1-H ―――

「ぶえっくしょい!」

先行する1号車で盛大なくしゃみが響く。

「風邪? 暖房、効かせようか?」

「んにゃ……大丈夫。 多分、どっかのバカが悪口言ってるだけだから」

ズズッと鼻を啜ったのは魔法使い、蒼崎青子。
その仕草を心配そうに見つめる黒衣の魔導士は―――

「良いから話の続き続き! だからさあ、ねえ? バルバロッサ」

「テスタロッサです」

執務官フェイトテスタロッサハラオウン。
異色の組み合わせだが、同じ射撃・砲撃を嗜む者としてこの魔法使いは高町なのはと親交がある。
その経由でフェイトともちょっとした知り合いの間柄となっていた。

「貴方は家族ってモンに対して重く見すぎっていうか……神聖視してるのよ。 
 家族なんて実際、面倒臭い事のが多いし、ロクなもんじゃないわよ?」

「そんな事無いよ。 家族はやっぱりあったかくて優しいよ。
 常に支え合って共に築いて来た絆は何物にも変え難い物だと思う」

「近づき過ぎてイヤな部分も赤裸々になるけどねー。 要は全て巡り合わせ。 
 上手く回れば言う事は無いけれど、悪い方に転がると見るも無残に転落していく―――それが家族ってもん」

「ちょっとしたボタンのかけ間違いは誰にだってあるよ。 でも、どんなに時間がかかっても修正出来ると思う。 
 だって血を分けた親子兄弟………仲良くしたいって思わない人はいないもの」

それは理想論だ―――ボリボリと頭を掻く魔法使いは大層、居心地が悪そうである。
青子とてこのような理論、相手を知らなければただの馬鹿として処理しているところだが
この娘は確か、そんな甘い理屈に酔って漬かれるような少女時代を送って来なかった筈だ。

家族を思い出すと血の味が脳裏を過ぎる―――そんな自分に引けを取らないヘビーな過去を背負って生きてきた筈だ。
だがしかし、こうして顔を突き合わせて議論をぶつけ合うほどに、二人は全く別の答えに行き着いている。

「そう簡単にいけば、金属バットで親を殴り倒す子供も、子供をロッカーに放置する親もいないでしょう?
 んじゃ聞くけどさ、どれだけ愛を叫ぼうが、自分を決定的に嫌悪してくる相手はいるのよ。
 その時点で絆なんて破綻してる。 そんな状態の相手とアナタ、どうやって絆を育むの?」

「それは……」

自身の過去と向き合うように、きゅっと唇を噛むフェイト。 
いくら手繰り寄せても届かない汚泥のような少女時代――
だが、あの頃とは違う。 フェイトは既にその答えを得ていた。

この理想は絵空事ではなく、そうであって欲しいと願う彼女の強烈な信念だ。
理想を理想と切り捨てず、現実のものとする強固な意志の元に紡がれた言葉。
それは青子の突きつける現実の刃を以ってしても簡単に切れはしない。

「こうするんだよ………」

慈愛を称えた表情でフェイトは微笑む。

―――数年前の事を思い出す。 
とある施設に預けられ、誰も信じられず狂犬のように周囲に牙を剥く少年がいた。
辺り構わず感情を吐き散らし、余人では近づく事も出来ない彼を相手に、フェイトは躊躇わずに―――

「…………」

―――――こうした。


「…………」

時間が凝固し、止まったように沈黙した。 
青子の、へ?という愕然とした息遣いのみが聞こえた。
ミスブルーを優しく包み込むようにフェイトはその体を抱き締めたのだ。
言葉は要らない。 肩と腰に手を回し、息遣いを感じるほどに密着した優しいハグ―――

問答無用の愛情を示すのに、自分が傷つくのを恐がってちゃ駄目だ。
子供の頃の自分は弱かった。 自分が傷つくのを恐れて一歩、踏み出せなかった。
今は違う。 相手の言葉で抉られようと牙が突き刺さろうとかまわない。
自身の愛を、好意をただ示す。 相手の氷の心を溶かすのに必要な温もりはこうやって伝えるのだ。

