「ジャウザーSS2」(2009/03/26 (木) 19:10:40) の最新版変更点
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*
『ファシネイターだ』
市街区の片隅に逃げ込むと、まずマディスンはそう伝えてきた。
『女性だが、天才的なAC乗りだ。一部じゃ、早くもドミナント――まぁ「最強」ってことだ――て呼ばれてるな。
懸賞金は七〇万C。独立系のレイヴンとしては破格の値段だ。この一日だけで、生き残ったレイヴン二二人の内、九人を殺している』
マディスンはそう言いきると、気怠げに息を吐いた。
『端的に言えば……化け物だよ。
正直、今別の依頼を受けていたようだから、こっちに出てくることはあり得ないと思ってたが――どうやらそっちの依頼は速攻で片づけてきたらしいな。
だがな……尋常じゃないぞ? ヘリ七機とMT二〇数機の部隊を、わずか七分以下で全滅させた計算だぜ?』
確かに、信じがたい話だった。
だがそれを実際に行うだけの技量は――あるだろう。ジャウザーは、持ち前のセンスでそれを感じ取っていた。
「……強かったですね」
『当たり前だ』
「それに……ずいぶん伸び伸びとしてしました」
こちらは、純粋にジャウザーの実感だった。
壁を破る発想といい、柔軟な戦術といい、実に伸び伸びと闘っているという印象を受けた。
いかなる組織にも属することなく、ただ単純に依頼だけを遂行し、それ故――極めて自由。
そういったパイロットの有様が、戦いそのものに宿っているかのようだ。
ただ――かといって、利益だけを求めるのかというと、そうではないだろう。
敵は心のどこかに、譲れない何かを持っている。
それは、戦いを見れば分かった。
敵の戦術は無茶苦茶なようでようでいて、きっちりと合理性に裏打ちされたものだ。ただ自由であるだけで、きちんとした芯も持たない人間に――こういった戦い方はできまい。
よくも悪くも、『戦い』というのは、レイヴン自身を映す鏡なのである。優れた芸術作品には、製作者の魂が宿るように、優れた戦闘には、パイロットの生き様が自然と投影されるのだ。
そしてジャウザーは、そういったものを感じ取る才能にも、かなり恵まれていた。
(ジナイーダ……か)
がんじがらめにされた自分と、自由を振りまいていた彼女を対比させると、少し切なくなった。
(私も、ああなれれば……よかったのかもしれない)
何気なく思い、直後、慌てて首を振る。
(私は、一体何を考えて……!)
『踏み外した』のを自覚し、ジャウザーは肝を冷やした。
だがそれを深く追求する前に、マディスンの声がする。
『……伸び伸び? 何だそりゃ?』
「あ、いえ、何でも……!」
誤魔化そうとした直後――ジャウザーはふと気がついた。
レーダーの中で、敵ACが――動きだしている。それもかなりのスピードで。
ついにこちらを追跡しだしたのかと思ったが、それにしては方向がおかしい。
(……この方向は……)
猛烈な胸騒ぎを感じた直後、マディスンが答を先取りした。
『居住区に向かってるな』
ジャウザーが守ろうとしている人々は、居住区にいる。
そして彼らとは、バーテックスの裏切り者である。
また、敵ACはバーテックスの手駒であり、バーテックスは裏切りには極めて厳しい組織である。
(……まさか)
ジャウザーの顔が青くなる。
そして悪い予感は的中した。
『ジャウザー。情報が入った。敵ACは、どうやら居住区の連中の始末も依頼されているらしい。
どうりで、こっちを追いかけないわけだ。居住区の任務の方を、優先したわけだな』
その言葉に、ジャウザーは雷に打たれたような衝撃を受けた。
自分が敵ACより撤退したせいで、人々を危険に晒したのである。責任を感じないはずもなかった。
「い、急いで戻りましょう!」
『待て、ジャウザー』
「まだ間に合うはずです!」
『だから待て、ジャウザー』
マディスンは、呆れ混じりの息を吐くと、感情を消して続けた。
『ゲームセットだ』
ジャウザーの動きが止まった。
マディスンは続ける。
『撤退だよ、ジャウザー』
実際の所、それらは突然すぎて、内容までは聞き取れていなかった。だが――それでも、なぜかジャウザーは強烈な寒気を覚えた。
「……もう一回、お願いします」
震える声で、尋ねる。
残酷な応えはすぐにやってきた。
『撤退だ、ジャウザー。お前のお陰で、バーテックスの戦力が落ちた。
この隙をついて、アライアンスはこの区域から撤退し、状況を立て直すそうだ。
……もう少し闘えば、勝算がたつかもしれない……っていう戦術部隊の意見を、本部のお偉いさんは気にくわないご様子だ』
それは事実上、残された七二の命を見捨てるということだった。
あまりの仕打ちに、ジャウザーは言葉を失ってしまう。
今までも納得できない指令はあった。が、ここまで――七二もの犠牲を出すのは、初めてだった。
しかし、それでも筋の立った理由があれば、ジャウザーもなんとか折り合いをつけたかもしれない。だが続いた言葉は、
『本部は、これ以上の「経済的」な損失を許容できないそうだ。
とりあえず、ダメージは与えられた。なら一回退いて、体勢を立て直して、再度アタックした方が、総合的な「損失」は少ないと考えたんだろうな。
まぁ、確かに見積もりの損害は数百億C……奴らにとっちゃ、協力者が七〇ちょっと死んでも、なんの不思議もない額なんだろうな』
つまり、金のために七二人を見殺しにするということだった。
この状況で撤退するのであれば、わざわざ居住区にまで足を伸ばし、七二人を回収する時間などないから――必然的にそうなってしまう。
ジャウザーの口調に、猛火の激しさが宿った。
「ふざけないでくださいっ!」
殴りつけるような声に、返答はすぐには来なかった。
五秒、十秒、たっぷりと間を空けてから、マディスンは重苦しく告げる。
『マジだ』
怒りがさらに膨れ上がった。
ジャウザーの内に、ありとあらゆる罵詈雑言が渦を巻く。依頼を突っぱねる言葉が喉の奥まで出かかったが――だが結局の所、外に出ることは叶わない。
ジャウザーは自らの『騎士道』を心の底から大事にしていた。
が、かといって刷り込まれた『洗脳』は、一切の反抗を許さなかった。暴力的な圧力をもって、ジャウザー本来の『騎士道』を締め上げる。
まして――彼にとって、アライアンスを公然と非難するということは、今までアライアンスのために闘ってきたという事実の正当性さえも、覆しかねないことなのだ。
自分の生き甲斐を、全否定するのに躊躇しない人間など――恐らくいまい。
しかし、かといって七二もの犠牲が許容できるはずもなかった。
ジャウザーの心は、今回もまた激しく揺れた。
(このままでは……!)
