時刻は午後五時半。
夕食時を目前にして、台所は騒がしく、かつ、近寄りがたい緊張感に包まれていた。
「……し、士郎さん。卵焼きの味付け、こんなでええ?」
台所の奥。
卵焼きを一切れ差し出した主はやてが、どこかぎこちなく話しかける。
それを衛宮士郎は、
「……ん、問題ない。普段はもう少し甘くするけどな」
これまたぎこちなく返事を返し、すぐに手元の食材を切り出した。
「―――ひっでーな。シャマル、二人一緒に料理させるとか正気かよ?」
座布団の上であぐらをかきながら、ヴィータは忌憚ない意見を述べる。
ヴィータから見ても、主はやてと衛宮士郎はピリピリしているように見えているらしい。
「あの二人、放っといたらますます仲が悪くなるぜ。
んなことわかってるくせに、なんでこんなことさせたんだよ」
対するシャマルは気にしている様子はない。
「どうしてって、ごく自然な流れだったわよ。
お夕飯はどうしようって話になって、はやてちゃんは自分が作る、士郎くんは家主がやるからいいって主張したのよ。
随分と話し合ってたみたいだけど二人とも譲らないから、じゃあ間をとって一緒に作ればいいでしょうって」
「本当にそう言ったのかよ? ……それなら、こうなるかも知れねーけどさ」
一応の納得を得たのか、ヴィータは不承不承といった様でお茶を飲んだ。
気になったこともあり、私からも口を挟む。
「しかしシャマル。間をとるのなら別の誰かに任せてもよかったのではないか?
なぜ衛宮士郎と主はやてを一緒にしたのだ?
あの男の我々に対する愛想のなさは、短い間にもすぐ分かるだろう」
「それはいつもの話よ」
回答はシャマルではなく、その後ろの魔術師からだった。
「元々あんまり器用なやつじゃないし、会って間もないから慣れてないのよ」
遠坂凛の言葉にうなずきながら、シャマルが続ける。
「それに二人とも頑張ってるもの。お互い会えなかった時間を埋めようとしてるし、うまくいくと思ったからお昼を任せたのよ」
「は?―――頑張ってるって、はやてはともかく、アイツもか?」
「? 驚くコトじゃないでしょう。
ヴィータちゃんとなのはちゃんだって最初は敵同士だったけど、今はもうお互いに大事な仲間でしょ。
なら、士郎くんとはやてちゃんだって似たようなものよ」
「え……そりゃ、そうだったけど……」
歯切れの悪いヴィータの態度に、遠坂がスッと指を立てて説明を始める。
「多少分かりづらいけど、よく見ればわかるわ。
ほら、士郎のヤツいつも以上に口数が減ってるでしょ。
そのくせはやてが何か失敗するとすぐ注意をする。あれって、つまり」
「…………ずっと気にかけている、ってことか」
「だがそれをはっきり示して良いか分からず、ぎこちなくよそよそしい……と?」
「で、はやてちゃんもはやてちゃんで薄々それが分かってるから、いつもはしないような失敗をしてる。
はやてちゃんも士郎くんが気になって仕方がないのよ」
「……言われてみりゃそうか。
つまり、二人とも仲良くなりたくてウズウズしてんのに、気恥ずかしくてギクシャクしてんのか」
よくできました、とばかりに頷く遠坂とシャマル。
……確かに、そうなのだろう。
主はやては兄に会える日を楽しみにしていたし、今後とも仲良くしていきたいとも思っている筈だ。
そうでもなければ、わざわざ忙しい中守護騎士全員を会わせようとは思わないだろう。
衛宮士郎という男も、もって回った拒絶をするようには見えない。
接し方を計りかねているだけだというのも間違いではなさそうだ。
「……似てないみたいで、どこかそっくりなのよ、二人とも」
どこか嬉しそうに呟いて、シャマルは台所に視線を移した。
「――――――――」
釣られて台所の様子を窺う。
調理は中ごろに差し掛かっているのか。
主と衛宮は狭い厨房で、肩を並べて思い思いの料理を作っている。
「――――――――」
「――――――――」
二人は口を閉ざしたまま、かたや包丁、かたやおたまを握っている。
……そうして、見ているこっちの方が息苦しくなる沈黙の後。
「なあ」
「あの」
やはり兄妹だからか、同じタイミングで会話を再開した。
「……ええっと、どないしたん?