…………

…………

「キャオラーーーーーーッッ!!???」

「あうっ!? あうっ!?」

ただし、愛情に慣れていない人間が相手だとこうなるので注意が必要。
無償の愛は時に劇薬、毒薬と相成るのだった。

「き・も・ち・わ・る・い・事をするなぁぁぁ!!!」

「い、痛いよ……青子」

青子さん、投げ抜け成功。 強烈なモンゴリアンチョップを脇腹に食らい、涙に蒸せながら抗議の声をあげるフェイト。
しかしてフェイトが再び青子に近づこうとすると、彼女は猛禽のように髪の毛を逆立たせて威嚇する。
あの構えは蛇形門―――! 鎌首をもたげる手刀の先がフェイトの急所に狙いをつけて揺るがない。

(お、おかしいな……やり方を間違えたのかな……?)

心底、不思議そうに首を傾げながら引き下がる執務官である。
青子もぷいっと窓の外に視線を移してしまう。 その様相は不貞腐れているようであり
しかしながら口に手を当て、決して表情を見られないよう顔を背けた仕草の裏側は―――

(やば……濡れた……)

―――こんなんだった。

フェイト―――恐ろしい娘。 彼女は紛う事なき天性の魔性だ。
王子様にも、お姫様にも、母性に溢れた保護者にもなりえるマルチ・コマシ・タスク。
局にいる数多くのファンが「両性」にまで及ぶわけである。

不覚にも未だドキドキしてしている自分の心臓を握り潰してやりたい……
確か、不幸の境遇にあった彼女をなのはが助けた、という事になっているが
その実、なのはの方がこの娘に引っかかっただけじゃないのか?と本気で思う魔法使いであった。

「じゃあこれだけは教えて、青子」

「あによ」

「分かり合いたいけれど分かり合えない……思いをぶつけたくてもどうしようもない……
 生きていれば、いつか必ずそんな相手に出会うと思う。 いや、もしかしたら既に出会っているかも知れない。
 そんな時、青子はどうするの?」

「トルネードアッパー」

腕を組んで即答するブルー。 その自信と潔さは悟りの境地。

「…………」

「ええいっ! この私を哀れんだ目で見るなっ!!」

しかして、アフリカの飢民を見るようなフェイトの瞳から全力で逃れようともがく様は、お札を翳された悪霊のよう。
所詮、愛に対する身の置き所が違うのだ。 分かり合える筈もない。

(家族ねぇ……)

ちょっと騙されたと思って想像してみよう。
この蒼崎青子と、あの蒼崎橙子が、目を潤ませて……
互いを抱きしめ合うその姿を――――


「――――――――――ギギギ」

電気椅子にかけられた囚人の如く、ビクンビクンと跳ね上がるブルーの肢体は一瞬で致死に至った。

「青子? 青子!? どうしたの!? 大丈夫っ!??」

「………ぎ、ぎぼぢわるい……」

「大変だ! ………ヨモギとか噛む?」

「いらねーよ! あんたのせいだかんねっ!! 私を酔わせた責任、取って貰うんだからっ!!」」

車内前列から 「真似すんなーっ!」 と、怒声が飛んでくる。

家族を愛する者と、家族など屁とも思っていない者。
三日間……そんな二人が打ち解けるのに要する時間としては短いのか長いのか、余人に計れるはずも無いが――――

バスが外環を経由し、東北道に入る。
目的地までもう間もなくであった。


――――――

1-O ―――

(高町なのはもテスタロッサも上手くやっているようだな)

車内後部に陣取るのは烈火の将シグナム。
彼女が自らはやてに申し出たポジションは、バスの中を一望するには持ってこいの席だった。 
しかし相席については特に何も言わなかったのだが―――まさか彼女が来るとは予想だにしなかった。

「シグナム………ハヤテは一体、どうしたのですか?」

「聡明な方だ。 何らかの意図があったのだろう」

隣に座った、砂金のような髪に碧眼の瞳の少女……その問いかけに答える。
騎士王セイバー―――全ての騎士の誉れたるブリテンの王だ。

(……主も粋な事をしてくれる)

