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 キリマンジャロガレージの地下十階、オフィスエリアの最下層に位置し、ワンフロアを席巻する面積を備えた中央会議室は、他のそれとは用途を異にする。以前に明記したようにガレージの会議室は主に四つ存在し、チームのメンバーであれば申請を通して誰でも使用可能である。鍵は常時かかっていないため、管理担当者がいい加減な性格であれば、未使用時には憩いの場として勝手に利用することも出来るくらいだ。対して中央会議室は、エレベータから降りた眼前に金属製の重たい扉が立ちはだかっており、外来の者を遮断している。その鍵はガレージの代表者であるアリスが管理しており、利用するには彼の許可を取らなければ不可能となっている。故に地下十階は開かずのフロアと化しており、中央会議室内に足を踏み入れたスタッフは未だ存在しない。
 その室内に今、一人の人影が見られた。いや、影を人と見なすならばその部屋に姿を見せているのは一人ではない。補助灯のみで照らされた10m四方ほどの薄暗い空間の中心に、アナログな紙の資料を携えたアリスが立っており、ホログラフに映し出された十人以上のまさに人の影が、彼を囲んでいた。
 月に一度開かれる、チーム・ルークスカイの定期報告会である。チームの拡大に連れて、後援者内の発言権は資本力に勝るジオ・マトリクスやエムロードに移り、彼らの主導の元に予算配分や方針の決定が為されるようになったが、その実権は変わらず結成者である彼ら反ネスト派が握っており、彼らのみで開かれるこの報告会も、新規参入者には知らされることなく続けられていた。
 表世界の有力者である大企業を取り込みながら彼らが力を保つという矛盾を実現させたのは、ひとえにアリスの手腕によるものである。資本の提供を受けている以上、支援者の有利に傾かざるを得ない運営方針を、対立する団体を常に並べることで緩和させ、両者の間を揺れ動くことで中立を保ち続けた。例えばチーム内にてジオ社の権力が弱まれば、彼らがより資金と労力を投入しやすいよう依頼内容を調整し、逆に強くなり過ぎれば今度は敵対勢力であるエムロードに肩入れする。活動内容が制限される前に対策を打つことで自由を守り、また自由が守られているからこそ支配から逃れる手段を講じることが出来る。これはまさしく元レイヴンであるアリスならではの手法であり、表舞台にてアイラの自由が保証されているのは、彼の貢献によるものに他ならなかった。
 新規参入者たる大企業を互いに潰し合わせることで、直接チームに手を下す権限は、最初からそれを有していた反ネスト派とその遣いであるアリスが確保し、彼らはそれを最大限に活用することで企業から資金を吸い上げていた。運営資金として割り振られた予算を着服し、別の目的にあてていたのである。
「委員会により今期の予算は以上の通りに締結され、その総額は一千万Cに達しました。各部門より通例通り予算を特別枠に移せば、プロジェクトに流れる一期ごとの収入は百万Cを超えました」
 舞台の中央でアリスは読み上げる。なお委員会とは先述の支援者たちによって結成される、チームの方針を定める機関であり、主な役割は予算の決定である。
「これはプロジェクトが安定した運営を可能とする額であり、我々は当初の目的を達成したことになります」
「大したものだ」
 アリスの正面に映し出された男が漏らした声には、感嘆の意が込められていた。ブランドものの黒いスーツに身を包み、白髪交じりの髪をジェル状の整髪料で後ろに固めた姿には一目で上流階級の人間であることを悟らせる上品さを漂わせており、何気ない一言からでも注目を集めることから、彼がこの報告会の参加者でも強い権力を握っていることが伺えた。
 それもそのはずで彼こそがプログテックの会長、カノン・R・プログテックである。若くして実のない資産家であった父より小さな鉄鋼業者を譲り受けると、大深度戦争の混乱に乗じて大手ACパーツメーカーに成長させた商才の持ち主で、現在では経営の最前線からは退いているものの、同社の資産を独断で運用する特権を握っている大物だ。彼はその特権を利用してある巨大なプロジェクトを進行させており、チーム・ルークスカイとはそのプロジェクトの一環であった。すなわち、彼こそがチームの創設者と呼んで良い。
