とある早朝―――

「…………」

宛がわれた宿舎の一室。
備え付けられた簡易パソコンのモニターの前で盛大に突っ伏し、悔恨に苛まれている影があった。
その人物。彼女は決して朝に弱いというわけではない。
激務に次ぐ激務をこなすその脳は長年の経験によって気だるい眠気から意図的に覚醒する術を存分に心得ている。
だからこそ今の彼女の様相は決して寝起きのローテンションによるものではなく――

「何やってるんだろ……私」

その視線の先にある画面上、既に送信済みフォルダに写された
他ならぬ自身の送ったメールによるものである事―――想像に難くなかった。
いや……これをメールと呼んで良いのだろうか?
送信者である高町なのはは朝っぱらから終始、渋い顔でそんな疑問に苛まれ続ける。

―――『from フェイトちゃん』と銘打たれたそのメール

送信先はいわずもがな、この若き教導官の無二の親友にして仕事仲間でもある――
フェイトテスタロッサハラオウンその人宛てにである。

仕事仲間とはいっても、何せ彼女らの従属する組織はとても大きい。
活動範囲も果てしなく広い。
子供の頃と違い共に過ごせる時間などほとんど無いといってもいい。
だからこそ少なくとも週に一回くらいの頻度でメールで近況を報告し合うのが
彼女達の定例事項となっていたのも当然の成り行きだろう。
そして昨日は―――丁度、その定例日だった。

モニターへと向かいPCを起動させる高町なのは。
つい最近「色々」と難題に巻き込まれがちな彼女である。
書く事はいっぱいあった……否、いっぱいいっぱいありすぎた。
なのはは本来、愚痴などを滅多にこぼさない人間である。
そんな事をする暇があるならとにかく壁にぶつかっていく。
ぶつかって全力でそれを壊し、大概の事は落ち込んで欝になる前に解決してしまうのが彼女――高町なのはという人物だ。
だから初めはこの問題も自分の胸のうちにしまっておくつもりだった。

しかして「その問題」とは彼女のような女傑をして頭を抱えたくなるほどに難解で
天を仰ぐほどにどうしようもないもの。
生まれ故郷の地球――自身の所属する管理局にとっては未開の惑星とのみ認知されている
魔法文明の欠片も行き届いていない筈のかの地にて――
一体、今までどこにこんな勢力が存在していたのか?
秘匿に秘匿を重ねる「彼ら」と時空管理局とのファーストコンタクトは
想像を絶するほどに激しく、荒事の連続で幕を開けた。

その局内において現在、最も「彼ら」と接触を多くした魔導士――高町なのはもその一人だった。
「彼ら」と接し、関わり、時には激突した。
その結果、連日ボロ雑巾のように疲れ果て……今に至るというわけだ。
悩みといえば悩みだ。
相談したい事は山のようにある。

自分が振り回されるほどに無謀を繰り返す、正義の味方を目指す少年がいた――
その少年を密かに慕い、悪口を叩きながらも助けて支えるやり手の少女がいた――
神話や逸話で聞いた事のある歴史上の人物の具現化した存在であるサーヴァントとの出会い――
その戦闘力に驚愕し、その生き様に時には涙し、時には憤怒し、時には共感した――

色々な事が一片にありすぎて
箇条書きにしてこうして形にしては見たが――

「これはちょっと……」

本当に色々すぎて自分の頭の中でも整理できていないと改めて思える――
そんな、恐ろしいまでに乱雑な駄文が出来上がっていたのみであった。
しかめっ面で、自分の書いたメールを見据えて唸る教導官。
支離滅裂で的を得ないメール……これを友人に送るわけにはいかないだろう。

「書き直し、かぁ…」

机に突っ伏す高町なのは1等空尉。
今は兎に角、眠い…………
何せ彼女は前述したような事態に連日、現在進行形で巻き込まれているのだ。
極限の疲労は彼女から思考その他を奪い去り、まともに思考する能力さえ奪っていた。

それでも定例日の連絡を怠るというのは、責任感の強い彼女にとっては決して許されない事。
もはや殴り書きの様につらつらと愚痴を並べただけのそのメール。
眠気眼を擦りつつ少し休んだら書き直そうと、PCデスクの上に倒れこむように寄りかかり――
そのままばたんきゅー。
倒れこんだ勢いでリターンキーに偶然、その指がかかり
画面に映った駄文の送信ボタンの、ポチンと鳴る音が……今のなのはの鼓膜に届く事はなかった。


――――――

―――これが現在までの経緯である

高町なのは一生の不覚……

疲れていたり酔っていたりで惰性のまま行動し、決定的なミスをし、素面に戻ってから後悔する。
こういう事は常人ならば実際よくあることだが
この教導官は不摂生という言葉とは最も縁遠い類の人種である。
疲れに任せて迂闊な行動を取るなど本来ならば絶対にないのだが……
やはり相手が気を許しきっている友達であるという油断が、彼女の緊張の糸を切ってしまったのだろうか?
局のエースとして、教鞭を振るう者として、人の上に立つものとして
張り続けた緊張の糸を、伸びきったゴムのような精神を弛緩させる事の出来るほぼ唯一の相手。
異なる道を行き、疎遠となってしまったとある司書長を除けば
彼女にとって気兼ねなく自身の全体重を預けられるのはフェイトだけだったのだ。

