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「第一話 リベンジ アンド ペイ」(2006/06/03 (土) 23:57:53) の最新版変更点
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どんな歩き方を使用とも、安物のタイルはたった一歩の足踏みすら見逃さない。<br>
融通の利かないタイルはその生真面目さで歩く人々を不快にさせる。<br>
警報の代わりにだって慣れるぐらいにうるさいタイルだが、敵と見方の区別も出来ない警報装置にどれほどの意味があるのか。<br>
何よりここより上のフロアにはタイルよりもよほど頼りになるガードマシンがひしめき合っているし、天下のアライアンス本部に殴りこみに来るやつもいないだろう。<br>
ただ一本、一方通行の通路はモリ・カドルには自分で選ぶことが出来ない運命そのものに見えた。<br>
自分がこの道を歩くことを決めたのはもしかしたら自分じゃないかもしれないと思う。<br>
しかし、足を止めないのはカドル自身の意思であり、カドルはそのことに誇りを持っていた。<br>
今、彼の目の前に提示された運命はある人物の抹殺という形で、カドルの目の前に姿を現した。<br>
対象の名は懐かしい恋人のそれであったが、カドルは知っているのだ。ジナイーダは決してレイヴンになろうなどと考える人間ではない。<br>
命令書に書かれた名前は偽名でしかなく、そのレイヴンは自分の名前をも隠そうとする卑怯者なのだ。</p>
<br>
<p>
週刊誌の、漫画雑誌の、そして今ちょうど新聞のジノーヴィーに関する記事を切り抜き、その記事の全てをホッチキスで一まとめにする。<br>
ひとまとめにした記事の大きさは全部ばらばらで、記事の束はとても不細工な物だったが、カドルはそんなことは気にしない。<br>
連戦連勝、無敗の帝王、向かうところ敵なし。それらの煽り文句の全てが、ジノーヴィーに憧れ、強くなりたいと常々思い続けるファンには特別に見える。<br>
きっとこれらはジノーヴィーのためにある言葉なのだと、カドルは腕を組み、鼻の穴を膨らませてウンウンと頷いた。<br>
カドルが座るデパートで廃棄処分寸前だった超安物のソファーの後方にはキッチンがあり、キッチン内ではもうもうとほこりが渦巻いている。<br>
「カドル、どうして二週間でパンがこんなにカビまみれになるのよ!」<br>
恋人のジナイーダはカドルが家の清掃を手伝わないことに若干腹を立てているようで、大声を張り上げるが、ほこりを吸ったのか<br>
「ゴホッゴホッ」<br>
手でほこりを払いながらリビングに駆け込んできた。手にはカビまみれのパンを持っている。<br>
真っ白なエプロンとマスクとバンダナがジナイーダをまるで給食の当番のように燦然と輝かせていた。意外と似合っている。<br>
それはそうと、パンのカビの生え方が尋常でなく、ただカビが生えただけのパンならいくらでも見てきたカドルも異臭とその不気味さから逃れようと後ずさってソファーから落ちた。<br>
パンは紫色一色に染められており、元が食パンであったことはそれを三週間前に買ったカドルと二週間前に確認したジナイーダだけが知ることの出来る事実である。<br>
「これはすごい」<br>
あまりの迫力に思わず息を呑む。ジナイーダは異臭に耐え切れないようで、鼻をつまんでおまけに息まで止めていた。その顔色はカビの色に負けじと紫色に近づいていく。<br>
「写真」<br>
「ん~?ん、ん~!」<br>
まるで理解できない言葉だがカドルにはわかる。なにしろ恋人である。親の次に彼女のことを知っているのである。<br>
彼女はきっと「写真?んなものどうするのよ」と。<br>
カドルはジナイーダがもう片方の手にビニール袋を持っているのを見た。<br>
その瞬間に大事なことは覚えないスーパーコンピューターは目にも止まらぬ速さで高速演算処理を開始する。<br>
ジナイーダはきっとビニール袋にパンを詰めた後ゴミ箱にダンクシュートするだろう。<br>
ゴミ箱に入ったゴミ火曜と金曜にゴミ捨て場に出されてゴミ収集車に乗せられて、焼却場で地獄の業火に焼かれることだろう。<br>
そんなのとんでもない。これはきっと古代地球語で言うところの「ギネス級」というやつに違いない。<br>
時は一刻を争う。カドルが写真に収めるのが早いか、ジナイーダのダンクシュートのほうが早いか。<br>
カドルは日ごろ使わない筋肉を総動員して立ち上がると同時にダッシュ。一ッ飛びで元高級ステレオの頭に乗っかったカメラを引っつかんでターンする。<br>
信じられない運動性能を発揮して反転したカドルは紫色の顔をしたジナイーダがビニール袋を広げるのが見える。<br>
そうはさせるか。全速前進、もっと肉薄して渾身のシャッターを切るのだ。<br>
肉食獣の瞳をぎらぎらと光らせ、カメラをしっかと胸に構え、踏み込みは強く鋭く、<br>
紫色のバナナを踏み抜いた。 </p>
<p>
パンが紫色でも空は青い。ギネス級の秘法をめぐって行われた悲しい戦争の結末もまた、大空にしてみればちっぽけなものだった。<br>
「これ以上部屋を汚くしてどうするって言うのよ」<br>
ブツブツ文句を言いながらゴム手袋をはめた手で昔は黄色であっただろうバナナの化石を摘み上げた。歴戦の勇者だって人に忘れられれば錆びついていくのだ。<br>
カドルはやっぱり手伝おうともしないでニヤニヤしながら束ねられたスクラップを眺めていた。<br>
「ちょっと、手伝いなさいよぉ」<br>
カドルの耳にはもはや誰の声も聞こえない。それほどまでに集中して記事を読んでいるのか。そんなに熱中してしまうほどジノーヴィーというやつはすごいのか。<br>
今のジナイーダには死ぬまでわかりそうにないことだった。そんなことより目の前の汚れに汚れたカドルの部屋の方が数万倍も重要な問題である。<br>
ところで、カドルの部屋がここまで汚れているのはカドルが何日も家を空けているからで、家を空ける原因になったのはやはりジノーヴィーである。<br>
どうもかなり遠くの方でジノーヴィーの試合があったらしくて、それを見に行っていたらしい。二週間も。<br>
数分で終わってしまう試合を二週間もかけて見に行くカドルの気持ちは今の自分には死ぬまでわからないんだろうな、とジナイーダは一人ごちる。<br>
「勝ったの?」<br>
カドルは勝敗という単語に敏い。なぜだかは知らないがとにかく「勝敗」「ジノーヴィー」、もしくはそれに準じる言葉を使えばカドルの気を引くことは出来るのだ。<br>
「へ?」<br>
気を引いてから改めて質問。初めから質問をぶつけてもジノーヴィーに関することなら答えたのだろうが、「勝敗」ならまだしも「ジノーヴィー」で気を引くのは嫌だった。<br>
「ジノーヴィー」に反応するカドルを見ると自分の事などどうでもいいのではないのかと思えてしまう。<br>
でも、会話にならないよりはましだと、「ジノーヴィー」を口にする勇気を肺からひり出した。<br>
「ジノーヴィー、勝ったの?」<br>
声は不機嫌そうなイントネーションで発せられてしまう。ジナイーダが望んだことではないが、カドルに不快な感情を見せる自分はもっと望んではいない。<br>
「勝ったよ」<br>
カドルは簡潔に、会話がそこで終わってしまうように答えてから、すぐに雑誌の山の下のほうから新しい雑誌を引っ張り出す。崩れた本の山は眠っていた埃をたたき起こして宙に舞わせた。<br>
ジナイーダがかける掃除機の駆動音だけが場を支配する。会話が続かないと気が滅入ってしまう。<br>
そうなる前に何とか頭の中から話題を引っ張り出すよう勤め、これだ、と思える話題で切り込んでみる。「ジノーヴィー」も「勝敗」も使わない真っ向勝負である。<br>
「ねえ、お母さんのね」<br>
「うん」<br>
気のない返事。負けは決まっているのかもしれないが、簡単に負けを認めるわけにはいかない。実際、伝えておかねばならないことのひとつではある。<br>
「体調がよくないんだけど」<br>
「うん」<br>
やはり気のない返事。<br>
身内の病状にかかわることならば、カドルもまともに取り合うかもしれないと思っていたが駄目だったようで、残念ではある。<br>
でもまだ母の病状は一刻の猶予もないというほどに追い詰められているわけでもなく、実のところを言えばこのごろは以前よりも調子がいい。<br>
病気がちなため普通の人よりも体調が悪いのはいつものことである。重要な問題でないといえばそうなのだ。<br>
「昔々ある所におじいさんとおばあさんが」<br>
「うん」<br>
三度目の返事を聞き届けたジナイーダは無言のままスイッチの入ったままの掃除機をバッターのように振りかぶる。一呼吸おいてから<br>
「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」<br>
死刑囚にだって遺言を残す権利ぐらいある。しかし権利はあっても、それをどぶに捨てる人間だっている。<br>
「うん」<br>
部屋中に中身の詰まってない何かを思い切りひっぱたく音が響いた。ソファーがぶっ倒れて、倒れるカドルの足がテーブルを引きたおす。<br>
テーブルの上から連戦連勝、向かうところ敵なしの無敗の帝王が束になって落っこちて、その上には一枚の写真がひらりと降り立つ。<br>
その写真には満面の笑顔のカドルとジナイーダが並んでおり、二人に挟まれるように車椅子に乗った女性が写っていた。 </p>
<p><br>
「ジナイーダ、聞こえていますか、ジナイーダ?」<br>
オペレーターの声に気持ちのよい眠りを邪魔されて、少々不機嫌なジナイーダはコンソールパネルを乱暴に叩いてスリープ状態に入っていたコンピューターをたたき起こした。<br>