歴史の闇を渡り歩いてきたヴォルケンリッターとはまさに正反対の、王道を体現するかのような光の騎士。
彼女と相席できるとは一騎士として光栄の極みではないか。

「そうですか……しかしどのような意図があれ、ああいった物言いは宜しくない。
 何か悪いものが憑いた可能性もある。 気をつけた方が賢明かと」

「分かった。 あとで進言しておくとしよう」

先の八神はやての大喝に、騎士王は今も目を白黒させている。
何か怨敵にでも出会ったような形相をしているが、よほど気に障る事があったのか?
ともあれ、当たり障りの無い話を交わしながらもチラチラとセイバーを見やるシグナム。
将らしからぬ不振な仕草であったが―――

局内では、なのは教導官と交友の深いサーヴァントとして特に有名になりつつあるセイバー。
その付き合いからか、なのはの教導にゲストとして呼ばれる事も少なくないらしい。
そして日は浅いながらも驚くべきは……模擬戦の勝率、実に10割! 
未だ負けなしのパーフェクトレコードの持ち主だというから凄まじい。
あのなのはやフェイトでさえ引き分けに持ち込むのが精一杯だという彼女の実力は未だ計りが知れない。

(…………私の剣ならばどうか?)

その彼女を見て―――こう考えない騎士はいないだろう。
全ての騎士の頂点に立つと言われる剣の英霊。
一介の剣士として剣を交えてみたいと思うのは至極当然の事だった。

(交流会のプログラムを見るに……良い機会かも知れんな)

湧き上がるバトルマニアの血の滾りは留まる事を知らない。
何時、話を切り出すかを様子見している烈火の将。
意中の相手にラブレターを渡そうと悪戦苦闘する中学生の心境とはきっとこういうものだろう。

「…………」

ゴシャゴシャ―――
だが見れば、先ほどから何か音を立てている隣。
セイバーが袋のようなものと格闘している。 何だろう? あれは………

「む、う……」

小さな呻き声をあげる少女。
よく見るとそれは真空パックに包まれたコンビニのおにぎりだった。
鮮度を保つために工夫を凝らした包み袋。 しかしてそれを排除しなければ戦果へは辿り着けない。
目前の城壁を破ろうと躍起になっている姿を、黙って観察するシグナムだったが……

「………あ!」

少女が小さな吐息を漏らした。 手に持つ袋がビリっと歪に破けてしまい、白米は分離して床へ―――

「…………」

あれでは海苔が絡まず、おにぎりにはならない。 
あからさまに肩を落とした後、騎士王は分離した海苔を、そのままモシャモシャと口の中に入れた。
哀愁漂うその様子に思わず点になるシグナムの両眼。

今度はツナ握りを手に、再びトライするセイバー。
千の敵を前にしたような彼女の形相は必見だ。
だが再度―――――ビリ!と、またも同じ末路を辿る真空パックと握り飯。

「………不器用、だな」

ボソっと、率直な感想を漏らしてしまった。 
見られているとは思わなかったのか、ハッとなった後、頬を染めて俯いてしまうセイバーである。

「願望と結果が必ずしも一致するわけではなく―――文明の利器とは思いの他、手強いものですね……」

シロウにも散々、教わって来たのですが、と付け加える王様。
しかしあれほどの剣技の持ち主が、古の城門を一振りでブチ抜く豪傑が
おにぎりの真空パック如きに阻まれ、手も足も出ないというのはどうなのだろう……?

「雑、ですか……? 私は?」

「雑だ。 貸してみろ」

シグナムとて浮世に身を置いて長い。 コンビニのおにぎりをむくなど造作も無い。
ひょいひょいっと手際よくパックを取り払い、まるでエサを待ちわびる小動物のようなセイバーに明太子握りを渡してやる。

「おお……見事な!」

お預けを食らったリスがようやっと飯にありつけた―――そんな感じか。
少女は握り飯を受け取ると、モシャモシャと一心不乱に被りついた。 とても幸せそうだ。
たまらず窓の外へと視線を移すシグナム。 笑いを堪えるためだった。

(これが、模擬戦無敗か……)

