地球暦224年9月24日。ナインボールの復活が世に示され、地球政府による反ネスト体制がアリスの手で宣言された明日の夜明けは、政府によるコンコード社の買収という衝撃的な速報と共に齎された。

 

 同社は元来アイザック条約の締結の際に、ネストが構築していたネットワークシステムを引き継ぐために設立された組織で、政府の配下にあったわけだが、来るべきこの日に供えて更なる投資と権限の拡大を密かに進めていた政府は、満を持して企業とレイヴンの仲介業者という裏の顔と諸共にこれを公的機関へと取り込んだのである。

 

 寝耳に水と飛び起きたのは自衛の手段として戦力を保有する、武装派と呼ばれる中小企業の経営者たちだ。チーム・ルークスカイの活躍に引っ張られて独立するレイヴンが多発する中、大企業のようにそれを囲い込む方法も取れなかった彼らは、穴のあいた戦力をコンコードを介して派遣される兵力で補強していた。それが政府の軍門に下ったとなれば、貸し出される戦力は上の意向に沿った内容に限定され、必然的に彼らは地球政府に有利と働く方針を採らざるを得なくなる。

 

 そうなればジオ・マトリクスやエムロードと言った大企業もどこ吹く風と見過ごすわけにはいかないだろう。自衛とは他者の干渉、すなわち大企業の庇護をも跳ね除ける意志の現れである。つまりその企業体は一つの社会として完結しており、大企業に味方する義理を持ち合わせていないので、コンコード引いては政府の下に統合され、集合体として機能を始めれば、二大企業に匹敵する戦力と経済力を保有する存在として並び立つことになる。

 

 ただでさえつい昨日にその強大な力を見せ付けた『旧世代の亡霊』によって武装している政府と、企業集合体が行動を共にすれば、最早地上に対抗出来る組織はいなくなる。残された大企業の持つ選択肢は彼らとの対立を避け、同士として意見する立場を得ることで自治の権限を確保する他になく、それは事実上の降伏に等しかった。

 

 これらの出来事は予測の範疇に過ぎず、現在のところ企業集合体の結成が宣言されたわけでも二大企業が降伏を発表したわけでもない。しかし、均衡とは各々の戦力が拮抗している結果として続くものである。突如として他を圧倒する化け物が現れた場合、旧い体制は速やかに解体され、新たなヒエラルキーが新設されるのが理であろう。

 

 対象が巨大であればあるほどに、統計の名の下に個々の意志は収束し、理の合う方向へ世界は流れる。故にアイザック条約の締結以来、実に二十五年ぶりとなる中央集権体制の成立は、この時点でもはや誰にも止められない決定事項と言えた。

 

 

 理から外れたイレギュラーは、歴史のうねりに呑まれて消え去るのみ。

 

 だが、真理が人の理と合致するとは限らない。

 

 

「遅い」

 

 ACすら搬入できる大型のシャトルに乗せられて、ブルーバード・シルフィと共にチームの本拠へと搬送される中、膝をコックピットの床に、操縦席に両肘をつきながら、まるでうつ伏せに居眠りしているようにリラックスした姿勢で、右手には通信機を握り、左手では何と炒ったコーヒー豆を摘みながら、後ろを振り返ることすらなく気配だけで来客を察し、アイラはアリスへとそう言い放った。

 

「毎回、君には驚かされる」

 

 口元にはいつも通りに冷ややかな微笑を絶やさぬまま、しかしわずかに眉をひそめてアリスは言った。

 

「あっそ」

 

 アイラは事も無げに相槌を打つと耳につけていたイヤホンを外しながら、ちらりと後ろを振り返る。コックピットの前、昇降用のリフトに立ったアリスは、先ほどまで『旧世代の亡霊』を駆るレイヴンとして活動していた証だろう。キリマンジャロの基地で目にする隙のないビジネススーツではなく、頑丈で気温の変化に強い素材を使ったパイロットスーツを纏っていた。長めの髪は頭の後ろで縛り、激しい運動にも支障の出ない、紛うことのない傭兵としてのいでたちを取っている。その頬には他でもない目の前の彼女につけられた痣が青く浮かんでいた。

 

 アイラは相手が予想通りの姿であることを確認すると、気だるい動きで元の姿勢に戻り、興味もなさそうな言い方で尋ねた。

 

