「オメガSS」(2006/10/07 (土) 10:39:37) の最新版変更点
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捕虜は四人いた。<br>
だが一人として情報を吐こうとしない。<br>
時間を掛け、ゆっくりと拷問をかけていけば、連中は洗いざらいぶちまけるのだろうが――今欲しい情報には、賞味期限がある。<br>
なるだけ早く手に入れておきたい。悠長にしている暇はないのだ。<br>
しかし――連中は吐かない。<br>
恐らく、彼らも情報の賞味期限は知っているのだ。それまでは、なんとしても隠し通そうと意固地になっている。<br>
やっかいな状況だった。<br>
「……どうしたものか……」<br>
年輩の尋問官が、自身のデスクで呟いている。<br>
と、彼の部下が近づいてきた。<br>
<br>
「失礼します」<br>
そう言って、敬礼。その後、用件を報告した。<br>
部下曰く、「今すぐ情報を吐かせられる人を知っている」ということだった。<br>
尋問官は半信半疑だったが――部下の言葉を信じ、その人物を連れてくるよう命じた。<br>
この部下は、新参であるが特に優秀であり、普段から何かと信頼を置いていた。<br>
それに――形式上『尋問官』という役職にいるが、年輩の尋問官自身には、尋問の経験はほとんどない。人材不足から、たまたま『尋問官』という役割が回ってきただけなのだ。<br>
だから、尋問のエキスパートが別にいるというのであれば、素直にコトを任せるべきだった。<br>
「分かりました、連れて参ります」<br>
部下はきびきびと一礼し、その場を後にした。<br>
そして数分後、その男はやってきた。<br>
気味が悪いほどの長身で、側に立つ部下が子供のように見える。黒のスーツに短くカットされた黒髪と、身なりはきちんとしているので、人格はまともなのだろうが――それでもどことなく、薄ら寒い気配を纏っていた。<br>
実際、男は紳士じみた微笑を湛えてはいたが――その笑みは、どこか歪んでいるようにも見える。<br>
「早速やりましょう」<br>
男の言葉に、尋問官ははっと我に返った。<br>
じろじろと見た無礼を詫び、男を尋問室に――いや、拷問部屋に案内した。<br>
拷問部屋とは、四メートル四方の小部屋だった。何もなく、がらんとしている。<br>
平時なら色々な『設備』があるのだが、今は別室に移されていた。<br>
中に入ると、男はどこか人形めいた視線を部屋中に這わせ、<br>
「……いいでしょう。ここに、その四人を呼んで下さい」<br>
と言った。<br>
尋問官は言葉の通りに、捕虜の四人を連れてくるよう命じた。<br>
<br>
五分ほどで、全ての捕虜が壁際に並べられた。全員手錠を付けられ、体中に傷を負っていたが、それでも意志の強そうな瞳を保っている。<br>
「……これから、どうするのです?」<br>
尋問官が訊くと、男はおもむろに、捕虜の一人へ歩み寄った。<br>
どこか優しげな口調で、<br>
「情報を。拠点の兵力、作戦の概要、『レビヤタン』とは何のことですか?」<br>
一連の質問にも、捕虜が応える気配はなかった。<br>
男は頷き、懐から『何か』を取りだした。<br>
何気ない動作だった。<br>
少なくとも――とても、人を殺す動作には見えなかった。<br>
「じゃあいいです」<br>
パス、と気の抜ける音がした。<br>
一拍置いて、捕虜が倒れる。床に頭蓋骨が打ち付けられる音の方が、銃声よりも大きかった。<br>
「……なっ」<br>
撃った。殺した。<br>
その事実に焦る尋問官だが、男は構わず別の捕虜に向き直った。<br>
「あなたは?」<br>
優しげな口調なのが、かえって恐ろしかった。<br>
その捕虜は震えながらも、<br>
「……知らない」<br>
「そうですか」<br>
男はその捕虜も殺してしまった。<br>
残りは、あと二人だ。<br>
殺された二人と比べてると、残された二人はかなり若かった。恐らく二〇代だろう。<br>
<br>
「……さて」<br>
男はその二人を交互に見てから、思いついたように、<br>
「そうだ。先に情報を吐いた方を、助けてあげましょう。早い者勝ちです」<br>
途端、二人の表情が変わった。<br>
驚いた面持ちで、お互いの顔を見あう。<br>
その後、片方は尚も逡巡し、もう片方は素早く決断した。<br>
「はい、喋りますっ」<br>
逡巡してしまった方は、痛恨の表情を見せた。<br>
一方、決断した方は矢継ぎ早に、拠点の状況、場所、『レビヤタン』に関する知識をぶちまけた。<br>
尋問官は、それらを部下にメモさせた。十分すぎるデータになった。<br>
尋問官は、やっとこの『尋問』が終わると安堵したが――そう簡単にはいかなかった。<br>
「……これで全部だ、どうだ、満足してくれたか?」<br>
捕虜の言葉に、男は満面の笑みを浮かべた。<br>
ぞっとするような笑みだった。<br>
「この嘘つきめ!」<br>
三度目の銃声がした。<br>
三人目の捕虜が、ゆっくりと、仰向けに倒れる。<br>
これで、残されたのは一人となった。<br>
男はその一人にも銃口を向けて、<br>
「君も……嘘つきかい?」<br>
最後の一人は悲鳴をあげた。<br>
「本当だ! 今のは、全部本当だったぞ!」<br>
「……そうなのかい?」<br>
「そうだよ! だって……」<br>
パスッ、というささやかな音がした。<br>
四度目の銃声だ。<br>
最後の捕虜が、がっくりと俯せに倒れる。その死体を中心に、血溜まりが広がっていく。<br>
<br>
「……情報は、吐かせましたよ。この様子ですと、真実でしょう」<br>
もはや言葉も出ない尋問官に、男が向き直った。<br>
どこか愉しげに、<br>
「分かりましたか? 今のが、尋問の基本です。まず第一に、『どうせ殺されることはない』という甘えを捨てさせること。第二に、『分かりやすい条件を持ちかけてやること』。<br>
コツはこれだけ、簡単でしょう?」<br>
男は笑った。<br>
ハ虫類じみた笑顔だった。<br>
尋問官が尚も言葉を発せずにいると、男は思いついたように、尋問官にも銃を突きつけた。<br>
「ひっ」<br>
尋問官の口から、裏返った声が漏れる。<br>
男は苦笑し、銃口を天井に向けた。そのまま、何度も引き金を絞る。<br>
しかし、弾は一発も出なかった。<br>
男はマガジンを抜き、何回かスライドを操作して見せる。<br>
「冗談ですよ。弾切れです、撃てやしません」<br>
そう言われても、尋問官に安堵した様子は見られなかった。<br>
どころか、きっと彼はこう思っているだろう。<br>
――この男は、もし弾が残っていれば、撃っていたのではないか?<br>
その心情を知ってか知らずか、四人を殺した男は曖昧に笑うと、さっさと部屋を出てしまった。<br>
後には尋問官とその部下、そして四人の死体だけが残されている。<br>
レイヴン『オメガ』。快楽殺人者。<br>
尋問官が男の正体を知ったのは、それから数時間後だった。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
オメガは、悪くない気分で基地の通路を歩いていた。<br>
手には銃を撃った感触が残り、脳裏には捕虜達の死に様が焼き付いている。<br>
そしてそれらが、オメガを笑顔にさせていた。<br>
(たまらないな)<br>
殺しをした後は、いつもこうだった。<br>
津波のような征服感と、開放感。空っぽだった体に、何かが満たされていく感覚。<br>
アップ系の麻薬をキメた時でさえ、これほどのものは味わえない。<br>
「……これだから、この仕事はやめられない」<br>
そう呟いたところで、後ろから声を掛けられた。<br>
「邪魔するぞ」<br>
高揚感に水を差す、低く、しわがれた声。<br>
オメガは一発で誰か分かった。<br>
(嫌な奴が来た)<br>
そう思ったが、態度にはおくびも出さない。<br>
親しげな笑顔を張り付け、ゆっくりと振り向いた。<br>
「これは、烏大老。ご苦労様です」<br>
言われても、老人は特に反応を示さなかった。<br>
オメガより頭一つほど低い位置から、闇色の瞳が静かに見つめ返してくる。<br>
「仕事だぞ」<br>
大老は、簡潔に告げた。<br>
ぞんざいな口調に、オメガの眉がほんの少し吊り上がったが――大老は気づきもしない。<br>
<br>
「作戦名は輸送部隊撃破。サークシティから物資を強奪した勢力が、逃亡を図っている。そこを叩け。<br>
AC二機ほどが妨害に現れる模様だ」<br>
そこまで言って、大老は数枚の書類を差し出した。<br>
詳細はこれを見ろ、ということだろう。<br>
オメガは大げさに肩をすくめ、<br>
「一仕事こなした後、また依頼か。仮眠をとる隙もない」<br>
「断るか?」 オメガが笑みを深くした。<br>
紳士然とした仮面から、暴虐の気配がはみ出した。<br>
「……まさか。私を誰だと思っている」<br>
「受けるのだな」<br>
大老は頷くと、書類を手渡し、そのまま踵を返して立ち去った。<br>
オメガはその背中が角に消えるのを待ってから――ふんと鼻を鳴らす。<br>
「ロートルが」<br>
吐き捨て、オメガは渡された依頼文に目を落とした。<br>
作戦領域は、旧ナイアー産業区。ACが二機ほど確認されているらしいが、依頼文にも、機体名やレイヴン名は書かれていなかった。<br>
どうやら、まだ判明していないらしい。<br>
(……まぁ、いいか。分からなくても)<br>
オメガはそう割り切った。<br>
普通のレイヴンでは、まず考えられない軽薄さだが――オメガには、そうしていられるだけの根拠があった。<br>
(なにせ……俺には、『こいつ』がある)<br>
オメガは首筋の辺りに手をやった。<br>
骨とは別に、ごつごつした感触がある。その辺りに、何かが埋め込まれているのだ。<br>
<br>
「今日も頼むぞ。調子はいいんだろう?」<br>
呟くと、答が返ってきた。<br>
聴神経を介さず、脳に直接告げられる答は、<br>
――イエス。<br>
オメガは、その返答に気をよくした。<br>
その気分のまま、ガレージへ歩き出そうとして――止まった。<br>
信じられないといった面持ちで、胸の辺りに手を当てる。<br>
そこには、つい先程まで殺人による充足感があったはずだが――今や、何もなかった。<br>
開放感や征服感で満たされて心が、今やぽっかりとした空洞を晒している。<br>
寒々とした寂寥感が、胸を蝕んでいた。<br>
(……畜生め)<br>
舌打ちした。<br>
充足感の後に、この空虚感がやってくることはいつものことだが――最近、特にそのローテーションが早い。<br>
満たされたと思っても、すぐに荒涼とした虚無がやってくる。<br>
「燃料が必要だ」<br>
呟き、オメガはガレージへと向かった。<br>
まだ見ぬ敵レイヴンに、陰鬱な思いを馳せながら。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
オメガと別れた後、大老はすぐに自室へ引き返した。<br>
デスクに座り、受話器を取る。<br>
特別なダイアルをプッシュし、バーテックスの本部――それも、ジャック・Oの執務室にのみ通じている、直通回線を呼び出した。<br>
「烏大老だ」<br>
言うと、渋い声が応じた。<br>
聞き間違えるはずがない。ジャック・Oの声だった。<br>
『……君か。首尾はどうだね』<br>
「オメガは任務に出る。遠からず、例の二人と接触するだろう」<br>
『ふむ……彼は、今回の敵にケルベロス・ガルムがいることは?』<br>
「知らないだろうな」 大老は断言した。<br>
「彼らは、どうやら旧知の仲のようだが……それだけだ。今もパイプを持っているとは考えにくい。<br>
ガルムの方は分からないが……少なくとも、オメガがガルムの動向を把握しているということはないだろう。<br>
無論、依頼文にも書いていない」<br>
これは、契約に反することだった。<br>
バーテックスは、専属レイヴンに全ての情報を開示することを、事前に約束している。<br>
<br>
だが、大老に悪びれた様子は少しもなかった。<br>
恐らく、ジャックにしてもそうだろう。<br>
彼らはバーテックスの本当の目的を知る、数少ない人員なのだった。<br>
『そうか……ご苦労だったな』<br>
ジャックは、ひとまず大老を労った《ねぎらった》。<br>
そうしてから、ふと純粋な興味を滲ませる。<br>
『ところで、君の目から見て、オメガはどうだね』<br>
大老はすぐさま応じた。<br>
この状況で訊かれることは、一つしかない。<br>
「期待はしていない。オメガがドミナントとは思えない」<br>
ジャックからの返答はなかった。<br>
理由を述べる時間を与えられた、と判断し、大老は率直に告げた。<br>
「快楽殺人者――そんなものが、のうのうとしていられるほど、戦場は優しくない。<br>
そんな連中は、本質的には弱者だ。ノミの心臓に、本物の力は宿らない」<br>
大老の口調は、きっぱりとしていた。<br>
それは四〇年に渡るレイヴン経歴で、大老が掴んだ実感なのだろう。<br>
ジャックは試すように言った。<br>
『彼には、あの装置がある。延髄と脊髄の合間に埋め込まれた、演算機だ。君も知っているだろう?』<br>
ジャックの言葉に、大老は目を細め、全方向に注意を向けた。<br>
少しの間耳を澄ませて、部屋は本当に大老一人か、外で聞き耳を立てている者がいないか、確かめる。<br>
そうしてから、ようやく会話に戻った。<br>
<br>
「……『未来の予測』、か。実際は、どの程度の代物なのだろうな」<br>
『それは、分からんね。だからこそ、オメガを闘わせ、その映像を実際に見てみる必要がある。<br>
オメガの動きを見てみれば、その「未来を予測する装置」――いや、いっそ「予知能力」としようか――「予知能力」がどの程度の代物か分かるだろう』<br>
そして、その予知能力が本当に正確であるのなら――オメガは、とてつもない実力者ということになる。<br>
戦闘において、未来の情報にはそれだけの価値があるのだ。<br>
しかし、<br>
「期待はできんな」<br>
大老は、尚も否定的だった。<br>
レイヴン歴の長い彼にとっては、信じがたい話なのだろう。<br>
そんな副官の様子に、ジャックは苦笑混じりに切り出した。<br>
『……そういうがな、烏大老。そもそも君は、快楽殺人者が戦場に存在できると思うかね?』<br>
「なんだと?」 思わぬ質問に、大老は聞き返した。<br>
ジャックは構わず、<br>
『普通は、無理なのだよ。戦場では、自分の命が掛かってる。<br>
そんな極限状態の中で、のんびりと殺人を愉しむのは――相当な精神的余裕がないといけない』<br>
「……『予知能力』が、オメガにそれだけの余裕を与えていると?」<br>
頷く気配があった。<br>
ジャックは、深い知性と洞察を感じさせる口調で、<br>
『可能性はあるだろう。「予知能力」は、大きなアドバンテージだ。命綱といっていい。<br>
「いざとなれば、この予知能力がある」……その思いが、オメガに殺人を愉しむほどの、享楽殺人者たりうるほどの余裕を与えているのかも知れない。<br>
とすれば……奴の「予知能力」は、それほどまでの信頼性がある、ということだ』<br>
電話の向こうで、パラパラと紙をめくる音がした。<br>
会話しつつも、ジャックは何らかの資料を参照しているらしい。<br>
<br>
『……何より……奴のミッション達成率は未だに100%だ。実力派レイヴンと相対した経験は……皆無だが――それでも、「予測能力」が一定の能力を持っていることは確かだろう。<br>
でなければ、これほどの成績は出ない。エヴァンジェでさえ、不可能だった』<br>
大老は、ジャックの――総帥の言葉に、長く息を吐き出した。<br>
ジャックの深い『読み』は、人生経験の長い大老をして、感服せしめるものだったのだ。<br>
大老よりもずっと若く、経験もない人間が聞けば、たまらず敬服していただろう。<br>
『可能性は、あるだろう?』<br>
言われ、大老はゆっくりと口を開いた。<br>
「なるほどな。しかし、それも……」<br>
大老は、それ以上言おうとしなかった。<br>
いずれにせよ、これ以上の考察は、結果を待たなくてはいけない。<br>
ジャックもそれを察したのか、早々に会話を締めくくった。<br>
『……そうだな。
いずれにせよ、今回でお手並み拝見だ。<br>
願わくば、輸送車もAC二機も全破壊する、ぐらいして欲しいものだがね』<br>
大老は、それがどれだけ困難な目標か知っていた。<br>
知りながらも、「そうだな」と応じ、受話器を置いた。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
ナインボール。<br>
かつて、そう呼ばれた無人ACがいた。<br>
そして、とんでもなく古い遺跡から、そのナインボールという機体が発見された。<br>
保存状態は、極めて良好だった。燃料を注入し、幾つかのパーツを交換すれば、すぐにでも動く状態だったという。<br>
旧世代に傾倒する企業達にとって、これはまさしく宝箱だった。<br>
中には金銀財宝の代わりに、魅力的なテクノロジーが沢山詰まっている。<br>
無論、発見者であるキサラギも、すぐさまそのナインボールの技術を解析した。<br>
完遂には十年もかかった。<br>
だが技術のキサラギは、最終的にナインボールのAI、その一部分をコピーするところにまで行きついた。<br>
そして、そのコピーした部分こそが――『未来の予測』に関するところだった。<br>
ナインボールの無敵さは、どうも『先読み能力』が優れていたことに、起因しているらしい。<br>
この能力が優れていれば、相手の動きが予測できる。常に、相手の裏をかける。<br>
特に、ナインボールの先読み力は尋常でなく――あるデータによれば、ほとんど予知に近いレベルだったという。<br>
裏をかえせば、それぐらいでなければ、レイヴンを相手に無敵伝説など作れない、ということだろう。<br>
オメガは強化人間手術の際、そのナインボールの『先読み能力』を、首筋に埋め込まれた。<br>
首筋から延髄の辺りに、ナインボールの強さを支えたAI、その一部分が実装されているのである。<br>
これは、何よりも心強いことだった。<br>
<br>
自分に太古の最強ACが宿り、常に的確な指示をくれるのだ。<br>
だから――<br>
(たまらないな)<br>
愛機に乗り込み、目的地へと向かう今も、オメガの表情に緊張は見られなかった。<br>
ばかりか、戦場に行く者としての、最低限の『気負い』すら見受けられない。<br>
彼の顔に浮かんでいるのは、無力な獲物を前にしたときの、陰湿な笑いだけだった。<br>
(……まず、どうしようか。何が出てくるのかにもよるが……)<br>
殺す算段をしながら、オメガはスティックを左に捌いた。<br>
重量逆関節に、これでもかと実弾武装を施したAC――クラウンクラウンが、街路を左に曲がる。<br>
その次の角は、右へ。その次も、右へ。四度目の角は、左へ。<br>
灰色のビルが立ち並ぶ、迷路のような空間だったが、オメガのスティック操作に迷いはなかった。<br>
周辺地図は、脳に直接叩き込まれている。強化人間の特権だった。<br>
「あと、少しか……」<br>
オメガは上唇を舐めた。<br>
脳内の地図によれば、目的地も近いのだ。少々早い到着になるだろうが――そこでようやく、殺しが始められる。<br>
オメガは唇を歪め、ポツリと呟いた。<br>
<br>
「……楽しみだなぁ」<br>
快楽殺人者――オメガにとって、戦闘は一方的な『殺し』だった。当然だ。予知能力がある限り、オメガは圧倒的に有利なのだから。<br>
そして、彼にとっての『殺し』とは、いわば『酒』なのだった。<br>
殺しの快感が、自分を酔わせてくれる。<br>
常に感じる空虚感を、寂寥感を、上手に誤魔化してくれるのだ。<br>
だが一度酔いが醒めてしまえば、再び薄ら寒い虚無と向き合わなければならない、という欠点もあった。<br>
それが嫌だった。どうしても。<br>
幼い頃よりじっくりと育んできた、心の空洞。胸に広がる、荒涼とした虚無感。<br>
自分には何もない。<br>
その思いを直視していると、焦燥感が身を焼き尽くそうとする。<br>
そこから逃れるためには――もう一度酔うしかない。<br>
それが、オメガがずっと繰り返し、蓄積していった、虚無と共存するノウハウだった。<br>
「……行くか」<br>
呟き、ブーストペダルをさらに強く踏み込んだ。<br>
クラウンクラウンが、眼前のトンネルへ向けて加速していく。<br>
それを抜けた先にあるのが――目的地、旧ナイアー産業区のはずだった。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
