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「ジノーヴィーSSその2の2」(2009/03/26 (木) 19:16:07) の最新版変更点
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*
「くそっ」
愛機の中で、ジギタリスは毒づいた。
状況が、まるで分からない。
彼は突然、出撃するよう要請されて、大急ぎで地下のガレージへやってきた。なにやら、緊急事態だったらしい。無線は通じなくなり、司令官――ディグルトと連絡が途絶えていたので、それ以上の状況は聞けなかった。
だが、そんな中でも、マンホールを通り、秘密ガレージまでやってきたのだ。そこで愛機に乗り込んだ途端、今度はガレージの床を壊すように言われた。
その下に――クレスト地下ガレージの真下に、テロリストが隠れている、とのことだった。
最初は、反論した。そんな話は、俄には信じがたい。
だが命令であるし、緊急事態に変わりはなかった。
だから、床を壊した。命令通り、大火力でフロアごと下に崩落させた。
果たして――テロリスト達は、本当にそこにいた。
激しい煙で見えたものではなかったが、その口ぶりなどから、連中が目標であることは一目瞭然だった。
ジギタリスは、無論捕まえようとした。
だがそれよりも早く、テロリスト達は岩盤をぶち破って地上に出た。
ジギタリスもそれに続いて、地上へ、商店街のど真ん中に躍り出たのだが――
(……何なんだ、この状況は!)
情報が圧倒的に不足していた。
何故、テロリスト達が秘密ガレージの下にいたのか。どうして、そんな場所にそれほどの空間があるのか。
胸の内から、そういった疑問が止めどなく溢れてくる。
だがそんな中でも、最も深刻なのは――
「あれは、一体何なんだ?」
ジギタリスが見つめるのは、天を突くような巨体だ。
秋の太陽を背負いながら、馬のような四本足で街を練り歩いていく。それだけならまだよいのだが、その間、チェインガン、グレネード、プラズマキャノン、ミサイル、そういったありとあらゆる武装を乱射していた。
それらは、岩盤を打ち砕くほどの火力である。無論、町並みなど一溜まりもない。
ジギタリスが見つめる中で、デパートがグレネードで吹き飛ばされ、車がミサイルで爆発し、住宅地がチェインガンでズタズタになってゆく。
集音マイクからは絶えず叫び声がし、それに混じってサイレンや緊急放送も聞こえてくる。そしてそれを塗りつぶすように、耳朶を打つ爆音が連鎖していた。
(……なんだ、こりゃ……!)
ジギタリスは、唇を噛みしめた。
ほんの数十分前まで、街は平和そのものだったはずだ。
美しい秋晴れの下では、小鳥がさえずり、勤め人が行き交い、犬の散歩をしていた老人からは挨拶をされた。
だが、今の状況はどうだ。
まるで戦争――いや、それ以下だ。
戦争は、兵士と兵士がやるものだ。
断じて、民間人が一方的に殺されていくものではない。
「……どうなってやがる……! おい、オペレーター!」
通信機に叫んだが、反応はなかった。
スピーカーは、無情の沈黙を続けている。
「おい! なんとか言え、状況を説明してくれ!」
ジギタリスは指でパネルを叩き、何度も何度も通信を試みた。
だが、オペレーターは応じない。
コクピットに聞こえる声は、人々の悲鳴だけだ。
「くそっ!」
歯を食いしばった。
だが――通信は不可能とみるしかなかった。どうやら、瓦礫に巻き込まれた際、アンテナが壊れたようだ。レーダーが機能していないのも、恐らくはそのせいだろう。
状況は、とにかく最悪だった。
もはや、『逃げる』という選択肢を考える時期にまで、来ているのかもしれない。
人々には申し訳ないが、もはやどうにもならない。ここに残り、テロリストと闘いたい気持ちもあるが――やはり、命は大事だ。それをやって、戦果が出るという保証もない。
その程度の分別は、ジギタリスも持っていた。
「……離脱、かよ」
苦々しく呟いた、そんな時――通信機から、聞き慣れない声がした。
『……どれ、俺が応えようじゃないか』
全身の肌が粟立った。
思わずスティック握り、ブーストペダルに足をかける。
聞こえたのは――それだけ不気味な声だったのだ。
死に神が、あの髑髏《どくろ》の顔で強引に喋ったら、こんな声になるかもしれない。
「何者だ?」
その探りに応じたのは、ケタケタとした笑いだった。
ジギタリスは思わず、人骨が顎を揺らして笑う、怪奇映画の場面を想起した。
『……ハンマーヘッド。テロ屋に雇われたレイヴンさ。
ちょっと、回線を頂いてるよ』
一頻り笑った後、男は応えた。
ジギタリスの目が、一転して鋭くなる。
「レイヴンだと? さっき、一緒に穴の中にいたやつか?」
『そうだよ』
「どこにいる? 何の用だ?」
『順番に答えよう。今いる場所は、言えない。用は――君に、お知らせがあるんだ』
ハンマーヘッドは続けた。
ジギタリスは、そこでふと違和感を得た。
愛機のアンテナは壊れている、そう思っていた。だがそれなら、この通信もできないはずだ。
(……どうして、この通信だけ平気なんだ? まさか――『アンテナ』は壊れていないのか?)
ジギタリスはそこまで考えたが、解答に辿り着くことはなかった。
ハンマーヘッドが、より強い言葉で彼の気を引いたからだ。
『知りたくはないかい? 今の状況を、さ。
何がどうなって、こういう状況になったのか。
きっと、混乱しているだろう? クレスト側は、自分たちの有利を信じていたはずだ。
そんな君に、良ければ知っていることを、教えて上げようと思う』
今し方の疑問など、吹き飛んだ。
心が激しく揺さぶられる。それはまさに、喉から手が出るほど欲しい情報だ。
(……落ち着け!)
ジギタリスは歯を食いしばった。
続きを質そうとするのを、強靱な精神力で自制する。
なにせ、信用できる相手ではない。そもそも、相手が本当にレイヴンであるのか、それさえも分からないのだから。
だが――その一方で、無下に断るのも躊躇われた。
ハンマーヘッドは、クレストの内実を知っている、そのことを少し匂わせていた。そして、ACの通信回線を難なくジャックしている。
少なくとも、ただ者ではない、かつ狙いが読めない――その感想が、ジギタリスを長考させていた。
そして、ハンマーヘッドはその沈黙を肯定ととった。
『イエスと取るよ。
……いいかい、よく聞きたまえ。君達はね……情報不足だったんだよ! それも、自分たちが情報不足と気づけないくらい、周囲との情報差は広がってたんだ!
この任務に成功すれば、貴重な情報や技術を、独占できる?
違うね、まるで見当違いだ!
いいかい、君達はね、根本的に誤解しているんだ!
これは――テロリストの蛮行じゃない! 企業の実験なんだよ!』
「……実験?」
『そうさ!』
通信の向こうで、牙が閃く感じがした。
『これは、実験なのさ。
あの四脚の巨大兵器。
かつての都市破壊型巨大兵器――「グレイクラウド」の正当なる後継者、「ディアパルゾン」の実地実験さ!
どれだけ壊せるか、どれだけ殺せるか……その記念すべき生け贄第一号に、この街が選ばれたわけさ!』
「……馬鹿なっ」
ジギタリスは、思わず身を乗り出した。
あまりの成り行きに、最低限の警戒さえ吹き飛んだ。
「実験だと! 何を言ってる!」
『事実だよ。
……いいかい。今から、本当のことを教えて上げよう。
十年前のことだ。この街が出来上がった直後……実は、旧世代の遺跡が、そしてその中の大きな兵器が、この街の地下深くにあることが発見された。
発見者は――キサラギだ。
本来は、クレストの領地なのだがね。あの会社は、色々なところに手を回しているから、その網が何か引っかけたのかもしれない。
キサラギは、その遺物を是非欲しがった。大きな成果になりうるからね。
そして、その遺物の場所は、「地下排水貯水槽」――君達がガレージにしていたところさ――の、丁度真下だったのさ。
そして、その真下の位置で、キサラギは作業を開始した。
まずは遺跡に残されていた巨大兵器を、我が物にしようと目論んだ。
だがね……安置されていた巨大兵器は、非常に弱っていた。ガタがきていた。古いからね。
それ故、まず修理するのが最優先だった。
そうしないと、動かすこともできやしない。
技術者は――町の中にある、秘密の通路から出入りしていた。キサラギが、「地下排水貯水槽」の工事を行っていた業者を抱き込み、密かに追加工事させたのだよ。
その際、ちょっと手違いがあって……「貯水槽」そのものは、使いものにならなくなったそうだがね。
……信じられるかい? クレストの支配する街の地下では、こんなことが行われていたんだぜ?』
途方もない話だった。
だが実話独特の妙な『リアリティ』が、その端々に漂っていた。その上、気味が悪いほど矛盾がない。
むしろ、それくらい突拍子のない話でなければ、あの巨大兵器は説明がつかないような気がした。
『……そして、やがてその兵器は――ディアパルゾンは、復活した。
修理するうちに、それの設計図面も、出来上がっていた。つまり、使われていた技術も八割がたゲットしたってことさ。
しかし……そこでね、情報が漏れたのだよ。
キサラギと提携した、企業がある。ナービスだ。そのナービスが、さらにミラージュに情報をリークした。
一挙に、三つの企業が知るところになってしまったわけだ。
こうなっては、もはや最初に発見したキサラギは、焦る。
だって、せっかく見つけた古代兵器が、狙われてしまうのだから。強奪されては、復活させた費用も無駄になる。
これはまだいいけども……もし強奪されて、同じように研究されたら、最悪だ。独占しうる貴重な技術が、漏れてしまうのだから。これは痛いよ。
特に、キサラギは技術が命だからね。
そして、出した苦肉の策が……!』
ハンマーヘッドは、一拍置いて、言った。
『ディアパルゾンを破壊してしまうことだ!
他の企業に技術を奪われるなら、いっそ壊した方がいいのは目に見えてる。
復活させた費用は無駄になるけど、設計図面は残るし、技術は吸収できたのだから……費用に対する見返りは、十分だろうね!
この貴重な技術は、必ずやキサラギに莫大な恵みをもたらすだろう!
