時刻は標準時間で午前五時。三時間の時差があるキリマンジャロでは夜明けが済み、ぐんぐんと気温を上げている頃である。

 

 フェイはシャワー上がりの下着姿のまま、スカイウォーカーと向かい合いメモリの深部を目指して解析作業を続けていた。個室に一人きりなので姿勢や服装に気を使う必要もなく、回転式の椅子に片膝を乗せて独り言など呟きながら、適度にリラックスした状態で頭を働かせると、驚くほど効率が上がることに驚いた。気が散ってしまっては元も子もないとは思うが、集中さえ出来れば社会的な常識など脳の処理機能を数パーセント奪ってしまう邪魔物に過ぎないのだろう。何となく、アイラがコックピットを住まいにしている感覚が理解できたような気がした。

 

 スカイウォーカーの表層部、立ち上げるだけで閲覧可能なメモリには、膨大な量の戦闘映像やACを初め兵装に関するデータに、機械と生身それぞれの戦闘術、古今の用兵術や企業の経営学、果ては肉体の訓練法や学習方法など実践的な人体の強化方法に至るまで、ありとあらゆるレイヴンのノウハウが詰め込まれていた。

 

 一人の人間が全てを吸収しようとすれば十年を要するであろう情報量だが、もちろん全てのレイヴンがこれらを会得しているわけではない。同じ職とはいえ、技術に劣る者もいれば、先を見通す観察眼に欠けた者もいる(むしろ傭兵などという荒々しい職業では知恵に長けている方が珍しいかもしれない)。だが少なくとも、セッツ・ルークスカイはこの全てを習得していたに違いない。メモリ本体を開いた奥、コンピュータメモリの構造を階層に比喩するならば真下には、彼の誕生後十六年に渡って施された英才教育…いやこれは洗脳と称する方が実態に近いだろう。あらゆる知識と技術が刷り込まれていく過程が詳細に記録されていた。

 

 そしておそらく、アイラ・ルークスカイも同じことが言える。これはフェイが独自に調べたことであるが、彼女もまた十六歳の誕生日にコンコードの試験を受けレイヴンとしての人生を始めている。十六年という期間、偶然と片付けるには奇跡的に過ぎる一致だろう。彼女もまた、父と同じレイヴン育成プログラムを受けて育てられたのだ。

 

 さらにフェイは想像力を働かせて、アイラの思考を読み取ろうと試みる。素直に自身を語ろうとしない、あるいは本人も把握できていないのかもしれない彼女の本質を理解するには、客観的なデータを並べ、ふるいにかけて、その人間像を浮かび上がらせなければならない。

 

 彼は思う。もしかすると、アイラはそのためにスカイウォーカーを自分に貸し与えたのかもしれない。彼女自身と、その大元たる父親セッツの「全て」が記された情報を持って、ルークスカイを誰かに伝えるために。

 

 そんな事を考えながら、黙々とスカイウォーカーを、アイラの全てを探る。彼女がその先に何を望んでいるのかは、それこそ空想するしかない。が、それで彼の知らないアイラ・ルークスカイが露になるのなら、それは公私を問わず望ましいことに違いない。そんな気がした。

 

 

 

 

 

 人間を語るにあたって言語の力は軽すぎる。生まれ育った大地を離れ火星への移住を可能とした現代における、最高のコンピュータを持ってすらその能力はミミズの脳に劣るのだ。記号の羅列を意味に変換する方法で一人の人間を語りつくそうなど、海水をバケツで汲み出す作業に等しい。海を観るには同じ規模の海と比べねばならず、ヒトを観るには同じヒトを持って測るほかにない。

 

 故に、ここで語ることが出来るのはセッツ・ルークスカイというレイヴンが歩んだ人生の在り方に限られる。彼の姿を、想いを、人間を、受け止め自身に投影することで、その奥に居ます真実を捉えられるよう願いたい。

 

 

 

 

 

 ムラクモ・ミレニアムが指示する作戦は単純なものであった。目標の所在は判明している。現地時刻の正午にムラクモの戦闘部隊が攻撃を仕掛けるので、飛び出してきた迎撃戦力の全てを殲滅する。敵の拠点は地下に伸びているので、奪われた物資を破壊してしまう恐れはなく、レイヴン…セッツとロス・ヴァイセは遠慮せずに戦って構わないという話だった。

 

