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「Lyrical Night16話」(2011/04/15 (金) 22:57:10) の最新版変更点
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第16話 「暴君の剣Ⅰ -Tyrant Sword the First-」
――八日目 PM13:10――
「……以上が事件の概要です」
説明を終え、はやてはブリーフィングルームに集まった隊員達を見渡した。
スターズ。ライトニング。ロングアーチ。
そして機動六課以外の関係部隊の隊長格達。
ブリーフィングルームを埋め尽くすほどの視線が、壇上のはやてに注がれている。
「不明な点があれば仰ってください。解答できる範囲でお答えします」
発言を促すも、聴衆達は口を閉ざしたままだ。
無理もないだろう。
先ほどの説明で伝えた状況は、歴戦の士官達を黙らせるには充分だった。
数日前に高官達へ報告した内容よりも情報は削られていたが、あえて伏せた部分を差し引いても異常過ぎる。
"聖杯"と"サーヴァント"――
未知なる魔導技術の結晶である祭壇と、それによって召喚された人外の戦士。
そんな代物がミッドチルダに解き放たれたのだ。
臨席している現場部隊の指揮官達は、文字通り寿命が縮む思いをしていることだろう。
「八神二佐」
陸士部隊の三佐が声を上げた。
外見は若いが、階級から考えて部隊長クラスのようだ。
「召喚装置……その、聖杯とはロストロギアなのですか。
機動六課は古代遺物管理部隷下で、それもレリック専任の部隊なのでは」
要するに、この案件を機動六課が主導するのは越権行為ではないかと訊ねたいらしい。
こういう疑問は想定の範囲内だ。
はやてはアクセントをできるだけ抑えて、落ち着いた声色を心がけて返答する。
「仰るとおり、聖杯そのものはロストロギアの定義には当てはまりません。
しかし、先日の一件を顧みれば、サーヴァントを維持する魔力源としてレリックが狙われていることは明白です」
「では、初動の聖杯破壊任務に機動六課が当たった理由は?」
容赦ない追求だが、三佐の態度からは悪意や敵意は感じられない。
あくまで健全な意見交換の一環として、疑問点を問い質しているだけなのだろう。
「最も大きな理由は、陸上部隊に出動を要請する時間的な余裕がなかったことです。
当時の状況から考えて、突入があと少し遅ければ、更に多くのサーヴァントを召喚されていたと思われます。
被害を最小限に食い止めるための緊急措置――そう考えて下さい」
三佐は納得した様子で頷いた。
はやては真面目な表情を維持したまま、心の中で胸を撫で下ろす。
毎回のことだが、他部隊との折衝には多大な精神的疲労が付きまとう。
古今東西、陸海空軍はそれぞれ仲が悪いものらしいが、機動六課の立場はとりわけ不安定だ。
元々、六課は様々な裏技を駆使して編成された部隊である。
その上、現在は局外の人間まで雇い入れている――という扱いになっている。
そんなイレギュラーに向けられる視線は温かいものではない。
不当に縄張りを侵されたと誤解されないためにも、細かなことでもしっかり説明する必要があるのだ。
「二佐、私も発言していいですかね」
壮年の士官が軽く片手を挙げる。
さっきの三佐とはまるで雰囲気が違う。
現場からの叩き上げだと一目で分かった。
「実行犯はレリックを狙っていて、ガジェットドローンとの関係も疑われる……
それは理解できますが、今後の対策はどのようにするのですか?
まさか場当たり的に撃退するだけというわけにはいかないでしょう」
この人、わたし達を試しとるな――はやてはそう直感した。
前線部隊で経験を積んできた士官にとって、はやては新品同様の上官だ。
今後の方針すら示せないようでは指揮官失格だと考えているのだろう。
これは佐官として乗り越えなければならないハードルだ。
「対策は二つの方面から行ないたいと考えています。
一つ目は、実行犯と目される次元犯罪者の足取りを捜査すること。
これについては皆さんの捜査能力に頼ることになると思います」
組織というのは不思議なもので、地位や階級が重要視される一方で、経験豊かな古株の影響力も極めて大きい。
恐らく、あの士官は陸士に少なからぬ影響力を持っているはずだ。
はやてがナカジマ三佐を頼りにしているのと同様、多くの上官が彼を信頼しているに違いない。
もしもここで無様を晒せば、機動六課は陸上部隊からの信頼を一気に失うことになる。
「もう一つは、レリック密売組織の徹底的な検挙です。
こちらは主に機動六課が請け負うことになるでしょう」
「と、言うと?」
壮年の士官が発言の続きを促した。
どうやらはやての指針に関心を示したらしい。
まるで、模範解答を知っている教師が生徒の解答を待っているような雰囲気だ。
「空港の一件では、彼らは異様なまでの正確さで、我々の想定を遥かに上回る戦力を投入してきました。
そして、陽動として用意されていた偽の運搬計画には全く反応を示していません。
考えられる原因は……管理局が密売組織の拠点を摘発する以前から、その組織に目をつけていたというところでしょう」
要は、管理局がレリックを『横取り』する形になったということだ。
『目をつけていた』というのが、襲撃対象としてなのか、取引相手としてなのかは分からない。
どちらにせよ、摘発の時点からずっと追跡されていたと考えれば、偽の輸送作戦に引っかからなかったことも頷ける。
……この仮説に弱点があるとすれば、より可能性の高い仮説が存在するということ。
地上本部立案の陽動作戦が漏洩したという、致命的な仮説が。
「第七管理世界で摘発したのは拠点の一つに過ぎず、例の密売組織自体は活動を継続しています。
まずはこの組織の壊滅と、保有するレリックの回収を作戦目標とします。
構成員を逮捕できれば何らかの情報を得られるかもしれません」
