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 ◆ ◆ ◆



 世界は静かだった。

 鞘から抜かれた二刀を抜き放った高町士郎であったが、そのまま彼はぶら下げるようにそれを持ち、無言のままにギルガメッシュと対峙した。黒く染め抜かれた彼の愛刀・八景の刀身は夜に溶けたかのようで、目を凝らさねば何も手にしていないかのようにさえ見えた。
 ギルガメッシュは悠然と右手に持った剣――彼の言に拠るなら草薙之剣――を右肩の上に乗せ、立っていた。
 二人の対峙する距離は十メートルほど。
 この距離を越えて相手を攻め得る技術は、通常の剣術にはまずない。
 相手に致命打を与えようとするのならば、一足一刀の間と呼ばれる場所にまで身をおかねばならない。それは一歩踏み込めば相手を打てる距離ということであり、相手もまた自分を斬れる場所ということである。
 御神流の本義は小太刀である。ならば、その刀身の長さに見合った距離にまで接近する必要があるが――
 美由希は父とギルガメッシュを視界に収められる距離から、思う。
(だけど、御神流には飛び道具がある)
 飛針。
 鋼糸。
 それでも、不意をつかない限りは十メートルという空間を越えて達人レベルの相手に当てるというのは不可能に近い。つい数分前にも美由希が打った鋼糸はギルガメッシュに迎撃されたのだ。
(私の場合は十五メートルあった。完璧なタイミングだと思っていたけど、あるいは風を裂く音が生じていたのかもしれない)
 自分には聞き取れなかったが、そうでもなければあの機において迎撃されるというのは考えにくい。それが彼女の経験と知識に及ぶ限りでのその現象の解釈だった。他に考えようはなかった。
(心か、神速に近い集中力の高め方をしているのだとしたのなら、それができても不思議ではない――)
 人間の構造は世界中何処にいっても大差はない。それならば、もしかしたら何処かで御神流に近い集中力の高め方をしている流派もあるかもしれないし、技術体系とまではしていなくとも、そのような技を実戦の合間に掴み取る者もいておかしくはない。
 美由希はそのように考えた。重ねて言うが、それは彼女の経験と知識の及ぶ限りでの判断であり、それは同時に彼女の限界を示している。

 御神流と同様にしてそれ以上の技術があるなどとは、彼女には想像できないでいた。

 最上の剣術と、それを使う歴代において最高といわれてさえいる剣士の組み合わせは、考え得る限り最強という他はない。
 漫画のような最強無敵の具現――それが、高町美由希の中での高町士郎の評価だ。あるいは願望というべきかもしれない。だが、それを妄想と断じ切れる者もまた、士郎の力を知る者の中にはいまい。
 高町士郎という剣士は、それほどの存在なのだ。
 その最強に挑まれた者は、「ふん」といやみな笑みを浮かべた。悔しいほどに絵になる笑顔でもあった。

「我を殺すと、そうほざいたか」
「はい」

 士郎の答えは即座に返った。微塵の迷いもない声だった。
 ギルガメッシュは、それでも表情を変えなかった。

「呆れ果てたものよ。当世では多少とものを知れている部類と思っていたが、それは我の買い被りであったか。――我と知りながら刃を向けるなど、そのような不敬な者などは我の時代にはいなかったぞ。我の王気も感じ取れぬほどの愚昧など、盲人にもおらなんだ」
「はい」
「偶さか己の力も図れぬ身の程知らずと会うこともあったが、そのような者とて我の一瞥を浴びれば不明を詫びて自害したものだ」

 常識で考えるとありえない言葉であったが、その全てが真実なのだと、どうしてかここにいる者に伝わっていた。
 この男の言っていることは紛れもない事実であると。
 ギルガメッシュはそこまで言ってから。

