「B-24715」(2008/08/16 (土) 22:44:34) の最新版変更点
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空は何色だっただろうか。
大地は何色だっただろうか。
空気はどんな匂いがしただろうか。
生みの親は誰だっただろうか。
生まれ育った家は?街は?
私は何をしたんだろうか。
何故ここにいるんだろうか。
私は、一体誰だったのだろうか。
今はもう思い出せない。思い出す必要もない。
真っ白な部屋があった。壁も天井も、染みひとつない純白。距離間を失うほどに、ただただ、白しかなかった。
壁に窓は一つもなく、簡素な電子ロック式のドアが一つ、備え付けられているだけだ。
床。ひどいものだった。おそらくは壁や天井と同じ純白であったのだろう、床が白い、ということはまだ分かった。
しかし純白ではない。染みひとつない、ということもない。
黒、茶色、鈍色、そういった、決して鮮やかとは言えない、ましてや清潔とは言えない色が、床のあらゆる場所に散らばっていた。
おそらくそれは、元は誰かの血であったり、吐しゃ物であったりしたものなのだろう。
床に厚みを持ってこびりつき、異臭を放っている。
そしてその汚物を作り出した本人が、部屋の中央にいた。
正確には、置かれていた。床よりも多くの汚物がこびりついた金属製の台の上に寝かされ、体中を金属の拘束具で拘束されていた。
とても、とても痩せた男だった。浅黒い体は骨と皮だけで、そのまま棺桶に入れれば死体と見分けが付かないのではないかと思えるほどだ。
痩せすぎていておおよその年齢もとてもじゃないが判別できない。
眼にはこめかみまで覆うほどの精密そうな機械製のゴーグルをしており、目を開けているか閉じているかは分からない。
髪の毛は一本もなく、代わりに頭には何本ものコードやチューブが突き刺さっていた。
それらは全て、台の周りに置かれた大掛りな機械に繋がっていた。
頭だけではない。体中に接続されたコードやらチューブやらが、台の周りを埋め尽くす機械群と繋がっている。
そしてその何本もの触手を生やした体は、どこもかしこも痛々しい手術跡だらけだった。
無数の機械群、寝かされた傷だらけの男と、そこから生える何本ものコードとチューブ。
部屋の白さ、床の汚物と相まって、もはや異様な光景としか言いようがなかった。
男は全く動かない。時折、うぅ、と小さく呻くが、それ以外何も言わない。
そしてそのうめき声だけが、この部屋に存在する唯一の音だった。
その部屋に、新たに音が加えられる。部屋の壁に唯一存在する純白以外のもの、電子ロック式のドアが開いた音だ。
プシ、とドアがスライドして開き、二人の人間が部屋に入ってくる。
白衣とゴーグル、マスクのせいで、男か女かもわからないが、二人とも背は高かった。
一方の白衣が男にツカツカと足早に男に近づき、体中に刺さっているケーブルやチューブの類を乱暴に引き抜いた。
ぶちぶちと男の体から音を立てて引き抜かれる度に、ケーブルが刺さっていた箇所から血が多少なりとも流れ出てくるが、男は何も反応しない。
全てのケーブルを抜き終わった後、白衣は懐からプラスチック製の小さな箱を取り出した。
パカッと開くと、中には注射器が一本入っているだけだった。その注射器を取り出す。
ピストンを少し押して、ちゃんと針の先端から液が出ることを確認すると、男の右腕に持っていく。
骨と皮しかない男の腕から、目当ての血管を見つけるのはたやすいことだった。針を当て、中の液体を注入していく。
液体を注入し終わると、男の体がビクビクと大きく痙攣する。腹部の拘束具がなかったら、それこそ台から落ちるほどに体が跳ねていたかもしれない。
痙攣が治まるのを見計らってから、白衣が男の拘束具を外す。両手、両足、腹部の拘束具のロックを外していく。
男の体は自由になったが、それでも男が動く様子はない。細い四肢はぴくりともせず、呼吸もしているのかどうか分からない。
白衣が腕時計を見る。どうやら時間を計っているようだった。
注射を行ってから2分ほど。男の指がぴくりと動く。
「う、うう……」
「起きたか、B-24715?」
「う、あ……」
口をだらしなく開けたまま、うめき声だけを声帯から絞り出す。
男は明らかにまともではないが、白衣の言葉は理解できたのか、ゆっくりとした動作で台から起き上がった。
上半身を起こし、その後ゆっくりと台から降りる。
その足で立てるのかと不安になるが、男はふらふらしながらもその2本の足で床の上に立った。
一歩、白衣の元へ歩く。
「ううっ!」
一際大きなうめき声を上げたかと思うと、口から大量の黄土色の液体を床にぶちまけた。
血の色ではないから、おそらく胃の内容物なのだろう。
男が嘔吐する光景を見ても、二人の白衣は微動だにしない。よほど慣れた光景なのだろう。
「腕を出せ、B-24715」
「う……」
男が弱々しく両腕を前に差し出す。がちゃん、と銀色に輝く手錠がはめられた。
「よし、歩け」
ずっとドアの傍で立っていた白衣が再びドアを開け、部屋を出る。
男もふらふらとそれに続き、そのあとからもう一人の白衣が続く。
前を歩く男に、拳銃の銃口を静かに向けたまま。
「これより本日第3戦、アポカリプスバーサス、アルティメットナイトの試合を執り行います」
アリーナの片隅でふわふわと浮くフロート型のAC、アポカリプス。