「すこし寝ていたようだ。夢を見ていた」<br>
「夢?」<br>
ジナイーダは無言で頷く。通信機の向こうには映像は届いていないのでその行動に意味はなかったはずだが、オペレータは何かを承知したようで、話題を引っ込めた。<br>
「何分ぐらい停まっていた?」<br>
通信機の向こう側から聞こえてくる声は事務的で冷たかったが、伝えてくる情報は正確、<br>
「五分と少し」<br>
事務的で冷たいからこそ正確なのかもしれない。そして、だからこそ今最も信用できる何かのひとつなのだ。<br>
それにしても懐かしい夢を見た。あのころは幸せだったと、あのころに戻りたいと一瞬だけ考えて、一瞬後にはかぶりを振ってそんな自分を否定していた。<br>
カドルは敵、母を奪った。<br>
口の中で繰り返し呪詛のようにつぶやく。<br>
けだるい体はまだ重たかったが、我慢できなくはない。<br>
開いた手のひらは薄いかさぶたに覆われており、ピンク色の肉の色がわずかに透けて見えていた。このきれいな色の手はジナイーダが前に進むために手に入れた傷で、今日に至るまで挫けそうになったジナイーダを何度も奮い立たせてきた。<br>
たった半年前、目の前の障害を押しのけるために手に入れた力の代償は、半年過ぎた今もこの世の摂理をジナイーダに教え続ける。<br>
手のひらを握り締め、拳を作り、フットペダルを踏み込むと、出来のいい機械音声が<br>
「省エネルギーモード解除」<br>
平坦な声で告げてから機体が振動して熱を持ち、一歩一歩を確かに歩き出した。<br>
レーダーを確認したジナイーダはてきがMTだけであるという情報を疑ってかかっていた。<br>
たしかに今まで遭遇してきたのはMTだけだったが、扉の向こうにACがいないとも限らないのだ。<br>
それでも今は前に進む以外道は用意されていない。迷うだけ無駄である。 </p>
<p><br>
カドルが引き当てたバイトは今の時勢ではありえない位、というかどんな時勢でもありえないぐらい羽振りがよすぎた。受ける前に少しぐらい疑うべきである。<br>
今、その疑いを知らないウスラトンカチ口を横線一本にしか見えないぐらいに固く結んで安っぽいタイルを踏みしめていた。<br>
カドルは町外れに一般市民には秘密の秘密基地があるなんて考えたことがなかった。秘密でなければ秘密基地なわけはないが、とにかく考えたことがなかった。<br>
存在が秘密、場所が秘密、やってることは当然秘密の秘密基地はとにかく秘密だらけで、そんなところで仕事をしている人は特別で、そこに来た自分も特別なんだろうと思う。ただのバイトだけど。<br>
特別なのだから、特別な自分なりに最大限特別な態度で特別な基地を案内してもらった。<br>
ウスラトンカチは白髪の老人に付き従って、一本道一方通行の地獄への通路を歩いていた。<br>
地に張り巡らされたタイルだけはどうも特別ではないようで、足で叩くたびに辺りに靴音が響き渡る。<br>
「あの」<br>
老人の特別すぎる雰囲気に完全にビビッているカドルはもはや特別には見えず、そんな腰の引けた青年は自分でも意識しない間に老人に声をかけていた。<br>
「なんじゃ」<br>
びびったの脳みその厨房はその機能を十分に果たさず、生焼けの言葉をそのままさらに乗っけた。<br>
「ここで何するの……するんですか」<br>
老人は足が速いわけでもないのに、カドルがどう走っても追いつくことが出来ない。そんな老人が急に足を止めたので、ぶつかりそうになったかドルは前進をカチコチにして機械のように静止した。<br>
急に老人が振り返る。<br>
「ひっ」<br>
秘密基地にいる人間の中でもっとも気が弱い生物であろう青年は小便漏らしたガキの如く情けない声と顔で三歩よろよろと退いた。<br>
しかしそれはカドルが気が弱いからではないのかもしれない。老人の目は落ち窪んで、顔中しわだらけ、右目と左目は両方とも転でばらばらの方向に焦点を合わせており、そのさまはまるで子供向けゲームの悪のマッドサイエンティストだ。<br>
「なんじゃ、わしの顔に何かついてるか」<br>
尋ねる顔もどこのお化け屋敷に行っても自給九百円は固い顔で、しかしそのことを言うわけにも行かないかドルはすごい速さで何度も左右に顔を振り回した。<br>
マッドサイエンティストは「フム」と何だかよくわからないものに納得したようで、すぐに話題を変えて見せた。<br>
「それで、何か質問か?」<br>
平常心を忘れたくないカドルは引きつりそうになる顔の筋肉を必死に押し留めながら気になっていることを述べる。<br>
「えと、僕ここで何するんでしょうか、というかここどこですか?」<br>
老人は呆けたような顔を経過して終着は意味ありげな笑みに、顔をグラディエーションのように変える。<br>
そしてカドルに背を向けて、今一度歩き出した。静まり返っていた周囲にまた靴音が響き渡る。<br>
「歩きながら話す。お前の仕事場まではまだ距離があるぞ」<br>
カドルもあわてて走って追いかけるが、やはり追いつけなかった。<br>
「少しばかり前の話になるが……人類が地下にいたときには管理者がいたというだろう」<br>
「そんなこともありましたか、でもどうしてそんな昔のことを?」<br>
「そう先を急ぐな。<br>
管理者は文字通り人間を管理するものだ。人間の行動を監視し、人間に進むべき道を提示する。そしてそのことにより人が自分自身で負うべき責任の全てを肩代わりした。<br>
人は管理者の言うことだけきいていれば生きていけたし、何も考える必要はなかった」<br>
人は考えることをやめれば人ではなくなってしまう。考えることをやめることは許されたことではないと、カドルは思う。<br>
「それってなんだかおかしいですよね、考えない人間なんて―」<br>
カドルは同意を求めたが、老人はそれを無視してカドルの発言までもさえぎる。<br>
「個人としては考えることもあったろうが、少なくとも人類全体としてみれば何も考えてはいなかった。」<br>
そこから作られるのは停滞した世界。時は完全に止まってしまっている。<br>
声が少しばかり強くなった。<br>
「そんなときに管理者は暴走を始めた。初めからプログラムに組み込まれていた者かもしれんがな。<br>
とにかく、今まで導かれるだけだった人類は先導していた者の暴力を自分たちに向けられて初めて何かを考えることをはじめた。」<br>
自由を求めて、一部の人間が、イレギュラーが奮起し、管理者に反攻、これを撃破した。<br>
およそ七十年前だ」<br>
話に一区切りついても未知には区切りがない。代わり映えのしない廊下はどこまでも続く。<br>
それはカドルに後戻りが出来ないことを教えているようにも見えた。<br>
「それからのことはだいぶ省くぞ。とにかく、企業が管理者に取って代わろうとしたことだけ知っていればいい。<br>
それから何年かたった後、もうひとつの管理者のちょっかいによって人類はかなりの損害を受ける。これがSL事件」<br>
道の向こう側にまぶしい光が見えた。もしかしたらさらに深い地獄への入り口かもしれないが、狭苦しい廊下よりもましなように思えていた。<br>
響く音と狭い壁は通行者の心を押しつぶしそうになる。<br>
「それから五十年。人類の生活は安定してきたが、先人たちが残していったテクノロジーはいまだ解析不能なものばかり。<br>
暴走の危険をはらんだ者も多くあり、いつSLのときのようなことが起こるかもわからない」<br>
出口の向こう側にはかどるにとって憧れそのものとも言えるACが直立していた。<br>
ACの周りには整備班の人間が何人もおり、各自プログラムや装甲などの点検をしている。<br>
ACの力強い腕にはダガーと呼ばれる短距離ブレード、もう片方にはライフルを装備しており、<br>
肩にはジノーヴィーが多くの敵を打ち倒してきたのとまったく同じグレネードをジノーヴィーと同じように二門も装備していた。<br>
ただ、色とエンブレムだけがまだなかった。<br>
これはいったい何のためのものなのか、それぐらいは聞いたっていいはず。<br>
ジノーヴィーのファンに聞くな、というほうが無理だというものだ。<br>
「これは一体……?」<br>
老人はまたも質問を無視して目の前にある手すりにもたれかかった。<br>
カドルたちが立っているのはAC首回りの整備をするための通路で、カドルの立ち位置からはACの精悍かつ獰猛な横顔がはっきりと見えた。<br>
「一ヶ月前。稼動中のロステクが見つかった。操作する方法はわからなかったが、何をしているかぐらいはわかった。<br>
設備が作り出しているのは兵器。それも生物兵器だ。どのような原理かは知らないが、特攻と自爆を繰り返す最悪の部類に入る物だ。<br>
それが幾千幾万と生産され続け、着々と何かに攻め入る準備をしていた。<br>
まもなくその生体兵器は全世界に飛び立つだろう。われわれにはなすすべはないだろうし、止めたいとも思いはしない。<br>
我々は蹂躙された後の世界のことを考えている。おそらく、もはや企業一つ一つの力はあてには出来ないだろう。なら、それらが一つになって、今度こそ管理者として君臨すべきではないか」<br>
老人は握った拳を白衣のポケットに突っ込んで、今一度カドルを振り返る。 <br>
やはり、カドルは自分が引き返せない地点に立っていることを再確認してしまい、生き残るためには覚悟をしなければならない。<br>
カドルはもう老人の顔にはビビラなかった。<br>
「ようこそ、企業複合体アライアンスへ」<br>
マッドサイエンティストの顔が歪んで、はっきりと言葉をつむぐ。<br>
「強くなりたいと、思わんかね?」</p>
<p><br>
有り体に言ってしまえば、カドルは実のところジノーヴィーのファンではなかった。<br>