オメガは旧ナイアー産業区へとやってきた。<br>
長いトンネルを走り抜け、並木のように立ち並ぶビル、その谷間に愛機を静止させる。<br>
「到着した」<br>
基地に連絡すると、すぐに答が返ってきた。<br>
『了解した、オメガ。さすがに早いな』<br>
その言葉に、オメガは口元を歪めた。<br>
操縦服を着込み、ACに乗り込んでから、目的地到達まで僅かに十分。距離を考えれば最速に近いタイムだった。<br>
オメガは満足げに鼻を鳴らし、しかし言葉にはそんな気配は微塵も出さず、<br>
「……なに。私には造作もないことだ」<br>
『どうも、そうらしいな。大したものだ』<br>
「……それより」 オメガはレーダーに目をやった。<br>
「敵は? 周辺には、何の反応もないぞ」<br>
『本当か?』<br>
怪訝そうなオペレーターに、オメガは請け負った。<br>
「本当だとも」<br>
クラウンクラウンのレーダーには、自機以外何も表示されていなかった。<br>
オメガが早く来すぎた、ということを差し引いても――周辺二キロをカバーする、広範囲レーダーにまで何も映らないというのは、あまりにも奇妙だ。<br>
バーテックスが、作戦領域の設定を間違えた可能性さえある。<br>
<br>
オペレーターは不思議そうに、<br>
『……分かった。すぐ周辺を調べて……』<br>
「早くしてくれ。私は待つのが嫌いなんだ。このままいつまでも何も来なければ、腹いせに、周りのビルでも破壊してしまうかも知れない」<br>
オペレーターが驚くのが気配で分かった。オメガなら本当にやりかねない、と彼は知っているのだろう。<br>
オメガは意地の悪い笑みを浮かべる。<br>
「いやだな。冗談だよ、冗談」<br>
『じょ、冗談……?』<br>
「そうだ。もっとも、待つのが嫌いなのは本当だがね」<br>
言うと、オペレーターが慌てて応じた。<br>
『わ、分かった。すぐやる。待たせたりしない』<br>
その言葉の通り、オペレーターは十秒ほどで周辺の解析を終えた。<br>
正面のメインモニターに、解析結果が転送されてくる。<br>
オメガはそれを眺めて――<br>
(なんだ、これは)<br>
眉をひそめた。<br>
今回のミッションは、旧ナイアー産業区を通過する、敵輸送部隊を撃破しよう、というものだ。<br>
オメガはその輸送部隊を待ち伏せするため、早めに目的地へやってきたのだが――どういうわけか、輸送部隊の進行が遅いのである。<br>
すでにオメガは旧ナイアー産業区に到着しているというのに、その輸送部隊はまだアレーヌ居住区――ここより数キロも離れた地点をうろうろしていた。<br>
オメガが早く来すぎた、ということを差し引いても、尋常でないスローペースだ。<br>
距離が離れすぎているので、レーダーに映らなかったのも頷ける。<br>
バーテックスは、本拠地から追撃部隊を派遣したらしいが――このままでは、オメガの所へ辿り着く前に、その追撃部隊に捕まってしまうかも知れない。<br>
『こいつはひどい』<br>
思うところは、オペレーターも同じのようだった。<br>
呆れた調子で、<br>
『何考えてるんだ。この輸送部隊のアタマは、相当なボンクラだ』<br>
だがその直後、オペレーターの口調が一変した。<br>
コクピット内に、警報が鳴り響く。<br>
『輸送部隊から、反応が二つ分離! ACだ! 二機のACが、そっちに向かってる!』<br>
どうやら、敵は待ち伏せに気づいたらしい。<br>
戦力を先行させて、罠を破っておこうと考えたのだろう。<br>
(だがそれにしても、AC二機とは……)<br>
予想外の戦力に、オメガは正直驚いていた。<br>
だが、それだけだった。<br>
彼の表情には恐れも、気負いさえもない。<br>
目は冷酷に細められ、反面口元には愉しげな笑みが刻まれている。<br>
『戦闘』ではなく、一方的な『虐殺』を愉しむ者の表情だ。<br>
(そうとも。そもそも『これ』があれば、負けることなど……)<br>
首筋を撫で、上唇を軽く舐める。<br>
スティックを握り直す。<br>
両脚がうずうずと揺れ始めた。<br>
『一機が速い! 二機目に先行して、そちらに到達する! 距離、後300!』<br>
満を侍して、オメガはシステムクラッチを踏みつけた。<br>
<br>
『メインシステム 戦闘モード 起動します』<br>
<br>
メインカメラに空色の灯が点る。<br>
と同時に、突き当たりのトンネルから何かが飛び出してきた。<br>
それは勢いそのままに、こちらへ突っ込んでくる。<br>
強化人間の動体視力が、その正体をはっきりと捉えた。<br>
ほっそりしたフレーム。そんな中で目だつ、鋭角的に迫り出したコア。左手にはショットガンを持ち、右腕には――射突型ブレードを備えている。<br>
(METIS――ムームか……!)<br>
一瞬で看破し、オメガはトリガーを絞った。<br>
METISはマシンガンの集中豪雨に晒され、あっけなく前進を中断、慌てて――それでも妙にぎこちない動きで――ビルの陰に隠れていった。<br>
「ひどい動きだ」<br>
笑い、オメガはクラウンクラウンを跳躍させた。<br>
逆関節のジャンプ力にものを言わせ、一つのビルを飛び越える。<br>
そして飛び越えた先は――丁度METISの頭上だった。<br>
すぐさまサイトを下に向け、軽量ACをロック。グレネードを容赦なく打ち下ろした。<br>
クリーンヒットし、気持ちがいいほどの爆発が敵の頭部を吹き飛ばす。<br>
『しまったっ』<br>
敵レイヴンの悲鳴に、オメガは嗜虐心が満たされるのを感じた。<br>
知らず、口元が緩む。<br>
「いいね」<br>
言いつつ、機体を着地させた。METISの正面である。<br>
本当は、もっと長い間頭上という死角を占有できたのだが――それでは、あまりにも『狩り』がつまらない。<br>
METISはその慢心を見逃さず、すぐさま突っ込んできた。<br>
大威力の射突ブレードを、限界まで振りかぶっている。<br>
『ち、近すぎる! 何をやってる!』<br>
オペレーターが悲鳴を上げた。甲高い警告音が鳴る。<br>
だがオメガは慌てず騒がず、突っ込んでくるMETISをただ見続けた。いや――観察した。<br>
と、脳裏で何かが弾けた。<br>
首筋に埋め込まれたチップが、脅威的な速度で演算を開始する。<br>
相手の速度。距離。進行方向。果ては気温や湿度まで。<br>
そういったありとあらゆるデータを加味して、ナインボールのAIチップはMETISの動きを予測した。<br>
オメガはその予測に従い、機体がほんの少し左へ動かした。<br>
そしてそれだけの動きで、射突ブレードは回避される。<br>
鋼鉄の杭は、クラウンクラウンの脇の下をすり抜けてしまっていた。<br>
<br>
『何だと……』<br>
METISのパイロット――ムームが、呆然と呟いた。<br>
今の攻撃が最後の切り札だったのだろう。<br>
だが――その自信をへし折った。己の力で。<br>
オメガは満足げに笑う。
――まったく、たまらない。<br>
今の能力こそ、オメガの真骨頂だった。<br>
脳に埋め込まれたチップにより、相手の動きを予測できる。しかも的中率は高い。予知能力のようなものだった。<br>
(……他のプラス《強化人間》の連中が、これを付けないのが不思議なくらいだ)<br>
優越感に浸りつつ、右腕のガトリングをMETISに突きつけた。<br>
さすがに、もう遊ぶつもりはなかった。敵ACはもう一機いるのだ。いつまでもMETISを生かしておけば、二対一になってまう。<br>
(名残惜しいが……)<br>
トリガーの指に力を込めた。<br>
だが――そこで止まった。<br>
トリガーが引けない。意に反して、人差し指が動かない。<br>
ばかりか――体そのものが、痺れたように動かない。<br>
歪んだ笑みのまま硬直するオメガに、ムームから声が来た。<br>
『まだだ……!』<br>
はらわたが煮えくり返るような怒りを、無理矢理一言へ圧縮する。<br>
そんな声だった。 知らず、喉がごくりと鳴る。<br>
『死ね……』<br>
眼前のMETISが、射突ブレードを振りかぶった。<br>
隙だらけの挙動。とろすぎる予備動作。<br>
普段のオメガなら簡単に回避し、カウンターを見舞うことが可能だった。<br>
だが、今は違った。<br>
信じがたい事に、足が竦んでいたのだ。<br>
「う、うわぁっ」<br>
裏返った悲鳴をあげ、オメガは機体を後ろにダッシュさせた。<br>
直後、METISが射突ブレードを繰り出した。<br>
鋼鉄製の杭が、コアの数センチ先まで伸びてきて――ギリギリで止まった。<br>
あと少し反応が鈍ければ、コクピットを剔られていただろう。<br>
<br>
(た、助かった……)<br>
安堵しつつ、バックダッシュで間合いを取った。<br>
そうして安全圏に脱してから――ようやく、まともな思考がスタートする。<br>
(……待て)<br>
オメガの顔から、すっと一切の表情が消え失せた。<br>
自分は何をやった。<br>
逃げた? この程度の相手を怖れた、だと?<br>
このオメガが、気圧され、尻尾を巻いて逃げだしたというのか。<br>
「……なんだとくそっ」<br>
屈辱だった。かつてない失態だ。<br>
恐怖の反動で、ぐつぐつと怒りが沸き上がる。<br>
顔が悪鬼のように歪む。<br>
だがそんな怒りの奔流の中――奥底に、妙な感情が芽生えた。<br>
微かな羨望、劣等感、そして嫉妬だ。<br>
オメガはわけが分からなくなった。<br>
この自分が、METISのどこにそんな感情を抱くというのか。<br>
苛立ちで胸が爆発しそうになった。<br>
(くそっ)<br>
全ての疑問を振り切るように、オメガはブーストペダルを踏みつけた。<br>
全速力でMETISに殺到する。<br>
これ以上、このACを生かしておきたくなかった。<br>
「ふざけやがって!」<br>
オメガは肩のチェインガンから、景気よく弾をばらまいた。<br>
METISは慌てて回避行動に入るが、そんなもので避けきれるはずもない。<br>
METISの軽量装甲に、次々と弾丸が突き刺さっていく。<br>
(……生意気な真似をしやがって……!)<br>
と、METISが動きを止めた。<br>
被弾反動で動けなくなったのだ。バランサーである頭部を失った状態で、チェインガンを貰い続ければ――いつかはこうなる。<br>
オメガはそのチャンスを見逃さなかった。<br>
クラウンクラウンが、左グレネードをMETISへと向ける。<br>
「死ね」<br>
トリガーを、引いた。<br>
砲口からグレネードが吐き出され、一直線にMETISへと迫る。<br>
だがその進路上に、突如として巨大な影が現れた。<br>
その巨体は、METISの代わりにグレネードを受け止める。<br>
閃光、そして轟音。<br>
一撃でMETISの頭部を吹き飛ばした爆発が、現れた巨体を直撃した。<br>
オメガは撃破を確信したが――すぐに、唖然とした。<br>
一つ目の理由は、もうもうと立ちこめる黒煙、その中から進み出てくる巨体――いや、ACにダメージを受けた様子がなかったことだ。<br>
コア表面に焦げ目が着いている程度で、腕部、脚部、頭部、コア、どこも損傷した様子はない。恐ろしく固い機体だった。<br>
そして二つ目の理由は――そのACが『ニフルヘイム』という名前であり、知り合いの愛機であるからだった。<br>
「……ガルムか?」
オメガは確認するように呟いた。<br>
だが、誤認のはずもない。<br>
重量二脚に、でっぷりしたコア、角張った腕部、平べったい頭部。それらが紫一色に染め上げられている。<br>
これほど特徴ある機体を、見間違えるはずもなかった。<br>
『ああ。そっちは、クラウンクラウン……なるほど、オメガか』<br>
案の定、あっけなく肯定が返ってきた。<br>
オメガは心底驚いて、<br>
「……ガルム。見ないと思ったら、そんなちっぽけな勢力にいたのか」<br>
『ちっぽけとは、心外だな』<br>
「ちっぽけさ。どうしてそんな場所にいやがる。ジャック・Oはお前を捜してたぞ」<br>
一連の言葉に、ガルムが笑った。<br>
『こっちの勝手だ。ついうっかり、いい女を見つけてしまった』<br>
誇らしげな口調だった。<br>
実のところ、オメガも大体の所は察していた。<br>
ムームとガルムが、一緒に現れたこと。あのケルベロス・ガルムがムームを庇ったこと。何より、事前情報もその可能性を示唆していた。<br>
だが心のどこかで、認めたくなかったのだ。<br>
「……惚れでもしたのか」<br>
諦めたような口調で言うと、ガルムは認めた。<br>
<br>
『そうだ。だからバーテックスの誘いは、断らせてもらった』<br>
その口調には、数年前の荒々しさなど欠片もなかった。<br>
心の拠り所を見つけ、そこに尽くすことを誇りとしている者の口調だった。<br>
そこには、かつての面影など少しもない。<br>
数年前、似たもの同士でタッグを組んでいたのだが――その時は、オメガと同じような空気を纏っていたはずだ。<br>
だが今は、彼の言動にまとわりついていた、倦怠感、苛立ち、そして虚無感は綺麗に一掃されている。<br>
かつてのガルムが、有り余るエネルギーを持て余すチンピラだとすれば――今のガルムは、そのエネルギーを残らず『ムームを守ること』につぎ込んだ、素晴らしく立派な騎士だった。<br>
「……そうか」<br>
ざわり、と心が波立つのを感じた。<br>
先程ムームに感じた、羨望、劣等感、嫉妬が、より強い形で再来した。<br>
三年の間に、この男はここまで変わった。それほどのものを手に入れたらしい。<br>
それに引き替え――自分は。<br>
オメガはその先の思考を、死に物狂いで千切って捨てた。<br>
貯め込まれた劣等感は、そのまま怒りと憎しみに雪崩れ込んだ。<br>
「今は敵同士だ。殺す」<br>
殺せば、全てチャラにできる。<br>
そう念じ、オメガはブーストペダルを踏みつけた。<br>
『お互いレイヴンだ。容赦はしないぞ』<br>
ニフルヘイムも両手の武器を構え、迎撃の体勢をとる。<br>
だが、クラウンクラウンは空中に飛び上がり、ニフルヘイムを飛び越えてしまった。<br>
面食らったような声が、ニフルヘイムから漏れてくる。<br>
だがすぐに、危機的な悲鳴に変わった。<br>
『まさか……!』<br>
ガルムの声を笑いつつ、オメガは機体を着地させた。<br>
ニフルヘイムの遙か後方、METISの背面である。<br>
驚き、硬直するMETIS、その背中にクラウンクラウンは右腕のガトリングを突きつけた。<br>
<br>
「お前からだ」<br>
途端、ガルムが叫びをあげた。<br>
ニフルヘイムがOBで突っ込んでくる。<br>
現在の位置関係では、ニフルヘイムはクラウンクラウンを攻撃できないのだ。なにせ、二機の間にはMETISがいる。クラウンクラウンを撃てば、丁度METISに当たってしまうのだ。<br>
(予想通りだ)<br>
オメガはほくそ笑んだ。<br>
首筋の予知機能――『チップ』が予想した通りの成り行きだったのだ。<br>
オメガはすでにロックしてあった背部のミサイルを、連動ミサイルと絡めてニフルヘイムに撃ち放った。<br>
連動ミサイルも、背部のミサイルも、上手い具合にMETISを左右から迂回した。そういう機動のミサイルなのだ。<br>
驚いたのはガルムだ。<br>
METISの裏側から、突如大量のミサイルが飛来したのだ。<br>
そして、OBの機動はあまりにも単調で、ミサイル回避は不可能だ。<br>
結果、ニフルヘイムに全てのミサイルが直撃した。<br>
熱暴走したに決まっていた。<br>
今が絶好のチャンスだった。<br>
『ガルム!』<br>
ムームの叫びをあざ笑うかのように、オメガは機体を跳躍させた。<br>
空中でEOを起動、チェインガンとグレネードを構える。そのまま、紫の巨体に銃弾の雨を降らせた。<br>
さすがに重装甲であり、すぐには死なない。<br>
だが、明らかに効いている。<br>
十秒ほどで、ニフルヘイムの脚部とコアから、黒煙が吹き出した。<br>
(もう一押しだ)<br>
思ったところで、ぞっとするような声がきた。<br>
『やめろっ』 決して大きな声ではなかった。<br>
だが、ずしりと胸を圧迫する気配があった。<br>
声の主は――またもムームだ。<br>
オメガの中で、何かが激しく軋みを上げた。<br>
「また貴様か!」
オメガは標的をMETISに移した。<br>
空中で方向転換、METISに向き直ると、新たにミサイルを構えた。高威力のミサイルを、空中から降らす予定だった。<br>
だがミサイルがロックを開始した時、オペレーターから声が来る。<br>
『オメガ! ACは放っておけ!』<br>
信じられない指示だった。<br>
無視しようと思った。<br>
しかし、次の言葉がオメガを引き留めた。<br>
『作戦失敗になる! 輸送車を破壊するんだ!』<br>
オメガは慌てて、遠方の交差点に目をやり――愕然とした。<br>
十字路を、小型のトラックが駆け抜けていく。それも、次々と。かなりの速度だ。<br>
(あの一台一台が、輸送車だと……?)<br>
だとしたら、今行かないと間に合わない。<br>
オメガは機体を地上に戻し、ブーストペダルを踏みつけた。<br>
クラウンクラウンが、輸送車を地上ブーストで追いかける。<br>
「……輸送車はトレーラーじゃなかったのか? 話が違うぞ!」<br>
言うと、オペレーターが悔しそうに応じた。<br>
『恐らく、トレーラーの中に、小型の車両を隠していたんだ。今高速で走っているのが、その小さい方の車両だ。トレーラーは、恐らく途中で乗り捨てたんだろう』<br>
「何でそんな真似を!」<br>
『恐らく……完全に逃げ切るためだ。小型車両は、足が速くて小回りが利く。幅の狭い裏路地も走破できる。逃げるには、こちらが有利だ。<br>
後……どうも、乗り捨てられたトレーラーが、バーテックスが派遣した追撃部隊の……その、進路を塞いでいるらしい』<br>
オメガは思わず声をあげた。<br>
「何だとっ?」<br>
『つまり、そういうことだ。追撃部隊は、まんまと無力化された。もはや輸送部隊を止められるのは、位置の近いお前だけだ。<br>
そして、そのクラウンクラウンをAC二機で妨害する……考えたもんだ、くそっ!』<br>
悔しいのはオメガも同じだった。<br>
一杯食わされたのだ。<br>
思えば、輸送部隊の動きがのろかったのも、トレーラーに小型車を積んでいたからだろう。過積載だったのだ。<br>
こればかりは、『チップ』でも予想できなかった。<br>
(こうなれば……意地でも追いつく!)<br>
決意した直後、コクピットを衝撃が突き抜けた。<br>
後ろからだ。<br>
ブースターが不調を訴え、速度がみるみる落ちていく。<br>
猛烈に悪い予感を感じ、クラウンクラウンは後ろを振り返った。<br>
そして案の定――そこには、METISが迫っていた。<br>
しかも、右腕の射突ブレードを大きく振りかぶっている。<br>
<br>
『もう一発……!』<br>
再び、鋭い衝撃。<br>
ブースターを傷つけたらしく、速度がさらに落ち込んだ。<br>
機体温度が上昇し、熱暴走まで始まる。<br>
(いつの間に……!) オメガは歯を食いしばった。<br>
甘く見ていた。<br>
METISの搭乗者は雑魚だが、その機動力は本物なのだ。<br>
かつ、視界の届かない範囲は――特に背部には、『チップ』の予測が及ばない、という欠点がもろに出てしまった。<br>
オメガは意味不明の悪態をつきながら、速度を調整、METISの背後に回り込んだ。<br>
そこから、ガトリングをぴたりと構える。<br>
狙うのは、METISの脇腹――ジェネレーター部位だ。<br>
<br>
『ムーム! だめだ!』<br>
ガルムの悲鳴に、一変、苛立ちがすっと消えていくのを感じた。<br>
――ざまあみろ。 口元を歪め、トリガーを絞る。<br>
ガトリングの砲身から、無数の弾が吐き出され、残らずMETISに突き刺さった。<br>
高速移動していたMETISは、火花をまき散らしながら転倒した。<br>
死んだ。<br>
その確信と共に、オメガはその死骸を飛び越え、輸送部隊を追おうとした。<br>
今なら、まだ間に合うのだ。<br>
だがその背中に、今度はニフルヘイムが強烈なタックルを見舞った。<br>
クラウンクラウンはバランスを崩し、そのまま近くのビルに突っ込んだ。<br>
「邪魔するな――!」<br>
叫びが、口をついて出た。<br>
オメガはさらに悪態を吐こうとして――やめた。<br>
というより、言葉を失った、という方が正しい。<br>
体勢を立て直したクラウンクラウン、その前に立ちはだかるニフルヘイムは――ボロボロだった。<br>
右腕は千切れ、頭部は吹き飛んでいる。体の各部から絶えず黒煙が噴き上がり、満載していた武装も、左腕のハンドガンだけになっていた。<br>
