「凄まじいね……何とも」

「<猛犬>が放たれた戦場は草木一本残らない。
 あるのは蹂躙され、噛み殺された敵の成れの果てのみか。」

ここは戦地の一角を締める平原。
夥しい数の敵の躯と破壊された豪奢な戦車に攻城兵器。
その残骸で埋め尽くされた一帯にて、戦いを命からがら生き延びた兵士の一人がポツリと呟いた。

軍といっても内役は色々で、血筋、家柄共にやんごとなき生まれの騎士から、ならず者じみた傭兵まで様々だ。
そして彼らはその最前線、最も苛烈にして死の危険の高い戦場にて戦う傭兵達。
今、彼らの話題はとある一人の騎士の事で持ちきりだ。
国のお偉方の覚え麗しい赤枝の騎士の一人。
本来ならば自分たちのような下っ端がその姿を拝見できる筈はないのだが
その高貴な身分の筈の男はこの戦場において自分らなど問題にならぬほどの「荒くれ」だった。
否、そんな生易しい表現では到底足りない。 アレは、そう……戦をするためだけに生まれてきた狂戦士。

此度の戦場においても男は特殊―――いや、特異とさえ言える戦闘力と機動力を以って
緒戦においては真っ先に敵陣に突っ込み、戦況が膠着するとありとあらゆる戦場に現れ、蛮勇を奮って一気に味方を押し上げた。
全滅の危機にある味方兵の殿として敵の軍勢の前に立ち、逆にその悉くを打ち倒した。
そんな彼の鬼神の如き活躍を最前列で見させられたのが他ならぬ彼らだったのだから、その口に男の名が上るのは至極当然の事であろう。

「つくづく味方でよかったぜ、まったく……
 御仁があの形相で突っ込んでくる所を想像してみろよ? 本気で死にたくなってくる。」

「ぐはは! 確かに数秒先のミンチより、せめて人間らしく原型を留めたまま自害したくなるな!!」

「ええい、腰抜けだ腰抜けだっ! そんなだから貴様らは未だに武勲も立てられぬ雑用なんだよっ!」

集団にドっと笑いが巻き起こる。
極限の戦場から解放され、明日の朝日を浴びる事が出来る者のみに許された弛緩。
それが適わぬ者たちは今、ある者は体の一部をどこかへ無くし
ある者は体内に詰めてあった内包物を撒き散らして足元に無残に打ち捨てられている。

戦場の黄昏の光景だ。 
それを視界に移す度に歯を見せて笑う兵士達の顔が一瞬曇る。
彼らと自分達との間にさしたる違いは無かった。 ただほんの少し、彼らよりも運が良かっただけ。

「そうだな……あの御子サマがいればうちら無敵さ。 恐いモンなんてあるはずが無い」

彼は今、畔の水辺で火照った体を冷却し、敵の返り血を洗い流しているのであろう。
そんな英雄を称えるように皆、興奮交じりに我先にと口を開いていた集落の兵士達。

「大した事ねえよ。 あんな奴」

…………………

だがそんな最中、呟きはどこから漏れたのだろうか?
兵の一人が躊躇い交じりに口を開く。 
その顔は先の弛緩した笑顔と打って変わって何か神妙なものをその目に写している。

「実際、あの一振りさえあれば御仁は無敵だろう。 誰も適わんよ」

尊敬と賞賛の裏にある何か一抹の含みを持った言葉。

「………何であんな若造が宝具の栄誉に与れるんだ」

すると場が一転、微妙な空気へと変わっていく。

「死棘の槍、か……凄かったな」

一人が呟く。 思うところを同じくしていた輩も多かったのだろう。
場は戦勝の気分とは一変した妙な雰囲気を醸し出していた。

「確かに勢いはある……が、戦い方が大雑把で武器頼みだ。
 こちとら、こんな錆び塗れの剣で敵と切り結ばなきゃいかん。
 あんな無茶な突撃したら獲物がもたねえよ…」

「若輩が……俺にも宝具があれば今頃はっ!」

現代に残された伝承――――その英雄の勇士はほとんどが国中の尊敬と崇拝を一心に集めたものとされている。

だが月並みながら光差すところに影在り。
彼ら傭兵は名のある騎士や将を守る防壁となり、敵の先陣と真っ向から斬り合う役を課せられる、いわば死に役。
昨日死にかけ、今日死にかけ、そして明日も死にかける―――
そんな生活を送ってきた彼らは、だからこそ自分が一番だというプライドも人一倍ある。
素直に他人の武勇に賞賛をくれてやるような真似など本心では我慢がならないのだ。