カドルにとってのジノーヴィーは絶対的な力を表す記号だった。<br>
カドルには守りたいものがいくつもあり、そのひとつにジナイーダも含まれているし、何より何事もない正しい日常は守るべきものだと思っていた。<br>
生来の慎重さ、臆病さはよく言えば責任感を重く持つということにつながる。カドルは自分の守りたいものを守るために絶対的な力が必要だと思ったのだ。<br>
力のない正義は無力であり、また、責任を持たない力はただの暴力である。どちらか一方だけがあっても決してろくなものにはならない。<br>
責任を重んじるカドルは自分に足りなかった力をジノーヴィーの中に見出していたのだ。<br>
そして、今のカドルには力があった。志は今も昔も決して変わっていないと信じている。カドルは今日も明日も、未来永劫過去の思い出ときっとどこかで生きているであろうジナイーダを守り続けるのだ。新たな秩序の剣として。<br>
カドルの肉体をモニタリングしている管制室から通信が入る。<br>
『気分はどうですか』<br>
先ほどからカドルはある種の高揚感に包まれている。<br>
今日までMTばかりを相手にした虐殺ばかり行ってきたが、今回の相手はAC、それもカドルにとって大切な思い出を土足で踏みにじる無礼者である。<br>
俄然やる気も出てくるはずである。<br>
「こちらピンチベック、問題はない」<br>
誰が見たって反吐を吐く、ある意味人として正しい自己満足の塊はヘルメットのバイザーを下ろしてにやりと笑う。<br>
「いつでも殺せる」</p>
<p><br>
二本足のMTが放つミサイルはいくら数を増やそうともファシネイターにかすりもしない。狭い一本道で雨あられと降り注ぐミサイルを全てよけきるには相当な場数を踏んでいる必要があるはずだ。<br>
しかし、レイヴン歴わずか半年に届くか届かないかぐらいのジナイーダはそれを軽く実行して見せた。<br>
常人の神経で成し遂げられる事ではないのだと、ジナイーダは頭の中ではわかってはいたが、自分が化け物に近い存在であるという周りの見解は到底理解しうるものではなかった。<br>
なぜならば、自分にはそれを成し遂げることが当然であるべき理由があるからだと、ジナイーダは考える。<br>
自分の力しか信用することが出来ないという切迫した心境と親の仇であるカドルへの執念が彼女にそう思わせていた。<br>
ファシネイターの姿勢は低く、MTに一気に接近する。肩からMTの重心に体当たりを仕掛け、ピーキーなバランスのMTは巨大な力に逆らえずに仰向けに倒れる。<br>
ファシネイターは覆いかぶさるように仁王立ち。MTのコックピットブロックにマシンガンを突きつける。<br>
直後にマシンガンはいくつもの薬莢を勢いよく吐き出し、刹那にマズルフラッシュはMTのモニターを完全に焼ききる。弾丸は装甲にたくさんの虫食い穴を開けて内部に侵入、何が起こっているのかも理解できていない操縦者を砕き、ミンチ以上にひどいただの肉塊に姿を変える。<br>
ファシネイターはまた一人の人間の血をすすり、それでもまだ足りないとでも言いたげな表情で通路先の扉の向こうを見つめる。<br>
『ジナイーダ』<br>
的確な判断は的確な言動を生む、それはやがて的確な力となり正当な結果を生む。つまるところオペレーターの言葉は素直に聞くべきだということだ。<br>
そして、たった半年の永遠を生きてきたジナイーダにとって、何よりも歓迎するべき言葉だった。<br>
『敵ACを確認、ピンチベックです。』<br>
ファシネイターのカメラアイが笑うようにズームをかけ、ジナイーダは溜まったつばを飲み込んだ。<br>
ゴクリと、小さな筈の喉がなる音はやけに耳の奥に絡みついた。</p>
<p><br>
「機体との同調率、六十%を突破!」<br>
「七十パーセントに到達するまで約二分!」<br>
薄暗い管制室中にスタッフたちの声が響き渡る。<br>
しつこいまでに糊付けされた制服を着込んだ新入社員のようなスタッフ達のパネルを叩く手つきは玄人のもので、奇妙なアンバランスさが見ている者の笑いを誘う。<br>
最も大きいモニターに表示された、計測結果は以前までの実験に比べるととても信じられたものではなかった。<br>
その信じられない結果は管制室内にこれまた信じられないほどの喧騒を作り出していた。<br>
いつも暇そうにモニターを見つめているだけのスタッフもここぞとばかりにぎらぎらと光らせた目で自分に与えられたノルマ以上の仕事をこなしていく。<br>
それらの様子をまるで人事のように見ている白衣の男が、ずり落ちたメガネを中指で押し上げる。<br>
「前回計測値の二倍以上……最高記録を大幅に更新ですか」<br>
今までのような強化人間、人の手によるドーピングや反射神経の強化によりドミナントに近づくことを目標にしたものでなく、ドミナントとはまったく違うものとしてドミナントを遥かに超える兵器を作る計画。その計画の中心核となる人間を臨機応変な対応と高速処理が可能な制御装置としてACに組み込む実験。<br>
その実験体第一号のモリ・カドルは並の人間よりも力への渇望が強く、かつ具体的だった。<br>
それ故に実験体として非常に使いやすい。強い思い込みは利用しやすかったし、カドルは第一号実験体としてはこれまでの段階でも十二分に役目を果たしていた。<br>
さらにここに来てこれまでの倍以上の数値、カドルは科学の進歩の大いなる糧となっていた。<br>
この計画が成功すれば何者にも度し難いほどの力を意のままに操ることが出来るようになる。<br>
その力によりアライアンスはこの世に現存するあらゆる勢力を制圧し、一党独裁を行うことにより、生命体の集団でありながら管理者になるという偉業を達成することとなるだろう。<br>
「ファシネイターモニターに写ります」<br>
スタッフの声に応じ、場にいる全員がモニターを見上げる。メガネが光を反射し、この場で最も地位の高いであろう男の目は誰の眼にも確認できなかったが、口の端が歪んだことで誰の眼にも嘲笑ったことが明らかである。<br>
「彼女に感謝するべきかもしれませんね」</p>
<p>
建造物の陰からピンチベックが下品な顔をのぞかせる。通信、<br>
『ずいぶんと調子よさそうだねぇ、だまされたとも知らずに』<br>
ピンチベックは、形だけなら誰でも知っているあるレイヴンのACそっくりだった。腕も顔もコアも武器も、まったく同じ。<br>
ただ、反転しただけのエンブレムだけが禍々しい何かを吐き出していた。<br>
それはジナイーダの親の仇が持っていたエンブレムであり、そのエンブレムをもったACに乗るのがカドルであるならば、カドルは間違いなくジナイーダにとって母の仇だった。<br>
泣きなくなった。どうしようもなく泣きたくなったが、生きている限りもう泣いていてはいけないのだ。一瞬後の自分はきっと泣きたくなった自分よりも更に強い。強くなければならないのだ。<br>
ファシネイターは無音のままレールガンを構え、撃つ。明らかに当たる軌道を描いていない粒子の束はピンチベックの遥か後方で大地に当たり、砂の粒と轟音を巻き上げた。<br>
ジナイーダはレイヴンとしてのカドルは大した人物ではないとオペレーターから聞いている。唯一、オペレーターが間違った事実だ。<br>
なぜなら、目の前にいるACはこれまでに相対した敵の中で、少なくとも二番目位には強い殺気と気迫を感じさせているからだ。<br>
<br>
「ジナイーダだなんて、ふざけた偽名を使いやがる」<br>
<br>
『偽者などではない』</p>
<p>
両者とも口を開いたときには動き出している。指がパネルの上をすべり、ペダルを渾身の力で踏み抜く。<br>
わずかにピンチベックが早く動いて初戦を制す。<br>
豹のようにかけたピンチベックはジナイーダが気付いたときにはすでにファシネイターの懐にもぐりこんでおり、あわよくば初撃でジナイーダの命を奪おうとしていた。<br>
急な接近にファシネイターはたたらを踏み、迂闊な胴体めがけてピンチベックの左手から伸びた光の剣が延びる。<br>
一瞬で勝負を決められてしまうのは二流の証拠である。ジナイーダは曲がりなりにも一流を自称しており、殺し合いが始まってからものの数秒で死ぬつもりは毛頭無い。<br>
踏んだたたらはそのままに、ブースターを急展開して後方に逃げ延びる。後一歩でコアを串刺しにしたであろう光の束はその射程の短さのせいでジナイーダを仕留めそこなった。<br>
ジナイーダは現行のFCSでは左手の装備まで完全にカバーすることが出来ないのを知っていて、だからこそ早めにトリガーを引く。<br>
タイミング、軌道共にジナイーダのイメージ通りに事が運ぶが、相手の動きを完全にイメージすることは出来ない。<br>
案の定ピンチベックは既に射程外ぎりぎりまで後退しており、下品なACには熱いシャワーを浴びせかける程度にしかならなかった。<br>
ジナイーダは遠距離に対応するべく、エクステンション共々マイクロミサイルをファシネイターに準備させる。<br>
背中と両肩にぶら下がった無骨な箱はそれぞれに地獄の釜の蓋を開いて、ロックが完了する瞬間を今か今かと待ちわびた。<br>
銀色のACのFCSはすぐに右腕部武装対応モードから肩部ミサイル対応モードに切り替わり、ロックオンサイトの形状が若干変化し、そのわずかな間にピンチベックはグレネードの発射体制に移ろうとしていた。<br>
通常、二脚型ACが肩部においてミサイル・ロケット以外の長物兵装を使う場合には、機体のバランスをとり、その上発射の反動に耐えて正確な狙いを維持し続けるために片ひざをついて、自ら砲台になる必要がある。<br>
しかし、コンピューターと同調しているカドルは例外に足を突っ込んでいた。アライアンスの改造によって機体そのもののメインコンピューターとリンクし、機体の状態を寸分違えず把握することによって、肩部用キャノン系兵装を使う場合でも砲台ならずにバランスを保ち続ける方法を持っていた。<br>