彼らを救えない。あと少しかもしれないのに。約束したのに。
納得いかない、このままでは、また見殺しにしてしまう。
だが、アライアンスに、クレストに逆らうことは――!
「くそっ!」
何度も繰り返された苦悩が、今回もジャウザーの胸を焼いた。
マディスンもそれを察しているのか、黙って事態の推移を見守っている。これもこの二四時間に、繰り返されてきた情景だった。
しかし――今回に限って、いつもと違う点もあった。
ジャウザーは、こうも思っていたのである。
(……敵は、あの人は……あんなに自由だったのに……!)
ジャウザーから見た敵AC、それはまさに自由の固まりだった。
何者にも束縛されず、自らの信念を思うままに貫いている。今までの経歴からも、実際の動きからも、それは明らかだった。シャウザーはそういった有様を、持ち前の『センス』で誰よりも鋭敏に感じ取っている。
だが、それに対して自分は――縛られている。がんじがらめにされ、動けなくなっている。
今すぐ飛び出して人々を救いたいのに、出来ない。ばかりか、尻尾を巻いて逃げ出すことを迫られている。
「どうして……!」
人生最大級の『切り捨て』に加え、敵ACとの残酷なまでの対比、ジャウザーはそれらに歯ぎしりした。
血が出るほどに唇を噛みしめ、足が小刻みに震えだす。思考がぐちゃぐちゃになり、予測と思い出が入り乱れる。
ふと笑みさえ浮かんだ。行きつくところまで行きついた末の、壮絶な自嘲の笑みである。
苦労してクレストの専属になったのに、自由の身であった方が、より自分の正義を貫けるとは――なんという皮肉だろう。
(……こんなはずでは、なかったのに……!)
その気持ちをかつてないほどに噛みしめた、その時――突如、頭がすっと晴れ渡った。
大事な何かを一つだけ抱え、ただひたすらそれに殉じていくという、敵ACの有様――それが古い記憶を呼び覚まし、真っ白になった思考に思い出がふわりと舞い込んでくる。
*
『ジャウザー』
思い出の中で、祖父は柔らかく語りかけてきた。
死亡する前日のことである。
『君は……レイヴンになると、誓っていたな』
ジャウザーが頷くと、祖父は笑みを浮かべた。
元レイヴンとは思えない――ついでに言えば、左目に走る大傷とも不釣り合いすぎる――愛情に満ちた笑みだった。
普段は厳格な祖父だが、この時ばかりはとても優しくしてくれた。
『なるからには、これだけは覚えておいてほしい。お前に授けられる――恐らくは最後の教えだ。
「真に大切な何かを守るため、他の何かを捨て去れる勇気を持て」……これだ』
ジャウザーが妙な顔をするのにも構わず、祖父は続けた。
『何か、君の心に決めたことがあれば、迷わずそれに殉じていきなさい。
時には、他の大切な何かを捨て去ることにもなるだろうが――それでも、怖れるな、恐がるな、勇気を持って、進むといい』
ジャウザーには、やはりよく分からなかった。
だがそれを語る祖父は、それも当然と頷いてみせる。どこか懐かしむような目をして、
『……まぁ、今はそうだろう。
だが、よく覚えておきなさい。これは、私や多くの同僚達の経験が言うことなのだから。
実際……』
そこで、祖父は左目を開けた。右目と同じ、鮮やかなブルーの瞳が顔を出す。
ジャウザーは驚いた。
祖父の左目は、瞼を縦に裂くほどの大傷により、てっきり塞がっているものだと思っていたのだ。
『……私も、大事なものを守るためには、戦ってきたよ。何度もね。その度に、色々なものを捨てざるをえなかったのだが、それを残念には思っても、後悔したことは、一度もない……』
懐かしむように言ってから、祖父は左目を閉じた。
もはやそこが開く気配はなく、元のようにしっかりと閉じられてしまっている。
『いいか、だからね、ジャウザー。
欲張ってはいけない。本当に大切なものを――君にとっては、騎士道か――守るためには、それ以外の、何か大事なものを捨てなければならない時もあるんだ。
だからそういう時は……捨てなさい、ジャウザー。
守ることも、もちろん大事だ。だが、感傷になりすぎてもいけない。
その結果、捨てられずに、両方抱えたまま腐っていくレイヴン達を数多く見てきたが……君は捨てられる男になりなさい。
愛着があるものを捨てるのは、辛いだろう。いやひょっとしたら……君はそれ以上の痛みを伴うのかも知れない。
過去の経験を、思い出を――否定し尽くすことになるかもしれない。
だが……たった一人の人間が、二つ以上も何かを抱えて生きていけるほど、この世界は優しくはない。
哀しいことだが……ね』
その言葉に、ジャウザーは無性に恐ろしくなった。
祖父によれば、自分はこれから次々と何かを捨てて、生きなければならないということではないか。
だが祖父は、そんなジャウザーの内面を見透かしたように、こうも付け加える。
『だがね……捨て去るということは、必ずしも悪いことだけではない。
捨てることによって、得るものもあるのだよ。むしろ、捨て去ることによってしか、得られないものもある。
……これも難しいかね、君?』
ジャウザーは素直に頷いた。
祖父は小さく笑い、
『そうだろうともさ。君はまだ、捨て去ったことがないのだから。
だが……君がいつか、でかいものを捨て去った時には、きっと分かるだろう。
そうなれば、一人前だよ、君。レイヴンとしても、男としても……ね』
小柄な祖父の姿だが、その時ばかりは、何故か大きく感じだ。
*
(……『恐がるな』……)
心臓が、大きく一回波打った。
(……『「捨て去れる」勇気を持て』……!)