 本来ならば末端組織の報告会などに顔を出す立場ではないのだが、弱小部門であったチーム・ルークスカイが予想を大きく上回る結果を残し、当初は不可能と見られていた一期百万Cの予算獲得を達成したことに興味を惹かれ、その実態を確認すべく出席したのであった。
「感服したよ、アリス。レイヴン上がりの君が、経営者としてここまでの手腕を振るうとは、プロジェクトの一員に名乗りをあげたあの日には、誰にも想像できなかっただろう。もちろん私もね」
 カノンは懐かしい思い出を語るように、遠い視線をアリスに向けながらそう言った。物腰こそ柔らかだが随所に棘を含んだ言い回しは、明らかにレイヴン、つまりは末端で仕事を行う者を経営者とは別種の人間と見なしていた。もっとも、これはあらゆる事象をモデル化して扱わねばならない為政者としては正しい態度で、同じ人間と捉えないからこそ客観的な分析と対応が可能となるのである。
「運営とは正しい行動を取り十分な蓄えがあれば、あとは熱意の問題です。貴方が指揮をとっている以上、私は最後の一つだけを用意すれば良かった」
「確かに、君が『彼女』を連れて現れた時には震え上がったものだ。この男は狂っているのではないかと恐れたよ。だからこそこのように非常識な企画でも、採用せざるを得なかった」
 アリスは相手の目を真っ直ぐに見つめ返して答え、カノンもそれを逸らさずに続けた。受け取り方次第では挑戦的とも取れる二人のやり取りに周りの者は肝を冷やしたが、アリスはカノンの才を承知しており、またカノンもアリスの器を認めているので、本人同士が互いに悪意を抱くことはなかった。恐れを抱くのは知識を持たない者のみである。
「企画自体は既存のものを流用しただけの話です。肝心なのは非常のそれをどこまで信用し、推し進められるか。その一点においては、私は他の誰よりも抜きん出ていたと自負しましょう」
「なるほど、君をそこまで突き動かしたのは信仰か。いや宗教というものが古今を通じてどうして経済から切り離せないのか、理解できたような気がするよ」
 他を置き去りにして続けられる二人の会話に、周囲の誰もついて行くことが出来ない。企画、信仰、全ての前提を知らない者には、そうした暗喩の単語を読み解けないのである。
 しかし読者方は彼ら暗愚とは異なるはずだ。何故ならその前提の名はスカイウォーカー、読者は既にその全貌を明らかにされている。セッツの、そしてアリスの人生を綴る物語に照らし合わせれば、二人の言わんとしている内容を読み解くことが可能となるだろう。
 カノンは言った。「アリスは非常識な企画を推薦するために『彼女』を連れてやってきた」と。アリスは言った。「その企画は既存のものだ」と。
 そしてスカイウォーカーには、アリスの取った行動とよく似た決断を下した男の話が記されている。彼の名はイェクス・ルークスカイ、己の夢と狂気を正当化するために幼き息子を生贄に捧げ、究極のレイヴンを生み出した科学者である。そして連れて来られた生贄とは『彼女』、すなわち女性だ。これだけの情報が与えられれば、解答も容易に導き出すことが出来る。
 アリスは全てを再現して見せたのだ。クロームをプログテックに、イェクスを自らに、そしてセッツ・ルークスカイをアイラ・ルークスカイに置き換えて。
 だが、全ての計画には発案者の動機を必要とする。その規模が巨大であればあるほど、より大きな動力、目的意識を要するのである。
 かつてクロームがイェクスの企画を採用したのはムラクモへの対抗策としてだった。従来の強化人間とは異なる彼の手法が成功すれば、敵勢力へのレイヴンに関する大きなアドバンテージを奪えると目論んだのである。
 ではプログテックは? 巨大な資本を持ちながらメーカーの立場を崩さず、支配への野心を見せないカノンは、この狂った企画に何の利を見出したというのか?