フランス人形のように可憐な少女が、一心不乱に飯を頬張る姿がシュール過ぎて
つい笑みが漏れてしまうのだ。 まるで手のかかる妹が出来たようである。

「これも食べるか?」

言ってイチゴのジャムパンを差し出す将。

「よ、良いのですか?」

「かまわん」

「是非、お言葉に甘えましょう!」

更に自分は今から、この少女に今生一代の挑戦状を叩きつけようというのだから―――なお、おかしい。


「ただし………条件がある」

緊張していたのが馬鹿みたいだ。 心に留めていた本題をぶつける事にしよう。

「条件?」

「旅行の冊子は見たな? 今回のこの行楽、両世界観の交流を深めるために様々な催しが用意されている。
 その中に体験教導演習会というものがあっただろう?」

もむもむと口を動かしながら頷くセイバー。

「そこの第3班を任されたのが他ならぬ、この私なのだ。
 そこで、だ……噂に名高い剣の英霊に是非、一手ご教授願いたい」

ギラリと光る烈火の将の双眸。 それは紛う事無き戦士の顔。
セイバーとて戦に生きた伝説の英霊だ。 彼女の言葉の意味を取り違える事は決してない。

和やかな行楽の車内にジリッと大気の焼ける匂いが充満する。
さっきまでの平穏な空気など何のその。 一瞬で鉄と血の支配する戦場の雰囲気が二人の周りを支配する。
セイバーが、緑色の双眸に炎を灯し―――

「ほほむほほろでふ」

ほっぺにジャムをつけたまま―――挑戦を受けた。

「食べてから喋れ……」

大丈夫か……この娘?  今一、緊張感に欠けるやり取りではあったが……
まあ伝え聞く風聞通りならば期待外れの心配は無いだろう。
言うべき事は言った。 騎士の誉れたるこのサーヴァントが約束を違える事は考えにくい。
肩の荷が下りたようにシグナムはシートに身を横たえた。

「……………」

(そう言えば3号車……ティアナからの定時が来ないな)

やるべき事をやって、そして思い出した事は、密接に繋がる機動6課の連絡網だ。 
次はティアナランスターから自分への回覧だった筈で、それはもうこちらへ回ってきても良い頃合だ。
何の気なしに窓の外の景色、そこへ次ぐ3号車を視界に捉えようと見回し―――

「…………………………なっ?」

将の口から驚愕の吐息が漏れるのだった。


その―――ボディ、バンパー、ミラーに至るまで、煌びやかに輝く黄金と化したバスを見て―――


(また、あの迷惑千番な英雄王が何かやらかしたか……?)

とも思ったが、奴は2号車だ。 
しかもリィンフォースが付きっ切りで接待(という名の監視)をしている。
そして、眼を凝らすと一瞬、車内の様子を垣間見る事が出来たのだが……

「おいセイバー……」

「知りません」

まだ何も聞いていない。 だが、セイバーはそっぽを向いて完全にシャットアウトモードだ。

「しかし、何というか、今チラッと人影が見えたのだが………お前がいたぞ」

「他人の空似でしょう」

あの下品な黄金車の前部分で演説めいた事をしていたのは彼女―――セイバーに瓜二つの少女だった。
アレはどう見ても最低、3親等内の縁者だ。 
違う所と言えば色が赤いトコと、艶かしい太股を曝け出した騎士らしからぬ破廉恥な服装のみ。

「アレとアーサー王伝説に繋がりを持たせる後世の歴史家も多いと聞きますが―――
 あの放蕩王と私は完全に別人です……ええ、天地神明に誓って。
 これ以上、文句があるのなら、この世界の造物主にでも言って下さい」

わけの分からない事を言ってムクれてしまうセイバー。 迷惑な話だと言わんばかりの態度だ。
どうやらあのサーヴァントと似ていると言うのは禁句らしい。
有名人は顔や風聞によって同一視されると、謂れの無いクレームや誤爆を受ける事もしばしばだ。
もしくはドッペルゲンガー現象で、互いに認識するとどちらかが死ぬのだろうか?
とにかく、そんなこんなでセイバーは全く取り付く島が無い様子。

(こちら2号車、シグナムだ。 ティアナランスター、応答しろ)

仕方ないのでこちらからティアナに念話を送ってやる。

(ティアナ、定時報告が遅れているぞ? 聞こえていたら……)

(こ、こちら……ティアナ、ランスター……れぇす)

気の抜けた声が……返ってきた。 それはもう信じられないほどに!
ズルっと、シートからズリ落ちそうになってしまうシグナムである。

(……何だ、その腐抜けた返事は? 貴様、まさかアルコールを摂取しているのではあるまいな?)