さらに一回、波打つ。
そのペースはどんどん速くなり、やがてはドラムロールばりの速度となる。
(そうだ、何を恐がってる……!)
もとよりアライアンスに入ったのは、ここが『騎士道』を貫ける最高の場所だと思ったからだ。
だが――実際は違うと分かった。ここにいては、『騎士道』が殺される。
ならば――自由になってしまえばいい。先程の敵ACのように。もはや、ここにいるそもそもの理由がなくなったのだから。
無論、アライアンスへの愛着も、忠誠も捨てがたい。かつて抱いた、企業への狂おしい程の情熱は、未練がましく残っている。
だがそれよりも、もっと大切な――自分の芯となるものがあるはずではないか。
――出てしまえよ、ジャウザー。
脳裏で、何かが囁いた。
ジャウザーはその導きに従って、強い意志力で宣言した。
「出てしまえ……!」
予想以上の抵抗感があった。
脳の中で、植え付けられた『忠誠心』が激しく反抗しているのだ。
だがジャウザーは、自分の最奥部から来る衝動に導かれるまま、思考を進めていく。
(……そうだ)
この命令には従えない。そして、命令に従わなければ、厳罰を喰らった上で放逐されてしまうだろう。
何よりアライアンスに居続ければ、これから何度でも似たような状況に直面させられる。
それならばいっそのこと、トロットやエヴァンジェのように、あるいは敵ACのように――
「アライアンスを出てしまえばいい……!」
『命令違反と共に、アライアンスから消え失せる。それからはどこかに潜伏し、フリーでやっていく。胸に「騎士道」一つだけ抱えて』。
言葉にしただけで、胸に大穴があけられたような、途方もない喪失感がやってきた。
それは、己が今までクレストで過ごした歳月、それら全てに背く決断に他ならない。
自分がクレストに向けてきた期待や情熱――血を吐くような努力で所属レイヴンになったことや、そこに所属することを夢見た時代――それら諸々を、人生の半分を、丸ごと見限ることに他ならなかった。
ばかりか――自らにこう言い放つということでもある。
『お前は企業に騙され、本当の正義を見失い、ばかりかそれに背く任務にさえ協力していた、「悪人」の端くれだと』。
確かにそれは、恐ろしいことだった。
途方もない罪悪感が津波のように押し寄せる。過去の任務で殺してきた人々が、自分を轟々と非難してくる。
痛い。苦しい。それ以上に、怖い。
回れ右をして、目をそらし、全てを気づかなかったことにしてしまいたい。
だが――それでも!
ジャウザーの中で、彼の本質たる『何か』が猛々しい叫びをあげた。
七二の人々の声が。祖父の助言が。敵レイヴンの有様が。『洗脳』や『恐怖』という鎖を引きちぎり、『進め』と前を指さした。
――行こう。
「出ます!」
宣言した。激烈な痛みを伴ったが、すでにそこには確固たる意志があった。
許容しがたい犠牲と、敵が持つ自由、さらにやってきた祖父との思い出など――そういった諸々が、ジャウザーに一歩踏み出す勇気を与えていた。
『お、おい、ジャウザー』
突然の呟きに、マディスンは驚きを隠せない。
そんなオペレーターに、ジャウザーはまず詫びた。
「申し訳ありません、マディスン。私は……今から、作戦を放棄します」
『……なんだと?』
「アライアンスは、これでかなり優勢になりました。後は……私がいなくとも、なんとかできる範囲のはずです」
『厳罰されるぞ。例え戦果をあげてもな、本部はお前を許さないだろう』
「はい。だから、やるべき事を終えたら逃げます」
『……許されると思うのか? 敵ACに対抗できるのは、お前だけなんだぞ』
「ですが、敵ACは――私が戦闘不能にします。そうすれば、敵も味方もACを失い――『AC』という兵力差はなくなりますね。
兵力差はリセットされ……いえ、流れ的には、こちらがちょっと有利になると思いませんか?」
マディスンは、言葉に詰まった。だがすぐに思い直して、
『敵ACだけ倒して、なんになる。どのみちアライアンスが撤退すれば、居住区の七二人は助からないぞ。バーテックスに占拠される』
それにジャウザーは、少し考え込んだ。だがすぐに、ふと思いついたような調子で、
「敵ACは七二人を殺すように、依頼されていました。普通なら、わざわざこんな依頼はしないでしょう。
恐らく、バーテックスは追撃するにしろ、何にしろ、しばらくは手一杯で居住区にまで手が回らないのでは? バーテックスは、ひょっとすれば我々が思う以上に、人員が不足しているのでは?
