共有ガレージに備え付けられている施設の一つに、ACの操縦訓練に用いる練習場があり、場は球を横に切った形のドーム型をしており、直系3kmとACが動き回るには十分なスペースが確保されている。
訓練には障害を置かない単純な操縦訓練の他、浮遊機雷を設置して射撃を行ったり、MTや時にACを用意した実践形式も存在する。
今回、アリスがここを用いるのはセッツに紹介されたプログテックよりもたらされた、新型兵器の試験運転のためなので、その場には機雷が十数個設置され自律的に宙を漂っていた。
武器の試験だけならば自らは動かずに照準の調整と射出の操作に終始しても良いのだが、彼は実戦における運用法を探るためにも活発に自機を動かし、機雷の隙間を縫いながら攻撃を仕掛ける訓練を自主的に行っていた。こうした自立性は以前のアリスには見られなかった傾向であり、彼が命じられるままに依頼をこなす機械人形を脱却し、自らの意志で考え行動を選択する人間として活動している証となっていた。もっとも、それが新たな問題の温床ともなっているのだが、それはまた別の話である。
さて、新たに装着されたパーツとは左腕の肘から先に取り付けられた棒状の武器である。銀色に輝くそれは、起動を命じると黄色い光を生み出し、多くのACで採用されているブレードを振る動作と組み合わせることで三日月状のエネルギー弾として射出することが出来るという、言わば刃を飛ばして攻撃する特殊ブレードだ。
絶大な破壊力を持つ反面、敵に接近しなければならず、熟練された技術を持たなければ扱いにくいブレードを射撃武器と同じ感覚で用いるという、新興勢力らしい斬新な発想で生み出された一品はまさしく逸品で、アリスの繰り出す光の刃は次々と機雷を切り裂いていった。
彼の腕でAC同士の接近戦に臨むのは無謀以外の何物でもなく、いつも左腕のブレードを持て余していたのだが、これならば十分に実戦に耐えることが出来る。レイヴンならば誰もが持つ悩みの種である、ACの積載重量の問題からブレードの取捨に頭を悩ませていたアリスにとって、これは救いの手となりうる武器であった。
想定よりもずっと早い時間で機雷を掃討したアリスは、最後の一つを落とすと戦闘モードを解除して、退場の意を管理人に告げた。すると間もなくガシャン、という音と共に電源が落ちてシャッター状の出入口が開かれる。補助灯だけが照らす薄暗い部屋の中、退室しようとアリスのACが一歩目を踏み出すと、
「お疲れ様です。いかがでしたか? 当社の新製品の使い心地は」
男性らしい低音でややかすれているが、丁寧な発声と決して相手を威圧しない語りかけるような口調が柔和な人間性を想像させる、まさしく営業マン向きの(原作でエラン・キュービスは技術者となっていますが、あれは確実に営業職だ!)声が、スピーカーを通して彼の耳に届いた。アリスを担当するプログテックの社員、エラン・キュービスである。
「最高ですね! これなら売り出されていても買い入れますよ」
お世辞ではないと言い切れる笑顔を見せて、アリスははきはきと答えた。実際彼は生き馬の目を抜く交渉の世界とは縁の遠いはずの十四の少年なので、その様子は裏表がないと表現するのが正しいのかもしれないが、素直にそうと断言するには、彼はあまりに過酷な生い立ちを持ち、複雑な人格を築き、難解な環境に身を置いていた。
反ネスト派の遣いとして現れた二人のレイヴンとの出会いから一年、アリスの置かれた環境は大きな変化を見せていた。そのきっかけとなったのが彼、エラン・キュービスとの出会いである。
セッツによって新型のパーツを譲り受けたアリスは、それを使う条件として付随していたモニターの役割も共に受け取る羽目に陥り、担当であるエランと顔を合わせることになった。
レイヴンの中でも屈指の実力者であるセッツへの依頼が、名前も知らない新米に譲渡されてしまったことにエランも戸惑っていたようだが、彼とセッツの付き合いは長く、その気紛れな性格を理解しており、そして確かな判断力を信頼していたので、この若き戦士と新たな人脈を築くことに躊躇いはしなかった。社内の、セッツ・ルークスカイという名前を妄信しながら人間を知らない盲目な上司や同僚にはケチをつけられることだろうが、この手のハプニングはセッツという破天荒な人間と付き合う以上避けることの出来ないトラブルであり、既に開き直っていた。