(とはいえこれは……やっちゃったかなぁ…)

そう、とはいえこれは―――

「酷過ぎる…」

メールを読み返す度になのはの顔面はゆでダコのように赤くなったり青くなったりと朝から大忙し。
結局朝まで眠ってしまった彼女。書き直して送る時間は今朝はもうない。
すぐに出勤しなければいけない。

(………帰ってきたらすぐに、改めてメールを送ろう…)

未だ自身の迂闊によるダメージから回復できない彼女であったが――
なるべく早くフォローの便りを送る事を胸に秘め
高町なのははパンを口に放り込みながら宿舎を出たのであった。


――――――

…………

「うそ………」

「うそじゃねえ。話はお前の所にも通ってる。
 だから一日、ゆっくりして来いよ。」

…………

―――――舐めていた

親友の事は誰よりもよく知っている自分。
だがそのフットワークの速さを舐めていた。
やはり疲れて思考が働いてないせいか?
親友の行動を読み間違えるなんて普段の彼女からは有り得ない事だ。

今、仕事仲間であり旧知の間柄であるベルカの騎士――
ヴォルケンリッター・鉄槌の騎士に電話で告げられた事実。
それを前にあんぐりと口を開けたまま硬直してしまうなのは。
自分の駄メールを受けて、まだ一日も立っていないというのに
あの友達はまさに電光石火のコネとツテを総動員して、仲間同士のネットワークも利用し
早々に一日だけ――自分と彼女自身の予定を作ってしまったのだ。
あちゃぁ、と空を仰ぐ局有数のエースである。

「でも、そんな突然シフトに穴を空けるなんて……皆に迷惑かけちゃうよ…」

「アタシに言われなくても分かるよな?なのは。
 ヘロヘロな体で無理して任務に当たられる方がよっぽど迷惑なんだってことをよ。」

「まだ大丈夫だよ……摂生はしてるつもりだし。」

「ダチのフォルダに怪しげな怪文書送りつけるのを大丈夫とは言わねー。」

「う、……」

耳まで真っ赤になるなのは。どうやら事情は全て把握されているようだ。
明らかにこちらの分が悪い。

「心配すんな・お前ら、そもそも働きすぎなんだ。
 有給もロクに消化しないまま出ずっぱりだろ?
 上もいい加減、休暇を取らせなきゃって言ってたし……丁度良い機会だって概ね納得してる。」

どうやら既に決まってしまった事らしい。
今や自分が何を言っても後の祭りという事か―――

(…………)

人に迷惑をかけてしまうのはいけないことだ。
管理局は万年人手不足で人員の余裕などどありはしない。
そんな中、とても自分の都合で楽しんでくる気にはなれなかったのだが――

「アタシらと違って生身なんだお前らは。
 ゆっくりして来いよな。疲れを抜く時に抜かないと……どうなるか知らないわけじゃないだろ?」

「……………」

ヴィータの言うとおりだった。
知人に間違いとはいえ、あんなメールを送ってしまう辺り
自分も相当キテるなという自覚はあった。
何よりこれだけ周囲に心配をかけている。
なら――既に決まっている事に下手にごねるのはかえって失礼というものだ。
好意を甘んじて受けるのもまた最善というものだろうから。
電話の相手である少女に、シュンと頭を神妙に垂れて答えるなのはである。

「お言葉に甘えます…」

「おう」

「ごめん。この埋め合わせは必ずするから」

「おう」

両手を拝むように合わせて感謝する高町なのは。
当然、受話器の向こうには見えてない。
そしてこれまた電話越しにパタパタと手を振って答える戦友の騎士。
当然、受話器の向こうには見えてない。

(……温かいな)

この仕事はお世辞にもラクなものではない。
怪我や疲労で危険な目に合う事も少なくない。
でも、それでも自分は幸せ物だと感じる瞬間が確かにある。
フェイトが、皆が、自分のためにここまでしてくれる。こんな場所はそうないだろう。
皆の行為に目頭が熱くなり、つい泣き笑いのような顔になってしまう。

振って沸いた休日ではあるが――
皆が作ってくれた大切な余暇だ。

思う存分羽を伸ばしてくるとしよう。
受話器を置き、颯爽たる気分で廊下を歩く教導官であった。


――――――

そして当日――

まるで自分らを祝福するような、よく晴れた日差しの気持ち良い早朝だった。
軽くスキップ交じりでフェイトとの約束の場所に赴くなのは。
母・桃子が下ろしてくれてより、ほとんど着る機会も無かった
おめかし用の白いワンピースに身を包んでの外出だ。
やはり足取りはとても軽い。

(……………)

しがしながら、心残りが一つ。

――― アレはどうしよう… ―――

そう、アレ。
あのメールである。

寝惚けて送ってしまった良く分からない意味不明の便り。
ほとんどスパムメールと変わらない。
本当に魔が差したとしかいいようがない駄文の下書き。
それを見たフェイトがどう思ったか――考えただけで頭が痛くなる。