『ここは通さん……!』<br>
ニフルヘイムが、半壊したハンドガンを突きつけてくる。<br>
それは、あまりにも無様な姿だった。そもそもハンドガン一丁で何ができるというのか。<br>
しかも、首筋の『チップ』は、そのハンドガンも発砲できる状態でないことを告げていた。<br>
だがオメガは、その姿に――気圧された。<br>
ごくりと喉を鳴り、体が痺れる。<br>
まるでムームの気迫が、ガルムに乗り移ったかのようだ。<br>
「……何なんだ……」<br>
オメガの顔が歪んだ。<br>
理不尽な仕打ちに涙ぐむ子供、そんな表情だった。<br>
「何だっていうんだ、くそっ」<br>
悪態に応じるように、今度はMETISが身を起こした。<br>
こちらも、ボロボロだった。というより、まだ息があったこと自体が奇跡だった。オメガはパイロットの即死さえ確信していたのだ。<br>
事実、機体状況はニフルヘイムよりひどい。<br>
ジェネレーター部位が、高温で溶解を始めている。バランサーが壊れたのか、右脚が激しく痙攣し、少し押すだけで倒れてしまいそうだ。<br>
だがそれでも、METISは立っていた。<br>
立って、オメガにショットガンを向けてきた。<br>
『行かせない。組織の命綱なんだよ、輸送部隊の連中は』<br>
その言葉が、ハンマーのように叩きつけられた。<br>
胃がむかむかした。<br>
あらゆる感情がごたまぜになり、胸の中で激しくうねった。<br>
(……なんだ、お前らは……!)<br>
そんなに輸送部隊が大事か。<br>
何で、そこまで闘える。戦闘など、もう不可能なくせに。<br>
何で、わざわざ俺の前に立ってくるんだ。諦めて寝ていればいいものを。<br>
『……ガル』<br>
ふと、ムームが口を開いた。<br>
ガルムはそれだけで何かを察したらしく、<br>
『いい。気にするな』<br>
『……しかし』<br>
『俺は満足してる。悪くない人生だったぞ』<br>
ガルムの口調には、笑いが滲んでいた。<br>
彼は本当に満足しているのだ。<br>
途端、オメガの中で何かが爆ぜた。<br>
ありとあらゆるストレスが、そのはけ口を見つけて動き出した。<br>
チェインガンを選択、ニフルヘイムに照準する。<br>
そのまま、何も考えずにトリガーを絞った。<br>
高威力の銃弾が、ニフルヘイムの上半身をズタズタに引き裂いた。<br>
紫の巨体が、炎上し、仰向けに倒れる。<br>
<br>
『ガル……!』<br>
ムームの悲鳴に、オメガはサディスティックな喜びを覚えた。<br>
だが――足りない。<br>
感じていた苛立ちも、焦りも、消える気配はなかった。<br>
どころか、苦い敗北感に変わりつつある。<br>
オメガは、今度はMETISに砲口を向けた。<br>
「残念だったな」<br>
死に物狂いで、嫌みな口調を捻り出した。<br>
「お前は死ぬ。そうだ、輸送部隊が物資を届けても、武装勢力のボスが死ぬわけだ。よく考えれば、それで終わりじゃないか、お前の組織は!」<br>
だがムームは、怯まなかった。<br>
小さな声で、だがしっかりと、こう言い返す。<br>
『……終わりじゃないよ』<br>
すでに後継者が決まっているのかも知れない。あるいは、彼女は本当のリーダーではないのかもしれない。<br>
いずれにせよ、それはオメガが願っていたものとは、正反対の文句だった。<br>
やはりな、と思う一方、苛立ちは消えなかった。<br>
オメガはトリガーを絞り、METISに無数の銃弾を撃ち込んだ。<br>
装甲の薄いMETISは、上半身を引き裂かれ、倒れる。<br>
今度こそ本当に息絶えたはずだった。<br>
しかし――苛立ちも焦燥も、残ったままだ。<br>
「くそっ」<br>
オメガは内壁を殴りつけた。<br>
成功率60%を超えていた、輸送車を撃破するという任務に、失敗したこと。<br>
見くびっていた二人のレイヴンに、一杯食わされたこと。<br>
そして、最初からガルムやムームに感じていた、正体不明の羨望や、劣等感や、苛立ち。<br>
それらが複雑に入り乱れていた。<br>
ひどく、もやもやとした気持ちだ。戦場でなければ、叫び出していたかも知れない。<br>
『……レイヴン、輸送部隊の反応が消えた。逃げられた。<br>
……まぁ、厄日だな』<br>
オペレーターが、オメガを労うように《ねぎらうように》言った。<br>
『気にするな、仕方がなかった。トレーラーの仕掛けに気がつかなかったのは、こちら側のミスだ。だから……』<br>
「だから、何だ」<br>
オメガの口から、不気味なほど平坦な声が漏れた。<br>
『いや、だから……』<br>
オメガはオペレーターを無視し、スティックを握り直した。<br>
右腕のガトリングを、倒れたMETISへと向ける。<br>
『……どうした、レイヴン?』<br>
「黙れ」<br>
言って、ガトリングをぶっ放した。<br>
もはや動かないMETISに、高威力の銃弾が降り注ぐ。<br>
細身のフレームの上で、着弾の火花がダンスを踊る。<br>
無抵抗のMETISは、すぐさまくず鉄の山になってしまった。<br>
『レイヴン! どうした!』<br>
「うるせぇ!」<br>
オメガは発砲を止めなかった。<br>
まるでそうすることで、失ったプライドが、精神の土台が、返ってくると信じているかのように。<br>
しかし――オメガの意に反して、死体にむち打つクラウンクラウンの姿は、無様だった。<br>
まるで、手当たり次第に噛みつく、怯えきった子犬のようだ。<br>
――畜生!<br>
オメガは唇を噛みしめた。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
オメガは、これ以上ないほど惨めな思いで帰還した。<br>
ガルムとムーム、両名の賞金が払われ、大幅な黒字となった。作戦の失敗も、情報ミスということでオメガの責任は不問となった。むしろ、レイヴン二名を返り討ちにした、オメガの手腕は評価された。<br>
この結果から見れば、今回の出撃は成功の部類に入るだろう。<br>
金も入り、組織内での株も上昇した。文句の付け所など一つもない。<br>
しかしその一方で――オメガが、何か大事なものを喪ったのも確かだった。<br>
現に、今まで彼が安住していた土台は、丸ごと消え失せていた。<br>
他の者共に抱いていた、心地よい優越感が感じられなくなっている。ばかりか、劣等感がじわじわと心を蝕んでいた。<br>
何より深刻なのが――虚無だ。<br>
今までにない強さで、荒涼とした虚無が胸中に吹きすさんでいる。<br>
自分には、何もない。ガルムは、命を落とすに値するものを、いつの間にか手に入れていたにも関わらず。<br>
何も持たないまま、ここまで来てしまった。<br>
そう思う自分に嫌気が差し、オメガは唇を噛みしめた。<br>
「……何だってんだ」<br>
小さく吐き捨てると、近くの下士官がびくりと体を揺らした。<br>
どうやら、聞こえていたらしい。<br>
だがオメガはそれにさえ気づかず、ぶつぶつと呟きながら、基地の通路を進んでいく。<br>
<br>
「帰ってきたのか」<br>
そのまましばらく進んでいると、不意に、後ろから声を掛けられた。<br>
しわがれた声で、やはり一発で分かった。<br>
「あんたか、烏大老」<br>
振り向くこともせず応じる。<br>
大老は特に気を害した様子もなく、こう訊いてきた。<br>
「苦戦したようだな」 オメガの眉が跳ね上がった。<br>
平静の声を出すのに苦労した。<br>
「……少しな」<br>
「依頼も失敗したようだな。生涯初めての失敗は、この24時間でついたか」<br>
「……何が言いたい」<br>
言葉に若干の険がこもるのを、止められなかった。<br>
だが大老は、それにも動じずこう言ってのけた。<br>
「総帥は、お前の能力を疑問視している」<br>
顔が強ばった。<br>
「……なんだと?」<br>
「言葉の通りだ。総帥は、お前の能力を見限りつつある。<br>
組織の建前としては、お前の責任は全て不問となっている。<br>
だが、それは総帥本人の思惑とは違う。<br>
今回の『失敗』で、総帥はお前の評価を大きく下げた」<br>
途端、オメガが爆発した。<br>
振り向き、大老に食ってかかる。まるで全存在を否定されたかのような激高ぶりだった。<br>
「ふざけるなっ!」<br>
その言葉が廊下中に響きわたった。<br>
通行人の視線が集中するが、オメガは気づきもしない。<br>
大老の胸ぐらを掴み、<br>
「俺が、なんだと!」<br>
「落ち着け」<br>
「あんな野郎に何が分かるってんだ!」<br>
今やオメガは、かつての紳士然とした仮面を、完全に捨て去っていた。<br>
大老に驚きが見られないのは――きっと、彼の眼力はオメガの本性を見抜いていたからだろう。<br>
「……いいから、落ち着け、オメガ。お前にいい話がある」<br>
そう言い、大老は依頼書をオメガに突きつけた。<br>
上辺のミッション名の欄には、『保管区制圧阻止』と書かれていた。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
大老の言い分はこうだ。<br>
ジャック・Oは、先の『輸送部隊撃破』の任務において、『完遂』を求めていた。<br>
METISとニフルヘイムを撃破し、かつ、高速で逃げる輸送部隊を残らず撃滅する――こういった結果を求めていたというのだ。<br>
無茶、とは言えなかった。<br>
ACにはそれだけのポテンシャルがある。それを引き出せなかったからこそ、オメガのプライドはああまで傷ついたのだ。<br>
そしてジャックは、オメガがそのポテンシャルを引き出せなかったことに、深い失望を覚えている。<br>
しかし、まだチャンスはゼロではない。<br>
本日18時頃に、ジャックが認めるレイヴンが、『資材保管区』へやってくる。<br>
アライアンスより、その施設の奪還命令を受けているのだ。<br>
そしてそのレイヴンを撃破すれば、ジャックは評価を改めるだろう。<br>
弱者の扱いを受けずに済むのである。<br>
<br>
『もっとも……』<br>
<br>
頭の中に、大老の声が蘇った。<br>
<br>
『楽な仕事ではない。奴は強い。本当に強い。<br>
ドミナントの噂さえ流れている。それでも、やるか?』<br>
<br>
大老の問に、オメガは迷わず応と答えた。<br>
そして契約書にサインし、パイロットスーツを着込み、愛機に乗り込んで、ここ――資材保管区へとやってきたのだ。<br>
しかし――<br>
(……いくら何でも、狭いな)<br>
オメガはコクピットから周辺を見渡し、眉をひそめた。<br>
<br>
彼がいるターミナルエリアは、資材保管区の中で最も広いエリアだ。だが、それでも手狭である感じは否めない。<br>
床面積はアリーナの三分の一もないし、壁のあちこちから梁《はり》のような道路が走っている。<br>
旋回性能が低い逆関節には、不利なマップだった。天井が低いので、持ち前のジャンプ力も生かしづらい。<br>
(やはり、最後に頼りになるのは、こいつか)<br>
オメガは首筋を撫でた。<br>
その辺りには、オメガの切り札『チップ』が埋め込まれている。相手の動きを予測してくれる、魔法の一品だ。<br>
(……こいつがあれば、負けない)<br>
オメガは自分に言い聞かせた。<br>
そうとも。相手が何であろうと、自分は未来を読める。<br>
常に、相手の裏をかける。<br>
このチップがある限り、オメガは圧倒的に有利なのだ。<br>
狩られる側と狩る側は決まっており、オメガは常に狩る側だ。<br>
先の戦いなど、本当なら気にする必要はないのである。<br>
『レイヴン!』<br>
思っていると、通信が入った。オペレーターからだった。<br>
『敵ACが保管区に侵入! あと数分で、そちらに到達する模様!』<br>
ついに来た。<br>
オメガは顔を引き締め、システム・クラッチを踏みつけた。<br>
『メインシステム 戦闘モード 起動します』<br>
オメガは、まだ見ぬ対戦者に――いや、獲物に思いを馳せた。<br>
ジャックが見込んだ相手だ。自分の機嫌はひどく悪いが、それでも勝利すれば、『酔える』だろう。<br>
いや、酔わなければいけない。<br>
早く、先の戦いを忘れなければいけないのだ。<br>
(……まだか)<br>
と、突き当たりのシャッターが開いた。<br>
まさか、と思った。早すぎると思った。<br>
だが、そのまさかだった。<br>
ぽっかりと口を開けた出入り口から、中に歩んでくるのは――ブリーフィングで見たとおりの機体だった。<br>
名は、ファシネイター。<br>
ダークパープルに染め上げられた、スリムかつ滑らかなフレーム。<br>
だがその反面、マシンガン、ブレード、ロケットにミサイルと、これでもかというほど攻撃的な武装をしていた。<br>
特徴的なグリーンのモノアイが、ゆっくりと辺りを睥睨し――やがて、その視線がオメガをまっすぐに射抜いた。<br>
強い。<br>
見つめられ、オメガは背筋を震わせた。<br>
オメガは、AC戦の経験が乏しいが――それでも、ナンバー1の威圧感だった。<br>
「……そこまでだな」
動揺を悟られまいと、オメガは強い口調を捻り出した。<br>
「易々とここを明け渡すわけにはいかない!」<br>
言いながら、オメガはブーストペダルを踏みつけた。クラウンクラウンが左へスライドダッシュ。<br>
途端、今までいた場所にロケットが突き刺さった。<br>
ぎりぎりで避けられたのは、予測装置――『チップ』が危険を教えてくれたからだ。<br>
(危なかった)<br>
だが、やはり『チップ』の予知は役に立った。こちらの方が一歩上を行っている。<br>
(……いける!)<br>
確信し、オメガはチェインガンを構えた。<br>
瞬時に照準、ファシネイターへ向かって高威力の弾丸をばらまいた。<br>
しかし、ファシネイターは怯まなかった。<br>
チェインガンの雨の中、ブースト全開で突っ込んでくる。<br>
装甲にモノを言わせた突撃だった。<br>
オメガが会心の笑みを浮かべる。<br>
千載一遇のチャンスが、まさかこんな早くに回ってこようとは。<br>
『チップ』の予知をもってすれば、カウンターをとるのは造作もないことなのだ。<br>
(焦ったな)<br>
オメガは『チップ』を起動させた。<br>
こちらに突っ込んでくるファシネイター、その姿が網膜から脳へ、そして脳から『チップ』へと移動する。<br>
『予測結果』が出るまで、コンマ一秒もかからなかった。<br>
オメガはその結果の通りにスティックを捌き、機体をファシネイターの右側面へ逃がした。逃がそうとした。<br>
そこは敵にとっての死角であり、そこに入り込めば、悠々とカウンターをとれるはずだった。<br>
<br>
だが、機体は動かなかった。<br>
動くより早く、鋭い衝撃が――ファシネイターが放ったロケットが、クラウンクラウンを釘付けにしていたのだ。<br>
(ロケットっ?)<br>
オメガにとっても、『チップ』にとっても、まるっきり考慮の外だった。<br>
実のところ――この時点で的確な回避行動をとっていれば、追撃は避けられたのだが、オメガは激しく動転していた。<br>
信じ切っていた『予測の力』、それが初めて外れたのである。<br>
軽いパニックですらあった。<br>
結果、ファシネイターの追撃を――ブレードをまともに喰らった。<br>
鮮やかなブルーの刀身が、クラウンクラウンのコアを一閃する。<br>
<br>
『コア損傷』<br>
<br>
たった一撃で、このダメージ。<br>
慌ててAPを確認すると、なんと1200も吹き飛んでいた。とんでもない威力だ。<br>
オメガはブーストペダルを踏みつけ、機体を左へジャンプさせた。<br>
まずは距離をとろうと思ったのだ。<br>
が、甘かった。<br>
ファシネイターは信じられない反射速度でその動きに気づき、すぐさまクラウンクラウンの後を追った。<br>
機動性の違いか、一瞬で追いつかれた。<br>
逃げられない。<br>
オメガは反射的に、機体をファシネイターの方へ向けた。<br>
そのまま左腕のグレネードを撃ち放つ。<br>
至近距離での発砲であり、避けることは不可能だった。燃えたぎるグレネードが、ファシネイターのコアを直撃する。<br>
ファシネイターの上半身が、爆炎に包まれた。<br>
だが――それだけだった。<br>
ファシネイターは、止まらない。<br>
炎を振り払うような速度で、こちらに突っ込んでくる。その左腕では、ブレードが長く伸ばされていた。<br>
「なんだと……」<br>
オメガが息を呑み、怯んだ。<br>
反撃を怖れず、クロスレンジへと機体をねじ込んだ心意気に――威圧感を感じていた。それも、ガルムやムームに感じたものと、同種の威圧感だ。<br>
「くそっ」<br>
オメガは最後の望みを賭け、もう一度『チップ』を起動させた。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
オメガの戦場から数一〇キロも離れた、バーテックスの拠点。<br>
烏大老はそこの通路で、携帯テレビを眺めていた。<br>
傍目には、ただ単に壁に背を預け、映画でも観ているように思える。<br>
しかし、大老が観ているのはそれではない。<br>
携帯テレビの小さな画面は、今まさに資材保管区で展開されている、オメガとファシネイターの戦いを映している。<br>
現地の映像が、この小型テレビに転送されているのだ。<br>
(……やはり、厳しいか。ガルムとムームを倒したというから、『底力』の方には少しは期待したのだが……)<br>
一部始終を眺め、大老は鼻を鳴らした。<br>
丁度、オメガがファシネイターに斬られる所だった。これで、二度目である。<br>
開始直後に一回、その攻勢から逃げようとしたところを、追撃されてもう一回。<br>
無様なものだった。<br>
「まぁ、こんなものか……」<br>
失望と安堵を半々に、大老は息を落とした。<br>
と、横から声をかけられる。<br>
「よお」<br>
「……マックスか」<br>
軽々しい挨拶に、大老は声だけで応じた。その間も、視線は画面を見つめたままだ。<br>
マックスと呼ばれた壮年の男は、小さく笑うと、大老にそっと問いかける。<br>
「……で、どうだ。オメガは」<br>
マックスは、大老のオペレーターだった。組んで数十年になる。<br>
そして彼ら二人は、ジャック・Oの真意を知る数少ない人間だった。<br>
オメガの戦いを監視するのも、ジャックの真意――すなわち、『ドミナント選定』絡みの話である。<br>
「……俺的には」<br>
マックスは続けて言った。<br>
「オメガがドミナントっていうのはどうにも信じがたい。<br>
大老、実際のところはどうだ」<br>
「……だめだな」<br>
断言にも、マックスは動じなかった。<br>
「だめか」<br>
「そうだ」<br>
「……やっぱりな」<br>
マックスが肩をすくめて見せた。<br>
そのタイミングで、画面の中でクラウンクラウンが斬られた。三度目だ。頭部を吹き飛ばされ、逆関節のACは慌てて距離を取る。<br>
「……オメガは、姿勢に力がない。これは、結局最後まで変わらなかった」<br>
それを観つつ、大老は呟いた。<br>
「奴は、戦いと本気で向き合っていない。殺人に快楽を覚えるのは、奴の勝手だ。<br>
だが少なくとも、奴には真摯さが足りない。<br>
相手への怨念が足りない。これでは、腹を括って闘いに挑む、本物のレイヴンには及ばない」<br>
厳しい評価だった。<br>
だが、現実である。オメガがムームやガルムに気圧されたのは、まさにこの『覚悟』の違いだったのだろう。<br>
もっとも、先の戦いの後半では、オメガにも若干の気迫があったが――それは『逆上』と呼ばれるものだ。<br>
無力だと信じ込んでいた獲物に、噛みつかれ、プライドを傷つけられる。そしてキレた。<br>
それだけの話なのだ。<br>
『覚悟』とはほど遠い。<br>
マックスが付け加えるように、<br>
「『チップ』は? オメガには、それがあるんだろ、予知能力が」<br>
「……そんなもの当てにならん」<br>
大老は吐き捨てるように言った。<br>
「映像を見て、分かった。オメガに載っている『チップ』は、ナインボールや管理者無人ACのに比べると、遙かに不出来だ。<br>
あれで動きが予測できるのは、せいぜいMTか下位のレイヴンだけだ。<br>
敢えて言おう、俺でも勝てる」<br>
「……でも、ガルムに勝ったんだろ? ガルムは腕利きじゃないのか?」<br>
「思い出せ。ガルムはムームを庇ってしまった。それで動きが、MT並に直線的になっていた。<br>
恐らく奴一人であれば、決して遅れは取らなかっただろう」<br>
大老の言葉に応じるように、クラウンクラウンの左腕が千切れた。どうやら、またブレードで斬られたらしい。<br>