 互いに罠である恐れを拭いきれないため、複数のレイヴンのよる合同作戦の定石に沿って集合は現地、輸送はそれぞれが独自に企業に依頼して行うことになった。セッツの興味は作戦自体よりもロス・ヴァイセという人間に向けられているので、彼女と顔を合わせることのできない段取りは大いに不満であったが、最もリスクの小さい方法であることも確かなので、渋りながらも従うことにした。何しろ相手はトップランカー、敵の多い立場だ。下手に警戒されて依頼をキャンセルされては元も子もない。

 

 それでも諦めきれないセッツは、合流を作戦開始より早めに設定して当人同士が打ち合わせを行う時間を取れるよう提案する。意図の見えてこない案なので本人も期待していなかったのだが、ロス・ヴァイセが前向きに取り計らったようで、意外にもあっさりと受諾されることになった。

 

 あまりに調子良く事が進むと、かえって冷静に立ち返るのはレイヴンの性である。セッツはふと、胸に浮かぶ高揚感に疑問を覚えた。トップランカーと繋がりを持って損はないだろう。しかし元々これは、対象を得ない苛立ちと不快感から半ば自棄になって引き受けた依頼である。自暴自棄にある者が望むのは自身の救済であり、それはロス・ヴァイセと会ったところで解決する問題ではない。彼女が偉大な先達であることは間違いないが、彼女は単なる傭兵でカウンセラーでも心理の専門家でもないのだ。

 

 それでも、と彼は理性に問い掛ける。みぞおちの奥、ちょうど心臓のあたりから溢れ出してやまない期待感は一体何なんだ…?

 

 十六年間、詰め込まれた教育プログラムの結晶は答えを出してくれなかった。

 

 無理に早めた到着の時間が迫る。彼は就寝可能なリクライニングの席を立つと、出撃の準備をすべく機内中央部に位置する格納庫へと向かった。

 

 

 目標拠点は岩山に囲まれた台地に設立されていた。一見すると資源採掘の施設にも映るが、五mほどの簡易な石壁に覆われて地上兵器の侵入を防ぎ、空中の敵は十件ほど並んだ鉄塔に備え付けられている対空砲で撃ち落とす構えと、過剰な防衛装備が平和的な建造物とは一線を画している。

 

 山と言ってもなだらかな斜面が一面に広がっているので見晴らしが良く、相手の索敵を逃れるには数kmの距離を置かなければならなかった。周囲からの視界を塞ぐ適当な窪みにセッツの乗る輸送艇が着陸すると、中央の一部が開き青いACが降り立った。

 

破壊と殺戮を専門とする存在意義とは裏腹に、その名は幸せを運ぶ青い魔鳥ことブルーバード。塗装も鮮やかな青の全身に、クロームの技術の粋を結集してカスタマイズされた、現存する中でも最高クラスの出力を誇るジェネレータを備える、セッツ・ルークスカイの愛機である。

 

 システムを起動させ、出撃の態勢を整えてから待つこと数分。予定の時刻にぴったりと合わせて、目標とは逆の北方より接近する影が、ブルーバードのレーダーに映し出された。空中にその姿はなく、岩陰を這うように移動していることから、輸送艦ではないようだ。

 

 セッツは慌てず、事前に聞かされていたロス・ヴァイセの持つ回線と繋がる周波数に合わせて通信を飛ばす。間もなく若々しい女の声で返答が送られてきた。

 

「こちらACヴァルキュリア、ロス・ヴァイセだ。じきに視認の効く距離に到着する。そのまま待機してくれ」

 

 なるほど、とセッツは感心する。彼と同じように、いや立場の違いを考えればそれ以上か、相手も罠の可能性を警戒して、のこのこと輸送艇で近づくような真似はせず、不測の事態に対応できるよう予めACに搭乗した上で接触するわけだ。さすがはトップランカー、周到な心構えである。

 

「了解。しかしロス・ヴァイセ、この場合はそちらから連絡するのが常識だろう? 新米のレイヴンなら慌てて攻撃を加えてもおかしくはない」

 

 わざわざ忠告するのも子供っぽいかと思ったが、敢えて口に出すことにした。ケチをつけられた天上の相手がどのような対応をするのか、興味がわいたのだ。

 

「クロームのホープと聞いていたが、なるほど優秀なようだ」

 

 余裕の態度で返すロス・ヴァイセの、直前に吹いた「ふふっ」という笑い声が、どことなく見下されたように感じてセッツの癇に障った。しかしここでムキになっては血気盛んな若僧と見られかねないので、冷静を装って対応する。

