◇――――――――――――――――――――――――――――――――――――

































◇――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「………………………」

静かに、自然に瞼が開いた。


時計に目をやる。時間はいつもの起床時間よりだいぶ早い。
にもかかわらず頭の中は非常に冴えていた。最近仕事に打ち込む余りに寝不足がちで、
昨日も深夜頃までパソコンの前で睨み合いを続けてたというのに。
これ程熟睡出来たのは久しぶりだ。

「………………………」

爽快さと煩雑さとが入り混じった頭で忘とするフェイト。



夢を見ていた、気がする。

頬に触れると、僅かに濡れた感触を感じる。どうやら涙を流していたらしい。
夢の内容は、よく憶えていない。その部分だけ持ち去られたように抜け落ちてしまっている。
まあ夢というのは普通憶えていないものだろうが。

けれどとても幸せな夢だった気が、そんな気がした。

「………………………」

不思議な気分だ。
頭は今までにもない程醒めているというのに意識が定まらず、
体には気にも留めないほどだが、けれど僅かに重みを感じる。
矛盾した感覚に未だ夢の中なのかとも疑う。


「ん…………………」

けれど隣にはまぎれもない現実の証。
一〇年来の友人とその義娘は寄り添いあい小さく寝息を立てながら未だ夢の中に落ちている。
その寝顔はとても幸せそうで、眺めているだけで疲れや不安も消えていくようだ。

出勤にも登校にもまだ余裕はある。もうしばらくゆっくり眠らせておいてもいいだろう。


その前に、悪いと思いつつも少し毛布を持ち上げて中を見回す。が、目当ての姿は見当たらない。
確か床に就く前は娘に抱きかかえられていたが…………………




ちりん




背後から、鈴の音ひとつ。振り返った先に机に座る黒い小さな影を見付け、
小さく安堵の息をつく。


「おはよう、レン」

言葉は返って来ない。その代りににゃあ、と小さく鳴き声が届く。
他愛もない僅かなやり取りだが、今はそれだけでも満足だった。
昨日出会った新しい住人との挨拶で、わたしの朝は始まった。







ネコ歩くep03:いいネコはパンダだけだよ!byロリチャイナ




◇――――――――――――――――――――――――――――――――――――

===== 二日目 ======



「んっ…―――――」

身支度を整え、隊舎寮を出て軽く背伸びをする。
ミッドチルダは四季の変化に乏しいが、地球でいうなら秋の半ば頃に相当するだろうか。
頬にあたる冷たい風が、元々冴えていた頭をより覚醒させる。
後ろをついてきたレンも異世界の風に当たりながら体を伸ばしていた。



機動六課に突然迷い込んだ猫の使い魔――レンの存在はあっさりと受け入れられた。

次元漂流者の保護は管理局全体の重大な役目であるし、
元より軍属的な上位関係に縛られず和やかな雰囲気を持つ六課にとっては
素性の知れぬ異邦者に対しても特に不信感を抱くこともなく、若干名を除いてほとんどが快く歓迎している。
その若干一名―――かつてないトラウマを植えつけられたリインは複雑な、
親の仇でも見るかのような表情をしながらぶつぶつと呟いていたが。

とはいえリインとて心から邪険にしてるわけではないだろう。あそこまで警戒心を
むき出しにしてるのは、馴れ初めとしてはおよそ最悪の部類に入る出遭い方をしてしまったが故の結果である。
少し時間を置けば生来の明るさですぐに打ち解けてくれるだろう。そう願いたい。


軽い自己紹介(といっても本人は喋らないのだが)を終え、
その後データ採取も兼ねた身体検査、魔力反応をデータベースに登録し、来客用のIDカードを渡した(ちなみに猫の状態のサイズを考えてリイン用の小型サイズにしてある)。
さすがに地上本部等の別の施設や少し離れた市街地には許可なり付き添いが必要だが、六課の隊舎内ならほぼ自由に行き来出来ることになった。


