泥濘の日常は燃え尽きた。

  最も弱きものよ、剣を鍛えよ。

   その命が育んだ、己の価値を示すために。


  一回戦 開幕:残り128人



「う、んん……」

 なんか頭が重い。目を開けると、真白な天井が見えた。

「知らない天井……じゃないね」

 一人ツッコミをしながら起き上がると、ベットの周りを覆う白いカーテンの隙間から
机と棚に………何て言うんだっけ? 視力検査をする時に使う、穴の開いた丸の表みたいなやつ。
ともかくそれらの品がここは学校の保健室だということを示していた。

 ――いや違う。ここはあたしが知っている月海原学園の保健室じゃない。
ここが学校の保健室なのは間違いないけど、なんというか本物っぽくないというか……。
 そもそもどうしてここにいるんだっけ?確か放課後にレオ達を見かけて、後を追ったらレオが壁の中に消えて――。

「あ、ようやく起きたんだ」

 回想に耽っていると、ベッドの横に、突然に人影が現れた。
 白いスカートとジャケット、ツインテールにした栗色の髪をした女の人。名前は確か……。

「ええと、アーチャー、さんだっけ?」
「うん、おはよう、マスター♪」

 ニッコリと微笑んだ彼女を見て思い出した。変な人形に襲われて、絶体絶命だったあの時――。



「あの、あなたは一体……」

 突然現れた女の人に質問をしようとした直後、背後でガラスが砕ける様な音が響き渡った。
振り向くとあの怪しげな人形が、あたしと人形を遮っていた光の壁を粉々に砕いていた。

「……レイジングハート」
『Attention.Strength of the defense has fallen due to the magic decrease.(警告。魔力低下の為、防御の強度が下がってます)』
「そう……それじゃ、手早く片付けないとね」

 それを特に慌てた様子もなく、冷静に観察する白い服の人。っていうか、杖が喋ったーー!?

「下がってて」
「え……は、はいっ」

 とりあえず言われたとおりに後ろへ下がると、自分の敵と認識したのか、人形が白い服の人へ対峙した。
人形は先ほどの様にローリングソバットの様な回し蹴りで飛びかかっていった。

「アクセル、シュート!」

 それよりも一足早く、白い服の人が何かを叫び、周りに桜色の光弾が五つ浮かび、人形を迎え撃とうと飛び出して行った。
空中でつるべ撃ちにされて勢いを失ったのか、人形は女の人の前に着地し、槍の様に腕を勢いよく伸ばした。