どっかあかんとことかあった?」
「いや、別に何も。問題ないと思うぞ。
……しいて言えば、かき混ぜすぎない方がいいってだけだ。
そっちこそ、何かあったのか?」
「そ、そか。私からも、特にはあらへんよ」
「――――――む」
「……止まっちまったぞ。これじゃ一生進まねー気がしてきた」
「………………」
否定できないところが恐ろしい。
主はやても、普段はユーモアも交えながら巧く会話を交わしていくのに、どうして今回に限ってああも不自然なのか。
それに衛宮も衛宮だ。
いかに会って間もないとはいえ、隣にいながら主はやての不安な様子に気付けぬとは。
「――――はあ、仕方ないか」
「はやてちゃん」
とうとう見かねたのか、遠坂とシャマルが声をかけた。
「え? ああ、二人ともどないしたん?」
「ちょっといいですか?」
「士郎、少しはやてを借りるわね」
一言断りを入れてから、主を縁側へと連れ出す二人。
こちらもつい、聞き耳をたててしまう。
「遠坂さんもシャマルも、どないしたん?」
「いえ、ちょっとした内緒話がしたかっただけよ」
「内緒話……? ああ、士郎さんには聞かせられへんコト?」
台所の方を見て、そうこぼす主はやて。
「それ。わたしが言いたいのはそれよ」
「?」
「だから士郎への接し方。貴女、士郎の前だと、普段よりずっと遠慮してるでしょ。
ホントは甘えたいクセに無理して取り繕おうとしてるってバレバレよ?」
「え―――ええ?! バレバレって士郎さんに!?」
……む。鎌をかけたような遠坂の言葉に、酷く動揺されている。
「ううん、士郎は気付いてない。どういうわけか、あいつは自分に向けられる好意に対してはすごく鈍感なのよ。
……下手すると、自分はすごく嫌われてると、はやての態度をそのままに受け取っている節もあるわね」
「そ、そんなわけないっ……!
士郎さんが私を邪魔や思うことはあるかも知れへんけど、私は士郎さんと料理作れるんは、その、凄く嬉しいんや。
そもそも、私に兄弟がおって、それも一緒に昼ごはんを作るやなんて、夢にも思ってへんかったし……」
しりすぼみになりながらも、胸のうちを語られる様子は、いつもの主はやてよりも幾分幼く見えた。
「だったら、素直にそう言えばいいのよはやてちゃん。
鈍感な士郎くんでも、面と向かって言えば気が付くわ。そうすれば、はやてちゃんだって」
シャマルはそこで言葉を切った。
『言われなくても、きっと一人で気付ける筈です』と、いいたげに。
「……シャマル?」
「―――ん。とりあえず、ですね。士郎くんに……………」
途中から声を潜め、顔を寄せあった三人。何かを耳打ちしているようだが……
「……ほんまにそうかな……………のことも、急に……」
「ばかね、士郎は……、……なんでしょ…なら、それ以上に………、間違いなく相思相愛……」
「え……そ、そう?」
「そうよ。だから………元々士郎は……てきたんだと……………だから怖がるコトなんて………あいつの為にも………」
「――――――――士郎さんの、為にも」
……三人が何を話したのか、主の中でどんな葛藤があったのかは判らない。
ただ、祈るように手を合わせて思案した後。
「ん。頑張ってみる」
感謝するように、柔らかく微笑んだ。
――――そして、舞台は戻る。
主は皆に目配せをして、むん、と力をいれて台所に向かっていった。
「なんかはやて、緊張してるみてーだけど、お前ら何言ったんだよ?」
「ん? や、あとは彼女の勇気次第よ」
「大丈夫、きっと上手くいくに決まってるから」
「?」
ヴィータの問いかけに答えともつかない言葉を返しながら、座布団に腰を下ろす二人。
改めて台所へと視線を向ける。
「―――お兄ちゃん。このから揚げ、あとは私がやってもええ?」
「ああ、あとは揚げるだけだし任せても良い……って、いま……?」
「じ、じゃあから揚げは私がやっとくから、お兄ちゃん、は、レタスをちぎってて。盛り付けはお願いな」
「あ――――と、それは、いい、けど」
……場が硬直する。
二人はそれきり押し黙ってしまい、張り詰めた緊張は先ほどの比ではない。
「――――――――」
「――――――――」
二人は呼吸を止めて互いを見つめている。
「……あの。やっぱりおかしいかな、お兄ちゃん」
「う――――お、おかしいコトはないぞ。そう呼ばれるとは思わなかったから驚いただけだ」
「……それやったら、その、ええと」
「か、かまわないぞ。呼び方なんて個人の自由だし、俺も、……はやて、と呼んだらいいんだし。
ま、まあ、兄妹でよそよそしいのも変な話だからな。そっちの方がきっと自然だと思うぞ」
まくし立てるように言って、衛宮士郎は顔を背ける。
その顔が赤く染まっていて、困惑を隠しきれていないのは、主にも判った筈だ。
その後の二人の共同作業は、輪をかけてギクシャクした。
お互い失敗ばかりで盛り付けは間違える、から揚げは胡椒まみれにする、麻婆豆腐は鬼のように辛い、
おまけに炊飯器の水量を誤り粥状態という目も当てられない大惨事になってしまった。
それでも主は隙あらば一人で顔をほころばせ、衛宮も満更でもないようだ。
「……まったく。二人とも不器用だよな」
口内を灼く麻婆豆腐を食べながらも、嬉しそうにヴィータは言う。
その意見に無言で同意して、二人が作ったチグハグな料理をありがたく戴いた。
最終更新:2009年04月20日 12:41