その機体のコアに、あの男、囚人番号B-24715は押し込められていた。
衣服は一切まとっておらず、身につけているものと言えば白い部屋にいたときからつけていたゴーグルだけだ。
頭には再び何本ものコードが刺さっており、それらは機体と繋がっている。
手錠は外されていたが、手足はシートに固定されていた。
ACを操縦するためのレバーにも、ブーストペダルにも、囚人は指先ひとつ触れていない。
「ああ……ぅ、あぁ……」
シートに座り、うなだれたままの囚人。開きっぱなしの口元からは、涎が糸を引いて流れ出ていた。
「READY, GO!」
試合開始の合図とともに、アポカリプスが動く。中の囚人は四肢を拘束されたままだ。
「ぐぅ……ぅうあ……!」
苦しそうな声を上げながら体をよじる囚人。
しかし苦しむ囚人とは裏腹に、アポカリプスは素早い挙動と熾烈極まりない攻撃で、絶対的優勢に立っていた。
相手の放った一発のレーザーが、アポカリプスに直撃する。
「ぎっ……っ!」
それと同時に中にいた囚人の体が大きく跳ねた。歯を食いしばり、手足がひきつる。
どさっ、と跳ねた体を再びシートに座らせた囚人は、何かを振り払うかのように頭を大きくぶんぶんと振り、
(見えているのかどうかは分からないが)目の前のメインモニターに向かって身を乗り出すように牙を向く。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」
断末魔ともとれる叫び声をあげる囚人。目を覆うように装着されたゴーグルの下からは血の涙が流れ出ていた。
囚人の叫びに呼応するかのように、攻撃の激しさを増すアポカリプス。
――お前に人として生きる価値はない。
放たれる無数のグレネードが、相手を襲う。
――B-24715。それがお前の名だ。
「があア゛ア゛ッ!!」
――懲役一億年。それがお前が人を捨てる年月。我々の道具となる年月。
相手も必死に抵抗するが、先ほど以上に機動性を増したアポカリプスに、攻撃は当たらない。
――お前が解放されるその日まで、せいぜい我々を楽しませてくれ。
コアにグレネードが直撃し、小爆発を起こしながら機能停止する相手機体、アルティメットナイト。
そして相手が沈黙したことを確認し、ゆっくりと降りてくるアポカリプス。
コクピットではうつむいた囚人が極限まで痩せたその肩で大きく息をしていた。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
体中から汗がどっと噴き出し、それらはぽたぽたと絶えず滴下してコクピットを濡らす。
「ハァ、ハァ……ううっ!」
嘔吐。血の入り混じった吐しゃ物がコクピット内にぶちまけられ、飛沫が飛び散る。
「ハァ……ハァ……ゲェッ、ア゛、アァ……」
一度天井を仰いだ後、一際つらそうにうなだれたかと、それきり囚人は意識を失ってしまった。
「アルティメットナイト戦闘不能!勝者アポカリプス!」
実況が試合終了を告げる。試合を見ていた人間は今頃、勝った負けたと大騒ぎだろう。
そして選手控え室でその様子をモニター越しに見つめる、二人の白衣。
「一億年、ですか。残り何年あると思っているのやら」
「だが奴は解放されることを信じている」
二人は、下等生物を見るかのような眼でモニターを見つめる。
そこにはたった今勝利したばかりのアポカリプスが大きく映し出されていた。
「そこまで生きられるわけがないのに」
「もうそんなことも分からんだろうさ。もしかしたら、意志などとうの昔になくなっているかもしれん」
「ですが、研究成果としては傑作です」
「うむ。手足での操作を必要とせず、人工筋肉や内臓も必要ない」
「脳と脊髄に手術を施せば出来上がる、最高の強化人間」
「更なる技術の向上のために、奴にはまだまだ働いてもらうさ」
「まだ九千万年以上ありますからね」
それを聞いて一方の白衣が面白いことを思いついたかのように口の端を吊り上げる。
「ふん……不老不死の研究材料に使うのもいいかもしれんな」
「一億年生かしたら、どうするんです?」
「その辺の道路に放置すればいいんじゃないか?一億年も弄り回せば、その頃にはボロ雑巾との見分けもつかんだろう」
その答えを返された白衣が確かに、と鼻で笑う。
「そろそろ回収の時間ですか」
「それと、ご褒美をあげる時間だな」
「クスリの快楽と一億年のためだけに、アリーナと手術室を往復するだけの人生ですか」
「動物に対する正しい扱い方だ。餌をやって、散歩させてやればそれでいい」
「哀れですね」
「全くだ。あんな下等生物として生きるようなことは御免こうむるよ。じゃ、行こうか」
モニターの中では、既に次の試合が始まっていた。
なぜ戦っているんだろうか。
なぜACに乗っているんだろうか。
なぜアリーナなんかにいるんだろうか。
ACに乗る前は何をしていたんだろうか。
その前は?さらにその前は?
いつ生まれて、どのような人生を送って、今に至る?
私が望んだことなのか?強制されたことなのか?
今はもう考えられない。考える必要もない。
私はB-24715。
私はアリーナで戦うレイヴン。
勝てばご褒美がもらえる。
そのことだけ考えていればいい。それしか考えなくていい。
私は今、幸せだ。
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