「一剣は二刀に勝てずとこの国の碩学は言っていたが、二刀は二剣に優るか、試してみるか?」
再び、士郎の姿が消失する。
同時に、ギルガメッシュの手になる剣が左右に振りぬかれた。
両手の剣を広げたその姿勢は、まさに翼を広げた鳳凰の如き威容。
ざっ、と砂地を蹴って二度三度と転び、士郎は態勢を立て直す。
ギルガメッシュとの距離は最初と同じ程度に広がった。おおよそ十メートル。
「避けたか」
と出された声は、しかし揶揄するかのようですらあった。
――今の程度のことは、できて当たり前だぞ?
と言外に言われたかのようだ。
「今のは――」
美由希は神速をかけた己の視界の中で、それをはっきりと目撃した。
迎撃のために打ち振られたギルガメッシュの剣を、必死に制動をかけて逆方向に跳躍して回避した父の姿を。
それが意味していることは多くない。
ギルガメッシュは士郎の神速に対応して剣を振って、それを士郎は飛びのくことでしか受けられなかったという事実は。
「もしかして……」
「速いな」
「恭ちゃん」
「しかも、親父の動きに合わせている――」
恭也が口にした。ひどく重々しい呟きだった。
そして、その内容はより重要だった。
「親父の神速に対応できているのか」
それは――
それでも何か納得いかないことがあるようで、恭也は眉を寄せながら目を細めていた。
◆ ◆ ◆
高町士郎は中段に構えた二刀のそれぞれの刀身に目を走らせてから、今度はゆっくりと間合いを詰めていく。
ギルガメッシュは悠然と立ったままにその接近を待っていた。
神速は肉体に多大な負担を強いる技法であり、そう何度も使えるものではない。ただ処理速度をあげて観ているというだけならまだしも、筋力を引き出すのは御神最高の剣士である高町士郎をして限度があるのだ。
そして、武器の方にも不安がある。
御神流に伝えられる八景はいかなる鍛造になるものかは不明ではあるが、通常の刀よりも黒く重く硬く造られている――だが、それとてもギルガメッシュの手になる神剣を前にしては見劣りする。
閲した月日によって積み重ねられた八景の風格も、天之羽々斬と天之叢雲剣の霊威に到底及びつくものではなかったのだ。
(全力で打ち合えば五合ともたないかな……)
剣士としての直感で、士郎はそれを悟っている。
無論のこと、それは互いの全力をもってしての相気(合気)の状態をさしてであるが――
二剣をぶらさげるようにしているギルガメッシュの目は、全てを見通しているかのように思えた。
士郎は呼吸を整えながら、左手を前にだし、右手を担ぐように構える。
(この一撃が通じないようだったら……)
ドクン、と心臓が高鳴った。
御神流に限らず、相手の技量、風格を看破するための眼力――目付けは剣術において重視されている。
相手の実力を見損なえば、即ち死が待つ。それだけに、鍛え抜かれて生き延びた達人と呼ばれる者の目付けは、時に異能じみた正確さを以って相手の戦力を把握しえる。
まして、数多の戦場を生き抜いた士郎の目付けに、間違いなどあろうはずがなく……。
しかし、その士郎からしても、目の前のギルガメッシュの剣風は理解し難い。
二剣を持つギルガメッシュの肉体には、何処にも筋肉の緊張というものを感じないのだ。
高町士郎という剣客を前にして、この状態は異常といえた。
いかなる使い手、人物であろうと、命の危機を目前にしては落ち着けるはずもないのだ。刃を向けられれば自然と筋肉はこわばり、呼吸は乱れる。
その様子がまるでこの男からは感じられない。
それは、すでに死を当然のものとして受け入れている悟入の境地に達しているのか――
高町士郎になど、まったくなんの脅威も感じていないのか。
恐らく、と前置きをする必要もなく後者であることは解っている。少なくとも、それだけの力はある。高町士郎の必殺の斬撃を二撃までも受け切って、なおかつ反撃をすることのできる達人ならば、自信を持って当然だ。
だが――
何か、違和感を感じた。
どういっていいのか、うまく言えないが。
(一剣は二刀に勝てず……は、確か林羅山が宮本武蔵の肖像画につけた讃辞だったか)
だとすると、二天一流か――と反射的に連想できるが、士郎が知る限りの二天一流の剣客とは風格が異なる。それに、二天一流は大刀小刀の二刀であって、大剣の二本ではない。
日本の武道では現在伝承のあるものでいえば大東流が大刀二本を使い、沖縄の御殿手もまた大刀二本の技があるが――
それらとも、やはり違う。
だとするのなら中国剣術か西洋剣術かだが。
(どれとも違う)
ギルガメッシュという男からは、士郎の知る限りの既存の技術の匂いを感じなかった。
あるいはその名の通りに太古のウルクの豪剣を使うというのか……。
それも何か違うような気がした。
この男からは、武術使いとしての匂いをまったく感じない――
「………………ッッ」
思考はあり得ない答えに到達しかけた。理性が拒絶した。あり得ない。本能が告げる。あり得る。剣士としての経験、技量は「だからどうした」と言った。
相手がなんだろうと、ことここにきて引けるわけがない――!