 それこそが彼の言うプロジェクトの目的である。予め断りを入れておくが、プロジェクトの発足自体はアリスがイェクスの企画を持ち込む以前から存在した。つまり、これは全くの偶然であるのだが、その符合の一致には現実主義者のカノンと言えど何らかの運命が働いているようにしか思えなかった。
 プロジェクトにつけられた名前とは「ナインブレイカー」だったのだから。
「君は見事期待に応えて見せた。故に兼ねてよりの条件であった、予算の増大も検討しよう。具体的には上の連中と話し合う場を設けるまで打ち出すことは出来ないが、おそらく今後はプロジェクトを主導する立場に立ってもらうことになるだろう」
 先述の通り、チーム・ルークスカイはプロジェクト・ナインブレイカーの数ある部門のうち、弱小勢力でしかなかった。しかしカノンが宣言した以上、プロジェクトの予算の大部分は同チームへと傾けられる。予算が入れば自然と勢力は増強し、全部門の要と成長することは想像に難くない。つまり、アリスはプロジェクト内の派閥争いに勝利したのだ。
 しかし彼の最終的な目標はそんな小さな結果ではない。ここまでに記されてきたアリスはそのような俗っぽい結果に価値を見出す人間ではないし、イェクスの計画を再現する動機として、それはあまりに弱すぎる。
 未だ謎に包まれているのはプロジェクトの全貌、そしてアリスの目的。以後はこの二点を要として、物語は展開される。
「そして」
 カノンは言った。
「独立レイヴンチームが世を席巻し始めた現在、場は十分に熟したと言えるだろう。これも憶測になるが、計画は間もなく第三段階に進むことになる」
 なお計画第一段階とは部門の設立、第二段階とはその具現である。
「他に先んじてここまで歩を進めてきた君たちには、最終段階である次の一手にて要を担って貰う。その責を動機に変えて、以後も奮闘を続けて欲しい」
 カノンのこの宣言をもって、定期報告会は解散となった。彼とアリス以外の、事情を知らない参加者にとってはこの結果は十分に満足のいくものだっただろう。予算の獲得は、何しろ他部門に対する勝利宣言に他ならないのだから。
 おそらくは意気揚々として各々の持ち場に戻る彼らに対して、会議室の中央でなおも立ち尽くすアリスの表情は曇っていた。いや、彼とて数年、数十年とかけて築き上げてきた成功に満足していないわけではない。ただ、背負ったものが重過ぎて、また背負ってきた時間が長すぎて、安易に緊張を解くことが出来ないほどに、彼は疲弊していたのである。
 ともあれ計画は最終段階に移行した。今は、その事実を素直に受け止めて喜ぶことにしよう。
 そう自分に言い聞かせて、アリスはようやく笑みを浮かべることが出来た。
 彼は一人呟く。
「物語は迅速に。ここまで来たならば残りは一息に済ませよう。準備は十分に出来ている。あとはアイラの、ルークスカイの仕事だ」

 アイラとヴァッハフントの五度目となる戦いは、フェイを通した幾度かの交渉を通して、地球暦224年の9月23日に設定された。舞台にはアイザック・シティのアリーナが選ばれ、その運営は所有権を持つコンコードではなく、都市を経済的に支配しているジオ社に委託されて行われた。
 ジオ社ではレイヴン離れが進む現状に苦戦を強いられており、今期よりアリーナを初めとするAC事業へのテコ入れが敢行されることになった。そこで、業界を代表する名前に成長したアイラ・ルークスカイに価値を見出し、彼女との結びつきを強化するために決闘の世話を願い出たのである。
 広告活動から舞台の新設、当日は遠距離から来訪した観客の輸送サービスまで行うといった地道な努力が実を結んだのか、この一大イベントは例を見ない盛況で、コンコードが売り出している勝者当ての投票券も、アリーナ設立以来の記録となる売上をあげるほどであった。施設内に設置されている、ロケット弾すら通さない特殊強化ガラスに守られた観覧席のチケットは一部の資産家や業者の転売によって、当日になってもなお価格を吊り上げられている。