はやては壮年の士官から一旦目を離し、周囲を見渡した。
「サーヴァントの弱点は、存在の維持にすら魔力を消耗するというコストの高さです。
その魔力的コストは生身の人間が支払うには莫大過ぎます。
供給源を断てば大きな打撃を与えられるはずです」
情勢は混迷の只中にある。
こんな状況で身内を疑い出したらきりがない。
第一、地上本部の情報漏洩など、それこそ機動六課の権限が及ぶ事案ではないのだ。
それに、既に専門の部署に調査を要請してある。
六課は自分達にできることをすればいい。
「なるほど、実行犯の追跡と魔力源の撲滅を二本柱とする戦略ですか。こいつは忙しくなりそうだ」
壮年の士官は上体を揺すって笑った。
はやての示した方針は、彼が考えていた戦略とおおよそ合致したようだ。
ハードルは越えた――はやての肩から力が抜けた。
これできっと、彼の指揮する部隊ははやての方針に従ってくれる。
「他に質問が無いようなら、部隊の配置を決定したいと思います」
はやては緩みかけた気持ちを引き締め、声を張り上げた。
今はまだ、味方との衝突を回避した段階に過ぎない。
本当の戦いは、まだ始まってすらいないのだ。
――八日目 PM17:51――
「やれやれ、随分長引いたわね」
ブリーフィングルームから程近い、白く清潔な廊下の一角。
遠坂凛は全身に溜まった疲労感を搾り出すように、ぐっと伸びをした。
「時間通りに終わる会議なんて幻や」
「幻だからこそ期待しちゃうのよ」
はやては休憩用のソファーに腰を下ろした。
他部隊とのミーティングは、予定されていた終了時間を二時間もオーバーし、先ほどようやく終了した。
合計五時間以上に及ぶ会議は体力だけでなく精神力も削っていく。
ここ一週間の多忙さも手伝って、はやての疲労はピークに達しつつあった。
「それで、今後のスケジュールはどうなるの?」
「せやな……ここんとこ出撃してなかったし、一週間以内には戦線復帰かな」
疲労を胸の奥に押し込めて、はやては和やかな笑顔を浮かべた。
空港とホテルでの戦闘を最後に、機動六課は戦闘行為に参加していない。
理由は極めて単純。
新隊員を加えた部隊運用の訓練に掛かりきりだったのだ。
スターズに衛宮士郎。
ライトニングにセイバー。
二人とも、近接戦闘を得意とする魔導師と騎士である。
既存のフォーメーションとの相性は悪くないが、それでも調整は必要不可欠。
贅沢を言えば、後一ヶ月はかけたいところだ。
「あなたも大概ワーカーホリックね」
凛が呆れたような態度を見せる。
彼女も書類上はロングアーチの隊員だが、役割はあくまで地球との折衝と情報解析。
他の二人とは異なり、戦闘のコンビネーションを考慮する必要はない。
そういう意味では、あまり忙しさを増やさない人である。
「好きで忙しくなってるわけやないんよ」
「どうだか。たまには休まないと、糸がぷつっと切れちゃうわよ」
「あはは。シャマルにも似たようなこと言われたわ」
尤も、シャマルの場合は凛のような冗談めかした口調ではなく、本気の忠告だったのだが。
ふと時計に目をやると、今まさに午後六時になろうとしているところだった。
「お腹すいた……」
はやての口からシンプルな欲求がこぼれ落ちた。
朝は会議の準備で忙しく、朝食を摂る暇もなかった。
会議の開始までの短い時間に軽食を食べ、後は延々とミーティング。
空腹度を示すメーターがあるなら、針が最低値を振り切りそうな勢いだ。
「それじゃ、何か食べにいこっか」
凛は休憩用ソファーから立ち上がり、ぐっと伸びをした。
赤い服が身体に密着して細身の輪郭が浮き出る。
「ここの食堂でええ?」
「んー、士郎に作ってもらうとか」
「それもええなぁ」
先日、衛宮士郎に振舞われた料理の味を思い返す。
料理を得意とする者にとって、他人の作った美味しい料理は否応なしに興味をそそられる。
ましてや同年代の男の料理とあっては、物珍しさも手伝って関心数割増しである。
"聖杯"の件が一段落したら、今度は自分が作った料理を食べてみてもらおう。
色々苦労をかけてしまったお詫びと、ささやかな対抗心の充足とで一石二鳥だ。
そんなことを考えながら、はやては凛の後を追って立ち上がろうとした。
「――――あれ?」
ぐらり――と。
廊下が歪み、傾いた。
おぼつかない脚で辛うじて踏み止まる。
建物に異変が生じたのではない。身体に異常が生じたのだ。
視界が急激に暗くなっていく。
頭の中身が頭蓋骨の内側を走り回っているかのようだ。
はやては両手で膝を押さえ、平衡感覚が元に戻るのを待った。
「大丈夫、八神さん?」
「……うん、ちょっと立ち眩みしただけや」
顔を上げ、深く息を吸い込んだ。
視界の縁に滲む暗闇が急速に消えていく。
大した症状ではないはずだ。貧血か、もしくは立ち眩みか。
どちらにせよ一過性のものだろう――はやては自分にそう言い聞かせた。
ここからが正念場だというのに、隊長が過労でリタイアなんて笑い話にもならない。
「やっぱり立ちっ放しは疲れるなぁ。座っとったみんなが羨ましいわ」
そもそも、疲労が溜まっているのは自分だけではないはずだ。
未知の敵との戦いを強いられているスターズ分隊とライトニング分隊。
慣れない土地と組織に馴染まなければならない衛宮士郎達。
編成再編を終えたばかりの両分隊を支援するロングアーチの面々。
"聖杯"の全貌を知らされることなく任務に就く陸士部隊。
彼らの苦労を思えば、自分の疲労など軽いものだ。
「それじゃ、遠坂さん。今日は和食がいいって、衛宮君にお願いしといてな」
意識しての行為か、それとも無意識の所作か。
はやてはさり気なく壁に手を突いて、身体の負担を軽くしようとしているようであった。
皮肉なことに――この献身は、八神はやてという少女の心身を想像以上に消耗させていたのだ。
その事実を彼女自身が悟るのは、まだ先のことになる。
――第七管理世界 辺境 現地時間 AM10:15――