(そ、そうじゃなくって……はひゃ!?そ、そこはいいって……)

将の怪訝な顔の、眉間に皺が寄っていく。

(何だ? そことはドコだ? 状況を明確に説明しろ)

(……なな、何でもないれすぅ……何でもぉ)

「たるんでいるな……」

何が原因か知らないが、ここは一発、喝を入れてやらねばなるまい。
盛大なのを入れてやろうと、彼女はスウっと息を吸って―――


――― キシャアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!! ―――


「ぬおわっ!?」

―――とんでもないカウンターを食らった。

衝撃で上体がズレる! 念波!? 
リンクしていた先から強大な念が逆流して来てシグナムを貫いたのだ!

こめかみを打ち抜かれたように弾け飛ぶ将の上半身! 次いで、ぬごんっ!!!という快音!
それは吹き飛んだシグナムがドミノ倒しのように、隣のセイバーにヘッドパッドをかました音だった。
鈍器が割れたような音と共に二人の騎士は昏倒して―――その場にノックダウンした。

「く……おぉ…」

流石に効いた………ぐったりとシートにもたれ、グロッキー状態になる最強の騎士と騎士。
目の前を火花が飛んでいる。 暫く意識を飛ばされるほどのダメージが二人を襲う。

「シグナム………わ、私は――――何か貴方の不興を買ったのか……?」

「すまん……他意は無い。 気にしないでくれ……」

頭を押さえ、恨みがましい目を向けるセイバーに謝罪を入れる将。
彼女には悪いが、本当に何が何だか分からないのだ。 未だにガンガン痛む側頭部を押さえつつ―――

(何だ……今のは?)

シグナムは今の出来事を反芻する。
ティアナの仕業、ではない。 念話を攻撃手段にする技など彼女は持っていない筈だ。
彼女に一喝しようとした途端、外部から強制的に念話をカットしたナニかの仕業か?
得体の知れない、とてつもない力で念話のラインを引き千切った……いや、噛み千切った。
一瞬だが、その獰猛極まりない凶悪なシルエットが今も将の目に焼きついている。

(あれは狼? ジャッカル? いや………)

それは白面金毛の、雄々しい尻尾を称えた―――

金ぴかに光るバスを見やり、得体の知れない存在を感じつつ、唸り声をあげるシグナム。


――――バスは県境を超えて、栃木へと入る。


――――――

3 ―――

「ふむっ! 優雅さの欠片も無い護送車であったが、これで少しは見栄えが良くなるというものだ!」

「あー、その……セイバーさん? このバス、レンタルなんですけどね」

「何を言う! 借り物だろうと皇帝たる余を運ぶ荷車であるぞ! 他よりも煌びやかに飾らなくてどーするか!?
 2号車にはあのバビロニアの王が乗っかっていると聞いたが、奴には負けん! ミューズの加護は我にありだ!」

今時、族車でもこんな下品なゴールドカラーリングは見た事が無い。
しかし善人代表、黒桐幹也がなだめるも効果は全く無し。
黄金の劇場と化したバスの内部でセイバー(赤)が高らかに猛威を奮っていた。

ここはアエストゥス・ドムス・アウレア―――皇帝特権の全てがまかり通る場所。

もはや途中退場(下車)は出来ませんのであしからず―――
そんなアナウンスすら聞こえてきかねない封絶の結界内。

言い換えれば―――要するに暴君の体の良いバスジャックである。


――――――

3-E ―――

「全く施術中に話しかけてくるなんて不躾にも程がありますね。
 せっかくご主人様にリラックスして貰っているのに台無しじゃないですか」

―――どうして……こうなっちゃったんだろう?