「それは私の格好に? 気配を感じたことに? それともさっきのこと?」

 

 背中越しにゆっくりと、しかし畳み掛けてくる嫌らしいやり口に、アリスはやれやれと呆れた様子で両腕を組んでリフトの手すりに体を預け、こう答えた。

 

「もちろん全部さ。コックピット内にあるまじきだらけた格好と、それでも開けっ放しとは言え後方の気配を感じ取る勘の良さと、何の意味もない僕を殴るなんてことのために命を賭ける無謀さに、脚部だけを綺麗に破壊させるなどという普通ならば習得する必要もない芸当を平然とやってのける技術を加え、全てが驚嘆に値する」

 

 三つの疑問文に四つの回答で返すのはアリスなりの反撃であったが、それが本音であることも確かだった。

 

 昨日戦闘不能に追い遣られたばかりのシルフィは、既に通常の起動にも耐えるほどに修復を終えていた。設備に乏しいシャトルの中で修理が可能だったのは、ダメージを受けた脚部がコアとの接続部を傷つけることもなく綺麗に吹き飛ばされていたので、破損部を予備のパーツと交換するだけで対応できたためである。

 

 中破した機体の被害が一部のパーツに留まるなどそうそうあることではなく、意図的に引き起こされたのは明らかだった。アイラは最も損傷を抑えた上で敗北を演出するよう、被弾するポイントを調整したのだ。

 

 まさしく機体と一体化しているようなセンスを持つアイラならではの芸当といえるが、いかにして負けるか、などという方向に優れているレイヴンなど、世界広しと言え彼女くらいのものだろう。

 

 アリスの皮肉に対し、アイラは振り返ることもなく、コーヒー豆を一掴みして口に運ぶ。少々の間が空き、アリスが次の句を告げようとすると、まるでそれを見計らったようなタイミングで、

 

「余計な芸ならアンタには負けるよ。回りくどいことしちゃってさ」

 

 と遮り、耳のイヤホンをくい、と引っ張るジェスチャーを見せた。イヤホンからは彼女の胸元へとコードが伸びており、何と接続されているのかはアリスの位置からは見えなかったが、ラジオか何かの通信機器であることは想像に難くなかった(ちなみに彼が可能性の高いと見ていたのはスカイウォーカーである)。

 

「相手は政府だ。僕みたいな小さな存在が立ち向かおうとしたら、それなりに下準備がいるのさ」

 

 アリスは、彼女が現状を把握していると察して話を進めることにした。

 

 現在、世界中のメディアで嵐のごとく行き交っている情報とは、言うまでもなく地球政府によるコンコードの買収に関係することだ。アイラならば、それだけで今後起きる事態と、それが意味する真意を理解するだろう。

 

 そのように、育ててきたのだから。

 

 念のため、アリスは確認を入れてみることにした。

 

「今回の件、黒幕は誰だと思っている?」

 

 限りなく核心に近づいた発言にも、彼女は振り返ることすらなくあっさりと答える。

 

「黒幕って言うならカノンに決まっている」

 

 ジオ社やエムロードの役員ですら口にすることを躊躇う、プログテック会長の名を呼び捨てて、

 

「どうせ反ネスト派やってた頃みたいに儲けようって腹でしょ」

 

 ぷらぷらと足を投げ出したまま、まるで学生が安っぽい恋愛を語るように、実に明快な形で彼らが二十年に及ぶ長期間練り上げてきた巨大なプロジェクトの真髄を指摘して見せた。

 

 昨日のネスト復活と政府による反体制設立の宣言、本日のコンコードの買収。立て続けに起きた政府による事件に関係を見出すのは難しいことではないだろう。そして両者を繋げて考えることが出来れば、コンコードとレイヴンの買収が引き起こす中央集権体制とは、アリスの宣言した反ネストを目的とした手段であると容易に結論が出る。

 

 だが、事はそう単純には終わらない。アイザック・シティの一件を糺せば、そもそもネストの復活自体に政府の意図が絡んでいることは明らかなのだ。結論であった反ネストの宣言が前提であるとするならば論理は逆転し、手段であったはずの中央集権体制の確立、すなわち大企業へと分散した権力を奪回することこそが真の目的であると弾き出せる。

 