山脈を囲む、鬱蒼とした森林地帯。
辺りに人工物の陰はなく、文明の音も聞こえない。
響き渡るのは風が木々を撫ぜる音色と、梢に羽を休める鳥の囀り。
そして雪解け水を含んだ渓流のせせらぎ。
陽光を弾く水面は、さながら砂金を散りばめた玻璃のよう。
清流は水晶よりも澄み渡り、巌の狭間を流れ落ちる様は静謐と呼ぶに相応しい。
まさしく人の手に寄らぬ芸術である。
その流れの只中で、一人の少女が身を清めていた。
積もりたての淡雪よりも白い肌。
望月の光を紡いだ柔らかな髪。
流麗で、しかし情動の欠落した面貌は、まさに彫像。
自然美の懐中にありながら、少女の美しさはまるで埋没していない。
それどころか、この秘境そのものが少女を際立たせるための舞台にすら思えてしまう。
万人が見惚れる美貌と、万人が傅く威容。
相反する要素が矛盾なく内包されている。
ちゃぷりと少女の手が水に沈む。
そうして汲み上げた一掬いの水を、少女は己の顔に打ち掛けた。
飛沫が頬を跳ね、首筋と乳房を伝って落ちていく。
不意に少女が顔を上げる。
唸るような音を引き連れて、小さな影が空を横切った。
管理局がガジェットドローンⅡと呼称する飛行機械。
下弦の月にも似たその機体が、大きな弧を描いて少しずつ高度を落としている。
「ようやく来たか」
少女は裸体のまま河原に上がった。
途中でアタッシュケースのような箱を拾い、遮蔽物のない場所で立ち止まる。
その堂々とした振る舞いからは、羞恥の気配が微塵も感じられない。
仮にここが数百の観衆に囲まれた舞台だとしても、少女は怜悧な表情を崩しはしないだろう。
「望みの品だ、受け取れ」
ガジェットドローンが低空を飛来する。
両者の影が交錯する瞬間、少女は一抱えもあるケースを腕力だけで真上に放り投げた。
同時に機体底部のアタッチメントが展開。
すれ違いざまにケースを確保し、木々を掠めて飛び去っていく。
風圧の残滓が木の葉を舞わせ、水面を激しく波打たせる。
数秒と待たず、ガジェットドローンは豆粒ほどの点に姿を変えた。
旋風が止み、河畔に静けさが訪れる。
少女は何事も無かったかのように、太い枝に掛けてあった着衣を回収し始めていた。
飛び去ったガジェットドローンがどこから来てどこへ行くのか。
そんなことには一切関心を払っていないようだ。
「しかし、興醒めだ。これでは掃除屋の方がまだ早い」
少女はぽつりと呟いた。
未だ来ぬ思い人を待ち侘びる乙女のように。
獲物の接近を待ち伏せる狩人のように。
森の彼方、火の粉を孕んだ黒煙が静かに立ち上っていた。
――十二日目 第七管理世界 辺境 現地時間 AM11:15――
「なるほど。話に聞いていた以上に広大な樹海だ」
セイバーは一旦足を止め、眼下の密林を見渡した。
青空の下、地平の果てまで広がる広葉樹林。
山脈と河川が横切る以外に途切れた箇所はなく、ただ手付かずの森が続いている。
人類が科学を手にする以前、ヨーロッパ大陸を埋め尽くした森林地帯を髣髴とさせる。
「ここは管理世界の中でも特に自然が残されている場所らしい」
吹き付ける強風を物ともせず、シグナムがセイバーの隣に立つ。
二人が下っているこの岩山からは、地平線までを余すところなく一望できる。
その分、森の上を吹き抜ける風が集中し、ちょっとした突風の吹き溜まりとなっていた。
「犯罪者には勿体無い環境だな。自然保護区の認定を与えておくべきだ」
「仕方ないでしょう。ここは明らかに潜伏向きの地形です」
「ああ、それは否定しない」
一時間ほど前、彼女らはレリック密売組織の残党掃討の任を受け、第七管理世界に降り立った。
その密売組織とは、先日の空港におけるレリック争奪戦の発端となった組織である。
つまり、今回の作戦は"偽造聖杯"を造った者達への牽制でもあるのだ。
作戦内容は以下の通り。
まず二個分隊を五つの班に分けて捜索を行う。
第一班――高い空戦能力を持つなのはとフェイト。
第二班――スターズ分隊副隊長のヴィータと補充要因の衛宮士郎。
第三班――コンビとしての相性が高いスバルとティアナ。
第四班――第二班と同様の理由により、シグナムとセイバー。
第五班――第三班と同様の理由により、エリオとキャロ。
適正と相性を考慮して編成された各班は、地上と空中の両面から拠点を捜索することとなった。
……もっとも、全く危なげのない編成かといえば、否と言わざるを得ない。
昔からの関係である第一、三、五班は心配する必要はないだろう。
シグナムとセイバーからなる第四班も、両者の性格からして衝突することはないはずだ。
問題は第二班だ。
「さて……シロウは上手くやれているのでしょうか」
「保証はできないな。ヴィータはどうしても感情を優先しがちだ」
「シロウも似たようなものですが、優先する感情の種類は違いますね」
互いの評を聞いて、二人はそれぞれ肩を竦めた。
態度とは裏腹に、大切に思う人のことを優先してしまうヴィータ。
己のことを大切に思えず、他者のことを優先してしまう士郎。
あり方の輪郭が類似していながら、全く異なる中身を持つ二人。
「ましてや、士郎は私のようなものすら庇わずにはいられない性格ですから」
「なるほど、それは確かにヴィータと相性が悪い」
シグナムは短く息を吐いた。
ヴィータは衛宮士郎のことを快く思っておらず、相互理解がまるで進んでいない。
ここ数日の共同訓練も、第一印象の悪さを払拭するには足りなかったのだ。
そんな状況で、ヴィータのプライドを逆撫でするようなことが起これば、本格的に衝突しかねない。
「……編成を間違えたかな」
小さく苦笑を漏らした瞬間、シグナムの元に緊急通信が入った。
第五班――エリオとキャロの班からだ。
『た――助けて――助けてください!』
「どうした、キャロ!」
『エリオくんが、エリオくんが――!』
並々ならぬ雰囲気に、シグナムだけでなくセイバーまでもが身を引き締める。
キャロが放つ必死の叫びは、事の重大さを認識させるには充分過ぎた。
