィのチューンアップである。フェイがスカイウォーカーを用いて入手した『旧世代の亡霊』に使われている装甲板や内装構成をシルフィに流用するという、無謀極まりない計画であった。

 

 シルフィは無数の改造が加えられているとはいえ、その基本は他の一般的なACと同様にコンコードが指定している標準規格の寄せ集めである。対して『旧世代の亡霊』はまだコンコードが存在していない時代に、ネストが採用していた規格を元に組み上げられた機体の発展形である。駆動様式からボルトのサイズまで根本的に異なる機体の特性を引き継ぐには、オリジナルの構成を把握した上で、コピー先に合致するよう一から設計図を描き直さなければならず、図面通りに各パーツを加工せねばならず、パーツごとに組み上げられたユニット間の調整まで行わなければならない。言ってみれば尻尾の生えた人間を作るために、猿の尻尾を切り取り、人間の体に適合するように遺伝子操作した上で、結合手術を行うようなものである。

 

 知識のある者ならば誰もが不可能と匙を投げるこの所業を、アイラは欠片も諦める姿勢を見せずに強行し、フェイは彼女の指示通りチームを動かすことに専念した。チームの中核を担う二人が諦めないのだから、他のスタッフも弱音を吐くなど許されなかった。外注部が大元の素材を手持ちの顧客からかき集めている間に、営業員は加工を引き受ける下請け業者を回り、技術部から渡された作成されたばかりの資料を用いて作業を依頼した。自転車操業で送られてくるパーツをガレージのスタッフが総出で組み上げユニットを完成させる。一連の作業の間に無駄な待ち時間が生じないよう手順を指揮するのはウィンで、それを各部門に伝えるのがフェイ。そして力の足りない部門を補佐し、行き詰まれば引っ張り上げ、全てを牽引するのがアイラだ。

 

彼らは一丸となって無理を通そうとしていた。アリスの人脈からかき集められたエリートの誇りを持つ者、ただ目先の作業を片付けようとする者、その心意気は人それぞれだが、共通しているのは己の仕事に疑いを持っていない一点だった。

 

アイラはこの仕事の目的を明かしていない。チューンアップが成功し、シルフィが世界随一の性能を持ったACに生まれ変わったとしても、それがこの混迷する世界情勢とどう関わるのか、チーム引いては自身にどのような影響を及ぼすのか、誰も把握していないのである。

 

それでも彼らは疑問を持たなかった。チーム・ルークスカイという集団が進むべき道に間違いがあるとは思えなかった。今、こうして目の前に置かれた障害を一つずつ乗り越えていくことで必ず未来は開かれると、意識と無意識を問わず信じていた。

 

 そんな無垢な盲信に、現実は時に危うく恐ろしい牙を剥くのかもしれないが…!

 

 

「なあ、嬢ちゃんよ」

 

 ガレージに届いたパーツをリストアップするために詰め所に戻ったウィンは、フェイと繋がった電話を肩に挟みつつ一心不乱に手元のコンピュータへとデータを打ち込み続けるアイラに対して、こう言おうとした。

 

(亡霊じゃナインボールには勝てないぜ)

 

 人生を賭してナインボールに挑み続けている男と、最も長く顔を合わせている彼は、その悲しい事実を知っていた。『旧世代の亡霊』はアリスが齎したネストの技術を元に製作された機体、その開発には当然アリス自身も立ち合わせ、当時プログテックの新人技師であった若きウィンもまた携わっていたのであった。

 

 だから結末も知っている。完成した試作機は現在のそれと変わらぬ高性能ぶりを発揮し、即座に量産と政府への移譲が確約されたが、搭乗したアリスはまるで満足した素振りを見せなかった。富にも名誉にも興味を示さず、ただ命の全てをナインボールの打倒に注いでいた彼の見せた態度が何を意味するのかは明白だった。

 

 アリスがレイヴンを引退してウィンの前から姿を消したのはその直後で、彼が『旧世代の亡霊』によって構成された政府直属の部隊に入り、同時にプログテックの重役へと取り入って行ったことを知ったのは更に後の話だ。