ACを倒し、その後彼らを逃亡させればれば……彼らが逃げおおせる時間は、あるのではないでしょうか。可能性はかなり高いはずです」
理屈としては、確かにジャウザーも正しかった。
というより、まさに正論である。
一皮むけたためか、かなり広い視野と知識でものをみるようになっていた。元々、愚直ではあるが、愚鈍ではなく――頭はいい方なのである。
だが――マディスンが、アライアンスがこれを認めるはずもない。すぐに、鞭を振るうような声が来た。
『ジャウザーっ! 命令に従え!』
「拒否します。私には、七二の命を見捨てることなど……できません。彼らが死ななければならない道理など……私には、見つけられません」
揺れのない口調は、覚悟の証だった。
マディスンの言葉にも焦りが見え始める。
『どうした、ジャウザー! お前が、どうして命令に……!』
「申し訳なく思います。ですが……戦わせてもらいます」
『……ジャウザー、よく考えろ。アライアンスを外れるかどうかは、この際置いておく。アライアンスの撤退が、利益追求からくる一方的な切り捨てだということも……気に入らないだろうが、まずは置いておけ。
しかし、これだけは考えろ。
確かに今お前が戦えば、ここで七二人の命を救えるかもしれない。だが、お前は死ぬかも知れない。
確かにお前はそれで満足かも知れないが……もしお前が生き残れば、お前は後々何千何百という命を救えるだろう。これは保証する』
マディスンは熱心に語った。これは、彼やアライアンスがジャウザーを説得するときに使う論理でもあった。
『いいか、天秤で考えろ。お前は、今七二を救うことで、未来にお前が救うであろう何万人の可能性を、危険に晒しているわけだ。
七二を救うために、何万人を危険に晒す――これは愚かだと思わないか?』
「そうかもしれません」
『なら……』
肯定の言葉に、マディスンの口調が明るくなる。
だがジャウザーは、容赦なくそれを砕いて見せた。
「ですが、私は七二人を助けます」
『な……!』
「未来に何千人いるかもしれません。何万人いるかもしれません。
ですが……『今』、『ここに』、私の助けを待っている人がいる、これも確かです。そして彼らを救えるのが、私だけというのなら……行きます。戦います」
それはジャウザーの本音だった。かつてジャウザーはこの志を元に、アライアンスに共鳴し、所属し、そして今――裏切られて、ここにいる。
マディスンが最後の望みを賭けて、言った。
『……死ぬぞ』
「あるいは、そうかもしれません」
『命令だ』
「きけません」
『なら、「頼む」。行くな、死ぬな、ジャウザー……。今ならまだ間に合う。
また今日も、いっしょに美味い酒でも飲もうぜ……!』
笑いの滲んだ声だったが、それがかえって悲痛に聞こえた。
マディスンとジャウザーは、レイヴンとオペレーターという関係であった。だがそれだけの関係でもなかった。
一緒に酒を酌み交わしたこともあるし、受けた恩も数知れない。
こういった点も、ジャウザーがアライアンスを見限れなかった一因だった。アライアンスを離れれば、こういった人々たちに恩を仇で返すことになる。
だが、
「……すいません!」
それでも言った。血を吐くような苦しさと共に、だが確固たる意志を持って。
恩を仇で返すにも程がある。だがそれでも、ジャウザーは引きたくなかった。この機を逃せば、もはやアライアンスを離れることはできない――そう直感していたのだ。
通信の向こうで、息を呑む音がした。
『……馬鹿め』
「はい」
『馬鹿め』
「はいっ!」
『青二才が。正義を語ったかと思えば……いきなり恩を仇で返すときたかっ』
きつい物言いだが、ジャウザーとしては返す言葉もない。
実際のところ、契約違反でもあるし、仁義にも反するし、ジャウザーの行動はかなりの我が儘である。
アライアンスに対しては、『今まで契約以上の戦果をもたらした』という言い訳も効くが――マディスンには、どんな弁明もできない。彼は恩だけを受けて、それを返さないばかりか、さらなる迷惑を押しつけようとしているのだ。
ジャウザーはそれを自覚していた。だから、叱責をすべて受け入れた。
「はい」
『……だが、決心を変える気はないと?』
「はい」
数秒、間があった。
その数秒の間に、マディスンが何を思ったのかはわからない。
だが彼は、最後には可愛い後輩に道を譲った。
『いい。もう行け』
「……はい。申し訳――」
『詫びるな。決心を変えずに詫びるのは、詫びとは言わない』
「……はい」
『達者でな。生き延びろよ』
「約束します。あなたも、元気で」
そこで通信が途切れた。もはや、彼と話すこともないだろう。
作戦中の伝達は、すべてオペレーターを通して行われる。つまり、アライアンスとはこれで完全にコンタクトが途切れたということだ。
ヘブンズレイのコクピットが、静寂に沈み込む。
「……行きましょう」
だが感傷にひたる場合ではない。
彼の好意に応えるためにも、アライアンスへの裏切りを無駄にしないためにも、まずは目の前の敵を倒さねばならない。
ジャウザーはシステム・クラッチを踏みつけた。
『メインシステム 戦闘モード 起動します』
メインカメラに、真っ赤な灯がともる。
炎を噴き上げ、再びの戦場に向かっていく。
*
旧ナイアー生産区は、非常に面倒な戦場だった。
まず直線が少ない。このため射線が通りづらく、射撃戦が展開できない。
このため、ファシネイターとヘヴンスレイ、二機の戦闘は接近戦が主体となった。
青とオレンジの刀身が幾度となく交差し、その度に眩い光の飛沫が上がる。
(やはり……強い!)