『エリオくんが――――殺されちゃう!』
――十二日目 第七管理世界 辺境 現地時間 AM11:00――
「これは――――」
遡ること、十数分前。
森林地帯を探索していたエリオとキャロは、突如として開けた土地に出くわした。
川の流域でもなければ、樹木の生えない湿地帯でもない。
事前に取得した地形図によれば、ここには十数メートルほどの大岩が座しているはずなのだ。
しかし、二人の眼前に広がる光景は、完全な更地――
――――否、大地に深々と刻み込まれた、一直線の傷痕であった。
エリオは深い断層の縁に膝を突き、大地の傷痕の表面を調べた。
手をかざすと、高熱の残滓が僅かに感じられる。
表層の岩や砂はガラス状に変質して固まっている。
巨大な重機で掘り返されたのではない。
凄まじい高温によって、地表そのものがごっそりと蒸発させられたのだ。
周辺の木にも焦げた跡があり、小規模な火災が起こっていたことを窺わせる。
「大出力の魔法……? まさか、いくらなんでも……」
熱が残留していることから考えて、実行犯はまだこの世界から出ていないだろう。
皆を呼ぶべきかもしれない。
そんな考えがエリオの脳裏を過ぎった。
この破壊が自然現象によってもたらされたとは考えにくい。
だとすれば、強力な兵器か神話級の召喚獣、あるいは超高ランクの魔導師か。
もしくは―――サーヴァント。
いずれにせよ、自分たち二人だけで対処できる代物ではない。
「フェイトさんを……駄目だ、広域探索中だからすぐに来れるわけがない」
次に思い浮かんだのは『誰を呼ぶべきか』という選択肢である。
できるだけ近くにいて、できるだけ強く、できるだけ迅速に呼べる班。
広域探索中の第一班を呼んだとしても、二人が来るまでに実行犯は遠くへ行ってしまうかもしれない。
しかし、第三班と合流しても戦力が二倍になるだけで、規格外の強敵に勝てるとは限らない。
「エリオくん、あれってもしかして……」
悩むエリオの傍らで、キャロは断層の端を指差した。
炭化した木々の近辺に人工的な物体が落ちている。
エリオはその正体を理解し、表情を強張らせた。
「建物の……残骸」
直感が二つの事象を結び付ける。
機動六課が追いかけていた密売組織の拠点は、ここに『在った』のだ。
ほんの少し前に、何者かの手によって、僅かな痕跡を残して抹消されてしまっただけで。
恐らくは、口封じのために――
「キュクルーッ!」
突如、フリードが甲高い鳴き声をあげた。
「ようやく来たかと思えば、幼子が二人か」
森に澄み切った声が響き渡る。
エリオは咄嗟に顔を上げ、ストラーダを構えた。
断層の向こう側の森林から、小柄な少女が歩いてきていた。
背丈はスバルと同程度。
肌は透き通るように白く、美しい金髪を後頭部で編んでいる。
黒を基調にまとめられた衣装は、少女らしさと高貴さを併せ持っているように見えた。
そして何よりも、新たにライトニングに加わった少女、セイバーと容姿が酷似していた。
「キャロ! 逃げて!」
少女の琥珀色の瞳に見据えられた瞬間、総身を圧倒的な殺気が貫いた。
咄嗟に放った叫びが終わるより早く、黒き少女は一歩で断層を越えていた。
「まず、一人」
「――――!」
≪Sonic Move.≫
可能な限りの速度で跳び退くエリオ。
その胸を激しい灼熱感が襲う。
斬られていた。
少女の手には漆黒の剣。
その切っ先には赤い血糊。
灼熱感から数瞬遅れ、胸に走る激痛――
「エリオくん!」
キャロの悲鳴が、揺らぎ掛けていたエリオの意識を繋ぎとめた。
両足で地を踏み締め、ストラーダを黒き少女に振り向ける。
血の飛沫が足元に赤い斑点を散らした。
「くっ――――」
思ったよりも傷は深いらしい。
バリアジャケットのお陰で助かったというべきか、バリアジャケットがありながらこの有様というべきか。
「――我が求めるは、戒める物Ⅰ 捕らえる物!」
「キャロ!?」
エリオの叫びにも関わらず、キャロは錬鉄召喚の詠唱を開始した。
友人が目の前で傷つけられたという事実が、彼女から離脱という選択肢を奪っていた。
「言の葉に答えよ、鋼鉄の縛鎖! 錬鉄召喚、アルケミックチェーン!」
魔力を帯びた鋼鉄の鎖が、瞬時に黒き少女を拘束する。
だが、少女は顔色一つ変えることなく、冷徹にキャロへと視線を移した。
氷の杭を打ち込まれたかのような怖気が、キャロの背筋を走り抜ける。
憎悪なき殺気。敵意ではなく、純然たる排除の意思。
少女の手の中で、漆黒の剣が握り直される。
「そ……蒼穹を走る白き閃光! 我が翼となり――」
「駄目だ! 逃げるんだ!」
「――――この程度か」
鋼鉄の鎖が一瞬にして砕け散る。
黒き少女から放たれた魔力の奔流が、物理的な衝撃となって鎖を粉砕したのだ。
「――て、天を、駆けよ!」
「キャロ――!」
詠唱よりも更に速く、黒き少女の姿が掻き消える。
≪Sonic Move.≫
もはや思考を挟むことすらもどかしい。
目にも留まらぬ神速に、限界を超えた最高速で追い縋る。
漆黒の剣による刺突がキャロの細身を抉る刹那、ストラーダの切っ先が刀身を打つ。
僅かに軌跡の逸れた刃は、バリアジャケットに包まれたキャロの左肩を掠めるに留まった。
「僕が相手だ! キャロに手を出すな!」
「……私に挑むか」
黒き少女はストラーダの刃を払い、一歩で数メートルの距離を離した。
痛みを堪えるエリオの後ろでキャロは力なく崩れ落ちた。
その膝にフリードが降り、黒き少女を激しく威嚇する。
「娘、私と同じ顔をした女に覚えがあるだろう?」
そう告げて、黒き少女は剣の切っ先をキャロへと振り向ける。
あの少女と同じ顔――
「奴をここに呼べ。猶予はそこの男が死ぬまでだ」
「そんな……!」
突然の宣告に凍りつくキャロ。
エリオは胸の鮮血を拭うことも忘れ、決意と共にストラーダを構え直す。
恐らく勝ち目はないだろう。
それでも、ここを退くわけにはいかない。
たとえ何があろうとも。
「大丈夫。心配しないで、キャロ―――行くよ、ストラーダ」