 異例の盛り上がりを見せ、世間の注目を一身に浴びるミッションとなったが、当のアイラは冷静なもので、いつも通りシルフィに搭乗したままシャトルに運ばれている間も、意識は対戦相手をいかに出し抜き叩き潰すか、その一点に注がれていた。彼女にとって不特定多数の人間など、自由を乱す可能性を持った邪魔者でしかなく、彼らに持ち上げられようとも浮かれたり心を乱すことなどあり得ないのである。
 これまで何度も目にしてきたように、戦闘に集中したアイラは常識を外した行動を意図的に取る。だから律儀に指定された時刻に現れたりせず、一時間遅れたスケジュールで動いていた。これは移動中の隙をついた襲撃への備えである。何しろ敵はあのヴァッハフントなのだから、これくらいの警戒は当然で、大胆な選択に潜むこうした周到さこそが彼女の真骨頂と言えた。
 アイラは起動させた状態のシルフィのコックピットにて横たわりながら、幾たびも鎬を削った宿敵の姿を思い描いていた。まどろみながらも両足を操縦桿につけており、有事にはいつでも動き出せる態勢に入っている。なお、足でも並のパイロットでは太刀打ちできないほどの操縦を可能としていることは既述である。
 レイヴンとしてデビューして以来四年の月日が流れ、数え切れないほどの敵と戦い、それ以上の恨みを買ってきたが、彼ほどに執念深く挑み続けてくる者は他にいなかった。AC同士の戦闘では、勝敗が決すればどちらかが命を落とすことも珍しくないし、生き延びたとしても力量差を自覚してなお勝負を挑もうとする物好きなどそうそういるものではない。
 人間関係の希薄なアイラにとって、彼は親代わりのアリスを除けば最も長い付き合いの相手であり、軽い親しみすら覚えていた。命懸けの妄執を生む精神力には素直に感服しているし、一体何が彼をそこまで駆り立てるのか興味があった。この戦いが終わったら、ヴァッハフントという人間について調べてみるのも面白いかもしれない。スカイウォーカーを使えば難しいことではないし、フェイにやらせてみても良いだろう。彼のリアクションにも関心がある。
 そこまで考えると、アイラはふふ、と微笑を浮かべた。それはこみ上げてくるおかしさを噛み殺した笑みであった。
 この一年間は本当に面白い。別にそれまでが退屈だったわけではないし、勝手気ままに面白おかしく生きてきたつもりだ。ただ、人のことを考えるのがこんなにわくわくするものだとは思わなかった。自由を邪魔するだけでうざったかった他人が、次に何を見せてくれるのか、今では楽しみで仕方ない。
 地球に降りてきて良かった。と、感傷に浸る自分のらしくなさがまたおかしくて、思わず首を傾げてしまう。ただ、決して悪い気分はしなかった。
 アイラは気を取り直して、いつも缶コーヒーをしまいこんであるラックに手を伸ばし、今回は抜いて出撃してきたことを思い出す。何を仕掛けてくるかわからない強敵に備えて、限界積載量ギリギリまで火器を積んできたので、少しでも負担を減らすために缶や予備シートと言った余分な重量物を削ったのである。
 ちぇ、と舌打ちしてアイラは身を起こす。先月あたりから新たに雇い入れたオペレータに現在地の確認を取ると、目的地のアリーナまではまだ30分ほどかかる位置にあった。退屈なのでいっそのことACで直接乗り込もうかとも思ったが、向かう先は市街地なのでさすがにそれは自重した。そんな余計なことを考えるほどに彼女は今を楽しみ、ヴァッハフントと手を合わせることを待ち望んでいた。
 結局敵が奇襲を仕掛けてくることもなく、シャトルは何のトラブルもなくアリーナへと到達した。それを物足りなく感じたことがアイラには不思議だったが、この感情を否定することは今の彼女には出来ないしするつもりもなかった。

 時は数刻遡る。
 ドーム型の天上の下、直径数kmに及ぶ巨大な闘技場の上には二機のACが立ち、決戦の時を待っていた。
 一機は両腕にガトリングガンを装着した逆関節型の機体、他でもないヴァッハフントのルーキーブレイカーである。なお、彼はアイラを追って地球に移籍した折に機体名を「アイラブレイカー」と変更しているのだが、あまりに個人的な恨みに基いているせいか定着していないので、業界で知れ渡っている従来の名前で記述させて頂く。