ジャウザーは改めて思った。
機体の性能に差はないはずだった。だが、明らかにこちらが押されている。事実、ヘブンズレイはじわじわと壁際に追いやられていた。
これは、ファシネイターの方がブレード扱いに長けているからだろう。
上段、中段、下段、下段――斬撃のレパートリーが豊富で、いつもこちらの裏をかいてくる。それ故、防御が追いつかない。だから退がっていくしかないし、無論攻撃になど移れない。
このままでは、何もできないままジャウザーは負けてしまいそうだ。
実際、先程までならこれで終わっていたかもしれない。
だが――今のジャウザーは違う。
ジャウザーに、もはや迷いはない。彼の持ち味である『がむしゃら』が、久方ぶりに彼の戦いに宿っている。
そしてそれは、このピンチにおいて遺憾なく発揮された。
「あなたを許すわけには……!」
ジャウザーは突如、ウェポンクラッチを踏みつけた。選択武装に右手武器『ENマシンガン』を呼び出し、すぐさまそれをパージ――いや、慣性を利用して敵に投げつける。
どうせこの斬り合いでは、射撃武器など役に立たない。ならばいっそ、投げつけてしまえ――。
そこには、迷いを捨てた者特有の『思い切りの良さ』が感じられた。
ファシネイターは、突然飛んできた物体に驚き、警戒し、後方ブーストで間合いを開ける。
それは熟練者特有の、半ば反射的な警戒動作であったが――それを逆手に取った。
ジャウザーがかっと目を開く。
「ミスですよ……!」
言った直後、OBが火を噴いた。
その加速をもって、ヘヴンズレイがファシネイターの懐に飛び込でいく。
ジャウザーは、敵の斬撃が途絶えた一瞬を見逃さなかったのだ。
(……ここで……!)
ヘブンズレイのモノアイが、ファシネイターのそれを至近距離から睨みつける。
応じるように、背中でキャノンが――スラッグガンが持ち上がり、敵の左肩にぴたりと照準された。
(終りにします!)
スラッグガンが火を噴いた。もちろん全弾命中、ファシネイターを熱暴走に追い落とす。
だがそれだけではすまさない。ジャウザーは立て続けにトリガーを引き、散弾を次々と敵の肩に撃ち込んでいった。
『敵 左腕部損傷』
COM音声が告げる。ジャウザーの勝利がぐっと近づき、張りつめていた口元がほっと緩む。
だが、敵もそれだけでは終わらなかった。
スラッグの攻勢に晒されながらも、ファシネイターは不意をついて左右の武器をパージ。直後両手で、ヘブンズレイの胴体を掴んだ。コクピットにまで振動が来るほど、乱暴に、かつがっちりと。
(なんだ?)
訝った直後、ヘブンズレイが仰向けに転倒した。
規格外の振動がジャウザーを打ち付け、全身の骨が悲鳴を上げる。強化人間でなければ、たまらず失神しているだろう。
「こ、これは……っ?」
呻きつつも、瞬時にモニターや計器を確認、状況を把握しようとする。
どうやらファシネイターが、重心移動の要領で、ヘブンズレイを突き倒したようだった。その証拠に、敵もヘヴンズレイの上で俯せに倒れている。
ただし、その両手は相変わらずヘブンズレイの胴体を固く握っていた。
(ここから、一体何を……)
思った直後、答が来た。
ファシネイターがブースターを起動させたのである。敵の背中で青い炎が巻き起こり、ガリガリと音を立ててながら、二機が地面を滑り出す。
(まさか……!)
直感したところで、ブースターがさらに勢いを増す。
二機の速度は車以上となり、摩擦熱でヘヴンズレイが冷却不全を起こし始める。
ファシネイターはヘヴンズレイの上に乗り、ほとんど摩擦を受けない。が、反面ヘヴンズレイは下敷きとなっているため、一方的に地面と擦れてしまうのだ。
『コア 損傷』
頭部COMが冷静に告げる。
だが今のジャウザーにとって、そんな些細なダメージなどどうでもよかった。
ジャウザーが怖れているのは、この直後に来るであろう即死級の打撃である。
「このまま……」
直後、ファシネイターのブースターが最大出力に達した。
二機は少し浮き上がり、そのまま低空を猛スピードで飛行する。さすがに単機の時よりは遅いが、それでも二〇〇はゆうに越える速度である。
通常のブースターであれば、二機をこれほどの速度で運ぶことは不可能だろう。だが――ファシネイターの装備するブースター、『CR―B83TP』なら話は別だ。
元々航空機用に設計されたこのブースターは、積載一杯の大型輸送機を、五〇〇の速度で動かす程のスペックを持っている。
(このまま……壁にぶつけるつもりだ!)
旧ナイアー産業区は面倒な地形である。
『直線が少ない』――つまり、少し直進すればすぐ壁に当たってしまうという地形なのだ。
ファシネイターは、その壁にヘブンズレイを突っ込ませようと目論んでいる。
無論、ただ単純に突っ込んだだけではファシネイターも一緒に吹き飛んでしまう。
だから恐らく、ヘブンズレイを先にぶつけて、ダメージを軽減――どころか、全てをこちらに負わせるつもりだろう。
いわば、ヘヴンズレイをクッションに使うというわけだった。
事実――ヘブンズレイの方が、ファシネイターよりも前に突きだしている。敵はジャウザーを転倒させたときに、この作戦を見越した位置取りをしていたのだ。
実にしたたかな相手だった。
だがジャウザーとて、このままやられるわけにはいかない。
失敗しては、マディスンや七二の人々に合わせる顔がないのだから。
「これしき……!」
叫び、ジャウザーはブーストペダルを踏みつけた。ヘブンズレイの背中でも、青い炎が巻き起こる。
ジャウザーはその状態で、スティックを出鱈目に操り、様々な方向にブースターを向けた。
上へ、下へ、右へ左へ、あらゆる方向から力をかけ、ファシネイターから逃れようとしたのである。
が――
(ばかな)
数秒もしない内に、絶句した。
抜けない。どころか、こちらを抱えている両腕が全くぶれない。
あまつさえ、重心を巧みに移動させ、こちらの推力さえ前進に利用している。
そのため速度も上昇し、今や三〇〇の大台を突破しつつあった。
「……ば」
もはや反射神経やバランス感覚がどうの、などというレベルではない。
ジャウザーは戦慄と共に呟いた。
「化け物ですか」
『……かもな』
敵ACが気のない返事を寄越す。
求めてもいない応答に、ジャウザーは驚くが――深く案じる間もなく、ヘヴンズレイはビル三階に猛スピードでねじ込まれた。
まずガラスの割れる音がし、次いでメインカメラが暗転、振動と轟音が破滅的に連鎖する。
『脚部破損 右腕部破損 AP50%機体ダ 頭部破』
規格外の衝撃と轟音の中で、辛うじて聞こえたCOM音声も、すぐに途絶えてしまった。
同様に、全ての警告灯が一瞬だけ点滅、しかしそれらもすぐに消える。
補助照明も死んだため、内部は絶望的な闇に染め上げられた。
(こんなところで……!)