 次の瞬間、鈍い金属音が響いた。

 音の正体はあたしを助けた光の壁が人形の刺突を止めていた。
まるで先ほどの焼き直しの様な光景に驚いていると、白い服の人は両手で強く杖の柄を握り、

「ハァッ!」

 気合い一閃、という感じに杖で人形を殴り飛ばした。人形はたたらを踏んで後退する。

「ラスト!」

 白い服の人が杖を人形に向け、その先に光弾が一つに集まっていく。
人形も流石に危険を感じたのか、防御の姿勢をとるけど……何故か、あたしにはそれが悪足掻きに見えた。

「クロスファイア、シュートッ!!」

 光が集まり、一直線の光線となって人形へと奔る! そして――

「……ッ!?」

 人形には最期の瞬間がどう映ったのだろう。
光線は人形のガードごと胴体を貫き、胸に大穴を開けた人形が音を立てて地面に転がった。

「すごい……」

 思わず呟きが漏れた。あの人形だって恐らく人間では相手にならないぐらい強かったのだろう。
それを圧勝と言っていいぐらい一方的に倒すなんて。

「貴女は一体――ぁ痛ッ!」

 彼女が何者なのか問い質そうしたとき、左手の甲に激痛が走った。
薬品をかけられた様な痛みはすぐ治まったが、じんわりと熱を持っていた。

「何、これ……?」

 熱の引かない左手甲には、翼を広げた鳥の様な刺青が刻まれていた。
当然ながら、身に覚えがない。そもそもタトゥーなんて趣味じゃないし。

「令呪が刻まれたみたいだね」
「令…呪……?」

 白い服の人はあたしの手に刻まれた刻印を見て厳かに頷いた。
何の事か聞きたかったけど、手の刺青――令呪――を中心に体が熱くなり、意識が遠のいて――――。



「って、所までは覚えてるけど……」

 保健室のベッドの上で記憶を確かめる様に遡った。

「そこまで覚えてるなら問題ないよ、マスター」

 白い服の人――アーチャーは安心させる様に笑みを浮かべた。
 改めて見ても、一目で強烈な力がこちらへひしひしと伝わってくる。
あの人形との戦闘で人智を超えた存在だとは、薄々と気付いてるけど。

 ただ、些細な事だろうけど、外見がちょっと……。
 別に容姿に問題はない。むしろ整った顔立ちだし、ツインテールにした栗色の髪は羨ましい綺麗だし、
胸だって服の上から分かるぐらいに大きくて嫉妬しちゃう……ってそこはどうでも良くて。(ホントは良くないけど)
 問題はアーチャーの服装の方。白いミニスカート、白いシャツの上にはこれまた白いジャケット。
それを赤いリボンで胸元を飾っているという白一色なわけだけど、全体的になんというか魔法少女のコスプレっぽい……。
手に持っている金属の杖もソレっぽいし。

「うん? どうかした?」
「え? いやいや何でもないです!」

 黙っているあたしを不審に思ったのか、心配そうに聞いてきたアーチャーに考えていたことがバレない様に必死で否定した。
 別に似合ってないわけじゃないし、ドレスコードは人それぞれだよね、うん!

「……まあいいや、じゃあ改めて自己紹介しようか」
「あ、はい。あたしの名前は鳴海 月(ゆえ)です。鳴海は海鳴の漢字を逆にして、ゆえは月と書く方です」

 話題が逸れて好機とばかりに、あたしは自分の名前を名乗った。それにしても月と書いてユエなんて変わった読み方だよね。

「海鳴を反転させて鳴海、か。ユエ、というのもいい名前だね」

 アーチャーは親しみをこめてあたしの名前を復唱した。でも、どこか懐かしそうなのは何でだろ?

「次は私の番だね。私はアーチャーのサーヴァント。アーチャーって呼んで。この子は私の相棒のレイジングハート」
『Hello,grand master.』

 アーチャーと一緒に、金属の杖――レイジングハートが挨拶してくれた。うわあ、本当に杖が喋ってる……。
でもそれより……。

「アーチャーのサーヴァント?」
「うん、アーチャーのサーヴァント」

 それは名前じゃなくて何かの役職名じゃないの? 
私の名前は某です、とは答えずに、××社の課長です、とだけ答えてる様なものだと思うけど。

「マスター、聖杯戦争の事は覚えてる?」

 あたしの疑問を察したのか、アーチャーが質問してきた。

「ええと、聖杯というと神の子の血を受けたとかいうヤツ?」
「そう、あらゆる願いを叶えると言われる聖遺物。それを取り合う魔術師(ウィザード)達の戦いが聖杯戦争だよ」
「……そもそもうぃざーど、って何?」
「――――――え?」

 あ、なんか驚いてる。なんでそんな基礎的な事を知らないの? と言わんばかり。

「まさかそんな基礎的な事を忘れてるなんて……」
「あ、あははは、やっぱりそう思っていたんだ」
「笑い事じゃないよ。記憶に不備があったら、これからの戦いに差し支えがあるかもしれないからね」

 苦笑するあたしに対し、アーチャーの顔は真剣そのもの。
そんな真面目に返されると、知らなかった事に罪悪感を感じるんだけど……。

「ふう……、いい機会だから、これからの事も含めて最初から説明するね」



 魔術師(ウィザード)。

 魔力(マナ)が枯れたこの世界で、自らの魂を、“存在の雛形”という形而上の概念をデータにした霊子へと変換し、
電脳世界へとアクセスして世界の理を捩じ曲げる『新しい魔術師』。
かいつまんで言えば、魂ごとネットの海に入れるハッカーってことらしい。
聖杯戦争は、このウィザード達が万能の願望機である聖杯の所有権を奪い合う、命を懸けた戦いとのこと。