思考が加速する。
間合まであと二センチというところで旋回しつつ薙旋の形に持ち込んでギルガメッシュの動きを誘導しながら神速を重ねがけて急加速で貫を繰り出して受けられた瞬間に雷徹をかけ衝撃を叩き込んで動きを止めてから、
モノクロの景色の中で、最初の目論見どおりに知ろうが動けたのは薙旋を仕掛けたところまでだった。
御神流 奥技之六 薙旋・改――本来の薙旋は右の抜刀から仕掛ける技であるが、士郎は抜刀を省き、相手の前で一回転することによって抜きつけの形から開始させる。
そこからの四連撃は常人には視認することすらできず、達人であっても対応するのは難しいと思われた。
ギルガメッシュの二剣は下段から撥ね上がる。
右の天之叢雲剣を上に。
左の天之羽々斬を横に。
十字を描くかのように繰り出された、神剣の双撃!
天之叢雲剣は初撃を受け、天之羽々斬は二撃目を撥ね返す。
そこまでは士郎も読んでいた。そこまではされると士郎も考えていた。
三撃目は薙旋の形から外した。本来あり得ぬ動き。急激な制動が体にかかる。負荷が関節を軋ませ、筋肉に悲鳴を上げさせた。血液が偏った。視界がブラックアウトした。
それでも。
刻み込まれた剣士としての動きは貫を、
――仕掛けようとした寸前に、頭上から襲い掛かる双剣を見た。
両手を振り上げて、落とす。
単純極まりない動作だ。
単純極まりない打ち込みだ。
だが、その速さは人間の――いや、御神流の神速をも上回っている!
高町士郎は、背筋を駆け抜ける死神を確かに見た。
◆ ◆ ◆
「父さん………ッ!」
叫び、駆け出そうとした美由希を恭也はかろうじて押さえ込めた。
神速をかけて飛び出そうとしていたのだが、それも彼の神速でどうにかなった。そして、美由希が「離して!」と言う前に戦況はまた変化していた。
「ほう」
とギルガメッシュが、何処か揶揄するような口ぶりをしたのを、二人は聞いた。
「今のを、かわせたか」
「……………なんとか」
打ち下ろされた二剣を、士郎は最初のように受けることなどはせずに必死とも言える機動で後方に飛びのいて回避した――らしい。
御神の剣士たる二人にも、どのような攻防が今の瞬間にあったのかは不明瞭だった。二人が見たのは、振り上げられた二つの剣の軌跡の中に、父がいたということだけである。
士郎は今の瞬間、限界を超えた神速を己にかけたのだろう。
荒い息を吐きながら、十メートルという距離を置いてギルガメッシュを見ている。何処か目の前に断崖があるかのような目で対峙している。
美由希も、恭也でさえも父のこのような様子を初めて見た。
「恭ちゃん……ダメだよ……これは、ダメだよ……」
腕の中で、義妹が唸るように呟いていた。何かを言おうとして、上手く言えないのだと解っていた。何を言おうとしているのかも、恭也には解っていた。
(あの、ギルさんは――)
御神流の神速を、目で見て、そして、打ち込まれてから反応して迎撃している――
武術とは、突き詰めればいかにして相手より先に自分の攻撃を当てる、効かせるということに尽きる。ただそれだけのことに、先人は何千年もの月日を費やしたのだ。
筋力を鍛え、集中力を高め、技術を練り上げ。
御神流も、その中でもっとも重要な技法である神速も、人類の歴史が始まって以来、数多と生まれた「先に効かせる」ための戦闘技術の中のひとつでしかない。
集中力を高めて感覚と運動能力と高めるというそれは、難しくはあってもシンプルな方である。
恐らく、もっとも古い時代の戦士たちがしていたものに近い。
時代が下れば、当然のようにそれに対する返し技、速力に頼らず相手を迎撃する方法、技法が研鑽された。
要は相手の攻撃より先に相手を打てればよい――パラダイムシフトとも言うべき思考の変換は、鍛えてその限度に達せども、到底及ばぬ獣たち、あるいは老いることによる体力の低下という厳然たる事実を克服するために生まれたものとも思える。
結果として生まれたのが、自然体に立ち、相手の攻撃を捌くといういわゆる達人の技だ。
なぜ、自然体で速力に頼らずに相手に応じ切れるのか、このことに関しては、美由希と恭也の二人と同世代の剣客である藤村大河が、「先をとること」と、この時代から何十年か後に表現して述べている。
あるインタビューによると、
『(前略)結局ね、武道ってのは先をとることに終始しちゃうのね。