そして……その方策として、まずは、テロリストに預けたのさ。彼らには、「これを好きに使ってくれ」とでも言ってね。
……こうやってテロリストに預けた場合、重要なことがある。
遺跡の出口は、ディアパルゾンは通れない。通れるほどの穴は、全て埋まってしまっている。ディアパルゾンが外へ出るには、天井を突き破るしかない。
これは、可能だよ! あの辺りは、結構地盤が薄いしね。火力があれば、きっとACでも穴が開く。
……そして、天井を突き破ったら、そこにあるのは――「街」だ。
キサラギは、ディアパルゾンを与える交換条件として、その「街」の破壊をテロリストに依頼した。
彼らは快く受け入れた。テロ活動は、そもそも彼らの本業だからね。
……分かるね?』
ジギタリスは、分からなかった。
だがハンマーヘッドは構わず、愉しげに語っていく。
『いいかい?
キサラギは、壊す前にテロリストへディアパルゾンを預け、「都市破壊兵器」としての、「実戦」を行わせているんだよ!
実に、オイシイ話じゃないか! 金の使いどころを弁えている!
データがとり放題、みんなハッピーだ!』
ハンマーヘッドは、また笑った。
その凶悪な笑い声に、ジギタリスが口を挟む。
「……テロリストに預けた後、どうするんだ?」
『理解が遅いね。
要は――全てが終わったら、ディアパルゾンごとテロ屋を始末する。
どうせ壊すなら、捨て駒共に乗り回させて、データを入手してから、というわけさ。
ナイスなアイディアだと思うね。
俺は、その補佐さ』
「……そんな実験で、この街を?」
『そう。
ところで……君達は、ミラージュ、ナービスの諜報員が、この街にいるという情報を、キャッチしているのではないかね?』
ジギタリスが目を剥いた。
『知っているようだね!
……この二社は、まさしくさっきの「遺産」に絡んでいた二社だ!
彼らは、この実験を察知した。手に入らないのなら、せめてその実験の成果を、データを見ようと、こぞって集まってきたのだよ!
……言っただろう、クレストは情報不足だって。
クレストは、こういう事情を知ってたかい? そもそも、実験だということさえ、知らなかったのでは?
……クレストは、勘違いしていたのだよ。
彼らがテロ屋から絞ろうとしていた情報も、技術も、実際はない! 全て……無駄足だよ。
残念だがね!』
ハンマーヘッドは、断言した。お決まりのケタケタした笑いが、愕然とするジギタリスにまとわりついていく。
その瞬間――ジギタリスの中で、何かがぞろりと蠢いた。
今まで麻痺していた、義憤や、プライドが、あからさまな嘲笑に反応し、ようやく鎌首をもたげた。
通信の向こうから、笑みを含んだ声がする。
『ジギタリス、どうだね。悔しいかい? 腹立たしいかい?』
あからさまな挑発に、スティックが堅く握られた。
敵のけたたましい笑い声が、神経を逆撫でする。
思い出したように、ぐつぐつと怒りが煮えていく。
単純なようだが、ジギタリスはこういう男である。ジノーヴィーの見立てに嘘はなかった。
(……なんだ)
ジギタリスの中で、怒りはどんどん燃え広がっていく。
なんだ、こいつは。こいつらは。
何様のつもりだ。この騒ぎで、何人死んだと思ってる。
この町について、まだ数日だ。
だが、気のいいやつは幾らでもいた。
居酒屋の親父、駅員の老人、風船を拾ってやった女の子――そいつらを、殺したのだ。
笑ったのだ。
そんな、馬鹿な理由で――!
「……死ね」
知らず、引きつるような声が出た。
そうでもしないと、怒りと憎しみで胸が裂けてしまいそうだった。
いつの間にか、『逃げる』という選択肢は消え去り、もはや『殺す』の一本道となっていた。
ジギタリスは、義に篤く、人のよい男であった。
だが反面、感情的であり、特に義憤を感じたときなどを周りが見えなくなる。今のように。
端的に言えば、レイヴン向けの性格ではなかった。
あからさまな熱血系であり、冷徹な判断を求められる傭兵の、まさに対極とさえ言える。
そのアスリートとしての美点が、レイヴンとしての欠点が――今や前面に押し出されていた。
そもそも、ハンマーヘッドがこんな情報を気前よく教えてくれたこと、その『意味』を、疑うべきであったのだが――それさえも、彼は怠ってしまった。
結果、彼はハンマーヘッドが望んだ通りの動きを見せた。
「死ね!」
ジギタリスは、叫びと共にシステム・クラッチを踏みつけた。
『メインシステム 戦闘モード 起動します』
ジェネレータが唸りをあげ、間接部がアクティブモードに切り替わった。
小気味いい揺れが、コクピットを震わせる。
そんな中、ジギタリスは火を吐くような叫びをあげた。
「ハンマーヘッド、お前は死ね!」
常人ならたまらず竦み、尻餅をつくほどの殺気が荒れ狂った。
だが、ハンマーヘッドは怯まなかった。
通信機からは、ケタケタという哄笑が聞こえてくる。そして、ハンマーヘッドは堂々と自機の姿を現した。
ビルの上に、純白のACが舞い降りる。
日の光を浴びて、滑らかな装甲を白々と輝かせていた。
だがその色合いとは裏腹に、構成はかなり暴力的だった。
重量逆間接の脚部に、重量コア、重量腕という絵に描いたような重量級だ。
武装もそれにならい、両手にバズーカ、肩にキャノンとミサイルを備えている。
ストレートに『兵器』を連想させるアセンブリだ。
『「グラヴィノス」だ。よろしくね?
……ディアパルゾンは、取り込み中だ。俺が相手をしよう』
ハンマーヘッドの言葉に、ジギタリスは応えなかった。
無言のままに、ブーストペダルを踏みつける。
最大速力で道路を駆け、まっすぐ敵ACへ接近していく。
彼のACは、緑の軽量二脚だ。名前は『ボクサー』。
速度は速く、特に運動性はトップクラスだ。まっすぐ、正面より進んでいっても、攻撃は十分に回避可能だ。
(そうだ……近づけ!)
『ボクサー』は近距離仕様のACだった。
両手にショットガンを備え、コアにも近距離専用のEOを搭載している。
そしてそんなACであるから、FCSも近距離特化だった。
攻撃するには、まず近づかなければならない。でないと、ロックさえできない。
だが――逆にロックさえすれば、こっちの勝ちだった。
相手は重量級であり、一定距離以上近づけば、きっと翻弄さえできる。それ以降は、血祭りだ。
(……つまり、この勝負は……近づくまでが勝負だ!)
ジギタリスは、怒りにたぎった頭でそう計算した。
さすがに戦闘面は一流であり、怒りの中でも戦術眼は曇らない。
ジギタリスは必殺の覚悟を胸に、ブーストペダルをさらに踏み込んだ。速度が上がり、ビルの上の敵がどんどん近くなる。
だが――彼の目論見は、外れた。
ハンマーヘッドが、予想外の動きを見せたのだ。
『せっかちな人だ』
それを合図に、敵AC――『グラヴィノス』の背後で真っ赤な炎が巻き起こった。
あの規模、勢い――OBだ。
白の巨体が、こちら以上の速度で迫ってくる。
間合いは、一挙に縮まった。互いの相対速度は、七〇〇キロを大きく超えるだろう。
「……馬っ鹿な真似をっ」
一瞬驚いた。だが、それだけだった。
これは――むしろ好機だ。
相手から、自分の方に近づいてきたのだから。
手間が省けるというものだ。
ジギタリスはトリガーに掛けられた指に、力を込めた。FCSがロックした瞬間、ショットガンをたたき込めるように。
相手はもうロックしたらしく、バズーカをこちらに向けてくるが――まだ、回避はしない。
FCSがロックしてからだ。それからでも遅くない。
そう、目安はFCS――
『馬鹿め』
ハンマーヘッドが嗤った。
ジギタリスの身を、戦慄が駆け抜ける。
おかしい。FCSが――ロックしない。純白の巨体は、もはや目と鼻の先である。
ロックが、あまりにも遅すぎる。
そこに気を取られ、反応をさらに遅らせたのが――命取りとなった。
「どういうことだっ」
呻いた直後、 COMが甲高い警告音を鳴らした。
ジギタリスは、慌ててFCSからハンマーヘッドへ注意を戻すが――遅い。
バズーカの弾が、頭部を直撃した。
ガシャン、というパーツの吹き飛ぶ音が、確かに響いた。
「くそっ」
ジギタリスはスティックを捌き、急いでハンマーヘッドの横に回り込んだ。
正面にいたら、危険だ。
あの距離では――さすがに避けきれない。
(だが、FCSがロックしなければ、どうしようも……!)
思った時、ハンマーヘッドが信じ難い動きを見せた。
一瞬で、方向を転換したのだ。まるでコマのように、くるりと、回り込んだはずのこちら側に。
曲芸のような動きだが、ACが人型であるという利点をフルに使い、重心移動を上手くやれば――できないこともない。だが、凄まじいGがかかる上、失敗すれば転んでしまう荒技だった。
無論、その間も、OBは発動したままだ。
それ故、敵ACはそのままこちらに突っ込んでくる。
シンプルに『光の反射』を連想させる、鋭角的かつ素早い動きだ。
「な――っ」
ジギタリスの言葉は、途中で途切れた。
ハンマーヘッドのOBタックルを、もろに喰らったからだった。
速度差、重量差――それらが牙を剥き、ジギタリスのACを吹き飛ばす。
だがそんな状況下でも、ジギタリスはトリガーを絞った。
せめて、一矢報いようと思ったのだ。
けれど――彼の撃った散弾は、全て外れた。見当違いな方向に飛び、敵ACを傷つけることさえできなかった。
当然だ。
ロックしていないのだから。
(……どうして……!)
答は、すぐに来た。あまりにも遅すぎる答だった。
本来なら、レーダーや通信機が使えなかった時に、考慮しておくべき選択肢だ。
(……ECMが、張られてるのか!)
気づかなかった。レーダーの調子が悪いのは、崩落に巻き込まれ、アンテナが壊れたからだと思っていた。
彼は、アリーナで活動してきたレイヴンである。そして、多くのアリーナではECMは禁止パーツだ。
アリーナで培った経験が、気づかない内に、ECMという可能性を除外していたのだ。
彼は、アリーナトップクラスの『アスリート』であったが、傭兵としては――『レイヴン』としては、あまりにも経験不足だった。
(……なんつー間抜けだ!)