≪Empfang. Speerangriff.≫
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第16話 「暴君の剣Ⅰ -Tyrant Sword the First-」
――八日目 PM13:10――
「……以上が事件の概要です」
説明を終え、はやてはブリーフィングルームに集まった隊員達を見渡した。
スターズ。ライトニング。ロングアーチ。
そして機動六課以外の関係部隊の隊長格達。
ブリーフィングルームを埋め尽くすほどの視線が、壇上のはやてに注がれている。
「不明な点があれば仰ってください。解答できる範囲でお答えします」
発言を促すも、聴衆達は口を閉ざしたままだ。
無理もないだろう。
先ほどの説明で伝えた状況は、歴戦の士官達を黙らせるには充分だった。
数日前に高官達へ報告した内容よりも情報は削られていたが、あえて伏せた部分を差し引いても異常過ぎる。
"聖杯"と"サーヴァント"――
未知なる魔導技術の結晶である祭壇と、それによって召喚された人外の戦士。
そんな代物がミッドチルダに解き放たれたのだ。
臨席している現場部隊の指揮官達は、文字通り寿命が縮む思いをしていることだろう。
「八神二佐」
陸士部隊の三佐が声を上げた。
外見は若いが、階級から考えて部隊長クラスのようだ。
「召喚装置……その、聖杯とはロストロギアなのですか。
機動六課は古代遺物管理部隷下で、それもレリック専任の部隊なのでは」
要するに、この案件を機動六課が主導するのは越権行為ではないかと訊ねたいらしい。
こういう疑問は想定の範囲内だ。
はやてはアクセントをできるだけ抑えて、落ち着いた声色を心がけて返答する。
「仰るとおり、聖杯そのものはロストロギアの定義には当てはまりません。
しかし、先日の一件を顧みれば、サーヴァントを維持する魔力源としてレリックが狙われていることは明白です」
「では、初動の聖杯破壊任務に機動六課が当たった理由は?」
容赦ない追求だが、三佐の態度からは悪意や敵意は感じられない。
あくまで健全な意見交換の一環として、疑問点を問い質しているだけなのだろう。
「最も大きな理由は、陸上部隊に出動を要請する時間的な余裕がなかったことです。
当時の状況から考えて、突入があと少し遅ければ、更に多くのサーヴァントを召喚されていたと思われます。
被害を最小限に食い止めるための緊急措置――そう考えて下さい」
三佐は納得した様子で頷いた。
はやては真面目な表情を維持したまま、心の中で胸を撫で下ろす。
毎回のことだが、他部隊との折衝には多大な精神的疲労が付きまとう。
古今東西、陸海空軍はそれぞれ仲が悪いものらしいが、機動六課の立場はとりわけ不安定だ。
元々、六課は様々な裏技を駆使して編成された部隊である。
その上、現在は局外の人間まで雇い入れている――という扱いになっている。
そんなイレギュラーに向けられる視線は温かいものではない。
不当に縄張りを侵されたと誤解されないためにも、細かなことでもしっかり説明する必要があるのだ。
「二佐、私も発言していいですかね」
壮年の士官が軽く片手を挙げる。
さっきの三佐とはまるで雰囲気が違う。
現場からの叩き上げだと一目で分かった。
「実行犯はレリックを狙っていて、ガジェットドローンとの関係も疑われる……
それは理解できますが、今後の対策はどのようにするのですか?
まさか場当たり的に撃退するだけというわけにはいかないでしょう」
この人、わたし達を試しとるな――はやてはそう直感した。
前線部隊で経験を積んできた士官にとって、はやては新品同様の上官だ。
今後の方針すら示せないようでは指揮官失格だと考えているのだろう。
これは佐官として乗り越えなければならないハードルだ。
「対策は二つの方面から行ないたいと考えています。
一つ目は、実行犯と目される次元犯罪者の足取りを捜査すること。
これについては皆さんの捜査能力に頼ることになると思います」
組織というのは不思議なもので、地位や階級が重要視される一方で、経験豊かな古株の影響力も極めて大きい。
恐らく、あの士官は陸士に少なからぬ影響力を持っているはずだ。
はやてがナカジマ三佐を頼りにしているのと同様、多くの上官が彼を信頼しているに違いない。
もしもここで無様を晒せば、機動六課は陸上部隊からの信頼を一気に失うことになる。
「もう一つは、レリック密売組織の徹底的な検挙です。
こちらは主に機動六課が請け負うことになるでしょう」
「と、言うと?」
壮年の士官が発言の続きを促した。
どうやらはやての指針に関心を示したらしい。
まるで、模範解答を知っている教師が生徒の解答を待っているような雰囲気だ。
「空港の一件では、彼らは異様なまでの正確さで、我々の想定を遥かに上回る戦力を投入してきました。
そして、陽動として用意されていた偽の運搬計画には全く反応を示していません。
考えられる原因は……管理局が密売組織の拠点を摘発する以前から、その組織に目をつけていたというところでしょう」
要は、管理局がレリックを『横取り』する形になったということだ。
『目をつけていた』というのが、襲撃対象としてなのか、取引相手としてなのかは分からない。
どちらにせよ、摘発の時点からずっと追跡されていたと考えれば、偽の輸送作戦に引っかからなかったことも頷ける。
……この仮説に弱点があるとすれば、より可能性の高い仮説が存在するということ。
地上本部立案の陽動作戦が漏洩したという、致命的な仮説が。
「第七管理世界で摘発したのは拠点の一つに過ぎず、例の密売組織自体は活動を継続しています。
まずはこの組織の壊滅と、保有するレリックの回収を作戦目標とします。
構成員を逮捕できれば何らかの情報を得られるかもしれません」
はやては壮年の士官から一旦目を離し、周囲を見渡した。
「サーヴァントの弱点は、存在の維持にすら魔力を消耗するというコストの高さです。