 

「いや何でもない。悪いな」

 

 アリスと再会して以来ずっと忘れようと努めていた過去を思い出して、ウィンは続く言葉を呑み込んだ。

 

 アイラは手元を動かしたまま目線だけ彼の方へと向けていたが、やがて元の通り入力作業に集中し始めた。

 

 人間離れした処理能力を披露し続ける彼女の姿を目にしながら、ウィンは思う。いつだったかアリスが連れて現れたこの少女は、初めて彼を目にした時に受けた衝撃を大きく上回る、とんでもない傑物だ。おそらくアリスは、彼女を使って何かを企んでいるのだろう。二十年前のあの時からずっと。

 

 自分はそのために用意された駒の一つに過ぎない。だから彼女の選択に文句は言わない。例え行く先に待ち受けているのが失敗だったとしても、脇役に過ぎない自分には止める力も権限もないし、何より見守ってやる人間の一人くらいいないことには、彼女が不憫でならなく思えた。

 

「ウィン」

 

 不意にアイラが口を開いた。もちろん作業をする手は動いたままだ。

 

「ありがと、付き合ってくれて」

 

 聞くも珍しい礼の言葉に、ウィンは心底驚いた。

 

 本当に、この少女にだけは何年歳を重ねようと敵わないだろう。そう心の中で呟いて、自分の仕事に戻ることにした。

 

 

 プログテック本社壊滅の報せが全世界に行き届くと、コンコードとレイヴンを手にすることでいったんは反ネスト派に傾いていた世界の情勢は一転した。

 

 『旧世代の亡霊』すら通用しないネストの戦力が見せ付けられることで、政府への信用は急落し、力の弱い独立中小企業ではプログテックの二の舞を恐れてこれと決別する者が続出した。

 

 浮動する兵力を確保することで懐柔を図った政府に対し、圧倒的な武力を持って威圧したネストの戦略は劇的なまでに作用し、両者の立場は、緩やかに進んでいたはずの中央集権体制の確立を中断させるところまで逆転したのである

 

 また、二大企業を初めとする実力者は、中小企業のように一夜にして壊滅の憂き目に会う心配が無かったので、直ちにどちらかの勢力に身を委ねることはしなかったが、このまま多くの企業がネストに流れればどちらに組することになるか、考えるまでもないだろう。

 

 そうなると取り残されるのはコンコードとその下に所属するレイヴンたちである。政府と企業が決別すれば、彼らに武器や貨幣といった財を提供する者はいなくなり、自壊は免れないものとなる。そうなれば本来所属する相手を選ばない自由傭兵たちは、迷うこともなくコンコードを見限り企業を含むネスト派に流れるだろう。

 

 反ネスト派が生き延びるには、ネストに対抗する力を示すことで迅速に信用を取り戻し、心の離れた企業を再び自陣へ引き戻さねばならなかった。ここに来て、ようやく政府は相手が大人しく掌で転がされる獲物でなく、隙あらば主を食い殺さんと牙を研いでいる獣であることに気付いたわけだ。

 

 彼らの愚かしい点は、現実を知ったことで今更のように事態を収束しようと焦り始めたことだ。初めから敵の素性を知っている者なら、例えば騒動の責任者であるカノンが生きていて、正気を保っていたならば、あくまで当初の目的通り、対立構造を残したまま自身の優位を確保することを選び、猛獣を始末するのではなく飼い慣らす方法を模索しただろう。

 

「だから殺さなければならなかった」

 

 アリスは言う。

 

 ネストを再び世の表舞台に引っ張り上げるためには、これを管理していた政府を丸め込まねばならず、そのためにカノンという有力者の存在は不可欠だった。だが、彼は賢しすぎる。必要以上に政府を扇動してネストを利用させないために、用が済めば『旧世代の亡霊』共々消し去らなくてはならなかった。

 

案の定、カノンの頭脳と『旧世代の亡霊』の力に頼っていた政府は、両者を一斉に失うことで混乱に陥り、急速に悪化する展開に怯えて最悪の事態から逃れるために、自ら蘇らせたネストの封印を決断することした。自分で引き起こした事態であるにも関わらず、恥も外聞も捨てて逃げ出すことを選んだのだ。