ジギタリスの顔に、無念の色がありありと浮かぶ。
と、追い討ちするように、彼の体を強い衝撃が打ち据えた。
吹き飛んでいたジギタリスのAC『ボクサー』、それがビル壁に激突したのだ。
コンクリートや鉄骨にめり込み、固定され、さながら磔《はりつけ》のようである。
そんな『ボクサー』に、敵ACから大威力の砲弾が、ミサイルが、豪雨のように降り注いだ。
軽量二脚に、このダメージは深刻だ。
APはあっという間に一〇パーセントを割り込み、各所が次々と吹き飛んだ。
揺らぐ意識に、ハンマーヘッドの笑い声が高く響く。
『どうした、手も足も出ないじゃないか!』
ジギタリスは、反論できなかった。
その気概を折られていたし、通信機能も壊れていた。ばかりか――機体全体が、壊れている。もはやどうにもならない。
既に勝負あったと見たのか、ハンマーヘッドは勝手に話を進めていった。
『……最後に、冥土の土産を持たせてあげよう。
君は、疑問に思わなかったかい? どうして、俺が、君に色々教えてあげたのか』
ジギタリスは、思わず伏せていた顔を上げた。
時間稼ぎの意味も込めて、
「……理由だと?」
『そう。理由だ。せめて、それくらいは教えて上げようと思う。
自分が死んだ、からくりくらいは知っておきたいだろう?』
ジギタリスが一変、あえて黙っていると、ハンマーヘッドが口を開いた。
嘲けりの裏に、どうしてか――哀れみが匂っていた。
『君を殺すためだよ』
「は?」
『テロリスト共じゃない、「本当の依頼主」――まぁ、キサラギから、作戦に関わった連中は全て消すように言われてるのさ。
君は……死ななければならなかったのさ。逃がしてはいけなかった。
そして君は、プライドが高い。義侠心もある。何より、誰もが好意を抱く、熱い男だ。
そんな相手を……逃がさないのは、簡単だ。
相手のプライドを傷つけ、かつ義憤を誘えばいいのさ。
現に……君は、話を聞かされたとき、逃げるという選択肢を捨て去り、こっちへ向かってきたのではないかね?
正直……ここまで見事にはまるとは思わなかったがね』
ジギタリスが息を呑んだ。
その通りだったのだ。
ハンマーヘッドは、哀れみの色を濃くした。
『……イイところがあるやつは、早く死ぬ。
この世界の――レイヴンの法則だ。
……就職先を間違えたな、「ジギタリス」』
と、直後、パネルの通信欄が、光る。ジギタリスはそこを見て――唇を噛みしめた。
やっと来たか、遅すぎる、と口の中で言葉をかみ砕いた。
だが――文句はあれど、それはやるべきことでもあった。
『真打ち』のために、下ごしらえは必要なのである。
「……あんた」
ジギタリスは、ハンマーヘッドに尋ねた。
「……あんた、何故俺の名前を知ってる。いや、それだけじゃない。クレストの内部事情にも、妙に詳しいじゃないか」
『……薄々、感づいているんじゃないか?』
ハンマーヘッドは、クツクツと笑った。
ジギタリスは、やりきれない表情で呟く。
「……こちらには、内通者までいたのか?」
『ご明察だ。
言っただろう、情報戦で遅れていると。
君達クレストが信頼し、この任務を共にするはずだった兵士達には、内通者が混じってたのさ!
その意味でも、クレストは遅れていたわけだ。致命的にね』
目の前で、敵ACがバズーカをこちらに向けた。
ついに息の根を止めるつもりだ。
大口径の砲口が、こちらを睨み付けている。
『ガキの喧嘩じゃないんだ。
命まで……きっちり取るよ』
ジギタリスは唇を噛みしめた。
まさしく、今際の際《いまわのきわ》である。
だがそんな中で、彼は心からこう思った。
(誰か、こいつらを止めてくれ――!)
義に篤く、情に脆い男は、最期の最期でも街の人々を案じていた。
けれど――
*
ドゥン、と重苦しい音がした。
遠くからのようだったが、地面が揺れ、大気が震えるのが分かった。
少年は本能的に、それが銃声だと看破する。
彼がテレビなどで見知っていたものより、数段くぐもり、濁った音だったが――それでも、銃声だと感じた。
それがきっかけとなって、少年ははっと我に帰る。
目から獰猛な光が失せ、年齢に相応しい子供じみた表情が戻ってきた。
「……どこだ?」
呟き、少年は音源の位置を探した。
彼は現在山にいるため、街の様子が一望できる。すでに破壊の跡は色濃く、所々から立ち上る煙が、少々視界を濁していたが――それでも、音源はすぐに見つかった。
麓近くにある、商店街だ。
そこでは、ビルにめり込んでいる緑のAC、その磔《はりつけ》のような姿に、純白のACがバズーカを突きつけていた。
すでに発砲は為されたらしく、その砲口からは白煙が立ち上っている。
標的のコア部分にも、痛々しい穴が穿たれていた。
――即死だ。
少年は、そう確信した。
緑のACには、すでに死骸特有の『無機物感』が漂っている。
(……死んだんだ)
思った直後、全身が震えた。
それは初めて見る、『死』の光景だった。
今まで『ゲーム』に見出し、そして『野心』を遊ばせていた、ハードボイルドな幻想とは比べものならない。
目の前の情景からは、どこまでも本物の手触りがした。
(……これが、本物の……!)
思った直後、天を突くような轟音がした。
少年は、慌ててそちらに目を向ける。
と、現在の状況を思い出し、息を呑んだ。
「そうだ……こいつもいたんだ……」
彼の見つめる先では、巨大な四脚兵器が、じっくり、じっくりと少年の『区画』に――地元に近づいていた。
友達の家が、学校が、家族のいる場所が、もう少しで巨大兵器が作る、破壊の範囲に入る。
それは、後少しで炎の豪雨が、親しい人々に降り注ぐのと同義だった。
少年の胸中に、とてつもない恐怖が巻き起こる。
騒ぎの始めに少年は呆然とし、正気を喪ってしまっていた。故に心の準備もできないまま、決定的な破壊を迎えてしまったのだ。
「……待って!」
少年は、哀願するように膝を突いた。
それに応じるように、四脚兵器が咆吼をあげた。
大きな体を揺らして、汽笛のような大音量で、
ホォォォォ――――――!!
直後、空に何かが打ち上げられた。
その『何か』はしばらく上昇を続けていたが、ある高度に達すると、花火のように弾けた。
ただ、花火と違うのは――分裂した一粒一粒が、高威力のミサイルであるということだった。
住宅地に、学校に、逃げていた人々やその車に、ミサイルが降り注ぐ。
小規模の爆発が連鎖し、あっという間に地元は火の海と化した。
人々の悲鳴が、ここまで聞こえてくるかのようだ。
「やめ――!」
少年の頼みをかき消すように、大型兵器はグレネードを撃ち放った。
四発のグレネードは、全て彼の学校に着弾した。
学校が――燃える。
校舎が崩れ、教室が、グラウンドが、裏の森が、一緒くたになって炎上する。
貯めておいたプリントが。密かに育てていた花が。笑い会った仲間達が。
今度征服するはずだった陣地が。受けるはずだったテストが。
燃えた。
少年の視界が、ぐにゃりと歪む。
一方で、こういうときでも『勝負』のことを思ったのは、彼らしい『野心』の執念とも言えた。
だが――四脚兵器は、容赦しなかった。
そんな少年の見つめる先で、公園、果ては彼の孤児院にまで砲弾を撃ち込んだ。
十年間の、全てが詰まった場所が――文字通り、世界の全てが、壊れる、燃やされる。
足下が崩れたかのような喪失感と、絶望感が一挙に来た。気が狂うような焦燥が、胸の内で荒れ狂う。
少年が、声にならない叫びをあげた。
だが、被害は終わりを見せなかった。
四脚兵器は、全方位に拡散レーザーを放った。
道路の人々が、車が、直撃を受け、あるいは爆風の煽りを受け、玩具のように吹き飛んだ。
それらの残骸を踏みしめて、巨大兵器は街を練り歩く。
その様子は、圧倒的な力で君臨する、暴君の姿そのものだった。
――みんな死んだ。
その情景に、いつしか、少年はあっけなく確信した。
仲間も、家族も、みんな死んだ。
見たわけでもなかったが、そう思った。そして、それはどうしようもなく事実に思えた。
そもそも、いったい誰がこんな状況で生き残れるというのだろう。
「……死んだ」
口に出すと――胃が、むかむかした。
それはすぐに、痛烈な吐き気へと姿を変えた。
精神が、状況を受け入れることを拒否している。体が、それに影響を受けたのだ。
少年はうずくまり、嘔吐した。
食べたばかりの朝御飯が、土の上にぶちまけられた。
孤児院の人々が作ってくれた、スクランブルエッグが、ベーコンが、トーストが、家族との最後の食事が――どうしようもない姿になって、土の上の吐き出された。
その情景に、少年の何かが外れた。こんな状況でさえ保っていた『体裁』が、吹き飛んだ。
うずくまった姿勢のまま、少年はわんわん泣き始める。
感情の奔流に身を任せた、実に子供らしい泣き方だった。
わき上がる『野心』に振り回され、数々の競争に身を投じた頃から、ずっと途絶えていた泣き方だ。
だが――それは、ある時唐突に止んだ。
少年は閃いたのだ。
僅かに残っていた『防衛本能』が、希望的観測を囁いた。
(……そうだ、助かっているかも知れない)
家族や仲間が、死んだという証拠はどこにもない。助かっているかも、しれないのだ。
無論、それはあまりにも希望的な観測だった。
現実逃避を含んだ、精神の防護作用である。きっと数分後に思い直し、失意の底に沈むだろう。
しかし、そんな儚いものさえ、敵は容赦なく叩きつぶした。
ホォォォォォ――――――――――!!