 しかし現実には政府がネストを影から操り、戦力の結集を呼びかけても、この均衡した世界状況下では成功しないだろう。新たな社会体制を築くには、安定してしまった各々の戦力比率をいったん崩し、自身が最大の実力者として君臨しなければならない。ここで現れるのが『旧世代の亡霊』を保有するプログテックである。現地球政府は反ネスト派から結成された組織であるため、プログテックとは兼ねてより友好的な関係を築いており、この規格外の兵器である独占的に取り込んで、ナインボールを破ることの出来る戦力として世界に発信することにより、新しい反ネスト体制の指導者であることをアピールしたわけだ。

 

 これがアイザック・シティにおけるナインボールの襲撃の真実である。

 

 アリスはほう、とわざとらしい感嘆の声をあげ、彼女の腹の内を暴くためになおも続けた。

 

「持ちかけたのがプログテック側であるという根拠は?」

 

「こんな俗っぽいこと政府の奴らが考えるとは思えないし、何よりも」

 

 では、協力者であるプログテックにとっての利とは何か? これは推測となるが、アイラは戦乱が齎す軍需から利益を得る算段だと見ていた。スカイウォーカーに収集された情報には、各企業の業績が連ねられており、プログテックに限らず多くの兵器産業社はアイザック条約締結の直前、すなわちネストと反ネストの対立が激化している時期に最大の利益を上げているのである。

 

 復活したネストと、政府というこの上ない巨大組織が対立する構造は、プログテックに取って最も望ましい事態であり、その陰謀に協力するのは自明の理と言えた。

 

 しかし、実のところアイラにとってそのような理屈などどうでも良い話であった。彼女がアイザック・シティの一件、つまり自身に降りかかった火の粉と、政府の後ろに見え隠れするプログテックの影を結びつけることができた真の理由はただ一点。目の前でにやにやとした笑みを浮かべるこの男こそが、全ての事件を一つに繋げる共通項であるためだ。

 

「私たちを使ったのはアンタだ」

 

 彼女は立ち上がり、振り返った先に立つ彼に鋭い眼差しを向けた。

 

 電灯の明かりがコックピットの外から差し込み、狭い中で中腰になって身構えるアイラの姿を照らす。そうして露になった彼女の五体には至るところに内出血を起こしている証である青い斑点が浮かび、くたびれて皺だらけになっている白いランニングシャツには、布地に吸い取られきっていない鮮やかな赤い染みができていた。

 

 普段の錚々とした振る舞いからは想像のつかない痛ましい姿を前にしても、アリスは眉一つ動かさず、腕を組んだまま微動たりともしなかった。冷静に容態を観察し、傷が打ち身と切り傷に留まる軽症であることを悟ると、それには触れることもなく自分の話を続ける。

 

「おかげで事は順調に進んでいるよ。間もなくあらゆる企業、あらゆる組織はネストと反ネストに分裂し、大掛かりな戦闘が始まる。世界は二十五年前へと逆行するわけだ」

 

「いつまでもとぼけるな狐野郎!」

 

 のらりくらりとした口調で語るアリスを遮るように、アイラは手元に転がっていた空の缶コーヒーを投げつけた。しかしそれは対象を捉える前に、アリスの左手によって受け止められる。彼の口元は笑みを浮かべたままであるが、その眼光は己に酔っている愚者では持ち得ない鈍い輝きを放っていた。

 

「そんな計画、上手くいくはずない。アンタは絶対にわかっているはずだ」

 

「君だってわかっているはずだ、僕が何をしようとしているのか」

 

 アリスは小さな重みを感じるスチール缶の両端をそれぞれの掌で押さえると、ぐしゃっと言う音を立ててそれを潰した。

 

「そして、君も協力しなければならないことが」

 

 円盤状に変形した缶の残骸を人差し指と中指で挟んで晒して見せる。その掌からは潰した際に切ったのか小さな傷が出来ており、赤黒い血液が流れ落ちていた。

 

 しばし二人の視線が交錯し、

 

「私は、誰がどうなろうと知ったことじゃない」

 

 アイラは真っ直ぐに相手の目を睨みつけたまま、その言葉を否定する。

 

「わかっている。君を育てたのは僕だ」

 

 だがアリスは動じず、

 

「だから君は協力する」

 