手も足も出ないとはこのことだった。<br>
「……オメガ自身の技術も、未熟だ。そして頼みの『チップ』も、役立たずであることが分かった。<br>
もっと早い段階で、腕利きのレイヴンと当たっていれば、化けの皮も剥がれたのだろうが……」<br>
容赦のない大老に、マックスは尋ねた。<br>
<br>
「……つまり、勝てない?」<br>
「そうだ。技術も、精神力もない男だ。奴にあるのは、せいぜい――」<br>
大老は、自身の胸ぐらの辺りに手をやった。<br>
少し前、オメガに掴まれた場所だった。あれから随分時間が経ったが、未だに掴みかかられた感触が残っている。<br>
相手はよほど強い勢いで向かってきたのだろう。<br>
それだけ、馬鹿にされた怒りが強かったということか。<br>
「――せいぜい、高いプライドぐらいだ。<br>
それも、実力の伴わない空っぽのプライドだ」<br>
言っていると、画面の中でさらに動きがあった。<br>
大老は目を細め、ふんと鼻を鳴らした。あからさまな侮蔑の表情だった。<br>
画面の中では――追いつめられたクラウンクラウンが、ターミナルの出口に向かっていく。<br>
逃げ出そうとしているのだ。<br>
だがターミナルの扉は、決して開かない。決着がつくまで、決して扉を開けるな――部下にはそう言い含めてある。<br>
(無様な最期を選んだものだ)<br>
大老は、オメガを完全に見限った。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
オメガは、かつてない恐怖の中にあった。<br>
今いる敵が、同じ人間とは思えなかった。<br>
ファシネイターの前では、どんな攻撃も無意味であり、その猛威の前ではナインボールの『チップ』の予測さえ無力だった。<br>
死ぬ。<br>
その恐怖が、オメガの腕をがっしりと掴んでいた。<br>
考えたこともない状況だった。<br>
今までは、未来を予知できる『チップ』のおかげで、戦いは一方的な『狩り』だった。自分は『予知』という安全圏に身を置きながら、敵を蹂躙する――それが、オメガのスタイルだったのだ。<br>
しかしこの闘いに置いては、それが全く逆転していた。<br>
絶対と信じていた『チップ』という命綱は、ズタズタに切り刻まれてしまっている。<br>
「……畜生!」<br>
毒づき、オメガは背後を確認した。<br>
ファシネイターが、追ってきている。<br>
逃げなければ。<br>
オメガの頭には、もはやそれしかなかった。<br>
今回の敵は、もはや天災のようなものだった。ハリケーンや火山の噴火に対して、反撃する馬鹿はいまい。<br>
そのような圧倒的な存在に対して、人間ができることは、避難することだけだ。さもなくば、死んでしまう。<br>
「……くそっ」<br>
オメガは、なんとか出入り口へ辿り着いた。<br>
かつてない速度でパネルを叩き、解除キーを入力、シャッターを開けようとしたが――頭部COMは無情の宣告をした。<br>
<br>
『ゲートが動作しません』<br>
<br>
足下に、ぽっかりと穴が開いた。<br>
その深い深い穴に、落ちていく感覚。<br>
もう戻れない。<br>
オメガは絶叫した。<br>
背後からは、今もファシネイターが近づいてくる。<br>
「……なぜだ」<br>
クラウンクラウンが、ファシネイターに向き直った。<br>
もはや決着はついていたが、ファシネイターは気を緩めず、ブースト全開で突っ込んでくる。<br>
その左腕部からは、すでに真っ青なブレードが伸ばされていた。<br>
逃げられない。<br>
背後には壁、かといって左右に逃げる余裕もない。ついでに言えば、それだけの気概もない。<br>
ファシネイターが、ブレードを大きく振りかぶる。<br>
『……死ね』
ファシネイターから、厳かな声が来た。<br>
と同時に、ブレードが振られる。眩いブルーの輝きが、メインモニターを埋め尽くした。<br>
その死の瞬間――オメガに訪れたのは、恐怖でも、怒りでもなかった。<br>
胸中に吹き荒れたのは――寒々とした虚無だった。<br>
言い残す言葉も、別れを惜しむ人も、何もない。<br>
何も残さず、何も与えず、消えていく。<br>
それが、生の終わりに顧みた《かえりみた》、オメガの人生の全てだった。<br>
――寒い。<br>
思った途端、その音はやってきた。<br>
ガシャン、という車の衝突にも似た金属音だ。<br>
間違っても――ブレードで金属が溶ける音ではない。<br>
(……何だ?)<br>
思い、オメガはメインモニターを確認し――ぎょっとした。<br>
クラウンクラウンの腕が、ファシネイターの左腕を掴み、押し戻そうとしていた。<br>
破壊的なエネルギーを秘めたブレードは、クラウンクラウンに届く寸前で止まっている。<br>
(ブレードを……防いだのか? 俺が?)<br>
そこで、オメガは自分がスティックを握っていることに気がついた。<br>
手が、勝手に動いたのだ。そうとしか考えられなかった。<br>
(……俺が……)<br>
無意識の内に発揮した、思わぬ行動力に、オメガは呆然とした。<br>
そんなオメガに構わず、ファシネイターはクラウンクラウンの腕を振り払うと、すぐに二度目の斬撃を準備した。<br>
このままでは、死んでしまう。<br>
(……嫌だ)<br>
オメガは、自分の人生がどんなものであったかを思い知っていた。<br>
そこには思い返すに値することは、何一つとしてない。空っぽの、あまりに寒々として人生だった。<br>
オメガはこうなると薄々感づきながらも、幼い日より徐々に醸成された虚無、それに身を任せてしまった。<br>
<br>
その挙げ句が――死ぬ前に感じた、あの壮絶な『寒さ』である。<br>
満足げに逝った、ガルムやムームとは大違いだ。<br>
「ちくしょう……」<br>
切なく、哀しく、だがそれ以上に――悔しかった。<br>
肥大化したプライドが、その思いを後押しする。<br>
この俺が。なんでこんな様に。<br>
理不尽だ。許容できない。<br>
断固として。<br>
オメガの中で、ゆっくりと何かが組み変わった。<br>
育て上げられたプライドが、今、『意地』となって行動を呼び起こそうとしている。<br>
――このままでは、終われない。<br>
「ちくしょう……!」<br>
スティックを握る手に、力がこもった。<br>
慣れ親しんだ、鋼鉄の手触りが彼の意気込みを出迎える。<br>
と、ファシネイターが、ブレードを振った。<br>
以前とは違い、上から打ち下ろすような振り方である。<br>
そしてそれは、より力がかかる分、受け止められにくい振り方だった。<br>
しかし――クラウンクラウンは、それもやり過ごした。<br>
腕が素早く動き、敵の左腕を打撃、ブレードの軌道をずらす。青い刀身は、クラウンクラウンの背後にあるシャッターに、深々と突き刺さっただけだった。<br>
ファシネイターが、驚きの声を漏らす。<br>
クラウンクラウンはその隙をついて、ファシネイターにチェインガンを向けた。<br>
言葉が口をついて出てくる。<br>
「行くぞ……!」<br>
それは「殺す」であり、「ふざけるな」であり、また「見たかこの野郎」でもあった。<br>
心の底からの、怨念の叫びだ。<br>
トリガーを、絞る。<br>
鋭利な弾丸が、チェインガンの砲口から飛びだし、残らずファシネイターに突き刺さった。<br>
思わぬ反撃に驚いたのか、ファシネイターが慌てて距離を取る。<br>
胸のすくような思いだった。<br>
(……そうだ)<br>
このままで終われるか。<br>
力の限り、お前に喰らいついてやる。<br>
決死の覚悟を胸に、オメガはシステムクラッチを踏みつけた。<br>
『メインシステム 戦闘モード 起動します』<br>
飛び退くファシネイターに、クラウンクラウンが肉薄する。<br>
ファシネイターは、それに驚いたようだった。<br>
無理もない。傷を負っているクラウンクラウンが、あえて接近するというのは――完全にセオリーから脱していた。<br>
『自殺する気か』<br>
ジナイーダが問う。<br>
オメガは応えなかった。そもそも、質問が耳に入っていなかった。<br>
体の芯に沸き上がる、熱く激しいもの。それが、頭に無尽蔵に汲み上げられてくる。<br>
とても話を聞ける状態ではなかったのだ。<br>
「ミンチだ」<br>
オメガがトリガーを絞った。<br>
背部のチェインガンが、眼前のファシネイターに銃弾をばらまく。<br>
『くそっ』<br>
ファシネイターは、飛び上がってそれらを回避した。<br>
変則的な機動だったが――オメガはその動きに対応し、機体を右に振り向かせる。<br>
案の上、そこにファシネイターが着地した。<br>
すでに、その左腕部からはブレードが伸ばされている。<br>
こちらに光波を飛ばすつもりだろう。<br>
そう思った途端、オメガの唇が笑みの形に歪んだ。<br>
「いいね」<br>
呟き、オメガはブーストペダルを踏みつけた。<br>
猛スピードで接近、ファシネイターの懐に潜り込む。<br>
ジナイーダが、驚きの声を漏らした。<br>
オメガは構わずスティックを操作し、チェインガンを照準した。<br>
70ミリの砲口が狙う先は――ファシネイターの右肩だ。<br>
「死ねよ……」<br>
静かだが、その分寒気のする声だった。死神が、耳元でそっと囁いたら――こんな感じかも知れない。<br>
直後、チェインガンが吼えた。<br>
無数の銃弾が、ファシネイターの右肩に突き刺さる。<br>
鼓膜を叩く発射音の中、金属が歪み、千切れる音が響いた。<br>
高威力の銃弾が、ファシネイターの右肩をもぎ取ったのだ。<br>
<br>
『なんだと……!』<br>
ファシネイターは、残った左腕でクランクラウンを突き飛ばすと、ブースト移動で間合いをあけた。<br>
しかし――それは紛れもなく、本能的な『逃げ』の動きだった。<br>
ドミナントが、怖れている。<br>
オメガが叫びをあげた。<br>
スティックを握り直す。<br>
そしてもう一度、ブーストペダルを踏みつける。<br>
<br>
「行くぞ……!」<br>
呟きつつ、クラウンクラウンが接敵。<br>
マイクロミサイルが浴びせられるが、怯むことなく中央を突破し、ファシネイターに迫る。<br>
このまま接近し、またチェインガンを浴びせかける。それしか頭になかった。<br>
同時に、地力で圧倒的に劣るクラウンクラウンが、ファシネイターに勝利するには――この特攻先方しかないと、本能的に看破してもいた。<br>
だがそこで、疾走する機体に鋭い衝撃が走った。<br>
ロケットだ。マイクロミサイルに紛れ、ファシネイターが撃っていたのだ。<br>
そしてその鋭い弾頭は、クラウンクラウンのジェネレーター部位に、冷酷に、かつ無慈悲に突き刺さっていた。<br>
<br>
「……は?」<br>
一瞬の間。<br>
ぞっとするような、空白の時間。<br>
それが過ぎた後、急激に機体温度が上昇し始める。<br>
ダッシュが止まる。<br>
腕部が痙攣を始め、サイトが勝手にぶれる。<br>
慌ててトリガーを引くが、どうしてか弾が出なかった。<br>
「ふざけんなよ」<br>
オメガはメインモニターを覗き込み――絶句した。<br>
『ジェネレーター損傷』。『下腹部で火災発生』。たった二行のメッセージが、オメガの上に重くのしかかる。<br>
スティックを滅茶苦茶に動かしたが、機体はもう反応しなかった。<br>
歩くこともなければ、腕を動かすこともない。もはやクラウンクラウンは、直立したくず鉄だった。<br>
じきに爆発するだろう。もっとも、その前に中のオメガは焼け死ぬだろうが。<br>
「くそっ!」<br>
オメガは内壁を殴りつけた。<br>
だが、どんな機体であっても、ジェネレーターのEN供給がなければ動かない。その事実は決して揺るがなかった。<br>
もしこれが全快状態であれば、ロケット一発がジェネレーターまで到達することなどないのだが――クラウンクラウンは、すでに何回もブレードで斬られていた。<br>
ロケットをはじき返すだけの防御力は、もはや残っていなかった。<br>
<br>
「……ちくしょう」<br>
声が、漏れた。<br>
目の前の敵に、届かなかった。<br>
その一念が、身を焼き尽くすほどの悔いになっていた。<br>
ファシネイターが、そんなクラウンクラウンに、ゆっくりと近づいてくる。<br>
その左腕部から、青く、長い刀身が伸ばされていった。<br>
斬るつもりだ。<br>
思ったときには、ファシネイターが急接近してきた。<br>
紫の巨体が、画面一杯を占拠する。<br>
その瞬間――誰よりも高いプライドが、猛々しい叫びを上げた。<br>
一度は消えかけた戦意が、猛然と燃焼する。<br>
闘え。<br>
その声が、頭の奥に響いた。<br>
予測機能――『チップ』の声とは違う、『芯』からの囁きだ。<br>
「分かってる」<br>
呟き、オメガはスティックを前に倒した。<br>
それと同時に、固い椅子から体を浮かせ、前方の壁に――メインモニターの辺りに渾身のタックルをかます。<br>
「進めぇ!」<br>
そして信じがたい事に――それで、機体の重心が動いた。<br>
クラウンクラウンが、前のめりに倒れ出す。<br>
運の良いことに――丁度その時、ファシネイターはクラウンクラウンの眼前にまで迫っていた。<br>
倒れるクラウンクラウンは、そのファシネイターを巻き込んだ。<br>
直後、突き抜けるような衝撃と共に、天地が逆転、轟音が響きわたった。<br>
(……どうなった……?)<br>
痛む頭を叱咤し、オメガが目を開けると――メインモニターには、ファシネイターのコアが映し出されていた。<br>
どうやらクラウンクラウンは、ファシネイターの上に覆い被さっているらしい。<br>
まるで、押さえ込もうとするかのように。<br>
オメガの顔に、悪魔のような笑みが戻った。<br>
「……道連れだなぁ」<br>
これ以上ないほど、気持ちのこもった声だった。<br>
そうとも。こいつを殺すために、全力を尽くす。こいつを殺し損ねるぐらいなら、のたうち回って焼死する方が遙かにマシだ。<br>
もっとも、クラウンクラウンの爆発が、ファシネイターに致命的なダメージを与えられるかは、やってみないと分からないが――可能性は十分ある。<br>
『お前……!』<br>
ファシネイターが、もがく。<br>
ジェネレーターが壊れているクラウンクラウンは、もはや阻止できない。<br>
しかし――ファシネイターは、右腕を破損させていた。片腕なのだ。<br>
例え妨害がなくとも、片腕だけで重量級ACをどかしきれるかは――非常に怪しい。<br>
かつ、ファシネイターの低出力ブースターでは、ブーストのパワーで強引に立ち上がったり、這い出したりすることも容易ではないだろう。<br>
と、コクピットが急激に熱さを増した。<br>
そろそろ最期が近いらしい。爆発までは、もはや秒読み段階だ。<br>
『馬鹿なっ』<br>
向こうもそれを悟ったのか、ファシネイターから焦った呻き声が漏れてくる。<br>
オメガは、そんな状況に――言いしれぬ滑稽さを覚えた。<br>
(……なんて様だよ)<br>
くく、と声が漏れる。<br>
最初のファシネイターは、まさしく天災のような存在だったのだ。闘おうとさえ思わなかったし、現に『戦闘』そのものはファシネイターの圧勝だ。<br>
だが今はどうだ。<br>
愛機の下で、紫の巨体はもがいている。しかも片腕だ。<br>
なんて無様な姿だろう。最初の威勢など欠片もない。<br>
このオメガが、あのファシネイターをここまで引きずり下ろしたのだ。<br>
一発、かましてやれたじゃないか。<br>
そう思うと、不思議な気持ちが飛来した。<br>
満たされていく。<br>
空っぽだった自分の中に、心地よい疲労感が、達成感が、なみなみと注がれていく。<br>
その想像を絶する心地よさに、オメガの目から涙がこぼれ落ちた。<br>
(……できれば、もう少し早く……)<br>
思ったが、頭を振った。ついでに涙も振り払う。<br>
時間は少ない。<br>
オメガは宿敵ファシネイターに、言葉を叩きつけた。<br>
「……ざまぁみやがれ」<br>
それが、オメガの最期の言葉になった。<br>
あまりにもひどい遺言だが――その時のオメガは、笑っていた。<br>
快楽殺人者のものとは思えない、太陽のような、晴れがましい笑みだった。<br>
直後、圧倒的な熱量が、コクピットに押し寄せた。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
映像の中で――俯せに倒れるクラウンクラウン、その背中から火が噴き上がった。<br>
ACほどの高さがある、巨大な火柱だ。まるでオメガの強烈な悪意が、炎となって立ち上っているかのようだ。<br>
その灯りが、戦場となったターミナルを夕焼け色に照らし出している。<br>
「……終わったな」<br>
携帯テレビの画面を睨みつつ、大老が呟いた。<br>
「オメガは死んだ。勝者は――」<br>
大老は画面端に映される、紫のACに目をやった。<br>
「ジナイーダだ」<br>
紫のAC――ファシネイターが、ゆっくりとこちらを振り返った。<br>
ひどい姿だった。<br>
右腕部は千切れ、色々な関節から黒煙が噴き上がっている。<br>
勝者も貫禄も何もない。手ひどいやられ方だった。<br>
オメガの爪は、ドミナントにしっかりと届いていたのである。<br>
「……しかし、よく脱出できたな」<br>
傍らで、大老のオペレーター――マックスが訝しげに言った。<br>
「実際、やばかっただろ? ファシネイターは片腕、ブーストでの脱出も困難。どうやって助かったんだ?」<br>
マックスは、AC戦の専門家ではない。<br>
クラウンクラウンの下からファシネイター脱出する一部始終は、目にしたはずだが――映像だけみても、いまいち脱出のカラクリが分からないのだろう。<br>
大老は説明してやることにした。<br>
「簡単なことだ。まず、片腕でクラウンクラウンを押し上げる」<br>
「できるのか? 相手は重量級だ、パワー不足じゃないか?」<br>
「正攻法では無理だがな。地面とクラウンクラウンのコアの間に、肘から先をねじ込む。つっかえ棒をするようにな。<br>
そうすれば、のし掛かっていた機体が浮く。これなら低出力のブースターでも、脱出に支障はないだろう。一挙に脱出できなくとも、上半身だけでも出れば、後は楽だからな」<br>
納得したらしく、マックスは大げさに肩をすくめた。<br>
<br>
「にしても、アンビリーバブルだ」<br>
「だが、現実だ。あの女は、本当にドミナントかもしれん」<br>
大老は目線をモニターに戻した。<br>
だが、もはやファシネイターの姿はない。<br>
任務を終えたので、さっさと帰還してしまったのだろう。<br>
本来なら、味方の部隊が到着するまで待つべきである。腕利きのレイヴンにしては、少々無責任な態度だった。<br>
けれど――大老は、彼女の気持ちも理解できた。<br>
戦いの後半、オメガが発した気迫は尋常でなかった。<br>
人間の本能を直接刺激する、そういう『恐さ』があった。<br>
そういったものが振りまかれた空間から、遠ざかりたいというのは――自然な反応ではあるだろう。<br>
もっとも、単に後続のMT部隊の様子を見に行った、という線もあるが。<br>
「しかしな」<br>
思っていると、マックスが不快げに言った。<br>
「品性下劣な、最悪な奴だったな。オメガって野郎は、最期まで」<br>
その感想に――『常人』としてはごく当然の感想に、大老は口元を歪めた。<br>
「そうだな」<br>
「往生際が悪いしな」<br>
「……マックス」<br>
笑みを深めながら、大老は言った。<br>
「何を言ってる。最高の死に様じゃないか、あれは」<br>
遠くで無線機が鳴っている。<br>
階下の格納庫から、MTが駆動する音がした。<br>
二人の付近を、一般隊員が通過していく。その靴音が、通路に反響し、やがてゆっくりと消えていった。<br>
<br>
「……そうか」<br>
長い沈黙の末、マックスはそうとだけ言った。<br>
大老は頷きを返す。<br>
どんな理由かは分からないが――後半のオメガには、気迫があった。それも、見ているこちらさえ心胆が冷えたほどの、濃密な気迫だ。<br>
その闘念に、怒りに導かれるまま、全ての精力を総動員して、敵わぬ敵に向かっていく。<br>
そしてその果てに、燃え尽きていった。<br>
戦士としては申し分ない、充実の死に様だった。<br>
もっとも、オメガのような男でも、その域に到達できたかは、まさしく神のみぞ知る、だが。<br>
「奴には勿体ないほどの死に方だよ」<br>
大老が呟いた。心なしか、年相応の疲労が匂っていた。<br>
「……できるなら、代わりたいか?」<br>
マックスの問に、大老は応えなかった。<br>