 もう一機は名をドラクーガと言い、小回りの利く四脚型を取りながら主な兵装は中型のミサイルにパルスライフルと遠距離での撃ち合いを目的としたもので、本体と装備の用途が噛み合わないちぐはぐな組み合わせが乗り手の半端な腕前を示していた。パイロットは自らリベンジャーと名乗るだけあって非常に執念深い性格で、恥を掻かせた相手には死ぬまで付きまとうことで火星では悪評の高い男である。地球に降りてきた目的はやはり以前徹底的にやられたアイラへの復讐であり、志を同じくするヴァッハフントに協力を持ちかけたのであった。
 リベンジャーはACによる戦闘技術こそ拙いが世渡りに長けており、普段から上位ランカーや大企業といった実力者への根回しを絶やすことはなく、彼らを利用した細かな策謀で地位を築いていくタイプのレイヴンだった。火星のアリーナではヴァッハフントよりも上に立っていたが、それも下位に留まろうとする彼と事前に顔を会わせ、八百長試合を仕組んだ結果であった。
 そんな彼が今回打ち出してきた策とは、まさに彼の持ち味である良く言えば抜け目のない、悪く言えば姑息な手段であった。それは一言で表せばアリーナというシステムを利用した奇襲である。
 レイヴン同士の優劣をつけることを本来の用途とするアリーナでは一対一が原則であるのだが、民衆まで広く知れ渡った現在では興行的な要素も強くなっており、二対二や五対五といったチーム戦が要求されることも少なくない。そのため一部の施設ではその要望に応える体制が整えられており、まして地球最大の都市であるここアイザック・シティに至っては模擬的な戦争すら行えるだけの敷地と設備が確保されていた。この複数のACによる戦闘が可能とされている点にリベンジャーは目をつけ、ならばと一対二で行うハンデ戦を主催者側に要求したのである。
 彼の真髄はその詳細を相手側に知らせず事を進めた交渉術にある。まず最初の関門はアイザック・シティのアリーナを使用する許可を取ることである。地球で最も注目度が高く賞金も大きいこのアリーナを利用しようとするレイヴンは多く、火星では上位五十人に数えられるも地球圏ではさしたる功績もあげていない身では何年待とうと出番が回ってくることなど考えられなかった。が、これはアイラ・ルークスカイの名前を持ち出すだけで容易に解決する。地球に移籍した当初こそ連日のように対戦を繰り返していた彼女だが、それは地球での売名とACの調整が主な目的で、依頼が殺到し武装が固まってきた現在ではスタッフに無理を押してまで参戦する理由はなく、この半年間彼女の名前が登録されることはなかった。そのため一般層から彼女の参戦を希望する声が高まっており、それが適うとなれば主催者、つまりはコンコードとジオ・マトリクスの両社は諸手をあげてこれを歓迎したのである。なお、これは先述の興行的成功を裏付ける下地でもある。
 続いて問題となったのは、アイラに敗北を齎す一対二の条件を主催者に飲ませることである。これが数ヶ月前の出来事であったならば、企業にとって由々しき事態である独立レイヴンチームの流行を引き起こした元凶であるチーム・ルークスカイを潰すために、全面的な協力を仰げたかもしれないが、ジオ社はこれを受け入れ、独立レイヴンとの友好的関係を築く方針を打ち出したばかりである。彼女に危機が迫るとなれば受け入れられるはずもなく、これを通すには、自身が実力者であることを隠す必要があった。そのため申請はリベンジャーとヴァッハフントではなく、名も無きレイヴンチームを騙って行った。肝心なのは隠れ蓑となるレイヴンの選別で、その対象にはジオ社から独立した弱小レイヴンの二名が選ばれた。彼らは無名であるがその腕前の程をジオ社から認知されていることが重要で、彼らならば天地がひっくり返ってもアイラに勝利することなど不可能と判断される。登録は通信を用いて行われるため本人確認を取る術はなく、まさか弱者を詐称する者が現れるとも思われていないため、事は上手く運び、二人はアイラとの対戦にこぎつけたのである。なお、確認を取る術がないとは言ってもコンコードに登録されたIDのチェックくらいはされるので、それは当人から奪い取っておいた。無論のこと、彼らは既に始末済みだ。