 

「何しろ相手はご高名なヴァルキュリアだ、不意を突かれたらひとたまりもない。神経を尖らせるのも容赦して頂きたい」

 

 礼儀に注意、皮肉も込めた完璧な言い回しだが、ロス・ヴァイセはやはり笑った。

 

「そういう意味じゃない。よくもそこまで肩肘張った言い回しが出来るものだと感心したんだ。疲れるだろう?」

 

 完全に子供扱いしているロス・ヴァイセの口調に、セッツは内心舌打ちした。丁寧な姿勢が裏目に出たか。過度に取り繕った言葉遣いが、背伸びした子供のように捉えられたようだ。

 

 しかし、彼女の言葉は終わっていなかった。

 

「もっとも熱くなって文句をつけてきたところで、同じように良く出来た若僧と諭すだけだ。ダブルバインド(矛盾する二つの否定命令を出され行動が出来なくなること)というやつだな。つまり、」

 

 ここで言葉を切ったので、セッツは我に帰ってレーダーを認識する。赤い点はいつの間にか自機を示す中心部に到達しており、ブルーバードは真正面に立つACに陽の光を遮られて影の中にいた。

 

 後光に照らされ純白に煌く天使の機影、ヴァルキュリアの姿がそこにあった。

 

「私に話しかけてきた時点で、君はもう子供なのさ」

 

 

 作戦の開始まで三十分。ブルーバードとヴァルキュリアは肩を並べ、目標の方向を見つめていた。互いの武装の確認、それに基づく戦術を相談するために設けた時間ではあったが、十分な知識を持った二人ではほとんどの事項が阿吽の呼吸で決まっていくので、ものの数分で話し合うべき事柄はなくなった。

 

 元々時間に余裕が出るのが承知の上でセッツは合流時刻を設定したのだが、いざこうしてトップランカーを前にすると、話すべきことがまとまらずまごついていた。先述の通り、彼女に一体何を求めているのか把握できていなかったし、出会い頭の問答でしてやられたことで、強い苦手意識が芽生えてしまったのである。

 

 セッツには自己マネージメントのために交渉術も仕込まれていたが、身に付けたのは正しい論理展開であり、彼女のように間違った論理を武器に相手の口を封じる手法など、想定することも出来なかった。

 

 しかも噂に聞く戦神ヴァルキュリアのイメージからはかけ離れたことに、ロス・ヴァイセは大変に饒舌でほとんど休むことなくセッツに話しかけてくるのだ。それも新人レイヴンの情報収集ならば話はわかるのだが、曰く「どんな部屋に住んでいるんだ? まさかその歳で親と同居しているわけでもないだろう」とか、曰く「儲けた金はどこに使っている? 優等生ぶりからすると、地道に貯金か?」とか、果ては「異性との経験はどうだ? 出来るものならば相手してやっても(ry」などと彼女が尋ねてくるのはセッツ・ルークスカイという一人の少年に関するプライベートばかり。完全に面白がっているようにしかセッツには見えず、作戦前にここまで余裕を出せることには感心するが、気な口調に思わず思考を忘れる…言い換えれば警戒を解いてしまう。そのせいか適当な応答を続けているうちに、いつの間にか彼は身の回りを取り巻く不満、実験台としての人生に対する苛立ちやそれに抗う術を持たないことへの無力感、漠然と全身を包む不安に満ちた胸のうちを吐露していた。

 

 ロス・ヴァイセは彼の独白を遮ろうとせず、むしろ先を促すくらいに関心を示していた。やがてセッツがあらかたを吐き終えると、彼女はうきうきとした口調で、

 

「君は恵まれているのだな」

 

 と、告げた。セッツは耐え難い苦痛が続く日々を、一言で軽々しくまとめられたことが気に入らず不平を漏らす。

 

「人の話を聞いていたのか? 物心がついた頃には取り返しのつかないほどレイヴンの知識を叩き込まれ、与えられた人生以外に選択を許されない、選択を考えることすら出来ない、稼ぎが良くて食うものに困らないからって、こんな窮屈な生き方のどこが恵まれてるって言うんだ!?」

 

だがロス・ヴァイセはそれが面白くて仕方ないとばかりに、語気も朗々と語り始めるのであった。

 