「――いや、一人だけいたか」

 微かに目を細める。
 誰かを思い浮かべているのか、美由希には心当たりがあったがその名前を口にするのは憚られた。自分が如き卑小の存在がその名を呼んではいけないと、素直に思った。一瞬だが、彼が何かとても大切で尊いものを想いうかべているような気がしたのだ。

 その瞬間が過ぎた後に。


「我の名を知り、我を前にして、なお殺すとほざくか――」

 ぞわり、と世界が揺れた。
 それは足元から背筋まで駆け抜けた怖気によってであったが、美由希と恭也はそう思わなかった。この男の怒気によって世界が揺れたのだと思った。それはつい先ほどにも感じたものであり、より強烈なものでもあった。
 そして答えた士郎は、

「はい」

 強く、そして静かな声だった。
 鋭く、そして柔らかな声だった。

「つくづく、現世の者の度し難きことよ……此方に戻ってより我と知りながら挑むのは貴様が二人目だが、一人目はそれ相応の器を見せた。貴様はそれにも到底及ばぬ」

 ギルガメッシュは怒気を発するままに笑みを深める。

「我の手ずから殺す価値もない――と言って理解できるようならば、我の前に立つこともあるまい。貴様は我に挑むということがいかなる意味を持っているのか、そのようなことすらも解っておらぬ」
「死は覚悟の上です。――我が身も剣士ならば」

 するり、と士郎は歩き出した。
 一歩一歩、何かを確かめるように。
 夜の空の下、砂浜の上を。
 歩いていく。

 それは何処か殉教のために死地へと向かう聖者の如きものに見えて――

「はっ」

 とギルガメッシュは吐き捨てた。

「貴様程度が剣士を名乗るか! 我の時代なら棒も触れぬわ! 身の程をしれ!――よい。遊んでつかわそう」

 かかってこい、と言ったのか否か、それは美由希には解らなかった。
 ギルガメッシュが何かを発そうとした時、士郎の姿は消失したのだ!

(神速――!)

 美由希の視界がモノクロになった。視覚情報に全ての感覚が集約され、その上で不必要な情報はカットされたのだ。脳の処理速度は通常の十数倍に至り、一秒は十数倍にまで引き延ばされた。この状態では肉体もその枷を外され、あり得ない速度での移動を可能とする。
 これこそが御神流の奥義之歩法・神速――。
 御神の剣士を最強たらしめるそれは美由希にも恭也にも可能とするところだが、士郎のそれは二人のそれをなお上回っていた。
 消えたと思った瞬間には、士郎はコマ落としをかけたかの如くギルガメッシュに接近していた。
 空間を乗り越えたそれは瞬間移動にも似ている。
 いかなる技がそれを成し得たのか、二人の間には砂煙もあがらなかった。
 ――砂地に足跡すら残さぬ御神流の運足!
 夜の中にあっては、その影すら見出すことは誰にもできないはずだ。
 はずだった。


 鋼を打ち鳴らす音は三度――常人にはほとんど一度としか聞こえなかったそれを、はっきりと二人の御神の剣士は聞き分けた。

 一度目は左の小太刀を草薙之剣で打ち払った音で。
 二度目は右の小太刀を別の長剣で打ち払った音だ。

 そして三度目は――

 頭上に掲げた二剣をもって同時に振り下ろしたギルガメッシュの剣撃を、士郎が二刀を重ねて迎撃した音だった。

 ざくり、と音を立てて四メートルほどの距離を置いて着地した士郎は、再び消え
 ――る前に、眼前にまで迫っていた剣を叩き落す。

「なんで!?」

 美由希が思わず叫んだのは、その投じられた剣の速度ではなく。
 それが左右の剣の両方だったからでもなく。

 高町士郎という剣客が打ち落とすことしかできなくて、その場に立ち尽くしたからだった。

「体勢を崩された」

 無言のままに戦いを見つめていた恭也が、やっと口を挟む。
 しかし、それは美由希にも解っていたことだった。それだからこそ士郎は移動できなかったのだ。
 だが、それは二人にしてみれば滅多に起こりえることではない。