 そして次に考えるのはハンデ戦の形式を相手に悟られずに引き込む方法だ。アイラは依頼を選べる立場にある。過去に戦ったレイヴンからの挑戦状となれば彼女の性格からして乗ってくるだろうが、不利な条件を知られれば対策を打たれるし、そうでなくともミッションを破棄されれば計画は水の泡となる。世界で最も注目の集まるこの場で敵前逃亡など起こせば、観衆たちの噂に乗ってチーム・ルークスカイの名誉を著しく傷つけるだろうし、興行の失敗を引き起こしたことでコンコードやジオ社との関係に亀裂が生じる可能性も出てくるので、現場にさえ引きずり出せばそれは防げるのだが、情報を隠蔽したままアリーナへと引き込むには、運営側の協力を得る必要があった。
 考えた末にリベンジャーは切り札である武力による脅迫を選ぶことにした。幸いなことにアリーナの運営はジオ社本体が直接仕切るのではなく、子会社の一つに委託される形式を取っていたので、セキュリティも甘く数名の責任者を脅すことはリベンジャー一人でも十分に可能だった。もちろん事が明るみに出ればジオ社からの制裁が下るだろうが、興行が成功し利益を齎しさえすれば前向きに捉えられるだろうと彼は踏んでいた。何度も言うようにチーム・ルークスカイは大企業にとって目の上のたんこぶであるし、長期的な展望よりも目先の利益に気を取られるのは、ジオ社ですら避けることの出来ない企業としての性である。それでも念のために身を隠す必要はあるかもしれないが、アイラの敵すなわち味方は星の数ほど知っているので、彼らに依頼すればそれは難しいことではないだろう。
 最後にアイラを倒せる力を持った仲間を見つけることだが、ヴァッハフントが地球に降りてきていることは耳に入っていたので、これに悩むことはなかった。敵は狂犬と謳われる彼でも一人では到底適わない相手だが、そこに自分が加われば十分に勝機を見出す自信がある。また、目的のためには手段を選ばない性格といい、アイラに対する憎悪の深さといい、復讐のパートナーとしては理想的な相手と言えた。
 アイラとの因縁は彼の方が深いので、挑戦状を送りつける役目は譲ることにした。しかし、ここで想定していなかった事態が起こる。敵は日程の引き伸ばしを要求してきたのだ。
 挑戦を却下されるケースは考えていた。しかし引き受けておきながら意図の読めない日時の先送りを求められるとは考えておらず、リベンジャーは激しく困惑することになった。アリーナ使用の日時は両者の意向を汲んだ運営側が設定するため変更自体には対応できるが、まさか自分のペースを乱したくないなどという我が侭極まりない理由で要求してきたとは思えず、何らかの裏があるのではないかと疑心暗鬼に陥り、ここまで有利な態勢を築いておきながら、当日までに彼の神経はすっかり磨耗しきっていた。
 策を練る者は読めるはずもない他人の心を仮定してこれに臨む。この折に想定されるヒトとは、己が最もよく知る人間の形を取ることが自然である。そして人が最も詳しい人とは自分自身のことに他ならず、故に策士が頭の中で相手取る敵は同じように策士に設定されてしまう。これが策士が策に溺れるメカニズムであり、今まさに彼はその状況に陥っていた。
 だから予定の時刻になってもアイラが現れないことが不気味で仕方なく、何度も何度も繰り返しオペレーターに連絡を取り相手の動向を尋ねる。もちろん数分で大した距離を移動するはずもなく、同じような回答が返ってくる度に、彼は顔を真っ青にして冷や汗を流すのだ。彼の中でこの遅刻は何十という策に変換されていたのだから仕方がない。
 その様子をヴァッハフントは呆れながら眺めていた。確かにこの罠は、リベンジャーという小物が十重二十重と知恵を重ねて織り上げた一世一代の大仕掛けだろう。その策謀の深さには感心を覚えるが、それで神経を害するようならば真似したいとは思えなかった。思考が苦悩を生むならばそれは他人に任せ、自分は旨い部分を奪い取るまでだ。