会って何て話そう――
どんな顔をして応対したらいいのか――

道中、うーんと頭を抱えて考え込む白い肩の小ぶりの女性。
それは傍から見るとリスみたいでとても愛らしい。

(やっぱりこちらから触れない方が……いいかな)

そんな彼女が道すがらに至った結論がこれである。
正直、忘れてくれればいい――そう思った。
正味な話、今の時点ではまだ「彼ら」の事は口にしたくない。
口に出来るほど確固としたものを何一つ持ち合わせていないのだ。
「彼ら」との邂逅。その異質にして強烈な出来事の連続に
今は自身、ただドロドロになった思考を整理するのでいっぱいいいっぱいなのだから。
だから―――

(……今日はとにかく楽しもう)

せっかく皆が、フェイトが、プロデュースしてくれたのだ。
そんな休日を満喫する事だけを考えよう。
明日からまた真っ直ぐ、へこたれずに飛ぶために――

「フェイトちゃ~ん!」

横断歩道の向こう側に見えた親友フェイトテスタロッサハラオウン。
カジュアルな服に身を包み、車の前でソワソワしながら待っているフェイト。
彼女に対して、疲れや悩みを微塵も感じさせぬ大声で名を呼んだ。
途端、パァッと明るくなる友達の表情――
尻尾があったら犬みたいにパタパタと振って喜びを表現していたに違いない。
そんな様相に苦笑しながら、自分もまた照れ交じりに顔がほころんでいる事を重々に承知しつつ――
なのはは信号が青になった瞬間、親友の下へパタパタと駆けてゆく。

午後には頭の隅に追いやった、件の宿敵と鉢合わせになる事など露知らぬ―――

そんな春うららかな早朝の日差しに
身を任せる親友二人なのであった。


――――――

――何故釣るのか?
――そこに堀が在るからだ

とある偉大なる王の遺した言葉である。

釣りは人と大地と生命の育みとしてもっとも自然な形。
そう断ずる彼は言うまでもなく無類の釣り好きであった。
しかし彼の統治する領土はとても大きくて、当然内陸にいる時はその行為自体を自粛せねばならない。

―――故に作った

シュメールの民を総動員して引かせた人口の水場。
そこに前人未到の魔の海から王自らが捕縛してきた怪魚を解き放ち――
その余暇を王は、有り余る宝具と共に思う存分愉しんだという。

其は現在に残る釣堀の起源とされ―――(


              民明書房刊 「知っているのか遠坂」 第二章三編○○ページ抜粋 


――――――

「いや、ウソでしょそれ……」

「真偽の程は分からん。何せあの通り
 この世の全ては自分が起源と謳って憚らぬ男だからな…」

一日の半分以上――正午をゆうに過ぎ
日が沈む事を告げる黒き御使いが電柱に居を下ろし、甲高い声で歌い始める。

「言えてる。カラスがカァって鳴くのも自分のせいだとか言い出しそうだもんね……あの人」

それを背景にヒソヒソ声で話す白いワンピースの女性、高町なのはと
現世に招聘された錬鉄の英霊アーチャー。

「――――、」

そんな外野のさえずりなどお構い無しに
王が黄金の竿を躍らせるとまたも手元に跳ね上げられる銀の鱗。

―――23HIT

「む……いかん!」

顔を曇らせる弓兵である。
夕刻に差し掛かり制限時間も残り少ない中、ここでの遅れは致命的だ。

―――20HIT

数多の戦場を駆けて不敗――
ただの一度もオケラはなく、今宵も堀の淵にて勝利に酔う
水面を舞う魅惑のルアーが
堀の中しか世を知らぬ田舎者のフナの交感神経を惑わせ、騙し、絡め取る。
猛追を開始するアーチャーもまた、英雄王のすぐ後ろまで来ていた。

先ほどの洗面所で何かあったのか、彼らしからぬ不気味な沈黙を守り続け
どことなく上の空で腕を組んで虚空を見つめるギルガメッシュ。
であったが、王をまくるべく最後のスパートをかける弓兵を嘲笑うかのように相変わらず王の竿は絶好調だ。
その沈鬱なる覇気とは反比例するかのような
もはや竿自体が半永久機関となって勝手に釣り上げているかのような有様。まさに全自動オート仕様。
王が何もしなくとも臣が良しにはからう――なるほど確かに彼は王様だった。

「たぁっ!」

―――6HIT

そんな二人の英霊に追いすがる様にミッドの空の英雄も食い下がる。
来た時は紛う事なき初心者だった。
熟練の者と競い合う事など到底不可能だった。
そんな彼女が今、凄まじい追い上げを見せている。

何故―――ここまでするのか
どうして彼らはこんなにも懸命に――
競い、戦わねばいけないのか――

知れた事。

そう――

そこに堀があるからだ。

此処はアングラー達のパラダイス。
人を正しく狂わせるナニかが確かにある。
貴賤・老若・男女を問わぬ――
「この場」において唯一絶対の法とは即ち――より多く釣る事のみ。