全身が痛む。コクピットの中が熱い。そのせいで闘志に反して、意識が、思考が拡散してしまう。
しかしそんな極限状態でも、ジャウザーはサブモニターの右下に映し出された――武器表示を見落とさなかった。
無茶苦茶な衝撃により、ほとんどの武装が壊れ、外れ、もはやほぼ丸腰であったようだが――それでも、一つだけ残っている武器があった。
ブレードだ。
愛用してきた短距離ブレードが、サブモニターの隅に赤々と表示されている。
『おれは、まだここにいるぞ。だから――しっかりしろ』
ジャウザーは、そんな声を聞いた気がした。
ヘヴンズレイの灯は、まだ消えてはいない。
*
一方、ファシネイターは健在だった。
両手武装はパージしてしまっているが、肩の武装は健在であり、また左腕部以外には目だった損傷もみられない。
実際、ファシネイターは黒煙の立ち上る三階を見上げてはいるが――その姿はどっしりとしていて、戦闘後の疲労を全く感じさせなかった。
ビル内部で砕け散っているであろうヘブンズレイとは、まさに雲泥の差である。
機体の性能は近くしても、操縦者同士の技量には圧倒的な差があったようだ。『ドミナント』の呼称は伊達ではないのである。
そしてそんな『ドミナント』でさえ、ヘヴンズレイは戦闘不能だと思っていた。
無理もない。
あのスピードで壁にぶちこまれて、機体が保つとは考えられない。
それに、もし機体が平気だったとしても、操縦者が意識を保っているとは思えない。
例え強化人間であろうと、生物である以上、トラック数台分の衝撃になど耐えうるはずがないのだから。
それでもなお意識を保つというのであれば――それはもはや、科学を越えた精神論の世界であろう。
しかし――ビルの中のヘヴンズレイは、そんな予測をあっさりと裏切って見せた。
『待――なさい』
ノイズ混じりの、音声だった。
ただし、通信ではない。外部スピーカーを使った呼びかけである。
『ジナ――ーダ』
まさに去ろうとしていたファシネイターは、その言葉に慌てて振り返った。
と同時に、三階の穴から青い巨体がこぼれ落ち、地面に降り立つ。
『……!』
ジナイーダが言葉を失う。
現れたのは、あまりに無惨なACだった。
左足が痙攣し、右腕は失われ、頭部はカメラが剥き出しになっている。もはや動くスクラップといった状態だ。
しかし――
『勝負は――だ、ついていません――ら』
それでも、ヘヴンズレイは前進した。よろめくように、だが確実に、一歩、一歩。
接合部が壊れていたのか、たったそれだけの動作で左肩武装が、あらゆる場所の装甲が、ボロボロと崩落していく。
もはや、闘える状態ではなかった。
今ならMTでも彼を殺せるだろう。
だが――ジナイーダは殺せなかった。肩のミサイルを、ロケットを、撃つことはおろか構えることさえできなかった。
信じがたいことだが――『ドミナント』は、近づいてくるヘヴンズレイを怖れていたのである。
今のジャウザーには、覚悟を決めた者特有の『気迫』が漲っており、それはドミナントさえも、一瞬ながら圧倒したのだ。
『あなたが――化け物でも』
その一瞬が、勝負を分けた。
ヘヴンズレイが、左腕を高く振り上げる。
そこからオレンジの刀身が――『ダガー』の刀身が、短く、だが強烈な強さをもって伸ばされていく。
『負――ない』
ファシネイターは、はっと我に帰り、慌てて回避動作をとった。
と同時に、ブレードが振り下ろされる。
しかしそれは、後ろに退がったファシネイターのコアを、僅かに削っただけだった。
ジャウザーの爪では、やはりドミナントを撃破することは叶わない。
しかし、
『それでも……!』
ヘヴンズレイが、一歩踏み出した。というより、前に数歩よろめいた。
しかし前進は前進である。
ジャウザーは、本能的にその好機を感じ取った。
ヘヴンズレイの左手が持ち上がり、そこからオレンジの短刀が、再び天を突くように伸ばされる。
ファシネイターは今回も回避しようとするが――
『私は……!』
ジャウザーが、一瞬早かった。
オレンジの短刀が、ファシネイターのコア、その中心部を深く削る。
やはり、致命傷ではない。だがそこは、スラッグガンに晒された部位でもあり、装甲が薄くなっており――それ故、内蔵されたジェネレーターにまで僅かな傷がついた。
コアの中央部分から、白い煙がもわりと上がる。
『……!』
ファシネイターは急いで、だが冷静にロケットを呼び出し、ヘヴンズレイに照準した。
ジェネレーターは非常にデリケートな装備であり、傷ついた場合大至急の修理が必要である。よって、本来ならすぐに帰還するべきだが――まずはヘヴンズレイを撃破してから、とでも考えたのだろう。
しかし、状況はそれさえも許さなかった。
突如として、白煙が全身から噴き上がったのだ。
ジェネレーターの不稼働が、異常発熱や冷却不全を、同時に引き起こしてしまったのだろう。
こんな状態では、機体を動かすことさえままならない。ばかりか、早く直さなければ本当に動けなくなってしまう。