 とは言え戦闘の役に立たなくなると困るので、適当に声をかけながら戦闘に備えることにする。おそらくは一時間ほどの遅れでやって来るだろう。今度こそ、あの憎たらしい女の四肢を引き裂いてやる。と、嗜虐的な妄想に頭を浸すと、憎悪と共に言いようのない高揚感が彼の全身を満たしていき、全神経が戦闘モードに切り替わっていくのを実感できた。強い運動に耐えられるようドクンドクンと心臓の打つ音が高まりながらも、その熱に負けないように血管が収縮し肉体の放熱効率を上げる。その結果顔面は蒼白となり指先は細かな震えを見せる。明らかな身体の異常に反応して感じるはずの苦痛を隠すために、脳からはモルヒネを初めとする数種の麻薬が分泌される。快感を伴う高揚感はこの麻薬の副作用である。
 こうした変化は、人が危機に相対した際の強い緊張によって脳内に行き渡るアドレナリンが引き起こす現象である。闘争のホルモンと呼ばれるこの物質によって、人の身体もまた、彼を包み込んでいるACと同じように戦闘時にはそれ専用の肉体に変化するのだ。
 ヴァッハフントはこの変化を意図的に引き起こすことが出来た。とは言え彼は多くのレイヴンと同じように自己流の訓練のみで身を立ててきたので、それを自覚して行っているわけではない。ただ、彼の中でアイラへの憎悪は戦闘時の緊張に匹敵するほどに強く、また専用の訓練を受けているのと同じように日常的な出来事となっていた。繰り返し起こる脳内物質の分泌が慢性化し、ついにはアイラという名を思い出すだけでそれを可能とするまでに進化した。
 無論のこと、これは彼の体に悪影響しか及ぼさない。無理に機能を増幅される循環器系はその度に疲弊するし、逆に阻害される消化器系は粘膜の生成もままならず、自らの消化液で溶かされ伸縮していく。そして脳内麻薬の過剰分泌は脳神経を破壊し、最終的には彼を廃人に追い込む。
 現在彼の身には既に異変が起き始めており、頻繁な興奮が寿命を削っていることに本人も気付いていたが、それを遠ざけるつもりはなかった。そもそもの原因がアイラであるならば、それを除去するためにこの変化は不可欠であったし、仮に彼女を始末した後に再起不能、最悪死に至ったとしても構わないと開き直っていた。
 アイラ・ルークスカイの打倒は彼にとって既に人生の命題となっていた。それが達成されるならば余生に未練はなく、何を犠牲にしてでもそれを目指す覚悟を背負っていた。それだけの意志を持っていなければ、悪評と言えど必死で築いてきた火星の立場を捨て、裸一貫で地球に移動してくることなど出来はしない。
 片や知恵を振り絞って目標を討つ策を練り、片や憎悪を研いで戦いに赴く。姿勢も方法論も異なるが、二人の目的はただ一つ。アイラ・ルークスカイの打倒である。それが達成された時、彼らは人生の至福に昇り詰めるだろう。
 だから彼らは待ち望んでいた。何しろ命を賭してきたのだ。憎しみを糧とした復讐の対象でありながら、興味本位で首を突っ込み安全な場所で眺めているだけの観客などより、ただ保身のために金と物を集め人を使う企業と言う名の運営者などより、そしてきっとこの世界の誰よりも、彼女がここに現れる瞬間を切望していた。
 彼らが立つ位置とは反対側に降りていたシャッターが開いた時、彼らは狭いコックピットの中で思い切り身体を乗り出した。それほどに彼女を求めていた。
 二人は気付かない。先刻、問い質した彼女の現在地からここに至るまでの必要時間と現在の時刻の不一致に。それ以前に、運営側から敵の到着を伝えられない不自然に。

 繰り返すが二人は気付かない。
「何だお前は?」
 二人の想いは、
「乱入してくるとはとんでもない奴だ」
 利用されたのだ、と。 

 シャトルの乗降口と繫がっているはずの通路を通り、鉄の扉を開けて現れたのは、彼らの見知らぬACだった。皮肉なことに、その機体のカラーリングは赤を基調とした随所に黒いラインが入った、臓器を連想させる毒々しい姿。青を基調に白いラインの入るブルーバード・シルフィとは対照的な形を取っていた。
「ターゲット確認、戦闘モード起動」
 観客の、主催者の、そしてターゲットと評した目の前の二人さえも、一切の視線と意志を無視してソレは機械的に、ただ必要だという理由だけで、言葉らしき音声を口にした。
「Destroy(排除する)」





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