その魔力的コストは生身の人間が支払うには莫大過ぎます。
供給源を断てば大きな打撃を与えられるはずです」
情勢は混迷の只中にある。
こんな状況で身内を疑い出したらきりがない。
第一、地上本部の情報漏洩など、それこそ機動六課の権限が及ぶ事案ではないのだ。
それに、既に専門の部署に調査を要請してある。
六課は自分達にできることをすればいい。
「なるほど、実行犯の追跡と魔力源の撲滅を二本柱とする戦略ですか。こいつは忙しくなりそうだ」
壮年の士官は上体を揺すって笑った。
はやての示した方針は、彼が考えていた戦略とおおよそ合致したようだ。
ハードルは越えた――はやての肩から力が抜けた。
これできっと、彼の指揮する部隊ははやての方針に従ってくれる。
「他に質問が無いようなら、部隊の配置を決定したいと思います」
はやては緩みかけた気持ちを引き締め、声を張り上げた。
今はまだ、味方との衝突を回避した段階に過ぎない。
本当の戦いは、まだ始まってすらいないのだ。
――八日目 PM17:51――
「やれやれ、随分長引いたわね」
ブリーフィングルームから程近い、白く清潔な廊下の一角。
遠坂凛は全身に溜まった疲労感を搾り出すように、ぐっと伸びをした。
「時間通りに終わる会議なんて幻や」
「幻だからこそ期待しちゃうのよ」
はやては休憩用のソファーに腰を下ろした。
他部隊とのミーティングは、予定されていた終了時間を二時間もオーバーし、先ほどようやく終了した。
合計五時間以上に及ぶ会議は体力だけでなく精神力も削っていく。
ここ一週間の多忙さも手伝って、はやての疲労はピークに達しつつあった。
「それで、今後のスケジュールはどうなるの?」
「せやな……ここんとこ出撃してなかったし、一週間以内には戦線復帰かな」
疲労を胸の奥に押し込めて、はやては和やかな笑顔を浮かべた。
空港とホテルでの戦闘を最後に、機動六課は戦闘行為に参加していない。
理由は極めて単純。
新隊員を加えた部隊運用の訓練に掛かりきりだったのだ。
スターズに衛宮士郎。
ライトニングにセイバー。
二人とも、近接戦闘を得意とする魔導師と騎士である。
既存のフォーメーションとの相性は悪くないが、それでも調整は必要不可欠。
贅沢を言えば、後一ヶ月はかけたいところだ。
「あなたも大概ワーカーホリックね」
凛が呆れたような態度を見せる。
彼女も書類上はロングアーチの隊員だが、役割はあくまで地球との折衝と情報解析。
他の二人とは異なり、戦闘のコンビネーションを考慮する必要はない。
そういう意味では、あまり忙しさを増やさない人である。
「好きで忙しくなってるわけやないんよ」
「どうだか。たまには休まないと、糸がぷつっと切れちゃうわよ」
「あはは。シャマルにも似たようなこと言われたわ」
尤も、シャマルの場合は凛のような冗談めかした口調ではなく、本気の忠告だったのだが。
ふと時計に目をやると、今まさに午後六時になろうとしているところだった。
「お腹すいた……」
はやての口からシンプルな欲求がこぼれ落ちた。
朝は会議の準備で忙しく、朝食を摂る暇もなかった。
会議の開始までの短い時間に軽食を食べ、後は延々とミーティング。
空腹度を示すメーターがあるなら、針が最低値を振り切りそうな勢いだ。
「それじゃ、何か食べにいこっか」
凛は休憩用ソファーから立ち上がり、ぐっと伸びをした。
赤い服が身体に密着して細身の輪郭が浮き出る。
「ここの食堂でええ?」
「んー、士郎に作ってもらうとか」
「それもええなぁ」
先日、衛宮士郎に振舞われた料理の味を思い返す。
料理を得意とする者にとって、他人の作った美味しい料理は否応なしに興味をそそられる。
ましてや同年代の男の料理とあっては、物珍しさも手伝って関心数割増しである。
"聖杯"の件が一段落したら、今度は自分が作った料理を食べてみてもらおう。
色々苦労をかけてしまったお詫びと、ささやかな対抗心の充足とで一石二鳥だ。
そんなことを考えながら、はやては凛の後を追って立ち上がろうとした。
「――――あれ?」
ぐらり――と。
廊下が歪み、傾いた。
おぼつかない脚で辛うじて踏み止まる。
建物に異変が生じたのではない。身体に異常が生じたのだ。
視界が急激に暗くなっていく。
頭の中身が頭蓋骨の内側を走り回っているかのようだ。
はやては両手で膝を押さえ、平衡感覚が元に戻るのを待った。
「大丈夫、八神さん?」
「……うん、ちょっと立ち眩みしただけや」
顔を上げ、深く息を吸い込んだ。
視界の縁に滲む暗闇が急速に消えていく。
大した症状ではないはずだ。貧血か、もしくは立ち眩みか。
どちらにせよ一過性のものだろう――はやては自分にそう言い聞かせた。
ここからが正念場だというのに、隊長が過労でリタイアなんて笑い話にもならない。
「やっぱり立ちっ放しは疲れるなぁ。座っとったみんなが羨ましいわ」
そもそも、疲労が溜まっているのは自分だけではないはずだ。
未知の敵との戦いを強いられているスターズ分隊とライトニング分隊。
慣れない土地と組織に馴染まなければならない衛宮士郎達。
編成再編を終えたばかりの両分隊を支援するロングアーチの面々。
"聖杯"の全貌を知らされることなく任務に就く陸士部隊。
彼らの苦労を思えば、自分の疲労など軽いものだ。
「それじゃ、遠坂さん。今日は和食がいいって、衛宮君にお願いしといてな」
意識しての行為か、それとも無意識の所作か。
はやてはさり気なく壁に手を突いて、身体の負担を軽くしようとしているようであった。
皮肉なことに――この献身は、八神はやてという少女の心身を想像以上に消耗させていたのだ。
その事実を彼女自身が悟るのは、まだ先のことになる。
――第七管理世界 辺境 現地時間 AM10:15――
山脈を囲む、鬱蒼とした森林地帯。
辺りに人工物の陰はなく、文明の音も聞こえない。
響き渡るのは風が木々を撫ぜる音色と、梢に羽を休める鳥の囀り。
そして雪解け水を含んだ渓流のせせらぎ。