代わりに、苦笑とも微笑ともつかない、曖昧な笑みを浮かべた。<br>
捕虜は四人いた。<br>
だが一人として情報を吐こうとしない。<br>
時間を掛け、ゆっくりと拷問をかけていけば、連中は洗いざらいぶちまけるのだろうが――今欲しい情報には、賞味期限がある。<br>
なるだけ早く手に入れておきたい。悠長にしている暇はないのだ。<br>
しかし――連中は吐かない。<br>
恐らく、彼らも情報の賞味期限は知っているのだ。それまでは、なんとしても隠し通そうと意固地になっている。<br>
やっかいな状況だった。<br>
「……どうしたものか……」<br>
年輩の尋問官が、自身のデスクで呟いている。<br>
と、彼の部下が近づいてきた。<br>
<br>
「失礼します」<br>
そう言って、敬礼。その後、用件を報告した。<br>
部下曰く、「今すぐ情報を吐かせられる人を知っている」ということだった。<br>
尋問官は半信半疑だったが――部下の言葉を信じ、その人物を連れてくるよう命じた。<br>
この部下は、新参であるが特に優秀であり、普段から何かと信頼を置いていた。<br>
それに――形式上『尋問官』という役職にいるが、年輩の尋問官自身には、尋問の経験はほとんどない。人材不足から、たまたま『尋問官』という役割が回ってきただけなのだ。<br>
だから、尋問のエキスパートが別にいるというのであれば、素直にコトを任せるべきだった。<br>
「分かりました、連れて参ります」<br>
部下はきびきびと一礼し、その場を後にした。<br>
そして数分後、その男はやってきた。<br>
気味が悪いほどの長身で、側に立つ部下が子供のように見える。黒のスーツに短くカットされた黒髪と、身なりはきちんとしているので、人格はまともなのだろうが――それでもどことなく、薄ら寒い気配を纏っていた。<br>
実際、男は紳士じみた微笑を湛えてはいたが――その笑みは、どこか歪んでいるようにも見える。<br>
「早速やりましょう」<br>
男の言葉に、尋問官ははっと我に返った。<br>
じろじろと見た無礼を詫び、男を尋問室に――いや、拷問部屋に案内した。<br>
拷問部屋とは、四メートル四方の小部屋だった。何もなく、がらんとしている。<br>
平時なら色々な『設備』があるのだが、今は別室に移されていた。<br>
中に入ると、男はどこか人形めいた視線を部屋中に這わせ、<br>
「……いいでしょう。ここに、その四人を呼んで下さい」<br>
と言った。<br>
尋問官は言葉の通りに、捕虜の四人を連れてくるよう命じた。<br>
<br>
五分ほどで、全ての捕虜が壁際に並べられた。全員手錠を付けられ、体中に傷を負っていたが、それでも意志の強そうな瞳を保っている。<br>
「……これから、どうするのです?」<br>
尋問官が訊くと、男はおもむろに、捕虜の一人へ歩み寄った。<br>
どこか優しげな口調で、<br>
「情報を。拠点の兵力、作戦の概要、『レビヤタン』とは何のことですか?」<br>
一連の質問にも、捕虜が応える気配はなかった。<br>
男は頷き、懐から『何か』を取りだした。<br>
何気ない動作だった。<br>
少なくとも――とても、人を殺す動作には見えなかった。<br>
「じゃあいいです」<br>
パス、と気の抜ける音がした。<br>
一拍置いて、捕虜が倒れる。床に頭蓋骨が打ち付けられる音の方が、銃声よりも大きかった。<br>
「……なっ」<br>
撃った。殺した。<br>
その事実に焦る尋問官だが、男は構わず別の捕虜に向き直った。<br>
「あなたは?」<br>
優しげな口調なのが、かえって恐ろしかった。<br>
その捕虜は震えながらも、<br>
「……知らない」<br>
「そうですか」<br>
男はその捕虜も殺してしまった。<br>
残りは、あと二人だ。<br>
殺された二人と比べてると、残された二人はかなり若かった。恐らく二〇代だろう。<br>
<br>
「……さて」<br>
男はその二人を交互に見てから、思いついたように、<br>
「そうだ。先に情報を吐いた方を、助けてあげましょう。早い者勝ちです」<br>
途端、二人の表情が変わった。<br>
驚いた面持ちで、お互いの顔を見あう。<br>
その後、片方は尚も逡巡し、もう片方は素早く決断した。<br>
「はい、喋りますっ」<br>
逡巡してしまった方は、痛恨の表情を見せた。<br>
一方、決断した方は矢継ぎ早に、拠点の状況、場所、『レビヤタン』に関する知識をぶちまけた。<br>
尋問官は、それらを部下にメモさせた。十分すぎるデータになった。<br>
尋問官は、やっとこの『尋問』が終わると安堵したが――そう簡単にはいかなかった。<br>
「……これで全部だ、どうだ、満足してくれたか?」<br>
捕虜の言葉に、男は満面の笑みを浮かべた。<br>
ぞっとするような笑みだった。<br>
「この嘘つきめ!」<br>
三度目の銃声がした。<br>
三人目の捕虜が、ゆっくりと、仰向けに倒れる。<br>
これで、残されたのは一人となった。<br>
男はその一人にも銃口を向けて、<br>
「君も……嘘つきかい?」<br>
最後の一人は悲鳴をあげた。<br>
「本当だ! 今のは、全部本当だったぞ!」<br>
「……そうなのかい?」<br>
「そうだよ! だって……」<br>
パスッ、というささやかな音がした。<br>
四度目の銃声だ。<br>
最後の捕虜が、がっくりと俯せに倒れる。その死体を中心に、血溜まりが広がっていく。<br>
<br>
「……情報は、吐かせましたよ。この様子ですと、真実でしょう」<br>
もはや言葉も出ない尋問官に、男が向き直った。<br>
どこか愉しげに、<br>
「分かりましたか? 今のが、尋問の基本です。まず第一に、『どうせ殺されることはない』という甘えを捨てさせること。第二に、『分かりやすい条件を持ちかけてやること』。<br>
コツはこれだけ、簡単でしょう?」<br>
男は笑った。<br>
ハ虫類じみた笑顔だった。<br>
尋問官が尚も言葉を発せずにいると、男は思いついたように、尋問官にも銃を突きつけた。<br>
「ひっ」<br>
尋問官の口から、裏返った声が漏れる。<br>
男は苦笑し、銃口を天井に向けた。そのまま、何度も引き金を絞る。<br>
しかし、弾は一発も出なかった。<br>
男はマガジンを抜き、何回かスライドを操作して見せる。<br>
「冗談ですよ。弾切れです、撃てやしません」<br>
そう言われても、尋問官に安堵した様子は見られなかった。<br>
どころか、きっと彼はこう思っているだろう。<br>
――この男は、もし弾が残っていれば、撃っていたのではないか?<br>
その心情を知ってか知らずか、四人を殺した男は曖昧に笑うと、さっさと部屋を出てしまった。<br>
後には尋問官とその部下、そして四人の死体だけが残されている。<br>
<br>
レイヴン『オメガ』。快楽殺人者。<br>
尋問官が男の正体を知ったのは、それから数時間後だった。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
オメガは、悪くない気分で基地の通路を歩いていた。<br>
手には銃を撃った感触が残り、脳裏には捕虜達の死に様が焼き付いている。<br>
そしてそれらが、オメガを笑顔にさせていた。<br>
(たまらないな)<br>
殺しをした後は、いつもこうだった。<br>
津波のような征服感と、開放感。空っぽだった体に、何かが満たされていく感覚。<br>
アップ系の麻薬をキメた時でさえ、これほどのものは味わえない。<br>
「……これだから、この仕事はやめられない」<br>
そう呟いたところで、後ろから声を掛けられた。<br>
「邪魔するぞ」<br>
高揚感に水を差す、低く、しわがれた声。<br>
オメガは一発で誰か分かった。<br>
(嫌な奴が来た)<br>
そう思ったが、態度にはおくびも出さない。<br>
親しげな笑顔を張り付け、ゆっくりと振り向いた。<br>
「これは、烏大老。ご苦労様です」<br>
言われても、老人は特に反応を示さなかった。<br>
オメガより頭一つほど低い位置から、闇色の瞳が静かに見つめ返してくる。<br>
「仕事だぞ」<br>
大老は、簡潔に告げた。<br>
ぞんざいな口調に、オメガの眉がほんの少し吊り上がったが――大老は気づきもしない。<br>
<br>
「作戦名は輸送部隊撃破。サークシティから物資を強奪した勢力が、逃亡を図っている。そこを叩け。<br>
AC二機ほどが妨害に現れる模様だ」<br>
そこまで言って、大老は数枚の書類を差し出した。<br>
詳細はこれを見ろ、ということだろう。<br>
オメガは大げさに肩をすくめ、<br>
「一仕事こなした後、また依頼か。仮眠をとる隙もない」<br>
「断るか?」 オメガが笑みを深くした。<br>
紳士然とした仮面から、暴虐の気配がはみ出した。<br>
「……まさか。私を誰だと思っている」<br>
「受けるのだな」<br>
大老は頷くと、書類を手渡し、そのまま踵を返して立ち去った。<br>
オメガはその背中が角に消えるのを待ってから――ふんと鼻を鳴らす。<br>
「ロートルが」<br>
吐き捨て、オメガは渡された依頼文に目を落とした。<br>
作戦領域は、旧ナイアー産業区。ACが二機ほど確認されているらしいが、依頼文にも、機体名やレイヴン名は書かれていなかった。<br>
どうやら、まだ判明していないらしい。<br>
(……まぁ、いいか。分からなくても)<br>
オメガはそう割り切った。<br>
普通のレイヴンでは、まず考えられない軽薄さだが――オメガには、そうしていられるだけの根拠があった。<br>
(なにせ……俺には、『こいつ』がある)<br>
オメガは首筋の辺りに手をやった。<br>
骨とは別に、ごつごつした感触がある。その辺りに、何かが埋め込まれているのだ。<br>
<br>
「今日も頼むぞ。調子はいいんだろう?」<br>
呟くと、答が返ってきた。<br>
聴神経を介さず、脳に直接告げられる答は、<br>
――イエス。<br>
オメガは、その返答に気をよくした。<br>
その気分のまま、ガレージへ歩き出そうとして――止まった。<br>
信じられないといった面持ちで、胸の辺りに手を当てる。<br>
そこには、つい先程まで殺人による充足感があったはずだが――今や、何もなかった。<br>
開放感や征服感で満たされて心が、今やぽっかりとした空洞を晒している。<br>
寒々とした寂寥感が、胸を蝕んでいた。<br>
(……畜生め)<br>
舌打ちした。<br>
充足感の後に、この空虚感がやってくることはいつものことだが――最近、特にそのローテーションが早い。<br>
満たされたと思っても、すぐに荒涼とした虚無がやってくる。<br>
「燃料が必要だ」<br>
呟き、オメガはガレージへと向かった。<br>
まだ見ぬ敵レイヴンに、陰鬱な思いを馳せながら。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
オメガと別れた後、大老はすぐに自室へ引き返した。<br>
デスクに座り、受話器を取る。<br>
特別なダイアルをプッシュし、バーテックスの本部――それも、ジャック・Oの執務室にのみ通じている、直通回線を呼び出した。<br>
「烏大老だ」<br>
言うと、渋い声が応じた。<br>
聞き間違えるはずがない。ジャック・Oの声だった。<br>
『……君か。首尾はどうだね』<br>
「オメガは任務に出る。遠からず、例の二人と接触するだろう」<br>
『ふむ……彼は、今回の敵にケルベロス・ガルムがいることは?』<br>
「知らないだろうな」 大老は断言した。<br>
「彼らは、どうやら旧知の仲のようだが……それだけだ。今もパイプを持っているとは考えにくい。<br>
ガルムの方は分からないが……少なくとも、オメガがガルムの動向を把握しているということはないだろう。<br>
無論、依頼文にも書いていない」<br>
これは、契約に反することだった。<br>
バーテックスは、専属レイヴンに全ての情報を開示することを、事前に約束している。<br>
<br>
だが、大老に悪びれた様子は少しもなかった。<br>
恐らく、ジャックにしてもそうだろう。<br>
彼らはバーテックスの本当の目的を知る、数少ない人員なのだった。<br>
『そうか……ご苦労だったな』<br>
ジャックは、ひとまず大老を労った《ねぎらった》。<br>
そうしてから、ふと純粋な興味を滲ませる。<br>
『ところで、君の目から見て、オメガはどうだね』<br>
大老はすぐさま応じた。<br>
この状況で訊かれることは、一つしかない。<br>
「期待はしていない。オメガがドミナントとは思えない」<br>
ジャックからの返答はなかった。<br>
理由を述べる時間を与えられた、と判断し、大老は率直に告げた。<br>
「快楽殺人者――そんなものが、のうのうとしていられるほど、戦場は優しくない。<br>
そんな連中は、本質的には弱者だ。ノミの心臓に、本物の力は宿らない」<br>
大老の口調は、きっぱりとしていた。<br>
それは四〇年に渡るレイヴン経歴で、大老が掴んだ実感なのだろう。<br>
ジャックは試すように言った。<br>
『彼には、あの装置がある。延髄と脊髄の合間に埋め込まれた、演算機だ。君も知っているだろう?』<br>
ジャックの言葉に、大老は目を細め、全方向に注意を向けた。<br>
少しの間耳を澄ませて、部屋は本当に大老一人か、外で聞き耳を立てている者がいないか、確かめる。<br>
そうしてから、ようやく会話に戻った。<br>
<br>
「……『未来の予測』、か。実際は、どの程度の代物なのだろうな」<br>
『それは、分からんね。だからこそ、オメガを闘わせ、その映像を実際に見てみる必要がある。<br>
オメガの動きを見てみれば、その「未来を予測する装置」――いや、いっそ「予知能力」としようか――「予知能力」がどの程度の代物か分かるだろう』<br>
そして、その予知能力が本当に正確であるのなら――オメガは、とてつもない実力者ということになる。<br>
戦闘において、未来の情報にはそれだけの価値があるのだ。<br>
しかし、<br>
「期待はできんな」<br>
大老は、尚も否定的だった。<br>
レイヴン歴の長い彼にとっては、信じがたい話なのだろう。<br>
そんな副官の様子に、ジャックは苦笑混じりに切り出した。<br>
『……そういうがな、烏大老。そもそも君は、快楽殺人者が戦場に存在できると思うかね?』<br>
「なんだと?」 思わぬ質問に、大老は聞き返した。<br>
ジャックは構わず、<br>
『普通は、無理なのだよ。戦場では、自分の命が掛かってる。<br>
そんな極限状態の中で、のんびりと殺人を愉しむのは――相当な精神的余裕がないといけない』<br>
「……『予知能力』が、オメガにそれだけの余裕を与えていると?」<br>
頷く気配があった。<br>
ジャックは、深い知性と洞察を感じさせる口調で、<br>
『可能性はあるだろう。「予知能力」は、大きなアドバンテージだ。命綱といっていい。<br>
「いざとなれば、この予知能力がある」……その思いが、オメガに殺人を愉しむほどの、享楽殺人者たりうるほどの余裕を与えているのかも知れない。<br>
とすれば……奴の「予知能力」は、それほどまでの信頼性がある、ということだ』<br>
電話の向こうで、パラパラと紙をめくる音がした。<br>
会話しつつも、ジャックは何らかの資料を参照しているらしい。<br>
<br>
『……何より……奴のミッション達成率は未だに100%だ。実力派レイヴンと相対した経験は……皆無だが――それでも、「予測能力」が一定の能力を持っていることは確かだろう。<br>
でなければ、これほどの成績は出ない。エヴァンジェでさえ、不可能だった』<br>
大老は、ジャックの――総帥の言葉に、長く息を吐き出した。<br>
ジャックの深い『読み』は、人生経験の長い大老をして、感服せしめるものだったのだ。<br>
大老よりもずっと若く、経験もない人間が聞けば、たまらず敬服していただろう。<br>
『可能性は、あるだろう?』<br>
言われ、大老はゆっくりと口を開いた。<br>
「なるほどな。しかし、それも……」<br>
大老は、それ以上言おうとしなかった。<br>
いずれにせよ、これ以上の考察は、結果を待たなくてはいけない。<br>
ジャックもそれを察したのか、早々に会話を締めくくった。<br>
『……そうだな。
いずれにせよ、今回でお手並み拝見だ。<br>
願わくば、輸送車もAC二機も全破壊する、ぐらいして欲しいものだがね』<br>
大老は、それがどれだけ困難な目標か知っていた。<br>
知りながらも、「そうだな」と応じ、受話器を置いた。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
ナインボール。<br>
かつて、そう呼ばれた無人ACがいた。<br>
そして、とんでもなく古い遺跡から、そのナインボールという機体が発見された。<br>
保存状態は、極めて良好だった。燃料を注入し、幾つかのパーツを交換すれば、すぐにでも動く状態だったという。<br>
旧世代に傾倒する企業達にとって、これはまさしく宝箱だった。<br>
中には金銀財宝の代わりに、魅力的なテクノロジーが沢山詰まっている。<br>
無論、発見者であるキサラギも、すぐさまそのナインボールの技術を解析した。<br>
完遂には十年もかかった。<br>
だが技術のキサラギは、最終的にナインボールのAI、その一部分をコピーするところにまで行きついた。<br>
そして、そのコピーした部分こそが――『未来の予測』に関するところだった。<br>
ナインボールの無敵さは、どうも『先読み能力』が優れていたことに、起因しているらしい。<br>
この能力が優れていれば、相手の動きが予測できる。常に、相手の裏をかける。<br>
特に、ナインボールの先読み力は尋常でなく――あるデータによれば、ほとんど予知に近いレベルだったという。<br>
裏をかえせば、それぐらいでなければ、レイヴンを相手に無敵伝説など作れない、ということだろう。<br>
オメガは強化人間手術の際、そのナインボールの『先読み能力』を、首筋に埋め込まれた。<br>
首筋から延髄の辺りに、ナインボールの強さを支えたAI、その一部分が実装されているのである。<br>
これは、何よりも心強いことだった。<br>
<br>
自分に太古の最強ACが宿り、常に的確な指示をくれるのだ。<br>
だから――<br>
(たまらないな)<br>
愛機に乗り込み、目的地へと向かう今も、オメガの表情に緊張は見られなかった。<br>
ばかりか、戦場に行く者としての、最低限の『気負い』すら見受けられない。<br>
彼の顔に浮かんでいるのは、無力な獲物を前にしたときの、陰湿な笑いだけだった。<br>
(……まず、どうしようか。何が出てくるのかにもよるが……)<br>
殺す算段をしながら、オメガはスティックを左に捌いた。<br>
重量逆関節に、これでもかと実弾武装を施したAC――クラウンクラウンが、街路を左に曲がる。<br>
その次の角は、右へ。その次も、右へ。四度目の角は、左へ。<br>
灰色のビルが立ち並ぶ、迷路のような空間だったが、オメガのスティック操作に迷いはなかった。<br>
周辺地図は、脳に直接叩き込まれている。強化人間の特権だった。<br>
「あと、少しか……」<br>
オメガは上唇を舐めた。<br>
脳内の地図によれば、目的地も近いのだ。少々早い到着になるだろうが――そこでようやく、殺しが始められる。<br>
オメガは唇を歪め、ポツリと呟いた。<br>
<br>
「……楽しみだなぁ」<br>
快楽殺人者――オメガにとって、戦闘は一方的な『殺し』だった。当然だ。予知能力がある限り、オメガは圧倒的に有利なのだから。<br>
そして、彼にとっての『殺し』とは、いわば『酒』なのだった。<br>
殺しの快感が、自分を酔わせてくれる。<br>
常に感じる空虚感を、寂寥感を、上手に誤魔化してくれるのだ。<br>
だが一度酔いが醒めてしまえば、再び薄ら寒い虚無と向き合わなければならない、という欠点もあった。<br>
それが嫌だった。どうしても。<br>
幼い頃よりじっくりと育んできた、心の空洞。胸に広がる、荒涼とした虚無感。<br>
自分には何もない。<br>
その思いを直視していると、焦燥感が身を焼き尽くそうとする。<br>
そこから逃れるためには――もう一度酔うしかない。<br>
それが、オメガがずっと繰り返し、蓄積していった、虚無と共存するノウハウだった。<br>
「……行くか」<br>
呟き、ブーストペダルをさらに強く踏み込んだ。<br>
クラウンクラウンが、眼前のトンネルへ向けて加速していく。<br>
それを抜けた先にあるのが――目的地、旧ナイアー産業区のはずだった。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
オメガは旧ナイアー産業区へとやってきた。<br>