「今日は随分と早いな、テスタロッサ」

風を感じているところを後ろから声をかけられる。振り向くと
こちらも身支度を整えたシグナムが経っていた。

八神はやてに仕える守護騎士・ヴォルケンリッターの一人であり、
望まぬとはいえかつては敵として、そして今は共に歩む仲間としてしのぎを削る良き好敵手だ。

「うん、なんか、ふっと眼が覚めちゃってね。おはよう、シグナム」
「ああ、おはよう……そちらも早いな。昨夜は寝付けなかったか?」

改めて挨拶を交わす2人。次いでフェイトの足元にいたレンに気付き言葉をかける。

「………………………………」

案の定というべきか、返事は返らず、声をかけたシグナムを見つめている。

「―――――――――」

シグナムもまた視線を逸らさない。言葉など必要ない、
心など目だけで通い合えるわとばかりに見つめ続ける。
烈火の将として誉れ高い女騎士が無言で、膝ほども無い黒猫とひたすら目を合わせ続ける光景は、
なんというか、この上なくシュールなものだ。


そんな見つめ合いに約一分、先に目を離したのはレンだった。
もう目の前の人物に興味は無いのか、そのまま外へと歩き出した。

「―――――む」

口惜しそうに小さく唸るシグナム。無視されたのが残念なのか去っていく背中を
少し寂しそうに眺めているように見える。

「…ごめんなさい、まだあまりここに馴染めていないみたいだから―――」

「いや、そこは気にしていない。目が合った時点で警戒されているのは分かっていたしな」

気にしないと言いながらもその目は去っていく小さな背中を離れない。
余り目にしない姿にフェイトは少し疑問を持つ。

「シグナムって、猫好き?」

本当に何でもなく、ふと考え付いただけの言葉を口にしただけだった。
だがそんな言葉を受けたシグナムの表情が見るからに曇ったのをフェイトは見た。


「……好きという訳ではないが、以前触れ合う機会があってな。少し思い出しただけだ」

懐かしそうに、やや苦々しそうに過去の記憶を省みるシグナム。



「まだお前たちと出会う前の頃だ。主が捨て捨て猫を拾ってきたことがあってな。
しばらく家で飼うことになったのだが、主やヴィータにシャマル、
ザフィーラも懐かれていたが、私だけはどうにも嫌われていてな。
近づくとすぐに離れ、それでも近づけば威嚇され、最悪は引っかかれることもあった。」

その顔は、反抗期を迎えた子供に拒絶され、疎まれ、
それでも子を愛し続ける親のようだった。と、フェイトは後に語る。

「その後里親が見つかって預けられることになっても結局最後まで懐かれることがなかった。
心残りといえば心残りだが、幸せに暮らせているのならそれで―――」



彼女にしてはやや饒舌に話をしたところで目の前の相手が何か含みのある、
というより苦笑に近い笑みをしているのに気が付いた。

「……何が可笑しい。」

ばつが悪そうに不満と気恥ずかしさが入り混じった表情になるシグナム。
本人にしてみれば与えられた役割を満足にこなせず、
最後まで主の役に立てなかったという騎士の面目に関わる事態なのだろうが、
他人が聞けば微笑ましい日常の一幕にしか聞こえない。

「ううん、何でも」

それはフェイトも理解しているためあえて何も言わない。

時代を超えて戦い続けた騎士の無意識の威圧か、それとも生来から猫に疎まれる定めなのか。
だが子猫に遠ざけられながらも、
手に剣でなく、ねこじゃらしやぬいぐるみを取り必死に気を引こうとするこの女傑の姿を想像すると、
やはり笑みがこぼれるのを抑えられない。

「―――――まあ、それよりだ。時間が空いてるというのなら―――」

このまま話を続けても墓穴を掘るだけだと判断したのか、話を強制的に切り上げ、
フェイトに向かい合い、仕舞い込んでいた剣状のペンダント、
即ち自身のデバイスを手に取る。