人間には皆、どんなに抗おうとしても抗えぬ心の闇がある。
――――――嫉妬。 誰しもがその根底に持っている、自身こそが一番でありたいという願望。
優れた者に対して抱く劣等感。 自分だってあのように輝きたいと欲する渇望。
それが適わない口惜しさは、その悪意は周囲で最も輝いている一番分かりやすい対象に向けられる。

「実際、重装歩兵を相手にした時なんかラクしてやがるぜ奴は!
 どんな装甲相手にも刃こぼれしないだけでも羨ましいってのに、その上……」

「正直アレを持たせてくれりゃ俺だってやれる自信はある! 
 今日の戦……俺は剣折れてなお敵の騎兵を絞め殺してやったッ!」

「俺もだ! 機会さえありゃ……」

「どだい持ち上げ過ぎな話だ!あんな小僧ッ子!
 宝具さえ取り上げられちまえばただのヒヨッコだわい!」

「まあ生まれからして違うからな。 あの若造とは……」

誹謗の色すら見せ始める彼らの口からはもはや先程までの羨望、尊敬の念などどこにもない。

「半神半人の英雄。 軍の先頭に立たせるにはこれ以上絵になる奴もいまい。 しかも王のお気に入りとくれば、な」

「そりゃ俺ら貧しい家の出とは扱いが違うのも当然だわ」

「その上、影の国の女王の贔屓だからな。」

「案外、別のところが気に入られたんだったりしてな……ゲヘヘ」

下卑た笑いを漏らす男たち。

「得意の寝技で一突きか……流石は我が国の誇る無双の槍技!
 あの冥府の女王を相手に豪気な事だぜ! がーっはっはっはっはっ!!」

言って酒を煽る熟年の傭兵。 顔中についた刀傷が歴戦の年季を感じさせる。

―――彼らとて己の腕と肉体のみを頼りに生きてきた誇り高き戦士である。
本来ならばここまで無体な議論に花を咲かせるような事はしない。
だが戦勝の気分に拍車がかかり、歯止めが利かなくなってしまった事が一つ。

そしてもう一つ……何よりも、見事過ぎたのだ。
今、槍玉に上げている男があまりにも、絶望的なまでに自分たちと違いすぎて―――

「――――面白そうな話してんなオイ?」

そして、その接近に気づかないほどに、彼らは悔しさ、興奮交じりの雑談に夢中になっていたのだった。


――――――

「「「!!!!????」」」

空気が凍った。
一瞬で波一つ無い湖面の如く静まり返った。

輪の連中の顔が軒並み引きつっている。
ある者は青ざめ、ある者は眼を見開き、ある者は口に含んだ酒を勢い良く吹き出し
そしてある者は全身を硬直させながら恐る恐るギギギと皆、一様に首だけをその声の方に向け―――

「「「「ゲェェーーーッッ!!?」」」」

一同、カエルの潰れたような声をあげていた。

「びあぁっっ!?」

「ク、ク、クー……っ!?」

「なーにがゲェーだ、アホどもが」

ニヤニヤと場にそぐわない、にやけた笑みを顔一杯に称えて、若者が彼らの後ろで悠々と佇んでいた。
胡坐をかいていた戦士の一人の尻が浮き上がり、腰掛けた瓦礫からズリ落ちる。
だらしなく弛緩しながらペラペラと喋っていた一人が盛大に舌を噛んで口内血まみれになる。
四つんばいになってワタワタと意味不明の行動をする者。 本気で顎を外した者もいた。