そして一人のレイヴンと見なされ、対等な立場でエランと向き合うことが、アリスに更なる変化を与える。それまでネストの敷いた通信を用いて、品目の中から選択するに過ぎなかったパーツの購入が、人と顔を合わせ、譲り受けなければならないのだ。人と接する以上、彼もまた一人の個人として自立しなければ会話は成立しない。ラナ・ニールセンの命じるままに働く機械人形には、それが真実にせよ仮初にせよ、アリス・シュルフという人格を用意してアピールしなければならない必要性が生まれた。
だからエランの見たアリスは紛れもなく十四にしてレイヴンを営む強い少年であり、信用するに足ると多くのレイヴンと関係を持ってきた彼の勘が告げていた。一方、そのために拵えられたアリスという人間がそれを拒むはずもなく、プログテックの開発した新パーツと引き換えに実戦データを提供するという取引は、目立った支障もなく纏められた。
そんな誰も気付かない、恐らく本人すら、背景を持って正式にアリスのものとなった新型パーツは、12という破格のロックオン数を持つミサイルポッドだった。しかも発射は一弾ずつ行われ不規則なタイミングで着弾するので、敵にしてみれば非常にかわしにくい。特に異彩を放っていたのがミサイルの弾速で、時速にして数十km、発射後に最大の出力で加速すると自機の放った弾に追いついてしまうという異様な鈍足なのである。そのためタイミングを合わせれば自機との連携した攻撃が可能で、他にも長時間滞空することで敵の狙いを散らすデコイとして用いるなど様々な利用法を持つ、速い弾速と高い追尾性能だけを求められていた従来のミサイルとは一線を画した、新興勢力に相応しい斬新な兵器と言えた。
こうした特性はアリスにとっても大変に有難いものだった。まず比較的安価な小型ミサイルを利用しているので、弾薬費が嵩張らないことが大きい。もちろん費用対効果を考えるならばエネルギー兵器を搭載するのが最も有効だが、高額なジェネレータを新調する余裕などあるはずもないので、安値且つ使い方次第では大型弾を上回る火力を発揮出来るこの武器は、まさにアリスのような新人のためにあると言えるだろう。
セッツがそこまで考えて仕事を卸したかはわからないが、可能性はあり得るとアリスは捉えていた。高機動高火力とアセンブリの王道を究めるブルーバードⅡでは、このパーツの特性は光らない。
ともあれ新パーツを取り入れたアリスは、余程その特性と水が合ったのかアリーナで連勝を続け、一般にランカーと呼ばれる50位に食い込むようになった。ランカー入りを果たすと対戦に賞金が入るようになるので資金に余裕が生まれる。そうなればパーツの選択も自由度を増し、個々の裁量で各々の個性に合った幅広い換装が可能というAC最大の利点も、ここで初めて発揮されるようになる。言ってみればランキングに名を連ねてからが真のレイヴンであり、それまでは見習い、もしくは仮免に等しい只のAC乗りに過ぎないわけだ。
パーツ装着後に急激な躍進を見せたことで、高い広告効果を生んだとプログテックから判断されたアリスは、エランを通して契約を更改し、同社の看板レイヴンとして名を馳せるようになった。こうなると彼のACも名無しの標準カラーでは通らなくなってしまうので、「ブリュンヒルデ」という名前と共に、トレードマークである左肩のミサイルポッドに合わせた、銀色の塗装が全身に成されるようになった。また、次々に贈られてくる新型パーツを活かすためにブリュンヒルデは高い汎用性を持つ中量二足型ACに固定され、プログテックの協力の下、基本性能の強化も徐々に施されていった。
新たな人格と新たな地位、新たな武器を手に入れたアリスは着実に目標であるナインボールへと歩を進めていたが、これに反感を覚える者もあった。ラナ・ニールセンである。
プログテックはクロームやムラクモと言った歴史ある大企業と方針を異にして活動する、生粋の新興勢力なので、自然と取引相手は二大企業に組するネストではなく、それに反発する反ネスト派に定められる。ネストに所属するラナは当然ながらこれを嫌悪し、繰り返し接触を断つようアリスに通達してきた。その様子は、別のモニターの仕事を用意してまで強要するほど強引で、いち社員としての立場を超えて憎悪じみた執念すら感じさせるものだった。