 武道に限らず、運動を能くする者は筋力の量だの反射神経だけではなくて、バランス感覚に長けていることが重要である。
 重心の位置を定め、移動させ、ようやく打撃力を発揮したり高速での歩法が可能となる。
 人間の体は複数の筋肉と骨によって構成されているのだが、それはつまり複数もの筋肉が作り出すエネルギーのベクトルが常に体の中で働いていることを意味していた。
 ゆえにこそ、それぞれの筋肉を発達させる、増量させるということはより精妙なバランス感覚を必要とするのだ。
 特に日本武道はそのバランスのラインを正中線と呼び、強く意識している。
 暗殺の剣とは言え、御神流もその系譜にあり――その継承者たる高町士郎の正中線は生半になく太く、少々の衝撃で崩れるということはあり得ないのだった。
 いかに弾き出されての着地、しかも砂地の上でという悪条件が重なったとは言え、さしたる術理もなく投げられた剣を叩き落した程度のことでそのようなことになるとは、美由希にしてみればまったく信じられぬことだ。
 いや、それよりも。

「駄目だ」

 とギルガメッシュは、右手にいつの間にか持っていた草薙之剣の切尖を士郎に向けた。
 左手にもやはりいつの間にか先ほど投げたはずの長剣がある。
 投げて叩き落されたはずの二本の剣が、それぞれ何事もなかったかのように戻っている。
(なんで……?)
 もはや驚きに声もでない。
 ギルガメッシュは言葉を続けた。

「反応も、速さも、まるで遅い。話にならぬ」
「…………………、なるほど」

 果たして、その言葉をどう受け止めたものなのか、士郎は右手を前に、左手を担ぐ構えをとった。
 ギルガメッシュは笑っている。

「ふむ。まだ懲りぬか。よかろう。幾らでもくるがよい。だが、貴様のそれではそう何度ももたぬぞ? 無銘とはいえ、天之叢雲剣と天之羽々斬となった宝剣だ。せいぜいが十合と受けられるかどうか」

 その言葉に「ハハキリ?」と声を出したのは、恭也だった。何処から取り出したのかも解らぬということ以上に、その剣の銘の方が気になったというのだろうか。

「……須佐之男命が、八岐大蛇を退治した時に使っていた剣よ」

 と美由希は告げた。
 八岐大蛇に関係する剣といえば天之叢雲剣が有名ではあるが、それは大蛇の尾の中より取り出した剣でもある。実際に須佐之男命が使用していたのは天之羽々斬と言われる十拳剣だった。
 彼女はその剣が石上神宮に納められた後に行方知れずになったのだということまで知っていたが、口にしなかった。そこまで言っても大して意味があるとは思えなかったし、恭也にも興味はないだろう。
 どちらにしても、あまり有名ではないが神話の中の剣ではある。
(ギルガメッシュが、草薙之剣と天之羽々斬を装備して戦うとかって、まるでゲームみたいな……)
 思わず、そんなことを考えてしまった。
 だが、それは笑い話にもならない。
 現実だ。
 目の前にある事実なのだ。
 神話の英雄が別の神話の剣を持ち、御神の剣士を圧倒しているのだ!
 いや、圧倒というのはおかしいかも知れない。
 未だ戦いは始まったばかりで、打ち合わせた回数とてまだ三回だ。――三回、おそらくは御神流虎乱の連撃を受けた二撃と、続く士郎の三撃目よりも速く打ち込まれたギルガメッシュの双剣の反撃――それが何を意味しているのか、まだ美由希には解らない。
 解らないふりをしていた。

「さて――」

 とギルガメッシュは神話の剣を諸共に掲げた。

「一剣に二刀は優るとこの国の碩学は言っていたが、二剣に二刀は優るか、試してみるか?」

 再び、士郎の姿が消失する。