・
・
・
地下ガレージ10階、中央会議室にはアリスのほかに十を超える人影が見られた。アイラを中心に据えた独立レイヴンチーム「チーム・ルークスカイ」の定期報告会である。参席者はチームの仕掛人たるプログテックの重役と一部の投資家で構成され、以降チームへの出資額を決定していくことになる。
もっとも、彼らは実際にキリマンジャロまで足を運んだわけではなく、その姿は実体のないホログラフィである。姿のない会話はアリスの嫌うところであったが、火星圏に至る巨大な縄張りを持つプログテックの役員が一同に会することは困難を極めるため、やむをえない選択であった。ジオ社やエムロードといった新興勢力に穴をあけられたと言ってもかつて地球圏を牛耳っていたクローム、ムラクモの二大企業に次ぐ規模を誇っていたプログテックの威光は健在である。
凹状に座する重役に囲まれた、まるで審議を待つ罪人のごとき立場で、アリスはチーム・ルークスカイに関する現状を読み上げた。普段と変わらない刺のない声色であったが、事実のみを淡々と読み上げ、鋭い追及にもたじろぐことなく返答する姿勢は堂々としており、チーム・ルークスカイ責任者としての威厳を見せつけていた。
「早急に解決を求められる問題は二点に限定されます」
アリスは語る。
「一つは先ほどより質問の多い日程の遅れ、そしてもう一つは技術部から言及のあった資源不足。しかし、これらは一度の回答で解決に至ります」
口を挟む暇を与えずに、アリスは方法より先に結論を述べる。具体的な内容を先伸ばしにされたため、説明が終わるまで横やりを入れることのできない論理構成である。
「まずは昨日決定されたミッションの詳細をご覧ください」
そう言って予め準備しておいたミッションに関する資料をスクリーンに映し出す。全員の注目が集まったのを見計らい、アリスは説明に入った。
・
・
・
発信者:地球連邦中東管理部・アブラハム・シティ
件名:不法所持鉱山の没収
旧ユーラシア大陸中東地区にて、発見報告の成されていない鉱山をカーネル社が保有していることが発覚しました。
幾度に及ぶ報告要求も黙殺されており、資産保持者の義務である譲渡金を免れるため意図的に隠蔽された、悪質なものであると推測されます。
暴力的な手段の行使は我々としても本意ではありませんが、地球全土の発展を管理するためには、個人の欲得を認めるべきではないと判断しました。
鉱山の防衛戦力を壊滅させ、平和的解決に臨める体勢を築いてください。
対象:中東B-80地区、隠し鉱山
目標:敵戦力の殲滅
報酬:45000
以上がアイラ・ルークスカイの臨む地球における最初の依頼内容である。彼女が地球に降り立ってから半月が経過しており、電撃的な移籍への関係者の間における興味も冷めてきた頃合のことだった。
一つ目の依頼を決定するのに時間を要したのは、ブルーバード・シルフィに大幅な換装が成されて調整に手間取ったこともあるが、それ以上に新人マネージャーのためらいによるところが大きかった。
フェイの持つレイヴンに関する知識など、研修期間に勉強しただけの一夜漬けに過ぎない。それどころか彼は新社会人であり、業務上の会話すら満足にこなせないのである。いきなりジオ・マトリクスやエムロードなどの大手と契約を結ぶ度胸も当然なく、中小企業の金銭的にも内容的にも細々とした依頼は派手好きなアイラに蹴られ、中身の充実したものはテロ行為を初めとした依頼主や事件背景が不明瞭な代物が多いのでアリスたち上司に却下され、ようやく締結させた案件が上記の依頼であった。報酬もそこそこで内容も明確、信頼性にかけてはこの上のない相手である。
時間をかけただけの価値を持った交渉をまとめたことが自信に繋がり、その後のフェイは揚々と仕事に駆け回るようになった。元々が体力的にも頭脳的にも優秀なだけに懸命な働きぶりは仲間うちからも好評で、じきに現場の人間からも顔を覚えられるようになった。