「ゆとりのない人間は案外にお気楽なものだ。彼らの視野は狭く、思想は偏見に溢れて、命じられるままに行動するから、迷ったり悩んだり、そんな効率の悪い生き方などしないのだよ。そうでないと耐えられない。だから苦しむのはいつだって君のように豊かな才能と心を持った者だけだ。自分で考えて動くから、いらない思考が混ざって迷う。良しとされる生き方以外の道に気付いてしまうから悩む。それは、寄り道をする余裕を持った者だけに許された特権なのさ」

 

 彼女の演説は延々と続いた。それはひどく一方的で、不必要に難解な単語を散りばめた、他人に聞かせる形式を呈していなかったにも関わらず、セッツは一言一句から意識を逸らすことが出来ず聞き入ってしまっていた。

 

 何故か? その問いにセッツは生涯をかけてもはっきりとした回答を出すにあたわなかった。ただ何となく、この時彼女が語った内容には、彼が藁をも縋る思いで追い求めた、自身を慰めることの出来る真実が含まれていたように感じた、としか表現の仕様がない。

 

 セッツが最初に抱いた劣等感は既に消え去っていた。とは言え、第一印象を簡単に覆せるほど彼は単純な人格を持っておらず、何やら難しい言い回しで煙にまかれた、悪く言えば遊ばれたとしか思えなかった。この数分の間に、ロス・ヴァイセは彼の思い上がりと緊張を破壊し、心の壁に閉じ込められていた悩みを吐き出させ、真理を踏まえた説教を持って理解するも困難な課題を与える、と、散々に彼の精神を弄んだのだ。ここまで巧みに言葉と人の心を操る技量は驚異の一言に尽きるも、本人にとっては迷惑以外の何物でもない。

 

 もっとも、その迷惑なちょっかいこそが、彼に欠けていたヒトの手触りというものなのかもしれないが。

 

 とにかくその後もロス・ヴァイセによる少年弄りは続き、瞬く間に作戦開始までの時間は過ぎていくのであった。

 

 

 不必要なほどに濃密だった事前の会話とは打って変わって、ミッションは始まってしまえば特記すべきアクシデントもなく、至極あっさりと幕を下ろした。特殊だったのは依頼遂行の重要性だけで、作戦内容はレイヴンにとってごくごく一般的な強襲に過ぎず、ACすら用意していない敵防衛施設など二人にしてみれば砂で作った城を蹴飛ばすようなものだった。

 

 先発隊がおびき出した敵部隊に飛び掛ると、十六年にわたって磨き上げられたブルーバードの的確な射撃が蚊柱のごとく宙を舞う戦闘機のことごとくを射抜き、ヴァルキュリアに至っては火器すら使わず、ブレード一本だけで地上のMTを粉砕していった。なお粉砕とは誤記ではない。ヴァルキュリアが一度ブレードを振るうと、刀身は青白く輝く光の刃を射出し、直撃をもらった敵機は文字通り塵と消えたのだ。

 

 セッツはその様子を不思議な思いで見守った。クロームの教育では現存するあらゆるACの武装パーツに関する知識を叩き込まれたが、あのように刃を弾丸に変えることのできるブレードなど、記憶のどこを探っても見当たらなかった。すぐに問い質してみたい気持ちで一杯になったが、今は作戦行動中と堪えて後回しにすることに決めた。

 

 どうにせよ、彼女とこれっきりの付き合いで終えるつもりなどないのだから。

 

 

 増援の報せが届いたのは、敵戦力のあらかたを始末し、帰還命令が出た後のことだった。10kmほどの北に敵の拠点がもう一つ存在し、そこから無数の熱源が飛び立ったとの報告だった。

 

 無数、という単語の示す意味の強さから考えて、その戦力はたった今全滅させた部隊より上だろう。もしかするとACが含まれているかもしれない。それでも負ける気はしないが、そうなれば苦戦は免れないことになる。

 

 問題は、それを二人が相手するか否かの一点に尽きる。何しろ帰還命令は既に出ている、報酬に見合う戦果は既にあげているということだ。度重なる命令変更に付き合う義理などレイヴンにはなく、放置して逃げ帰ってたところで責められる謂れはない。要は依頼主とどれだけ深い関係を築きたいか、という自由選択であり、それは実にわかりやすくレイヴン個人の生き様を示す証拠となるだろう。

 

「迎撃に移る」

 