叫び、四脚兵器はチェインガンを打ち出した。
学校や住宅地が、ズタズタに引き裂かれ、やがて跡形もなく崩れる。
もはやそこは街ではなく、廃墟であった。天高く踊っている炎が消え去れば、きっと何も残るまい。
少年が息を呑んだ。
生き残っている、その可能性のあまりの少なさをまざまざと見せつけられたのだ。
最後の希望が挫かれ、どうしようもない『現実』が、『真実』となって襲いかかった。
いつしかその瞳は虚ろになり、姿勢もふらついてくる。
だらんと垂れ下げられた右腕の先で、スカーフがゆらゆらと、幽鬼のように揺れていた。
「……はは……」
口だけで笑った少年は――そんな時、視界の端に奇妙なものを発見した。
巨大な『腕』だ。
漆黒に塗り上げられた、肘から先が――それこそ、AC大の肘から先が、地面の中から生えている。
それだけ見れば、残骸であったが――少年は、それに違和感を感じた。
残骸、で片づけられない何かが、その腕には確かに満ちていた。
まるで、それが氷山の一角であるかのような、もっと壮大なものの一部であるかのような――凄みだ。そしてそれは、死んだものでは、残骸では決してあり得ない凄みだった。
(……そういえば、この感覚……)
予感、などという生ぬるいものではなかった。
稲妻のような、ほぼ確信に近い感覚に、心臓が波打った。
麻痺しきり、真っ白になった思考の中で、何かがこっそりと耳打ちする。
――来たよ。彼が。
全身の肌が粟立った。
昨日、駅で見た黒服の男。
少年に、ゾーン・ゲームより遙かに偉大な、『本当の戦い』をかいま見せた人間。
その真っ黒な姿と、機械の腕が重なった。
大きな腕が――動く。
漆黒の機械腕が、駆動し、近くの廃墟を掴み、全身を瓦礫の中から引っぱり出す。
中から表れたのは――腕と同じく、真っ黒の機体だった。
闇を凝固させたような全身の中で、赤のモノアイが煌々と照っている。
少年は、どうしてそれが怒りに燃えているように見えた。
「……あれは……!」
日常の残骸の上に、突如表れた、謎の機体。
その堂々とした風体に――少年は、打ち震えた。
*
「……なんだ、あれは」
四脚兵器――ディアパルゾンの中で、テロリストの一人が呟いた。
ディアパルゾンのコクピットは、丁度『映画館』のようになっている。
『観客席』の一つ一つにテロリスト達が腰掛け、分担された操縦作業を行う。
そして、前面の『スクリーン』には、メインカメラが捉えた映像が表示され、コクピットに現在の状況を伝えるのだ。
そして――今や誰もが、そのスクリーンに目を奪われていた。
「これは……!」
別の場所でも、呻きが漏れた。
そしてそれが契機となって、コクピット内にざわめきが広がる。
本来なら、彼らのボスが怒鳴りつけるべきだったが――彼らのボスもまた、映像に目を奪われていた。
最奥部の壇上で、目を見開き、冷や汗を流して、突如現れた漆黒のACを注視している。
彼らは、仮にも歴戦の戦士だった。今までクレストを出し抜いてきた経歴は、嘘ではない。
しかも、今回に限っては強力な味方もいた。
雇った腕利きのレイヴン『ハンマーヘッド』と、この兵器『ディアパルゾン』だ。
普通であれば、怖れるものなど何もないはずだった。むしろ、舞い上がり、得意になっても不思議ではないほどだ。
だが――そんな彼らでさえ、怯えた。
現れた漆黒の機体に、その怒りに燃えるモノアイに見つめられ、すっかり萎縮しきっていた。
それは――どんな理屈も通用しない、本能的な恐怖だった。
戦力差は絶大、状況は圧倒的に有利。それを頭で理解しておきながらも、『目の前の生物が、こちらに敵意を持っている』、その事実が怖くて仕方がないのだ。
「……なんだ、これは」
ボスが呻いた直後、静まり返ったコクピット内に、ハンマーヘッドの声がした。
『もしもし』
「ハンマーヘッドか!」
ボスが飛びつくように応じると、ハンマーヘッドは苦笑した。
『……大分びびってたようだね』
「……恐怖など、ない。我々は、勇ましい革命戦士だ」
『そうか、そうか』
ハンマーヘッドがクツクツと笑った。
相変わらず、神経を逆撫でする声だった。
『まぁ、いいよ、そんなことはね!
それより……きちんと、やるべき事をやろうじゃないか。
奴は、大分強いらしい。だが、こちらは有利だ。殺せるときに、殺しておこう。
まだ、君達は生かしてあるのだから。
……「例の装置」、頼んだよ』
まるで、テロリスト達が近い内に死ぬかのような口振りだが――ボスは、慌てて頷いた。
*
(……遅かったな)
ジノーヴィーは辺りを見回すと、歯を食いしばった。
もはや、街は致命的な打撃を受けていた。もはや、元には戻るまい。人口も、二割が生き残っていればいい方だろう。
あの四脚兵器が、街を破壊し尽くすまでにかかった時間は、僅かに五分弱――人々が避難するには、あまりにも限られた時間だ。
「依頼は、失敗だ」
ジノーヴィの中で、どろりとした何かが蠢いていた。
憤怒と憎悪、そして苦い諦観。それらが一緒くたになって、胸の内に溜まっている。
鋭く細められた目が、凶暴な光を宿していた。
そしてそれには、横暴な企業への怒りも、少なからず混じっていた。
(……妙な実験に、付き合わされたものだ)
ジノーヴィーは、すでに大体の状況は把握していた。
実はジギタリスが受けていた、ハンマーヘッドからの解説を、彼もまた傍聴していたのだ。
ジノーヴィーはジギタリスと違い、あまり早くガレージへたどり着けなかった。それ故、ジギタリスが床を壊した時、デュアルフェイスは無人だった。
だがそのまま放置したのでは、ガレージの床が壊れたとき、一緒に落下してしまう。
それを防ぐため、整備兵達はデュアルフェイスを地上に出そうとした。地下に置き場がない以上、そうするしかない。
そのため、地上へのエレベーターに乗せられた。
ジノーヴィーが到着したのは丁度このタイミングであり、彼はすぐに乗り込んだのだが――これは、不幸中の幸いだった。
なぜなら、直後、四脚兵器が岩盤をぶち破って地上に出たからだ。
その衝撃により、エレベーターは地上まであと少しというところで、ぴたりと止まった。内部にも瓦礫が流れ込んだ。
『遺跡』の上にあった臨時ガレージは完全に潰され、崩落し、電源が落ちたのだ。
デュアルフェイスは、ジノーヴィーを乗せたまま、生き埋めになったのである。
左手が地上に出ていなければ、本当に脱出は不可能だったろう。
そして、丁度生き埋めになり、どうしたものかと思案していた頃――偶然、無線がハンマーヘッドとジギタリスの会話を拾っていたのである。
(……彼らも、死んだな)
状況を整理しつつ、ジノーヴィーは辺りを見回した。
ほとんどの建物が崩れている中、珍しく原型を留めている建物があった。
そしてそこには――緑のACが、ジギタリスのAC『ボクサー』が埋め込まれていた。
その頭部は吹き飛び、両腕は曲がり、足も半壊している。ECMがひどく、熱源反応までは確かめられないが――恐らく、搭乗者は即死だろう。
そして、死んだのはあのジギタリスだけではなかった。
ガレージに残っていた作業員は、全滅に決まっていた。
街に出ていた仲間も、この騒ぎで無事というわけにもいくまい。
(……死にすぎだ)
ジギタリスの人の良い笑顔が、整備兵やディグルトとの話が、次々と脳裏に沸いていく。
戦場の倫理にさえ反した敵への、義憤もゆっくりと鎌首をもたげた。
そしてそれらは、憤怒と憎悪を静かに、だが確実に後押しした。
只でさえ滾っていた《たぎっていた》感情が、それらを巻き込み、ゆっくりと延焼し始める。
殺意の炎が、じりじりと胸を焦がした。
『ジノーヴィー、かい?』
不意に、気味の悪い声がした。無線ではない。外部スピーカーからだ。
ジノーヴィーはスティックを捌き、声のした方向に機体を向ける。
すると、ジギタリスのACが埋め込まれたビル、その屋上に新たな機体が認められた。
白い、逆関節のACだ。秋の陽光で、滑らかな装甲が白々と照り輝いている。
(敵か)
思うと同時に、今まで煮えたぎっていた感情全てを、理性が押さえ込んだ。
一切の感情を廃した、冷徹な声を紡ぎ出す。
「……ハンマーヘッドか?」
驚く気配がした。
『……そうだよ。よく知ってたね』
「話は、聞かせて貰ったのだよ」
『話?』
「とぼけなくて結構。君が、ジギタリスに話していたものだよ。
もはや……全て、把握した。実験であることも、何もかも」
デュアルフェイスが、一歩前に出た。
グラヴィノスが身構える。バズーカをこちらに向けて、
『闘う気かね?』
挑発だった。クツクツという笑いがわざとらしい。
ジノーヴィーはそれを容易く看破し、自身もまた笑みを浮かべる。
「そうだ」
その肯定に、ハンマーヘッドが息を呑んだ。
ジノーヴィーの声は、ひどく落ち着いたものだったのだ。
そしてそれは、刹那的な怒りや、憎しみだけでは紡がれない音だ。
お互いの戦力差や、地形の把握具合、闘うことにメリット、そういったありとあらゆる要素を加味した上で、出された『回答』なのである。
ジギタリスが、感情に流されて行った『蛮勇』とは一線を画していた。
ジノーヴィーは、戦力差が圧倒的であることも、ECMが張られていることも、今なら逃走が可能であることも、プロの目線で正確に見積もっている。
その上で、尚も『闘う』と宣言したのだ。
『……なるほど』
全てを察したのか、ハンマーヘッドも素直に賞賛した。
『なかなか、あんたはお強い人らしい。
だが、不思議だね。あんたはリスクを知りながら、どうして闘おうとするんだい? あんたほどの、腕利きがさ』
当然の疑問だった。
ジノーヴィーは、それに堂々と返す。
「十分な見返りがあるから、では理由にならんかね?