『……追加依頼の方は、失敗か。
ただの犬かと思えば……やるな、覚えておこう』
悔しげに、だがどこか賞賛混じりに呟くと、ファシネイターは潔く背を向けた。そのままブースターを小稼動、発熱と消費を抑えて作戦領域を去っていく。
その姿が角に消えても、ヘヴンズレイはブレードを仕舞おうとはしなかった。
五秒、十秒、三十秒、時間だけが刻々と過ぎていく。
ボロリ
そこで、奇妙な音がした。
ヘヴンズレイだ。
ヘヴンズレイの左手で、最後の装備――ダガーが崩壊を始めている。
もとより兵器としても、構造物としても限界だったのだろう。
その勢いは止まることなく、次々と部品を剥離さえ、あっという間にヘヴンズレイは最後の武装さえ失ってしまった。
産業区に、全てを失った巨人が立ちつくす。
『……全部、なくなって――まいましたね』
戦いの最後に、ジャウザーはぽつりと呟いた。
静まりかえった産業区に、ヘヴンズレイの駆動音だけが孤独に響いている。
*
後悔はない。
あの選択をするべきだったと思うし、そのために闘ったという充実感もある。
だが――戦いが終わり、高揚が消えると、徐々に『それ以外』も感じ始めた。
『踏み切った』時の勢いが冷め、戦闘による『がむしゃら』が消え、ジャウザーはようやく『やってしまったこと』を実感として感じ始めた。そしてそれは覚悟を持ってしてさえ、少々辛い世界だったようだ。
人々の待つ居住区へ向かいながら、ジャウザーはまずこの機体について分析する。
(ヘヴンズレイは、もうだめだ……)
内蔵COM、電気系統、武器設備、そうした内装が全て死んでしまった。
だけでなく、頭部、コア、腕部、脚部、全てのフレームも甚大なダメージを負っている。
きっと、エンジンを切ってしまえば二度と動くまい。
(治せるか……?)
恐らく、可能だろう。
数ヶ月の歳月を費やし、文無しになる覚悟さえあるのなら。
それは、アライアンスなら数日で、かつ格安で行ってくれる処置だったが――今のジャウザーにアライアンスとのパイプはなく、それ故、整備屋も、パーツも自力で調達しなければならない。
どころか、ひょっとすれば追われる側になるかも知れなかった。
自分は――色んな意味で『罪人』なのだから。
こういう時、いつも元気づけてくれた親友も、今はいなかい。
(……前途は、多難ですね……)
予想していたとはいえ――改めて見ると、選んだ道の困難さと、失ったものの大きさが痛いほどに分かる。
企業の正義を盲信し、結果いいように使われた自分への情けなさと罪悪感も、再びじわりと染みだしている。
疲れた心に、不安が暗い影を落とした。
最初はねじ伏せることもできたが――産業区を進むに連れ、その不安はじわじわと染み出すように増えていった。
(こんな体たらくで、やっていけるのか?)
いや、やらなければならないのだ。
親友との約束のためにも、自らの信念のためにも、何より、今までの失敗を無にしないためにも。
それは、分かる。本当にそうだと思うし、そうしようとする衝動は胸の中で燃えている。
そもそも、そのための覚悟もすでに決めてきたはずではないか。
だが、それでも――
「やはり……切なくもなりますね、これは」
自嘲の笑みが浮かんだ。
『覚悟』と洒落込んだところで、所詮は二〇と少しの若造ということだろう。人生の半分を捨て去り、否定しつくし、その『切なさ』や『不安』を完全に割り切るには、あまりに若すぎるということか。
全く、情けない。本当に。選択したときは、『受け止められる』と思ったのだが――まだ全然できていないではないか。
(……まずは、休もう。人々の所に辿り着いて、彼らを逃がしたら)
考えながら、角を左に曲がり、居住区に入った。
そのまま直線を進み、その先にある廃ビルを、彼らの待つ建物を目指していく。
(……待て)
だがちょっと進んだ所で、シャウザーは機体を止めてしまった。
そうやって場の静けさを高めても――やはり、何も聞こえてこない。
本当に、何も。ヘヴンズレイの駆動音以外には、人の息づかいも、足音も、声も、何一つ聞こえてこないのだ。
本来なら、強化人間の聴覚と、ACの高性能集音マイクで、この距離から何かしらの兆候がつかめるはずなのだが。
(……まさか!)
思った時には、ボロボロのブースターを強制起動させていた。
直線の先にある、廃ビルに急行する。
その正面で、待つ。誰かいれば、窓や玄関から出てくるはずだった。
しかし――
「出て、こない……?」
血の気が引いた。
そうだ。
バーテックスは兵力不足であり、故にACを派遣したのだと見積もったが――それが正しいという保証は、どこにもない。
第三の軍勢が現れ、彼らを殺し、あるいは連れ去ったということも、ゼロではないのだ。
「――――!」
声にならない悲鳴をあげた。
だがジャウザーは、もう崩れ落ちたりはしなかった。
しっかりと自分を保ち、絶望的な状況下でも、最善の行動を取ろうとした。
(……そうだ、探せ!)
