『痛い 痛い 痛い 痛い』

地下の聖堂。
とっくに退化した喉で、それでも彼らは必死に悲鳴を上げ続けている。

目の前の神父は今まで見せたことの無い、慈愛に満ちた表情を浮かべて、

「お前が望むなら聖杯を与えよう。そうすればこの怨嗟の声も過去に喪った者も全てが救える。万物がお前の願うがままになる」

私の喪った者。
かつて救えなかった母親が脳裏を過ぎる。
それを、望むだけで取り戻せるというのか。

『助けて 助けて 助けて 助けて』

助けを求める生きた死体を救えるというのか。
全てを、やり直せるというのか。

「さあ、お前はどうする。よもや拒んだりはすまい。今ここで首を縦に振るだけであらゆる出来事をやり直すことが出来るのだぞ」
「―――わ、私、は……」

本来なら悩む必要も無い選択肢だ。
一度望めば助けを求める者たちを救えて、私の過去に沈む悲しみもぬぐう事が出来る。

でも、それは―――今まで積み上げてきたものの否定に他ならないのではないのか。

私を親同然に慕ってくれたあの信頼を。
私を家族に迎えてくれたあの想いを。
私を救ってくれたあの暖かい手を。

すべて無かったことにして、本当に良いのだろうか。

『痛いの 痛いの 痛いの 痛いの』

彼らの声が、頭の中で反響している。
見捨てるのか。
自分たちを救えるのに、切り捨てるのかと。

分からない。止めて、私には無理。
こんな重い選択をさせないで、私には選べない。
何がより尊いのか、何がより大切なのか。
選びたくない、だってどちらも大切でどちらも切り捨てて良いもののはずがない。

嫌だ嫌なの誰か助けて私を救って、生き地獄を味わっている彼らを助けて、私の思い出を消さないで、
プレシア母さんもアリシアもリニスも欲しい、ハラオウンの家族も私の子供同然のエリオとキャロも、
私を慕ってくれる仲間達も―――始めて手を差し伸べてくれた大切な親友も否定したくない。

みんなみんな、何もかもが蔑ろにされていいもののはずがない!

「答えを聞こう、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン。汝聖杯を欲するか?」

聖杯を司る神父が言う。
聖者のような慈悲と悪魔のような残酷さを織り交ぜたような表情を浮かべて、選択を求めてくる。

それを

「い……らない―――……そんな奇跡は、望めない……」

まっすぐになど彼らを見られず、震える声で否定した。

「―――なに?」

信じられないといった顔をする言峰。
だってそうだろう。

"自分の勝手な悲しみに、無関係な人間を巻き込んでいい権利は、どこの誰にもありはしない"

やり直すことなんて出来ない。許されない。
人として、決して行ってはいけない事だ。
それに、

"私の、私たちの全ては、まだ始まってもいない。 だから、ホントの自分を始めるために、今までの自分を、終わらせよう"

あの日に始めた本当の自分を、間違いだったなんて思いたくない。

『戻して 戻して 戻して 戻して』

それでも、絶えず耳に届くこの声が辛い。
今までも自分の力が及ばず助けられなかった人達は少なからずいた。
悲しかったけど、自分なりに精一杯やった上での結果だ。

でも今は違う。
明確に選んだ。
他の事を守るために、救わないことを選んだ。
その事実が、重い。

私は人に誇れるような確固たる信念なんて持ち合わせていない。
何も世界中全ての人を救おうなんて思っていない。
ただ、苦しんでいる人が居たら助けてあげたい。
そんな、正常な人間なら誰もが思うであろうことをちっぽけな身なりにこれまで頑張ってきたつもりだ。
誰かを助けられれば笑い、助けられなければ泣く、そんな風に今まで生きてきた。
世界の冷たさも、人の醜さも、その全てを知っているわけも無く、ましてやそれを背負う強さなど持ち合わせていない。

だからこそ、この選択によってかかる重圧は私を責め苛む。

今の私の顔は溢れる涙と抑えられない悲しみでグシャグシャになっていて誰かに見せられるようなものではなく、精神は今にも崩れ落ちて壊れそう。
そして、今後また同じ選択を迫られたら、同じ答えを出せる自信は無い。
自分が弱いことは自覚していたが、やはりこれはこれからも変わりそうにない。

だから、助けてもらおう。
早くこの任務を終わらせて、このまま心が壊れて自分を見失ってしまいそうな私を叱ってもらおう。

家族に、仲間に、親友に。

私を支えてくれている人達に、弱い自分を罵ってもらおう。
駄目なやつだと、思いっきりひっぱたいてもらおう。
そのあとで、優しく抱きしめてもらおう。

「では、お前は……」

「……聖杯なんて、いらない。私は、私を支えてくれる人たちの為に、今までの自分を捨てられない」

発した言葉は、強固な意志など感じさせない弱弱しいものだった。
それでも―――脆弱な精神しか持ち合わせぬ自分が出した、精一杯の強がり(答え)だった。


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最終更新:2008年05月10日 12:49