若手ならではの躓きもあったが順風満帆な職場生活のスタートといえた。が、それは彼自身の働きに依るところのみではない。彼は自分で想像しているよりもはるかに大きな組織と策略の中に組み込まれており、悠々と動けるよう仕組まれているに過ぎないのである。それを本人は後に思い知らされることになる。
依頼実行の予定前日、フェイは朝7時に目覚めた。空調設備の行き届いたオフィスビルには乾燥帯の気候も問題にならず、ここ最近の充実した毎日で脳が活性化しているのか、眠気の残らないすっきりとした起床であった。
シャワーを浴びて朝食を取ると、洋服ダンスからスタッフに支給されている作業服を取り出して出発の準備を整える。この日はアイラとミッションに関する最後の打ち合わせに入る予定でガレージに向かわなければならないので、靴も営業用の革靴ではなく甲の部分に鉄板の入った安全靴を選んだ。
出掛けて最初に向かうのは地下五階の中央オフィスである。最下層まで貫くエレベータに、ガレージに繋がる通路を備えたこの大広間は、ビル全体で最も多くの人間が行き交う場所であり、出勤を記録するカードリーダーもこの部屋に設置されている。
フェイがルームキーを兼ねたカードを通すと7時40分であった。記録を見れば多くのスタッフが勤務中であり、夜勤組の就労時間は早朝5時までなので、相当な残業者が出ているとうかがい知れる。広告塔の呪縛から解き放たれたアイラはエムロード以外の製品を取り入れるべく大がかりな換装作業に取り掛かったのだが、コアとの相性において純正品を上回ることは難しく、調整にかける時間は増す一方であった。おまけに彼女は完成品の試験運用をコンコード主催のアリーナを使った実戦で行うので、その度に修理の手間が追加され、今や整備スタッフの負担は甚大な量に膨れ上がっているのである。
フェイは彼らに同情するが、他人のことを構っていられるだけの立場にいるわけでもないのですぐに忘れることに決め、ガレージの方向へ足を向けた。ちなみに彼は前日までに必要な仕事を全て終わらせ、この日の予定をあけておいた。予測できないアクシデントに対応するために余裕を持たせたわけだが、結論を述べるとこの判断は正解であったと言える。
下り坂の通路を渡りガレージに入ると、そこは地下七階にあたる。ACを設置できるだけの高さを確保すると、必然的にそれだけ地下深くに入り込むことになるのである。十数m上に張られた天井は左右開閉式で、発進時には空の光が差し込んでくる。なおガレージは乾燥帯に存在するために雨に濡れる心配はまずかからないのだが、雨季に備えてガレージ内の機器は全て防水加工が施されていた。
フェイはまずスタッフの詰め所へと挨拶に向かった。ガレージの一角に建てられている八畳ほどの面積を持ったトタン張りの部屋で、休憩や仕事が終わった後の溜まり場としてスタッフに利用されている。この時も数名が入っていて、仮眠を取ったり煙草をふかしたりと思い思いの時間を過ごしており、その中にはウィン・レクターの姿もあった。
ウィンは年齢ならば40そこそこ、人生の円熟期に入るこの歳までプログテック社の技術職として経験を積んだ、ACのプロフェッショナルである。家族を持たず、金勘定よりも機械に触れていることを好む根っからの整備士であるので、部下を放って仕事に没頭する癖があり、これまで管理職の座からは離れていたのだが、専門知識を買ったアリスが整備スタッフのチーフとして引き抜いたのである。もっともアリスもまたプログテックの役員であるので、この場合は移籍というよりもフェイと同じ転属と呼ぶ方が正しいのかもしれない。
フェイが声をかけると、彼は「よう、坊主」と愛想良く受け応えた。手に職を持った者の自信か、ウィンは身分の貴賎に関わらず自然体で接することのできる人間で、ガレージで数少ない常識人といえるので、フェイは彼を慕っていた。