――どうしてあんなことが……――<br>
カドルが改造されていることなんて夢にも思わないジナイーダには、グレネードを構えたまま跳躍を繰り返すピンチベックは便所に毎夜現れる透き通った住人と同じものに見えた。<br>
自分の目まで疑う。疑ったところでどうなるわけでもないが。<br>
ロックオンの瞬間と同時にトリガーを引き絞り、マイクロミサイルは群れを成してピンチベックに襲い掛かる。<br>
煙を引いて飛翔する十一発のミサイルは質よりも量が命である。一発一発の威力はたいしたことは無いが、とりあえずは当てるところからはじめるべき。自然数は一から始まるのだと相場が決まっていた。<br>
ミサイルはおのおの手のひらを開くように広がってから、十一本の指が一まとまりの拳骨を形作ってカドルの機体に直進する。<br>
拳骨というヤツは硬くて硬くてとても壊せたものではないが、指の一本一本は握って少し力を加えるだけで折り曲げることが出来る。<br>
長大なグレネードから放たれた火の玉は強固で小型の拳骨になって指の一本一本を捻りつぶし、合計で五本ほどの指を折り潰す。<br>
ジナイーダから見ればミサイル群の中心が突然爆発したようにも見えた。<br>
生まれた煙を書き分けながら残りのミサイルとグレネード弾は互いが目指すべき方向を見定めて突き進む。<br>
グレネード弾は弾速がそれほどあるわけでもなく、一発限りが飛んでくるのならそれがジナイーダにかわせない道理は存在しない。<br>
芸も泣くただ飛んできた弾丸をファシネイターは右へステップしてかわす。大地をかすめたつま先がわずかに砂を飛び立たせた。<br>
一方のカドルは空中を滑る機体をグレネード発射の反動には逆らわせず、されるがままに機体を回転させる。<br>
神経と直結したレーダーにはミサイル表示機能が搭載されており、カドルの脳は一瞬でミサイルの弾数、速度、軌道を把握してその全てを避けられるよう、完璧に計算しつくされた回転で肩を、ワキを、頭部を、拳を、脚部を、股をミサイルが通過するようにして見せた。<br>
ひざを立ててうずくまるように着地する。<br>
ファシネイターはグレネードの爆発にまぎれてピンチベックのアイカメラから逃れ、建造物の合間を腰をかがめて通過する。<br>
相手には確認されないよう、そしてその上で出せる最大速度でカドルのACの後ろをとるように移動を開始したが、生憎とACはレーダーから逃れる術をほぼ持たないのだ。<br>
カドルの肉眼で、ピンチベックのアイカメラで姿を捉えることが出来なくなっても、レーダーは建造物の向こう側を逃げるようにして移動するファシネイターの位置を把握していた。<br>
レーダー上の赤い点は中心を避けるように迂回して、レーダー中心のわずかばかり下で止まった。<br>
『チェックメイト!』<br>
殺し合いの相手が勝利を確信したであろう声はカドルの耳には滑稽にしか聞こえない。相手はきっとカドルが後ろを取られていることに気付いていないと思っている。手のひらで小躍りする雑魚はかわいらしくさえ思えた。<br>
ファシネイターは装甲の薄いであろうACの無防備な背中めがけて今、正に終止符のトリガーを引き絞った。<br>
いくつもの粒子がただ一点に集中し、やがて大きなエネルギーの塊となる。塊は目標へと向かうベクトルを与えられて無防備な背中めがけて飛んでいく。ジナイーダの勝利は目前だった。 <br>
しかし、当たる瞬間、ピンチベックがいまさらながらに動き出した。右足で大地を強く蹴り、左足を軸に反回転。光弾は回転ドアを通過するようにACの中心をつかみ損ねて素通り、遥か向こうの建物に衝突して破壊の限りを尽くす。<br>
ジナイーダはその眼を限界までかっ開いて、それでもまだ信じられないものを見たのはこれで二回目だった。手の甲でごしごしと眼をこするが、目の前の事実は変わらない。きっと便所にだって透き通った住人がいるに違いない。<br>
ピンチベックは動揺する敵ACを尻目に悠々とライフルを構える。カドルは笑いをこらえることが出来なかった。卑怯者はここで死ぬ。</p>
<p><br>
傍から見ていても、カドルが圧倒的優勢に立っているのは明らかだった。懸命に足掻くドミナント候補を相手に遊ぶ実験台を見つめるスタッフの眼には喜色が含まれている。<br>
ピンチベックが放った二発目のグレネードはファシネイターの足元に着弾、爆風でよろめいたファシネイターは間髪入れずコアに突き刺さったライフル弾の衝撃によりすっ転んで仰向けになった。<br>
もはや勝負は決しつつある。なのに<br>
「撤収の準備をしてください」<br>
急にこの場の責任者が状況を無視したような言動を始めた。いつもだったら戦闘後のデータも十分に取ってから撤収しているというのに何事なのか、とスタッフが首をかしげる。<br>
しかも今回カドルが勝利を収めようとしている相手は目下ドミナントである可能性が最も高いとされるジナイーダである。ドミナントを超えることがとりあえずの目的である今回の計画は幾つものステップを跳び越して成功段階へと進むことが出来る。<br>
結果が実る瞬間をわざわざ見逃す科学者は存在しない。スタッフには責任者の言動は常軌を逸しているように思えてならなかった。<br>
「主任は実りの時期をわざわざ逃してしまうというのですか」<br>
相変わらず主任のメガネが光を反射しているせいで主任の目が見えず、表情が読めない。<br>
細くて白い不健康そうな中指でメガネを押し上げた主任はそれを無視してほかのスタッフに次々と指示を送る。<br>
「車の用意を、採取したデータも忘れずに、器具は大切に扱ってください。研究の成果を無駄にすることはありませんからね」<br>
一人のスタッフがコンピューターから記録用のDVDを抜き出し、バックアップデータを取る。また一人が携帯用の機材を纏め上げていく。<br>
「主任!」<br>
どうしても納得のいかない男は主任に食って掛かる。功をあせる男は自分の雇い主に牙を向いてしまったことにさえ気付かない。<br>
「ならばあなたがここに残ってデータを取り続けてください」<br>
高圧的な態度から発せられる高圧的な言動は死の宣告のひとつなのだが、これにも男は気付かなかった。<br>
無言で振り返り、再びパネルと格闘を始めた男を未来を導き出す方程式の中から除外して、主任も振り返り、非常用の出口へと向かう。<br>
何故ドミナントが戦闘能力に特化しているとされるのか。<br>
今、ドミナントであるとされる存在の戦闘記録によると、彼らは並みのレイヴンに比べて特別反射神経が優れているわけでもない。運動神経だってきっとそうだ。ACの動きそのものにはどこにも変わった点は見られない。<br>
しかし、彼らは決して負けはしない。過去において、一度も負けた例がない。それは何故か。<br>
論理的に考えてみて、それは圧倒的な学習能力によるものであろうと、創造することは容易い。ならば、いくら元が人とはいえ、やはりワンパターン化した機械のようなものでは勝ち目がないであろう事も容易に創造できた。<br>
つまり、今後の課題は機械にどのようにして高度な学習機能を与えるか、ということである。ステップは一段ずつ上っていかなければならないし、一の次は二であると相場が決まっているのである。</p>
<p><br>
その日、カドルに与えられた仕事は、特攻兵器襲来のドサクサにまぎれて逃げ出した試作兵器AMIDAの駆逐。簡単に言ってしまえば害虫駆除のお仕事だった。カドルはACを防護服代わりに蜂の巣を突っつきに行くのだ。<br>
AMIDAは虫型の生体兵器で、人類最先端技術の結晶だ。兵器として使うにはまだ今ひとつな点の多い兵器だけど、未完成の状態でも並の生き物の数倍の生命力、生体の巨大さ、どんな衝撃もパーペキに防ぎきってしまう程強靭で分厚い殻。<br>
人間程度だったら、抵抗も出来ない間に殺す事だって簡単にしてみせる強力な生命体だった。<br>
その強力な生命体が某研究所から大量に逃げ出したらしくて、既に都市部にまで進行してしまっているそうだ。<br>
アライアンス研究部の面々は対装甲装備を実装する前でよかった、と安堵の表情を見せていたけど、それでもやっぱり脅威は脅威に違いない。<br>
開発したキサラギ派の研究室はきっと予算をかなり減らされてしまうことだろう。<br>
ご愁傷様、とばかりにカドルは手を合わせた。<br>
『カドル、調子はどうですか』<br>
ピンチベックのコックピットの様子は常時モニタリングされていて、機体とカドルの状態はアライアンスのスタッフ達に厳重に管理されていた。<br>
「いけます」<br>
『よろしい、では今回の任務内容を言ってみてください』<br>
それぐらいはカドルだってわかっている。馬鹿にしないでほしい。<br>
「害虫駆除」<br>
自分を監視する礼儀知らずの主任を急かそうと早口で答えるのだけれども、彼は恐ろしくマイペースで、カドルは馬鹿にされているのではないか、と何度も疑った。<br>
「判断力の混乱は認められない、と。……問題ないようですね。では、がんばってください。生き残っている人間は皆シェルターに避難したはずです。気兼ねは要りませんよ」<br>
ヘッドホンの奥底から、ブツリ、と断線する音が聞こえて、主任の声が聞こえなくなる。<br>
何かに開放されたみたいな気分になって、カドルは大きく伸びをした後コンソールパネルを叩いて装備の以上が無いかどうか、点検をする。<br>
ピンチベックをぶらさげた輸送ヘリは、目標地点に到達したようで、コックピット内に遠慮なしで形式ばったヘリパイの声が響き渡った。<br>
「目標地点に到達、ACを投下します」<br>