陽光を弾く水面は、さながら砂金を散りばめた玻璃のよう。
清流は水晶よりも澄み渡り、巌の狭間を流れ落ちる様は静謐と呼ぶに相応しい。
まさしく人の手に寄らぬ芸術である。
その流れの只中で、一人の少女が身を清めていた。
積もりたての淡雪よりも白い肌。
望月の光を紡いだ柔らかな髪。
流麗で、しかし情動の欠落した面貌は、まさに彫像。
自然美の懐中にありながら、少女の美しさはまるで埋没していない。
それどころか、この秘境そのものが少女を際立たせるための舞台にすら思えてしまう。
万人が見惚れる美貌と、万人が傅く威容。
相反する要素が矛盾なく内包されている。
ちゃぷりと少女の手が水に沈む。
そうして汲み上げた一掬いの水を、少女は己の顔に打ち掛けた。
飛沫が頬を跳ね、首筋と乳房を伝って落ちていく。
不意に少女が顔を上げる。
唸るような音を引き連れて、小さな影が空を横切った。
管理局がガジェットドローンⅡと呼称する飛行機械。
下弦の月にも似たその機体が、大きな弧を描いて少しずつ高度を落としている。
「ようやく来たか」
少女は裸体のまま河原に上がった。
途中でアタッシュケースのような箱を拾い、遮蔽物のない場所で立ち止まる。
その堂々とした振る舞いからは、羞恥の気配が微塵も感じられない。
仮にここが数百の観衆に囲まれた舞台だとしても、少女は怜悧な表情を崩しはしないだろう。
「望みの品だ、受け取れ」
ガジェットドローンが低空を飛来する。
両者の影が交錯する瞬間、少女は一抱えもあるケースを腕力だけで真上に放り投げた。
同時に機体底部のアタッチメントが展開。
すれ違いざまにケースを確保し、木々を掠めて飛び去っていく。
風圧の残滓が木の葉を舞わせ、水面を激しく波打たせる。
数秒と待たず、ガジェットドローンは豆粒ほどの点に姿を変えた。
旋風が止み、河畔に静けさが訪れる。
少女は何事も無かったかのように、太い枝に掛けてあった着衣を回収し始めていた。
飛び去ったガジェットドローンがどこから来てどこへ行くのか。
そんなことには一切関心を払っていないようだ。
「しかし、興醒めだ。これでは掃除屋の方がまだ早い」
少女はぽつりと呟いた。
未だ来ぬ思い人を待ち侘びる乙女のように。
獲物の接近を待ち伏せる狩人のように。
森の彼方、火の粉を孕んだ黒煙が静かに立ち上っていた。
――十二日目 第七管理世界 辺境 現地時間 AM11:15――
「なるほど。話に聞いていた以上に広大な樹海だ」
セイバーは一旦足を止め、眼下の密林を見渡した。
青空の下、地平の果てまで広がる広葉樹林。
山脈と河川が横切る以外に途切れた箇所はなく、ただ手付かずの森が続いている。
人類が科学を手にする以前、ヨーロッパ大陸を埋め尽くした森林地帯を髣髴とさせる。
「ここは管理世界の中でも特に自然が残されている場所らしい」
吹き付ける強風を物ともせず、シグナムがセイバーの隣に立つ。
二人が下っているこの岩山からは、地平線までを余すところなく一望できる。
その分、森の上を吹き抜ける風が集中し、ちょっとした突風の吹き溜まりとなっていた。
「犯罪者には勿体無い環境だな。自然保護区の認定を与えておくべきだ」
「仕方ないでしょう。ここは明らかに潜伏向きの地形です」
「ああ、それは否定しない」
一時間ほど前、彼女らはレリック密売組織の残党掃討の任を受け、第七管理世界に降り立った。
その密売組織とは、先日の空港におけるレリック争奪戦の発端となった組織である。
つまり、今回の作戦は"偽造聖杯"を造った者達への牽制でもあるのだ。
作戦内容は以下の通り。
まず二個分隊を五つの班に分けて捜索を行う。
第一班――高い空戦能力を持つなのはとフェイト。
第二班――スターズ分隊副隊長のヴィータと補充要因の衛宮士郎。
第三班――コンビとしての相性が高いスバルとティアナ。
第四班――第二班と同様の理由により、シグナムとセイバー。
第五班――第三班と同様の理由により、エリオとキャロ。
適正と相性を考慮して編成された各班は、地上と空中の両面から拠点を捜索することとなった。
……もっとも、全く危なげのない編成かといえば、否と言わざるを得ない。
昔からの関係である第一、三、五班は心配する必要はないだろう。
シグナムとセイバーからなる第四班も、両者の性格からして衝突することはないはずだ。
問題は第二班だ。
「さて……シロウは上手くやれているのでしょうか」
「保証はできないな。ヴィータはどうしても感情を優先しがちだ」
「シロウも似たようなものですが、優先する感情の種類は違いますね」
互いの評を聞いて、二人はそれぞれ肩を竦めた。
態度とは裏腹に、大切に思う人のことを優先してしまうヴィータ。
己のことを大切に思えず、他者のことを優先してしまう士郎。
あり方の輪郭が類似していながら、全く異なる中身を持つ二人。
「ましてや、士郎は私のようなものすら庇わずにはいられない性格ですから」
「なるほど、それは確かにヴィータと相性が悪い」
シグナムは短く息を吐いた。
ヴィータは衛宮士郎のことを快く思っておらず、相互理解がまるで進んでいない。
ここ数日の共同訓練も、第一印象の悪さを払拭するには足りなかったのだ。
そんな状況で、ヴィータのプライドを逆撫でするようなことが起これば、本格的に衝突しかねない。
「……編成を間違えたかな」
小さく苦笑を漏らした瞬間、シグナムの元に緊急通信が入った。
第五班――エリオとキャロの班からだ。
『た――助けて――助けてください!』
「どうした、キャロ!」
『エリオくんが、エリオくんが――!』
並々ならぬ雰囲気に、シグナムだけでなくセイバーまでもが身を引き締める。
キャロが放つ必死の叫びは、事の重大さを認識させるには充分過ぎた。
『エリオくんが――――殺されちゃう!』
――十二日目 第七管理世界 辺境 現地時間 AM11:00――
「これは――――」
遡ること、十数分前。