「な、な、何でここに……!?」

「居ちゃ悪りーか? 味方陣営のどこをほっつき歩こうが俺の勝手だろが。」

熱弁を振るっていた傭兵の一人の肩に手をかけ、ズシリと寄りかかる彼。

「陰口ってのは人に聞こえんようにするもんだ。
 なのにお前らと来たら幕舎中に聞こえるような声でベラベラベラベラ……水の中まで聞こえたわボケ。」

「デ………デスヨネー」

   ――――忘れていた……
   百里先の軍靴の音まで聴き取るような奴だった……

先程の威勢はどこへやら、狼狽しまくる屈強な男達。 男がフウ、と溜息一つ。

「欲しけりゃ、やるよ」

「は、は…?」

先程まで河で体を清めていた年若い男。
半裸の上半身をボロ布で拭い、水滴を払いながらに言う。

「コレやるって言ってんの」

ザワッ!!!、と場が熱気か冷気かも定かではない雰囲気に飲み込まれる。
一瞬、何を聞いたのか耳を疑う男たち。
「やる」といって男の手から差し出されたモノこそは一角の戦士ならば喉から手が出るほどに欲しい―――あの魔槍。

「明日の鍛錬で俺とやって勝てたら、だけどな」

……………

   ―――帰ってクソして寝ようか……

オチがついたとばかりにガックリと肩を落とすヘタレ、もといツワモノたち。
世の中、ただで宝を手に入れられるほど甘くは無いとはいえ
せっかく戦いに生き残った次の日にそんな無理ゲーで死んでたまるかといったところだろう。

「お前らな……あれだけ威勢良く吼えておきながらただで済むと思ってんのか? この俺を前にしてよ?」

水滴を拭ったボロ布を肩にかけ直し、ギョロリと翡翠のような目を彼らに向ける男。
兵士たちの顔が途端に青ざめる。

「こいつがどうとか言ってたなぁ? 俺は宝具に使われてるだけのヘボだとか何とか。
 条件が同じならあんなモン虫けら同然とか。」

「「「いや、そこまでは言ってねえっ!」」」

「じゃあお前ら、この槍使っていいよ。 何人がかりでもかまわねえし、更には俺は素手でいい。
 これでどうだ? ちったあやる気になったろ?」

相変わらずの声色で兵士達を挑発する男。

「「「いや、その……」」」

「どうした? 寝技が得意の女ったらしで、しかも丸腰だぜ? 勝てば最強の宝具が自分のもの。 
 破格の条件だろうが? 戦士として命をかけるに十分な場じゃねえか。」

冗談じゃない……どんな破格の条件であろうと、こんな怪物と殺り合うなんて自殺行為以下だ。
本気で彼と組み打つなどライオンやトラと向かい合って戦うようなもの。
轡を並べて戦ったからこそ、後ろから男の凄まじき突貫を見ていたからこそ、彼に挑む事の無謀さ愚かさは身に染みている。
コレは人の皮を被った魔獣なのだ。 
それに向かっていった者の末路が今まさに彼らの足元に転がっている無残な肉片たちなのだから。

「――――セタンタ」

その時、焦燥と沈黙に包まれる場にて―――――
若者と傭兵達の立つ瓦礫と別の方向から、落ち着いた柔らかな声が響く。
周囲を覆うギスギスとした空気を緩和させるような大らかな声色だった。 振り向く若者。

「しし、失礼しましたぁぁ!!」

彼の目線が外れたこの瞬間こそ絶体絶命の傭兵らに訪れた退却の好機!
途端、悲痛ともいえる声を発してシュタタタッと我先にと逃げ出してしまう男達。
まさに脱兎の如く、である。

「おう、またな! 槍が欲しくなったら何時でも相手してやるからよ!」

手をパタパタと振ってならず者を見送る若者―――

彼こそはクランの猛犬クーフーリン
その若かりし頃の姿である。


――――――

「その辺にしてやれ。 彼らとて決して悪意があったわけではないのだ」

手を振って男共を送り出す槍の英雄を苦笑交じりに見つめる、先程の声の主。
それはこの若者が忠誠を誓い、仕える主君であった。

すかさず奔放な男がその膝をつき、礼の姿勢を取る。 
対し、軽く手を振って答えるのは主。
かしこまらなくて良い、の意であるそれを受けて、平伏していた男が再び立ち上がる。