それが出来れば王様だ。
贋作者だろうが20歳超えの魔法少女だろうが、誰だろうが関係ない。

誰も文句をつけぬ覇王―――即ち、キングオブキングスの称号を手にする事となるのだ。


――――――

それは初めての事ではないのだろう。
この地に集うものは皆、腕に覚えのあるものばかり。
そうした者が集まれば自ずと他と腕を競い合いたいと考えるものが出てくる。
だから――きっとそれは初めての光景ではなかった筈だ。

だが、初めになのはとフェイトが場に入った時
彼らの背中に見えたのは深い哀愁――
頂上に座して幾星霜、もはや挑んで来る者もいない、覇者特有の深い孤独に満ち満ちていた。
実際、過去において多くのものが二人に挑んだのだろう。
挑戦者はいずれも腕に自身のある屈強な戦士たちだ。
こんな若造どもに好き勝手させてたまるかと意気込む熟練の老兵もいただろう。
だがその挑戦、その自負は――ただ一つの例外もなく尊厳ごと粉々に砕かれ、いずれも戦場に屍をさらす事となった。
今や常連うちで誰もが知っている。

――― この二人はやばい、と ―――

誰も適わない。
どんな装備を以って挑んでもまるで歯が立たない。
双極に聳え立つ金と赤。
彼らはここの覇者であり――紛う事無き王様だった。

故にそんな彼らに対して当たらず触らず――
遠巻きに見据えてなるべく係わらない事が常連達の暗黙の了解となっていた。
元々、釣り師というものは周囲の雑音など気にならない者の集まりだ。
どこのどいつらがガヤガヤと騒いでいたとしても取るに足らない些事であり
自身の垂らす針に集中できる場さえあれば、彼らは対面で壮絶バトルをしていようが基本、かまわない。

だが―――今日はいつもとは様子が違っていた。
今宵、再びあの金色と赤色に挑まんとする勇者が現れたのだ。
どこの身の程知らずだと一笑に付すべく目を向けると
何とそこには白き衣に身を包んだ一人の女神の姿があった。
空気を、大地を揺らさんばかりの気迫。
緊迫した戦場と化したそのフィールドにて
無敵の龍と最強の虎に対し、天を覆いし桃色の翼持つ空の英雄が挑んでいる。
その熱き戦いをこの目で目撃する事が出来る幸運を前にして
いかにCOOLな彼らとて、その胸に滾る興奮を抑えられるものではないだろう。

―――とまあ、言葉を選んで書いたが
要はこういう場には珍しい毛色の違う美人のお姉ちゃんが
汗だくになって髪を振り乱して奮闘する姿に見惚れる中年オヤジ達の図…
こう言えば早かったかも知れない。

確かに若いワンピースの乙女の瑞々しい姿は、日頃ささくれ立ったおじ様方の目には眼福だろう。
手つきを見るとまだ素人と言っても相違ない。
だが懸命に頑張る姿はとても健気で美しく、連中の胸を打たずにはいられない。

   ああ、俺にもあんな真剣な目をして輝いてた時期があったなぁ――

   ロクに言う事聞かんバカ息子よりもあんな清楚で可憐な娘が欲しかった――

   嫁に、来て欲しい…――

と馬鹿野郎共の念派が飛び交い釣堀全体が異様な熱気に包まれる。
ベンチに腰掛け、あからさまに観戦ムードに入っている者もいた。
結果、そのフィールドは――自ずと周囲の視線を釘付ける場の中心となっていたのだった。


――――――

周りの堀から「姉ちゃんがんばれ!」「負けんじゃねえぞ!」と声援まで飛び交い始めている。
そんな中――

「来た……!」

高まりに高まりを見せる集中力と共に今また
握る手に確かな感触を感じるなのは。

食いつきによる手応え。手の平にかかる重み。
それに対し、強引に行かず。さりとて決して逃がさず――
七度目の当たりを引くべく竿を上げようと後ろに体重をかける。

「……あ、! きゃあっ!?」

だがそこで突然カクンと彼女の膝が落ちた。
そのまま勢いよくすっぽ抜けた竿。
脱力した足はその勢いを支える事叶わず
両足をつんのめらせて――短い悲鳴と共に後ろに尻餅をついてしまう。

「いたたっ………はあ、はあ…」

腰を打ち付けた痛みがジーンと響く。
立ちくらみか筋肉の疲労によるものか?
とにかくすぐに立ち上がろうと手を付くが―――
そこで初めて自身の身が想像以上に消耗している事を認識する彼女。

(あ……、)

尻餅を付いたまま息を呑む教導官。
ぼやけ気味の視界で空を見上げる。

――――汗だくになった全身が重い

太腿辺りにワンピースがへばりついて気持ち悪い………

いつもは―――

(いつもはこうなる前に止めてくれるんだよね…)

そう。

自分が無茶をすると――
自分が限界を超えようとすると――

真っ青になって止めてくれる者がいた。
警鐘を鳴らしてくれるかけがえの無い親友がいた。

だが今は――

「姉ちゃん!頑張んな!」

通りすがりのおじさんが差し入れに缶コーヒーを置いていってくれる。

「あ……どうもありがとうございます。」

古き良き下町の人情溢れる光景だ。
すぐに立って頭を下げようとしたなのは。
だが足に力が入らない……仕方がないので床に座ったまま会釈する。

受け取ったコーヒーをコクコクと一気飲みすると
カラカラに乾いた喉にほろ苦い液体が実によく染み込んでくる。

(かなり……来てるなぁ…)