「朝食前にひと汗かかないか?最近打ち合う機会も無かったろう。」

不敵な笑みと共にかけられたのは試合の誘い。さすがは六課きっての武闘派、
先程のろうはい振りが嘘のように、闘志に満ち溢れている。


自覚はないが、自分もバトルマニアと呼ばれる程に好戦的であるらしい。
早起きをすれど特にする事などなく、仕事を始めるには中途半端な時間だ。
そうして素直に誘いに―――





「あ、ゴメン、レン追わなくちゃ。一人で外出歩いていたら危ないし」

思い出話に花を咲かせている間に黒い影はすっかり姿を消してしまっていたようだ。
闘争心より庇護欲が勝り、申し出を断る。

「テスタロッサ……過保護が過ぎるぞ」

意気込んでいたところから大きく肩を落とすシグナム。
誘いを断られたことにではなく、断った理由の相変わらずさに対して呆れを感じていた。





機動六課において、フェイト・T・テスタロッサの子供への溺愛ぶりは有名である。

彼女の分隊の隊員でもあるエリオ・モンディアルやキャロ・ル・ルシエもまた
彼女がその悲惨な環境から救い出し、心身共に献身的なケアを行い続けていく内に
本当の家族のように感じているし、それは二人も同様である。

それ以外にも孤児院などに度々立ち寄ったり資金援助を行ったり、その活動は数えるときりが無い。
その溺愛ぶりには彼女自身の生い立ち、義兄の結婚、出産等
昔から子供と触れ合う機会が多かったことも影響してるのだが、
それにしてもやはり行き過ぎている気がしなくもない。

最近は1人の騎士、魔導士として独り立ちしつつある2人に安心しつつも
自分の手を離れていくことにどこか寂しさも感じている。
などと親友に愚痴をこぼしていたとか、いないとか。



「……けどレンまだ子供だし、ここの地理も詳しく教えてないし、いきなり飛ばされちゃって不安だろうし、…………」

おろおろとうろたえながら口々に不安をこぼすフェイト。これが戦場で閃光の如く駆ける
管理局屈指のエリート魔導士だと言われたら、首を傾げざるを得ない。

「それならなお好きにさせておくべきだろう。縛り付けていては逆に窮屈だろう」

シグナムにしてみれば四六時中他人に張り付かれていたら骨を休める所ではないと思うが、
母親モードと化したフェイトにはもはや届かない。こうなってはもう試合どころではない。

「……もういい、行け。そんな顔をされてはとても打ち合う気になれん」

「……ごめん。後で埋め合わせするから」

“あの分では暫くは無理だな――――”

走り去る背中を再び眺めながら独り胸中で思うシグナム。その姿を見たものがいたら、何ともいえない哀愁を感じただろう。

「仕方ない…素振りでもしてるか…………」

すっかり萎え切った身を入れ直すべく、ひとりシグナムは呟いた。



◇――――――――――――――――――――――――――――――――――――




第1世界ミッドチルダ。

数多く存在する次元世界でも特に魔法文化が発達した世界。
名の通りミッドチルダ式魔法発祥の地であり、時空管理局、その地上本部が置かれている。


意図的にも実質的にも次元世界の中心となるべく開発されているだけあって
設備は常に最新の物に置き換わり続け、市街地もその恩恵を受け活気に溢れている。
これで魔導士の不足という大問題が無ければ真に世界の中心と名付けられるものだが、
JS事件が終結した今も根本的な解決には至ってないのが現状だ。

復興作業も既に終わり、外見上の戦いの傷跡はすっかり修復されているが、
地上本部において守護神の如く君臨していたレジアス・ゲイズの喪失は予想以上に広く、
未だ市民の間には言い知れぬ不安が漂っている。
そんな不安を覆い隠すように、市街は普段以上の人が集まっている。
街の中に潜む姿のない怪奇から互いを守るように寄りそい合い、街を賑わせている。