森林地帯を探索していたエリオとキャロは、突如として開けた土地に出くわした。
川の流域でもなければ、樹木の生えない湿地帯でもない。
事前に取得した地形図によれば、ここには十数メートルほどの大岩が座しているはずなのだ。
しかし、二人の眼前に広がる光景は、完全な更地――
――――否、大地に深々と刻み込まれた、一直線の傷痕であった。
エリオは深い断層の縁に膝を突き、大地の傷痕の表面を調べた。
手をかざすと、高熱の残滓が僅かに感じられる。
表層の岩や砂はガラス状に変質して固まっている。
巨大な重機で掘り返されたのではない。
凄まじい高温によって、地表そのものがごっそりと蒸発させられたのだ。
周辺の木にも焦げた跡があり、小規模な火災が起こっていたことを窺わせる。
「大出力の魔法……? まさか、いくらなんでも……」
熱が残留していることから考えて、実行犯はまだこの世界から出ていないだろう。
皆を呼ぶべきかもしれない。
そんな考えがエリオの脳裏を過ぎった。
この破壊が自然現象によってもたらされたとは考えにくい。
だとすれば、強力な兵器か神話級の召喚獣、あるいは超高ランクの魔導師か。
もしくは―――サーヴァント。
いずれにせよ、自分たち二人だけで対処できる代物ではない。
「フェイトさんを……駄目だ、広域探索中だからすぐに来れるわけがない」
次に思い浮かんだのは『誰を呼ぶべきか』という選択肢である。
できるだけ近くにいて、できるだけ強く、できるだけ迅速に呼べる班。
広域探索中の第一班を呼んだとしても、二人が来るまでに実行犯は遠くへ行ってしまうかもしれない。
しかし、第三班と合流しても戦力が二倍になるだけで、規格外の強敵に勝てるとは限らない。
「エリオくん、あれってもしかして……」
悩むエリオの傍らで、キャロは断層の端を指差した。
炭化した木々の近辺に人工的な物体が落ちている。
エリオはその正体を理解し、表情を強張らせた。
「建物の……残骸」
直感が二つの事象を結び付ける。
機動六課が追いかけていた密売組織の拠点は、ここに『在った』のだ。
ほんの少し前に、何者かの手によって、僅かな痕跡を残して抹消されてしまっただけで。
恐らくは、口封じのために――
「キュクルーッ!」
突如、フリードが甲高い鳴き声をあげた。
「ようやく来たかと思えば、幼子が二人か」
森に澄み切った声が響き渡る。
エリオは咄嗟に顔を上げ、ストラーダを構えた。
断層の向こう側の森林から、小柄な少女が歩いてきていた。
背丈はスバルと同程度。
肌は透き通るように白く、美しい金髪を後頭部で編んでいる。
黒を基調にまとめられた衣装は、少女らしさと高貴さを併せ持っているように見えた。
そして何よりも、新たにライトニングに加わった少女、セイバーと容姿が酷似していた。
「キャロ! 逃げて!」
少女の琥珀色の瞳に見据えられた瞬間、総身を圧倒的な殺気が貫いた。
咄嗟に放った叫びが終わるより早く、黒き少女は一歩で断層を越えていた。
「まず、一人」
「――――!」
≪Sonic Move.≫
可能な限りの速度で跳び退くエリオ。
その胸を激しい灼熱感が襲う。
斬られていた。
少女の手には漆黒の剣。
その切っ先には赤い血糊。
灼熱感から数瞬遅れ、胸に走る激痛――
「エリオくん!」
キャロの悲鳴が、揺らぎ掛けていたエリオの意識を繋ぎとめた。
両足で地を踏み締め、ストラーダを黒き少女に振り向ける。
血の飛沫が足元に赤い斑点を散らした。
「くっ――――」
思ったよりも傷は深いらしい。
バリアジャケットのお陰で助かったというべきか、バリアジャケットがありながらこの有様というべきか。
「――我が求めるは、戒める物! 捕らえる物!」
「キャロ!?」
エリオの叫びにも関わらず、キャロは錬鉄召喚の詠唱を開始した。
友人が目の前で傷つけられたという事実が、彼女から離脱という選択肢を奪っていた。
「言の葉に答えよ、鋼鉄の縛鎖! 錬鉄召喚、アルケミックチェーン!」
魔力を帯びた鋼鉄の鎖が、瞬時に黒き少女を拘束する。
だが、少女は顔色一つ変えることなく、冷徹にキャロへと視線を移した。
氷の杭を打ち込まれたかのような怖気が、キャロの背筋を走り抜ける。
憎悪なき殺気。敵意ではなく、純然たる排除の意思。
少女の手の中で、漆黒の剣が握り直される。
「そ……蒼穹を走る白き閃光! 我が翼となり――」
「駄目だ! 逃げるんだ!」
「――――この程度か」
鋼鉄の鎖が一瞬にして砕け散る。
黒き少女から放たれた魔力の奔流が、物理的な衝撃となって鎖を粉砕したのだ。
「――て、天を、駆けよ!」
「キャロ――!」
詠唱よりも更に速く、黒き少女の姿が掻き消える。
≪Sonic Move.≫
もはや思考を挟むことすらもどかしい。
目にも留まらぬ神速に、限界を超えた最高速で追い縋る。
漆黒の剣による刺突がキャロの細身を抉る刹那、ストラーダの切っ先が刀身を打つ。
僅かに軌跡の逸れた刃は、バリアジャケットに包まれたキャロの左肩を掠めるに留まった。
「僕が相手だ! キャロに手を出すな!」
「……私に挑むか」
黒き少女はストラーダの刃を払い、一歩で数メートルの距離を離した。
痛みを堪えるエリオの後ろでキャロは力なく崩れ落ちた。
その膝にフリードが降り、黒き少女を激しく威嚇する。
「娘、私と同じ顔をした女に覚えがあるだろう?」
そう告げて、黒き少女は剣の切っ先をキャロへと振り向ける。
あの少女と同じ顔――
「奴をここに呼べ。猶予はそこの男が死ぬまでだ」
「そんな……!」
突然の宣告に凍りつくキャロ。
エリオは胸の鮮血を拭うことも忘れ、決意と共にストラーダを構え直す。
恐らく勝ち目はないだろう。
それでも、ここを退くわけにはいかない。
たとえ何があろうとも。
「大丈夫。心配しないで、キャロ―――行くよ、ストラーダ」
≪Empfang. Speerangriff.≫
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