毎度毎度同じリズム、同じ口調で同じ中身のことばかり言っていて飽きないのか、とカドルは毎度毎度思う。カドルは毎度毎度聞かされているせいで飽きてきているのに。<br>
カドルは貧乏ゆすりをやめて、真下に広がる街を見下ろした。<br>
街のあちこちで火の手が上がってて、町全体が赤く染まっているようにも見えた。これが自分の住んでいた街なのだ、と思うと眩暈までする。<br>
ヘリとACをつなぐフックが大きな音を立ててはずれ、コックピット内は軽い浮遊感に包まれる。ピンチベックは火の海の只中に落っこちていった。</p>
<p> 「ハァ、ハァッ」<br>
ジナイーダは息を切らして走り続ける。路地は荒れ果てていて、とても入りたい場所じゃなかったけど、黒い虫みたいな化け物から逃れるためなんだからしょうがない。<br>
死ぬよりも臭い方ががまだましだ。<br>
助かるだけだったらこんなところを通らなくてもよかったのだけれども、自宅には足が悪い母が一人っきりでいる。ジナイーダは親殺しをすることが出来るような人間じゃなかった。<br>
たった二十分かそこらで家にたどり着けるはずなのに、もう一時間も走ってるような気がして、体中が疲れを脳に訴えた。<br>
ろくに前も見えなくて、足がもつれもする。転びかけて、壁に手をついて。ゴミ箱を蹴っ飛ばして、こぼれた生ゴミをけっちらかした。<br>
家までの最短距離を通るに当たって、一度大通りに出る必要がある。大通りにもしバケモノがいたらゲームオーバー。<br>
死ぬかもしれない瞬間が近づいてくるのは怖かったけど、自分を育ててくれた親を見殺しにするのはもっと怖かった。<br>
だから、足は止まらないで、やがて路地の出口にたどり着く。<br>
次に目指す路地はジナイーダから見て、大通りをはさんで右斜め前にある。<br>
大通りは既に真っ赤に染まっていた。<br>
あちこちの電柱や建物にはトラックから二人乗りの小型車まで、様々な車が突っ込んでいて、そのどれもが火を吹いてただの鉄くずに成り下がってしまっている。<br>
いつもならこの通りは学校帰りの学生や、主婦や子供、他にもいろいろな人でにぎわう商店街なのに、今は誰が見ても恐怖と迷惑大安売りの闇市にしか見えなかった。<br>
ジナイーダは肺の底で濁りに濁った空気を吐きつくしてから、大きく深呼吸する。<br>
酸素がほしかったけど、肺が吸い込んだのは煙と二酸化炭素ばかりで、結局咳き込んで余計に気分を悪くした。<br>
痛む喉を押さえながらジナイーダは路地口から通りを見渡す。<br>
視界はとても悪いけど、バケモノは今のところこの通りにはいないように感じ、居もしない神様に感謝の言葉を吐きかけた。<br>
この通りにバケモノが居なくても、油断するわけにはいかない。次の瞬間に通りの向こう側から走ってくるかもしれない。<br>
今居る路地口から、次通る路地までそれ程距離は無いけど、人間がその距離を全力疾走するぐらいの時間で、バケモノたちは百メートルをひとっ飛びする。<br>
そう長く立ちんぼで居ると、そうなる可能性だって大きくなる。<br>
意を決して走り出した直後に<br>
「シュゥルゥゥフゥゥ」<br>
コーラの炭酸が抜けるような音が聞こえて振り返ると、ひしゃげた車の影から、あごに女の細い腕をくわえた、小さなバケモノが顔を覗かせていた。<br>
バケモノはジナイーダを確認すると、くわえた腕を力任せにあごでへし折った。<br>
真っ二つになった腕は粘々したの唾液の糸を引いてコトリ、と陶器のような音をたてて地に落ちた。<br>
ジナイーダはバケモノの背に、腰から下を失くして、瞬きが出来なくなった目でひたすら空を見つめ続ける女性を見た。<br>
女性は右腕と右乳房もなくしている。<br>
「ーーー!」<br>
吐きそうなっても手で口を押さえて必死に我慢する。そんな場合じゃないことは百も承知で周りを見渡して武器になりそうな物を探した。<br>
いくら小型でも、素手で勝てるとは思っていない。<br>
慌てふためく脳みその記憶袋には穴が開いていて、見渡した景色の中から手に入れた情報も、いくらかを取りこぼしてしまう。<br>
そのため、二・三度ブンブンと首を振り回してから、やっとバケモノのそばの火の中に、半分ほど体を突っ込んだ鉄の棒が落ちていることに気付いた。<br>
バケモノがもう一度あごでコーラが気の抜けるような音を鳴らして、六本あるように見える脚の関節が、全て一斉に曲がる。<br>
ジナイーダは虫が跳ぶタイミングをはかって、棒に向かって走り出した。<br>
いくら想像を絶するバケモノだとしても、物理法則にまで逆らうことは出来ない。<br>
バケモノが跳ぶ速度はとてつもなく速かったけど、ジナイーダが真横にステップすると、虫の動作は丸々無駄になった。<br>
空を切るバケモノは軌道を変えることが出来ないで、獲物の顔をガラス玉のみたいな瞳で見送った。<br>
虫はかなりの距離を跳んでから着地して、人間が嫌う黒くて汚い生きた化石と同じような動きで百八十度ぐるりと回る。<br>
もう一度獲物めがけてジャンプ。鋭くてナイフのような軌道は今度こそジナイーダを正面に捉えていたけど、<br>
そのときにはもうジナイーダは焼けた鉄の棒を握り締めていた。<br>
焼ける手のひらも気にしないで、虫の姿もろくに見ようともしないで振り返りながらフルスイング。<br>
手の内に嫌な手ごたえが残って、化け物の小さいながらも重たい体が宙を舞って、背中からコンクリの壁にぶつかった。<br>
派手に吹き飛んだけれども、棒が叩いたのは殻を被った顔だったので、大した打撃にはなっていないだろう。<br>
野性の本能に従ったジナイーダは、高温の鉄棒を長ドスみたいに腰ダメに構えて、殻のついていないバケモノの腹めがけて子供のころ見た任侠物のように突進した。 <br>
体重に、足のバネ、腕のバネ。それぞれ出せるだけの力を出して、鉄棒の先に集まる。<br>
合計でいくらの力がかかったのかはわからないけど、バケモノの柔らかい腹に棒は突き刺さり、高温で体の中を焼く。<br>
体液が沸騰して、傷口から蒸気が吹き出る。六本の不細工な節足がてんでばらばらにもがいて痛み苦しみを表そうとした。<br>
「キィィィィィイィィィィヒィィィィィィ」<br>
やがて、黒板を引っかいた音のような叫びをあげて、バケモノはその息の根を絶たれる。<br>
ジナイーダは鉄棒を握った手をダランと下げて、不気味な死体は落っこちてベチャリと嫌な音を立てて中身をぶちまけた。<br>
「―ハァッ、ハァッ、アッ……」<br>
頭を垂れて目を瞑ると、そのまま倒れて眠ってしまいたくなった。<br>
体が訴える疲れの量はもう耐えられる量を超えていて、気持ちが負けてしまいそうになる。<br>
「なんだってのよ、一体……」<br>
突然、手のひらにものすごい違和感を覚えた。馬鹿みたいに熱い棒を握ってるのに、その熱さを全く伝えてこない手のひらはがむしゃらにジナイーダの不安を煽った。<br>
棒から手をはなそうとしても、皮膚が焼きついてしまっているみたいでちょっとやそっとのことではがれそうにも無かった。<br>
そのことに気付いてからは夢中になって棒を手のひらからはがそうとする。<br>
足で棒を踏みつけて手を引っ張ると、腕の神経がいつもの何倍もの力に痛みを訴えかけたけど、それはもうちいさな問題でしかなかった。<br>
火事場の馬鹿力は手のひらの皮膚ごと棒を手のひらから引っぺがす。ビリ、という何でもなさそうな音が心に痛い。<br>
皮膚の向こうの肉はまだ焼けてはいなくて、そのことについては幸運以外に言いようも無かったけど、皮膚がはがれる痛みはジナイーダの人生の中でもダントツで一位をとることのできるものだった。<br>
皮のなくなった手のひらは鮮やかなピンク色だった。<br>
鮮やか過ぎて、それが逆に不気味で気持ち悪くてたまらない。血管が肉の下でうごめいていた。<br>
ジナイーダは絶望的過ぎる状況にとうとう我慢し切れなくなって生まれたばかりの子供みたいに泣き出した。<br>
「アアァッァッァァァ……」<br>
肺に残った酸素も少なくて、叫びも尻すぼみになってすぐに消える。<br>
血まみれの両手で顔を覆うと、涙がいくらも溢れてきた。<br>
―んなときにかドルはどうしたんだろう。こんなときぐらい、白馬に乗って助けに来てくれてもいいのに。<br>
書置きだってしないで家を出て行って、もう二週間。<br>
爆発する妙な飛行生物を指差してUFOだUFOだと大騒ぎした挙句、爆発に巻き込まれて死んでいった知り合いを尻目に、<br>
いなくなった男を待ち続けてきたけども、<br>
カドルは一向にかえってこなかった。もしかして、この街はもう存在しないとでも思っているんだろうか。だったら悲しい。カドルも少しは悲しんだろうか。<br>
「―――――――ッッッ!」<br>
人が聞き取れる範囲をカンペキに通り越した叫び声があたりに響き渡る。<br>
鼓膜が身震いして張り裂けそうになった。続いて何かとても大きな物が崩れおちる音も聞こえた。<br>
へたれこみそうになった足を殴って喝を入れる。<br>
立ち上がって、音がしたほうを見ると、さっきの虫をそのまま何倍にも大きくしたようなのがビルに寄りかかっていた。<br>
大きくした、といっても、それを一口で表現しちゃうのはちょっとまずいかもしれない。<br>
大きい虫が一分の一スケールとすると、さっきの小さいのは六十分の一スケールだ。<br>
過剰表現だとわかっていても、前言を撤回する気にもなれない迫力はつぶらな瞳でしっかりとジナイーダをにらみつけた。<br>
さっきの断末魔は「仲間を呼ぶ」コマンドだったわけだ。小さいやつは大きいヤツの子供かなんかだったのか。<br>
ジナイーダは死にたがりじゃ無い。死ぬのなんかごめんだと思ってる口で、それは人間としちゃあ当たり前のことであるからして、ジナイーダは全力疾走を始めた、<br>