殺されていたら、もうだめだろう。だが連れ去られていたら、追いつき、取り戻せる。
気がつくと、ジャウザーは口に出していた。
スティックを前に倒し、機体を歩かせながら、
「探せ、探せ、探せ!」
地底湖のように静まりかえった居住区を、ボロボロの巨人が探して回る。
一分経ち、二分経ち、十分が経過しても、シャウザーは歩みを止めなかった。
絶望的な時刻になりつつあるのを、自覚しながらも――
「……探せ!」
『ジャウザーさん!』
だが――十五個目の角を曲がったところでで、大勢の声がした。
幻聴だと思った。が、次が聞こえた時点でその考えは捨てた。
『ジャウザ――サん!』
ジャウザーは慌てて声のした方向――右に、機体を向けた。
右の壁一面は、中所得者層のためのアパートメントになっている。声がしたのは、その三階部分――ACの胸の高さからだった。
その階の、ヘヴンズレイの正面にあるベランダに、多くの人が集まっている。
訊くまでもなく、居住区へ逃げ込んだ人々だった。
「どうして、ここに……」
驚き、呟く。その音が、スピーカーを通して外に発せられていく。
答は明快に帰ってきた。
最前列の若い女性が、身を乗り出して、
『移動したんです。ヤツらが来るかも知れないから、少しでも見つかりにくいこっちへ』
確かに、あの目だつアパートにいるよりは、目だたず、かつ部屋数も多いこちらにいる方が見つかりにくいだろう。
ジャウザーは納得し、すぐに答を返そうとしたが――力が抜け、声が上手く出せない。
そんなシャウザーに、質問が続けられた。
『大丈夫でしたか?』
先程の女性だった。ただし、今度は不安を交えて。
ジャウザーは咄嗟の使命感から、背筋を伸ばし、力強く応じた。
「はい」
住人達の顔に、光が射した。
ジャウザーはその希望を確実なものとすべく、最後の声を張り上げた。
「敵ACは、撃退しました! もう襲ってくることはないでしょう。
敵も、今はアライアンスに気を取られています。落ち着いて下さい、あなた方は……助かりました」
瞬間、快哉が上がった。
七二人が、笑い、抱き合い、命あることを喜び合った。
老夫婦が涙を流しあい、少女達が肩をたたき合い、先程の女性は最前列で大きな息を吐いた。その背中から、恋人であろう男性が力強く抱きしめる。
隅の方では、若者がぽかんと口をあけていたが――その口元には、すぐさま笑みが刻まれた。
(……ああ)
その光景に――アライアンスにいたころは、決して見ることのなかった光景に、ジャウザーは震えた。
途方もない感動が津波のように押し寄せ、抱えていた不安や切なさをあっさりと押し流す。
その代わりに胸に流れ込んでくるのは、春風のように爽やかな達成感と、これ以上ない充足感だ。
(これだ)
自分が求めたのは。レイヴンになろうとした原動力は。
自分は人々のこういう姿を守るために、レイヴンに志願したのではなかったか。
(これこそが……!)
困難な未来も、失ってしまったものも、向き合った過ちも、決して軽くはない。
現に、ほんの少し前まで、ジャウザーはそれらに押しつぶされていた。
しかし――こういったものを、守っていけるのであれば。
何者にも縛られずに、この笑顔を守っていけるのなら――やれる。まだ、がんばれる。
彼らの笑顔を見ていると、それだけの元気が湧いてくる。
『これだけは胸に留めたまえよ、君。捨て去ることは、必ずしも失うだけとは限らない。
今までの自分を否定し、そこで得たものを全て失い、ボロボロになったとしても――捨て去ることで、得るものもまたあるのだから』
祖父の言葉が――ようやく思い出した『教え』が蘇り、今の状況にカチリと噛みあった。
自分は多くのものを捨て去り、否定し、困難な道に入り、そこでボロボロに傷付いたがが――それでも、得るものがあったのだ。
アライアンスにいれば、あのまま縛られ、抑えられ、思うように人々を救えなかっただろう。今日のように歯ぎしりすることが、必ずや起こっていただろう。
だが――今の自分は、自由だ。どんな人の許にも、求めに応じて駆けつけることができる。
ジャウザーは、多くのものを失った代わりに、最後の最後で束縛を逃れ、本当の意味で人々に尽くせるという『可能性』を得たのだ。
『好きなように生きたまえ。レイヴンは、鴉だ、鳥なのだ。
鳥は――自由に飛ぶものだ』
祖父の言葉が、実感として分かった。
ジャウザーの口元に、自然と笑みが浮かぶ。
「がんばりましょう……!」
そうだ、押しつぶされてばかりもいられない。
道は困難を極め、償うべき罪は多くあり、失ったものはもはや戻らないだろうが――それでもだ。
彼らのような人々を、これからも守っていけるというのであれば――自分はきっと、どこまでもがんばれる。
「やりましょう……!」
呟いた直後、ベランダで動きがあった。
七二の内の一人が、ジャウザーに向かって、
『本当に、ありがとうございます……!』
嬉し涙の滲む、声だった。
ジャウザーの目頭も熱くなる。
「いいえ、こちらこそ……!」
ベランダの人々が、そろって変な顔をした。
ジャウザーはそれに、クスリと笑って見せる。
(ありがとうございます……)
彼らがいたから、元気になれた。
がんばろう、という精神力が湧いてきたのだ。
彼らは、人生の恩人達だ。これでも感謝し足りないくらいだ。
「ありがとう、ございます……!」
一筋の涙が、彼の頬を涼やかに伝っていく。
ジャウザーはややもするとむせび泣いてしまいそうになりながらも、続けていった。
「まだ、完全に助かったとはいえません。私の指示するルートで、逃げて下さい。
まず十時の方向の――」
七二人がきょとんとした。
それから、ようやく『完全』に助かったわけではないと悟ったのか――慌てて、下階の方へ駆けていった。
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