長いトンネルを走り抜け、並木のように立ち並ぶビル、その谷間に愛機を静止させる。<br>
「到着した」<br>
基地に連絡すると、すぐに答が返ってきた。<br>
『了解した、オメガ。さすがに早いな』<br>
その言葉に、オメガは口元を歪めた。<br>
操縦服を着込み、ACに乗り込んでから、目的地到達まで僅かに十分。距離を考えれば最速に近いタイムだった。<br>
オメガは満足げに鼻を鳴らし、しかし言葉にはそんな気配は微塵も出さず、<br>
「……なに。私には造作もないことだ」<br>
『どうも、そうらしいな。大したものだ』<br>
「……それより」 オメガはレーダーに目をやった。<br>
「敵は? 周辺には、何の反応もないぞ」<br>
『本当か?』<br>
怪訝そうなオペレーターに、オメガは請け負った。<br>
「本当だとも」<br>
クラウンクラウンのレーダーには、自機以外何も表示されていなかった。<br>
オメガが早く来すぎた、ということを差し引いても――周辺二キロをカバーする、広範囲レーダーにまで何も映らないというのは、あまりにも奇妙だ。<br>
バーテックスが、作戦領域の設定を間違えた可能性さえある。<br>
<br>
オペレーターは不思議そうに、<br>
『……分かった。すぐ周辺を調べて……』<br>
「早くしてくれ。私は待つのが嫌いなんだ。このままいつまでも何も来なければ、腹いせに、周りのビルでも破壊してしまうかも知れない」<br>
オペレーターが驚くのが気配で分かった。オメガなら本当にやりかねない、と彼は知っているのだろう。<br>
オメガは意地の悪い笑みを浮かべる。<br>
「いやだな。冗談だよ、冗談」<br>
『じょ、冗談……?』<br>
「そうだ。もっとも、待つのが嫌いなのは本当だがね」<br>
言うと、オペレーターが慌てて応じた。<br>
『わ、分かった。すぐやる。待たせたりしない』<br>
その言葉の通り、オペレーターは十秒ほどで周辺の解析を終えた。<br>
正面のメインモニターに、解析結果が転送されてくる。<br>
オメガはそれを眺めて――<br>
(なんだ、これは)<br>
眉をひそめた。<br>
今回のミッションは、旧ナイアー産業区を通過する、敵輸送部隊を撃破しよう、というものだ。<br>
オメガはその輸送部隊を待ち伏せするため、早めに目的地へやってきたのだが――どういうわけか、輸送部隊の進行が遅いのである。<br>
すでにオメガは旧ナイアー産業区に到着しているというのに、その輸送部隊はまだアレーヌ居住区――ここより数キロも離れた地点をうろうろしていた。<br>
オメガが早く来すぎた、ということを差し引いても、尋常でないスローペースだ。<br>
距離が離れすぎているので、レーダーに映らなかったのも頷ける。<br>
バーテックスは、本拠地から追撃部隊を派遣したらしいが――このままでは、オメガの所へ辿り着く前に、その追撃部隊に捕まってしまうかも知れない。<br>
『こいつはひどい』<br>
思うところは、オペレーターも同じのようだった。<br>
呆れた調子で、<br>
『何考えてるんだ。この輸送部隊のアタマは、相当なボンクラだ』<br>
だがその直後、オペレーターの口調が一変した。<br>
コクピット内に、警報が鳴り響く。<br>
『輸送部隊から、反応が二つ分離! ACだ! 二機のACが、そっちに向かってる!』<br>
どうやら、敵は待ち伏せに気づいたらしい。<br>
戦力を先行させて、罠を破っておこうと考えたのだろう。<br>
(だがそれにしても、AC二機とは……)<br>
予想外の戦力に、オメガは正直驚いていた。<br>
だが、それだけだった。<br>
彼の表情には恐れも、気負いさえもない。<br>
目は冷酷に細められ、反面口元には愉しげな笑みが刻まれている。<br>
『戦闘』ではなく、一方的な『虐殺』を愉しむ者の表情だ。<br>
(そうとも。そもそも『これ』があれば、負けることなど……)<br>
首筋を撫で、上唇を軽く舐める。<br>
スティックを握り直す。<br>
両脚がうずうずと揺れ始めた。<br>
『一機が速い! 二機目に先行して、そちらに到達する! 距離、後300!』<br>
満を侍して、オメガはシステムクラッチを踏みつけた。<br>
<br>
『メインシステム 戦闘モード 起動します』<br>
<br>
メインカメラに空色の灯が点る。<br>
と同時に、突き当たりのトンネルから何かが飛び出してきた。<br>
それは勢いそのままに、こちらへ突っ込んでくる。<br>
強化人間の動体視力が、その正体をはっきりと捉えた。<br>
ほっそりしたフレーム。そんな中で目だつ、鋭角的に迫り出したコア。左手にはショットガンを持ち、右腕には――射突型ブレードを備えている。<br>
(METIS――ムームか……!)<br>
一瞬で看破し、オメガはトリガーを絞った。<br>
METISはマシンガンの集中豪雨に晒され、あっけなく前進を中断、慌てて――それでも妙にぎこちない動きで――ビルの陰に隠れていった。<br>
「ひどい動きだ」<br>
笑い、オメガはクラウンクラウンを跳躍させた。<br>
逆関節のジャンプ力にものを言わせ、一つのビルを飛び越える。<br>
そして飛び越えた先は――丁度METISの頭上だった。<br>
すぐさまサイトを下に向け、軽量ACをロック。グレネードを容赦なく打ち下ろした。<br>
クリーンヒットし、気持ちがいいほどの爆発が敵の頭部を吹き飛ばす。<br>
『しまったっ』<br>
敵レイヴンの悲鳴に、オメガは嗜虐心が満たされるのを感じた。<br>
知らず、口元が緩む。<br>
「いいね」<br>
言いつつ、機体を着地させた。METISの正面である。<br>
本当は、もっと長い間頭上という死角を占有できたのだが――それでは、あまりにも『狩り』がつまらない。<br>
METISはその慢心を見逃さず、すぐさま突っ込んできた。<br>
大威力の射突ブレードを、限界まで振りかぶっている。<br>
『ち、近すぎる! 何をやってる!』<br>
オペレーターが悲鳴を上げた。甲高い警告音が鳴る。<br>
だがオメガは慌てず騒がず、突っ込んでくるMETISをただ見続けた。いや――観察した。<br>
と、脳裏で何かが弾けた。<br>
首筋に埋め込まれたチップが、脅威的な速度で演算を開始する。<br>
相手の速度。距離。進行方向。果ては気温や湿度まで。<br>
そういったありとあらゆるデータを加味して、ナインボールのAIチップはMETISの動きを予測した。<br>
オメガはその予測に従い、機体がほんの少し左へ動かした。<br>
そしてそれだけの動きで、射突ブレードは回避される。<br>
鋼鉄の杭は、クラウンクラウンの脇の下をすり抜けてしまっていた。<br>
<br>
『何だと……』<br>
METISのパイロット――ムームが、呆然と呟いた。<br>
今の攻撃が最後の切り札だったのだろう。<br>
だが――その自信をへし折った。己の力で。<br>
オメガは満足げに笑う。
――まったく、たまらない。<br>
今の能力こそ、オメガの真骨頂だった。<br>
脳に埋め込まれたチップにより、相手の動きを予測できる。しかも的中率は高い。予知能力のようなものだった。<br>
(……他のプラス《強化人間》の連中が、これを付けないのが不思議なくらいだ)<br>
優越感に浸りつつ、右腕のガトリングをMETISに突きつけた。<br>
さすがに、もう遊ぶつもりはなかった。敵ACはもう一機いるのだ。いつまでもMETISを生かしておけば、二対一になってまう。<br>
(名残惜しいが……)<br>
トリガーの指に力を込めた。<br>
だが――そこで止まった。<br>
トリガーが引けない。意に反して、人差し指が動かない。<br>
ばかりか――体そのものが、痺れたように動かない。<br>
歪んだ笑みのまま硬直するオメガに、ムームから声が来た。<br>
『まだだ……!』<br>
はらわたが煮えくり返るような怒りを、無理矢理一言へ圧縮する。<br>
そんな声だった。 知らず、喉がごくりと鳴る。<br>
『死ね……』<br>
眼前のMETISが、射突ブレードを振りかぶった。<br>
隙だらけの挙動。とろすぎる予備動作。<br>
普段のオメガなら簡単に回避し、カウンターを見舞うことが可能だった。<br>
だが、今は違った。<br>
信じがたい事に、足が竦んでいたのだ。<br>
「う、うわぁっ」<br>
裏返った悲鳴をあげ、オメガは機体を後ろにダッシュさせた。<br>
直後、METISが射突ブレードを繰り出した。<br>
鋼鉄製の杭が、コアの数センチ先まで伸びてきて――ギリギリで止まった。<br>
あと少し反応が鈍ければ、コクピットを剔られていただろう。<br>
<br>
(た、助かった……)<br>
安堵しつつ、バックダッシュで間合いを取った。<br>
そうして安全圏に脱してから――ようやく、まともな思考がスタートする。<br>
(……待て)<br>
オメガの顔から、すっと一切の表情が消え失せた。<br>
自分は何をやった。<br>
逃げた? この程度の相手を怖れた、だと?<br>
このオメガが、気圧され、尻尾を巻いて逃げだしたというのか。<br>
「……なんだとくそっ」<br>
屈辱だった。かつてない失態だ。<br>
恐怖の反動で、ぐつぐつと怒りが沸き上がる。<br>
顔が悪鬼のように歪む。<br>
だがそんな怒りの奔流の中――奥底に、妙な感情が芽生えた。<br>
微かな羨望、劣等感、そして嫉妬だ。<br>
オメガはわけが分からなくなった。<br>
この自分が、METISのどこにそんな感情を抱くというのか。<br>
苛立ちで胸が爆発しそうになった。<br>
(くそっ)<br>
全ての疑問を振り切るように、オメガはブーストペダルを踏みつけた。<br>
全速力でMETISに殺到する。<br>
これ以上、このACを生かしておきたくなかった。<br>
「ふざけやがって!」<br>
オメガは肩のチェインガンから、景気よく弾をばらまいた。<br>
METISは慌てて回避行動に入るが、そんなもので避けきれるはずもない。<br>
METISの軽量装甲に、次々と弾丸が突き刺さっていく。<br>
(……生意気な真似をしやがって……!)<br>
と、METISが動きを止めた。<br>
被弾反動で動けなくなったのだ。バランサーである頭部を失った状態で、チェインガンを貰い続ければ――いつかはこうなる。<br>
オメガはそのチャンスを見逃さなかった。<br>
クラウンクラウンが、左グレネードをMETISへと向ける。<br>
「死ね」<br>
トリガーを、引いた。<br>
砲口からグレネードが吐き出され、一直線にMETISへと迫る。<br>
だがその進路上に、突如として巨大な影が現れた。<br>
その巨体は、METISの代わりにグレネードを受け止める。<br>
閃光、そして轟音。<br>
一撃でMETISの頭部を吹き飛ばした爆発が、現れた巨体を直撃した。<br>
オメガは撃破を確信したが――すぐに、唖然とした。<br>
一つ目の理由は、もうもうと立ちこめる黒煙、その中から進み出てくる巨体――いや、ACにダメージを受けた様子がなかったことだ。<br>
コア表面に焦げ目が着いている程度で、腕部、脚部、頭部、コア、どこも損傷した様子はない。恐ろしく固い機体だった。<br>
そして二つ目の理由は――そのACが『ニフルヘイム』という名前であり、知り合いの愛機であるからだった。<br>
「……ガルムか?」
オメガは確認するように呟いた。<br>
だが、誤認のはずもない。<br>
重量二脚に、でっぷりしたコア、角張った腕部、平べったい頭部。それらが紫一色に染め上げられている。<br>
これほど特徴ある機体を、見間違えるはずもなかった。<br>
『ああ。そっちは、クラウンクラウン……なるほど、オメガか』<br>
案の定、あっけなく肯定が返ってきた。<br>
オメガは心底驚いて、<br>
「……ガルム。見ないと思ったら、そんなちっぽけな勢力にいたのか」<br>
『ちっぽけとは、心外だな』<br>
「ちっぽけさ。どうしてそんな場所にいやがる。ジャック・Oはお前を捜してたぞ」<br>
一連の言葉に、ガルムが笑った。<br>
『こっちの勝手だ。ついうっかり、いい女を見つけてしまった』<br>
誇らしげな口調だった。<br>
実のところ、オメガも大体の所は察していた。<br>
ムームとガルムが、一緒に現れたこと。あのケルベロス・ガルムがムームを庇ったこと。何より、事前情報もその可能性を示唆していた。<br>
だが心のどこかで、認めたくなかったのだ。<br>
「……惚れでもしたのか」<br>
諦めたような口調で言うと、ガルムは認めた。<br>
<br>
『そうだ。だからバーテックスの誘いは、断らせてもらった』<br>
その口調には、数年前の荒々しさなど欠片もなかった。<br>
心の拠り所を見つけ、そこに尽くすことを誇りとしている者の口調だった。<br>
そこには、かつての面影など少しもない。<br>
数年前、似たもの同士でタッグを組んでいたのだが――その時は、オメガと同じような空気を纏っていたはずだ。<br>
だが今は、彼の言動にまとわりついていた、倦怠感、苛立ち、そして虚無感は綺麗に一掃されている。<br>
かつてのガルムが、有り余るエネルギーを持て余すチンピラだとすれば――今のガルムは、そのエネルギーを残らず『ムームを守ること』につぎ込んだ、素晴らしく立派な騎士だった。<br>
「……そうか」<br>
ざわり、と心が波立つのを感じた。<br>
先程ムームに感じた、羨望、劣等感、嫉妬が、より強い形で再来した。<br>
三年の間に、この男はここまで変わった。それほどのものを手に入れたらしい。<br>
それに引き替え――自分は。<br>
オメガはその先の思考を、死に物狂いで千切って捨てた。<br>
貯め込まれた劣等感は、そのまま怒りと憎しみに雪崩れ込んだ。<br>
「今は敵同士だ。殺す」<br>
殺せば、全てチャラにできる。<br>
そう念じ、オメガはブーストペダルを踏みつけた。<br>
『お互いレイヴンだ。容赦はしないぞ』<br>
ニフルヘイムも両手の武器を構え、迎撃の体勢をとる。<br>
だが、クラウンクラウンは空中に飛び上がり、ニフルヘイムを飛び越えてしまった。<br>
面食らったような声が、ニフルヘイムから漏れてくる。<br>
だがすぐに、危機的な悲鳴に変わった。<br>
『まさか……!』<br>
ガルムの声を笑いつつ、オメガは機体を着地させた。<br>
ニフルヘイムの遙か後方、METISの背面である。<br>
驚き、硬直するMETIS、その背中にクラウンクラウンは右腕のガトリングを突きつけた。<br>
<br>
「お前からだ」<br>
途端、ガルムが叫びをあげた。<br>
ニフルヘイムがOBで突っ込んでくる。<br>
現在の位置関係では、ニフルヘイムはクラウンクラウンを攻撃できないのだ。なにせ、二機の間にはMETISがいる。クラウンクラウンを撃てば、丁度METISに当たってしまうのだ。<br>
(予想通りだ)<br>
オメガはほくそ笑んだ。<br>
首筋の予知機能――『チップ』が予想した通りの成り行きだったのだ。<br>
オメガはすでにロックしてあった背部のミサイルを、連動ミサイルと絡めてニフルヘイムに撃ち放った。<br>
連動ミサイルも、背部のミサイルも、上手い具合にMETISを左右から迂回した。そういう機動のミサイルなのだ。<br>
驚いたのはガルムだ。<br>
METISの裏側から、突如大量のミサイルが飛来したのだ。<br>
そして、OBの機動はあまりにも単調で、ミサイル回避は不可能だ。<br>
結果、ニフルヘイムに全てのミサイルが直撃した。<br>
熱暴走したに決まっていた。<br>
今が絶好のチャンスだった。<br>
『ガルム!』<br>
ムームの叫びをあざ笑うかのように、オメガは機体を跳躍させた。<br>
空中でEOを起動、チェインガンとグレネードを構える。そのまま、紫の巨体に銃弾の雨を降らせた。<br>
さすがに重装甲であり、すぐには死なない。<br>
だが、明らかに効いている。<br>
十秒ほどで、ニフルヘイムの脚部とコアから、黒煙が吹き出した。<br>
(もう一押しだ)<br>
思ったところで、ぞっとするような声がきた。<br>
『やめろっ』 決して大きな声ではなかった。<br>
だが、ずしりと胸を圧迫する気配があった。<br>
声の主は――またもムームだ。<br>
オメガの中で、何かが激しく軋みを上げた。<br>
「また貴様か!」
オメガは標的をMETISに移した。<br>
空中で方向転換、METISに向き直ると、新たにミサイルを構えた。高威力のミサイルを、空中から降らす予定だった。<br>
だがミサイルがロックを開始した時、オペレーターから声が来る。<br>
『オメガ! ACは放っておけ!』<br>
信じられない指示だった。<br>
無視しようと思った。<br>
しかし、次の言葉がオメガを引き留めた。<br>
『作戦失敗になる! 輸送車を破壊するんだ!』<br>
オメガは慌てて、遠方の交差点に目をやり――愕然とした。<br>
十字路を、小型のトラックが駆け抜けていく。それも、次々と。かなりの速度だ。<br>
(あの一台一台が、輸送車だと……?)<br>
だとしたら、今行かないと間に合わない。<br>
オメガは機体を地上に戻し、ブーストペダルを踏みつけた。<br>
クラウンクラウンが、輸送車を地上ブーストで追いかける。<br>
「……輸送車はトレーラーじゃなかったのか? 話が違うぞ!」<br>
言うと、オペレーターが悔しそうに応じた。<br>
『恐らく、トレーラーの中に、小型の車両を隠していたんだ。今高速で走っているのが、その小さい方の車両だ。トレーラーは、恐らく途中で乗り捨てたんだろう』<br>
「何でそんな真似を!」<br>
『恐らく……完全に逃げ切るためだ。小型車両は、足が速くて小回りが利く。幅の狭い裏路地も走破できる。逃げるには、こちらが有利だ。<br>
後……どうも、乗り捨てられたトレーラーが、バーテックスが派遣した追撃部隊の……その、進路を塞いでいるらしい』<br>
オメガは思わず声をあげた。<br>
「何だとっ?」<br>
『つまり、そういうことだ。追撃部隊は、まんまと無力化された。もはや輸送部隊を止められるのは、位置の近いお前だけだ。<br>
そして、そのクラウンクラウンをAC二機で妨害する……考えたもんだ、くそっ!』<br>
悔しいのはオメガも同じだった。<br>
一杯食わされたのだ。<br>
思えば、輸送部隊の動きがのろかったのも、トレーラーに小型車を積んでいたからだろう。過積載だったのだ。<br>
こればかりは、『チップ』でも予想できなかった。<br>
(こうなれば……意地でも追いつく!)<br>
決意した直後、コクピットを衝撃が突き抜けた。<br>
後ろからだ。<br>
ブースターが不調を訴え、速度がみるみる落ちていく。<br>
猛烈に悪い予感を感じ、クラウンクラウンは後ろを振り返った。<br>
そして案の定――そこには、METISが迫っていた。<br>
しかも、右腕の射突ブレードを大きく振りかぶっている。<br>
<br>
『もう一発……!』<br>
再び、鋭い衝撃。<br>
ブースターを傷つけたらしく、速度がさらに落ち込んだ。<br>
機体温度が上昇し、熱暴走まで始まる。<br>
(いつの間に……!) オメガは歯を食いしばった。<br>
甘く見ていた。<br>
METISの搭乗者は雑魚だが、その機動力は本物なのだ。<br>
かつ、視界の届かない範囲は――特に背部には、『チップ』の予測が及ばない、という欠点がもろに出てしまった。<br>
オメガは意味不明の悪態をつきながら、速度を調整、METISの背後に回り込んだ。<br>
そこから、ガトリングをぴたりと構える。<br>
狙うのは、METISの脇腹――ジェネレーター部位だ。<br>
<br>
『ムーム! だめだ!』<br>
ガルムの悲鳴に、一変、苛立ちがすっと消えていくのを感じた。<br>
――ざまあみろ。 口元を歪め、トリガーを絞る。<br>
ガトリングの砲身から、無数の弾が吐き出され、残らずMETISに突き刺さった。<br>
高速移動していたMETISは、火花をまき散らしながら転倒した。<br>
死んだ。<br>
その確信と共に、オメガはその死骸を飛び越え、輸送部隊を追おうとした。<br>
今なら、まだ間に合うのだ。<br>
だがその背中に、今度はニフルヘイムが強烈なタックルを見舞った。<br>
クラウンクラウンはバランスを崩し、そのまま近くのビルに突っ込んだ。<br>
「邪魔するな――!」<br>
叫びが、口をついて出た。<br>
オメガはさらに悪態を吐こうとして――やめた。<br>
というより、言葉を失った、という方が正しい。<br>
体勢を立て直したクラウンクラウン、その前に立ちはだかるニフルヘイムは――ボロボロだった。<br>
右腕は千切れ、頭部は吹き飛んでいる。体の各部から絶えず黒煙が噴き上がり、満載していた武装も、左腕のハンドガンだけになっていた。<br>
『ここは通さん……!』<br>
