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【プロローグ4】
街の外れに位置する孤児院。そこから、子供達の逞しいにも程があるいびきが聞こえてくる。
響き渡るそれは何重にもなって、並の交奏曲など比べ物にならない音量を掻き鳴らす。
子供の寝顔は天使のそれ。だが、いびきは悪魔のそれだ。そう思いつつ、男はベッドへと腰を下ろした。だが、枕に頭を落ち着ける事はせず、窓の向こうの月を見やる。
男は、巨漢だった。二メートルを越えんばかりの身長と、それに相応しい筋肉質な体は、童話の巨人を思わせる。
彫りが深く、しかも鋭い眦は悪役のそれか。ヒロイックな少年、あるいは少女によって倒される運命がありそうな、そんな男だった。
男の名は、J・フロストという。この孤児院の、形ばかりの出資者を務めていた。その顔立ちは、あまりにも孤児院という言葉に似つかわしくなかった。
「……フロスト、どうしたの?」
先にベッドに入り込んでいた妙齢の女が、フロストに向けて問いかけた。寝惚けの中にも心配の色合いを込めた真摯な問いかけに、フロストの顔が笑み崩れる。
「気にする必要はないわ、シンシア」
男の名は、J・フロストという。彼はオカマだった。その声は低いにもかかわらず、口調は女のそれだった
フロストの手が伸ばされ、シンシアと呼んだ女性の頭を撫でる。だが、シンシアはそれを受け入れる事をよしとせず、ベッドから身体を起こした。
「気にするわ、フロスト、何処に行く気なの?」
「分かってたのね。敵わないわぁ」
男の名は、J・フロストという。シンシアという美貌の女性の、恋人だった。
シンシアは、己が恋人のおどけた、しかし確固としたものが宿る口調に眉を顰める。フロストが何をする気でいるのか、理解したが故に。
それでも、止めるつもりはない。孤児院の経営が成り立っているのは、フロストの働きがあっての事だ。そうでなければ、この時勢で孤児院など経営できないだろう。
だが、フロストの仕事は、膨大な報酬と引き換えに命を危険に晒す事である。女としての思いが、フロストを止めたいと強く叫んでいるのを、シンシアは理解していた。
それでも、止めない。
シンシアは、美しかった。シンシアは、聡明だった。
故に、愛する恋人の唇に、己が唇を触れ合わせるだけに留めた。涙も流さず、笑顔で送る。
いつまで経っても慣れない。一週間前は運良く生き延びた。しかし、今日も同じだとは限らない。
それでも、シンシアは見送る。男の、フロストの、孤児院の子供達に知られぬ出陣を。
「それじゃ、行ってくるわね、シンシア」
「行ってらっしゃい、フロスト」
お帰りの言葉を胸に溜めつつ、シンシアはフロストの出陣を見送った。
そして、街灯に照らされる夜道を、フロストは進んだ。己が愛機の眠るガレージへと。
男の名は、J・フロストという。彼は傭兵だった。白銀の巨人、ACホワイトアウトを駆る傭兵だった。
J・フロストは、レイヴンだ。誇りと守るべきものを持つ、レイヴンだ。
ガレージの中に眠る白亜の巨人。その威容を見上げながら、フロストは笑う。
処女雪めいた白さを、鈍い鉄光で戦士のそれへと変えた、邪悪な雪男。そんな童話を孤児院の子供達に語ろうかと一瞬考えて、やめる。
幻想は、幻想の中でこそ輝くのだ。猛犬への憧れが、噛まれた瞬間、恐怖へと変貌するように。
「行こうかしらね。アタシの、戦場に」
己が愛機に乗り込みつつ、フロストは呟いた。担い手を取り込んだAC、ホワイトアウトの眼光が、夜の帳を引き裂いた。
* * *
【プロローグ5】
男娼、という職業がある。
簡潔に言えば、娼婦の男性版だ。娼婦が身体を売るように、男娼もまた身体を売る。臓器を売るわけではない。性交による一時の快楽と引き換えに、金を手に入れるのだ。
もっとも、この職に嫌悪を覚える者は多い。娼婦すら生活の為と認める者であっても、男娼には吐き気を覚える者がいる。
そして、それは別におかしな反応ではない。むしろ、当然の反応だ。
職に貴賎なしとはいえ、男娼などという職業は社会の底辺に位置するものだ。ギャングの類の方がある意味マシだと思える程に。
性欲過多の年増や、同姓趣味のド変態どもを相手に身体を売って、何とか食っていけるだけのはした金を得る。そんな、腐った職業。
そのような概評である以上、好き好んで男娼になる者などいないだろう。
なったところで、楽に生活できるわけでもない。ハイリスクローリターン。なりたい奴も、やめたくない奴もいない職業だ。
そも、性別のハンデを置いて食っていけるようになるには、相応の顔が必要となる。
断食による体重調整、ほそっこくした肉体を維持しつつ、頬はこけさせず柔らかに。笑顔だけで女を求めた連中すら魅了出来るように。そんなトレーニングも必要だ。