もうすぐで家につけるけれど、本当に母は生きていてくれるだろうか。</p>
<p>
火に照らし出された巨人が、相対的にはちっこくてアリのような虫を踏み潰した。AMIDAは叫ぶ暇だって与えられずに地を撒き散らしてペチャンコになった。<br>
人間にとっては脅威のAMIDAもACにかかればこんなもので、正に虫けら、といった風である。<br>
邪魔を通り越して可愛いとも思えた。<br>
ビルに巣をはったAMIDAが灰になるまでグレネードを叩き込む。<br>
火の玉が三発。ビルを真ん中からポッキリと折るのは気分爽快。なかなか味わえない快感だった。<br>
ビルに着弾したグレネードはその場で爆発。<br>
炎を風をばら撒いて、フロア内のものは根こそぎぶっ倒れるか吹っ飛ぶかする。どっちにしたって高温に耐え切れなくなって溶ける。<br>
やがて、波は向こう側のガラスも叩き割って、支えをなくした上のフロアが落っこちてくる。<br>
そのまんまバランスを崩したビルはもろくなった部分からポッキリとイッちまう。<br>
地面に落っこちたビルが窓ガラスを割り散らして大合唱してカドルを歓迎した。<br>
カドルはその涼やかな音に酔いしれて、次のグレネード、その次のグレネードを撃ち続ける。<br>
五本くらいビルを折ってから、やっと尋常じゃない弾の減りに気付いた。<br>
「そろそろ自粛するか」 <br>
わざわざグレネードなんてつかわなくったって仕事は簡単なのだ。<br>
もう自分は十分楽しんだし、ライフルで穴を開けるのも、ブレードで焼き切ってしまうのも楽しめそうに思えた。<br>
そういうわけで、コンピューターと直接つながるカドルの脳はFCSの処理対象をライフルだけに絞り込んだ。<br>
カドルが思っただけで、コンピューターは勝手に仕事をこなし、パネルには「R arm」の文字が点滅した。<br>
足を止めていたピンチベックが歩き出す。<br>
もうレーダーにはそれほど多くの生体反応は映っていなかった。<br>
そんなに急ぐ必要を感じないカドルはそれなりにリラックスして、さも自分とは無関係とでもいいたそうな目で街を眺めた。<br>
街をぼろぼろにしたのはたぶん、今回のAMIDAだけによるものじゃないだろう。<br>
それでも、カドルが見てきたほかの街よりも原形を留めている分まだマシなように思える。<br>
今回の襲撃の直前までは街の役目を果たしていただろうということのなごりがあちこちに見つかった。<br>
特に気を回さなくても、レーダーはカドルに間違いの無い情報を伝える。<br>
それによれば、二匹ほど、近くによって来ているらしい。それと残りの虫の多くが一点に集まり始めていた。<br>
まずは近くに潜む二匹を殺すのが先、その次に虫が集まるところにいけばいいだろう。<br>
二匹の虫はいつの間にかピンチベックを挟むように左右からピンチベックの隙を伺っている。<br>
二匹とも、同時に体を縮こまらせて、同時に跳ぶ。大した速さだったけれど、ドーピングを受けているカドルからしたら牛歩みたいなものだった。<br>
ピンチベックは仁王立ちのまんま左右に手を広げ、まずはブレードを起動させる。<br>
伸びた青い刃は熱で空気をかき乱して、らっかをはじめたAMIDAを焼いた。光へ上から落っこちたのに、光の下からは何も落ちてこない。<br>
右上に突き出されたライフルは落ちてきたAMIDAを銃身に引っ掛けて、そのまま弾を弾き飛ばした。<br>
AMIDAは落としたトウフみたいにばらばらに砕けてあたりに肉の破片と緑色の血を撒き散らした。<br>
複数のAMIDAが集まる点の中心にはかなり弱い生命反応が見えた。たぶん、人のもの<br>
その事に今の今まで気付いていなかったカドルは、急に慌てふためいてフットペダルを全力で踏みつけた。<br>
――もしも、ジナイーダだったら助けなければならない。</p>
<p> <br>
ゲンコツを握り締めて全力で走る。細い路地に体を放り込めば、その直後に一分の一スケールのバケモノも路地に突進する。<br>
そんなでかい体で路地に入れるわけが無くて、路地を挟むように立つ元ヤミ金のビルと元ヤのつく人たちの事務所にぶつかった。<br>
ジナイーダは勢いあまって、前のめりにごろごろと転がって、その後を追うようにコンクリと歪なレンガが落っこちてきた。<br>
ジナイーダは赤い瞳で怒りくるって、あごを鳴らしながら何本もある触手のみたいな舌を地面につきそうなほどにたらしていた。<br>
とにかく全身(と言っても全身は見えないんだけれども)で怒りを表現するアニメ映画から飛び出してきたバケモノを振り返って強がりの笑いを顔に浮かべた。<br>
「ハハっ……オニさん……こっちら……」<br>
――大丈夫、まだ走れる。<br>
自分に言い聞かせて、きびすを返し、血がにじむ手のひらを握り締めて走り出した。<br>
路地は短くて、すこし先から赤い光が差し込んでいる。<br>
イヤな光だけど、その光はジナイーダの心を責め抜いて、負けず嫌いの彼女に体を動かす原動力を与えた。<br>
一本きりの光はやがて大きな光に変わって、その向こう側のビルと焼け落ちたアパートと真っ黒こげの自販機と歩き去ろうとする虫を映し出した。<br>
虫は、通りに飛び出したジナイーダにも気付かないで、通りの向こう側に向かって歩みを進める。<br>
辺りを見回すと、同じような姿で、同じような目をして、しかし、大きかったり小さかったりいろいろな大きさの虫がひとつの方向目指して這い続けている。<br>
遠ざかっていく虫の背に安心しかけたが、まだ気を緩めるわけにもいかないことを思い出し、目に強い光を宿した。<br>
虫たちが目指している方向には何もないように見えたけど、きっと何かがあるはずだと思い、目を細める。<br>
虫たちは本能に従って行動する生き物だと、ジナイーダは思っている。ならば、ヤツらはきっと食べ物を目指しているはずだと思う。<br>
この街で、彼らの食べられそうなものと言えば、犬か猫か、それとも人間。<br>
特に人間はごちそうだ。犬よりも猫よりも、弱くて遅くて捕まえやすい。それに大きい。<br>
かもがねぎとなべとコンロまでもしょって歩いているみたいだ。<br>
だからきっと、虫が求めるのは人間。<br>
ここで、もしかして、とジナイーダは思うわけだ。<br>
まさか、とも思う。<br>
そんなばかなことがあるわけない、とも思うのだ。<br>
目を細めて、炎のもっと向こうを見つめる。<br>
カッコウ悪く這い回る虫ばっかりが目立つけれど、それでも炎の向こうを見つめ続ける。<br>
もっと目を細める。<br>
不安と恐怖は目の前を揺らして、ジナイーダの心はまたもや潰れそうになったけれども、それでも炎の向こう側を見ていると、ゆれる炎の隙間から青い何かが見<br>
それは車椅子の安っぽい青色のシートだった。<br>
歩くことが出来ないジナイーダの母はきっと車椅子の近くにいる。<br>
うずくまっているのか、気絶しているのか、そんなことはわからないけど、きっと危険にさらされていることだけははっきりわかった。<br>
ジナイーダはバケモノの気を引かないといけないとおもって、小さいな石を拾って、<br>
「ケダモノがぁ」<br>
拾った右手を振りかぶる。熱をもった頭は後先考えないで、勝手に突っ走る。もし冷えていたとしたら考えたかどうかもわからないけれど。<br>
「触れるなぁ!!」<br>
たくさんの力が石ころに託されて、石ころはどんなバッターにだって捕らえられない魔球になって虫の一匹にぶつかった。<br>
走りながら石を投げて、近づき過ぎないように立ち止まる。母を助けて、自分も助かる。そのためには自分が突っ込んでしまってはダメ。<br>
どんなに力を込めたって、どんな魔球を投げたって人の力で分厚い虫の殻を割ることは出来ない。<br>
殻にぶつかった石ころは、ただジナイーダの存在を虫たちに教えるにとどまった。<br>
はむかう者を許すことの出来ない下等生物は青い瞳を真っ赤に染めて、体が引きちぎれそうな速さで振り向いた。<br>
あごを何度も鳴らして、その耳障りな音で小さな障害をこれ以上ないまでに脅す。<br>
石ころが地に落ちて、甲高い音があたりに響き渡る。<br>
その音を合図にして、虫たちは一斉に走り出した。<br>
あまりの虫の迫力にジナイーダはたじろいだが、負けん気とプライドが闘争心のケツを蹴っ飛ばした。<br>
理性は沈黙し、おつむの弱い本能が幅を利かせる。<br>
自分を守ろうと思うより先に目の前のケダモノをズタズタにしてやりたいと思って、ジナイーダは瞳に油を注ぎこんで、歯を食いしばった。<br>
熱風にあおられた髪が揺らめいて、沸騰した血が手のひらからいくらもこぼれ落ちていく。神経はそれらの小事を頭から切り離してシカトを決め込んだ。<br>
虫の群れは関を切った水みたいに溢れ出して、何十本もの足がコンクリとレンガを踏み抜いて、ガレキを蹴散らし、一匹が地面にぶっ倒れて、大地が揺れに揺れて、大きく轟いた。<br>
「一匹が地面にぶっ倒れて」。虫たちが異常に気付いて立ち止まる。それから振り返るまで、何秒も時間はかからなかった。<br>
そして、その場にいる全員が足を止めてさっきまではそこにいなかったプレッシャーの塊を口をあんぐりとあけて見上げた。<br>
火に照らされて暑苦しさを振りまく鉄巨人は、カメラをズームにして自分の追い求めていた微弱な生命反応を確認した。<br>
AC、鋼鉄の巨人のパイロットはズームにしたカメラが写す人間が、ジナイーダでないことを確かめると、わずかに安堵の表情をこぼした。<br>
モニター内で気絶している人は、見覚えのある顔をしているように思えたが、ジナイーダでないのならば特に注意することはない。新だってかまやしない。<br>