限界まで後ろに倒したシートにうつ伏せに寝かされる自分が、今に至る経緯を必死に反芻する。
全身にびしりと浮かぶ冷たい汗は不可解な状況に対する恐怖からか。

隣にちょこんと座ったのは、露出の多い着物に獣耳の可愛らしい娘だった。 
腰の低い、礼儀正しい娘と彼女はすぐに打ち解け―――
激務に勤しむ日常の話から始まり、日頃の疲れが抜けなくなっているという方向へ話題が流れ
良いツボを知ってますとか、そういういう話になって……気がついたらこんな体勢に……

そう、同席した少女は彼女の事を「ご主人様」と呼んだ。
彼女―――ティアナの背中を、そんな少女の手がピアノの演奏者の如く滑る。

「ん、んっ………!」

「どうですかご主人様? このタマモの絶技―――最近、流行のエステだとか整体だなんてメじゃないでしょう?」

(ヤ、ヤバイ……マジで気持ち良、すぎる……)

体にまるっきり力が入らない。 舌も呂律が回らなくなってきている。
これはほとんど魔性、魔技の域だ。
シグナムとの念話を「外から強制的」にぶった切られた驚愕も次第に薄れていく。

「人を繰るに指先一つあれば事足りる―――人体をグルグル回る経絡を熟知すれば
 相手を尽きせぬ快感に溺れさせる事も、死に至るダメージを与える事も自由自在なのでございます。
 まあ、古来よりインドや大陸の方で発達した淫遁の極、房中の応用なんですけどねー」

「いん、とん……ぼう、ちゅ…?」

「端的に言うとエロい技です」 

「っ………!!?」

ガバっと跳ね起きようとするティアナ。 だがやはり力が入らない。 
体の隅まで掌握されたとはこういう事か、水揚げされたカエルのように手足をバタバタさせるのが精一杯だ。

「時の権力者をかどわかし、色に溺れさせた狐の化生―――彼女達は須らく、こういった業を駆使すると言い伝えられています。
 けどぉ、失礼千万というか! まるで悪行の権化みたいに言われるのは心外かとっ!
 これはあくまで私の献身の心から身に着けたテェクニック! それ以上でも以下でもありえませんから!」

ヨヨヨと泣き崩れる謎の少女―――キャスター。(さっき、名前を漏らしたような気もするが)
所謂、夢魔・淫魔というやつか? こうも簡単に内側への侵入を許すなんて……
ミッドチルダの防壁は物理攻撃には滅法、強いがアストラルサイドの侵入には弱い。
向こうの連中と接する際に注意が必要だとあれほど教えられてきたのに何という迂闊か。

「そこに込められた想いは、ご主人様に円還の陶酔を味わって頂きたいという真心のみだというのにっ……!
 あー、ガイドガイド。 E席、最高級のローションを所望です。 とっとと持って来て下さいな」

「お客様、残念ですけど当車にはそんなもん、ありません。 
 どこの世界にローション売ってるバスがあるのか逆に教えて欲しいものですが?」

「ちっ……使えねぇ売り子ですねぇ」

手売りのボックスカーを引いてきた少女に対し、蝿でも追い払うようにシッシッという仕草を見せる獣耳。
こめかみに青筋を浮かべながら、冷ややかな視線をティアナに落とす売り子さん。

「良いご身分ね、ティアナ」

「す、好きで……こうなってるわけじゃ……察してくれると嬉しいな、なんて……」

「あっそう。 せいぜいバカンスを愉しむといいわ。 執務官候補さん」

この体勢では何を言っても説得力がまるでない。
紅い服に身を包んだ売り子はフン、と鼻を鳴らして行ってしまう。

「感じ悪い売り子ですね…………ブサイクッッ!!!」

狐がオーバースローで缶をぶん投げる。
放物線を描いた、中身の詰まったコーラは見事、売り子の後頭部に直撃!
カコーンという小気味良い音が響き、次いでブルブルと怒りに震える肩がはっきり見えた。

「ひええ……ちょっと、まずいって、あれ……」

「知りません。 あんなの放っておいて楽しくやりましょう♪
 三日間という短い期間ではありますが、精一杯ご主人様の良妻として仕えとう御座います」

良妻―――ちょっと待て……何かが決定的におかしい。

今まで生きてきた自身の認識が間違っていなければ
この身は心身ともに人類ヒト科の雌にカテゴライズされる存在で―――

「かまいません。 性別は問題ではないのです」

「こ、こちらが構うっ! 何で私なのよっ? 理由はっ?」

「特に無いです」

「無いんかいっ!」

「強いて言うなら隣に座ったから?」

「ぐはーー………」

「あとはご主人様の人柄でしょうかねー。 当たり障りの無いドライなお付き合いが出来そうなので。
 この夢現のような3日間を無難に乗り切るのに大変、都合の良いご主人様なんですよ。 貴方は」