泣きを通り越して笑えさえしてくる。自分の顔の価値を理解しているが故に。
こんな馬鹿な真似をして、身体を売って、ようやく日々の糧を得る。安い給金で、添加物を付ける余裕すらない、塩茹でしただけの芋を購入し、食らう。
相手が支払った報酬は、大半が娼館の懐に消えるから、豪華な食事を取る余裕はない。
彼らもまた生きる為に必死なのだ。娼館すらもが次々潰れていくこの時代に、大手のプライドを掛けて何とか生き残ろうとしている。
男娼がいるのも、その為だ。相手のニーズに幅広く応え、お客を他の店から取り上げる為に。商売の基本を遵守し、地力を生かして生存競争に打ち勝とうとしている。
大の虫を生かす為に、小の虫を殺す。もし男娼が死んでも、どこぞのカニバリズム連中のお慰み――要するに人肉パーティーの餌食になるだけだ。
お偉い立場の変態どもに文字通り食われていった同胞を、腐るほど見てきた。死ねば、葬式もなくアッチに行くわけだと、網膜に最期を焼き付けた。
だからこそ、気持ち悪さを耐えて、嘔気を堪えて、勘違いババアと変態野郎に身体を売るのだ。男娼になった者達は。
自分も、その一人だ。如何に娼館のトップ業績を見せる人間だろうと、男娼である以上、売り上げはどうしても娼婦に劣る。
だから、貧乏暇なし休みなし。働けど働けど我が生活楽にならざり。じっと手を見たくなるぐらいに、地獄の生活が続く。これからも、きっと、ずっと。
アラステア=ハートレイ。それが、その男娼の名だ。
現在トップをひた走るその男娼は、分かりきっていた未来を予測した自分に気付き、嘲笑を口の端に浮かべた。女性のそれよりも端正な顔立ちが、皮肉げに歪む。
なんでこんな事になってしまったんだろう。もう何度目になるとも知れぬ自問に意識をもぐらせる。
昔なら、ドラマの子役ぐらいは楽々こなせる顔だった。親に食わせてもらって大きくなっていれば、モデルにだって慣れただろう。
それは、所詮ありえぬ自惚れだったが、もしかしたら有り得た可能性ではあった。そうでないにしろ、順風満帆な人生を過ごせれば、もう少しまともな職に付いていただろう。
だが、それはあり得ない可能性だ。
あの特攻兵器の襲来、それに連なる世界の壊滅と混迷は、一人の少年を最低の場所に堕落させるに十分なものだった。
それでも、生きていけているだけマシなのだろう、とアラステアは思う。
仲間内で内臓を二束三文で売るために殺しあったり、宗教家どもに利用されて殺されたり、変態どもの奴隷にされたり、どれにせよ、力ない子供の将来はまともなものじゃない。
その中で、働いて食べていけるというのは、それなりに幸せな事ではあった。
無論、それは最低という領域の中での話ではあったが。
最近は痩せ気味になっているな。そう思いつつ、油の注がれたビンに口を付けた。その油を直接飲み、適量を舌で量る。
特攻兵器の襲来以来、食糧不足は深刻で、アラステアのような社会の底辺で暮らす者の身体は、得てして常にカロリー不足だ。このまま放っておけば、骨と皮だけになるのは目に見えている。
しかし、ガリガリのゴボウみたいな奴を抱こうなんて思う馬鹿はまずいない。
だから、摂取カロリーを調節する必要があった。嘔気を堪え、胃袋に嫌なものが沈む感触に耐え、舌に残るどろりとした後臭さを飲み込み、適量を量る必要があった。
幾らかの時間の苦痛に耐え、今日の分のカロリーを摂取し終えると、アラステアはベッドへと腰を下ろした。これで、とりあえず一日分は生きていられるだろう。
無論、遠くない内に栄養不足で死ぬだろうが、首の皮は繋がった。
ベッドには先客の姿があった。年の頃は十にも届かないであろう、幼い少女。今日のお相手は彼女だった。
初々しい幼女も客商売では重要な商品だ。度を通り越したペドどもの格好の獲物になる。そして、そういう奴に限って大量の金を下ろしてきてくれるのだ。
自身の立場を守るために、幼女を抱いたという事実を封じる。だからこそ、大量の金を積んで幼女を抱く。
だが、その大量の金の一割も、この幼女は手に入れていなかった。娼館側が金をせしめ、幼女は今日もひもじさに咽び泣く。
幼女は、随分と痩せていた。これだけ痩せ細ってしまったら、もう商品にはならないだろう。病的な女なんて、娼婦には向いてない。
どこぞのロリコン金持ちの奴隷になるか、あるいは人肉パーティーの主品になるか。どっちにせよ、明るい未来なんて残ってない。
アラステアは微かに眉を顰める。この幼女が自分の下に回されたのは、もう使い物にならないからだ。
娼館側の死刑宣告が出たからこそ、形が下されるまでの間は好きにしろ、と送られてきたのだ。そう理解してしまうが故に、アラステアの胸の内に黒いものが凝る。
同情はするな、とアラステアは自身を戒める。自分も、自身の勝手でこの幼女から明るい未来を奪う一人だ。だから、同情するなんて馬鹿な真似はしないし、出来ない。