この戦いを収めれば、私はさらに『上』に行ける。それに――君が殺したレイヴンや、その仲間は、結構気に入っていたのだよ。
仇をとってやるのも、悪くない」
ジノーヴィーの脳裏には、再びジギタリスや、ディグルト、そして整備兵達の顔が過ぎっていた。
だが、ハンマーヘッドは言い募った。
まるで闘争を促すかのようだったが、案外本当に逃走を望んでいたのかもしれない。ハンマーヘッドにとって、決してプラスにはならないが――それでも、ジノーヴィーとの交戦は避けたい、とでも考えているのだろう。
『……それが分からないね。死んだら、元も子もないだろう? 逃げるのも、正解ではないかね』
その言葉に、ジノーヴィーの口元が歪んだ。
笑みの端から、鋭い犬歯が覗いていた。
「違うね」
鋭い目が、辺りを睥睨《へいげい》した。
純白のAC『グラヴィノス』と、大型四脚兵器『ディアパルゾン』。その圧倒的な兵力を見渡した上で、
「……この程度、どうということはない」
瞬間、辺りが殺気立った。
ハンマーヘッドのものではない。ディアパルゾンだ。テロリスト達が、その言葉に屈辱を受けたのだろう。
実際、ディアパルゾンから怒気を孕んだ声が来る。
『……いい度胸だな』
先程の『演説』と、同じ声に聞こえたが――詳細は、分からない。それ以上に、どうでもいい。
ジノーヴィーは笑みを深くし、続けた。
「ハンマーヘッド、君が言った『イイヤツほど死ぬ』という言葉に、異論はない。
確かに、そういう風に感情で動く人間は、死にやすいだろう。
だがね……」
ジノーヴィーは傲然と言い放った。
「私ほど強ければ、話は別だ」
瞬間、空気が変わった。
ディアパルゾンから発せられていた怒気が、一瞬で吹き飛んだ。
代わりに、猛獣の咆吼にも似た圧倒的な気配が、嵐のように荒れ狂い、空間に渦を巻いた。
『なっ……!』
ディアパルゾンから、恐怖に震えた声がする。グラヴィノスでさえ、怖れたように一歩下がった。
そんな中、ジノーヴィーが――人間の皮を、脱ぎ捨てる。
今まで端々でしか表してこなかった、『戦闘好適合者』――ドミナントとしての本性が、ついに顔を出した。
「……聞きたまえ」
押し殺した声が、啓示のように響きわたる。
「ジギタリスが死んだのは……彼自身の浅慮もあるだろう。
だがね、一番の要因は――『力』がなかったからだ。
『力』があれば、君達を殺し、生き残れた……」
誰よりも『力』を識る《しる》男は、語り続ける。
「なんということはない。彼もまた、レイヴンの法則に呑まれたしまったのだ。
『力のない者は、何もできない』。
それに見合う力がなければ、我も通せない、何も守れない、生きられない。
彼は見合うだけの力がないのに、君達に向かってしまった。
だから――死んでしまったのだ」
ジノーヴィーは、そこだけ悼むような口調になった。
だが次の瞬間、それはかき消えた。
ハンマーヘッドなど足下にも及ばない、真に凶暴な、獣のような笑みが浮かび上がる。
「だがね! 裏を返せば――『力があれば、できる』のだ。
それに見合う実力さえあれば、状況をねじ曲げ、したいようにできる。
この世界では……『力こそが、全てを決める』。
力があれば、我も通せる。ロジックも無視できる。
あるいは――倫理さえ、ある程度はそうかもしれん。
……この前提は、誰も崩せない。これこそ、レイヴンの鉄則だ。
そして私は、それに従うまでだ。
私には状況をねじ曲げるだけの力があると信じ、故におまえ達に敵対する。
何の不思議がある?」
一見、暴論だった。むしろ、常識人から見れば、唾棄すべきねじ曲がった価値観だろう。
何事をも、力で押し通すと宣言しているのだから。
だが――それは、紛れもない真実だった。
彼らは、『傭兵』なのだ。それも、限りなく束縛の薄い傭兵だ。
本質的に『アウトロー』なのである。
彼らの間には、一般のそれとは大きく乖離した、独自の感覚があり、倫理があり、価値観がある。
そして、その全ての前提となるのが――『力』だ。
ジノーヴィーは、そのことを鋭く説いたに過ぎない。
考えてみれば、厳しい世界だった。
レイヴンの世界では、やるべき事をやるためにも、生きるためにも、力が要る。
その前提のために、多くの人間が騙し合い、殺し合っている。そして、力のない者達は、何の救済も得ることなく死んでいく。
時代によって多少移り変わりはするが――それでも、この前提は揺るがないのだ。
「極論だがね」
ジノーヴィーはスティックを捌き、システムをチェックしながら続けていった。
「だが……今回はその極論に乗っ取らせてもらう」
システム・クラッチを踏みつけた。
『メインシステム 戦闘モード 起動します』
再び、ジノーヴィーの目に凶悪な光が宿る。
開かれた、真っ赤な口の中で、犬歯がぎらりと輝いた。
*
グラヴィノスが、OBで突撃してきた。
それと平行して、その奥からグレネードやチェインガンが飛来する。
グラヴィノスが白兵戦を展開し、ディアパルゾンが援護射撃を行うというスタイルだった。
「小細工だな」
笑い、ジノーヴィーはブーストペダルを踏みつけた。
まずは接近してくるグラヴィノス、そのバズーカとミサイルを、上昇して避ける。
本体の高速移動も相まって、凄まじい弾速になっていたが、その分補正はずれていた。
回避は簡単である。
向こうも、当たるとは思っていないだろう。
これはあくまで牽制に過ぎない。
そしてその予想は当たり、上空に出たデュアルフェイスへ、グレネードが三つ、相次いで殺到した。
言うまでもなく、ディアパルゾンからだ。
『死んじまいな!』
背後からグラヴィノスの声がする。
直撃する、とでも思ったのだろう。
実際、確かにそれは回避不能のタイミングだ。
(……だが、それは普通のレイヴンの話だ!)
笑い、ジノーヴィーは空中でブレードを振った。
無論、そこには何もない。オレンジの刀身が空を斬る。
だが――強化人間の能力が発動し、剣先から鋭い光波が放たれた。
それはこちらに向かっていたグレネードに衝突、大爆発を引き起こす。無論、その両隣を進んでいた二つのグレネード弾も、巻き添えを食って爆発した。
『なっ……』
ハンマーヘッドが驚いたらしい。
無理もなかった。
飛んでくる砲弾を迎撃するなど、もはや曲芸に近い芸当なのだ。
しかも――使ったのは、ブレードだ。
並の操縦技術ではとてもできない。
グレネードの弾道、ブレードの振り、光波の軌道、それら全てを読み切らないといけないのだから。
「だから言っただろう」
ジノーヴィーはその様子に、笑みを深くした。
だが決して気を緩めることなく、地面に着地、そのまま建物の影を縫うように進んだ。
ディアパルゾン、グラヴィノスの、双方の攻撃を喰らわないためだった。
そうして上手く射線を通さないようにしつつ、まずはディアパルゾンに接近するつもりである。
近くの『グラヴィノス』になど、目も向けなかった。
まずは、倒しやすいものから潰していく――熟達した、プロの判断だ。
『くそっ』
今度は、ディアパルゾンからの声だった。
と同時に、グレネードが幾つも飛来する。
だが建物の残骸に阻まれ、上手く当たらない。デュアルフェイスは爆風にさえ晒されない、絶妙な位置取りを続けていた。
「遮蔽物などの地形は、事前に調べておく。傭兵の嗜みだ」
ジノーヴィーが挑発すると、ディアパルゾンの攻撃が激化した。
だが、無論――当たらない。
建物はどんどん崩れていくが、デュアルフェイスは無傷のままだ。
どころか、尚もじわじわとディアパルゾンに接近していた。
(……多少実戦を積んだとて、所詮、テロリストか。烏合の衆だな)
七つ目の角を曲がりつつ、ジノーヴィーはそう断じた。
だが、それは早計だった。
すぐに、ディアパルゾンから声が来る。
『……こうなれば。ハンマーヘッド、例の装置、使うぞ! 準備しろ!』
『そういうのは、無線で言って欲しいね』
そのやりとりを訝った直後、FCSが異常をきたした。
現在は、激しいECMが効いている。
それ故、ロックはできない。
ジノーヴィーもそれは承知の上である。そしてその上で、十分勝利は可能と判断していた。
だが――
(なんだ、これはっ)
ジノーヴィーが目を剥いた。
FCSが、『ロックしない』の逆の状態に陥っていた。
『ロックしまくっている』のだ。
その辺のビルや、看板、果てや電柱などを、好き勝手に赤々とロックしていた。
ロック可能最大数も、射程距離も無視した、全くデタラメなロックだ。
「なんだ、これは……」
呻いていると、不意に風を切る音がした。同時に、ブースターの噴射音も。
もはや確かめる間もなかった。
ジノーヴィーは、再び機体を跳ねさせる。
途端、そのすぐ下をバズーカとナパームが駆けていった。
反応があと少し遅ければ、まともに喰らっていただろう。
「……ハンマーヘッドか。
さすがに、追いついたな」
漏らしつつ、着地。その後、飛来した方向に目をやると――そこには純白の逆関節ACが立っていた。
両手のバズーカを、こちらにぴたりと向けている。
『ジノーヴィー』
呼びかけに、笑みが滲んでいた。
ジノーヴィーが舌打ちする。
『チェックメイトだ!』
高々と叫んで、ハンマーヘッドがOBを発動させた。
紅い炎を巻き上げて、グラヴィノスが突進する。無論、同時にバズーカとロケットのラッシュが始まった。
狭い道路の中で、無数の弾頭がデュアルフェイスに殺到する。
前後左右、逃げ場はなかった。前後に逃げても解決しないし、左右には丁度ビルがあった。
だからジノーヴィーは真上に逃げた。
それしかなかった。万事休すだったのだ。
だがそれもまた――何の解決にもならなかった。
『撃て!』
ディアパルゾンから、声が来た。
途端、四脚の巨体からグレネードが放たれる。
タイミング的に、回避不能だ。
すでにかなり近づいていたので、ディアパルゾンの砲塔と、デュアルフェイスはすでに目と鼻の距離だった。
(……くそっ)
ジノーヴィーは、やむなくそれを撃ち落とそうとするが――無駄だと分かっていた。
この状況では、ライフル弾も光波も、まっすぐ飛んでいかないのだ。
なにせ、FCSはロックしているのだから。
ロックしている以上、その対象が意味のない電柱や建物であろうと、ACはそれを攻撃してしまう。
それでも、ジノーヴィーは望みをかけてトリガーを絞ったが――無情にも、弾は見当違いの方向に、全く無関係なロックへと飛んでいった。
「……まずいな」
その時すでに、グレネードはデュアルフェイスの眼前に迫っていた。
メインカメラが、赤々と燃える弾丸を、他人事のように捉えている。
そしてジノーヴィーもまた、他人事のように呟いた。
「武器が残ればいいが」
直後、グレネードがデュアルフェイスを直撃した。
機体温度が引き上がり、頭部COMが右腕が千切れたというメッセージを伝える。
なんとかスティックを捌ききり、転ばずに着地したのは奇跡と言えた。
恐らく、並のレイヴンなら転倒し、そこで終わっていただろう。
『……面白いことになってるね』
ハンマーヘッドの声だ。