 相手の発言を肯定しながら真逆の内容を断言するという矛盾を平然と言ってのけた。

 

 言葉の裏に潜む論理は、二人を知る者以外には読み解けない。しかし読者は既に答えを示されているはずだ。アリスの目指す目的を、アイラという人間を、そして二人を繋ぎ合わせる二十五年という時間を。二人は互いの真意を理解しており、だからこそ結論は決して揺るがない。言葉は形式的な確認に過ぎず、それが終わった今、彼らに語ることなどこれ以上あるはずもなかった。

 

「そうだね」

 

 だが。

 

「私はきっとアンタを助ける」

 

 それでも。

 

「貰った報酬に応えるのがレイヴンだから」

 

 二人の他人が意向を同じとするかはわからない。

 

「どんな方法を取ってでも!」

 

 その時、シャトルに風穴を空ける爆発が起きた。密閉された空間に突然空いた穴へと雪崩れ込む風圧に加え、それに伴い引き起こされる周囲の気圧の変化によって船体は激しく揺さぶられ、シルフィの正面にてリフトに立っていたアリスもバランスを崩し、振り落とされないよう手すりにしがみつく。

 

 何が起きたのか理解できず、混乱しそうになる頭を懸命になだめながらシルフィの方に向き直ると、そこにはシートに着席しコックピットの扉を閉めながら、今にも発進せんとするアイラの姿があった。

 

「君の仕業か?」

 

 わかりきったことを口にするあたりに余裕を失っていることを自覚するが、今はそんなプライドよりも現状の把握が先決と心を決めた。

 

 アイラはシルフィを起動させると、ハンガーに固定していた治具を力ずくで剥がし取った。続けて二度目の爆発がシャトルを襲う。爆音と風の吹き込む方向から察するに、異変の発信源はアリスから見てシルフィを挟んだ向かい側のようだった。

 

「リアバルカンか、酔狂なものを使う」

 

 シャトルの壁を破壊したのは、シルフィの背中から発射された小型の弾丸であった。ACの死角である背後を補完するために開発された補助的な兵器で、コアに直接取り付けるため重量のバランスを崩さぬよう懸念されたことにより、実戦に用いるには口径が小さすぎる不良品であるものの、運搬用のシャトルに穴を空けるには十分な火力を備えていた。

 

「これくらいじゃ墜落しないって」

 

 アイラは先ほどまでとは打って変わった明るい声でそう言い残すとハッチを閉じ、バルカンの空けた穴を自身が通り抜けられるサイズまで引き裂くと、そのまま宙に躍り出て彼方へと飛び去っていった。

 

 一人残されたアリスは、シルフィの隣に置かれている愛機『旧世代の亡霊』に飛び乗って追いかけたい衝動に駆られたが、事態の収拾を優先させる理性の声に従うことに決め、リフトから降りると操縦席へ連絡を入れることにした。

 

 事情を説明して操縦士から聞いた話では、旋回時に多少の不備が出るものの運行に影響はないとのことで、実際に船体は安定して飛行を続けていた。十分な速度と気圧の差から生じる上昇気流を受け止められる面積が残されていれば、穴の一つくらいでシャトルが落ちることはない。

 

 とは言え、このまま飛行を続けるわけにもいかないので、アリスは修理を受けるため最寄りの空港に立ち寄ることを指示し、操縦士たちも手際良く作業を進めていった。

 

 通信を切って一段落つくと、爆発の際に飛び散ったチップが、吹雪のように吹き荒れる冷たい風に吹かれてアリスの頬を切った。思わず破損箇所の方を振り向くと、シルフィが立っていた時は気付かなかったもののひどい有様で、とても人力では動かせないような鉄の塊が散乱している。

 

「なるほど」

 

 アリスは、なぜアイラがシャトルからの脱出口を開くのにリアバルカンなどという浸透していない兵器を選択したのか、その理由がわかったような気がした。まさかこのような暴挙に出ると想定していないアリスは、風よけすらついていない、文字通りの足場に過ぎないリフトに身を晒していた。もし、ライフルなどを用いて別の、間にシルフィという盾を挟んでいない箇所を破壊すれば、その際に撒き散らされる金属片は彼を傷つけ、場合によっては命を奪っていただろう。

 

「全くもって酔狂な話だ」

 