ニフルヘイムが、半壊したハンドガンを突きつけてくる。<br>
それは、あまりにも無様な姿だった。そもそもハンドガン一丁で何ができるというのか。<br>
しかも、首筋の『チップ』は、そのハンドガンも発砲できる状態でないことを告げていた。<br>
だがオメガは、その姿に――気圧された。<br>
ごくりと喉を鳴り、体が痺れる。<br>
まるでムームの気迫が、ガルムに乗り移ったかのようだ。<br>
「……何なんだ……」<br>
オメガの顔が歪んだ。<br>
理不尽な仕打ちに涙ぐむ子供、そんな表情だった。<br>
「何だっていうんだ、くそっ」<br>
悪態に応じるように、今度はMETISが身を起こした。<br>
こちらも、ボロボロだった。というより、まだ息があったこと自体が奇跡だった。オメガはパイロットの即死さえ確信していたのだ。<br>
事実、機体状況はニフルヘイムよりひどい。<br>
ジェネレーター部位が、高温で溶解を始めている。バランサーが壊れたのか、右脚が激しく痙攣し、少し押すだけで倒れてしまいそうだ。<br>
だがそれでも、METISは立っていた。<br>
立って、オメガにショットガンを向けてきた。<br>
『行かせない。組織の命綱なんだよ、輸送部隊の連中は』<br>
その言葉が、ハンマーのように叩きつけられた。<br>
胃がむかむかした。<br>
あらゆる感情がごたまぜになり、胸の中で激しくうねった。<br>
(……なんだ、お前らは……!)<br>
そんなに輸送部隊が大事か。<br>
何で、そこまで闘える。戦闘など、もう不可能なくせに。<br>
何で、わざわざ俺の前に立ってくるんだ。諦めて寝ていればいいものを。<br>
『……ガル』<br>
ふと、ムームが口を開いた。<br>
ガルムはそれだけで何かを察したらしく、<br>
『いい。気にするな』<br>
『……しかし』<br>
『俺は満足してる。悪くない人生だったぞ』<br>
ガルムの口調には、笑いが滲んでいた。<br>
彼は本当に満足しているのだ。<br>
途端、オメガの中で何かが爆ぜた。<br>
ありとあらゆるストレスが、そのはけ口を見つけて動き出した。<br>
チェインガンを選択、ニフルヘイムに照準する。<br>
そのまま、何も考えずにトリガーを絞った。<br>
高威力の銃弾が、ニフルヘイムの上半身をズタズタに引き裂いた。<br>
紫の巨体が、炎上し、仰向けに倒れる。<br>
<br>
『ガル……!』<br>
ムームの悲鳴に、オメガはサディスティックな喜びを覚えた。<br>
だが――足りない。<br>
感じていた苛立ちも、焦りも、消える気配はなかった。<br>
どころか、苦い敗北感に変わりつつある。<br>
オメガは、今度はMETISに砲口を向けた。<br>
「残念だったな」<br>
死に物狂いで、嫌みな口調を捻り出した。<br>
「お前は死ぬ。そうだ、輸送部隊が物資を届けても、武装勢力のボスが死ぬわけだ。よく考えれば、それで終わりじゃないか、お前の組織は!」<br>
だがムームは、怯まなかった。<br>
小さな声で、だがしっかりと、こう言い返す。<br>
『……終わりじゃないよ』<br>
すでに後継者が決まっているのかも知れない。あるいは、彼女は本当のリーダーではないのかもしれない。<br>
いずれにせよ、それはオメガが願っていたものとは、正反対の文句だった。<br>
やはりな、と思う一方、苛立ちは消えなかった。<br>
オメガはトリガーを絞り、METISに無数の銃弾を撃ち込んだ。<br>
装甲の薄いMETISは、上半身を引き裂かれ、倒れる。<br>
今度こそ本当に息絶えたはずだった。<br>
しかし――苛立ちも焦燥も、残ったままだ。<br>
「くそっ」<br>
オメガは内壁を殴りつけた。<br>
成功率60%を超えていた、輸送車を撃破するという任務に、失敗したこと。<br>
見くびっていた二人のレイヴンに、一杯食わされたこと。<br>
そして、最初からガルムやムームに感じていた、正体不明の羨望や、劣等感や、苛立ち。<br>
それらが複雑に入り乱れていた。<br>
ひどく、もやもやとした気持ちだ。戦場でなければ、叫び出していたかも知れない。<br>
『……レイヴン、輸送部隊の反応が消えた。逃げられた。<br>
……まぁ、厄日だな』<br>
オペレーターが、オメガを労うように《ねぎらうように》言った。<br>
『気にするな、仕方がなかった。トレーラーの仕掛けに気がつかなかったのは、こちら側のミスだ。だから……』<br>
「だから、何だ」<br>
オメガの口から、不気味なほど平坦な声が漏れた。<br>
『いや、だから……』<br>
オメガはオペレーターを無視し、スティックを握り直した。<br>
右腕のガトリングを、倒れたMETISへと向ける。<br>
『……どうした、レイヴン?』<br>
「黙れ」<br>
言って、ガトリングをぶっ放した。<br>
もはや動かないMETISに、高威力の銃弾が降り注ぐ。<br>
細身のフレームの上で、着弾の火花がダンスを踊る。<br>
無抵抗のMETISは、すぐさまくず鉄の山になってしまった。<br>
『レイヴン! どうした!』<br>
「うるせぇ!」<br>
オメガは発砲を止めなかった。<br>
まるでそうすることで、失ったプライドが、精神の土台が、返ってくると信じているかのように。<br>
しかし――オメガの意に反して、死体にむち打つクラウンクラウンの姿は、無様だった。<br>
まるで、手当たり次第に噛みつく、怯えきった子犬のようだ。<br>
――畜生!<br>
オメガは唇を噛みしめた。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
オメガは、これ以上ないほど惨めな思いで帰還した。<br>
ガルムとムーム、両名の賞金が払われ、大幅な黒字となった。作戦の失敗も、情報ミスということでオメガの責任は不問となった。むしろ、レイヴン二名を返り討ちにした、オメガの手腕は評価された。<br>
この結果から見れば、今回の出撃は成功の部類に入るだろう。<br>
金も入り、組織内での株も上昇した。文句の付け所など一つもない。<br>
しかしその一方で――オメガが、何か大事なものを喪ったのも確かだった。<br>
現に、今まで彼が安住していた土台は、丸ごと消え失せていた。<br>
他の者共に抱いていた、心地よい優越感が感じられなくなっている。ばかりか、劣等感がじわじわと心を蝕んでいた。<br>
何より深刻なのが――虚無だ。<br>
今までにない強さで、荒涼とした虚無が胸中に吹きすさんでいる。<br>
自分には、何もない。ガルムは、命を落とすに値するものを、いつの間にか手に入れていたにも関わらず。<br>
何も持たないまま、ここまで来てしまった。<br>
そう思う自分に嫌気が差し、オメガは唇を噛みしめた。<br>
「……何だってんだ」<br>
小さく吐き捨てると、近くの下士官がびくりと体を揺らした。<br>
どうやら、聞こえていたらしい。<br>
だがオメガはそれにさえ気づかず、ぶつぶつと呟きながら、基地の通路を進んでいく。<br>
<br>
「帰ってきたのか」<br>
そのまましばらく進んでいると、不意に、後ろから声を掛けられた。<br>
しわがれた声で、やはり一発で分かった。<br>
「あんたか、烏大老」<br>
振り向くこともせず応じる。<br>
大老は特に気を害した様子もなく、こう訊いてきた。<br>
「苦戦したようだな」 オメガの眉が跳ね上がった。<br>
平静の声を出すのに苦労した。<br>
「……少しな」<br>
「依頼も失敗したようだな。生涯初めての失敗は、この24時間でついたか」<br>
「……何が言いたい」<br>
言葉に若干の険がこもるのを、止められなかった。<br>
だが大老は、それにも動じずこう言ってのけた。<br>
「総帥は、お前の能力を疑問視している」<br>
顔が強ばった。<br>
「……なんだと?」<br>
「言葉の通りだ。総帥は、お前の能力を見限りつつある。<br>
組織の建前としては、お前の責任は全て不問となっている。<br>
だが、それは総帥本人の思惑とは違う。<br>
今回の『失敗』で、総帥はお前の評価を大きく下げた」<br>
途端、オメガが爆発した。<br>
振り向き、大老に食ってかかる。まるで全存在を否定されたかのような激高ぶりだった。<br>
「ふざけるなっ!」<br>
その言葉が廊下中に響きわたった。<br>
通行人の視線が集中するが、オメガは気づきもしない。<br>
大老の胸ぐらを掴み、<br>
「俺が、なんだと!」<br>
「落ち着け」<br>
「あんな野郎に何が分かるってんだ!」<br>
今やオメガは、かつての紳士然とした仮面を、完全に捨て去っていた。<br>
大老に驚きが見られないのは――きっと、彼の眼力はオメガの本性を見抜いていたからだろう。<br>
「……いいから、落ち着け、オメガ。お前にいい話がある」<br>
そう言い、大老は依頼書をオメガに突きつけた。<br>
上辺のミッション名の欄には、『保管区制圧阻止』と書かれていた。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
大老の言い分はこうだ。<br>
ジャック・Oは、先の『輸送部隊撃破』の任務において、『完遂』を求めていた。<br>
METISとニフルヘイムを撃破し、かつ、高速で逃げる輸送部隊を残らず撃滅する――こういった結果を求めていたというのだ。<br>
無茶、とは言えなかった。<br>
ACにはそれだけのポテンシャルがある。それを引き出せなかったからこそ、オメガのプライドはああまで傷ついたのだ。<br>
そしてジャックは、オメガがそのポテンシャルを引き出せなかったことに、深い失望を覚えている。<br>
しかし、まだチャンスはゼロではない。<br>
本日18時頃に、ジャックが認めるレイヴンが、『資材保管区』へやってくる。<br>
アライアンスより、その施設の奪還命令を受けているのだ。<br>
そしてそのレイヴンを撃破すれば、ジャックは評価を改めるだろう。<br>
弱者の扱いを受けずに済むのである。<br>
<br>
『もっとも……』<br>
<br>
頭の中に、大老の声が蘇った。<br>
<br>
『楽な仕事ではない。奴は強い。本当に強い。<br>
ドミナントの噂さえ流れている。それでも、やるか?』<br>
<br>
大老の問に、オメガは迷わず応と答えた。<br>
そして契約書にサインし、パイロットスーツを着込み、愛機に乗り込んで、ここ――資材保管区へとやってきたのだ。<br>
しかし――<br>
(……いくら何でも、狭いな)<br>
オメガはコクピットから周辺を見渡し、眉をひそめた。<br>
<br>
彼がいるターミナルエリアは、資材保管区の中で最も広いエリアだ。だが、それでも手狭である感じは否めない。<br>
床面積はアリーナの三分の一もないし、壁のあちこちから梁《はり》のような道路が走っている。<br>
旋回性能が低い逆関節には、不利なマップだった。天井が低いので、持ち前のジャンプ力も生かしづらい。<br>
(やはり、最後に頼りになるのは、こいつか)<br>
オメガは首筋を撫でた。<br>
その辺りには、オメガの切り札『チップ』が埋め込まれている。相手の動きを予測してくれる、魔法の一品だ。<br>
(……こいつがあれば、負けない)<br>
オメガは自分に言い聞かせた。<br>
そうとも。相手が何であろうと、自分は未来を読める。<br>
常に、相手の裏をかける。<br>
このチップがある限り、オメガは圧倒的に有利なのだ。<br>
狩られる側と狩る側は決まっており、オメガは常に狩る側だ。<br>
先の戦いなど、本当なら気にする必要はないのである。<br>
『レイヴン!』<br>
思っていると、通信が入った。オペレーターからだった。<br>
『敵ACが保管区に侵入! あと数分で、そちらに到達する模様!』<br>
ついに来た。<br>
オメガは顔を引き締め、システム・クラッチを踏みつけた。<br>
『メインシステム 戦闘モード 起動します』<br>
オメガは、まだ見ぬ対戦者に――いや、獲物に思いを馳せた。<br>
ジャックが見込んだ相手だ。自分の機嫌はひどく悪いが、それでも勝利すれば、『酔える』だろう。<br>
いや、酔わなければいけない。<br>
早く、先の戦いを忘れなければいけないのだ。<br>
(……まだか)<br>
と、突き当たりのシャッターが開いた。<br>
まさか、と思った。早すぎると思った。<br>
だが、そのまさかだった。<br>
ぽっかりと口を開けた出入り口から、中に歩んでくるのは――ブリーフィングで見たとおりの機体だった。<br>
名は、ファシネイター。<br>
ダークパープルに染め上げられた、スリムかつ滑らかなフレーム。<br>
だがその反面、マシンガン、ブレード、ロケットにミサイルと、これでもかというほど攻撃的な武装をしていた。<br>
特徴的なグリーンのモノアイが、ゆっくりと辺りを睥睨し――やがて、その視線がオメガをまっすぐに射抜いた。<br>
強い。<br>
見つめられ、オメガは背筋を震わせた。<br>
オメガは、AC戦の経験が乏しいが――それでも、ナンバー1の威圧感だった。<br>
「……そこまでだな」
動揺を悟られまいと、オメガは強い口調を捻り出した。<br>
「易々とここを明け渡すわけにはいかない!」<br>
言いながら、オメガはブーストペダルを踏みつけた。クラウンクラウンが左へスライドダッシュ。<br>
途端、今までいた場所にロケットが突き刺さった。<br>
ぎりぎりで避けられたのは、予測装置――『チップ』が危険を教えてくれたからだ。<br>
(危なかった)<br>
だが、やはり『チップ』の予知は役に立った。こちらの方が一歩上を行っている。<br>
(……いける!)<br>
確信し、オメガはチェインガンを構えた。<br>
瞬時に照準、ファシネイターへ向かって高威力の弾丸をばらまいた。<br>
しかし、ファシネイターは怯まなかった。<br>
チェインガンの雨の中、ブースト全開で突っ込んでくる。<br>
装甲にモノを言わせた突撃だった。<br>
オメガが会心の笑みを浮かべる。<br>
千載一遇のチャンスが、まさかこんな早くに回ってこようとは。<br>
『チップ』の予知をもってすれば、カウンターをとるのは造作もないことなのだ。<br>
(焦ったな)<br>
オメガは『チップ』を起動させた。<br>
こちらに突っ込んでくるファシネイター、その姿が網膜から脳へ、そして脳から『チップ』へと移動する。<br>
『予測結果』が出るまで、コンマ一秒もかからなかった。<br>
オメガはその結果の通りにスティックを捌き、機体をファシネイターの右側面へ逃がした。逃がそうとした。<br>
そこは敵にとっての死角であり、そこに入り込めば、悠々とカウンターをとれるはずだった。<br>
<br>
だが、機体は動かなかった。<br>
動くより早く、鋭い衝撃が――ファシネイターが放ったロケットが、クラウンクラウンを釘付けにしていたのだ。<br>
(ロケットっ?)<br>
オメガにとっても、『チップ』にとっても、まるっきり考慮の外だった。<br>
実のところ――この時点で的確な回避行動をとっていれば、追撃は避けられたのだが、オメガは激しく動転していた。<br>
信じ切っていた『予測の力』、それが初めて外れたのである。<br>
軽いパニックですらあった。<br>
結果、ファシネイターの追撃を――ブレードをまともに喰らった。<br>
鮮やかなブルーの刀身が、クラウンクラウンのコアを一閃する。<br>
<br>
『コア損傷』<br>
<br>
たった一撃で、このダメージ。<br>
慌ててAPを確認すると、なんと1200も吹き飛んでいた。とんでもない威力だ。<br>
オメガはブーストペダルを踏みつけ、機体を左へジャンプさせた。<br>
まずは距離をとろうと思ったのだ。<br>
が、甘かった。<br>
ファシネイターは信じられない反射速度でその動きに気づき、すぐさまクラウンクラウンの後を追った。<br>
機動性の違いか、一瞬で追いつかれた。<br>
逃げられない。<br>
オメガは反射的に、機体をファシネイターの方へ向けた。<br>
そのまま左腕のグレネードを撃ち放つ。<br>
至近距離での発砲であり、避けることは不可能だった。燃えたぎるグレネードが、ファシネイターのコアを直撃する。<br>
ファシネイターの上半身が、爆炎に包まれた。<br>
だが――それだけだった。<br>
ファシネイターは、止まらない。<br>
炎を振り払うような速度で、こちらに突っ込んでくる。その左腕では、ブレードが長く伸ばされていた。<br>
「なんだと……」<br>
オメガが息を呑み、怯んだ。<br>
反撃を怖れず、クロスレンジへと機体をねじ込んだ心意気に――威圧感を感じていた。それも、ガルムやムームに感じたものと、同種の威圧感だ。<br>
「くそっ」<br>
オメガは最後の望みを賭け、もう一度『チップ』を起動させた。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
オメガの戦場から数一〇キロも離れた、バーテックスの拠点。<br>
烏大老はそこの通路で、携帯テレビを眺めていた。<br>
傍目には、ただ単に壁に背を預け、映画でも観ているように思える。<br>
しかし、大老が観ているのはそれではない。<br>
携帯テレビの小さな画面は、今まさに資材保管区で展開されている、オメガとファシネイターの戦いを映している。<br>
現地の映像が、この小型テレビに転送されているのだ。<br>
(……やはり、厳しいか。ガルムとムームを倒したというから、『底力』の方には少しは期待したのだが……)<br>
一部始終を眺め、大老は鼻を鳴らした。<br>
丁度、オメガがファシネイターに斬られる所だった。これで、二度目である。<br>
開始直後に一回、その攻勢から逃げようとしたところを、追撃されてもう一回。<br>
無様なものだった。<br>
「まぁ、こんなものか……」<br>
失望と安堵を半々に、大老は息を落とした。<br>
と、横から声をかけられる。<br>
「よお」<br>
「……マックスか」<br>
軽々しい挨拶に、大老は声だけで応じた。その間も、視線は画面を見つめたままだ。<br>
マックスと呼ばれた壮年の男は、小さく笑うと、大老にそっと問いかける。<br>
「……で、どうだ。オメガは」<br>
マックスは、大老のオペレーターだった。組んで数十年になる。<br>
そして彼ら二人は、ジャック・Oの真意を知る数少ない人間だった。<br>
オメガの戦いを監視するのも、ジャックの真意――すなわち、『ドミナント選定』絡みの話である。<br>
「……俺的には」<br>
マックスは続けて言った。<br>
「オメガがドミナントっていうのはどうにも信じがたい。<br>
大老、実際のところはどうだ」<br>
「……だめだな」<br>
断言にも、マックスは動じなかった。<br>
「だめか」<br>
「そうだ」<br>
「……やっぱりな」<br>
マックスが肩をすくめて見せた。<br>
そのタイミングで、画面の中でクラウンクラウンが斬られた。三度目だ。頭部を吹き飛ばされ、逆関節のACは慌てて距離を取る。<br>
「……オメガは、姿勢に力がない。これは、結局最後まで変わらなかった」<br>
それを観つつ、大老は呟いた。<br>
「奴は、戦いと本気で向き合っていない。殺人に快楽を覚えるのは、奴の勝手だ。<br>
だが少なくとも、奴には真摯さが足りない。<br>
相手への怨念が足りない。これでは、腹を括って闘いに挑む、本物のレイヴンには及ばない」<br>
厳しい評価だった。<br>
だが、現実である。オメガがムームやガルムに気圧されたのは、まさにこの『覚悟』の違いだったのだろう。<br>
もっとも、先の戦いの後半では、オメガにも若干の気迫があったが――それは『逆上』と呼ばれるものだ。<br>
無力だと信じ込んでいた獲物に、噛みつかれ、プライドを傷つけられる。そしてキレた。<br>
それだけの話なのだ。<br>
『覚悟』とはほど遠い。<br>
マックスが付け加えるように、<br>
「『チップ』は? オメガには、それがあるんだろ、予知能力が」<br>
「……そんなもの当てにならん」<br>
大老は吐き捨てるように言った。<br>
「映像を見て、分かった。オメガに載っている『チップ』は、ナインボールや管理者無人ACのに比べると、遙かに不出来だ。<br>
あれで動きが予測できるのは、せいぜいMTか下位のレイヴンだけだ。<br>
敢えて言おう、俺でも勝てる」<br>
「……でも、ガルムに勝ったんだろ? ガルムは腕利きじゃないのか?」<br>
「思い出せ。ガルムはムームを庇ってしまった。それで動きが、MT並に直線的になっていた。<br>
恐らく奴一人であれば、決して遅れは取らなかっただろう」<br>
大老の言葉に応じるように、クラウンクラウンの左腕が千切れた。どうやら、またブレードで斬られたらしい。<br>
手も足も出ないとはこのことだった。<br>