しかしアリスはこれを突っぱねてプログテックへの、引いては反ネスト派への肩入れを続けた。これは明らかなネストへの反逆行為であり、身分的にも生命的にも自身を危険に晒す暴挙である。アリスがそうまでして我を貫く、それまでの彼の在り方を考えれば最も似つかわしくない行為に走ったのは、ひとえにセッツ・ルークスカイの影響を受けてのことである。
アリスは、セッツとスミカの調査が終わった後も二人と連絡を取り続け、特にセッツには事あるごとに指示を仰ぐ、事実上の師弟と呼べる関係を築くようになった。ナインボールを追い求めるアリスがナインブレイカーであるセッツを慕うのは一見妥当な理に思えるが、彼の執着はむしろセッツ個人に向いているようで、目的と手段が逆転しているような錯覚を周囲に与えるものだった。その姿はあたかも、自己の希薄な少女がその存在意義を見知らぬ男に託すようだった。
この例えはあながち遠くもないだろう。何しろ彼の駆るACの名はおそらくは世界で最も知られる薄幸のヴァルキュリア、ブリュンヒルデ(ニーベルングの指輪に出てくる、ジークフリードに恋するヴァルキュリアの名前)である。そしてこの名を冠したのは他でもない、セッツ・ルークスカイなのだ。
ヴァルキュリアという言葉にまつわるセッツの因縁を知る者ならば、この符号を訝しく思い、別の名を提案したかもしれない。しかしアリスが彼の過去を知るはずもなく、また誠実な狂信者になりつつある者が信仰の対象から授かる名前を断ることなどあり得なかった。
だから、ラナ・ニールセンより最後の通告が届いた際も、アリスは迷うことなくセッツへと相談を持ちかけたのであった。以下は、彼女が送りつけた文面の写しである。
送信者:ラナ・ニールセン
件名:最終警告
再三の注意を無視するとは、相応の覚悟を持っての行動なのだろうな。
私がフォロー出来るのもそろそろ限界だ。お前はネストから危険人物としてリストアップされている。これ以上ネストに弓を引く者共に組すれば、組織の制裁を免れないだろう。
これが最後のチャンスだ、プログテックから身を引け。そのためのミッションを用意しておいた。今後ともレイヴンとして生きて行きたければ、潔く快諾し誠意を示すことだ。
良い返事を期待している。
「引き受ければ良いだろ。プログテックとの契約が反故になったところで今のお前なら何とかなるだろうし、ネストの後ろ盾を失くすよりはマシだ」
どこかのアンティーク品なのだろうか、動く度に音がする年季の入った揺り椅子をきいきい鳴らしながら、アリスの方を振り返ろうともせずに、いかにも投げ槍な風にセッツは言った。彼は地下に設立したガレージとは別に、コテージのように木製の小さな一軒家を住まいとしており、真贋の危うい美術品や、慎ましやかと言えば聞こえは良いが、ほとんどがただ古いだけのアンティーク品に囲まれて、侘びた暮らしを営んでいる。文化人という柄でもなかろうに、どうして隠者のような生活を望むのかアリスにはわからなかったが、敢えてそれを問い質すようなことはしなかった。セッツからアリスに与えられた人格は、その主を疑うようには出来ていなかったのである。
ともあれセッツの返答にアリスは大いに驚いた。何しろ依頼とは下記のような内容だったのだ。
送信者:ラナ・ニールセン
依頼主:ムラクモ・ミレニアム
依頼内容:要人暗殺
報酬:35000C+α
アヴァロン・バレーより南西に20kmほど移動した位置に、ネストの所有するAC用のガレージ群が存在する。二日後の標準時刻にして午後三時、反ネスト派である有力企業プログテックの重要人物があるレイヴンと接触するため、そこに訪れることがわかった。
今回の目的はその人物の抹消だ。プログテックの勢いは依頼主のムラクモにも、そして我々ネストにも無視できるものではなく、後の憂いを断つためにも叩ける内に叩いておく必要がある。
目標は小型の輸送艦で移動することが判明している。そこでガレージ群から東に広がる森林地帯にて待ち伏せを図り、これを撃墜する。相手方に護衛がつくと言った情報はない。簡単な仕事になるだろう。
なお、任務に私情を挟むことは厳禁だ。余計なことは考えず、迅速に自分の仕事を遂行するのだな。