「命を懸けるって……そこまでする様な事なの? 皆で聖杯を分けあえばいいのに」
「残念だけど聖杯の所有者になれるのは一人だけ。それに、命を懸けるのは定められたルールなんだ。悲しいけどね」

 そういうアーチャーの顔は本当に悲しそうで、それ以上聞くのが躊躇われた。
ともかく、あたしはその聖杯戦争に巻き込まれてしまった、ということなのだろう。

「その左手の模様は令呪と言って、聖杯戦争のマスターの証であると同時に、
 サーヴァントに三回だけ命令を強制させられる。でも全部使い切るとマスター権がなくなるから注意して」
「実質二回しか使えないってわけね……」

 左手甲に宿った刺青は、よく見ると三画で描かれていた。一画で命令を一回ってところかな。
ああ、そう言えば……。

「あのさ、ウィザード達がすごいハッカーって事は、ここって……どこ?」

 さっきからずっと気になっていた疑問を口にした。
見慣れているはずの保健室なのに、どうしても異質な空気を感じる。
それを言ったら、人形に襲われたあの空間も何なのだろう?

「そっか、ここが何なのかも忘れてるんだ……。
 ここは霊子虚構世界。通称セラフと呼ばれる聖杯、ムーンセルが作り出した電脳空間だよ」

 ――――――はい?

「ここが……電脳空間?」
「うん。マスターもどんな事情にせよ、聖杯戦争に参加したのなら、
 このムーンセルにアクセスしたはずだけど……記憶にない?」

 ここが……現実ではない、作り物の世界。
だから、かな。あの時、生徒会長の一成が可笑しかったのも。今この保健室に異質感を感じるのも。

「次に私は何者か、という説明だね」
「あ、はい」

 際限のない思考ループを断ち切って、思わず背筋を正してアーチャーに返事をする。
それにしても、こうやってアーチャーが説明しているのはよく似合っている。

「サーヴァントというのは、ウィザード達と一緒に戦う英霊のこと。
 英霊というのは生前の行いによって後世の人達にも信仰される存在のことだけど、
 ここまでは分かる?」
「あ、うん。学問の神様として拝められている菅原道真とか、そういうやつ?」

 とっさに思いついた例が正解だったのか、アーチャーは満足そうに頷いた。

「そう、他にも三国志で有名な関羽、ギリシャ神話のアスクレピオスとかが有名だね。
 そういった過去の英雄を、聖杯戦争では七つのクラスに分けるの。
 セイバー。
 アーチャー。
 ランサー。
 ライダー。
 キャスター。
 アサシン。
 バーサーカー。
  私の場合は遠距離攻撃が得意だったから、アーチャーのクラスに振り分けられたんだ。
 キャスターも該当するけど、陣地を張ったり、道具を作ったりするのは得意じゃないしね」

 そう言って恥ずかしそうに告白するけど、確かにアーチャーが物を作るのは似合わないかな。
どっちかと言うと物を使う方。例えば大砲の試作機とか、ってあたしはなにを考えているんだ。

「あ、ちょっと待って。サーヴァントがみんな過去の英雄ってことは、アーチャーも何かの英雄ってこと?」

 服装は……まあこの際おいておくとして、あの人形を軽々倒したアーチャーも歴史に残るような英雄なのかもしれない。
と言っても、杖からビームを出すような英雄って心当たりはないんだけど。

 そんなあたしの思惑を余所に、何故かアーチャーは少し考え込む様な顔をした後、重々しく口を開いた。

「ごめん、今はまだ話せないんだ」
「む、それはあたしが信用できないってこと?」
「人として信用できないってわけじゃないよ。ただ、聖杯戦争において真名の開示は重要になる。
 どんな英霊か分かれば、戦法や弱点が調べられるからね」