「うん、いつ食べてもここのアイスはおいしい~!」

管理局の制服を脱ぎ私服へと身を包んだスバル・ナカジマもまた、
5段重ねという驚異の高さを誇るアイスクリームに舌鼓を打ちながら街の賑わいを楽しんでいた。


「……良くもまあアンタも飽きずに食べるわね、ソレ」

相も変わらぬその食欲に同じく私服のティアナ・ランスターは呆れを越えて感心する他なかった。

スバルとは六課に入るよりも前、訓練校からの腐れ縁だがその食欲が衰えることはない。
確かにこの店のアイスクリームは味も良く値段も良心的ときており
彼女も幾度と付き合わされる内にそれなりに好きになっているが、
さすがに毎日食べていれば飽きが来る。

その食べた量はいったいどこへいっているのだろうかと考え彼女の胸元に目をやり―――
ああ、そこかと一人納得する。


「だって好きなんだも~ん!」

三個めのアイスが胃の中に収まる。このままでは六個目が嚥下されるのは数分も持たないだろう。

「食べるのはいいけどちゃんと周り見てなさいよ、遊びに来たわけじゃないんだから」


ティアナの言う通り、彼女たちはたまの休日に街へと遊びに繰り出したわけではない。
今ミッドチルダを包む謎の噂の数々、及びそれに関連すると思われる被害、
それらの噂の目撃証言が最も多いこの街でこうして私服で見回りを行っている最中だ。

一応現地の局員達も巡回をしているが一応とはいえ今回の捜査を命じられたのは自分たち機動六課の面々だ。

彼女もまたフェイトと同様に自分たちがこの任務に割り当てられたのに疑問と不満を持っていたが、
だからといって不真面目に任務に当たるほど彼女の性根は曲がってはいない。
任務を与えられたからには忠実にこなす。文句や不満はその後に垂れても遅くは無い。


「それにしても驚いたねー、突然フェイトさんが猫を連れてきて」

「ん―――ああ、そうね」

突然振ってきた話題を、だが空返事で応えるティアナ。

「む、何か反応薄いねティア」

ドライな対応に顔をしかめるスバル。ちなみにアイスは既に完食した。

「別に、それほど騒ぎ立てることもないでしょ。次元漂流者の保護は管理局全体の義務だし、
それが使い魔であっても変わらないでしょ」

「……ティアって猫嫌い?」

「好き嫌いの問題じゃないわよ」


昨夜より急に六課に保護されることになったた使い魔、レンだが、
決して言葉を発さず他者とは常に距離を置いており、スバル達からのアプローチにも
そっけなくあしらっていた。
鳥獣と心を通わせられるキャロにはいくらか興味を引いたようだが、
傍らにいた小竜のフリードや、動物形態のザフィーラには警戒態勢を見せており、
逆にリインが目に見えて敵意の視線を送っていたりと
六課の面々との関係は余り友好的とはいえない。
自発的に近づくのは最初の発見者、及び保護を請け負ったフェイト位だ。

まあ。いきなり見知らぬ場所に飛ばされ、見知らぬ人間に囲まれていてはストレスが
溜まっていくのも無理はないだろうが。

そういった経緯でいえば、半年程前に六課に同じように保護され、
今は自分たちの隊長の義娘となった少女と似たところがある。
フェイトの言うところでは“声も似ている”ということらしい。
まだ一言も聞いてない自分たちからすれば頷きようもないことだが。

ティアナは直接対面していないが良い結果は得られないことは想像に難くない。
そのため、この場に慣れるまでは余り刺激せずにそっとしておくべきだと判断していた。
もっとも慣れる程長く居続けるよりも、早々に元のマスターが名乗り出てくるのが望ましい結末だが。


「むむ―――――――――あ、パンダだ」

何やら不満そうな表情を見せるスバルはだったが人混みの先に見つけた物体にすぐさま興味が移った。

指さす方向には、雄々しくも愛くるしい白黒の巨体が家族連れに
奇異の目で見られながらその場で立ち尽くしていた。

デパートかなにかのキャンペーンかのマスコットだろうか、
成人男性よりも大きく、ずんぐりとした体躯。黒と白のみで彩られた模様、
無表情だがどこか不満そうな顔、その額の中心には大きな星印。
細部の違いはあれどその姿はジャイアントパンダ―――の着ぐるみである。
「わー、おっきいなぁ、可愛いなぁ、抱きしめたら気持ちよさそうだなぁ………」