「AC、ずいぶん変わりましたね」
と、フェイはシルフィを見上げながら言った。まず全身に何重にも装甲板を貼られ、戦車のようだった外観がなめらかな人型に変わっており、両肩を始め各部位に放熱用の隙間が空いているのが目に付く。その肩には武者の肩垂れにも似た小型パーツが取り付けられていたが、素人のフェイにはそれが何の意味を持つのか理解できなかった。明日の出撃に向けて最終調整に入っているらしく、右手にはライフルを、左手には大型のブレードを装備し、左の背中に口径1mを超える高出力のエネルギーキャノンを背負っていた。
「嬢ちゃんの命令でな。コアを取り換えちまったから、今じゃほとんど別物だ。おかげで三日ほど徹夜だぜ。眠くて仕方ねぇ」
「ご迷惑お掛けします」
思わず頭を下げてしまったフェイを、ウィンは笑い飛ばす。
「どうしてお前が謝るんだよ! 尻に敷かれた上に拭いてまわるってか?」
低い声で大笑いした後にぽんぽん、とフェイの肩を叩いて、彼はこうフォローした。
「現場で働いてりゃ、どこでもこういう時期はあるからな。慣れっこってやつよ。それよりも凄ぇのは嬢ちゃんの方さ。試験操縦だけやって指示出しておけばいいものを、コックピット回りの整備は自分でやってやがる。おまけに出来上がったら、すぐにアリーナで実戦投入だろ?」
アリーナへの参戦登録はフェイが行っているので、そのペースの早さはよく知っていた。平均すれば三日に一戦、連日になることも珍しくなく、しかも連戦連勝を続けるので、一つのミッションもこなさずにわずか半月でランキングは驚異的な伸びを見せている。
「俺たちは交代制だし出撃すれば休めるが、パイロットはそうもいかないだろ。一体いつ寝てるんだかね。ま、おかげでこれだけ仕上がったがな」
ウィンはACの話になると饒舌になる。一通り新装備の説明を終えた後に「ただ」と言ってこう加えた。
「金が足りねぇんだよな…」
ちなみに金は「キン」と読む。原子番号79のAu、「カネ」ではないので注意。
「金、ですか?」
「金を買う金が足りないんだよ」
わざと言ってんのか、お前ら。
「一昨日届いたプログテックの新型ターボチャージャーがとんでもない喰わせモンでな。排ガスを分解して、高純度の酸素を加給することで出力を絞り出すって仕組みなんだが、1000度近いガスの中で酸素を扱うわけだから、簡単に言ってサビるんだよ。で、ジェネレータを純金で加工するなんて話になってよ」
「純金!?」
思わず鸚鵡返しに叫ぶフェイ。数十tに及ぶACを動かすジェネレータには、当然ながら出力相応の質量を要求される。テラ・フォーミング計画以降に火星で資源が発掘できるようになって金の価値は下がりつつあるが、それでもkgあたり数千ドルは下らないのだから、純金ジェネレータの製造には労働者階級の二人では想像もつかないような費用がかかってしまう。これが今回冒頭でアリスの述べた「二点の問題」の一つ、資源不足の詳細である。
なおウィンはこの場では語らなかったが金の強度は低く、高純度酸素の爆発で変形してしまうため、出撃の度に加工をやり直さねばならないので、スペアを準備しておかねばならないことを追記する。
「アリスに報告しておきます…」
フェイは頭を抱えながら答えた。
「お前も大変だねぇ」
ウィンはケラケラ笑いながら、吸っていた煙草を灰皿に押し付けた。ちなみに油のあふれているガレージ内で禁煙は常識なのだが、現実でも浸透していないようなのでここでは追及しない。
気を取り直して、フェイは本来の目的であるアイラの居場所を聞いてみる。大方の予想はついていたが、案の定シルフィのコックピットで作業に入っているとの話であったので、ウィンに操縦を頼んで作業用リフトへと乗り込んだ。
ウィンは快諾し、もう一度「大変だねぇ」とからかってからフェイをアイラの元へと運んだ。