ACに対して、どのような意味であろうが勝ることが出来る生き物はこの地球上には存在しない。<br>
その事実には、原因が存在しない。理由をつけられる事実じゃない。<br>
なぜなら、それは絶対に破られちゃならない決まり事だからだ。<br>
そんな当然のこともわからないバカなAMIDA達は、目の前の敵を打ち倒すことだけを考える。<br>
その場にいる虫は一匹残らずACに向かって走り出した。<br>
カドルが見つめるモニターの中で、ロックオンマーカーと疾走するAMIDAが重なる。<br>
トリガーを引くと、ACが担いだ黒い筒から火の玉が飛び出して瞬きよりももっと短い時間でAMIDAに当たって砕けた。<br>
魔球まで跳ね返したカラは簡単に割られてしまって、炎がカラの下を覆い尽くして焼き尽くす。<br>
爆風が無骨な節足と燃え残ったからのきれっぱしと車椅子と、ジナイーダのお母さんを空高くゴミみたいに巻き上げた。<br>
爆風が作り出す力は人の体が長い間耐えられるような力でなくて、<br>
<br>
お母さんの腕と、足と、首とが千切れてもげて、宙を舞った。<br>
私はその光景をただ棒立ちで見つめ続ける。私には何をする力だって残されちゃいなかったし、残っていたって何も出来なかったに違いない。<br>
反転したエンブレムがお母さんを焼いた炎に照らしだされた。<br>
</p>
<p><br>
ピンチベックがファシネイターのコックピットにブレードを突きつける。<br>
どんなにブレードの射程が短いと言っても、ゼロ距離ならよけられるわけがない。<br>
もう勝負はついている。ファシネイターにはきっとこの状況から抜け出す術は残っていないと、カドルは確信している。<br>
ロケットもミサイルも、倒れたままの姿勢では当てることは出来ないだろうし、ファシネイターが動きを見せた瞬間にブレードはきっとコックピットを焼き尽くす。<br>
「もう、抵抗することもできんだろう」<br>
今、カドルの手の中には間違いなく卑怯者の心臓が握られていた。<br>
そして、それを潰すのも捨てるもカドルの意思次第。まるでカドルは神にでもなったような気分で銀色のACを見下ろした。<br>
「言い残すことはあるか」<br>
死刑囚にだって遺言を残す権利ぐらいある、<br>
「燃える街で、お前は何をした」<br>
カドルには質問の意図がなかなか読めないで、しばし記録の海の中を彷徨った。<br>
「燃える街」とは一体どこのことなのだろう。心当たりがありすぎて見当もつかない。<br>
猫に追い詰められたネズミが怒りに震え、唸る様な声で通信機につばを吐いた。<br>
低い声はコックピット内で跳ね返って、妙な音を作った。<br>
「街を襲った試作型AMIDAの群れ、燃え盛る街、昔、私と母さんとそしてお前も住んでいた街で一体何をした。忘れたとは言わせない」<br>
忘れたと言ったらどうだと言うのだろう。ネズミ如きに一体何ができると言うのか。<br>
何も出来やしないのに唸ってばっかりいるのは臆病な証拠だ。きっと<br>
しかし、ならば多少の情けはかけてやろうと思う。どうせ後一分もない命だ。冥土の土産ぐらいはくれてやっても罪にはならない。<br>
どの燃え盛る街でもカドルは同じ任務を請け負っていた。どの街でも、対象の種類がどう変わろうとも、いつでもカドルの仕事は『害虫』駆除だった。<br>
どこにいたって、世界を守る管理者であるアライアンスに楯突く害虫の相手をしていたのだ。<br>
だから、正直に答えた。<br>
「害虫駆除だ」<br>
カドルが負け犬に伝えなければならない言葉はそれだけだった。<br>
追い詰められたネズミは猫を噛む。追い詰められれば臆病者だってその心を熱く燃やす。<br>
その上、カドルの見下したような目と口調と、母への侮辱はジナイーダにもう一度火をつけた。<br>
「ゲス野郎め!」<br>
ジナイーダは涙目で肺の中の空気を全部吐き出す。<br>
大音響がコックピット中に満ちて、<br>
「だれがゲス……っ!」<br>
音があっちこっちに跳ね返るのと一緒にピンチベックのレーダーやFCS、さまざまな電子機器が何かに侵すれていく。<br>
アラームがけたたましく泣き喚いて危険を知らせたけど、カドルの耳にその音は届いていない。<br>
カドルはコンピューターと一体になっている。だから、コンピューターが侵すされるのは直接心を侵されるのと同じだ。<br>
激しい痛みは脳みそを引っ掻き回して、痛みが通った後は動かなくなった。ろくに考えることが出来なくなった。<br>
カドルは片手で頭を抱え、もう片方の手でレバーを握り締めるが、ひどいめまいがその視界そのものを跳ね除け始める。<br>
そして激しい吐き気を全部飲み下して<br>
ファシネイターが右足を限界まで縮めて、ためた力全てでピンチベックを蹴り飛ばした。<br>
、吐いた。カドルは嘔吐感まで征服しそこねた。コックピットが胃液まみれになってしまう。<br>
ピンチベックはオートバランサーに支えられて、数歩下がったもののなんとかすっ転ぶのだけは防いだ。<br>
最小限に押しとどめられたけども、決して小さい隙じゃなかった。<br>
その隙の間にファシネイターはマシンガンを投げ捨てて、上半身を回転させ、その勢いを使って左拳で地面を叩いた。<br>
回転しながら機体全体が宙に浮いて、もう一度腰を回して上下半身の軸をそろえてブースターに火をつける。機体を水平にして着地した。<br>
カドルは揺れる視界の端っこに赤い小型の機械を見つける。頭痛を作り上げた張本人は血のような赤い色をしていた。<br>
「ジャマーか!」<br>
カドルにとって、今感じてる痛みはそれはもう地獄の苦しみだった。頭の中を引っ掻き回されるのなんて初めてだった。<br>
カドルはもう人としては狂っていたけど、このままジャマーを放って置けば完全に壊れることになってしまう。それは耐え難い。<br>
「ああああああああああああ!」<br>
サルのように絶叫なんだか雄叫びをなんだかわからない叫びを上げながら、ピンチベックを一直線に走らせる。<br>
今、カドルの目はジャマーにだけを見つめていて、それ以外は全然見えていない。<br>
ファシネイターの事はすっかり頭から抜け落ちていた。<br>
ノーマークのファシネイターは悠々と自分の倒れていた方向を向いて、目の前にピンチベックが滑り込んでくるのを待った。<br>
そして、おもむろにロケットを二発撃つ。<br>
コンピューターを積む事を考えて設計されているミサイルと違って、その体一杯に火薬を詰め込んだロケットは破壊力がミサイルとは段違い。<br>
迷うだけの頭を持たないロケットはその一途さによって、ジャマーを潰そうと左腕を振り上げたピンチベックの左腕と頭にもろに当たった。<br>
ピンチベックの左腕の肘から先と頭は粉々に砕け散って、役割を完全に終えた。振り下ろされた左腕は拳を失っているせいでジャマーを捉えることが出来なかった。<br>
「クソッ」<br>
わめいたカドルはすぐにアクセルを踏んでブースターを全開にする。ピンチベックはジャマーをひき潰しながら全速で前進する。<br>
痛みが消えて、FCSが作動するようになっても、レーダーの機能が回復する事はなかった。そもそもレーダー自体がもうなくなっている。<br>
空間把握のほとんどをレーダーに補ってもらっていたカドルは、補助をなくしたことでむやみやたらに大きい不安を手に入れた。<br>
目の前しか見ることが出来なくなって、パニックに陥る。<br>
「管制室、聞こえるか!? すぐに援護しろ!!」<br>
カドルは力の限りに叫んだけども、管制室には今一人しか人がいない。<br>
その一人もモニタリングの作業に没頭しているし、コンピュータのセキュリティーシステムは弾薬を節約するよう設定されたままだった。<br>
だから援護射撃は申し訳程度のものでしかなかったし、そんな弾をジナイーダが避けられない筈がなかった。<br>
ファシネイターは身動きが取れないでいるピンチベックに組み付いて、振り回してから援護射撃を放つ砲台の方に投げ飛ばした。<br>
ピンチベックはファシネイターのなすがままに振り回されて、放り投げられて、味方の援護射撃が右ひざを直撃した。<br>
援護射撃はファシネイターを狙ったものだったけど、コンピューターは対象との間に味方がいても、発射のリズムを変える事はしなかった。<br>
そのせいで弾丸は味方に当たってしまう。<br>
「管制室!ちゃんと援護しろよぉ!」<br>
文字通りにピンチベックの膝は砕けてピンチベックはバランスを無くしつつあった。<br>
それでも卑怯者にバカにされたままで終われるか、とカドルは残り少ない根性を振り絞って今選べるなかで最もよいと思える選択肢を選んだ。<br>
ピンチベックは完全にこけてしまう前にブースターのリミッターを破壊して、後ろに向けて動き始める。<br>
普通ではとても考えられない過剰なエネルギーはブースターそのものまで壊し始めて、ブースターは普通ならありえない所からも炎を吹き上げた。<br>
時を同じくして、両肩にぶら下がった黒い筒がその身を持ち上げて、ピンチベックの肩を支えに砲口をファシネイターに向ける。<br>
それから一秒も立たない間にブースターが爆発したけれど、ピンチベックはそれまでに手に入れた推進力で管制室付近の壁まで砂塵を巻き上げながら一息に後退した。<br>
ピンチベックはOB並みの衝撃で背中から塀に叩きつけられる。背中から突き出たグレネードの給弾装置がひしゃげたけど、塀に寄りかかってバランスをとる事はできた。<br>
ピンチベックが反撃をすることが出来ない内にファシネイターは邪魔な援護射撃をとめるべくレールガンを掲げた。<br>
三本の柱の間に何本も電光が走って、交わって、少しづつ大きくなって。光は管制室があると思われる場所に向かって一直線。<br>