「……オメガ自身の技術も、未熟だ。そして頼みの『チップ』も、役立たずであることが分かった。<br>
もっと早い段階で、腕利きのレイヴンと当たっていれば、化けの皮も剥がれたのだろうが……」<br>
容赦のない大老に、マックスは尋ねた。<br>
<br>
「……つまり、勝てない?」<br>
「そうだ。技術も、精神力もない男だ。奴にあるのは、せいぜい――」<br>
大老は、自身の胸ぐらの辺りに手をやった。<br>
少し前、オメガに掴まれた場所だった。あれから随分時間が経ったが、未だに掴みかかられた感触が残っている。<br>
相手はよほど強い勢いで向かってきたのだろう。<br>
それだけ、馬鹿にされた怒りが強かったということか。<br>
「――せいぜい、高いプライドぐらいだ。<br>
それも、実力の伴わない空っぽのプライドだ」<br>
言っていると、画面の中でさらに動きがあった。<br>
大老は目を細め、ふんと鼻を鳴らした。あからさまな侮蔑の表情だった。<br>
画面の中では――追いつめられたクラウンクラウンが、ターミナルの出口に向かっていく。<br>
逃げ出そうとしているのだ。<br>
だがターミナルの扉は、決して開かない。決着がつくまで、決して扉を開けるな――部下にはそう言い含めてある。<br>
(無様な最期を選んだものだ)<br>
大老は、オメガを完全に見限った。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
オメガは、かつてない恐怖の中にあった。<br>
今いる敵が、同じ人間とは思えなかった。<br>
ファシネイターの前では、どんな攻撃も無意味であり、その猛威の前ではナインボールの『チップ』の予測さえ無力だった。<br>
死ぬ。<br>
その恐怖が、オメガの腕をがっしりと掴んでいた。<br>
考えたこともない状況だった。<br>
今までは、未来を予知できる『チップ』のおかげで、戦いは一方的な『狩り』だった。自分は『予知』という安全圏に身を置きながら、敵を蹂躙する――それが、オメガのスタイルだったのだ。<br>
しかしこの闘いに置いては、それが全く逆転していた。<br>
絶対と信じていた『チップ』という命綱は、ズタズタに切り刻まれてしまっている。<br>
「……畜生!」<br>
毒づき、オメガは背後を確認した。<br>
ファシネイターが、追ってきている。<br>
逃げなければ。<br>
オメガの頭には、もはやそれしかなかった。<br>
今回の敵は、もはや天災のようなものだった。ハリケーンや火山の噴火に対して、反撃する馬鹿はいまい。<br>
そのような圧倒的な存在に対して、人間ができることは、避難することだけだ。さもなくば、死んでしまう。<br>
「……くそっ」<br>
オメガは、なんとか出入り口へ辿り着いた。<br>
かつてない速度でパネルを叩き、解除キーを入力、シャッターを開けようとしたが――頭部COMは無情の宣告をした。<br>
<br>
『ゲートが動作しません』<br>
<br>
足下に、ぽっかりと穴が開いた。<br>
その深い深い穴に、落ちていく感覚。<br>
もう戻れない。<br>
オメガは絶叫した。<br>
背後からは、今もファシネイターが近づいてくる。<br>
「……なぜだ」<br>
クラウンクラウンが、ファシネイターに向き直った。<br>
もはや決着はついていたが、ファシネイターは気を緩めず、ブースト全開で突っ込んでくる。<br>
その左腕部からは、すでに真っ青なブレードが伸ばされていた。<br>
逃げられない。<br>
背後には壁、かといって左右に逃げる余裕もない。ついでに言えば、それだけの気概もない。<br>
ファシネイターが、ブレードを大きく振りかぶる。<br>
『……死ね』
ファシネイターから、厳かな声が来た。<br>
と同時に、ブレードが振られる。眩いブルーの輝きが、メインモニターを埋め尽くした。<br>
その死の瞬間――オメガに訪れたのは、恐怖でも、怒りでもなかった。<br>
胸中に吹き荒れたのは――寒々とした虚無だった。<br>
言い残す言葉も、別れを惜しむ人も、何もない。<br>
何も残さず、何も与えず、消えていく。<br>
それが、生の終わりに顧みた《かえりみた》、オメガの人生の全てだった。<br>
――寒い。<br>
思った途端、その音はやってきた。<br>
ガシャン、という車の衝突にも似た金属音だ。<br>
間違っても――ブレードで金属が溶ける音ではない。<br>
(……何だ?)<br>
思い、オメガはメインモニターを確認し――ぎょっとした。<br>
クラウンクラウンの腕が、ファシネイターの左腕を掴み、押し戻そうとしていた。<br>
破壊的なエネルギーを秘めたブレードは、クラウンクラウンに届く寸前で止まっている。<br>
(ブレードを……防いだのか? 俺が?)<br>
そこで、オメガは自分がスティックを握っていることに気がついた。<br>
手が、勝手に動いたのだ。そうとしか考えられなかった。<br>
(……俺が……)<br>
無意識の内に発揮した、思わぬ行動力に、オメガは呆然とした。<br>
そんなオメガに構わず、ファシネイターはクラウンクラウンの腕を振り払うと、すぐに二度目の斬撃を準備した。<br>
このままでは、死んでしまう。<br>
(……嫌だ)<br>
オメガは、自分の人生がどんなものであったかを思い知っていた。<br>
そこには思い返すに値することは、何一つとしてない。空っぽの、あまりに寒々として人生だった。<br>
オメガはこうなると薄々感づきながらも、幼い日より徐々に醸成された虚無、それに身を任せてしまった。<br>
<br>
その挙げ句が――死ぬ前に感じた、あの壮絶な『寒さ』である。<br>
満足げに逝った、ガルムやムームとは大違いだ。<br>
「ちくしょう……」<br>
切なく、哀しく、だがそれ以上に――悔しかった。<br>
肥大化したプライドが、その思いを後押しする。<br>
この俺が。なんでこんな様に。<br>
理不尽だ。許容できない。<br>
断固として。<br>
オメガの中で、ゆっくりと何かが組み変わった。<br>
育て上げられたプライドが、今、『意地』となって行動を呼び起こそうとしている。<br>
――このままでは、終われない。<br>
「ちくしょう……!」<br>
スティックを握る手に、力がこもった。<br>
慣れ親しんだ、鋼鉄の手触りが彼の意気込みを出迎える。<br>
と、ファシネイターが、ブレードを振った。<br>
以前とは違い、上から打ち下ろすような振り方である。<br>
そしてそれは、より力がかかる分、受け止められにくい振り方だった。<br>
しかし――クラウンクラウンは、それもやり過ごした。<br>
腕が素早く動き、敵の左腕を打撃、ブレードの軌道をずらす。青い刀身は、クラウンクラウンの背後にあるシャッターに、深々と突き刺さっただけだった。<br>
ファシネイターが、驚きの声を漏らす。<br>
クラウンクラウンはその隙をついて、ファシネイターにチェインガンを向けた。<br>
言葉が口をついて出てくる。<br>
「行くぞ……!」<br>
それは「殺す」であり、「ふざけるな」であり、また「見たかこの野郎」でもあった。<br>
心の底からの、怨念の叫びだ。<br>
トリガーを、絞る。<br>
鋭利な弾丸が、チェインガンの砲口から飛びだし、残らずファシネイターに突き刺さった。<br>
思わぬ反撃に驚いたのか、ファシネイターが慌てて距離を取る。<br>
胸のすくような思いだった。<br>
(……そうだ)<br>
このままで終われるか。<br>
力の限り、お前に喰らいついてやる。<br>
決死の覚悟を胸に、オメガはシステムクラッチを踏みつけた。<br>
『メインシステム 戦闘モード 起動します』<br>
飛び退くファシネイターに、クラウンクラウンが肉薄する。<br>
ファシネイターは、それに驚いたようだった。<br>
無理もない。傷を負っているクラウンクラウンが、あえて接近するというのは――完全にセオリーから脱していた。<br>
『自殺する気か』<br>
ジナイーダが問う。<br>
オメガは応えなかった。そもそも、質問が耳に入っていなかった。<br>
体の芯に沸き上がる、熱く激しいもの。それが、頭に無尽蔵に汲み上げられてくる。<br>
とても話を聞ける状態ではなかったのだ。<br>
「ミンチだ」<br>
オメガがトリガーを絞った。<br>
背部のチェインガンが、眼前のファシネイターに銃弾をばらまく。<br>
『くそっ』<br>
ファシネイターは、飛び上がってそれらを回避した。<br>
変則的な機動だったが――オメガはその動きに対応し、機体を右に振り向かせる。<br>
案の上、そこにファシネイターが着地した。<br>
すでに、その左腕部からはブレードが伸ばされている。<br>
こちらに光波を飛ばすつもりだろう。<br>
そう思った途端、オメガの唇が笑みの形に歪んだ。<br>
「いいね」<br>
呟き、オメガはブーストペダルを踏みつけた。<br>
猛スピードで接近、ファシネイターの懐に潜り込む。<br>
ジナイーダが、驚きの声を漏らした。<br>
オメガは構わずスティックを操作し、チェインガンを照準した。<br>
70ミリの砲口が狙う先は――ファシネイターの右肩だ。<br>
「死ねよ……」<br>
静かだが、その分寒気のする声だった。死神が、耳元でそっと囁いたら――こんな感じかも知れない。<br>
直後、チェインガンが吼えた。<br>
無数の銃弾が、ファシネイターの右肩に突き刺さる。<br>
鼓膜を叩く発射音の中、金属が歪み、千切れる音が響いた。<br>
高威力の銃弾が、ファシネイターの右肩をもぎ取ったのだ。<br>
<br>
『なんだと……!』<br>
ファシネイターは、残った左腕でクランクラウンを突き飛ばすと、ブースト移動で間合いをあけた。<br>
しかし――それは紛れもなく、本能的な『逃げ』の動きだった。<br>
ドミナントが、怖れている。<br>
オメガが叫びをあげた。<br>
スティックを握り直す。<br>
そしてもう一度、ブーストペダルを踏みつける。<br>
<br>
「行くぞ……!」<br>
呟きつつ、クラウンクラウンが接敵。<br>
マイクロミサイルが浴びせられるが、怯むことなく中央を突破し、ファシネイターに迫る。<br>
このまま接近し、またチェインガンを浴びせかける。それしか頭になかった。<br>
同時に、地力で圧倒的に劣るクラウンクラウンが、ファシネイターに勝利するには――この特攻先方しかないと、本能的に看破してもいた。<br>
だがそこで、疾走する機体に鋭い衝撃が走った。<br>
ロケットだ。マイクロミサイルに紛れ、ファシネイターが撃っていたのだ。<br>
そしてその鋭い弾頭は、クラウンクラウンのジェネレーター部位に、冷酷に、かつ無慈悲に突き刺さっていた。<br>
<br>
「……は?」<br>
一瞬の間。<br>
ぞっとするような、空白の時間。<br>
それが過ぎた後、急激に機体温度が上昇し始める。<br>
ダッシュが止まる。<br>
腕部が痙攣を始め、サイトが勝手にぶれる。<br>
慌ててトリガーを引くが、どうしてか弾が出なかった。<br>
「ふざけんなよ」<br>
オメガはメインモニターを覗き込み――絶句した。<br>
『ジェネレーター損傷』。『下腹部で火災発生』。たった二行のメッセージが、オメガの上に重くのしかかる。<br>
スティックを滅茶苦茶に動かしたが、機体はもう反応しなかった。<br>
歩くこともなければ、腕を動かすこともない。もはやクラウンクラウンは、直立したくず鉄だった。<br>
じきに爆発するだろう。もっとも、その前に中のオメガは焼け死ぬだろうが。<br>
「くそっ!」<br>
オメガは内壁を殴りつけた。<br>
だが、どんな機体であっても、ジェネレーターのEN供給がなければ動かない。その事実は決して揺るがなかった。<br>
もしこれが全快状態であれば、ロケット一発がジェネレーターまで到達することなどないのだが――クラウンクラウンは、すでに何回もブレードで斬られていた。<br>
ロケットをはじき返すだけの防御力は、もはや残っていなかった。<br>
<br>
「……ちくしょう」<br>
声が、漏れた。<br>
目の前の敵に、届かなかった。<br>
その一念が、身を焼き尽くすほどの悔いになっていた。<br>
ファシネイターが、そんなクラウンクラウンに、ゆっくりと近づいてくる。<br>
その左腕部から、青く、長い刀身が伸ばされていった。<br>
斬るつもりだ。<br>
思ったときには、ファシネイターが急接近してきた。<br>
紫の巨体が、画面一杯を占拠する。<br>
その瞬間――誰よりも高いプライドが、猛々しい叫びを上げた。<br>
一度は消えかけた戦意が、猛然と燃焼する。<br>
闘え。<br>
その声が、頭の奥に響いた。<br>
予測機能――『チップ』の声とは違う、『芯』からの囁きだ。<br>
「分かってる」<br>
呟き、オメガはスティックを前に倒した。<br>
それと同時に、固い椅子から体を浮かせ、前方の壁に――メインモニターの辺りに渾身のタックルをかます。<br>
「進めぇ!」<br>
そして信じがたい事に――それで、機体の重心が動いた。<br>
クラウンクラウンが、前のめりに倒れ出す。<br>
運の良いことに――丁度その時、ファシネイターはクラウンクラウンの眼前にまで迫っていた。<br>
倒れるクラウンクラウンは、そのファシネイターを巻き込んだ。<br>
直後、突き抜けるような衝撃と共に、天地が逆転、轟音が響きわたった。<br>
(……どうなった……?)<br>
痛む頭を叱咤し、オメガが目を開けると――メインモニターには、ファシネイターのコアが映し出されていた。<br>
どうやらクラウンクラウンは、ファシネイターの上に覆い被さっているらしい。<br>
まるで、押さえ込もうとするかのように。<br>
オメガの顔に、悪魔のような笑みが戻った。<br>
「……道連れだなぁ」<br>
これ以上ないほど、気持ちのこもった声だった。<br>
そうとも。こいつを殺すために、全力を尽くす。こいつを殺し損ねるぐらいなら、のたうち回って焼死する方が遙かにマシだ。<br>
もっとも、クラウンクラウンの爆発が、ファシネイターに致命的なダメージを与えられるかは、やってみないと分からないが――可能性は十分ある。<br>
『お前……!』<br>
ファシネイターが、もがく。<br>
ジェネレーターが壊れているクラウンクラウンは、もはや阻止できない。<br>
しかし――ファシネイターは、右腕を破損させていた。片腕なのだ。<br>
例え妨害がなくとも、片腕だけで重量級ACをどかしきれるかは――非常に怪しい。<br>
かつ、ファシネイターの低出力ブースターでは、ブーストのパワーで強引に立ち上がったり、這い出したりすることも容易ではないだろう。<br>
と、コクピットが急激に熱さを増した。<br>
そろそろ最期が近いらしい。爆発までは、もはや秒読み段階だ。<br>
『馬鹿なっ』<br>
向こうもそれを悟ったのか、ファシネイターから焦った呻き声が漏れてくる。<br>
オメガは、そんな状況に――言いしれぬ滑稽さを覚えた。<br>
(……なんて様だよ)<br>
くく、と声が漏れる。<br>
最初のファシネイターは、まさしく天災のような存在だったのだ。闘おうとさえ思わなかったし、現に『戦闘』そのものはファシネイターの圧勝だ。<br>
だが今はどうだ。<br>
愛機の下で、紫の巨体はもがいている。しかも片腕だ。<br>
なんて無様な姿だろう。最初の威勢など欠片もない。<br>
このオメガが、あのファシネイターをここまで引きずり下ろしたのだ。<br>
一発、かましてやれたじゃないか。<br>
そう思うと、不思議な気持ちが飛来した。<br>
満たされていく。<br>
空っぽだった自分の中に、心地よい疲労感が、達成感が、なみなみと注がれていく。<br>
その想像を絶する心地よさに、オメガの目から涙がこぼれ落ちた。<br>
(……できれば、もう少し早く……)<br>
思ったが、頭を振った。ついでに涙も振り払う。<br>
時間は少ない。<br>
オメガは宿敵ファシネイターに、言葉を叩きつけた。<br>
「……ざまぁみやがれ」<br>
それが、オメガの最期の言葉になった。<br>
あまりにもひどい遺言だが――その時のオメガは、笑っていた。<br>
快楽殺人者のものとは思えない、太陽のような、晴れがましい笑みだった。<br>
直後、圧倒的な熱量が、コクピットに押し寄せた。<br>
<br>
<br>
*<br>
<br>
<br>
映像の中で――俯せに倒れるクラウンクラウン、その背中から火が噴き上がった。<br>
ACほどの高さがある、巨大な火柱だ。まるでオメガの強烈な悪意が、炎となって立ち上っているかのようだ。<br>
その灯りが、戦場となったターミナルを夕焼け色に照らし出している。<br>
「……終わったな」<br>
携帯テレビの画面を睨みつつ、大老が呟いた。<br>
「オメガは死んだ。勝者は――」<br>
大老は画面端に映される、紫のACに目をやった。<br>
「ジナイーダだ」<br>
紫のAC――ファシネイターが、ゆっくりとこちらを振り返った。<br>
ひどい姿だった。<br>
右腕部は千切れ、色々な関節から黒煙が噴き上がっている。<br>
勝者も貫禄も何もない。手ひどいやられ方だった。<br>
オメガの爪は、ドミナントにしっかりと届いていたのである。<br>
「……しかし、よく脱出できたな」<br>
傍らで、大老のオペレーター――マックスが訝しげに言った。<br>
「実際、やばかっただろ? ファシネイターは片腕、ブーストでの脱出も困難。どうやって助かったんだ?」<br>
マックスは、AC戦の専門家ではない。<br>
クラウンクラウンの下からファシネイター脱出する一部始終は、目にしたはずだが――映像だけみても、いまいち脱出のカラクリが分からないのだろう。<br>
大老は説明してやることにした。<br>
「簡単なことだ。まず、片腕でクラウンクラウンを押し上げる」<br>
「できるのか? 相手は重量級だ、パワー不足じゃないか?」<br>
「正攻法では無理だがな。地面とクラウンクラウンのコアの間に、肘から先をねじ込む。つっかえ棒をするようにな。<br>
そうすれば、のし掛かっていた機体が浮く。これなら低出力のブースターでも、脱出に支障はないだろう。一挙に脱出できなくとも、上半身だけでも出れば、後は楽だからな」<br>
納得したらしく、マックスは大げさに肩をすくめた。<br>
<br>
「にしても、アンビリーバブルだ」<br>
「だが、現実だ。あの女は、本当にドミナントかもしれん」<br>
大老は目線をモニターに戻した。<br>
だが、もはやファシネイターの姿はない。<br>
任務を終えたので、さっさと帰還してしまったのだろう。<br>
本来なら、味方の部隊が到着するまで待つべきである。腕利きのレイヴンにしては、少々無責任な態度だった。<br>
けれど――大老は、彼女の気持ちも理解できた。<br>
戦いの後半、オメガが発した気迫は尋常でなかった。<br>
人間の本能を直接刺激する、そういう『恐さ』があった。<br>
そういったものが振りまかれた空間から、遠ざかりたいというのは――自然な反応ではあるだろう。<br>
もっとも、単に後続のMT部隊の様子を見に行った、という線もあるが。<br>
「しかしな」<br>
思っていると、マックスが不快げに言った。<br>
「品性下劣な、最悪な奴だったな。オメガって野郎は、最期まで」<br>
その感想に――『常人』としてはごく当然の感想に、大老は口元を歪めた。<br>
「そうだな」<br>
「往生際が悪いしな」<br>
「……マックス」<br>
笑みを深めながら、大老は言った。<br>
「何を言ってる。最高の死に様じゃないか、あれは」<br>
遠くで無線機が鳴っている。<br>
階下の格納庫から、MTが駆動する音がした。<br>
二人の付近を、一般隊員が通過していく。その靴音が、通路に反響し、やがてゆっくりと消えていった。<br>
<br>
「……そうか」<br>
長い沈黙の末、マックスはそうとだけ言った。<br>
大老は頷きを返す。<br>
どんな理由かは分からないが――後半のオメガには、気迫があった。それも、見ているこちらさえ心胆が冷えたほどの、濃密な気迫だ。<br>
その闘念に、怒りに導かれるまま、全ての精力を総動員して、敵わぬ敵に向かっていく。<br>
そしてその果てに、燃え尽きていった。<br>
戦士としては申し分ない、充実の死に様だった。<br>
もっとも、オメガのような男でも、その域に到達できたかは、まさしく神のみぞ知る、だが。<br>
「奴には勿体ないほどの死に方だよ」<br>
大老が呟いた。心なしか、年相応の疲労が匂っていた。<br>
「……できるなら、代わりたいか?」<br>
マックスの問に、大老は応えなかった。<br>
代わりに、苦笑とも微笑ともつかない、曖昧な笑みを浮かべた。<br>
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