「恥ずかしいところを見せました……ロード。 まあ半分は興味本位だったんですがね。
 俺よりこの槍に相応しい奴ならば、むしろ喜んでこいつを譲ってやろうかなと。」

「ふむ?」

「しかしまあ、傭兵が……腕一つで身を立てようって輩が
 女みてえな悲鳴を上げて一目散とは、大丈夫なんですかね? ウチの軍」

「なに、流石に今のは彼らを責められん。
 すぐ後ろでにこやかに殺気を放つお前が立っていたら恐らく私でも逃げる。」

真面目なのか、お茶面なのか、判断のつかない風体で答える主。

「あまり気にするなよ? 英雄に嫉妬や羨望が纏わりつくのは宿命だ。
 そういう輩を事ある毎に苛めていてはキリがあるまい。 事に今のはお前を随一と認めているが故の軽口だよ。」

「別に腹が立っているわけじゃない。 嫌いじゃないですよ……ああいう奴らは」

答える男の口調にはどこか寂しげな色がある。

「騎士の称号など貰っちゃいるが俺の本質はむしろあいつらに近い。
 親近感を抱きこそすれ壁など作る理由はないし、一段上から相手を見下すつもりもないですね。」

淡々と続く若者の言を黙って聞いている主。
慣れない敬語に悪戦苦闘して辿々しく喋る若き獅子の姿がどことなく微笑ましい。

「壁の原因はこの槍ですかね? 確かに俺には過ぎたモノですが……
 ロード。 俺はまだコレに寄りかかってるように見えますか? 未だ槍に見合う男になれていませんか?」

珍しく饒舌にまくし立てる男。 奔放な若者の言葉、そこに果たしてどんな思いが込められているのか。
あの偉大なる女王から賜った至宝。 この国一番の勇者をして、肩に重きものを感じざるを得ない一振りの魔槍。
実力はこちらの方が上なのに使う武器の性能差で負けている……そんな負け犬の遠吠えを敵味方から浴びせられたのも一度や二度ではないだろう。
そんなやっかみは無視してしまえば良いというのに―――

「どだい敵味方、同じ武器で統一して戦おうというのが無理な注文だ。
 そんな事をいちいち気にしていたらキリがない。
 ふむ――――ならばセタンタ。 お前がもし戦場にてその魔槍と相対したならばどうするか?」

「知れた事。 絞め殺すだけです」

「出来るかな? いかにお前でも宝具の力を強引にねじ伏せられるとは思うまい?」

「問題ありませんね。 心臓をとられておっ死ぬ数秒間――人をブッ殺すには十分すぎる時間だ」

一片の淀みもなく答える男に主は苦笑する。

「ならばそういう事だ、猛犬よ。 それを必要以上に気にしているのは他ならぬお前自身ではないか?」

主が男の抱くジレンマに敢えて踏み込む。 
意味深な言葉だった。 槍を片手に担ぐ男の表情も聊か固い。

「お前はその魔槍を必要以上に振るう事を敢えて控えているな。
 相応の戦果を上げている手前、口を出す事ではないと黙っていたが…」

「俺が―――手を抜いていると?」

「そうではない。 だが、その宝具をより上手く用いればお前自身
 全身に傷など一切負う事無く今よりも楽に戦えるのではないかと思ってな?
 一体、何をそんなに気にしているのだ?」

朱色の槍を手に持つ前、槍術を主流とする前から男は無敵で無双だった。
常に敵陣の真っ只中に飛び込み、血風を撒き散らして相手の喉笛を噛み千切る。
変わっていない―――そう、まるで変わっていないのだ。
強大な武装を得たのだから、命を削るような危なっかしい戦い方にも幾分の余裕が出て然るべきだというのに
此度の戦でもクーフーリンは、その在り方に微塵の変化もありはしなかった。

「戦の機微ってやつです。 個の思惑だけじゃどうにもならん事もある」

顔を伏せて応える男。 それは――ウソだ。
男の槍はその類において一対一では間違いなく最強を誇る宝具であると同時に、投げ放てば千軍を瞬く間に薙ぎ払う絶大なる兵器。
真意を隠す事の出来ない不器用な男の言葉に篭る一抹の淀み。 

確かに主の意見はもっともである。 
戦術を全てソレに回すように組み立てれば、そもそも男は前線に出る必要も白刃に身を斬られる事無く敵を薙ぎ払ってしまえるのだから。
―――見敵瞬殺。 自分の持つモノにはそれだけの力がある。
強大な威容を秘めた、人の御業を超えたアーティファクト。
地上に顕現した奇跡―――それが宝具と呼ばれるものの力なのだから。