つまり燃料があっという間に体に染み込むほどに
自分は今、体力を使ってしまっているという事。

見れば周囲の好意と応援の視線がなのはに集まっている。
英雄には多かれ少なかれ人を挽きつけてやまぬ「カリスマ」を有する者が多い。
まだうら若い乙女ではあれど、彼女とてその例外ではない。
周囲の応援や期待が大きければ大きいほど頑張る力が沸いてくるのが彼女、高町なのはである。

だが――今ここにある現状は、他人の後押しなどでは埋まらぬ圧倒的な戦力差。
応援では到底埋まらぬほどのそれ。
横目に見上げると、宿敵の手にまたも黒いフナが釣り上げられる。

こちらが一つ詰めれば相手は二つ突き放す。
これでは―――もはや勝負になる筈も無い。
午前中から気を張り詰め続けた代償で既に体も心も疲労困憊だった。
もともとコンディションは最悪な上、相手は古今最強の英霊なのだ。
奮戦に奮戦を続けるエースオブエースだったが、元々ぶっつけでどうにか出来る相手ではない。
本来の高町なのはは戦いに望む際、常に十分な準備と用意を欠かさない。
日々の鍛錬から事前の対策に至るまで事細かに積み重ね、それによって確実な結果を求めるタイプの人である。
だからこそ分かる。教導という仕事に携わり、嫌というほど学んだ事実――
――出たとこ勝負では超えられない壁がある、という事が。

どんなに試行錯誤を重ね、この短時間で何とか彼らと闘えるレベルにまではなれど――
緒戦は付け焼刃。互角には戦えても超える事は至難。
スキル。地力。経験値。
どう足掻いても向こうに分がある要素ばかり。
気合だけではどうにもならない歴然たる差が彼らとの間にはある。

「駄目……なのかな…」

額の汗を拭いながら彼女はポツリと――彼女らしからぬ言葉を漏らす。

それは紛う事なき敗北を認めてしまう言葉。
不屈のエースが絶対に口にしてはいけないものだ。
だが自身の足元に置かれるクーラーボックスには彼女の健闘の跡を称えるような小さなフナが6匹。
それを嘲笑うかのように相手のサーヴァントのそれには、なのはのゆうに三倍以上の成果が掲げられている。
もはや語るに及ばず、勝負の行方など幼稚園児が見ても明らかであろう。
最初から分かっていた事だった。
勝負などしても返り討ちになる事は明白だった。
勝てる要素などなかった………それでも―――

(勝ちたかったな……)

負けたくなかった。
負けず嫌いというのもあるが、何より「彼ら」に負けたくなかった。
うな垂れたその横顔に浮かぶ悔しげな表情はサイドテールの髪に隠れてよく見えない。
燦々と心地よく照っていたお日様もほとんど陰り、夕暮れにさしかかろうとしていた昨今――なのはは一人、思いに馳せる。

―― 足りないものは………分かっていた ――

もし今日の戦い。
圧倒的不利を覆して自分が勝てる可能性があるとするならばその方法は一つしかない。
そしてその状況を作り出すのは――さして難しくない筈だった。

それは即ち、チームプレイ――
力をあわせるという事――

決して友好的でない両英霊。
故に単騎で交戦する彼らに自分達が対抗するには――

   他のお客さんが応援してくれている。
   期待してくれるのは素直に嬉しい。
   それは少なからず彼女の力になっていただろう。
   確かに皆の期待や歓声を受ければ受けるほどこの高町なのはという人物は強くなる。

だが元より彼らでは役不足なのだ。
例え千の軍勢、万の思いが後押ししてくれたとしても
本来あるべきものが無いのではどうしようもない。
彼らではこの英霊を打破する神風を吹かせるには足りなさすぎる。
それを吹かせられるのは――なのはにとっての勝利の風はいつだってそう――

(フェイトちゃん……)

その役目は彼女を置いて他にはいないのだ――

孤軍奮闘を余儀なくされる高町なのは。
いつもならば最も頼りになる無二の親友。
その協力が、その援護が、未だに無い―――

(…………)

隣を見ると力なくうなだれている金髪の親友がいた。
なのはは唇を噛んで竿に意識を移す。
思い煩い、落ち込んでしまっている友達。
そんな状態のフェイトに無理に戦ってくれなどと言えるなのはではない。

「なのは」

だが――いつものようにこのフェイトがこの親友が隣で支えてくれるなら――

――― 高町なのはは無敵なのに ―――

「………」

「なのは」

「………えっ?」

心の中で呼び続けていた相手。
その声が不意に届き、ばくんと心臓が跳ね上がる。
先ほどから沈黙を守っていた親友が突然声をかけてきたのだ。
素っ頓狂な声を上げてしまい、振り返るも二の句が上手く繋げない教導官。