コックピットを挟んだ対峙は二度目となる。勝手のわかっているフェイは以前のように高さに目が眩んだりすることもなく、真っ直ぐシルフィの前まで歩いて行けた。背中を向けて作業中のアイラに声をかけると、彼女は首から上だけ振り返り、「何だ」と興味の無さそうに呟いてまた作業に戻る。フェイが背中越しにその手元を覗き込むと、リサイクルショップあたりで安売りしていそうな粗末な座席とベルトを、操縦席の隣に固定させているところだった。
「また誰か乗せるのか?」
そう言ったところで、半月前に内臓を攪拌されて大量の汚物を吐き出した悪夢を思い出して気分が悪くなった。どうせ聞いていない、と踏んだ上での独り言のようなものであったが、アイラはそれを聞くと急に振り返り、じろじろとフェイの顔を見つめ始めた。
いきなり顔を近づけられてどぎまぎするフェイ。数日寝ていない割にはアイラの瞳は白く輝いており、瑞々しい肌が汗を玉にして弾いていた。この日はスタッフと同じ作業服に、上はタンクトップ一枚だったので(やっぱり下着はつけていない)、視線を落とすと胸元に目が行ってしまうため彼は目を合わせたまま堪えつづけた。
「アンタでいっか」
「は?」
フェイが何かを言う前に、彼女は片手でシルフィに内蔵のコンピュータを操作して回線を開き、繋がると
「フェイが来たからいいわ。『スカイウォーカー』のことよろしく」
と一方的に告げて返事を待たずに切ってしまった。そのまま休みなくコマンドを入力していき、やがて各機械に明かりが灯りシステムが起動し始める。
「待て! どうする気だ!?」
フェイは嫌な予感が走り尋ねてみるが当然スルー。アイラはシルフィから身を乗り出して、下の詰め所まで届く大きな声を張り上げた。
「ウィン! 行ってくるから開けて!」
ウィンはそれに応えて片手を振り、たまたま制御装置の傍にいたスタッフに声をかけてガレージの天井を開くよう指示を出した。
金属同士が擦れ合う音を立てながら数十mの上にある天上が左右に開いていき、ACに取り付けられたパイプや機器が自動的にカットされる。数秒の間を置いて、出撃準備完了のアナウンスが流れた。
「はい、乗って」
アイラは笑顔のままフェイに手を差し伸べる。
「またAし『乗れ!』はい!」
反論を切り捨てられて、思わず手を握って乗り込んでしまう。ハッチが閉まると、彼はもう逃げられないことを悟って覚悟を決めた。ひとたび行動に移ったアイラを止めることなど誰にもできない。それはこの半月でチーム・ルークスカイに浸透した常識であった。
今回は武装もしているし、前のように襲われたりしないだろう。と、フェイは自分に言い聞かせる。ため息を一つつくと、つい先ほどまでアイラが取り付けていた座席に腰を下ろし、ベルトで体を固定させながら言った。
「仕方ないな、付き合うよ」
「それはありがと」
一片たりとも感謝の意など込めていない言い様でアイラは答えた。
「それで、どこに行くつもりなんだ?」
「金が足りないんでしょ?」
彼女はフェイの方を向いてにっ、と笑った。
「だったらカジノで一発やるしかないじゃん」
無茶苦茶だ、とフェイは思ったが、アイラの口ぶりがあまりに堂々としていたので、ここで渋ると腰ぬけに見えるかもしれないと躊躇してしまった。その内にアイラは視線を機器の方へ移したので、文句をつけるタイミングを失ってしまう。
行き場のないイライラを飲み込んで、首を捻りながらアイラから目を外すように外を見やる。すると、詰め所の壁にもたれながら二人の方を見上げているウィンの姿が目に入った。その表情には、先ほどリフトを操縦しながら皮肉を言った時と同じように、意味ありげな含み笑いをにやにやと浮かべていた。
「知っていたな、あのオヤジ…!」
ようやく悟って苛立ちをぶつけるように呪いの言葉を吐くが、それはブルーバード・シルフィのエンジンが放った、シリンダの激しく上下する音にかき消された。そしてバーニアに青い爆炎が灯り、二人は蒼天へと舞い上がっていった。