 無意識のうちに手に持ち続けていた、潰した缶コーヒーの残骸を放り投げ、吹き込む風に熱を奪われ気温をぐんぐんと下げているハンガーから立ち去ることにした。

 

 計画は動き出したのだ。いつまでもこんなお寒い場所に留まっているわけにはいかない。

 

 

 愛機と共に単独でキリマンジャロのガレージへと帰還したアイラを迎え入れたのは、困惑を見せながらも作業する手を緩めず、所狭しと通路を駆け回るスタッフの姿だった。彼らの表情には一様に緊張の色が見え隠れし、普段に比べて口数も少なければ足取りも忙しげで、内心の焦りが表れているようだった。

 

 アイラがシルフィから降りても、彼らは目を合わせようとせず、ただ無言のまま機体の固定や外部装着品の着脱といった、与えられた仕事を機械的に進めていた。誰もが不安を感じているのは明らかで、文句をつける相手もおらず、危うく混乱に陥るところをウィンが仕事を押し付けることで紛らわせていたのである。

 

「みんなやられてるね」

 

 ACを降りたアイラは、詰め所に並べられたパイプ椅子の一つに腰を下ろすと、木目のついた鉄筋のテーブルに足を投げ出してそう言った。

 

 詰め所の中ではウィンがくたびれた様子で待っていた。アイラの帰還を聞いた彼は、嫌な空気の流れる現場への処置として、彼女の意見を聞くべく他の人員を追い出して待機していたのであった。

 

「嬢ちゃんがやられて、アリスの野郎が出張って、こんな状況じゃ当たり前だ。おまけに文句を言う相手もいないんだからよ。事務の奴らも参ってら」

 

 スタッフの多くは前職にて担当の機体を持ったことがあったので、それが大破して戻ってくるなど珍しくもなかったが、その責任は企業かコンコードを初めとした組織が担っており、責任者が不在の折に起きたトラブルに直面したことがなかった。ましてや今回の場合、その責任者こそが世間をひっくり返すほどの大事を引き起こした元凶だ。一介の労働者が処理出来る規模を完全に超えている事態に、彼らは独自で判断することも、誰かに指示を仰ぐことも出来ず、こうして金縛りにあっているのである。

 

「あんな目にあった後に聞くのは気が引けるが、アリスは今何やってんだ? とっとと戻って来ないとロクに動けやしない」

 

「もう戻ってこないかもね」

 

 煙草をふかしながら苛々と文句を垂れるウィンを尻目に、アイラは小さな声で、ぽつりと、誰に向けてでもなく、呟いた。ウィンは彼女が何かを口にしたことには気付いたが、内容まで聞き取ることは出来ず、また大した意味があるとも思わなかったので敢えて聞き返すことはしなかった。

 

 アイラは椅子を傾けながら、首を逸らして背後のウィンに目を合わせ、今度ははっきりと聞こえるように言う。

 

「もうすぐフェイが来るから」

 

「あ?」

 

「そしたら、私が何とかしてあげる」

 

 突然挙がったフェイの名前にウィンは訝しげな顔をする。若手の一人が現れたところで何が出来るわけでもない、いや、アリス直属の部下だけに何らかの指示を貰ってきているのか、などと考えていると、詰め所の扉が開き、紺色のスーツに包まれた右足が伸びてきた。

 

「ほら来た」

 

 まるで話題に上るのを見計らっていたようなタイミングの良さにウィンは驚くが、直後に現れたフェイの姿を見て苦笑いを浮かべた。足でドアを開けたのも当然、彼は両手で1mを超える巨大な図面を抱えながら、腕には大量の書類や機械類の詰まった鞄をかけ、脇にもビニール袋に入れた紙束を挟んで、今にも崩れ落ちそうに、よろよろとした足取りで入ってきたのであった。

 

 アイラはパイプ椅子の背もたれを視点に、後ろ向きに一回転して着地すると、

 

「適当にそこらへん置いといて」

 

 と、投げやりな指示を送り、

 

「手伝え!」

 

 などと文句を言うフェイと騒ぎながら持ち込んだ資料の山を整理していく。

 