体を売るという事は、性交の匂いが染み付くという事だ。身体にも、心にも。
体の汚れは雨で洗える。だが、心の汚れは用意には消せない。媚を売って、作った矯声を挙げた記憶は、夜、眠る時でさえ自分を蝕む。
そう理解しているからこそ、一日の終わりに自分は女を抱くのだ。自分より弱い女を抱いて、媚を売った記憶を忘れる。そうして、自分は初めて眠る事が出来る。
良心の呵責がないわけではない。胸の内に疼くそれは、要するにそういうものなのだろう。
だけど、そんなものに何の価値もないという事を経験で知っている。で、ある以上、無視するのは容易だ。アラステアはそう判決を下し、幼女の下へと近づいた。
髪を鷲づかみにして引っ張り挙げる。目前には、怯えに涙を浮かべた幼女の姿。
どうするべきか。笑ってみるか、怒ってみるか。どちらにせよ怯えるのだから、変わらないだろう。なら、一々表情を変える必要は無い。
相手は客じゃないんだ。無表情のままでいいじゃないか。
顔に何の感情も浮かべず近づいてくるアラステアに、幼女は怯え、逃げ出そうとする。
アラステアは、その短躯を無理矢理に組み伏せた。そのまま、己の分身を入れようとして、やめる。
「……ま、偶には」
誰にともなく呟き、アラステアは前戯を開始した。どうせ不幸な結末しか待っていないこの幼女に、一時の快楽を与えられるように。
「あっ……」
だんだんと、幼女の頬が染まりはじめ、漏れる声によって夜の帳が引き裂かれる。
アラステアは、自身を蝕む“商売”の記憶に苦しみながらも、力の限り幼女を“良いところ”へと連れて行けるように努力した。
快楽にもだえる幼女と、顔を苦しげに歪める少年。その奇妙なまぐわいを、月だけが見つめていた。
どこからか、排気音が聞こえていた。
* * *
【アンコール――あるいは、新たな物語のプレリュード】
この話はラストへのネクサスと、オーラスの間の、ほんの箸休めだ。要するに、無くても話の流れは掴めますって閑話だ。
盛り上がりはしたけどな。他のそれと比べれば雲泥で、バーテックスの設立なんて事が起きてからすっかり忘れ去られてしまった。
今じゃ、アーク残党を取りまとめていたセレスチャル卿なんて、名前すら覚えられてない。代わりにいるのは、バーテックスのジャック・Oさ。だろう?
まあ、俺達もオーラスの役者なんだけどさ。残りは二十二人、二十四時間後、一体誰が生き残るのかってね。
もし生き残ったら、犬でも飼いたいね。とびっきりの可愛いワンコ。ん? 話はどうしたって、あー、どうするよ?
シーラは聞きたいか? ワイズは聞いとくか? OK.聞くか。まあ、時間以外は損しないよ。
輸送ヘリで運ばれる間は暇だしな。話すにはちょうどいい昔話だ。
なに、俺が出てないって? ああ、そりゃそうさ。俺は名前を変えたからな。
今の俺の名は……って名乗る必要はないよな。そりゃそうだ。悪い悪い。あー、シーラ、怒らないでくれよ、馬鹿にしたわけじゃないんだ。
そう、話す時の癖みたいなもんさ。今まで何も知らない奴に語ってきたからな。酒場で弾き語りさ。今度聞いてみるか?
なに、ワイズも弾けるのか? じゃあ合奏と行こうぜ。無論、生き残ったらの話だけどな。ドミナントとの約束だ!
あーもういいじゃんか。自惚れさせろよ。自分は戦闘好適者ですから大丈夫、今回の任務は安心ですーってさ。
俺だって不安はあるんだぜ? そうは見えない? そうかい。そいつは良かった。そう見えるようにしてるのさ。
え、オペレータとしての冷静な対処の為に、演技は困ります? あー怒らないで。復唱はお嫌いなのね。
怒らないでくれよ、ごめんってば。ほら、ワイズ。一緒になだめてなだめて。え、面倒くさい? 痴話喧嘩は勝手にやってろ?
あ、今鈍い音したけど何をしたんだいシーラ。いや、やっぱいいか。後で聞いた方が楽しそうだ。
……ゴホン。じゃあ、話を始めようか。これは、閑話だ。聞かなくてもいい閑話だ。
だけど、俺にとっては大切なものだ。伝えていかなければならない事なんだとも思う。
それじゃ、始めるぜ。古の昔、時代は遡って約半年前――ってオイオイ、始まり方が色々おかしいなんて、そんなツッコミを入れないでくれよ、シーラ。
それと、ワイズを起こしておいてくれよ。観客が一人じゃ、語り甲斐がないってものさ。
さて、あの特攻兵器の襲来が終わって以来、レイヴンはナービスにいた連中と、依頼を求めてナービスに来た連中で争ってた。生き残りを掛けて、な。
戦いは一進一退で、戦況は変わらず、死者の数だけが増えてく有様だった…………
* * *
そして、閑話は傭兵の口から語られ始める。
過去の戦火が、二人の耳の中で蘇る。
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