言うまでもなくプログテックの重要人物とはエラン・キュービスであり、接触するレイヴンとはアリス自身を指す。その目的は新パーツの譲渡だ。それは依頼文の報酬欄からも明らかで、追加報酬とは二日後にエランから受け取る手はずになっている一品をそのまま提供するということだろう。要は知人であるエランを始末しプログテックを裏切ることで、ネストへの忠誠を示せと命じているのである。
だから、アリスにエランを紹介した張本人であり、より長い付き合いであるセッツは、これに反発して依頼の破棄を求めてくるものと思われた。アリスがわざわざ数百km単位で離れたセッツの住処まで足を運んだのは、その後にネストへの対応について指示を仰ぐためで、さも当然のように依頼を受け入れるとは考えていなかったのだ。
「マシって、目標はエラン・キュービスですよ? セッツさんだって知らない仲じゃないでしょう?」
アリスは木製のテーブルに身を乗り出して抗議する。セッツは、アリスの手元に置かれ、彼の上半身に危うく当たりそうになったコーヒーのたっぷり注がれたカップを、こぼれないよう素早く救い出すと、
「興味ないね。俺たちレイヴンには一期一会が常識だ、変に肩入れしたってロクなことはねーよ」
と答えながら、それをそのまま口にした。
驚くことにアリスが黙り込んだのはセッツの答えにではなくて、他人に差し出したコーヒーを取り上げてそのまま自分で飲むという暴挙に対してだった。一度反れてしまった思考はなかなか元の軌道に戻すことが出来ず、どうやって反論すべきか、そもそも反論すべきなのか、どうして反論したがっているのか、などと考えている隙をついて、セッツはとどめの一言を告げた。
「迷うなら言う通りにしておきな。心配するな、お前一人がじたばたしたところで何も変わりゃしないさ」
残り少なくなったカップの中身を、自分用に淹れたもう一つのカップに注ぎながらセッツはそう言った。頭を回転させたり物を言う際に手先を動かしながら行うのは、プライベートの時には特に目立つ彼の癖であり、そうした動作やこのひなびた部屋の風景、そして立ち込める上質なカフェインの香りは、後のアリスの人生を左右するレベルにまで深層心理に刻み込まれることになる。
アリスはうつむいて返事をしなかったが、彼の弾き出す結論など最初から決まっていた。プログテックという協力者やエラン・キュービスという知人は彼の人格形成に少なからず影響を及ぼしていたが、所詮は一つの要因に過ぎない。全てが生まれる根幹となったセッツの言に逆らってまで、彼らに組する理由などアリスにはあるはずもないのだ。
アリスはセッツの元を立ち去り、ガレージに戻るまでの間にラナへ通信を送り、依頼受諾の意を伝えた。言い換えれば、エランを殺す覚悟を決めたわけである。
それから二日後、アリスは指定のポイントで身を隠し、プログテックの輸送艦を待っていた。
森と一体化するためにブリュンヒルデの塗装は銀を主体としたメタリックな色彩から、標準機のそれに近い深緑色に塗り替えられており、また代名詞とも言える多弾式のミサイルポッドを初め戦力の大半を占めるプログテック製品の全てが取り外されていた。
エランから貰った武器で本人を仕留めるのは気が引けたか、あるいは貧弱な武装で本意ではないことをアピールすることで自分を誤魔化しているのか、とにかくアリスは強力な武装で出撃することに不思議な抵抗を覚えて止まなかったので、それらを解除することを選択した。火力は昔の脆弱な機体に等しく、本体は随所に強化を施されているが、最大限の武装を背負った状態に合わせて調整されているそれは、丸腰とも言えるこの装備ではバランスが悪くて扱いづらく、かえって戦力を低下させている。
とは言え今回のターゲットは武装も取っていない輸送艦一機である。妨げとなるのはアリスの内側のみ、戦力的にはこれでも十分だ。
だから出撃時にこの姿を晒しても、ラナは文句を言ってこなかった。そう、アリスは解釈している。もっとも彼女が口を出すのは出撃前の方針に限られ、戦闘に関して意見することなど、これまで一度もなかったのではあるが。
20kmという距離はACを持ってすれば一跨ぎと呼んで良い。輸送手段を手配する必要もなく、アリスはガレージから出るとそのままポイントまで移動して現在に至る。もちろん共有ガレージの関係者には出撃が確認されているし、工作を施したわけでもないのでこの潜伏も筒抜けかもしれないが、彼らはネスト側の人間であるので、戦火が及ばない限りはプログテック側に密告するような真似はしないだろう。