 だから、ものの数秒で予想通りの模範的な回答を返したセッツがおかしくて、ロス・ヴァイセは堪えきれず笑いを吹き出すのであった。クローム寄りの立場にありながら必要以上にムラクモの味方をする、という表面的な優等ぶりではない。注目すべきは彼の精神、素直で純朴な行動理念が可愛らしくて。どうしようもなくいやらしい加虐心を煽られる。

 

「君をもう少し悩ませてやろう」

 

「何?」

 

 突然、変哲なことを言い出したロス・ヴァイセに、嫌な予感がしてセッツの背筋に悪寒が走った。

 

「別の選択をするつもりはないか?」

 

「このまま帰還するってことか? そうだな…」

 

 セッツは残弾数を初め余力の確認、依頼続行によるムラクモとのコネクション強化のメリットにクロームの見慣れた連中がもたらすデメリットなど、様々な要因を整理して判断の指針とする。確かにこれだけでロス・ヴァイセの言う通り「もう少し悩む」ことになったのだが、彼女が求めるのはそのように単純な利益感覚に終わらない。

 

 きっと明確に示してやらなければ、彼は気付くことすら出来ないだろう。だから彼女は言葉にして提示する。おそらく、真面目な彼を更なる混乱へと陥れる「自由」の道を。

 

「いや、私はいっそここでやられてしまえばどうかと思うのだ。抵抗などせず、成すがままにすれば楽になれる」

 

 一瞬、ロス・ヴァイセが何を言っているのか、セッツには理解できなかった。それはこの場においてあまりに相応しくなく、突拍子もない内容なので予測がつかなかったため、意味を把握するのに言葉尻を追わねばならず、反応が遅れてしまうのだ。

 

 

『ゆとりのない人間はお気楽なものだ』

 

 

「何をわけのわからないことを言っているんだ!?」

 

 彼は抵抗するも、それが先ほど自分の求めていた「苦しみ」から解き放たれるための回答例であることに気付くと、言葉を止まり思考が行き詰った。

 

「それは、死んでしまえば苦しいことなんてないかもしれないが…」

 

 

『悩むのはいつだって豊かな才能と心を持った者だけ』

 

 

 おそらくセッツがはっきりと答えを出すには時間がかかるだろう。少なくとも敵増援の到着には間に合わない。そう判断したロス・ヴァイセは、

 

「私は面倒になったから、ここで休ませてもらおう。君は好きにすると良い」

 

 と、セッツの思考を遮ってそう告げ、基地建造物の陰にヴァルキュリアを隠して通信を切ってしまった。その上、ACのシステムを落として文字通り休みに入ってしまう。

 

 残されたセッツは相手を責めることも出来ず、決断を下すにも戸惑い、まごついている内に敵の接近を許してしまった。敵の先陣を切った戦闘機のミサイル弾がブルーバードの背中に爆発を起こす。

 

 セッツはほとんど条件反射だけでそれに対応し、理性をかき乱されたまま戦闘に突入した。

 

…何故戦うのか?

 

 そんな観念的で非現実的な問いを、彼は命がけの戦場で本当に抱えながら戦うという、異常事態を強いられたのであった。

 

 

 戦闘は十分ほどで終わりを告げた。後に残されたのは、跡形もなく崩壊した建物の残骸に風の音が響く静寂、そして二機のACの姿だった。

 

 ブルーバードは満身創痍といった状態で、左腕は千切れて失い、首筋のあたりが破損してケーブルをむき出しにしている。一方のヴァルキュリアは、盾にしていた塔が崩れ去った際に残骸の下敷きになったために装甲板が傷んでいるが、ほとんど無傷と言って差し支えがなかった。

 

「終わったようだ」

 

 ロス・ヴァイセは改めてシステムを起こし、ブルーバードと回線を繋ぐと、何事もなかったように平然と言ってのけた。

 

「ああ」

 

 セッツは、ただ頷いて生返事をするしか対応の術を持ち合わせていなかった。

 

 ヴァルキュリアがシステムを落として休息に入った後、到着した敵の増援はACの姿こそなかったものの油断のならない数で彼らを襲った。セッツは抵抗したが、散漫な集中力ゆえに動きに精細を欠き、普段の半分ほどしか実力を発揮できずに追い込まれていった。

 

 苦戦が続き、ムラクモの部隊も落とされて、いよいよ敗色濃厚となったところで奇跡が起こる。とは言え、それは神が起こすような天衣無縫な代物ではなく、単に切り札として用意されていたムラクモの精鋭部隊が、満を持して投下されただけの話だった。

 