若くして影の女王の目に適い奥義を伝授されたあの日―――
そのあまりの威力と理不尽ぶりは男をして総身を震わせた。
力に対する恐怖というよりも、その力がもたらす自身の変化に対する恐れから。
えもいわれぬ不安感。 自身の培ってきた戦い。 自身の在りよう。
その全てが一変してしまうのではないかという想い。

戦場に生き甲斐を見出す男にとってその槍は、あるいは強力すぎる兵器だったのかも知れない。
強力過ぎる―――丘の黒船であるが故に、周囲が男に求めるものもまた違ってくる。
より効率的に、より犠牲を伴わず、よりラクに、より早急に。
それ事態は悪いことではない……悪いことではないが……

突き詰めれば、それはもはや男の求めた戦ではなくなってしまうのではないか?
無機質で血の通わない、ただ理不尽な殺戮渦巻く、忌み嫌われる対象としての「戦争」しか残らないのではないか?
男の抱くその恐れは奇しくも、遥かなる未来におけるボタン一つで決まってしまう戦い―――騎士の誇りの消失した戦争を幻視させ、恐れさせていたのかも知れない。


――――――

「―――――お前を将に推す準備がある」

ロードが男に、唐突にその言葉を告げる。
つい、と感情の伴わない仕草で向き直る彼。 仕える者と遣う者の視線がまっすぐに交錯する。
それは紛う事なき昇進の言葉なれど、主の口調は祝辞と取るにはあまりにも重く、その心胆に抱く緊張を如実に表したものだった。

「前線を退けと?」

淡々とした口調で男は問い返す。

「お前から戦場を奪うつもりは無い。 それは魚を池から引き揚げる行為に等しいからな。
 だが兵の指揮も戦場においてまた大事な役割の一つだ……お前には馬上から千の兵を率いて――」

「俺がそんなガラじゃないって事は貴方もよく知っている筈です。
 このクーフーリン……死ぬまで戦場を突っ走っているのが性に合っている。」

男がこう答える事は無論、主君にも分かっていた。
彼の異名が示す通り、その気性は断じて指揮に向いているとは言えない。
そもそも後方で腐っている事に耐えられる性格ではない。 だが、それでも―――

「元老達も心配している……今やお前は国の誇り。 
 我らに欠かすことの出来ない英雄だ。 その万が一を考えると、とな。」

「その万が一も我が宿命なれば仕方がありませんな。
 それに俺があまり長生きするとドルイド殿が嘘つき呼ばわりされます。 かの尊名に泥を塗る事になる」

「それは違うぞセタンタ。 吉兆を現す予言ならば謹んで受けようが、不吉なる予言は覆すためにあるものだ。
 占いに出たからとみすみす死なすには、お前の存在は今や大きすぎる。」

槍を手に入れ、まるで宝具に振り回されんともがく様に男の戦いは苛烈さを増していった。
上半身を晒した彼の肉体には夥しい数の傷が刻まれ、突貫不阻にして鉄壁無双の全身に刻まれた傷は百や二百では利くまい。

「ロード」

「ふむ?」

「あの年寄り共は<正しく>は何と言っていましたか?」

それは不意の反撃。 男が横目で覗くような仕草と共に主に問う。
問いに対して問いで返すというのは無礼な事だが主はそれを一切意に介した風もなく、むしろ気まずそうな顔をして思案に耽る。
どうやら急所を突いたようだ。 男の目は悪戯小僧のようにクリクリと動き、困った主の顔をしげしげと見据えていた。

「慎め。 詮索は無用だ」

「――――失礼」

ピシャリと遮る主に頭を下げる戦士。 だが、互いに心を通わせた主従だ。 
男は自身を取り巻く状況、目線、そして主の心尽くしをしかと見抜いていた。

―――匹夫の勇にも程がある
―――あれでは損耗が激しすぎる
―――魔槍の加護を存分に引き出せていない

大方、こんなところ。 机を暖めているだけの老人が言いそうな事だ。
果てはあろう事か、男にこの槍を携えて刺客紛いの真似事をさせようという声まであるらしい。
確かにゲイボルグの必殺性は暗殺兵器として活用すれば、これ以上無い脅威となるだろう。
開戦前に敵の首魁を屠ってしまえば、まあ無駄な戦など起こらないという。
ふざけるなというのだ。 ………自分は、アサシンになどなるつもりはない。