一瞬でそこまで到達した光は刹那のうちに管制室の中にいた一人のスタッフと中央コンピュータとを焼き尽くして、灰にした。<br>
司令塔を失くした砲台はがっくりとうなだれて機能を停止する。<br>
ピンチベックは残された右腕が握り締めるライフルを放り投げた。<br>
今、カドルが必要だと思う武器は高火力の武器。ファシネイターを一撃でガラクタに変えられるだけの威力を持った武装。<br>
当たっても、一個限りの穴しかあけられないライフルは必要ない。<br>
コア下腹部の射出口がスライドして、中から小型のグレネードが射出され、勢いを殺すために右手は肘をしならせながらグレネードを受け取った。<br>
カドルは死にかけたモニターをにらみつけて、目の前のほそっこくて殴れば折れてしまいそうな銀色のACを凝視した。<br>
ロックオンマーカーが緑色に輝いて、カドルが歯をむき出しにして満面の笑みを浮かべる。瞳の色は狂人のものになり、よだれを撒き散らして全力でトリガーを引き絞った。<br>
FCS単体では左右両肩と右腕の武装を同時に処理することは出来ないが、カドルの脳がFCSの処理をサポートして処理速度を引き上げることにより、同時使用も可能になる。<br>
処理速度が上がれば上がるほど、カドルの脳細胞は破壊されていった。<br>
計三丁のグレネードがファシネイターを見つめる。<br>
「さっさと死ねぇ!」<br>
裏返った声を合図に圧倒的な量の火薬がいっせいに撃ちだされる。<br>
弾が飛び出すごとに機体に大きな負荷がかかって、軋む。壁を背にしたピンチベックは衝撃を空に逃がすことが出来ない。<br>
ファシネイターに襲い掛かる火の雨は一発一発がACをガラクタにすることが出来るだけの火薬をつんでいて、ジナイーダは回避に余念を持ち込めない。<br>
しゃがんで一撃をかわし、脚部のバネを使ったジャンプで二撃目をかわす。ファシネイターが立っていた地面は爆発に大きくえぐられた。<br>
絶え間のない射撃は空中を飛ぶハエだって目ざとく狙う。<br>
ファシネイターはブースターを吹かして更に高く、太陽に向かって飛ぶ。火の玉がつま先をかすめた。<br>
銀のACはたくさんの炎を紙一重でかわしていく。足を振り回して、わざとバランスを崩すようにして、姿勢制御の動作で。<br>
拳でハエを落とすのは通常は不可能で、それと同じようにグレネードでファシネイターを捉えることは不可能のように思えた。<br>
そのとき、ブースターの出力を調整して、ファシネイターは大地に接触するべく高度を下げるファシネイターのカメラがあさっての方向にすっ飛んでいく火弾を見た。<br>
火弾はファシネイターが着地しようとしている地点に向かっていて、それにジナイーダが気付くのが遅すぎた。火弾が生み出す爆風に機体が煽られて大きく姿勢を崩す。<br>
「っ!」<br>
砕けそうなほどに歯をかみ締めて、一瞬だけ死を覚悟する。次にはグレネードの直撃弾が飛んでくるはずで、それに当たればジナイーダの命はない。<br>
まぶたの裏で、風に煽られ、手と足と首が千切れて飛んでいく母の姿がフラッシュバックした。<br>
さっきまではなんともなかった手のひらに激痛が走る。<br>
痛い。<br>
い。<br>
皮膚の向こうの肉はまだ焼けてはいなくて、そのことについては幸運以外に言いようも無かったけど、皮膚がはがれる痛みはジナイーダの人生の中でもダントツで一位をとることのできるものだった。<br>
皮のなくなった手のひらは鮮やかなピンク色だった。<br>
鮮やか過ぎて、それが逆に不気味で気持ち悪くてたまらない。血管が肉の下でうごめいていた。<br>
ジナイーダは絶望的過ぎる状況にとうとう我慢し切れなくなって生まれたばかりの子供みたいに泣き出した。<br>
「アアァッァッァァァ……」<br>
肺に残った酸素も少なくて、叫びも尻すぼみになってすぐに消える。<br>
血まみれの両手で顔を覆うと、涙がいくらも溢れてきた。<br>
―んなときにカ<br>
<br>
頼れる相手なんてもう残っちゃいない。自分だけで走ららなくちゃならない。もっと速く、もっと強くなって。<br>
誰に頼らなくてもこの世界で生きていけるだけの力を手に入れるのだ。<br>
だから、死ねない。死んだら生きていけなくなる。<br>
もっと生きて、生き続けるために強くなるんだ。<br>
だからまだ<br>
「終わりになんか……してたまるか」<br>
かさぶたでガサガサになった手のひらでレバーをなでて、つぶった目を見開いてからフットペダルを力いっぱい踏み抜いた。<br>
<br>
「さっさと死ね、死じまえよぉ!」<br>
狂気に染まっているはずの顔はどことなくおびえているようにも見える。<br>
それは当然。今カドルが感じているのは脅えだからこその狂気。<br>
我知らずの内にトリガーを引く指はリズムを持つ。<br>
そして、モニターの向こうでは今、一発の炎がファシネイターを捉えようとしているはずだった。<br>
でも、あっさりとかわされた。<br>
「なんで!?」<br>
ファシネイターは仰向けのままブースターを吹かして、ピンチベックとの軸線をずらす。弾丸をかわしきったところで上半身を折ってバランスをとって着地した。<br>
必中だと思っていた弾丸がかわされた上にグレネードの残段数表示が心許なくなってきていた。<br>
カドルの額にいやな汗が居座っていて、そいつは際限のない不快感をカドルに与えた。トリガーを引く指のリズムも少しづつ狂いはじめていた。<br>
機体のどこかで金属同士がぶつかる無粋な音が響く。同時に立ての振動がコックピットを襲って、発射される弾が少なくなったが、混乱するカドルはそれに気付けなかった。<br>
ファシネイターはそのまま直進すれば間違いなく火球の直撃を受けるコースでブースターを吹かし始めた。<br>
それを見たカドルは顔を笑みの形に歪め始めたが、やはり思うようにいくものじゃない。<br>
ファシネイターは火弾にぶつかる直前にミサイルとロケット、エクステンションまでもパージ、一気に速度を跳ね上げて直撃コースを回避した。<br>
カドルの笑みが凍りつく。<br>
銀色のACは青い尾をちらちらさせながら、肩先をかすめるグレネードには目もくれずに光の足跡を引く瞳でピンチベックをにらみつけた。<br>
ジナイーダもカドルをにらみつけ、トリガーを引いた。<br>
ほとばしる電光はピンチベックの右腕を叩き壊して、生まれた炎が握り締めたものと肩に背負うもの、二つのグレネードまでも巻き込んだ。<br>
わずかに残弾を残したグレネードはやり過ぎるほどの爆発を起こして、千切れた砲身と指が宙に舞った。<br>
爆風でピンチベックは塀に体を押し付けられ、左肩と塀の間にはグレネードの給弾装置があった。<br>
ひしゃげた弾丸のうちからバカでかい産声が聞こえる。<br>
巨大な爆発が作り出され、コックピットは炎に両側から挟みこまれる形になり、その炎はまだまだ大きくなる。<br>
コックピットも強度を上回る熱と力には逆らえずに少しづつ変形していく様を見つつ、カドルは自分の思い出を踏みにじった無礼者を憎んだ。<br>
その無礼者に命を奪われるのはどうしようもない不快だ。<br>
死にかけたモニターの向こう側で銀色のACのコックピットが徐々に開いていくのが見える。カドルは最後に、自分を殺した人間の顔を見ていこうと思った。地獄まで恨みを持って行ってやろうと思った。<br>
そして、細められた目が現実を見て、大きく見開かれる。<br>
「そんな、バカな……」<br>
膨れ上がる炎がコアにも伝染して、コアの内から火と風が巻き上がり、その火と風が全部を一緒くたにしてばらばらにした。<br>
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<br>
まだしばらく感慨に浸っていたかったけども、いやみったらしく吹き続ける風はそれを邪魔した。<br>
風はほほをなでて、髪を連れて行こうと引っ張る。さほど強い力でもないが、少しだけ面白くなかった。<br>
ジナイーダは神経のほとんどが死滅した手のひらを見つめる。目の前の障害を打ち倒すために手に入れた力は、その障害がなくなった今も力を手に入れたことによる代償だけは残して行った。<br>
それでも、死ぬよりはマシだと思える。AMIDAと対峙したときに死を選ぶことも出来たけど、傷を負ってでも生きていたいとジナイーダは思った。<br>
傷を負い続けるのはイヤだけど、死ぬのはもっとイヤだと思った。<br>
ジナイーダはきっと今日のことを何度も思い出すし、夢にだって見る。それは見ようによっては傷になる。そしてそれはきっと親の仇を討つために手に入れた力による代償だろう。<br>
仇を討たないでいる道もあったのかもしれないが、ジナイーダは親の死を受け止めるだけで何もしないのは人を捨てることと同じように思えてならない。<br>
結局、ジナイーダは人として生きるために仇討ちの力を手に入れた。そして、この先生きていくにはきっともっと多くの力が必要になる。<br>
その上でその力はもっと多くの傷を作り続けるだろう。<br>
ジナイーダは可能な限り生き続ける道を選ぶし、そのためには傷を負うことも辞さない。可能な限り強くなるのだ。<br>
拳を握り締めて、地平線の向こうを見つめたけども、そこは灰色と茶色の境目もわからない地獄の果てだった。きっと人類の未来の色なのだろうと思う。<br>
風が頬をなでて髪を連れて行こうとする。決して強い力ではないのに、何故だかジナイーダは面白くは思えなかった。<br>
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「任務、完了」</p>
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