「まったく……はしゃぎ過ぎよ」

「だってパンダだよ?ティアも地球で見たことあるでしょ?すっごく可愛かったじゃん!」

「…………まあ可愛いは可愛いけど……」

その言葉を否定できず口を濁すティアナ。確かにあの動物と出会った時の衝撃は今も忘れがたい。


パンダという動物はミッドチルダではほとんど知られていない。
ティアナたちも自分の上司達の出身世界に遊びに行ったとき、
その世界の動物を間近で観察できる動物園なる遊楽施設で初めて実物と出くわしたのだ。

その世界―――第97管理外世界・地球は呼称の通り、魔法技術が存在しない管理局の管轄外の世界であり、
全く学ばないわけではないが、“そういった世界がある”程度の認識でしかなく
専門書でも読まない限りはない限りはその世界の歴史や文化に関しては余り詳しく知る機会は無い。

故に、初めてその動物を目にした六課の新人はそのあまりの愛くるしさに一瞬にして心を奪われた。
スバルやキャロが喜び勇んで買ったパンダのぬいぐるみ(ミニサイズを)を
妙なプライドが邪魔して買わなかったことを、後になってちょっぴり後悔したのはいまだ内緒だ。



そこまで過去の思い出を回想している中で、ふと小さな、けれど決して見過ごせない疑問が湧く。

「ティア?」

友人の雰囲気が一変したことに戸惑うスバル。その反応を無視してティアナは質問を投げかける。

「ねえスバル、私たちはパンダを見たことがあるわよね」

「え?う、うん」

「けど一般の人はパンダを知らない」

「うん……」

「なのに当たり前のように“パンダ”が噂として流れている。これ、どう思う?」

矢継ぎ早の質問に考え込むスバル。

「えっ……と、知ってる人が噂した……から?」



先の通りパンダという動物はミッドチルダにおいては殆ど知られていない、
いってみればかなりマイナーな生物だ。

件(くだん)の噂のうちの一つ、路地裏を徘徊するパンダの着ぐるみ―――
その目撃件数が最近上昇しつつあるという情報。

だがパンダがいったい何の名称なのか、について正しく知る者はいなかった。
ただ“白と黒の模様の巨大ななにか”程度の曖昧な認識だ。
それがパンダだという名だと―――いったい誰が定義したのか。

事実何人かは、あの着ぐるみの異常さについて薄々感付いているが、
目の前のそれを“パンダ”として認識している者はいない。

ちなみに管理局側は、幸いにしてその生物が唯一生息する世界、地球出身、
もしくは滞在していた者が六課に多くいたため混乱に陥ることはなかった。
恐れるどころかむしろ愛くるしさに満ちた存在、赤子に至っては天使と見紛う程、
と会議において重役たちに真剣に説明してる様は正直滑稽極まりないが、
それ程に“識る者”と“識らない者”との差は歴然だった。

「……やっぱそうなるわよね」

そういう意味でスバルの答えは簡素かつ的確だった。
誰も知らないのなら、知る者が意図して噂を流したと考えるのが妥当だ。
そしてその意図とは―――


「……いずれにしても、アレには立ち退いてもらわないとね」

自分たちの推察の信憑性はともかく、あれ以上アレをこの場に留まらせておくのは
色々と目立つ。視覚的にも、精神的にも。


「あ、でもティア、もう局員きてるみたいだよ」

スバルの言う通り、既に着ぐるみの傍には二名の管理局の制服に身を包んだ男が立っている。
恐らく巡回中の局員だろう。彼らも目の前の物体の危険性を理解しているらしく
なにやら話し込んでいるようだ―――話しているのは局員のみだが。