先手必勝っていうと言葉として軽いけどね。相手より先に動き出しているに越したこたぁないのよ。
後の先とかだって同じだよお。あれは相手の動きを先に見極めちゃうからかわしざまにぱーんと決められるのね。
自然体とかよく言うでしょ。あれが最も人間として自然な状態だっていうでしょ。
ちょっと違うんだなあ。人間、本当に集中してリラックスすると、前屈姿勢とかとるのね。自然体はならないの。
うーんと、あのねー、自然体ってのは、あれはね、まさに「先を取っている」状態なのよ。
向こうが打とうとしているところで、こっちはすでに動いている途中なの。
あれはね、「歩いて」る途中なのだ。自分が常に動いてる途中の中での一点なのだよ、解ったかねワトスンくんっ。(後略)』
と彼女は答えている。
……しかし、彼女の定義でいう「自然体」では、ギルガメッシュはなかった。
それは明らかだった。
ただ、突っ立っている。
それは自然体とは言わない。
そういうのは棒立ちというのだ。
(父さんの動きを見極めて動いてるんじゃない。動いてから、反射神経だけで捌いている――)
藤村大河のいう「見極める」ということは、相手の動きの予備動作、気配を察するということだった。
いかなる生物だろうと達人だろうと、動き出す前に筋肉の弛緩、緊張がある。重心の動きがある。それらを察せないようにするのも技であり、それらを察するのも術であった。
一流のボクサー、剣客は、反射神経などよりもそれらをもって相手に応ずる。なぜならば、同じく一流のアスリート、戦士の動きは人間の反射神経を凌駕したところにあるからだ。
御神の剣士が往時において不敗の戦歴を築き得たのは、そのような基礎的な生物としてのステージを一時的にも神速によって高められたからである。
ギルガメッシュのそれは、神速に似ていて、自然体に似ていて、まったく違っている。
彼は特別な技法を用いてもおらず――
神速に反応して、同等の速度で捌いている。
それは、言うならば生物としての地力の違いがもたらす速力の差だ。
もっと単純にいうのなら、もっと解りやすくいうのなら。
ギルガメッシュという人は、人間以上の生物だということだった。
神速程度の工夫では及ばない、身体能力の差が彼と通常の人間にはあるのだ。
そうとしか思えなかった。
どくん、
と心臓が鳴った。
思考がそこまで至って、結論が間近にまできて、ようやく恭也はあえて遠ざけていた答えが見えた。
結論とは、御神流の剣士では、人間ではアレには勝てないということであり。
答えとは、挑んだ父は敗北して死ぬということだった。
そんなことは――
(解っていたことだろう、高町恭也)
羽交い絞めにしている義妹に、恭也は嘆くように囁きかけた。
「信じるんだ」
目の前で息を整えながら、勝てぬ死の壁へと歩いていく父を。
御神の剣士を。
高町士郎を。
「負けるものか。親父が、父さんが、家族のために戦いに出て、負けるはずなんかあるはずがない――」
◆ ◆ ◆
「存外、しぶといな」
聞こえる。
「ふん。生き汚いのは雑種の常とは言え、まだそのざまで我に挑もうと思っているのか」
うるさい。黙れ。
「見所はある方だと思っていたがな。よもや、我の見立てが間違っていたということもあるまい」
ああ、どういう意味だ。何がいいたいんだ。
「少し、教えてやろう。貴様が使うそれは、まだ不完全だ」
……………。
「肉体の枷を脳の方から外すというアプローチは、間違ってはおらん」
―――――。
「だが、それではまだ物理的に、人間としての生物の限度に達したという程度でしかない」
それ、は……、
「人間以上のモノと対峙するのならば、生物として人間を超えねばならぬ。最低限の、それが道理だ」
どういう――、
「観ているところが違うのだ。貴様は相手を見ているが、まずその前に自分自身を診なくてはならん」
あ、ああ。
「その脚は、本当に闘いのために最善のカタチをしているのか? 腕は? 内臓の位置はそれでいいのか?」
、、、。。//////____
「異形(バケモノ)になることを恐れるな。怪物(バケモノ)を殺す戦士(バケモノ)こそが、」
。。。。。。。。、、、、、、、、!!!
「英雄に至るための、階(きざはし)の一段目だ」
最終更新:2010年01月28日 17:08