ジノーヴィーは、そちらの方向に機体を向ける。
当然、サイトの四角の中に、グラヴィノスは納められたが――FCSはロックしなかった。
相変わらず、ビルや電柱など、見当違いなものを赤くロックしている。
(さっきから、何なんだこの症状は……)
見たこともない障害だった。
ジノーヴィーはそれなりの経験を積んではいるが、こんなことは一度もなかった。
(……だが、知らないのなら……考えればいいことだ)
ジノーヴィーの目が、刀のように細められた。
口元に、意地の悪い冷笑が浮かぶ。
(悪くない)
平凡な戦闘には飽き飽きしていたところだ。
謎解きをしながら敵を倒すのも、きっと新鮮に違いない。
ハンマーヘッドがOBの予備動作に入ったが、ジノーヴィーは構わず思考を深めた。
OBのチャージは一瞬であるが、戦闘で『ハイ』になったジノーヴィーにとって、その一瞬でも十分すぎるのだ。
それに、炎の規模を見ればわかるが――今回のOBは、チャージが長いはずだ。
恐らく普通より長く貯めて、今まで以上の加速を行うつもりだろう。
現在、デュアルフェイスとグラヴィノスの距離は、かなり離れてしまっている。故に、通常の加速では、簡単に突撃を避けられてしまうのだ。
(……まず情報を、整理しろ)
ジノーヴィーの脳髄が、処理を開始した。
今まで見たことがなければ、それは珍しい症状ということだ。
そして、そんな珍しい症状を引き起こすのは――旧世代兵器、ディアパルゾンの絡みと見て間違いないだろう。
かつ、ディアパルゾンの乗組員は、ハンマーヘッドにこう伝えていた。
『例の装置を使う』と。
これだけで、もはや、ディアパルゾンにその装置が載っている、というのは確定的だった。
(……待て)
そこで、ジノーヴィーは思考を止めた。
強化人間の視力が、奇妙なものを捉えた。
道路の先で、OBの予備動作をしている、グラヴィノス。
その頭部パーツが――見たこともない種類だったのだ。
ジノーヴィーの目に、全てを得心した光が、煌々と宿った。
「その頭部パーツは……」
ジノーヴィーの言葉に、ハンマーヘッドが動きを止めた。
「特注かね?」
今度は、ディアパルゾンからも呻き声が上がった。
ハンマーヘッドがクツクツと笑う。
『……参ったね。どういう視力をしてるんだ』
「レイヴンとしては、平均的な視力さ。強化手術で、少し望遠が効くようになってはいるがね」
グラヴィノスの頭部パーツは、既存のどんなパーツとも違う、独特のシルエットをしていた。
言葉で表すのは、難しいが――敢えて言うなら、『アンテナ』だった。
細く、長い首が伸ばされ、その上に一枚の板が、飛行機の安定翼のように載っている。
そして、その板の先で蒼いモノアイが光っていた。
「それも、旧世代技術の恩恵かね? どうやら、この異常は君の、その頭部パーツが絡んでいるようだが」
今度こそ、ハンマーヘッドが黙った。
ジノーヴィーは解説を加える。
「ディアパルゾンの方から、君の方に『準備しろ』と言っていたからね。
恐らく、君のACも、この異常現象の発生に一枚噛んでいるとみたわけさ。
そうしてみたら、いかにもそれらしいパーツが、頭にあるじゃないか。素人でも分かるよ、これは」
ディアパルゾンが、再びの呻き声を漏らした。
からくりが露見したのは、彼らの失態からである。本来なら、そういう連絡は無線を通した行うべきだったのだ。
テロリストもそれを自覚しているのか、悔し紛れに、
『だが、仕掛けが分かったといって、破れなければ意味はない!』
ジノーヴィーは思わず笑った。
心に思ったことを、隠そうともしなかった。
「破れるに決まっているだろう、この程度。暇つぶしにも、ならなかったな」
あからさまな挑発だが、テロリスト達は過剰に反応した。
『ハンマーヘッド! そいつを殺せ!』
応じるように、グラヴィノスの背中で真っ赤な炎が噴射された。
と同時に、バズーカが構えられる。
ようやくチャージを終え、OBが発動、先程のようにラッシュをするつもりだ。
ジノーヴィーはそれを察し、一瞬早く肩のグレネードを展開、前方に撃ち放った。
無論、当たらない。
勝手にロックされていた、電信柱に命中した。
だが爆発が起こり、その黒煙が狭い路地一杯に広がった。
いわば、目眩ましである。
ジノーヴィーはその隙をついて機体を上昇させた。
そのすぐ下を、バズーカの弾が連続して通り過ぎた。もう少し遅ければ、きっと命中していたに違いない。
(運が、良かったな)
思いながら、ジノーヴィーは黒煙を飛び越した。
すると丁度、グラヴィノスが道路を進んでいる所だ。
黒煙を突っ切るつもりなのだろう。
だが、もはやその先にジノーヴィーはいないのだ。
ジノーヴィーはスティックを捌き、位置を調節、丁度着陸地点が、グラヴィノスと重なるようにした。
『そんなところに……!』
ようやく気づいたのか、ハンマーヘッドが呻く。だが、すでに遅い。
デュアルフェイスはハンマーヘッドが上空に照準するより早く、グラヴィノスに取り付いた。
残った左手でコアをがっちり掴み、OBにただ乗りする。
『こっちの「頭」を、先に……!』
ハンマーヘッドの言葉だが、それは正確ではなかった。
グラヴィノスが黒煙をつっきり、十分に加速がついたところで――デュアルフェイスは、肩のグレネードを展開した。
それをグラヴィノスの頭部に照準、撃ち放った。
頭部が吹き飛び、同時にデュアルフェイスは衝撃を得る。
キャノンの反動だ。
そして、ジノーヴィーはあえて強化人間の能力を使わず、反動に機体を任せた。
デュアルフェイスは、グレネードの絶大な反動を喰らい、OB中のグラヴィノスから吹き飛んだ。
方向は――デュアルフェイスの、後方。つまり、グラヴィノスにとっての進行方向。
もっと端的に言うなら、ディアパルゾンの方角だった。
そして、その吹き飛ばされた勢いには、ただ乗りで得た『OBの勢い』も含まれていた。
デュアルフェイスはそれら二つの加速を受けて、後ろ向きに空中を走る。
その速度は凄まじく、ディアパルゾンに迎撃の暇を与えないまま、その胴体の付近まで辿りついてしまった。
そこには、『余剰移動』や『慣性移動』という高等なテクニックが使われていたのだが――それに気づいた者は、いなかった。
誰もが、それどころではなかったのだ。
『い、いつの間に、こんな場所へ!』
慌てふためくテロリスト達だが、ジノーヴィーは構わず、デュアルフェイスをディアパルゾンの背中部分に着地させた。
そして、グレネードを構える。
未だにECMは健在だったが、グラヴィノスの頭部を壊したためか、デタラメにロックするという欠陥は納まっていた。
今なら、直撃するはずである。
『お、おい! ハンマーヘッド、なんとかしろ!』
ジノーヴィーは、それに無情の宣告をした。
「無理だ、諦めたまえ。
……平和に、犠牲は付き物だよ」
ディアパルゾンの背中で、グレネードが炸裂した。
何度も、何度も。
流石に頑丈であり、テロリスト達の声もなかなか止まない。
『ハンマーヘッド――――――――!!』
悲痛な声に、ようやくハンマーヘッドが応じた。
起きあがり、グラヴィノスの体勢を立て直しながら、
『……無理だ』
テロリスト達が、息を呑んだ。
ジノーヴィーの数倍残酷な声が、重く響く。
『まぁ、始めから殺すつもりだったし……もういいや、ここで死ね。
キサラギも、それで納得するだろ。
「技術の進歩に犠牲は付き物」、だってさ』
『は、ハンマーヘ――!』
言葉は、そこで止まった。
同時に――ディアパルゾンの巨体が、傾く。
それから、ゆっくり、ゆっくりと、まるでスローモーションのように街へ倒れ込んでいく。
「ハンマーヘッド」
そんなディアパルゾンの背中から、ジノーヴィーは釘を差した。
「……もはや、大勢は決した。だが、逃げるなよ」
それに、ハンマーヘッドは冗談めかして応じる。
『逃げないさ。
俺はアウトローだが……アウトローにも、流儀がある』
ジノーヴィーは意外そうな顔をした。
だがハンマーヘッドは、あっけなく本音を零した。
『だって、逃がしてくれないだろ? ……生き残るためには、闘うしかない』
ジノーヴィーは、応えなかった。
ハンマーヘッドがため息を落とす。
『……死に戦か。
ま、せいぜい……存分に闘うよ』
内容とは裏腹に、言葉には戦意が溢れていた。
もはやECMも無ければ、戦力差もない。
AC一機同士。任務の成否を分ける、決闘だ。
ジギタリスの時とは異なる、互角の条件。
勝負が――レイヴンの世界では珍しい、本物の『勝負」が、幕を開けた。
*
少年は、震えていた。
切なさでもなく、悲しさでもなく、圧倒的な感動に激しく揺さぶられていた。
その顔は、つい先程まで泣きはらし、赤く腫れ上がていたが――今は『興奮』で真っ赤に染まっている。
(……なんだよ、これ……!)
見つめる先では、戦闘が行われていた。
黒いAC『デュアルフェイス』と、白いAC『グラヴィノス』、そして巨大四脚兵器『ディアパルゾン』の殺し合いである。
もっとも、今やそれも過去の話だった。
ディアパルゾンは、黒いACの猛攻で、倒れ伏し、天をつくような爆発を遂げている。
現在は、デュアルフェイスとグラヴィノスの一騎打ちに、戦いは姿を変えていた。
「……なんだ、これ……!」
少年は賛嘆した。
少し前、地面から出てきたデュアルフェイスに感じていた『揚ぶり』が、より強い衝動となって少年の身を満たしている。
デュアルフェイスは、両肩に大口径グレネードを背負い、グラヴィノスは、両腕にバズーカを装備していた。
お互いにそれを出し惜しみせず、景気良く撃ち放っていた。
燃えたぎるグレネードが弾が飛び交い、ミサイルが降り注ぎ、バズーカとキャノンが色とりどりのマズルフラッシュを咲かせ合う。
それはどこまでも凶暴で、情熱的な戦いだった。
少年が、夢中になっていた『ゾーン・ゲーム』とは比べものにならない。『命』を賭けたもの特有の、破滅的な美しさがあった。
それは、本物の『アウトロー』が見せる輝き。
命が燃える光だ。
「ああ……」
嘆息し、少年はへたりこんだ。
スケールが、違う。それを肌で感じていた。
駅でジノーヴィーに抱えた劣等感が、より強く、確かな形となって、彼の心を揺さぶっている。
(……こんな世界が、あったなんて……)
彼の日常、その根幹を成していた――『ゾーン・ゲーム』。
こんな状況でも、少年はその『競争』を思った。
そして、今度こそそれが無価値に転落した。
目の前で繰り広げられている、この勝負に比べれば――自分たちの真似事は、どんなに甘く、くだらないものであっただろう。
だが自分は、そんな小さな枠の中で、一番を奪い合っていたのである。
(……馬鹿みたいだ……)
意の中の蛙は、大海を知らない。
その言葉の意味が、実感として分かった。
目も眩むような劣等感が、津波のように押し寄せた。なんだか、背が縮んだような錯覚さえ覚える。
だがその一方で、真っ白になった思考に、ふとある疑問が浮かび上がってくる。
(じゃあ……逆にあの人達は、こっちのことを、どう思ってるんだろう……?)