なにはともあれこれで一件落着、となるか。何らかの事情があり連行されるにせよ、
無罪放免で解放されるにせよ向こうが上手くやってくれる。


その時今まで無表情、無抵抗、無反応を貫いていたパンダが僅かに揺らいだかと思うと、





―――否、揺らいだと認識した時には既に、





目の前の局員が、その丸々とした腕からは想像しようのない速さと力強さが込もった
アッパーによって華麗に宙を舞っていた。

「―――な」
「―――あ!?」

二人の声が重なり合う。日々訓練を重ね、幾度の実戦を経験していた2人だからこそ
まだまともな反応が出来たが、
あまりに突然に起きた事態に、戦い等とは無縁の人々は事態を理解出来ず言葉を失くしていた。


もう一人の男も目の前の状況にしばし呆然としていたが、それでも彼も管理局に属する身、
スバルらに後れを取ったものの一般の人々よりははるかに早く忘我状態から復帰できた。

我に帰ってから男の判断は早かった。暴行犯の抑止か、もしくは同じく周囲を巡回する仲間に救援を求めるか。
目の前の相手は自分の手に負える相手ではない。ならば取るべきは後者の選択。



だが男は後者を選ばなかった。前者すら選ぶこともなかった。
腰に据えた通信機を手に取り緊急のシグナルを伝える。二秒もかからないその行動。
それすら叶わず、代わりに伝わるのは腹部への衝撃。
そのあとの胃液を逆流させる鈍痛を感じることもなく男の意識が断絶される。
自分の鳩尾に腕を突き入れている白黒の悪魔が、彼が見た最後の光景だった。


五秒と掛からずに行われた凶行。初めに宙を飛んだ男が地に落ちた音でようやく、凍りついた街の時間が動きだす。

そして、響く悲鳴。恐怖は瞬く間に周囲へと伝わった。
騒動の元凶は周囲の反応を一瞥すると、踵を返し、
その体躯からは想像も出来ない素早さで近くの路地裏に吸い込まれるように跳びさっていった。


「スバル!」

「分かってる!」

その中で我を見失い逃げ惑うことなく、その役割を瞬時に理解し疾走する二人

スバルは下手人の追跡、ティアナは被害者の安否の確認、及び応援の要請。

取り乱しもせず僅かな応対のみでパートナーと通じ合う姿は、まさに阿吽の呼吸。
長く寝食を共にし、背中を合わせ共に戦い、お互いを理解し信頼し合えた者同士のみに出来る
連携だった。

倒れた局員に駆け寄り容態を診るティアナ。どうやら気絶させられただけであり命に別状は無さそうだ。
負傷もさして深くない。

大の男の意識を鮮やかに刈り取って見せた手腕。一足飛びでおおよそ一〇メートルは
離れた路地裏へ飛び込む脚力。どれを見ても素人に出来る芸当ではない。

スバルの消えた路地裏を眺める。彼女の力量は十二分に見知っている。
今し方見た動きをした相手でも決して後れを取るとは思わない。


だがあの着ぐるみの存在には、形容し難い違和感が感じられた。
今まで戦った敵のような威圧感や強大さとは違う、この世のものではない、
まるで幽霊か何かと相対したかのような得体の知れなさを覚えていた。


近隣の応援が来るまで早くても三,四分。周囲の市民はパニック状態。
それまではスバルの援護に向かうことは許されない。。
動けない焦燥さを感じながら、再び彼女の消えた路地裏を見つめていた。

◇――――――――――――――――――――――――――――――――――――



“追いつけない……!”