 ウィンが呆然と二人のやり取りを眺めていると、アイラが一番目立つ大型の用紙を手に取り押し付けてきた。それはAC用のパーツを図解したものであった。しかし、その構造は無数の図面に目を通し、実際に扱ってきた彼の知識を持ってしても該当するものが見当たらないほど異質な形状を取っており、ジオ社やエムロードが提供する汎用製品とは一線を画する代物と見て取れた。

 

「おい、コイツは」

 

 突起状の外殻に覆われた有機的なフォルムから、思い当たったものがあまりに突飛な一品だったので、思わずウィンは声をあげようとした。だが、彼が言い切るよりも早く、

 

「そればっかりはアンタに直接言わないと伝わらないだろうから持って来させたんだ」

 

「昨日の白い機体です。プログテックの開発部から盗んで来ました」

 

 平気な顔をして若い二人は言ってのける。

 

 ウィンは唖然とする。自分の勘が間違っていなければ、これはつい先日アイザック・シティで現れた『旧世代の亡霊』を構成するパーツの一つだ。市販されている代物ではないので、プログテックでも機密とされている事項だろう。それを盗み取ったとなれば、一企業、それも政府の片腕として今まさに盛り上がろうとしている勢力を敵に回す行為だ。可能か否かという技術的な問題以前に、これほど大胆な所業をあっさりとやってのける無謀と紙一重にある度胸を、アイラはともかく経験も浅いフェイが持っているとは驚きだった。いや、若いからこそ怖いもの知らずに突き進むことが出来るのか。

 

 当然ながらフェイが独断で盗み出したわけではない。アイザック・シティの戦いが終わった後、シャトルに運ばれたアイラは、アリスの目が届かないうちにフェイと連絡を取り、スカイウォーカーを持ってプログテックに侵入するよう指示を送ったのだ。更にはガレージを出払っていた彼を、必要な資料をかき集めさせた上で呼び戻したのである。

 

「依頼は?」

 

「凍結させた。お前にもサムにも山ほど来ているけどな」

 

 フェイは持ち込んだ資料を並べ、アイラはそれらに目を通しながら、二人で簡単な確認を交わす。

 

 今、世界は現行の体制が崩れ旧き社会が蘇ろうとしている真っ只中である。腹中の利権を守ろうとする大企業、下克上を企む武装派の中小企業、またこぼれた利益にあずかろうとする無数の組織が、新たな地位を築くべく戦力を欲している。中でもコンコードに頼れなくなった者は、それを独立したレイヴンチームに求めるより仕方なく、チーム・ルークスカイにも例月の数十倍に達する依頼が届いていた。

 

 しかし流動的なこの状況下で何処かの組織と手を結べば、大規模な派閥争いに巻き込まれる危険が高い。先述の通り、いち労働者に過ぎず、独断でチームを動かすことの出来ないフェイはいったん全ての依頼を凍結させ、代表者…すなわちアイラかアリスの判断を仰ぐことにしたのである。

 

 一方、アイラは誰よりもフェイの動向を押さえることを優先した。彼にチームを左右する実権はないが、これまで積み重ねてきた実績から、自然とチームはその動向に従い動き出す構造を取っている。活動計画は彼が依頼を定めた瞬間に確定し、その達成のためにスケジュールが組まれるのだ。

 

 体制が磐石であればあるほどに、司令塔であるアリスがいなくともフェイを確保すればチームは動かせるし、ウィンが動じない限り現場が崩れることはない。チーム・ルークスカイの本質を、アイラは深く理解していた。

 

 確かにアイラはアリスのものかもしれない。二十五年という年月はそれほどに長い。

 

 だが、チームは誰のものでもない。陰謀のために結成され使い捨てられる運命にあったとしても、培ってきた実績は本物だ。

 

 あとは彼女が選択し、決断を下すだけ。アイラ・ルークスカイはそのために生まれてきたのだろう。

 

 以降の歴史はその具現である。チーム・ルークスカイ、地球政府、プログテック、ナインボール、そしてアリス・シュルフ。無数の思惑が交錯する狭間に立たされた一人の少女は、今、真に自らに由る歴史を刻む。

 

 

「さ、始めようか」

 






| 新しいページ | 編集 | 差分 | 編集履歴 | ページ名変更 | アップロード | 検索 | ページ一覧 | タグ | RSS | ご利用ガイド | 管理者に問合せ |
@wiki - 無料レンタルウィキサービス | プライバシーポリシー