そう、セッツの言葉に間違いはない。アリスとエランの関係に亀裂が入る程度で誰が困るわけでもないのである。
待機に入ってから数十分後。緊張を絶やさずラナからの報告を待っていたアリスに、とうとう連絡が届く。
「目標確認、間もなく領域に入る。戦闘の準備に入れ」
アリスは戦闘モードを起動させながら大きなため息をついた。もう後には戻れない。数分後にエランは帰らぬ人となり、自身には新たな展開が待っていることだろう。おそらくはプログテックとの関係は解約となるようネストが働きかけているはずだ。そこは問題なく進むだろうが、その後裏切り者の汚名を背負った自分がどうなってしまうのか、それとも何ら変わることなどないのか、未熟なアリスには想像もつかない。
その不安にかろうじて耐えられるのは、これがセッツの勧めたものであるからだ。皮肉なことに、アリスが心より信頼を寄せるのは、レイヴンとしての基盤を提供したネストでも、戦う力を与えたプログテックでもなく、何の力を貸したわけでもないのにただ彼が興味を抱いたというどうしようもない理由で、セッツ・ルークスカイただ一人なのである。
だから、次なる展開はアリスにとって到底堪えきれるものではなかっただろう。
「待て。敵の反応が一つではない、二つ、三つ確認された」
想定外の事態にもラナの声は揺るがなかった。それは冷静と言うよりも慌てていないと表現する方が事実に近く、そもそも慌てるという感情そのものが欠落しているような、表情に乏しい口調であった。
「敵に情報が漏れていたようだ。位置を確認されないよう注意を払いながら戦力を確認しろ」
アリスは言われたままに熱を察知されないよういったん電源を落とし、頭部に常備されているサーチアイを木々の先まで伸ばして接近中の敵反応があった方向へと向けた。カメラの射程は通常でも5km、範囲を絞れば10kmに及ぶ。この距離であればネジの一本まで精細に再生された画像を本体に送りつけることが可能だ。
敵の正体は二体のACだった。こちらを警戒しているのか輸送艦は低空飛行を続け、それを守るために二機がぴったりと張り付いて同行している。
アリスは息を呑んだ。目に映るものが信用できず、思考は混乱し、パニックのまま茂みを飛び出した。
視界が開けると、肉眼でも視認できるほど敵は接近していた。ACを載せるスペースもない小型輸送艦が一隻に、その左手には淡い桃色に身を染めたACが一機、そして右手には、晴天に溶けてしまいそうな鮮やかな蒼が、圧倒的な存在感を放ってブリュンヒルデを見つめていた。
「ブルーバードⅡ…」
アリスは顔面を蒼白にしながら、一人呟いた。頭の中は真っ白で意識すら遠のいたが、歯を食いしばって我を保ち、三人の敵と相対した。
落ち着いて考えてみれば馬鹿馬鹿しい話である。ネストからの依頼内容を、自分から反ネスト派の人間にリークしたのだ。対策を打たれない方がどうかしている。そう、セッツは何も間違ったことをしていない。
「よう、アリス。ご苦労さんだな」
通信で届いたセッツはあくまで陽気だった。おそらく彼はアリスを敵とも見なしていないだろう。いくら成長したと言ってもアリスは所詮下位のランカーであり、トップランカーであるセッツの間には雲泥の差が横たわっている。増してや今のアリスは先述の通り丸腰に等しい状態である。真っ向からぶつかれば、ものの数秒で陥落することだろう。第一、もしアリスが彼に取って脅威であるならば、こうして正面から向かい合ったりするはずもない。どうとでも策を凝らすことは可能だし、それ以前にエランにしてみればこの日この時刻にアリスの下を訪れる必要はないのだから、作戦を破るだけなら予定をずらすだけでも事足りるのである。
要するに、セッツに取って新米の一人や二人問題ではないのだ。言っていたではないか、
『肩入れしてもロクなことはない』
と。
『一人がじたばたしたところで何も変わらない』
と。
繰り返す。セッツは何一つ間違ったことを言っていない。
「騙して悪いが、ってやつだ。お前のことは嫌いじゃなかったけどな。まあレイヴンなんてこんなもんだ」
セッツはそう言って、右手のマシンガンのトリガーを引いた。小気味良い連続音が空気を震わせ、同時に数十発の弾丸が、ブリュンヒルデの両足を砕いた。