追跡を始めて一分弱、進展しない状況にスバルはほぞを噛む。
始めからある程度距離が離れていたとはいえ、既に逃亡者とはかなり引き離されている。
魔力で脚力を強化させ、全力で追跡してるが一向に距離は縮まらない。

対して相手から魔力は感じない。魔導士の類ではなく、何らかの身体強化魔法による
機動力でないのは確かだ。

それでいてこれだけの差。

相手が格別に速いわけではない。あんな着ぐるみを着た状態とは思えないほどキビキビと動いているが、
それでも自分の速力とそう大差はない筈だ。


それを覆すのはあの奇怪な動き。逃亡者は通路ではなく、その両脇にそびえる壁に足を着いていた。

ビルの壁にまるで吸盤でもあるかのように自在に張り付き、
そこから一気に隣のビルへと跳躍する。

垂直に壁を這う姿は蜘蛛のようであり、静止状態から一瞬で最高速で駆ける姿は獣のよう。

おまけに狭い路地裏を縦横無尽に駆け回りこちらをかく乱しているおかげで
何度も姿を見失いそうになる。
重ねて言うが相手は着ぐるみなのだ。しかもパンダの。

あれ程の動きを、何の魔法のサポートも無しに行っているというのか。パンダが。
それとも、自分と同じ、新たに開発された戦闘機人の形だというのか。パンダの。
というかもう人じゃないじゃないか。




陸一面に立ち並ぶパンダの集団が戦場を駆け抜け、銃を構え、剣を携え、砲撃を、
斬撃を放ち、並み居る敵を打ち破っていく。そんな素敵な楽園を想像して―――




「………はっ!」

頭の中に沸いた邪念を叩き出すべく両の頬を思い切り叩き、気持ちを切り替える。
今は任務中、ましてや相手は人二人殴り飛ばした暴漢だ。気を緩める余地などない。


市街からは大分離れた筈だ。ここでなら「力」を行使しても被害はない。
長く続く持久走に幕を下ろすべく常に共にいる「相棒」に手をかける。


「マッハキャリバー、セットアップ!!」

『Standby ready』



「相棒」の名を叫び、それに応える、機械的な―――だが確かな意志が込められた
声。

瞬間、スバルの全身が青い光に包まれる。
光は一瞬。そこから姿を現した少女の姿は、既に戦士と化していた。
白と蒼を基調とした戦衣装、バトルジャケット。
右手には文字通り鋼の拳、リボルバーナックル。
そして両脚には彼女を空へと昇らせる鉄の騎馬、唯一無二の「相棒」―――
インテリジェントデバイス・マッハキャリバー。

これこそ陸戦魔導士スバル・ナカジマとしての戦闘フォーム―――


「ウイングロード!」

間髪入れず呪文を口にした途端、スバルの足元から光の帯が噴出していく。
使用者の意のままに展開され、虚空に道を生み出す帯状魔方陣・ウイングロード。
車輪を唸らせ道が示す先―――前方の着ぐるみへと一気に加速する!


動きこそ人を外れてるが速さ自体は決して大きく逸してはいない。
遮蔽物や高低差のアドヴァンテージから解き放たれ、加えて走行速度が飛躍的に増大したスバルとの差は、
時間が経つにつれみるみる内に縮んでいった。


前を往くのが壁を多角的に跳ね回る球ならば、後を追うのはその球を目指し軌跡を描く彗星。


このまま疾走を続けていれば追い付けるだろうが、この迷路もやがては果てる。
長引かせていては市街へと飛び出しまた凶行を行う可能性もある。

バインド系を習得しておけば手早く捕獲できるのだ、近接戦闘に傾倒してる自分には余り縁が無い。
それをこの場で嘆いても仕様が無いことだ。

故に直接的な打撃で相手を行動不能にさせる。荒々しいが一番確実だろう。
急所に当たらない限りは致命傷には成り得ないし、加えて非殺傷状態なら気絶させる程度で済む。
目を向けずとも背後から迫る脅威を感じ取ったのか、前を駆けるパンダが曲がり角へと姿を消す。
時間をかけてはいられない。次のカーブで勝負を決める。


路地裏で人知れず火花を散らすデッドヒートも終盤を迎え、
スバルは曲がり角へ突入していった。




◇――――――――――――――――――――――――――――――――――――








路地裏を抜けると、そこは一面のネコ畑だった。




「…………………あれ?」

予想の全く外の事態に思考が停止するスバル。


状況が理解できない。

ここは何処なのか。何故自分がこんなとこにいるのか。あのパンダは何処へ行ったのか。
次から次へと疑問が沸き出て行く。


周囲には童話に出てきそうな家々が立ち並び、
遠くにはこれまた御伽噺にでも出てきそうな厳かな城が見える。
空は夕焼けよりなお赤く染まっている。とうか空のみならず景色全てが赤い。
だがなにより、空気というか雰囲気がそんな変化が瑣末に思えるほどに変化していた。


なんて、不幸で不吉で不気味な空間………………!