―――このままではあと数年と持つまい
―――まだ無くすには惜しい
―――せめて齢30を超えるまでは軍の象徴として使いまわしたいものだ

………分かり易い象徴。 ………自身らの正義を形作るためのプロパガンダ。
………英雄を旗頭として利用しようという輩はどこにでもいる。
………大抵、そういった奴らは国を平定した後、邪魔になった英雄に毒を盛って、とお決まりの行動をとる。

破天荒で常識破りであるが故に、男の周囲はお世辞にも順風満帆とは言えなかった。 
心無い言葉の数々に晒される事も少なくはない。
戦の残衝をその身に感じ、冷め遣らぬ平原に凪いだ一陣の風が彼の髪を揺らす。

主の「自分を将へ」と推す言葉は、そうした心無い言葉の数々と
槍に対する重圧の板ばさみになっている男の状況を少しでも楽なものにしようという配慮だろう。
むせ返るような血と鉄の匂いは男にとっては日常のもので、これほどに瓦礫と荒野を背景に佇む姿が似合う者もいない。
だがそうと分かっていてもなお、主も男も分かっていたのだ。 「現状」を続ける事の難しさを。

「ロード」

「何だ?」

「俺は戦が好きなんです」

淡々と語られるその言葉。

「戦場―――あの場所で交わされた刃、刻んだ傷、飛び散る火花の一つ一つに意味がある。
 紛う事なき俺たちの生きた証………命そのものだ」

「………」

「無意味なものなど一つもない……俺は、それを大事にしたい。
 剣を持たぬお偉方には分からぬ感情でしょうが。」

「それが戦士の矜持か。 だが、内政に携わる者にそれを説くのは愚昧だぞ?
 彼らは戦で荒れ果てた国を復興させ、栄えさせる事を旨とする物たちだ。
 戦士の誇りと利害被害の大小、どちらに比重を置くかは言うまでもない。」

「…………」

そして戦を数字として捉え、戦士を駒として扱う冷徹な思考もまた国という巨大な組織を担う物達に必要な思考。
分かっている……理解はしている……それでも―――

「雅と誇りを損なった戦……想像も出来ねえな」

ポツリと呟く男。 ただの兵器として宝具を用い、誇りを示す暇さえ与えず、その威容のみで人を屈服させる。
そんな血の通わぬ勝利に意味などあるというのか? 敵はおろか、味方すら納得しないだろう。
そして戦いの後に残るのは無為に散った命と―――100年は絶えぬ怨嗟のみだ。 

宝具の持ち主である男もまた、その槍で既に幾千の命を奪っている。
だが宝具の持ち主だからこそ、彼は槍の使用にあたり決して敵の不意は打たなかった。
名乗りも上げずにソレを打ち込むような卑賤な真似をした事はない。
その使用は自身が真に認めた強敵に対し、尊敬と別離の哀愁を以って、まるで手向けの花を添えるかの様に振るわれた。
この槍がただ己が殺意を充たすだけのモノに成り下がった事などただの一回として無かった。
そんなモノをどうして自分の親友や、知らなかったとはいえ息子にまで放てようか?
そして万が一、必殺である一撃を繰り出して相手が凌ぐような事があれば、男はみっともなく追撃はしないであろう。
それは「一撃必殺」の槍の銘を自ら汚す行為であるのだから。
それはゲッシュと同様、男が自身に科した様々な身上―――宝具を振るうにあたっての訓戒だ。

所詮は戦の機微。
万人が集い、万の思考が織り成す戦争において一人の思慮を鑑みてくれる要素など無い。
訓戒を頑なに守りながらに戦う彼を容赦なく襲う白刃の雨。 それは男の体を幾度となく切り裂いた事だろう。
だが、それでも男はその身上に従って戦い続けてきた。
確かにそれは他人の目から見て武装の出し渋りに写ってしまうかもしれない。
勝つ事を第一に考える者から見れば、さぞや愚かな行為に映るだろう。 
それでも―――――――――

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最終更新:2010年08月02日 12:41