答を探すべく、少年は戦いに目を向けた。
完全破壊された、少年の『街』――その上で、巨人達が踊っていた。
さらに注意して見れば、砕かれた学校も、アパートも、家も、彼らはまるで気にしていないのが分かる。踏みにじり、流れ弾を当て、爆風で吹き飛ばしても、彼らの動きは揺るがない。
巨人達は、『日常』の残骸などものともせず、砲声と爆音を音楽に、情熱的なダンスを踊っていた。
(……そうか)
そうしていると、すとんと理解が落ちてきた。
あまりの惨事に、壊れ、麻痺しきった心に、危険な言葉が強く響く。
(彼らは……本当に気にしていないんだ)
彼らにとって、少年達の日常など、毛ほどの価値もない。
自分の全てであった、この街でさえ――彼らにとっては、それこそ道ばたの小石程度に過ぎないのだ。
考えてみれば、当たり前の話である。
そもそも、彼らは『自分たちの遙か上にいる』のだから。
蟻を気にする象はいないし、小魚に気を遣う鯨もいまい。そういう次元の、全く低レベルな疑問だったのだ。
(……そうか)
その理解が、少年の背中を押した。
『彼らは、自分より遙か上にいる』――その言葉は、確かな真実として、少年の胸に刻み込まれた。
(……そうか。これが、これこそが……!)
確信と共に、少年は再び前を見た。
黒い方――デュアルフェイスが、優勢になっていた。
この時、もし少年の精神がまともであったなら――デュアルフェイスだけは、微妙に周囲を気遣ったり、まだ原型を残した建物を庇ったりしているのに、気づいたかも知れない。
だが、今の少年はまともではなかった。
自身の日常を、世界を徹底的に破壊され、その幼い心は完全に麻痺していた。
だから――
「これが、『上』……!」
とてつもない『尊崇』の情が、いとも簡単に巻き起こった。
全身が震え、痺れ、唇がきゅっと結ばれた。だがその一方で、眼にはきらきらとした輝きが宿り、前の情景をしっかりと捉えている。
先程まで握りしめていたスカーフが、手から滑り落ち、そのまま風に吹かれて飛んでいった。
だが少年は、それを拾いに行くことはおろか、目で追うことさえしなかった。
彼の関心は、もはや目の前の戦いにのみ注がれている。
「すごい、すごいよ……!」
自分のスケールの、それこそ生活の中心にいた、『ゾーン・ゲーム』――彼が己の『野心』を託してきた、甘ったるい揺りかご。
そして、そのゾーン・ゲームの世界さえ丸ごとに含めた、彼の『日常』、それを圧倒的に越えるものと出会い、感動し、幼い心はそれを『偉大なもの』――それこそ、神や悪魔に分類される――のように錯覚した。
あるいは、初めて『嵐』や『雷』を見た古代人も、彼と同じ気持ちであったかもしれない。
だが例え錯覚であっても、当人にとっては真実だった。
それは紛れもない重みを持って、少年に迫ってくる。
(……こんな世界に、行けたなら……!)
これが普通の人間であったなら、思考はここで終わっていただろう。
目の前の情景に、単なる『憧れ』を抱いただけで、それ以上踏み込もうとはしないだろう。
だが――少年は違った。
より大きな世界に、圧倒的な標的に、何かが激しく燃え上がった。
それは、少年がゾーン・ゲームに抱いていた感情と、全く同じ根本を持っていたが――もはや、それは完全に別方向のものだった。
猛火の中から、圧するような声が、『啓示』が、重く響く。
――『駆け登れ』。
どくん、と心臓が波打った。
と同時に、何かが――彼の本質たる『向上心』が、燦然《さんぜん》と輝いた。
真っ白い光が、劣等感や、畏怖や、尊敬といった――千路に乱れていた感情を、たった一つに纏め上げる。
――『駆け登れ』!
自分のいた世界が、ゾーン・ゲームが小さかったというのなら。より大きな世界へ、もっと上の世界へ――羽ばたき、駆け登れ。
お前は、こんな場所にいるべきではない。こんな場所で終わるべきではない。
今度はこの新しい場所で、頂点を目指せ――!
少年の口に、獣じみた笑みが宿る。
闘争心が燃え上がる。心臓が戦いのリズムを刻み出す。
体中が、かつてない上昇に沸き立つような熱を帯びた。
「……行こう」
陽光に照らされながら、少年は一人決意した。
「行こう」
前を見据え、重ねて言う。
するとどうしてか、一筋の涙が頬を伝ってきた。
だが高ぶり、また麻痺しきった心では、それが悲しみによるものなのか、喜びによるものなのかも分からない。
分からないまま、少年は勢いのまま続けていく。
「行こう!」
そうだ、昇れ。上が見えたというのなら、その壁を昇って行け。
痛い目を見るかも知れない、全てを失うかも知れない。だが、それでも昇って行け。
自分は、そういう『生き物』なのだ。
上が見えたら、昇らずには生きていけないのだから――。
「……行こう……!」
遠くで、重苦しい砲撃音がした。
デュアルフェイスのグレネードが、グラヴィノスにぶち込まれた音だった。
天を突くような爆炎が、どうしてか大輪の華に見えた。
*
『あー、負けたぁ』
スピーカーから、ハンマーヘッドの声がする。
ひどいノイズがかかっていたが、声を聞くには支障がなかった。
『ジノーヴィー、あんた強いぜぇ。賞賛に値する、自信持つことを許可しようじゃないか』
だが、敗者とは対照的に、デュアルフェイスの中でジノーヴィーは無言だった。
ただメインモニターに映された、白い機体を静かに見つめている。
跪いた重量級ACには、往時の威勢など欠片もなかった。炎上する姿は、もはや周りの廃墟と変わらなく見える。
(……もうだめだな)
ジノーヴィは、まず思った。
敵の機体は、ジェネレーターを完全に破壊されていた。もはや爆発まで間もないだろう。また、フレームもぐしゃぐしゃに変形しているので、きっと非常用ハッチも開かない。
ハンマーヘッドは、確実に死ぬ。それは、もう確定事項だった。
『廃墟の中で死ぬ、かぁ。墓石には困らなそうだ』
そんな中で、ハンマーヘッドは尚も話し続けた。
恐らく、相手も死を確信しているのだろう。だからこそ――こんなにも饒舌なのだ。
『いや、本当に……』
「それだけか?」
だがある時、ジノーヴィは言葉を挟んだ。
ハンマーヘッドが口をつぐみ、無言になる。
五秒、十秒、沈黙の時間が過ぎていった。だがその間にも、炎は確実に勢いを増し、グラヴィノスを爆発へと近づけていく。
『死にたくねぇな』
ハンマーヘッドが、ぽつりと呟いた。
飾った調子も、小馬鹿にした様子もまるでない。ハンマーヘッドの『地』の部分が、最期の最期で顔を出した。
「……正直な遺言だな」
『かもな。だが――』
応答は、途中で止んだ。
応えきる前に、機体が限界に達したのだ。
爆風が天を突き、轟音が響き、地面が揺れた。ランカーACグラヴィノスは、真っ白い破片となって四散する。
恐らく、かなり威力の高い爆発だったのだろう。
黒煙が晴れた後は――何も残らなかった。ただ焼けこげた道路が、黒々とした表面を晒している。
そしてその焦げ跡は、かつてそこにACがいたという唯一の証明でもあった。
もっとも、その焦げ目さえ時間が経てば消えてしまうのだが。
「……あっけないな」
一部始終を見つめ、ジノーヴィーは、ぽつりと呟いた。
確かにその最期は、破壊の限りを尽くした『人喰い鮫』の末路にしては、あまりにあっけない。
だがこれも――レイヴンという職の宿命だった。
『力』が足りなければ、死ぬのだ。
ハンマーヘッドは、ジノーヴィーと相対するには、あまりに力不足だった。だから死んだ。
その論理に呑まれたに過ぎない。
レイヴンは報酬も、自由度も高いが、常にそういったリスクを孕んでいるのだ。
ジノーヴィーでさえ、それから逃れることはできない。彼にもいつか、ハンマーヘッドや、あるいはジギタリスのように、力及ばずに倒れる時が来るだろう。
(……まぁ、分かっていたことだ)
思い直し、ジノーヴィーはスティックで愛機を反転させた。裏山の方角である。
この街のベースは、もう使えない。休むためにも、燃料を補給するためにも、まず隣町まで向かわなければならなかった。
このことを報告するのは、辛いが――これも任務だ、仕方がない。
「行くか」
呟き、早速ブーストペダルを踏もうとして――眉をひそめた。
メインモニタにおかしなものが映っていたからだ。
(何だ、あれは……?)
空中を、紅い何かがひらひらと舞っている。
ゴミと言われればそれまでだが、どうしてか、それに気を引かれた。
強化人間の動体視力、新鋭コンピューターの拡大機能を駆使して、それが何かを解読してみる。
答は、意外と簡単に出た。
およそ三〇センチ四方の、布きれ――いや、きっと『スカーフ』だ。別にそれだけなら問題はなかったのだが――その中央には、なぜか金の星が描かれている。
なんとも、奇妙な柄である。販売用にしては、やや大きすぎ、しかもセンスがない。
だが、ジノーヴィーはその柄に見覚えがあった。
昨日見た、あの獣のような少年。彼が入手していた戦利品は――これと、同じものでなかったか?
(……どうしてこんな場所に……?)
