1.能力とは
  幻想郷に生きる者たちの中で、魔力を扱う才があるものは、何らかの「能力」を持っている。多くは種族としての力、己の運命(例:博麗の巫女)などによって決まるが、幻想郷に
 て生を受けたのではなく、幻想入りしてきた者たち、特に人間に関してはその限りでは無い。己が才能さえ持っていれば、それを能力として開花させる際、何がきっかけになったか
 によってその力の種類は大きく左右される。

 

2.能力の個数
  基本的に能力は、単一の生命に対して一つのみが持ち得ることが出来る。能力とはその生命の「才能」の発露であり、ある才能が最大限に活かされるような力が目覚める。多芸に
 秀でている者ならば、その多彩な才能がどれも損なわれないような、「多彩な利用が出来る能力」が目覚める。才能一つ辺りに一つの才能という事では無く、その存在が持つ全ての
 才が総合して扱える才能が目覚める。よって、能力は基本的に一人一つとなるのである。
  いくつか能力があるように振る舞う者もいるが、それは大本となる一つの能力から派生したものであり、結果的には一つである。また、他者の能力を模倣し学習する能力の持ち主
 や、他者の能力を奪う能力ならば、疑似的に複数の能力を持つことが出来るが、こちらも一つの能力が派生したと解釈できる。
  また例は少ないが、自身の能力を他人に譲渡することで複数の能力を所持させることも可能だが、譲渡した側は能力を失うこととなる。
  創造者は能力の二種類保持が出来る唯一の存在だが、正しくは能力の一つは真理という「知識」であり、実質能力が二つということであるので、厳密に言ってしまえば能力の二種
 所持というよりも、「[能力]+[知識による魔術]」である。最も、単なる魔術の範疇に留めるには強大過ぎる力であるため、能力扱いして差支えないだろう。

 

3.能力の習得
  自身の才に応じて能力は目覚める。しかし、能力に目覚めるきっかけは、自身や仲間の窮地、心理的変化など、心的要因が大きい。肉体的に修練を重ねた結果、種としての限界を
 突破し能力を身に着けるケースも見られるが、心的要因による能力開花の可能性は、肉体的要因のそれを上回る。どちらの理由で能力を身に着ければより強い力が手に入るか、とい
 う差異は無い模様。当人にとって最も相応しい形で能力は発露する。
  能力は一人一つであり、一度身に着けた能力は死すとも維持され、輪廻転生し新たな存在として「魂がリセットされるまで」続くこととなる。いつどのような理由で如何なる力が
 自身に宿るかは全く分からない。手に入れた力は自分そのものを映す鏡である。期待した力でなかったからと落胆することはない。付き合い方次第である。
  能力を身に着ける適正年齢は無い。だが注意すべきは、「固定観念に囚われると、才能があったとしても能力が習得出来なくなる」ということである。言い換えると、「現実汚染
 度」が高いと能力は発露しない。能力は魔術色が強い。そのため、現実(一般的に魔術世界は非現実とされているため敢えてこう呼称する)に深く染まると、魔術を「あり得ないモノ
 と考える意識」=「現実汚染度」が高くなる。結果、自ら才能の発露を封じてしまうのである。能力の発露に適齢は無いため、魔術を受け入れた新たな常識を構築することに成功し、
 現実汚染度を下げることに成功すれば、能力が発露する可能性は再び現れる。

 

4.能力の進化
  自身の能力を得ることに成功したとする。目覚めた当初からその力を発露出来る場合は少ない。基礎能力を身に着けた時点を、「第一の覚醒<ファーストステージ>」と呼ぶ。この
 時点では、発火能力を得た場合ならば、せいぜい火の玉を出すか、自身から放熱することで発火する程度である。初期段階から高い力を発揮できる場合もあるが、それでも「単種の
 使い方」しか出来ない。先程と同じく発火能力で例えると、超高温の炎を出すことは可能だが、あくまでも火炎放射器のように炎を吹き続けることしか出来ないといった具合である。
  こうして得た力を、独力で工夫し、何度も使用するうちに力の使い方を学び、更に心的要因により成長を果たした場合、能力が新たな段階を迎える事が出来る。この新境地を、
 「第二の覚醒<セカンドステージ>」と呼ぶ。スペルカードを作れるようになるには第二の覚醒を果たしている必要があり、幻想郷にて能力を持っている者の殆どは第二の覚醒を果た
 している。この場合、能力の奥義の習得に至るケースが殆どであるが、真の能力に目覚め、元の能力が派生形の一つであったことが明らかになるケースも存在する。
  では、「第三の覚醒<サードステージ>」はあり得るのだろうか。
  結論から言えば、それは「創造者に至る」ことだろう。つまり、物事を極めたその境地、世界の真理の一端に独力で触れるということだ。それは創造者に等しい。従って、この、
 第三の覚醒に至ったものは「二つ目の力を得る」ということを意味する。第三の覚醒を迎えるのは、まず不可能だろう。

 

5.「魔力」とは?
  能力を振るうためには、魔力が必要である。では、この魔力とは一体何であろうか。
  魔力とは、「エネルギー化された精神力」である。基本的に不可視・不可触。生命は魔力の余剰分を微量ながら自然と放出しており、様々な存在の魔力が空間に満ちることにより
 幻想郷は「魔力があることに違和感が生まれない」状況が作られている。つまり、空間を常に満たす大気の一要素と変わらない状態になっているのである。
  但し、「放出する魔力量を高めた場合」=「戦闘態勢を取り体内での魔力生成を活発化させた状態」の際には、魔力の濃度が高まり、魔術の素質がある存在には「知覚」出来るよ
 うになる。その状態から更に魔力を高め、自身の全力に近づけば近づくほど放出量が激増し、徐々に視覚的に捉えられるようになり、持ち主以外が触れた際には物理的刺激となる。
 この状態まで高められると、魔術的才能が無いものでも、元々が精神力であるために「気迫」として察知出来るようになる。
  魔術的素養がある者の中でも、空間に混在する多様な存在の魔力を識別し、魔力の放出源を見極められる者がいる。彼らの識別能力は、「魔力感知」と呼ばれている。
 魔力感知には五感が利用され、各々の感覚の中で最も優れた部位によって識別を行う。従って、視覚・味覚・聴覚・触覚・嗅覚の五つのうちいずれかにより識別が成される。
 魔力感知能力が高いということは魔術的素養が特に高い証であり、高度な魔術の制御が可能である。
  一方で魔術的素養と魔力総量は比例・反比例いずれの関係にも無く、独立した才能として備わる。簡単に言ってしまえば、魔術的素養とは直感・器用さであり、魔力総量は当人の
 精神力の強さである。そのため、膨大な魔力を持ちながらも魔術的素養は低い為に、その才覚が発見されずにいるというケースがあり得る。
  魔術をエネルギー化するには特別な修練は必要ない。「本人なりの感覚」を掴めるかどうかに左右される。魔力のエネルギー化及び放出は、最終的に如何なる能力を得るかの参考
 に成り得る。何らかのモノに纏わせる、何らかの形状を成す、エネルギーとして放出する、逆に放出せずに身体を動かすエネルギーとするなど、幻想郷では一般的技術であるが故に
 気付かれないが、魔力生成そのものが「第三の能力」とも言えるのだ。


制作:takeyuki1227

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最終更新:2015年05月30日 03:55