そんな彼女に――
そんななのはの耳に――

「……………勝ちたい?」

このエースを蘇生させるコトバが――
親友の静かにして力強い声が――

はっきりと響いたのだった。


――――――

タチの悪い二人にラブラブ旅行を邪魔され
血圧低いのに散々心身を磨耗した挙句マジギレ
おまけに愛しのなのはからビンタまでぶち食らい――

まさに踏んだり蹴ったり……散々なフェイトさんである。

もっともなのはのモノならば張り手どころか集束砲だってへっちゃらだ。
むしろ生きる糧になってしまう。
故に最後のはご褒美以外の何物でもないのだが――

だが、アレにより方向性を見失ってしまったのは事実だ。
撤退か、共闘か、和睦か、この複雑に絡み合う戦場にて
フェイトは、己が最善を見失ってしまう。
負の思考のスパイラルとはまさにこういうものか。
考えれば考えるほどに分からなくなってしまう。
どうすればいい…?ゴールに辿り着けない絶望感。
彼女の頭をもたげ、迷走に迷走を重ねる思考がどんどん沈んでいく。
竿を握った金髪の魔道士はもはや思考停止を余儀なくされ、自身を喪失するに至っていた――

(情けない……情けないよ…)

なのはを楽しませる事も癒す事もままならない。
このまま肩を落として成り行きに身を任せているしかないという事実。
この企てに協力してくれた皆に何とお詫びをすればよいのか…

呆と精気の無い顔で辺りを見やると――
いつの間にやら周囲の視線とささやかながらの喧騒が自分らを取り巻いている事に気づく。
釣堀場は今や自分らを中心とした観戦モードになっていたのだ。
それはそうだ。
さっきからあれだけ騒いでいれば嫌がおうにも他人の目を引く。
……彼女にとってはますますありがたくない話だった。
こういった衆目の喧騒からなのはを逃がすためのスポットだというのに――

「もう何から何まで上手く行かない……」

意気消沈する彼女。その口から独りでに言葉が漏れる。

なのはは今、金色と交戦中。
そんなぽつりと漏らした言葉など耳に入るはずもなく――
無意識に出た言葉は誰に宛てたものでも、誰に届くものでもない。
独り言として溶けて消えるだけのものであった。

「フ………」

だがそんな呟きを逆方向から拾ってくるものがいた。

「何を言い出すかと思えば……勘弁してくれよ魔道士。
 終局に至ったこの局面、満を持して出た言葉がそれでは台無しにもほどがある。
 相手をしている我らも報われないというものだぞ?」

言わずと知れた嫌みの英霊アーチャーである。

「頭を垂れ、弱音を吐き、己が無力に苛まれ、自身の努力が徒労に終わった事を嘆く。
 それは既に半生を終えたような抜け殻が今際の際にする事だ。
 自らの意思で剣を取り、戦場に赴いた者の取る態度ではないぞ?」

腕を組みながら竿をくいっくいっと操りつつ、不甲斐無い相手に辛辣な言葉をぶつける弓兵。
その言が熱を帯び、更に、更に続く。

「あまりガッカリさせるな雷神の乙女。結果の伴わぬ努力など何の意味も無い…
 今ここで勝負を投げるという事は己が所業を自ら灰燼と化すに等しい。
 キミに必要な事は膝を折り、我が身の不運を嘆く事ではなかろう?
 現に至るまでキミが歩んできた道を自ら汚すつもりではあるまいな?」

「…………」

「完璧な計画を求めるのはいい。思案に耽るのも結構。
 後先も自身の命すら省みずに突撃していくバカよりは余程、救いようがある。
 だが考えすぎて動けなくなるのでは本末転倒――笑い話にしかならん」

「…………」

いつもの調子で御法説を垂れるその姿は絶好調。
弁舌がしばらくつらつらと並べ立てられ若き魔道士に降り注ぐ。

「心せよ。乾坤一擲山をも穿つ――世を覆う気と言うものはだな……
 脆弱な精神より紡がれた気勢では決して成し得ぬものだ。
 その体たらくでは己が目的を叶えるどころか、周囲の失笑しか買えぬ、と……――――、?」

ふと違和感に気づくサーヴァント。
何だ……?レスポンスが無い…?
―――――妙な雰囲気であった

これだけ言えば反論なり反骨心なり何らかの気配が返って来ても良い筈だ。
怪訝に思い、チラッと横目で相手の魔道士を見ると―――

「……………、なのは……なのは…」

(――が、!?)

人の話をまるで聞いちゃいねえ女がそこにいた。
弓兵が語り出す前と全く同じ顔で
変わらず虚空を見つめたまま、ぶつぶつと何かを口走っているフェイトさん。
ニヒルに決めた顔が盛大に引きつる弓兵である。

「おい……キミ」

「……………」

「おい。フェイト……もしもーし」

「……………」

(な……なん、、だと…!?)

アーチャー驚愕。
含蓄があると定評の自分の言葉をここまでパーフェクトにシカトする者がいるとは――
語り好きにとって最悪にやっかいな返し技は、言わずと知れたスルーである。
ここに来てアーチャーは己がアイデンティティを脅かす最強の敵と遭遇する羽目になった。

(暖簾に腕押しとはな……だが――!)