未だに空を舞うスカーフ、そのひらひらした動きを見ていると、ふと少年の名までが頭をよぎった。
老駅員が呟いていた名が、忘れていたはずの、あの『野心家の少年』の名前が、口をつく。
「……エヴァンジェ?」
スカーフは、無論応えない。
そのまま風に吹かれて、真っ青な空に吸い込まれていった。
*
「……その後、私は四時間かけて隣町のベースへ行った。
当時はまだクレストも本格的な軍事展開をしていなかったからな……クランウェルが――大型輸送ヘリが、付近のどこにも配備されていなかった。
歩いて帰るしかなかったのだよ」
ジノーヴィーは、そこで一旦言葉を切った。
注文したウォトカ、その最後の一杯を飲み干し、一息つく。
どうやら、知らずに気張っていたらしい。びっくりするほど喉が渇いていた。
「……終わりですか?」
喋りが停止したことに、エレンは首を傾げた。
ジノーヴィーは手を振り、おもむろに口を開く。
「あと少しだ。
……ベースに辿り着いたときには、もう夜になっていた。
その時にはすでに、騒ぎは周辺に知れ渡っていた。マスコミや軍隊が、あの街に殺到していたよ。
だが――生存者は、ほとんど見つけられなかったそうだ。全員、瓦礫に潰されるかガスで窒息するかで、死んでいたらしい。
街は全滅だよ。
山で保護された……エヴァンジェ以外は、な。
そして、そのエヴァンジェが、今、レイヴンとして私の前にやってきた。
これも、レイヴンとしての、私の『業』……というものかな。気取った言い方だがね」
そこまで話してから、ジノーヴィーは本当に口を閉ざした。ゆっくりと息を吐き、背もたれに体を預ける。
エレンも、すぐには話してこなかった。眼鏡の奥で、瞳が思慮深げなブルーに沈んでいる。
テーブルに訪れた沈黙を、レストランの優しい音楽が満たしていった。
「……どうだね」
そんな中、ジノーヴィーが何気ない風で尋ねた。
グラスを掴み、揺らし、残された氷で涼やかな音をたてながら、
「話した身としては……感想を聞きたく思うのだが」
いきなり話を振られ、エレンは少々驚いたようだ。
だが、すぐに考えを纏めたらしく、十秒もしない内に口を開く。
「……まずは、話していただいたことに、お礼をいいましょう。
あまりよくない思い出のようでしたが……非常に参考になりました。感謝します」
「構わんよ」
ジノーヴィーが言うと、エレンは頷き、本題の方を切り出した。
「質問の方は、下らなくなりますが」
「そっちも、構わない」
「……つまりは、写真のレイヴンが……その、エヴァンジェだということですね?」
頷き、ジノーヴィーはテーブルの写真に目を落とした。
フレームの内から、不敵に笑った青年がこちらを見つめている。
『待っていろ』、『もうすぐお前を倒し、おれがナンバー1になってやる』――そう言いたげな、極めて挑戦的な目つきだった。
(それにしても……変わっていないようだな)
笑い、ジノーヴィーはエレンへ補足した。
「同姓同名だしな。ほぼ間違いないだろう。顔立ちも、かなり似通っている」
そう答えると、何故か、エレンが考え込んだ。少し経ってから、探るように訊いてくる。
「……あなたは、自分たちの戦闘が、エヴァンジェにレイヴンを目指すきっかけを与えたと、思っているわけですね?」
ちょっと迷ったが、頷きを返した。
すると、エレンは怪訝そうな――微妙にわざとらしい――顔をする。
「どうして、そんなことが言えるのですか? 別に、エヴェンジェがあなたに影響を受けたという確証は、ないはずです」
かなり唐突な問だった。強引ですらある。そもそも、この話の趣旨から逸脱していた。
ジノーヴィーは不審に思ったが、深い追究は避け、無難な応答をすることにした。
「……レイヴンになる、と決意するのなら、あのタイミングが最も相応しいと思ってな。
『証拠はない』が、『そうとしか考えられない』……そんなところか」
そこまで語り終えて、ジノーヴィーは目の前に座るエレンを見た。
付き合いの長いオペレーターは、そうですか、と軽く返しただけだった。
だが恐らく――というより間違いなく、彼女自身もこう返されることは分かっていただろう。
そんなことも分からないようでは、とても彼の助手など勤まらない。
(なのにどうして、いきなりこんな話題を……?)
思ったときには、すでに口から飛び出していた。
「どうしてそんなことを訊く? てっきり、内通者のことでも、訊いてくるかと思ったがね」
今度は、エレンが虚を突かれた顔をした。
数秒の間、その顔に逡巡がよぎる。だが結局、彼女は正直な言葉を口にした。
「……話しているときのあなたは、何か……思うところがおありのようでしたから」
「どういうことだ?」
「エヴァンジェの選択に、責任を感じているように思えたから。そういう理由です。
エヴァンジェがレイヴンになったのは、自分のせいだ……そう思っているように見えたのですよ。
……もしあなたが、純粋な少年を殺し合いの世界に引き込んだと、負い目を感じているのであれば……顧問として放置できない問題です。
エヴァンジェの情報よりも、内通者よりも、そちらの方が優先されました」
つまり、彼女のなりに気遣っていた、ということだろう。
なるほど思い返してみれば、確かに物憂げに話していた節はある。また話す前にも、曰くありげに勿体ぶってしまった。
そう深読みされても仕方がないだろう。
だが――
「思い違いだ」
ジノーヴィーはそれを一蹴した。少し自嘲を交えつつ、
「複雑な気持ちにはなる。あそこまで被害が出て、全く何も感じないというのも……あり得ないだろう」
本当は、それどころではなかった。
今でも、たまにだがその悲惨な状況を夢に見る。
それほど強烈な体験であり、映像だったのだ。彼は傭兵であり、怪物であり、心構えもできている。が、あれほどの惨劇を無視できるほどの、人外ではないのだ。
「……だがね」
ジノーヴィーはそう前置きして、
「……当時から、そこまでの『責任』は感じていない。私はそれほど、青くはないさ。
私は最善を尽くしたと自負している」
「……やはり、そうですか」
「ああ。『業』と言ったのも、突き詰めれば『感慨』程度のものだ。
『責任』を感じてのものではない。
君が気にすることではないさ」
断言すると、エレンがほっと息を吐いた。
「安心しました。やはり、あなたはプロですね。
厳しいようですが、このことで『責任』を感じられているようであれば……この先、精神を病んでしまうでしょう。
この仕事は、上手くいかないことも多いですから」
そこで、テーブルの側を店員が通りかかった。
エレンが慌てて手を挙げ、その店員を呼び止めた。流暢な旧ロシア語で、ウォトカを『三人前』オーダーする。
中年の女性店員が、軽く会釈して厨房の方へ消えていった。
「……三人前? ここには二人しかいないぞ」
ジノーヴィーは、当然の疑問を挟み込んだ。
が、エレンは意味深な笑みを浮かべて見せる。
「じきに分かります」
こう言われては、追究する術もない。
ジノーヴィーは諦め、嘆息した。とりあえず、脱線した話題を元に戻そうとする。
「まぁ、それはともかく」
そこで、ジノーヴィーは表情を固くした。
プロとしての、冷徹な顔が浮かび上がる。
「……それに、経過がどうであれ、最終的にレイヴンになるという判断をしたのは、エヴァンジェ自身だろう。
そこに責任があるとすれば……彼自身が、それを負うしかない。
この仕事における『責任』とは、リスクとは、そういうことだ」
一変、冷たく聞こえる物言いだった。
だがレイヴンの世界では、むしろまだマシな方である。普通のレイヴンであれば、エヴァンジェのことなど省みさえしないだろう。
そもそも、エヴァンジェが影響を受けたのも、ジノーヴィーが虐殺の元凶と闘っていたからであり――不可抗力の面が強い。もしジノーヴィーが闘わなかったら、きっとエヴァンジェは死んでいたのだから。
エレンも厳しい顔で補足した。
「……そうですね。
自由を武器に、空へ昇ろうが、落ちようが、責任は本人にのみ回帰します。
そして、その責任――つまり『死のリスク』からは……誰も逃れられません。
私も、あなたも。この業界に住む人は、誰も。ジギタリスやハンマーヘッドが、そうであったように。
ですが、それでも、選択の責任を負うことができるのは……彼だけです。
己の力不足に対して、責任を負えるのもまた、彼だけなのですから」
ジノーヴィーは、同意の頷きを返した。
エレンの言うところは、ジノーヴィーの考えと全く同じだった。
ジノーヴィーは、天窓から覗く夜空を見上げ、呟く。
「……彼はもうこの世界に入ってしまった。もはや後戻りはできまい」
エレンが、その言葉に小さく頷いた。
「地を離れたら、飛び続けるしかない……レイヴンの鉄則です」
「そうだ。ならばせめて……彼が飛び続けることを祈ろう。
同業者として、な。
全ての決定権も、責任も、彼自身にある。私が何か言えた義理でもない。
が……それでも、彼の成功を願おうじゃないか。それくらいは許されてもいいだろう」
「……そうですね。そう言うと思ってました」
エレンがそう応じたところで、注文していたウォトカがやってきた。
オーダーの通り、その盆の上には一本のボトルと、三つのグラスが置かれている。
「失礼します」
そう前置きして、ウェイターはまずボトルをテーブルの中央に置いた。
それから、三つのグラスを置き始める。
ジノーヴィーの前に一つ、エレンの前に一つ、そして、ウェイターは三つ目をどこに置こうか迷っているようだったが――エレンが三つ目の席に目配せすると、そこにグラスを置いた。
無論、三つ全てに酒を注ぐのも忘れない。
「ごゆっくり」
全てが終わると、一礼し、また厨房へ去っていった。
テーブルには、ジノーヴィーとエレン、そして三つのグラスが残される。
(……なるほど。これを見計らっていたか……)
ジノーヴィーは、ここでようやく、ウォトカが三つある意味を理解した。
相棒の粋な計らいに、思わず頬が緩む。
「では」
どちらともなく言って、二人は同時にグラスを掴んだ。
まずエレンが静かな口調で、
「……新たなる『鳥』の――巣立ちを祝って」
次いで、ジノーヴィーも口を開く。
「新たな鳥の――高く飛び行くことを願って」
二人は、同時にグラスを高く掲げた。
ここにいない、第三の参加者――エヴァンジェに思いを馳せつつ、控えめに宣言する。
「「乾杯!」」
冷えたグラスが打ち合わされ、カツン、と涼やかな音を立てた。
新参者を、そのレイヴン試験管や、繋がりの深い者が迎える儀式である。
昔は、新人が入る度に同様の儀式が為されていたと聞く。
いわば、上位ランカーとしての嗜み(たしなみ)である。
もっとも――この風習はすでに廃れているのだが。そもそもが、サイレントラインが現役だった頃に、考案された手法なのである。
「……エレン、君は幾つなんだ」
ぼそりと呟いた言葉に、エレンが目を鋭くした。
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