「ここは……………?」

『現在地、不明。ミッドチルダのどの地区にも該当しません。通信も不可能です』

冷静に現在の状況を告げるマッハキャリバー。だがその言葉の意味するものは重い。


これは転移魔法でも次元震とも違う。前者は何の予兆もなしに、対象の意思を無視して行われるものではないし、
後者は起こすだけでも大事だ。
そしてそれ以外にこんな場所に来た原因が分からない以上、場所を出る手段も思い付かなかった。



「―――――とりあえず、歩こう」

考えていても仕様がない。この場に事態に講ずる策がないなら、探して見つけるだけだ。

とりあえずはあたりにある家に当たってみようか。そう決めて足を動かした矢先に、
妙な耳鳴りを感じた。

「―――――」

何かがこちらに向かって来る。大気を切って空を飛ぶ甲高い音。
飛行魔法などではなく、飛行機なんかが飛べばこんな音がするかも知れない。

『上空より未確認飛空物体確認、接近中』

真上を見上げる。音の主は既に肉眼で姿が確認できる程に近づいてきた。

見る限りは小型の戦闘機、人が乗れるサイズではない。



その姿が、ガションガションと、ここからでも聞こえる程派手な音を鳴らしながら大きく変貌していく。
どこからともなく聞こえてくる壮大なBGMは幻聴なのだろうか。
そんないつかどこかのアニメで見たような変形シーンを終え
スバルの目の前に降り立ったのは果たして鉄(くろがね)の戦士ではなく、



およそ鉄の香りとは無縁の、華奢な体付きの少女であった。



人工的な色を帯びた紫の髪、白いというより色のない肌。首や手首にはコードらしき端子が覗いてる。
時折鳴る歯車とゼンマイのねじれる音の奇妙で雑多な合唱、
なにより今しがた見せた奇天烈な登場シーンの始終が、目の前のソレが人にあらざるものだと明確に語っている。


身に纏う服装はロングのスカート、控えめなフリルで飾られた白エプロンに赤いリボン、
そして頭には白いホワイトブリム、つまりはカチューシャ――――

豪邸等で使用人が着る給仕服、所謂メイド服という奴である。




「…わー………」

正直、この怒涛の展開に付いていけない。

市街で見回り中にパンダの着ぐるみが暴力沙汰を起こして……
追跡してたらいつの間にか不思議の国にいて……
途方に暮れていたら突然空からメイドロボが降ってきて……

『ピピ、侵入者発見。排除シマス』


その細腕には不釣合いな、ましてやメイドになど言うまでもなく似合わない
黒光りする質量兵器(ロッケトランチャー)を手に攻撃宣言してきて……



「って、ええ!!?」

ようやく我に返り目の前の状況の危険度に気付くスバル。というかどこからその武器を出したのか。


「ちょ、待って!ストップ!!は、話を聞いて下さい!」

『シカシ断ル』



慌てて制止を求めるが相手は問答無用。釈明不要聞く耳持たず見敵必殺。
機械的で、無機質な声で引き金を引く。



そして―――轟く爆音。地を唸らせる程の衝撃が周囲に響き渡り、天まで届かんとばかりに砂埃が舞い上がる。

それは一つの戦いを告げる、巨大な狼煙のようだった。







戦闘機人と愉快型都市制圧兵器、決して出遭ってはいけない世界の二人。

二つの世界の境界を侵す戦いの火蓋が、ここに切って落とされた。

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最終更新:2009年11月15日 23:54