でも弓さん諦めない。諦めたらそこで試合終了だ。

「都合の悪い物から耳を塞ぎ、困難から逃げ回りながら立ち回るつもりか?キミは。
 幼少の頃に立てた友と同じ空をどこまでも飛んで行くという誓いは偽りだったとでも?」

これは無視出来まい。
何故、自分がなのはの幼少の話を知っているのかという後のフラグをも含んだ取っておきの釣針。
この娘が食いついて来ない筈がない!

「…………」

しかし駄目。不発。
そもそも音声自体が耳に入っていないぞこの娘…

「ええいっ! 何という心の壁だ!
 話を聞いてっ! これはキミの友達の謳い文句であろうが!」

「…………友達」

ピクンとフェイトの肩が震える。
ようし食いついてきた。

「そうだ友達だ!」

「…………なのは」

「そうだなのはだ! キミの唯一無二の親友だ!」

「…………あ、あの鳥……なのはに似てる」

「な、何ぃ――?」

視線を全くこちらへ移す事なく無機質に口をパクパクと動かすフェイト。
まるで蝋人形のようだ。ちょっと、マジで怖い。

「白鷺かな……違うかな。
 白鷺はもっと大きくブァーって飛ぶよね……そうだよね。」

「お、おい……何を言って――」

「うん……じゃあ何だろう。
 うみねこかな? 違うかな。うみねこは…」

(がが、………)

駄目だ。まるで会話が成立しない。
特Sランクの資質と魔力、天才的なセンスを持ち
オールレンジの攻防ではあの高町なのはをすら凌ぐとさえ言われるフェイトテスタロッサハラオウン執務官
しかして戦闘力と半比例するかのようにメンタル面の防御力は紙の盾である。
それはもはや周知の事実ではあったのだが――まさか、まさかこれほどとは。

「ええい! だからと言ってここでベタ降りは無いだろう!
 もっとこう協調性というものをだな――!」

協調性の欠片もない奴がいけしゃあしゃあとのたまっている。
その口調もいつもより半トーンほど上がり、常の理路整然とした口調が大分怪しい。
つまりはとっても必死である。

(むう……まずい。まずいぞ…)

当然、このサーヴァントは単なる親切でこんな事をしているわけではない。
無償で他人に助言を送り、奮起させてやるほどお人よしではないのだ。
この英霊は卓越した弓の腕や磨き抜かれた剣技もさることながら、戦上手で知られたサーヴァント。
故に今の戦況を鑑みてやらねばならぬ事を見定め、行動に移しているに過ぎない。

何故か意気消沈しているとはいえ、目下最大の敵――
英雄王ギルガメッシュがここに至ってやはり頭一つ分、抜き出ているのが現在の状況である。
こちらも追い上げてはいるが、残り時間を考えるにやはり厳しい。
どうにかして奴の独走を止めねば――勝利の行方は誰の目から見ても明らかだ。

「魔道士! あれを見るが良い!」

弓兵が指し示す先――
いつの間にか多くの人間が声援を送り、その中で期待に答えるべく飛ぶ一人の魔道士。
エースオブエース高町なのはの奮闘している姿があった。

「誰もが恐れ屈するであろう英雄王を向こうに回して一歩も引かぬ――
 アレが、あの姿こそ紛う事なきタカマチナノハだろう!
 今更キミに言うまでもない事だと思うがね!」

「……………」

その王の快進撃を止めるために必要な駒。
それはやはりあの不屈の少女――
否、もう齢20になったのか……時が立つのは早いものであるが――
とにかくあのなのはをぶつけるのが最上の選択だと男は睨んだ。
だが―――

「はぁ……はぁ……は、…は、ぁ………」

白い、か細い肩が激しく上下し
荒くなった息使いははっきりとこちらにも伝わってくる。
いかに高町なのはでももはや一人では限界だろう。
明らかに失速した白き翼は風前の灯。
あの圧倒的な黄金の王の頭を抑えるには到底足りない。

故に――男はここで最後の一計を講じる
彼女に、最強の英霊を前に立つこの勇気ある女魔道士に王を追い落とす剣を――

――― 勝利の鍵を送る事にしたのだ ―――

戦が始まってからほとんど稼動していなかったもう一人のSランク魔道士――
彼女の投入によって戦局は一変する。弓兵はそう確信している。
人類最古の宝物。無限の剣製を持つ自分達に匹敵するポテンシャルをこの魔道士は確実に秘めている。
故に真に警戒すべきは本来ならば彼女だったのだが――
序盤から勝負に乗り気でないのか彼女は今の今までほとんどアクションを取ることはなかった。
それはサーヴァントサイドにとっては僥倖なれど―――

―――しかして今は動いてもらわねば困るのだ!