 考えてみればACを二体、それもあのヴァルキュリアを雇うほどに失敗の許されない大切なミッションなのだから、いきなり戦力の全てを晒すような愚かな真似はしないだろう。ある程度の余力を残し、伏兵として隠しておくのが定石だ。

 

 ともあれ戦力の全貌を明らかにしてしまった以上、加減をする理由はない。ムラクモの追加部隊は容赦なく、二人のレイヴンを巻き添えにする勢いで敵基地を焼き払っていった。施設は全壊し、敵兵は逃げ出し、破壊の対象を失うと、彼らはようやく砲撃をやめて引き返していき、上記の通り後には二機のACだけが残されたのだった。

 

「どこまで読めていたんだ?」

 

 彼は問う。迫り来る敵の増援に対して、抵抗をやめて眠ってしまう暴挙に出るには、その後に起こる事態を察していたとしか思えなかった。

 

「いや、深い考えはなかった。なるようになるだろう、とは思っていたが」

 

 しかしロス・ヴァイセは否定する。セッツはそれがわからずに、続けて問い質した。

 

「どうにもならなかったら、どうするつもりだったんだ?」

 

「そうなったらそうなったということだ」

 

 まるで手応えのない禅問答。これ以上尋ねたところで無意味と悟ったセッツは、文句をつけることを諦めてため息を一つついた。無茶をして参加したミッションであったが、それで結局のところ何を得たというのだろうか? 出会ったトップランカーは奇人を具現化したような変態で、しなくても良い苦戦をすることになった上にACを半壊させてしまった。修復にどれだけ費用が嵩むか、考えただけで気が重くなる。悶々とした悩みを晴らすために冒険したというのに、心労を重ねてどうするのだ。

 

 そんな彼の心境を察したのか、ロス・ヴァイセはスピーカーを通してこう言った。

 

「気を落とすことはない。無駄道を通ったからこそ知ることも多い」

 

「わかったようなことを言いやがって」

 

 セッツは恨みを込めて反論した。

 

「じゃあ聞くが、今回の一件で何がわかると? アンタは俺に何を諭そうとしているんだ」

 

「そうだな」

 

 ロス・ヴァイセはそう言うと、ヴァルキュリアを操作して右手に持ったレーザーライフルを上空に向け、一発発射した。セッツはブルーバードの視点を切り替え、ライフルのはるか先…空の彼方に視線を向けてそれを追う。機体と同じ純白の輝きを持った光条は、雲一つない青空に向けて真っ直ぐに伸びていくと、はるかな高みに吸い込まれて溶けていった。

 

「今日はいい天気だ」

 

「は?」

 

 意味ありげな行為を取りながら、欠片も意味のない彼女の言動に、今度こそセッツは呆れ果てて全身を脱力させた。身体をシートに預けるとひどい疲労感が睡魔とともに訪れてきて、今までどれほど強い緊張の中に晒されていたのか実感できた。

 

「こんな馬鹿馬鹿しいのは初めてだ。全く、やってられないぜ」

 

 出会った当初の事務的な言葉遣いも忘れて、いつの間にか彼の口調はすっかりフランクなものに姿を変えていた。それとは対照的にロス・ヴァイセは最初と変わらない、嫌味な余裕を感じさせる機嫌の良さそうな声で語る。

 

「納得できないなら、これからも追ってくればいい。住居がわかればの話だが、寝込みを襲っても構わないぞ?」

 

「襲うか馬鹿! 追うってそういう意味じゃないだろうが!!」

 

 セッツは怒鳴りながらもわかっていた。おそらく彼女の言う通り、今後もロス・ヴァイセという人間を追いかけることになるだろう。それはレイヴンとして上位ランカーを狙う意味でもそうだが、彼女の持つ、敵を前にして確かな勝機があるわけでもないのに無視して眠ってしまう無法ぶり、言い換えれば自由には、上手く言葉に表すことのできない魅力が感じられた。

 

 それはきっと彼が追い求めていた救いそのもので、彼女を追うことで近づくことができるなら、命を賭して戦う価値があるだろう。

 

 それにしても、と彼は思う。またもや思考を先回りされ、からかわれてしまった。ヴァルキュリアの居ます場所は遠く、それを追いかける限り、彼女とは長い付き合いになるかもしれない。

 

 

『動くから迷う。気付いてしまうから悩む』

 

『それは、寄り道をする余裕を持った者だけに許された特権なのさ』





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