「なんつう言い草よっ……3日間くらい我慢すればいいでしょうが! んっ……ッ」

「我慢……我慢ですか」

コリコリと仙骨の辺りに指が入る。 喘ぐティアナ。
まるで体の中をまさぐられている様だ。

「暴走気味だという事は自覚してるんです。 普段ならそうするんですけどね―――
 これから行く所に少々問題があるというか、まさかこの私をアソコに招待する馬鹿がいるとは夢にも思いませんでしたから」 

少女の背中に瘴気のような物が立ち込めているのは気のせいか?
瞳にも深い闇が灯っているような……?

「なのでぇ、常に良妻モードで自分を抑えておかないと危ないんですよ♪
 何かの弾みで力を取り戻したりしようもんなら、ここに集まった連中、サクッと皆殺しにしちゃうかも…………ぐふふふ♪」

む、夢魔じゃない……淫魔でもない……
自分が引いたのは、引き当ててしまったのは―――もっととんでもない何かだ。
その言葉が決してハッタリではないと感じ入るにつれ、ティアナの心に氷柱が突き刺さったような寒気が襲い来る。

「そういう事です。 つまりご主人様は責任重大なのです。 
 拒否権はありません……タマモの愛を是非、受け取って下さいね♪」

つまり奉仕という名の捕食だこれは……
それに運悪く、自分が生贄になったというだけの事。
まずは助けを……上から助言を仰いで、それから―――

「ティア、楽しそうだねー」

「こんの、バカスバルッ!! 何をどう見たら、そういう風に見え……いひひゃ!?」

すぐ横から見知った声がする。 顔だ。 顔がすぐ横にある。
人の気も知らない暢気な声に反論しようとするが、今度は肩甲骨に指が入った……グリグリと。

覗き込まれる青髪のボーイッシュな容姿は古くからの相棒のもの。
シートを目一杯後ろに倒せば当然、後部座席の人間が下敷きになる。
故に、もれなく座席を挟んだ向こうにいる長年の相棒、スバルナカジマは
座席のサンドイッチになっても不平一つ漏らさない良い娘であった。

「だってこんなにトロトロしたティアの顔、見た事ないもん」

「み、見るな……今の私の顔を……っ」

必死に自分の顔を手で覆うティアナ。
この弛緩し切った表情を相棒にだけは見られたくない。
意地というか、スバルの前では何時だってクールな自分でいたいのだ。

「ねえねえ、タマモさん! 私もトレーニングで肩の辺りが凝っちゃってるんですよ! あとで私にも……」

「ぜってぇ、やだ」

「へ? 何で?」

ティアナに接している少女は本当に幸せそうだった。
だが一転、スバルと目が合った瞬間の剣呑な表情。
そこに描かれるは絵に描いたような嫌悪のみ。

「犬系は私の天敵なので。 はっきり言って近づかれるだけで虫唾が走るんですよ。 
 気安く私の名前、呼ばないで貰えます? アンタなんか三遍回って―――」

ズイっ――――

「ワンと泣いたら――――」

ズズイっ―――

「そのまま死にやがれーーー!」

ズズズイっ―――!と、スバルに顔を近づけ、益体の無い罵声を浴びせる少女だった。

「ティアー……」

「知るか……」

涙ぐむスバルを慮る余裕などティアナには無い。
二人の問答が一人芝居に聞こえるほど頭がぼうっとしている。 
もう、野となれ山となれ、だ。

「あれ……そういえば、スバル。 貴方の相席は?」

朦朧とする意識の中で、最後にこんな質問をしたのだけは覚えている。

「いるよ」

「いないじゃない」

「いるんだよ……ちょっと信じられないけど」

空席になっている相棒の隣が気になったが―――それも狐のエステの心地よさの波に呑まれ、消えていく。
ティアナランスター、間もなく撃沈。
将来、エリート執務官となる優秀な魔導士が屍と化すまでにかかった時間は、実に15分と36秒。

「狐の指圧は母心~♪」 

彼女の朦朧とする意識に、暢気な鼻歌だけが響き渡っていたのだった。


――――――

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最終更新:2010年11月29日 16:18