ほぼ明暗の決まりつつある戦場を
彼女は今一度、真っ二つに切り裂く――文字通り雷光の剣となるであろうから

   ――――――なのは…

その剣は今――まどろみの中で己が混濁する意識に溺れながら
それでも弓兵の発する一つの単語にのみ反応していた。
小難しい事を言ってる男の言は、そのほとんどが右耳から左耳状態だったが…

――― なのは ―――

この単語だけが―――彼女の意識を辛うじて覚醒させる。

弓兵の赤黒い指が指し示す先を視線が泳ぎ
必死の形相で汗だくになって戦う親友の姿を認め――

   ああ……
   なのは……
   なのはだ……

そこにはいつも通りのなのはが―――
フェイトのよく知る高町なのはがいた。

英霊たちに感化されているわけでもない。
引き摺られて磨耗し、染まっているわけでもない。
出会った時から変わらないその在り様。
どこまで行っても、どこにいようとなのはは「なのは」を貫く―――
それが彼女――高町なのは。

その身に纏う翼はいつだってそうだった。
皆の期待を一身に背負い、どこまでも高く強く飛んでいくエースオブエース。
高町なのはの―――本質とも呼べる姿。

「見るがいい! 己が友の闘う姿を!
 キミが肩を落とし、目前の敵から目を逸らし、逃げる事を考えている間――ナノハはずっと闘っていたのだ! 
 勝敗など誰の目に見ても明らか。勝ち目など初めから無いにも関わらず…
 それでもいつかは援軍が来る事を信じ続けてな!」


   そうは言っても……
   私無しでも立派にやれてるように見える…

   そうだよね……
   やる事為す事裏目裏目…
   今日の私は本当に役立たずだ…

   今の私が仮に手を出したとしても、なのはのためになるのかな…
   さっきの洗面所の時みたいに、またなのはに迷惑を――


「ええい! これほどの状況に陥ってなお、その重い腰を上げぬのか!?
 そんな事ではキミはいつか彼女を見殺しにするだろう!
 己が無力に苛まれ、彼女の亡骸を前にして生涯後悔する事になる!」

「そんな事にはならないよ」

(――ぬおっ…!?)

今度は突然、ハッキリと答えが返ってくる。
まるで猫のようにぐりんと首だけが動き、こちらに視線を向けるフェイト。
恐ろしいほどに沈んだカミソリのような声――流石のアーチャーも面食らう。
やはりここら辺は彼女の急所――否、逆鱗のようだ。

「これが本当の戦いならば私はなのはを見殺しになんかしない。
 命に変えても敵を倒し、何があっても守って見せる。」

「フ………どうかな? 
 予行演習で満足に動けぬものが本番で上手く立ち回れるとは思えんが…」

「予行演習………?」

「そうだ。予行演習だ」

   予行、本番―――

アーチャーの言った言葉を繰り返し、繰り返し反芻するフェイト。

――見捨てる。助ける。予行演習。本番。

彼女の脳内で次々と単語が浮かんでは消え、ぐるぐると回り続ける。

   見捨てるつもりじゃないのに…
   なのはには笑っていて欲しいのに…

   喜んでいて欲しいのに…
   もっとお話したいのに…

   助けたいのに……そのやり方が分からない…
   何でこんなにバカなんだろう…
   何でこんなに無力なんだろう…

どろどろどろ―――と彼女の気勢が萎えていく。
まるで塩をかけられたナメクジだ。
そのまま消えてしまうのではと思わせるほどにしおしお~と崩れ落ちるフェイトの肢体。

「おおっ!? そちらへっ!? 
 そちらへは行くな! 戻ってくるのだっ!!」

負のオーラに全身を飲み込まれる前に
彼女の両肩を掴み、ぶんぶんと乱暴に揺するアーチャー。
金髪のうなじを支点にフェイトの首がカクンカクンと力なく振られる。

(ど、どうすれば良いのだ……)

これほどの狼狽、これほどの苦戦は数多の戦場を駆け抜けた弓兵をして経験が無い。
何せ彼の周囲にいる女性はあのマスターを初め、炸裂弾みたいなもんばかりだった。
遭えて言うなら間桐桜が彼女に近いが、アレも一皮剥けば姉以上の爆竹だ。
しかし目の前の彼女は『TUNDERE』とも『YANDERE』とも違う
果ての無いブラックホールのようなダウナー系。
皮肉から始まって真理に至る男のやり口ではどう考えてもきつい。
投げても投げ返してこないキャッチボールのようなものだ。
もはやこれまでか……と、ギっと口を紡ぐアーチャーに肩を揺すられながら――
フェイトの視線はただ、ただ、なのはの姿を捉えていた。

   カッコイイなぁ……なのは

それにしてもやはり、ミッドの空に生きる者全てを魅力した白い翼――
エースオブエース高町なのはの戦う姿は見事の一言だった。
見慣れたフェイトですら問答無用で見惚れさせるほどにそれは躍動感に溢れていて
激しく美しく、見ているだけで胸が熱くなるのを禁じえない。
恐らくそれは高町なのはの生まれ持った資質――
初めて会ったギャラリーの心すら掴む、彼女の尽きせぬ魅力の為せる業であろう。

―― 盲目的な信仰が奴を英雄という茨の道に押し上げる ――

あの金色の英霊に言われた言葉がフェイトの頭に過ぎる。
事実、それはフェイトも心の奥底で思い煩っていた事であり
その傷ついた白い翼を畳んで貰おうと考えた時期も確かにあったのだ。

でも―――もうやめようと……
どれだけ口に出そうと思っても
今日だって停戦を促しここから去ろうと考えていたにも関わらず
一生懸命ななのはを、結局自分は止められない。

……どうしようもない―――

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最終更新:2010年11月29日 16:58