 確かに……英霊が過去の人物だというなら、文献などを調べれば簡単にその人の事を調べられるだろう。

「う~ん、でもさ。あたしペラペラ言い触らす様な真似はしないよ?」
「本人にその気がなくても口を割らす方法はいくらでもあるよ。
 そうでなくても、情報を盗み取られることもあるしね」

 そう言われると何も言い返せないな。自分がウィザードということにも実感が湧かないし。
まあアーチャーは今は、と言っているだけだからいつかは話してくれるでしょ。

「最後に……」

 アーチャーは一旦言葉を切ると、背筋を正し、警察の様な敬礼のポーズで宣言した。

「誓いはここに。これより私は貴女の盾となり、貴女を支える翼となる。
 これからよろしくね、マスター」

 そう言ってニコリと微笑んだ。
 まだ聖杯戦争の意味も、自分の記憶さえあやふやだ。
 それでも――

「うん、これからよろしくね。アーチャー」

 せめて、この笑顔だけは裏切らないようにしよう。



『Master,the person comes here.』(こちらへ人が向かってます)

 突然、今まで沈黙していたレイジングハートがアーチャーに声をかけた。

「ありがと、レイジングハート。それじゃ、私は霊体化して消えてるね」
「霊体化? 何それ?」
「サーヴァントは基本、姿を消して行動するの。これも敵サーヴァントに対する防諜対策の一環だよ」

 そう言うと、アーチャーの姿が消えた。思わずアーチャーのいた場所に手を伸ばしても、そこには空気しかない。

「心配しなくても、私はここにいるよ」
「本当に消えてるんだ……」

 茫然とつぶやきながらベッドから出ると、保健室の扉が開かれ、人が入って来た。

 入ってきたのは、保健委員であり、間桐慎二の妹の桜だった。
青みがかった長い髪に、赤いリボンでアクセントを加え、
月海原の制服の上に白衣を羽織ったかわいい子。

「あ、桜。おはよう」

 とりあえず朝の挨拶をすると、桜は平坦な声であたしに告げた。

「聖杯戦争本戦に出場、おめでとうございます。
 私は皆様の体調を管理するNPC、間桐桜と言います」
「――ああ。そうなんだ」

 覚悟はしていたけど、今まで友達と思っていた本人からはっきり言われると、
改めてここが戦いの為に整えられただけの舞台だと意識してしまう。

「予選で一度、記憶を失った状態で四日間を過ごしてもらい、その間に自分の役割を思い出していただく。
 それが聖杯戦争の予選でした。セラフへ入った時の記憶は返還したのでご確認下さい」
「え……ちょっと待って。あたし、自分の名前以外、思い出せてないけど」

 頑張って記憶を掘り起こそうとするけど、予選での学校生活と自分の名前以外まったく出てこない。
予選での生活が仮初のものだと理解は出来た。でも他は全てまっさらだ。

「そう言われましても私には何とも。私は運営用のNPCですので」

 ぴしゃりと言い切られてしまった。う~ん、それなら別の人に聞くしかないかな?

「これを渡しておきますね」

 そう言って手渡されたのは、ちょうど携帯電話と同じくらいのサイズの端末だった。
ボタンが見当たらず、タッチパネルの画面のみということはスマートフォン?

「運営側から指示がある場合はその携帯端末に連絡が入るのでご確認下さい。
 また、それはマイルームの鍵も兼ねているのでなくさないようにして下さい。
 他に何か質問事項がありましたら、NPCの統括の言峰神父にお聞き下さい」

 それだけ言うと、自分の役割は終わったといわんばかりに、
こちらに背を向けて椅子に座ってしまった。

「分かった。ありがとね、桜」

 とりあえずお礼を言って保健室を後にする。
いろいろと聞きたい事があるし、まずはその言峰神父を探さないと……。



 これが、あたしの生涯そのものとも言える、聖杯戦争の始まりだった。

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最終更新:2010年12月30日 15:10