 

 直ちにコンコードを通じて主だったレイヴンに、打倒ネストの指令が下った。何しろ二十年以上に渡り管理してきた相手だ。本拠地は判明しているし、持てる戦力の全てをぶつければ容易に制圧できると踏んだのだろう。

 

 だが長年名目上の管理者に留まり、現場の情報収集を怠ってきた彼らは、最前線の現状を知らなかった。この一年で戦線に起きた劇的な変化、アイラ・ルークスカイに牽引された独立レイヴンチームの乱立と大企業によるレイヴンの囲い込み政策に、目を向けていなかったのである。

 

 有力なレイヴンは軒並み自立するか大企業に属し、コンコードには誰にも評価されなかった無名、いわば二流の使い手しか残されていなかった。半人前同然のレイヴンがネストを相手取る力量など持っているはずもなく、大半が依頼を辞退して、名を上げようと果敢に挑んだ少数はことごとく消息を絶った。

 

政府はコンコードを傘下に加えることで全てのレイヴンを味方につけたかのように錯覚していたが何ということはない。同社は既に形骸化しており、戦局を変えるほどの力など残されていなかったのである。

 

 主を失ったプログテックは機能を停止し、『旧世代の亡霊』の供給は止まっていた。政府に残された戦力は、これまでに提供されて保管してあった『亡霊』の残機と役に立たない二流レイヴンの群れだけ。ここで『亡霊』を失っては政府の持つ戦力は消滅するに等しいので、それを駆り出すわけにはいかず、彼らに残された手段はネストや企業に属していない、中立の独立レイヴンチームに全てを託すより他になかった。

 

 当然の話で、独立レイヴンチームの先駆けにして今や地球を代表する集団となったチーム・ルークスカイにもその依頼文は届き、

 

「この時を待っていた」

 

 代表であるアリスに打倒ネストの依頼、すなわちネストを抹殺する許可が下りることになった。

 

 

 ここで考えてほしい。

 

 カノンは自身の野心のために政府を焚きつけてネストを復活させた。そしてそれを持て余した政府は慌ててこれを鎮火しようとしている。今回の騒動を簡潔にまとめると、このようになる。

 

 では、カノンが野心を抱いたきっかけとは何だったのか? また、それが崩壊したのは何故か? プログテックと政府を結びつけたのは何か? それは誰が齎したのか? 残された政府を追い詰めたのは何か? その原因は?

 

「私にはこうする他に手段が無かった」

 

 アリスは力を持たない者の一人である。彼の武器とは一流のレイヴンという肩書きと、それなりの武力のみ。政府を操ることなど出来ず、それに保護されたネストに手を出すことなど到底叶わなかった。

 

「だが」

 

 彼が目的に達するには大きく迂回せねばならず、道のりは長く険しかった。数多の味方を利用し、無数の敵を作り、それでも尚諦めず回り道を重ねて、

 

「私は辿り着いた!」

 

 ようやく彼は、真にネストを倒すための足がかりを得た。

 

 二十年に及ぶ長旅に彼の神経は磨耗し、その胸には人間らしい感情など残されてはいない。冷たく鈍い光を瞳に禍々しく宿しながら、彼は、詰めの一手を打つために最後の力を振り絞る。

 

 黒いコンピュータには、こう打ち込まれた。

 

 

 

発信者:チーム・ルークスカイ

 

宛先:地球政府

 

件名:依頼受諾

 

 

 表題の通り、依頼を引き受けます。

 

 しかし達成は困難なものと思われます。

 

 我々は依頼の詳細に関する情報を持っており、そこから推測されるターゲットの殲滅は我々だけの力では不可能です。

 

 つきましては、確実な目標達成のために一つ提案を致します。

 

 貴公の持っている、衛星砲ジャスティスの運用権を我々に貸与して頂きたい。

 

 我々には同上の封印を解く準備があります。

 

 上記の要請を呑んで頂けるならば、必ずや目標の殲滅を約束致しましょう。




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